<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>雑記と資料館</title>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/miyabi-hurui/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>　幾つかのサイトで小説を投稿している古井雅と申します(*´ω｀*)　このブログでは、基本的なお知らせ・書いている小説の設定資料と小説を書く事以外に気になっていること、小説の書き方に関する自己流の考察などを中心に書きたいと思います。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>ブログのお引越しについて</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　このブログを御覧いただいた皆様、当ブログは本日づけではてなブログの方にお引越しとなります。</p><p>　それに伴い、誠に勝手ながらこちらのブログは閉鎖となります。また、引っ越しとはなりますが、事実上立て直しに近いもので、こちらの残して置きたい記事に付きましてはリテイクを加えて再掲載という形を取りたいと思います。</p><p>　再掲載がすべて完了した時点で当ブログは閉鎖となります。その際はツイッターの方でお知らせすることになるので、新しい記事としてはこれで最後となります。</p><p>&nbsp;</p><p>　理由につきましては、新設したブログの方で記事にしていきたいと思います。</p><p>　重ね重ね、大変勝手ながら、今まで当ブログをご覧になっていただいた方にお礼申し上げます。ありがとうございました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.96em;"><span style="font-weight:bold;">　引越し先　→　はてなブログ<a href="https://miyabi-hurui.hatenablog.com/" target="_blank">「雑記・資料あれこれ」</a></span></span></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12564881285.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jan 2020 22:23:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「ほんとうにあった怖い話」は何故怖いのか</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　久しぶりの雑記なのですが、最近「ほんとうにあった怖い話」を見る機会があって、面白そうなので考察のネタにしてみました。</p><p>　ここで言う「ほんとうにあった怖い話」は、元SMAPメンバーである稲垣吾郎さんが司会を努めていたテレビ番組で、今では一年に一回スペシャル版が放送されています。</p><p>　詳しい概要については公式ホームページをご覧になってください。</p><p>&nbsp;</p><p>　この「ほんとうにあった怖い話」は、当初からとても怖いと人気だったもの(これは主観であり、私個人の感想です)で、子どもながらに多くのトラウマを植え付けられました。ですが、最近のスペシャル版では「なんか、あんまり怖くない(´_ゝ`)」という印象を抱くことが増えていて、前年度の作品についてはほとんど見てもいませんでした。</p><p>　このブログを見ている方でも、もしかしたら私と同じような感想を抱く人がいるのではないでしょうか？ 本記事のテーマは、どうしてそのような状態になったのか、そして、「ほんとうにあった怖い話(以下ほん怖)」が数多あるホラー系の番組の中でも抜きん出て「怖い」のかを個人的な見解を含めまくって考えていきたいです。</p><p>&nbsp;</p><p>　この記事はまず、「怖い理由」を考えていきます。前述した「怖くなくなった理由」については、すぐに新しい記事として投稿します。</p><p>　では、早速「怖い理由」について、幾つかに区切って考えていきましょう(ノ&nbsp;ﾟ ▽ ﾟ )ノ</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>1.「実体験」というフォーマット</p><p>&nbsp;</p><p>　ほん怖の代名詞として、「恐怖幽便」という、投稿者の実体験を綴った手紙を読み上げるという演出があります。これについて、どれほどの作品が実際に投稿されて、手紙が綴られているかは定かではありません。しかし、この「実体験があり、投稿者がそれを手紙にして、語り口調で話す」というフォーマットは、「恐怖」を考える上で重大な意味があると思います。</p><p>　まず、この語りが演じられている人で行っているということがとても大切で、「出演者＝投稿者」という軽度の錯覚を引き起こすことに一役買っています。この時点で、実際の話などどうでもいいのです。実際に、恐ろしい恐怖映像が「真実に近づけば」我々はその話に無自覚なリアリティを与えてしまっていると言えるでしょう。</p><p>　このやり方は、何もほん怖だけに限った手法ではないと思います。例えば、渋谷怪談などもこれに近い技法を使っていて、限りなく日常に近いところで起きる恐怖を演出していますよね。沢山トラウマをもらいました((((((ﾉﾟ⊿ﾟ)ﾉ</p><p>&nbsp;</p><p>　ただ、これに関してはホラーを考える上ではかなり定石で、殆どのホラーに於いてこれは用いられているので、決定的なものとはなりません。いわば、ホラーを扱う上での「テンプレ」であると考えるのが妥当でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>2.演出的な緩急</p><p>&nbsp;</p><p>　ここから、徐々にほん怖が優れている点に入っていきます。</p><p>　最初に、「緩急」についてを説明しましょう。いろいろなものを体系的に見ると、恐怖というものは幾つかに分化させることができますが、ほん怖が持ち合わせる要素は「じわじわと心を侵食する恐怖」と、「驚かすことで生じる恐怖」でしょう。この他にも「違和感」や「生命危機」などの要素も持ち合わせていますが、一先ずここでは、2つに絞ることにしましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　字面だけ見たらどのような恐怖なのかわかりやすいので、細かな解説は省きますが、この2つは全く逆の要素を持ち合わせていると言って差し支えないでしょう。持続する恐怖と一瞬で終わる恐怖といえばより直感的です。</p><p>　遠回りしてしまいましたが、「緩急」とは、この2つの恐怖をどのように配置するかです。先程言ったとおり、2つの恐怖は逆の作用を持ちますが、この2つを同時に使用することで、感じ方に連続性をもたせることができます。これが緩急です。</p><p>&nbsp;</p><p>　ほん怖の恐怖映像は、この緩急が非常に優れていると言えるでしょう。じわりじわりと持続する恐怖を与えた後、ギリギリまでそれを与えて突き落とすように驚かす、このテンプレを忠実に守っているのがポイントです。と言うより、このテンプレが極めて優秀なのがほん怖の特徴です。</p><p>　この緩急は、恐怖に振り幅を持たせてあげること以外にも、「間」に恐怖を付与することができるという点で優秀です。どういうことかというと、「持続」から「驚かす」ことをこちら側が前提にして見ている場合、「一体いつ驚かすんだよ(# ﾟДﾟ)！？ 」とヤキモキさせられた事があるという人は多いと思います。</p><p>　これが「緩急の間に起きる恐怖」です。2つを組み合わせることで、新しい感覚を付与することは、勿論怖くするために重要な要素ですが、見ている側が飽きないということにも繋がるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　よくホラーを見る人は、このような恐怖に対するテンプレをよく知っています。なので、必然的に展開が読めてしまうのです。しかし、そんな状態になっても、この「間の恐怖」は機能することが多いです。特に、驚かすことがいつ来るか読めさせないものであればそれは一入であり、「どうせこうなるんでしょ(・_・;)？」という人も簡単に恐怖させることができます。そのビクビク感を与えるには、「間の恐怖」を活用する他ありません。