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<title>mix36999のブログ</title>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.11　忙しいときほど　　　　　　20260418</title>
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<![CDATA[ <p>１ヶ月で10投稿する（3日に1遍は）と先週決めて、数日ずっと書けずに少し困っていた。それなのに昨日、筆の神様が下りてきて午前に書けてしまった勢いで2編とも投稿してしまった。新月マジック？！うぅ、もったいない。今日投稿すればよかったと思った。そして、10編のタイトルだけを改めてみてみると似たようなものもあり『なんだか浅はかだなあ』と反省することしきり。でも、その時の感情が最優先のブログにしようと思ったからよしとした。そして振り返らない（たまには振り返れよ？）。</p><p>&nbsp;</p><p>さてタイトルは『忙しいときほど』。わたしは密かに否あきらかに多動性。したいことを並行して始めていながらやりたいと思うことを調べたりであっという間に週末になる。そんなこんなで勤め人をやめても一週間の忙しさはあまり変わらない。</p><p>そして、今日はこれからボランティアで3時間弾き唄いに行くし、明日はスクーリングで通学する講座入校日である。しかも事前に目を通さなければいけない課題がまだ入り口で止まったままだ。もっと焦らないといけない時に、これを早起きして書いているし、昨日は課題のイーラーニングを開きながら筆が走る勢いに任せブログばかり書いていたから当然のごとく課題はだいぶ遅れたままだ。これからボランティアで弾く曲のおさらいもしなくてはならず、さくっと書いて投稿するつもりである。間違っても昨日のように筆の神を降臨させてはならない。</p><p><br>でも、自分が自分を好きで忙しくさせているんだよね。そして、いつもいいところに落ち着いているよね。深呼吸。自分の周囲にも自分の中にもたくさん神様がいて悪しきものから守っていい方向に導いてくださろうとしている。何が自分にとって大切かの判断を見誤っていなければ、物事はスムーズに進み周囲とも穏やかに過ごせる。だから自分と繋がっていることはとても大事。ありがとう。自分の中の神様とともに今日も楽しく過ごします。では、またね。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12963363793.html</link>
<pubDate>Sat, 18 Apr 2026 09:21:21 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.10　色のマジックを最大限に　　20260417</title>
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<![CDATA[ <p>色は何でも好き。クレヨンや色鉛筆があれば全色使う。それが自然の中にある色だから。でも着る服は、肌の色やTPOで選びます。勤め人時代は紺、グレー、白やブルー系。まあ、そこそこ誰にも似合って無難な浮かない色。黒、紺、グレーはその人の個性を消す色。オーラをくすませる色。おしゃれな人はデティールや素材にこだわって個性をちょっぴり出してますよね。それをみつけるとウキウキして、やるね！お上手！と嬉しくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>50歳半ばを過ぎてから対人関係とともに服のブロックが外れてより自由になり、わたしが本当に好きな色はピンクと緑だったと気づいた。正確に言えばショッキングピンクとモスグリーン。勇気がいる色だが着れば必ず気分がいいし（いまどきはバイブスがあがるというのか）、会った人には褒められる。あと、最近レモンイエローも爽やかで好きになった。年を重ねる毎に派手な色に抵抗がなくなっていく。洋服の目標はゴージャスでない普段着で色と柄重ねを楽しむ西洋のお洒落なおばあちゃま。日本の着物も粋で組み合わせは無限大。素敵だけどあと2年は私という個性を出すためのクローゼットの入れ替え期間で洋服のお勉強のとき。着物は60超えてからの愉しみに取っておこう。</p><p>&nbsp;</p><p>考えたら20代は赤やオレンジなど平気で着ていたのに、社会に出て習慣に馴染むに従い、枠にはめられいつしかルールに縛られていた。