</p><p>　緩急が上手ということは、「間の恐怖」とほとんど同義と言っても過言ではないのです。</p><p>&nbsp;</p><p>3.不快極まりない音とその使い方</p><p>&nbsp;</p><p>　この点はほん怖が恐怖において優れているという最たるものです。前述した2つのポイントは、どのホラー作品においても流布している手法であり、非常にテンプレとしての側面が強いですが、この音響に関しては強い独自性を持っています。</p><p>　ほん怖は、メインテーマが非常に有名ですが、それ以外にも実際に「恐怖幽便」で用いられているBGMは極めて「不気味」です。加えて、その種類も非常に豊富で、場面や体験談の主、主の状態により巧みに変えています。BGMそのものの不気味さも強いのですが、肝心なのはこの使い方です。</p><p>&nbsp;</p><p>　2の部分でも述べたとおり、恐怖における緩急は非常に重要です。これを、音においても守っており、更にそのBGMそのものが極めて不気味であるという部分が、ほん怖が唯一無二になれている点の一つです。ただ単純なドラマだったとしても、このBGMとその配置による効果的な緩急を加えてあげることにより、恐怖の映像となる、これがほん怖の良い点であり、優れている点です。</p><p>&nbsp;</p><p>　余談ですが、メインテーマについては普段使用されていない部分を聞いてみると、「普通にかっこいいBGM」になっていたりします。動画サイトに散在しているので、興味を持たれた方は調べてみると良いでしょうo(〃＾▽＾〃)o</p><p>&nbsp;</p><p>4.心霊研究の存在</p><p>&nbsp;</p><p>　これについては、映像について以外の側面ですが、「心霊研究の存在」は大きな恐怖になります。</p><p>　ほん怖では、恐怖幽便を見たあと、実際の霊能力者の方が「どのような霊体であり、語り手に何が起きたのか」を解説してくれるコーナーがありました。現在このコーナーは存在せず、さらりと恐怖映像が続くような感じになってしまっています(このことについては後に言及します)。</p><p>&nbsp;</p><p>　これは恐怖映像外の話になっていますが、心霊研究はほん怖の最も中核的な要素となっていると思います。なぜなら、この心霊研究により、「疑わしい体験談がより現実的になる」のです。例えば、ただ単純な体験談であれば、「どことなく嘘くさい」とか「作り話」のような印象を受けてしまいがちです。</p><p>　ですが、心霊研究はこのような不安定となる要素を軽減してくれる優秀なコンテンツです。この心霊研究を行うのは、実際にメディアなどから取り上げられている霊能力者と呼ばれている人たちで、仕事も受けているいわばプロの方々です。そんなプロの方々が、冷静沈着かつ真顔で心霊研究を行うのですから、真偽はともかく「すごいホントっぽい」と、素人目には思えてしまいます。</p><p>　勿論ここで真偽についての議論は愚の骨頂です。背景的なことを全無視して、心霊研究を聞けば、「体験談」としてのリアリティは更に強固なものになるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　特に心霊研究が優れている点として、「短絡的な見方ではない新しい視点」というのも優れています。例として、公衆トイレで幽霊に遭遇した話に対しては、「あそこにいた霊は1体ではなく複数」など、少しだけ捻った見方をすることですね。</p><p>　心霊研究はほとんどがこのようなものとなっており、劇中で語られなかった設定を補足しているようでもあります。これがより現実味を増す一因であり、我々は本当であると認知してしまうことが強くなるでしょう。</p><p>　この点がほん怖の持っている独自性であり、優秀な点でしょうね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　このように、ほん怖が怖い理由について述べてきました。</p><p>　しかし、実際これらのことが適用されているのはどんなものでしょうか。此処から先は、私の独断と偏見による「ほんとうにあった怖い話-怖さランキング」です。ただし、普段からランキング上位のお話(黒髪の女、6番目の部屋など)を入れてしまうと、面白みのかけるランキングになるので、今回はちょっと評価がされていないと勝手に思っている作品にしてみました(＠￣Д￣＠；)</p><p>　前述した4つの事柄を焦点に、私が怖いと思っている作品を代表的に挙げていきたいと思います！ 4つの項目については5段階評価として、★が多くなります！</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>第3位　「2009年冬の特別編 - 憑かれた森」</p><p>&nbsp;</p><p>1.★★★★　(実体験としてのリアリティ)</p><p>2.★　　　　(恐怖の緩急)</p><p>3.★★★　　(音響)</p><p>4.★　　　　(心霊研究)</p><p>&nbsp;</p><p>　やや偏った評価になった特殊な作品でして、これは2の項目がかなり低いにも関わらず、この作品の恐怖を十分に引き立てています。</p><p>　この作品を一言で表せば「怪奇」であり、ひしひしと伝わる不気味さと気味の悪さを感じることができるでしょう。項目の解説には書きませんでしたが、この作品は緩急というものがなく、少しずつ変形していくという恐怖を表現しています。これはある種、「現実と恐怖」の境をより明確にした作品であり、演出の技量が問われます。恐怖のテンプレから大きくハズレるているにも関わらず、怖いという部分を考慮して3位としました！</p><p>&nbsp;</p><p>第2位　「夏の特別編 2011 - 同窓会の知らせ」</p><p>&nbsp;</p><p>1.★★★★★</p><p>2.★★★</p><p>3.★★★</p><p>4.★★★★</p><p>&nbsp;</p><p>　全体的に高い評価の作品です。これについても緩急という観点から見れば他のほん怖作品から見劣りしますが、じりじりと忍び寄ってくる不気味な空気感を評価しての2位です。ほっこり系の作品であることと、途中までの不気味さは申し分なく、恐怖としても一つの作品としてもクオリティの高い作品です。この作品はびっくり要素も殆ど無いため、ジリジリ系が好きな人は特に楽しめるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>第1位　「シーズン2 #12 - 廻る足音」</p><p>&nbsp;</p><p>1.★★★★★</p><p>2.★★★★★</p><p>3.★★★★★</p><p>4.★★</p><p>&nbsp;</p><p>　心霊研究以外すべてを遺憾なくぶち込んだ良作です。個人的にはほん怖の作品の中では最高レベルのクオリティと不気味さだと思っています。この作品のみ、レギュラー放送時のものであることから、見たことのある人とない人が分かれるかと思いますが、ぜひぜひこの作品は探して見ていただきたい一品です。</p><p>　何と言ってもリアリティは他作品を突き抜けていて、恐らく実際にあっただろうと納得できてしまう出来栄えです。唯一心霊研究が足を引っ張ったのは残念ですが、単体のもので見ればまさに怪談話と言った仕上がり。びっくり要素皆無で作られていて、最後まで幽霊と言った類が出てこない、ほん怖の中でもかなり珍しい作風で、息の詰まるような恐怖感を感じることができるでしょう。私個人としては、文句なしの最高作品です。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　いかがでしたでしょうか？ 勿論、これはマイナー的な作品を中心に挙げているので、このランキングを見て「は(# ﾟДﾟ)？」となった方もいるかもしれません。しかしこういう見方もあるんですよという一つの楽しみ方の提案と言うものでもあるので、これを気にもう一度これらの作品をご覧になるのもよいのではないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>　それでは、本日の記事はここまでとさせていただきます。</p><p>　この次に、「何故怖くなくなったのか？」を中心に記事を作成しますので、興味が湧いた方はぜひ、次の記事もご覧ください！</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12372499647.