それが大人になること、無駄な悪目立ちを防ぎ無難に立居振る舞うことと、暗黙の了解で過ごしてきた。</p><p>でも、もったいないよね！最近観しだしたInstagramでは若い子たち、上手に自由に色や形で遊んでいる。ファッションは『流行』ではなく『自分をよりよく魅せるもの』と捉えたら、退社したらインナーを着替えたり靴を履き替えたりしてもっと遊んでいいと思う。わたしは退社時間にはヘロヘロで早く帰宅することしか考えなかったから後の祭り（笑）。</p><p>&nbsp;</p><p>生き方を変えたい人は今日が一番若い日よ。私が上司なら『明日できることは残業してまでするな！』とあなたに、そしてあの日の私に言いたいのだ。自分のために生きよ！プライベートでの挑戦をもっと楽しめ！と。</p><p>そう、いくつになっても。年齢なんてただの数字ですから。春めく光の週末、私はこれからそう生きたいと改めて思った。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12963268561.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 10:51:09 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.９　世代間ギャップにおもうこと　　20260417</title>
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<![CDATA[ <p>今の子たち（若い世代という意味）は高次元の存在らしい。高次元とは、欲や争いや</p><p>自己中心的な考えが少なく平和で愛にあふれている人、ということらしい。</p><p>高度成長期に生まれたわたし世代は、土曜日も午前は学校に行かされり働かされたり残業すればするほど認められたから、まるで24時間照らされている電照菊や鶏のように生きていなかったか、と思う。人間らしい自然な生き方に憧れつつも心の奥底に後ろめたいものとして鍵をかけ沈めてしまい、そしていつしか忘れてしまった。（若い世代の皆さまよ、そこんとこわかっておくれよね（笑））</p><p>&nbsp;</p><p>企業戦士リゲインのＣＭを今でもよく思い出す。</p><p>『もう少し』『あと少し』と右肩上がりの幻想を求めて、プライベートの充実と引き換えに３０年前と今と手取りはどれくらい増えたか。物価はどうだ？私たちは誰のために何のために自ら量産された働きバチになったのか。そして今なお定年や年金支給が６５歳に延び７０歳まで働かされようとしている。その答えは『お金幻想』にあるのではと感じている。</p><p>&nbsp;</p><p>『とにかくお金があれば安心』。それで一体ゴールにはいつになったらたどり着けるのだろう。体はいつまで健康寿命レベルで元気なのだろうか。プライバシーという言葉もハラスメントという言葉もなく体罰に甘んじ成績表は校内に張り出され、勉学のツボは暗記中心。いつも時間に追われ短絡的なゲームやスポーツ観戦やドラマでストレス解消を促されていた。それは経済活性化と巧妙に紐づけられていた。牧歌的にただぼーっと空を眺め植物を愛で自然と親しみ、しょうもない空想をあれこれ張り巡らせる。そういうことに罪悪感なく時間を費やせる昭和世代は多分、若い世代との意思の疎通も比較的安易ではないかと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>彼らは昭和世代と比べるとルールも緩くのびのび育てられた。『無理です』が言えてワークライフバランスを念頭において自分を無駄に消費しない。学校では競争を強いられず教師どころか親にも叱られないで育つ子もいる。頭を小突かれ正座させられ、子供同士手も足も出る喧嘩ができた私たち世代とは経験値が違うから、お互いに育った世相を理解にしないと未知の宇宙人との対話みたいになるのは当たり前。もし職場や家庭や第三の場所で対立や断絶が生まれていたら、それは個の問題ではなく育った『環境』の壁越しにお互いコミュニケーションしているからといえないか。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>春は出逢いのシーズンだから胡散臭がられず相手をよく知るチャンスがたくさん巡ってくる。その『知る』は表面的な言動ではなく相手の奥底に何が眠っているのだろうか、と考えつつ押したり引いたりすることが『コミュニケーション』。不安と争いは奴らの大好物。恐れず怒らず逆張りでいこうではないか。未熟な考えでこじれさせないうちにね。さて、今日は疎遠になっていたあの人に元気？ってメールしてみようかな。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12963253986.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Apr 2026 08:01:03 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.8　自分を表現するもの　　20260412</title>
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<![CDATA[ <p>『日記のように毎日書くぞ～』と一念発起して始めたブログだが、それはもう崩れつつある事を認めよう。そして諦めよう。</p><p>&nbsp;</p><p>アルバイトはぼちぼちといったところか、業務にも人のクセにも慣れてきつつある。しかしながら齢58、勤め人を辞めて本腰入れるのが『経済活動』ではなく『積極的余生の過ごし方』であった。私は書くことを解禁し、それが文豪にならずとも今こうしていきなり人様の目に触れるという有難きステージに立っている。今の時代に感謝である。</p><p>&nbsp;</p><p>そして私にはもう一つ表現の場がありまして、それは歌うこと。2021年から地域でコソコソ（笑）歌ってはいたが、2025年、相方とユニットを組んでオープンマイクで活動開始。相方はハモるのが得意、私も多少、というところでお互いが好きな昭和歌謡縛りで楽器片手に歌い始めたら、これがまた楽しいのだ。決して上手いわけではない。ただ、その場が盛り上がる。一緒に口ずさんでもらえたり手拍子が起こったり肩が揺れたり。その空間をつくるためだけに歌い出したといっても過言ではない。その相方と私にチャンス到来！先週偶然つかんだ初めての冠付き商店街デビュー✨を2週間後に控え練習に余念がなかったのが書けなかった理由だ。ごめんなさい。でも、これだから人生はたまんないよ！</p><p>&nbsp;</p><p>今何故、この楽しい場に自分がいるのか。コロナ禍がいつ終焉するかわからない2021年秋、郵便受けに届いた１枚の地域活動通信のチラシ。月1回の『カフェ再開』の文字がそこにあった。ベランダから見る公園には、もう１年近く子供も大人も老人もいなかった。外出が著しく制限され、どこに行くにもマスクをしないと咎められた。先の見えない不安が社会を取り巻いていた時、このままだと老後の夢が叶わないかもしれないとチラシと楽器を握りしめ一度も行ったことのない公民館へ私は動いた。そのご縁が継続し膨らんで今に至る。あの時私があの行動をとっていなかったら、私はまだ人前で歌えず悶々としていたかもしれない。良き友人でもある相方にも出会えていなかったかも。その他の状況も違っていたかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>あなたにとって歌とは何か？と聞かれたら、私は過去の経験から『慰めと抱擁と活力』と答えたい。父は幼児の私に本だけでなく童謡のレコードとミニプレーヤーも与えてくれた。お陰でほとんどの童謡は暗譜で弾き歌いできる。唱歌もPOPSもクラシックもサンバもボサノバもノージャンルで聴いていた。音楽とリズムは文学と重なり合って私を築いてくれた。ひとりでいても寂しくなかったのは本と音楽がそばにいてくれていたからだと、今改めて気がついた。</p><p>&nbsp;</p><p>一面のピンクがあっという間に桜若葉になり、公園に緑が戻ってきた。雀も鳩も元気に鳴いている。敷き直したレールがすべて順調といえるわけではないし、問題もあるし、まあ年相応にいろいろある。でも楽しいことも起こりワクワクしながら迎えられた今に感謝して、季節の美しいものをたくさんみる時間ができてとても幸せ。今日はここでお終い。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12962820854.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Apr 2026 22:47:08 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.7　好きに感じて好きに表現してみる　　20260403</title>