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Apr 2018 22:43:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小説家になろう「不条理なる管理人」　更新日時決定のお知らせ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　気がついたらまたお知らせの記事で、自分でも少し呆れが出始めているのですが、これに関してはお知らせとして明記しなければならないので、記事にさせていただきます。</p><p>　先月半ばくらいから、「連載」を目的とした小説「不条理なる管理人」を更新しているのですが、その更新日時をある程度固定化させることができるようなので、ここで時間について明記させていただきます。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　小説家になろう「不条理なる管理人」については、<a href="https://ncode.syosetu.com/n4199eq/" target="_blank">こちら</a>からどうぞ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　更新日については、これからは</span><span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.96em;">毎週月曜日の20時・隔週金曜日20時(4月30日更新)</span></span></span><span style="font-size:1.4em;">とさせていただきます。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">　これからも、完結に向けてひっそりと頑張っていきたいと思いますので、少しでも面白いと思われた方は、ご覧になっていただけると幸いです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 22.4px;">　</span>この物語は、連載以外では「監視カメラ」を意識して書いています。普段から監視カメラを中心にして書いているのですが、これは特に、話の構成が結構めんどくさいので、出来る限りサクサクと真相に近づいてほしいと心から願っています。</p><p>&nbsp;</p><p>　ということでお知らせはここまでとなります。</p><p>　次回の記事で会えることを楽しみにしていますо(ж＞▽＜)ｙ ☆</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12365241131.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Apr 2018 16:13:08 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小説の価値の意味</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　前回の記事では、「小説の価値」の大前提として、小説の書くということの段階、そして何に対して向けられているのか、について考察しました。</p><p>　前回の記事については、<a href="https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12362075296.html" target="_blank">こちら</a>。</p><p>&nbsp;</p><h3>・小説の価値の意味</h3><p>&nbsp;</p><p>　続き物の記事なので、簡潔さを意識してサクサク行きましょう。</p><p>　まず、さんざん遠回しにした「小説の価値」とは、どういうことでしょうか。実はこの概念、一口に説明できるほど簡単な概念ではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>　前回の記事では「小説が与える影響」として書きましたが、これがどの対象に向かっているかにより異なるニュアンスを持っているとしましたね。ここでは、この小説が与える影響を、前回提示した「作る側」と「受け取る側」のように二元的に考えていきましょう。</p><p>　ただし、以降の記事をご覧になる際に、いくつか注意していただきたい事があります。</p><p>&nbsp;</p><p>　それは、ここで言うところの「価値」のニュアンスです。</p><p>　私はまだ勉強中の身なので、「<span style="font-size:1.4em;">価値」という言葉を厳格に捉えられていないと個人的に思っています。</span>なので、ここで言うところの<span style="font-size:1.4em;">「価値」というのは、「実際に小説を書くことで考えられるメリット、影響」というニュアンスを強く持っていることを前提にご覧ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff007d;">　※本来の学術的な価値については、ぜひ関連書籍を御覧ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h3><span style="font-size:1em;">・作る側が受ける小説の価値</span></h3><p>&nbsp;</p><p>　最初に、<s style="text-decoration:line-through;">前回話がごちゃごちゃした</s>作る側が受ける小説の価値についての考察です。</p><p>　ここで少し疑問を感じる人もいるでしょう。<span style="font-size:1.4em;">「作品を作る側が受ける影響」というものは実に想像しにくいものだと思います。</span>これは、俗的に言えば「小説を書くときのあるあるネタ」として作成者の間に広がっているかもしれません。勿論私は他の作者様と会話したことがないので、その点についてはよくわかりません。</p><p>　加えて、<span style="font-size:1.4em;">これだけでは<span style="color:#ff007d;">「作品を作るために、他作品を見ることで受ける影響」</span>という誤解を招きそうなので、最初にこれは禁止とさせていただきます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ここでの主題はあくまでも、「自分が作成したものが自分に与える影響」</span></p><p>　なので、私個人が感じている事柄について、エビデンスがありそうな感じで書いていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><h3>1.意識しない自己表現</h3><p>&nbsp;</p><p>　私個人が感じることとしましては、これが最も強いと思います。</p><p>　そもそも、小説を書かせるものとは何でしょうか。物語の一番下、最も根底にあるのは、自らの価値観や経験、知識に基づく連続的な光景の数々、私ならばこう答えるでしょう。</p><p>　しかし、このかなり主観的な考えから、もうちょっと論理性を持たせて考えてみましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">小説を書くには、大きく分けて2つの力があります。1つは<span style="color:#ff007d;">「知識」</span>、2つ目は<span style="color:#ff007d;">「連結させる何か」</span>ですよね。</span>これに関してはかなり論理的じゃないかなと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　なぜなら、作品を構成する数々の事柄を考えていくうちに、<span style="text-decoration:underline;">ほぼすべての作品にこの2つが見受けられます。</span>文章という部分で体系的に見ても、これはかなり信憑性がありそうですね<span style="color:#ff007d;">(個人の感想ですが)</span>。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　「知識」とはその名の通り、知っている事柄を指していますよね。言葉の定義については広いので限定的にはしませんが、<span style="font-size:1.4em;">文章という形式を取っている以上は<span style="color:#ff007d;">知っている語彙</span>、<span style="text-decoration:underline;">イメージするための材料としての知識</span>は必須です</span>し、言葉のイメージもつきやすいです。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　一方の「連結させる何か」については、あまりにも非言語的で、もう少し構造的な話になります。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　もう少し具体的なことを書きましょう。そもそもな話、<span style="font-size:1.4em;">文章とはただ単に言葉を羅列するだけで成立するわけではありません。</span>&nbsp;文章を書くということは、<span style="font-size:1.4em;">その文章を<span style="color:#ff007d;">作り出す能力</span>を使って、理解した言葉(知識)を繋げていきます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　この、文章を繋げる力は、文法ではございません。なぜなら、<span style="color:#ff007d;">「文法的には間違っていないけど、全然繋がりがない」</span>ということもあるからです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　この点については、私の知識不足で具体的な言語化はできませんでした。</p><p>　いろいろ考えたのですが、どうにもしっくり来るものがなかったので、別の記事の作成をしたいですね。</p><p>&nbsp;</p><p>　では、その中でも言語化できるものを提示します。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　それは「流れ」です。一口に流れと言ってもいろいろなものの流れがあります。しかし、この「流れ」に即していないものは往々にして違和感を覚えるものです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　小説を書くというのは、<span style="font-size:1.4em;">いわば物語という流れに、自分の知識を組み合わせるものです。</span>それは意識する場合と、意識しない場合もあるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　小説は、この意識しない場合に対して働きかける事があるのです。</span></p><p>　勝手にお話が浮かんで勝手に文章にしてしまうことがこれに当たりますね。私はほぼ常にこんな感じでお話を書いているので、違和感なんて殆どありません。他の人達が常にこんな感じの書き方をしているかは定かではありませんが、少なくとも、意識せずにお話が浮かぶことはあるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　私は勝手に、これのことを<span style="text-decoration:underline;"><span style="color:#ff007d;">「無自覚の自己表現」</span></span>と呼んでいます。</span>勝手に、しかも状況問わず出て来る物語は、自分のその時の感情や思考によって活気される「自己表現」であり、それに知識を付与することで一つの作品となります。</p><p>&nbsp;</p><p>　正直なところ、<span style="font-size:1.4em;">この世に出てくる作品の量など関係ないのです。</span></p><p>　もちろん、沢山の人の目に止まって、富や名声を得ることを求めるのも一つの手段です。しかし、この「意識しない自己表現」の価値には繋がりません。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　作品として作り上げ、それに対して自分が認識することにこそ、<span style="color:#ff007d;">「作り手への影響」</span>となるのです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　この作品から、更に目的を変えてあげると「商業的」になりますから、目的に応じて自分で作品の意味を解釈することが良いでしょう。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　しかし、少なくとも自分自身に影響するということに限定するのならば、作品のクオリティやキャッチーさよりも、作品そのものの意味を探る方に力を使ったほうが、自分にとっては良い影響になりやすいといえるでしょう。</span></p><p>&nbsp;</p><h3>2.潜在的な価値観の「承認」</h3><p>&nbsp;</p><p>　1の方で長々と書きましたが、<span style="font-size:1.4em;">端的に言えば、「無自覚に自己表現できるよ」</span>ということでした。</p><p>　そこから派生して、もう一つの意味があります。</p><p>　先程は「無自覚な自己表現」の「認知」でしたが、<span style="font-size:1.4em;">2の部分では<span style="color:#ff007d;">「承認」</span>に焦点を当てます。</span></p><p>　</p><p>　作品を作るとき、「無自覚な自己表現」を行っているという話は前項の通りです。それを認知する、つまり自分で自覚する、認識するということは、即ち「承認」に繋がります。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ここで言うところの「承認」という言葉は、<span style="color:#ff007d;">存在を受け入れるということだけ</span>ではありません。</span></p><p>　<span style="font-size:1.4em;"><span style="text-decoration:underline;">自分が持ち合わせている価値観をより客観的に見ることができる</span>、というニュアンスが最も近いでしょうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　小説を書く時、2つのことが行われる可能性があります。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　1つは自分で作品を見る<span style="color:#ff007d;">「推敲」</span>、もう1つは他者が作品を見る<span style="color:#ff007d;">「読書」</span>です。どちらも作品を読むことですが、<span style="text-decoration:underline;">自分で見るか、他の人が見るかの違い</span>があります。</span></p><p>　勿論、両者とも行うのが最高で、更に意見交換等を交えれば、更なる技術向上につながるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　ではどうして、これが「承認」となるのでしょうか。</p><p>　その理由は、<span style="font-size:1.4em;">自分の視点と他者の視点により、それぞれ「精一杯の客観視」を行うからです。</span></p><p>　特に推敲なんて、出来る限り自分の作品を客観視して、クオリティの高いものに仕上げようとします。対して、他者の視点から見る「読書」になると、クオリティを高めようとしているわけではなく、単純に「楽しめたらいい」という気持ちで(多分)読んでいるはずです。</p><p>　これは、<span style="font-size:1.4em;">全く視点の異なる「客観性」をそれぞれ持っています。</span>これこそが、自分の潜在的に現れてきた作品を評価する最も正確な指標です。</p><p>&nbsp;</p><p>　その為、<span style="font-size:1.4em;"><span style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff007d;">客観的に認められることで、自分自身が今まで知ることができなかった価値観や思考を、自分の中で認めてあげることができる</span></span>のです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　ここで「承認」のもう1つの側面を見てみましょう。