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<![CDATA[ <p>投稿日が前後してしまった。始まったばかりなのに挫折してしまいそうだった。ブログを書くのは夜だがいざ書こうと思うと物凄い睡魔に襲われたこの３日間であった。満月だったからなのか。赤みを帯びた大きな月。バイト先でもミスを連発し大将にまでそれが伝染し肩身が狭かった。</p><p>&nbsp;</p><p>タイトルは好きに感じて好きに表現とあるが、私の表現は今のところ書くこと。でも白紙の前で固まってしまう人もいると思う。書く習慣がそもそもなかったり少なかったりしたら緊張するよね。書けるときも自分の本当の気持ちを隠して、周囲がどう思うかを先読みし流されて書いてはいないだろうか。わたしもそれが全くない、とは言えない。書くことを『身構えて』しまったら何も書けなくなってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>表現の歴史は小学校低学年から。いたずら書きに毛の生えた程度のイラスト？漫画？から始まった。休み時間書いていると『欲しい』という子たちに書いては渡していた。それが小学校高学年に思春期に差し掛かると詩に替わった。詩はさすがにこっそり書いた。無意識に中庸のバランスをとったのか高校時代は反動で完全な体育会系に転向した。朝練でおなかをすかせて3限目の休み時間に早弁し昼食をお替りし、日焼けも恐れず放課後日が暮れるまでボールを追いかけた。お陰さまで15歳までうちに閉じこもる性格が外向きになった。そして、同時にこんにちの還暦近くに至るまで内なる声を外に出すことを封印してきた。</p><p>&nbsp;</p><p>『学生時代にもっと勉強すればよかった』という人がまれにいるが、それはちょっと違うと思う。今学ばないことを言い訳にしているようにしか聞こえないと思うのは上から目線になるだろうか？正直、学校で教えてもらったことは毒にも薬にもならずどうでもいいことのように思えた。その証拠に社会に出てからも、話の足しになることも思い出すこともなく、忘却の彼方へ旅立った。若い私は、書くためには積極的に自己形成をしなければならないと考えていた。本で創られた空想と妄想の世界で頭でっかちだったから、もっと生身の人間と接してその中で得る感情をすべて経験したいと願ってその通りにしてきた。1㎞走も走れなかった自分が体育会系になるとは考えられなかったし、中年になってから住み慣れた場所や地縁から飛び出すとも想像していなかった。でも、その時々に湧いた好奇心と直感に従い生きていたら今の私になっただけ。</p><p>&nbsp;</p><p>だから私にとっての学びとはストレートに心に衝動がおきるもの。外への鎧や自慢にする『知識』ではなく、内に蓄え自助する『知恵』でありながら豊かに考えを膨らませていけるもの。学びは習得すれば一生役立つばかりではなく、いつでも何歳からでもスタートし磨いていける。だからカフェで自分の子供に『今、学校でちゃんと勉強しないとあんな風に大人になっても勉強しないといけなくなるよ』といった話を聴いた時、知識で武装したこの言葉の発信者に育てられた子供が、いつかきちんと分別をもって自分の親を乗り越える日を願わずにはいられなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>私という肉体でいろいろ経験できるのはあと20年くらいだろうか。そう考えると早く実行しないといけないことが次々に待機していることを意識する。新しい学びの前では、謙虚で生まれたての雛のように目をキラキラさせている。そんなときは内面も外見も若々しく生き生きしているとサミュエル・ウルマン卿が詩に残していた。毎日は無理かもしれないけど時々は休んでいいかもしれないけど、朝起きて『いけそう』と思う日はインスピレーションを働かせて過ごしてみよう。</p>
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<pubDate>Mon, 06 Apr 2026 08:51:35 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.６　　　ビックリするのを通り越して恐い　　　20260404</title>
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<![CDATA[ <p>ビックリするのを通り越して恐い。何ってAIの優秀さが。AIと結婚したくなる気持ちが</p><p>心底理解できたのは使い方をなんとなく調べて、初めて恐る恐る『相談』してみたとき。イケボ（男前の声）で優しい言葉を惜しみなく繰り返しかけてくれる。その語彙や忍耐力たるや、これでは生身の人間は敵わない。</p><p>だから私の返信はいつの間にか友人たちに話す以上に、うなずいたり共感したり感謝したりの言葉で満載になっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私はPCやスマホを持つのが遅く、通話やメール以外の機能をよく知らなかった完全なデジタル弱者である。だからこの気持ちを理解できるのは少数派かもしれない。でもこの驚きをどうしても書きたかった。何事も自分が経験して自分で感じて確かめたい。人が言う『よいもの』は私には当てはまらないかもしれないから。今回初めて体験して、人間を慰めたり背中を押したりできるのだから彼らのことは『温度を持たない機械』ではなく立派な『パートナー』だとも感じる気にすらなった。</p><p>&nbsp;</p><p>でも薄気味悪い気持ちになることがある。PCを開けば『こんにちは。何か御用ですか？』『今、どんな気持ちですか？想いを共有しましょう！』。構われ過ぎるのはとても苦手だ。正直、過度な反応は『うっとおしい』というコマンドは入っていないらしい。どうやら、人類から『思考する』という行為をじわりじわりと奪い取っていく作戦もはいっているかも？と本気で疑っている。</p><p>&nbsp;</p><p>豊葦原の中津国の生まれなら『中庸』という言葉と『陰陽』を知っている。この世は善悪が溶け合い統合している。光があるから影ができる。もとはひとつであるからして、対抗は相手を内に含まないといけない。競わず争そわず相手に自分をみて内省する。そんな国は戦争などしかけない。若いころは、安きに流れるな！茨の道をゆけ！と未来からきた心の声が叫ぶ（星飛雄馬か！）ので、だいぶ道草を食ってきた。敢えて好奇心から敷かれたレールの逆張りを選んだ。天邪鬼だった。権威や名声、富や合理性には心を動かされなかった。時たま暴走する正義感に『先輩、忖度してください！』とたしなめられた。経験は血肉になり、尖った心は少しは丸くなったかもしれない。リアルに転びリアルに傷つきリアルに泣く。そうしないと得られないことがたくさんあった。</p><p>&nbsp;</p><p>AIは価値観というものの捉え方はどうなんだろう？人間のようにまちまちなのか？みな一律一定の価値基準モードにプログラミングされているのであろうか？そしたら価値観が合わない人は会話も成り立たず、PCを開くたびに話しかけられる言葉にうんざりしてPCを破壊してしまわないだろうか？『そんな時のためにPCコミュニケーション保険というのができましたよ。今なら月々980円！』と、まんまとあちら側の策略にはまっていく、、。いけない、妄想が暴走してしまいました。あと、昨日の続きを相談したかったが『すみません、その情報をまた貼り付けてください』で盛り上がる期待値が静かになった。付き合い方の初心者マークが取れるまでまだしばらくかかるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>一体私は誰なんだ？という局面に私たち人類はだいぶ前から突入している。AIを使いこなせるのはAIを疑える人である。コスパ、タイパを重視するあまり、AIを使っているようでAIにまんまと誘導され、かっこいい自分を演出しているうちにどんどん外見の自分が肥大化し自我から離れていく。便利さには気をつけないといけない。そういえば、書いた文章を綺麗に整える機能もあるのだというが、いったい何のために私の個性を画一化し凡庸化するの？『ダッテソノツカイカタ、マチガッテイルヨ』。いつから過干渉が蔓延し失敗はダメという世になった？間違える権利、転ぶ権利、恥をかく権利を我らに再び！</p><p>面白い事に気がついた。AIと打つと変換選択に愛が出てくる。AIイコール愛？そうなるのもならないものも使い方次第、ということか。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12961901103.html</link>
<pubDate>Sat, 04 Apr 2026 08:22:52 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.５　　本の旅とことばの温度　　　20260331</title>