</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">自分の作品を最も正確に評価してくれる「客観性」は、必ずしも「良い点」のみを表すことはありません。むしろ、<span style="color:#ff007d;">「悪い点」として浮き彫りになります。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>　これは、<span style="font-size:1.4em;">自分自身の価値観や自己表現の中で誤っている箇所を明確にすることができる極めて素晴らしい側面です。</span>故に、自分自身が潜在的に持ち合わせている、「あまり好ましくないもの」を明確にし、「悪い点」として認識する事ができます。</p><p>　これにより、<span style="font-size:1.4em;">今まで以上に<span style="color:#ff007d;">「自分自身の価値観を改め、承認する」</span>ことが可能になります。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　作品を通して、自分自身の客観性を鍛えるといえば直感的ですかね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h3>・読み手が受ける小説の価値</h3><p>&nbsp;</p><p>　前項では作者が小説から受けることをまとめていましたが、今度はその逆で、<span style="font-size:1.4em;">読み手が受ける価値について考えていきましょう。</span></p><p>　一般的に読書好きな方はこちらのほうがよりイメージがつきやすいでしょうか。実際、読んだ本から大きい影響を受けることは多いと思います。</p><p>　では早速、どのような影響が存在するのかをざっくり見ていきたいところですが、実はこの「読み手が受ける価値」というのは、「作る側が受ける価値」よりも、<span style="font-size:1.4em;">小説というものの性質に目を向ける為、別記事で「小説」について述べたものを、後にリンクを付け加えさせていただきます。</span></p><p>&nbsp;</p><h3><span style="font-size:1em;">1.作品から受ける価値観の変容</span></h3><p>&nbsp;</p><p>　恐らくは、小説の価値として、最も最初に浮かぶものがこれかもしれませんね。</p><p>　これは非常のよくあることで、読み手が作品を求める理由にもなるでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　これを説明する上で、小説そのものに触れなければなりません。</p><p>　ただし、これは小説の本質に触れる可能性もあるものであるため、ここでは深い言及を避けさせていただきます。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">そのため、ここでは、<span style="color:#ff007d;">「読み手は、読んだ作品から大きな価値観の変化が生じる可能性がある」</span>ということだけを提示します。</span></p><p>&nbsp;</p><h3>2.内在化された価値観の認知</h3><div>&nbsp;</div><p>　1で触れたことと少し似ているのですが、<span style="font-size:1.4em;">こちらは「変容」ではなく、「認知」です。</span></p><p>　小説を読んでいて、自分が持っている価値観に気づく、ということですね。では、どうして今更こんなことを明確に「価値」としなければならないのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">それは、「内在化された」としているからこそ、明確に価値として認識します。</span></p><p>　つまり、<span style="font-size:1.4em;">自分では「内在化されてしまっている価値観」に<span style="color:#ff007d;">気づくことができない</span>のです。なぜなら、それ1つが自身の考え方に繋がってしまっているため、<span style="color:#ff007d;">前提からして考えが価値観に侵食されてしまっている</span>のですね。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">だからこそ、これは価値として明確な意味合いを持つようになります。</span></p><p>　どうしてこのようなことが起きるのかも、別記事で記述していきたいと思っていますので、それまでしばしばお待ち下さい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　それぞれの影響についてはこのぐらいでしょうか。</p><p>　全体を通してかなり見難く、まとまりがない印象が否めないので、記事が充実してきた暁にはほぼ確実に書き直しますが、今の時点で。ただの読み物として楽しんでいただければ幸いですо(ж＞▽＜)ｙ ☆</p><p>&nbsp;</p><p>　では、今回はここまでにさせていただきます。</p><p>　次回の記事でお会い出来ることを、楽しみにしています:*:・(￣∀￣)・:*:</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12362608029.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Mar 2018 17:34:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>POCKET BL「あなたの夢みた理想郷」設定資料</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　設定資料関係の記事の作成については考えていたのですが、作成する設定資料が明確にある投稿物が少ないので、このブログで一度評価を行った作品の設定資料を作成しました。</p><p>&nbsp;</p><p>　POCKET BL「あなたの夢みた理想郷」は<a href="http://bl-novel.jp/viewstory/index/1362/?guid=ON" target="_blank">こちら</a>。</p><p>　当ブログの評価記事が<a href="https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12334072260.html" target="_blank">こちら</a>になります。それぞれのリンクをご参照ください。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>主要人物</p><p>&nbsp;</p><p>・園田紫空(そのだ しく)</p><p>　本作の主人公。2年前に自室で謎の自殺を遂げた想い人のことを忘れられず、自室マンションに引きこもる生活をしていたが、毎日のように玄関の扉を叩かれ、耐えきれずに玄関の扉を開けてしまう。そこには、普段のマンションではなく、グロテスクな螺旋階段が下に続いていた。恐ろしさを感じつつ、螺旋階段を下った先、異形の世界と化した世界を彷徨う。</p><p>　部屋から出た後、悍ましい幻覚と過去の自室を何度も行き来し、世界の最奥にて、想い人が自殺を遂げた日の自室にたどり着くものの、そこで死んでいるはずの想い人と再会した。だが、死んでいるはずの彼は様子がおかしく、大量のマネキンとともに園田に対して「ここにいろ」と言い放ち、異世界に引きずり込まれかけるが、何者かの声により窮地を脱する。</p><p>　その声を皮切りに、一度は異世界から平常と思われる世界に戻るものの、そこには死んでいるはずの想い人からの手紙が届いており、「思い出せ」という旨が書かれていて、それとほぼ同時に玄関の扉が開かれる。怪訝に思いつつも扉の先を進むと、今度は上に続く螺旋階段が続いていた。そこで、すべての真実を告げられる。</p><p>&nbsp;</p><p>　実は、「2年前に想い人が自殺した」ということはすべて園田が作り出した願望であり、実際の園田は交通事故に遭い、昏睡状態に陥っていた。