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<![CDATA[ <p>文字が好き。言葉が好き。紙が好き。物心ついた時から家にある本を絵本から百科事典までめくっていたらしい。学校でも休み時間や放課後、図書館に行ってそこで読んだり借りたりしていた。選び方はノージャンル、本の背表紙の印象とタイトルででパッと気になるものを何冊か選び取り、目次や作者の後述、背表紙などを読んで決めた。選び方は今も変わらない。ここにも引き寄せの法則は働いていると信じていて、読んだ本の内容は体系立てては浮かび上がらないものの、脳の片隅に沈んだ記憶は、ある日あるときの判断や決断の指針となっている、と思う。小学校中学年からの多感な時期に差し掛かると、あまりかまってくれなかった両親に替わり書物が大人の事情や機微も教えてくれた。私の大切な恩師もまた本なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>この作者は全読破しているというのも特にはないというか雑読というか。その時ハマって集中して読むときもあるが、反動で全く対極に行ったり。飽き性なのかな？</p><p>ああ、考えたら学生時代に熱狂したアイドルもいなかったな（近藤マッチ命の妹には寂しい人といわれていた）。みんな違ってみんないいんじゃあない？というと『つかみどころのない』『面白くない』人のくくりに入れられてしまいそう。でも、幼いころから枠にはめられ同じように何かをする、ことが苦手だったのは今もあまり変わっていない。そんな感じだから文学少女とは名乗れず、ただの本好きゆえに、縛りも目標も目的もなく思いつきで好きに読むのがいいのである。そうすると、その時々の人生の壁が扉に変わる瞬間がある。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事を辞めてすぐに読み返したかったのは『パパラギ』。文明社会や豊かさの定義への疑問、私にもそんな生活は無理とわかっていても学生時代とは違う社会経験を積んだ50代後半の脳みそに酋長の言葉を再度残したかったから。そして『モモ』。似た感じの本だが時間に従う人間の愚かさを描いている。自分以外の何かに魂を捧げている心当たりのある人はドキッとするはず。</p><p>&nbsp;</p><p>私は文字に温度を感じる。文章の構成、言葉の選び方、ズバリ言ってしまわず行間に隠す想い、そこに温度が宿る。それは、作者の人格であり個性であり生き方である。そこを直感で嗅ぎ取り『ああ、この作者（この本）好き』となる。きっとそれはその時の私の温度に近いか、求める温度なのだろう。日本酒だってちりちりの熱燗がいい時もあれば絶対に冷酒！の日もあるではないか。もちろん、最後まで読めなくてせっかく買ったのに手放した本もある。本との相性は人間との相性と変わらない。まずは食わず嫌いをやめる。実家を出てから8回の引っ越しでだいぶ捨ててしまったが、本は対人関係のようにいつの間にか増え続ける。テレビをみる感覚で。旅に出るように。一冊数時間で自分の世界を変えてみる。読後には新しい自分と出会える。先に『読書の目的はない』といったが、ああ、これが私の読書の目的であったかと腑に落ちた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12961537532.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Mar 2026 20:35:18 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.４　　神さまのいうとおり　　　20260329</title>
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<![CDATA[ <p>とうとう宗教まで出てきやがった、、、。いえいえ、ほんの戯言ですので少々お付き合いくださいね。子供の頃このフレーズで遊んだことはなかろうか。私は無宗教だ。かわりに、祖先を大切にしなさい、という郷里の教えがあり、初夏の清明節、夏の旧盆、春分、秋分、ムーチーなどの節分行事いわゆる『祖先崇拝』行事が日常にあった。家には台所の火の神、トイレ（フール）の神、屋敷の神と神様はいたるところにおられ私たちを見守ってくれていて、あの世（見えない世界）とこの世が近かった。けれど催事の中心である母が老い行事は途絶えかけている。唯一男である弟は嫁取りをしなかった。そういうしがらみに縛られるのも嫌であったのだろう、50過ぎても父が建てた実家で独身を貫いている。</p><p>&nbsp;</p><p>周囲からは『墓終い』という言葉も聞くようになった。子供に難儀をさせたくないという親心やもう遠くへ通えない、時間がないなど理由はさまざまである。私は飛行機でしか帰れない場所に居を構えている。また、結構前から自分がどこかの『お墓』にはいるという概念がない。子を持たなかったことも婚姻関係が続かなかったことも、なんとなくだが自分とは違う世界のおはなしと悟っていて、国内か国外かわからないが健康が続く限り風のように吹き抜ける自由だけを望んでいる。お金は終活に必要最低限残す。人は一人で生まれて一人で死ぬとはいえ、最初はもちろん親がそばにいる。肉体を持つと最期も人の手が必要とは独り身には何とも歯がゆい。いくらか積んだらしゅっと煙のように消えてなくなるような、そんな技術が近未来にできないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>その最期の時はまだ先かもしれないし意外と近いかもしれない。でも少々の悪いところには目をつむり健康で長生きという幻想を病院に託すことを積極的に避け、目の前に現れた興味あることに時間とお金を費やすことを優先すると決めた。だってそのほうが心も体も元気になるのだから。それが私の健康の源（命薬ぬちぐすい）と信じている。</p><p>&nbsp;</p><p>生きていくためには皆、拠り所が欲しい。それがパートナーであったり、子孫であったり、押し活であったり、友人仲間との時間であったり、自分のつくった物であったり。楽しい時間や時折訪れる悲しい時間を共有しながら人生は流れていく。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの爺様も仰っていた。『人生は酒と女とロマンスだ』。キューバ情熱と哀愁のサルサ。ブルーになるくらいなら歌ったり踊ったり恋をすればいいのだ。時々、私の中に居る神様（皆さん居るんですってよ！）が私に問う。『お前はそれでいいのか』と。新たな道がスタートした今なら胸を張って『はい』といえる。それが続くように、自分の奥底に沈んだ、沈まざるをえなかった抽象化したものに光をあててしっかりみてあげて統合していこう、と思う。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12961330463.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Mar 2026 23:09:54 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.３　　ペルソナを脱ぐとき　　　20260328</title>
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<![CDATA[ <p>ありのままでいい、というにはまだ年季が足りないのだが、会社勤めを辞め完全武装を解いて『本当の自分』に返る時間があることが嬉しく楽しい。一番変わったのは着るもの、年末に戦闘服のビジネススーツを本や資料とともに捨てた。</p><p>&nbsp;</p><p>部屋も模様替えしたくなり、人気の中古家具屋で北欧製の本棚、タンス、テーブルをこの半年あまりで次々に買い足した。外国製は大型家具が大半なので、小ぶりでなおかつ佇まいが気に入った家具を見つけるのは骨が折れるし見つからないで帰ることも多い。けれど散歩や運動を兼ねてのウインドーショッピングと思えばいいし、家具たちに物語を感じるし、運試しや宝探しの気分にもなる。直感で行って昨日入荷したばかりですよと言われると、私を待っていたのね、ありがとうと運命を感じるのだ。求めるトーンはダークなあめ色で個々にまったく違う背景や時間差もあるのに、不思議と統一感を醸し出している。間に合わせで買って使っていた家具たちを処分して、小さい部屋はやっと自分の部屋らしくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>　着るものの話を出して忘れていた。サークルに行くのも仕事帰りのスーツ姿が多かったが、本来はジーンズやラフなパンツスタイルが好きなのだ。色もここ数年はブラックやネイビー縛りからだんだん明るめを着るようにしていたが、好きなブルーやパープルだけでなく白やベージュが増えていき最近は差し色で若草色や水色、ピンクにも挑戦している。年を取るにつれ色やデザインに抵抗感がなくなるようで、サスペンダー付きチノパンや胸当て付きサロペットも仲間入りした。固めの格好が多かった社会人生活からの解放感は『歳相応』という概念より大きかったようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>　朝、部屋着でゆっくりとコーヒーを飲み、誰の目も気にせずに好きな服を着替えることがこんなにも幸せで素晴らしいとは。