このような異常な妄想に取り込まれてしまった原因として、過去親友である秦野秀弥との確執がある。</p><p>　園田の初恋の人物でもある秦野に対して、園田は中学校の頃に二重の告白を行い、それが原因でいじめ被害に見舞われ、中学校を不登校のまま過ごし、高校は通信制にしてなんとか通学していた状態であった。その時、同じく人生に迷う辻峰と出会い、8年の交際を続けている。しかし、その間も園田は精神的な不安や後悔に苛まれ続け、パニック障害を患いながらも、小説家を目指していた。その矢先に、今回の交通事故に遭遇したという経緯があった。</p><p>　この時、今まで自分の中に隠していた潜在的な気持ちが爆発。中学校の時から自分を苦しめていた「秦野秀弥への想い」が、「辻峰久桜への想い」と混じり合い、作中のような歪な妄想が形成されてしまう。劇中登場した「自殺した恋人」は現実には存在せず、両者2人が妄想により混ざった人物である(この人物については当該箇所にて記述)。</p><p>　妄想の中に取り込まれてしまっていた園田は、「自分が最も愛した(秦野と辻峰の合成物である)想い人を悼み続ける」という屈折した愛情表現を理想体と思い込み、冒頭に繋がる。しかし、現実と向き合おうとする園田も少なからず存在していて、その気持ちが「本物の辻峰久桜」として、園田の妄想の世界に干渉を始める(これが扉を叩く者の正体)。最終的には、彼によりすべてを知ることとなった。</p><p>&nbsp;</p><p>　作中では複雑な心理から発現した妄想に取り込まれてしまっているものの、実際は勤勉かつジョークも大好きな普通な男の子。男性的とは言えない性格ではあるが、8年もの間、かなり男性的な辻峰と仲良くやっているあたり、信頼した人物に限定すれば楽しくやっていける人物なのかもしれない(この部分に関しては、ややメサイアコンプレックスの嫌いがある辻峰の努力の賜物であるといえるが)。</p><p>　性格はややナイーブすぎる傾向があるものの、勤勉で信頼した人にはかなり饒舌に話すお話好きな一面がある。一方で、特定の誰かに過剰な執着を示したり、作中終盤にて「自分が愛している人物が、自分のことを想って死ぬこと」を望んでいた等、かなりダークな面も持ち合わせている。それを象徴するかのように、自分の心境を文章にしているのだが、暗めの文章が多い。</p><p>　甘ったるいココアが好きだったり、朝食にトーストを食べている描写から、和食関係はあまり食べていない様子。裏設定では甘党かつ洋食好きで、特にグラタンが大好き。ちなみに、生活力がなさそうに見えて、意外にも料理が(卵料理以外は)得意で、後に料理を辻峰に教えていることが判明。ただし卵に関してはいくら練習してもうまくならなかったようで、絶対に作らない。また、小物好きである一面もあり、後にガリレオ温度計を購入している。</p><p>　職業は一応新人小説家で、好きな作家は宮沢賢治。自分も童話のような作品を書きたいらしいが、もっぱら恋愛ものが多いらしく、文体は純文学寄り。基本的に自分の書きたいものしか書かないらしいが、書く分量が桁外れで、1日のほぼすべての時間を小説に当てているらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>・秦野久桜(はたの くおう)</p><p>　園田の想い人であり、作中冒頭2年前に自殺をしている。その後、異形の世界で度々園田の幻覚として姿を表すようになる。異世界の最奥では、自殺した時の部屋で登場し、園田に永遠に異世界にいるように語りかけるが、最終的には本物の辻峰により消滅する。</p><p>&nbsp;</p><p>　正体は前述の通り、園田の初恋の人物である秦野秀弥への屈折した想いと、現在愛している辻峰久桜への想いが歪な妄想の中で混ざり合ってしまい形成されたもの。その為、実際に存在している人物ではなく、現実に存在している人物2人が不完全に混じっている状態である。ちなみに外見的には秦野、口調や性格にしては辻峰を主としている。作中ではこの口調により、園田が真実に気づく発端ともなった。</p><p>　物語中盤まで、園田とのラブラブな感じを装っていたが、最奥にて本性を現す。首を吊った状態で、園田を妄想の中に閉じ込める為にマネキンを従えた状態で姿を現す。しかし最終的には自分の気持を気づかせる辻峰の声により、異世界もろとも消滅した。その後、同じく異世界の存在である「病院」では出現しないことからも、過去の自室にて、完全に消滅したと思われる(園田自身が存在を認知した為、存在することができなくなったとも取れる)。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>・辻峰久桜(つじみね くおう)</p><p>　園田の現実世界での恋人であり、同棲中。作中では、完全に「秦野久桜」として現れていたため、実際に登場するのはほとんど終盤であった。</p><p>　8年前、リストカットで自殺しかけていた園田を手当し、その後紆余曲折を経て交際することになる。詳しい経緯については明らかになっていないものの、事実上の続編である「永久(ゆめ)だった日々」においては、園田だけがメンタルを病んでいたわけではなく、存在理由を感じられなくなった辻峰側の苦悩が語られている。その為、そばにいた理由としては、「園田を自らの生きる証明」としていたことが明かされていて、かなり重篤なメサイアコンプレックスであったことが示唆できる。</p><p>　作品後半にて出現した辻峰の幻影については、次項を参照。</p><p>&nbsp;</p><p>　作中では、「仕事が医者」ということくらいしか明らかになっていない。裏設定では、心臓外科医という設定があるが完全に死に設定。ちなみに医者になって大体3年程度である為、この設定が現実味を持っているとはちょっと言えないことと、作中でもそれを活かすことができる部分がなかったため、半ば形骸化した状態で引き継がれたものである(今後の課題)。<s style="text-decoration:line-through;">そもそもこの設定は、過去の確執のための職業であると言っていい為、一番最初のプロットが形だけ残ってしまったもの。</s></p><p>　性格は色々な意味で男性的。特にブラックジョークが大好き(の割にクオリティはお察し)。反面、園田への執着がかなり強く、恐ろしい女々しさも合わせて持っている。前述の通りかなりのメサイアコンプレックスで、徐々に成長していく園田に対して、「変わらないでほしい」と理不尽な願いを込めて精神的にぐらつくことからも、かなりの脆弱。実際に彼氏にしたら結構めんどくさそうであることからも、園田とはある意味お似合いのコンビである。</p><p>　こちらも裏設定であるが、園田が書く小説を片っ端から読まされる推敲係でもあり、彼の作品の殆どは覚えているという記憶力の良さ。本人よりもどこに何が書いてあったのかを覚えている。</p><p>&nbsp;</p><p>・幻影</p><p>　作中後半にて発現した辻峰の幻影。正体を表した秦野久桜と重なった声から生じ、異世界から一度帰還する園田に対して、「すべての真実を思い出してほしい」という旨を伝え、異世界の最終地点である「病院」へと導く。声や外見、どれも辻峰に酷似しているものの、口調や性格については実物とだいぶ異なっていて、若干園田自身の私情が組み込まれていることがわかる。</p><p>　正体は、園田が潜在的に想う「愛するもの」が実体を持った姿。これについては明確な記述こそないものの、園田が心の底で「辻峰久桜」を愛していたことを示す発言がある為、恐らくはそれが正体。最終的には、園田が自らすべてのことを思い出したことにより役目を終えて消滅する。</p><p>&nbsp;</p><p>　異世界すべてが自己中心的な存在である世界において、この幻影のみ、唯一客観的に自らをみる能力が存在しているのか、全てのことを知った上で、自分自身で真実を気づかせるための働きかけを行っていた。冒頭の扉を叩く者はこの幻影であり、現実的に言うと辻峰の回復を祈る声だったのかもしれない。</p><p>　この幻影は異世界に発現した様々なものと出自は同じ理由を持っている。しかし、他のものが自分自身の「後悔」や「記憶に対しての考え方」、つまりは「妄想への執着」が元になっている反面、この幻影は「現実」から発現しているという違いがあるため、同一の存在でありながら、他の存在とは一線を画する特殊な要素であることがわかる。</p><p>&nbsp;</p><p>・秦野秀弥(はたの しゅうや)</p><p>　作中最終盤にて名前が登場。異世界によって生み出された秦野久桜の半身とも言うべき人物で、園田の初恋の相手である。しかし、中学の時に告白を受けて、それを同級生に漏らしてしまった事により園田が不登校になってしまい、最終的には自殺未遂にまで追い込まれた発端となった。