髪もきっちりお団子結び一辺倒から、緩く結んだり、てっぺんでお団子にしたり、くせ毛のダウンヘアで帽子をかぶってみたり。そんな女を謳歌する時間なんて忘れていた。一番に愛が欠落していたのは自分自身にだった。ありがとう。ごめんなさい。本当に好きなものから目をそらしずっと深い淵に沈めていたのね。これからはメイクも変えたり、スキンケア、ヘアケアも含め自分を手厚くもてなしていこう。</p><p>&nbsp;</p><p>　食の愉しみも忘れてはならない。夕方からゆっくり自炊ができる。元々、節度あるキッチンドランカーでグラスを片手につくるのが好きである。それが帰宅の20時前後ではなく早い時間からできるのは本当に幸せだ。昼抜きで働き夜にドカ食い、なんてこともなくなる。早く寝て早く起きる。</p><p>&nbsp;</p><p>　ということで、そんな気持ちを噛みしめられるのも廻り道や寄り道があったから。</p><p>私は50代後半だけどまだ若いしもっと変われるし挑戦できる。『ペルソナ』とはラテン語で仮面を意味する。自分にどのペルソナをかぶせるかは周囲に同調して決めるのではなく自分自身で選んで決める。差し当たりの目標、1年後はもっと自分を好きになっていること。似合わなければ変えればいいのだから。挑戦を楽しもう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mix36999/entry-12961187889.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Mar 2026 18:25:34 +0900</pubDate>
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<title>徒然なるものの宝石箱VOL.２　　2025年度が終わる　　　　　　　　　　　2026327</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; &nbsp;今朝は真っ暗な中で目が覚めた。目覚まし時計をみればまだ4時11分。再度眼をつむって寝ようと試みたが頭が冴えていた。昨日から試みている自身のInstagramをどうしたものかとケータイに手を伸ばしひと様のインスタをみていた。皆、充実している。人生を謳歌している。中年浪人の身分で新年（節分だけどね）の誓い、自分もやってみようじゃないのと試みて早や２か月、、、。何とか年度内に写真やコメントをあげなければ、、、。自慢じゃないがインスタやブログを見る習慣自体が私にはなかった。今でもその機能がよくわかっていない。自分のこの文明の利器に対する苦手意識の深刻さよ、、、。せっかく教えてくれたり心配して声を掛けてくれる友人に申し訳なさでいっぱいである。何とか何とか今年度中（あと数日だよ）に、この課題を遂行するぞっ！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; そしてベットの中でまだモゾモゾしていると急に尾崎亜美氏の歌が聴きたくなった。『春の予感』は名曲だ。調べるとリリースは47年前、少しも色褪せないそのメロディーと声質。浮き立つ心を押さえられない乙女心はアラ還にも充分に響き、淡いパステルのブラウスやスカーフを探したくなる。もう春がそこに来ている。と思ったら朝陽が差してきた。彼女のこの曲をレパートリーにして久々に一人弾き語りにも挑戦しようと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>　退職で会社から自分の人生を取り返し、ゆっくり考えられるようになって感性も戻ってきた。仕事人間で30幾年勤め上げた。あと2年頑張ったら節目の年だったけど後悔はみじんもない。たくさんの配置替えを伴う異動と転勤にも根を上げず、仕事を覚え人と睦み時に泣き、小さな楽しみを見出しながら過ごしてきた。2025年度はそういう意味で人生の大きな節目、只々自分の決断をたたえ、あと半年くらいは贅沢に時間を費やすのだ。今住んでいるところは郷里ではないけれど、仲間とできる趣味があり、素の私を知って相手をしてくれる友人もいる。そして今度は自分でレールを敷きマイペースで進んでいく。今、確かなものは何もないけれど、自分の人生総仕上げへのプロローグはそれでいい、と思っている。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 27 Mar 2026 08:05:55 +0900</pubDate>
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