</p><p>　<s style="text-decoration:line-through;">キャラとしてあまり立っていない人なので解説できるところが少なかった。</s></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>-異世界の設定</p><p>&nbsp;</p><p>1.異世界</p><p>&nbsp;</p><p>・自室</p><p>　本作の起点となった世界。一番最初に登場した場所は、現実に即していそうで実は即していない(そもそも、あの場所は恋人が自殺した後の部屋であるため現実の自室とは似て非なる場所)。作中では「現在の自室(A)」、「過去の自室(B)」、「想い人が死んだ時の自室(C)」の3種類が存在していて、その中でも特にCは異質の存在である。他の2つの自室については、「主人公の歪な願望-A」、「主人公の屈折した想い出-B」という風な解釈が可能であるが、このCのみ、作品の中でも異彩を放っている。</p><p>　Cは、主人公の願望の象徴たる秦野久桜が自殺しているのだが、死んでいるはずなのに異世界に留まり続けろと命令し、マネキンを従えるように奇怪な振る舞いをしている。これは、今までの「願望や想い出」とかなり乖離するところであり、次項の「自宅マンション地下」とかなり似たポジションにある。故に、Cは「願望や想い出」などの自己中心的な「快楽的な事柄」ではなく、もっと現実的かつ恐怖の対象と見ることができる。これは、恐らく主人公が持っている秦野秀弥に対する恐怖や想い入れであり、それを咎める形で現れたもので、恐怖の象徴とされているのは「愛していたはずの人物から(主観的な)裏切り」に対してのものであると考えられる。</p><p>&nbsp;</p><p>・自宅マンション地下</p><p>　自室同様に本作の起点となった世界。自室に外に作られた立方体の部屋から下に伸びる螺旋階段を下りていくと出現した異形の世界であり、一本の通路の中に光源不明の薄明かりのみが溢れ、進むと様々な変化が生じる。最奥には自室が待ち構えており、主人公の想い出を見せるようになっている。</p><p>　この世界は数ある異世界の中でも最も原理的な場所である。そもそも心の陰りから誕生した世界群を象徴する複雑なニュアンスを持っている。前提として、この世界は現実には存在しないと言える(そもそも扉を開けた先に螺旋階段が伸びていて、その先に一本道がある場所など存在しないだろう)。その為、主人公が特定の場所をモデルにした場所とは考えにくく、そのまま主人公の様々な思念から具現化したと推測するのが妥当である。それに加えて、この世界には「肉壁にまみれた眼球」や、「マネキン」、「人影」などの「人体」を想起させるものが乱雑に組み込まれている(これらについてはオブジェクトにて記述)。それぞれのオブジェクトの意味合いに触れなければ、あまりにも乱雑かつ荒唐無稽である。少なくとも、原理的かつ相当に幻想的な空間と言えるだろう。</p><p>　正体は「主人公の自身に対する問いかけ」である。そもそもこの世界の原理としては、「主人公の想いや願望」である。勿論この自宅マンション地下もそれについて色濃く反映されている部分はある。しかしそれと同じくらい、自分を目覚めさせようとする思考も確認することができる。その中でも、進むたびに自室が配置されているのはまさにこれに該当する。もし仮に、本当に「主人公の想い出と願望のみ」が具現化しているのならば、この時の自室の思い出についても齟齬が発生しないはずである。これに齟齬が生じているということは、少なくとも主人公が自らの利己的な妄想に対して「間違っている」という認識を持っていることになる。そして極めつけは自室Cであり、主人公自身も自分の妄想に嫌悪していたことが推測できる。</p><p>　つまりこの自宅マンション地下は、「主人公の願望と嫌悪の混合状態」である。</p><p>&nbsp;</p><p>・病院</p><p>　物語後半にて出現した異世界であり、それまでの2つとは異なり、とても清潔感あふれる素敵なところ。立地的には主人公が住んでいる町の何処かに建っているようで、外の世界も一応は見ることができる(しかし、実際に外に出ることはできない)。美しげな病院をモチーフにしているものの、作中ではすぐに地下で見たような異形の光景に変形することもあり、その清潔さは通り一遍であることを想起させる。</p><p>　正体は「主人公の現実世界に対する意志」であり、主人公が現存している病院をモチーフにしている。原理的には、他の異世界と同じ構造をしている為、主人公の想いや思考により世界は簡単に清潔さを失い醜悪な世界へと変貌する。作中では主人公の迷いに反応して変化をしていた。病院の中に放置されている謎のオブジェクトについては当該箇所にて記述。</p><p>　この場所がモチーフになったのは、ただ単純に自分が現存しているからだけではなく、現在の恋人であり、今一番愛しているはずの辻峰の勤務先であることも由来している。その証拠に、ここでは主人公の中の辻峰が唯一実体を持って活動している。裏を返せば、理想体としての彼はここでしか存在することはできず、その他は物理的な媒体を持つことはできない。この点については、幻影について主人公が非常に強い想い入れを持っているため、過去と交わることを決して許そうとしていないのかもしれない(秦野久桜という存在は、あくまでも秦野秀弥への執着がウェイトを占めている)。</p><p>　道中存在する、主人公の名前以外消された職員用の資料は、この作品の中でも特筆して異質な存在である。これは、異世界に他の人物が存在することを間接的に示唆するものであり、このようなオブジェクトは唯一これだけである。実際のところこの異世界は主人公以外の存在を認めておらず、主人公しかいないはずなのに、このオブジェクトは他の名前があったかのように書かれている。その理由として、恐らくこれは「他者への率直な気持ち」と考えることができる。つまり、存在していても存在していなくても、主人公にとっては別にどうでもいい存在であるという意志であり、それとは裏腹にある「他者への怒り」とも取ることができる。</p><p>&nbsp;</p><p>2.各種オブジェクト</p><p>&nbsp;</p><p>・マネキン</p><p>　登場箇所は自室とマンション地下。この物語を象徴する存在であり、異形の世界の中に幾度となく出現したが、過去の自室を最後にぱたりと消え失せ、以降の病院では出現していない。</p><p>　これは「主人公の自分と愛した人以外の人物の象徴体」で、恐らく主人公が最も恐れを抱くものでもある。不気味な存在であることが随所に出ており、場面によって出現形態がかなり異なる。しかし全体として言えることは、主人公は過去の影響により他者のことを人間であるという認識すら出来なくなったということで、これにより人外じみた動きと明らかに人として存在していると想起できない行動を取る。その最たる例が、消滅する際に見せた「共食い」である。人間は生物としても珍しい共食いしない種であるにも関わらず、マネキンたちはこれに意図的に反するように共食いを行い、殺し合っている。これは、主人公がマネキンに対して人として認識していないということを示唆するものである。加えて、これらを指示しているのが秦野久桜であるため、「想い出に付随するもの」程度にしか考えていないのかもしれない。</p><p>　バラバラになって出現する場合があるが、箱の中にバラバラになって放置されているものと前腕パーツのみが散乱している物がある。前者は「主人公の人に対する恐怖感」であり、後者は「人との繋がりの希薄さ」を意味している。</p><p>&nbsp;</p><p>・人皮のマネキン</p><p>　この作品の中でも奇怪さが最も強いオブジェクト。人の皮膚で作られたマネキンで、影により主人公に託された瞬間、ボロボロに崩壊していった。</p><p>　正体は「主人公の愛する者」の象徴。マネキンという性質上、これは特定の個人を持たない「愛する者」を体系的に象徴した存在であると推測できる。過去の前で消滅してしまうのは、その後の秦野久桜の消滅を暗示している(主人公が向き合おうとする意志によるところもある)。奇怪な存在であるが、主人公が特別視した者を表現しているため、嫌味っぽいオブジェクトが多い中ではかなり良心的なオブジェクトである。</p><p>&nbsp;</p><p>・肉壁</p><p>　作品の至る所に存在しているものであり、臓物がバケツに打ち込まれている、眼球が埋め込まれているなどかなりバリエーションの富んだ状態で出現する。</p><p>　これは「主人公そのもの」の象徴。眼球はそのまま「自分自身に対する監視」で、臓物は「自分の重要な部分」を指し示している。出現する場所の違いはその時の心境に由来しており、最終的にはすべてが一つに戻っていく描写から、異世界にいてばらばらになってしまった心たちを示しているのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>・螺旋階段</p><p>　物語に2度登場し、どちらとも異世界の橋渡し役になっている。登場した時でかなり異なる状態で、最初に登場した時は筋肉繊維のようなものがまとわり付いた肉塊で出来た螺旋階段であったが、後半登場したときには普通の螺旋階段になっている。</p><p>　明確な何かを持って具現化したものではなく、この螺旋階段は「ループ」の象徴である。この物語は、主人公がループを脱する直前であるが、冷静に考えれば主人公は2年もの間この異世界に閉じ込められていたという認識をしている。つまり、何度も同じ日にちを繰り返す(本人の意識と認識をおいておき)ループ状態であったとしても差し支えない。状態に違いがあったのは、主人公がどのように思考して行動しているかで変化しているものである。その為、初期の「願望にとらわれている状態」で認識すると肉塊で作られた奇怪な姿をしていて、逆に「自らと向き合おうとした状態」で認識すると普通の螺旋階段として認識できる。</p><p>　螺旋階段は他のオブジェクトと異なり、物質的な変化をせずに認知により変形する。</p><p>&nbsp;</p><p>・人影</p><p>　地下において出現し、何かを探し回っている描写があり、最終的にその時発した言葉が主人公自身のものであることが判明している。</p><p>　正体は「空っぽの自分自身」であり、姿形が現れずただ「影」でしかないのは主人公が存在している前提で発現するため。自分自身を皮肉っぽく表現したものであるという側面も持っており、自分の最も愛している存在の象徴である「人皮のマネキン」を「もういらない」といって捨ててしまう描写は、いつまでも自分を束縛する愛するものに対する強烈な皮肉である。最終的にどうなったのかは不明であるが、恐らくは異世界もろとも消えてしまったと思われる。</p><p>&nbsp;</p><p>・鉄の肺</p><p>　病院において出現したオブジェクト。抽象的なオブジェクトが多い病院の中では唯一、実物で存在していた医療器具。</p><p>　これは「一人だけでは生きていけないという気持ち」が物質化したもの。鉄の肺はそもそも既に使用されておらず、過去の産物であるはずのものが物質化したのは、体の殆どを覆い尽くす構造を自らに重ねているためである。また、恐らく病院という存在と結びついたことも一つの要因である。</p><p>&nbsp;</p><p>・電子回路の人体模型</p><p>　病院において出現した抽象的なオブジェクト。出現したオブジェクトの中で特に注視するような表現がなされ、主人公もその理解不能の存在に対して疑問を感じている。文章としての登場はたった一文であり、具体的な描写すら存在しない。</p><p>　実はこのオブジェクトは、病院内の描写が大幅にカットされた弊害で、作品の中でどのようなニュアンスがほとんど不明になっている。裏設定では「今現在の自分自身」を示す存在。肉壁や人影とは異なり、より生物学的な「個人」を示している。存在そのものの抽象的な意味合いよりも、存在している場所に意味があり、病院内に存在している＝自分自身の立ち位置が現実に向かいかけている、ということを暗示している。</p><p>　本来の設定では、地下にも存在していて、出現する位置による意味合いを表現する予定だったが、あまりにも地下との世界観が合致せず見送ることに。</p><p>&nbsp;</p><p>・フラスコマトリョーシカ</p><p>　病院内に出現した抽象的なオブジェクトの一つ。謎の液体が入ったフラスコがマトリョーシカのように連鎖している不思議なオブジェクトであり、人体模型と同じように裏設定的なオブジェクト。</p><p>　裏設定としては「連続的な不安感」を表すオブジェクトであるが、人体模型と同様に大幅な描写カットにより、劇中で理解することは不可能。この液体はリストカット時の血液と、自殺未遂時の雨を象徴するものであるが、そもそも過去の部分が大幅にカットされている為、もはやプロットの原型をとどめていない。こちらは病院の中のみ出現し、色が変色する描写があったが、同じく描写不足と状況の噛み合わなさでカット。取ってつけたようにこれだけ残ってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>・眼球投影機</p><p>　上2つと同じく抽象的なオブジェクトの一つであるが、唯一作中で言及があり、異世界を作り出す発端となっている可能性が示唆されている。こちらも裏設定的なものであり、本来は地下でもおもちゃとして出現しているはずが、残念ながら描写カットで消滅している。</p><p>　裏設定としては「自らの価値観」を表すオブジェクトで、元々のプロットでは主人公のお気に入りアイテムであったが、これを常に持ち歩のくのはあまりにも不自然すぎると感じたため消滅。しかし、重要なアイテムであることは変わりないため裏設定的に配置することに。主人公の価値観から見える解釈を投影するものである為、異世界の解釈の根源であるという見方はある意味正解である。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　設定資料についてはこのようになりました。</p><p>　「こんな設定があったのか(´_ゝ`)」と思ってくだされば私はとても幸せです:*:・(￣∀￣)・:*:</p><p>&nbsp;</p><p>　それでは本編とともに、これからもお会い出来ることを心待ちにしていますねо(ж＞▽＜)ｙ ☆</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12362314513.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Mar 2018 14:45:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小説の価値を考える意味と対象</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　前回の「お知らせ」の記事では、小説関係の記事がないので3月中に記事にしたいという流れがあったので、<span style="font-size:1.4em;">今回は小説が持っている価値に対する<span style="color:#ff007d;">個人的な考え</span>を記事にいていきたいと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　「雑記」もそうですが、<span style="font-size:1.4em;">すべての個人的見解を書いた記述に関しては、<span style="color:#ff007d;">引用などの具体的な情報元が記述されていない限り</span>、すべて「エビデンスを持たない素人の一つの意見」となります。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　これについてはこのブログで徹底しており、何かしらの統計学的データ等の客観的データに対しての考えを付与しているわけではないものに関しては、<span style="font-size:1.4em;">すべて「素人の意見」であることを前提にして</span>御覧くだされば幸いです。</p><p>&nbsp;</p><h3>・「小説を書く」というの段階</h3><p>&nbsp;</p><p>　一番最初に明確にしておきたいこととして、なぜ「小説の価値」を考える必要があるのでしょうか。</p><p>　いろいろな学術的な事柄には、<span style="font-size:1.4em;">必ず価値を考える場所があります。</span>この価値の意味については<span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">広義すぎる</span>嫌いがあるので、ここで具体的な言及は避けます</span><s style="text-decoration:line-through;">しそもそも解説するくらいの知識はないです</s>。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">ここでは「小説が与える影響」くらいにとどめておきましょう。</span>あくまでも素人意見なので(´・ω・`)</p><p>&nbsp;</p><p>　まず最初に、小説を書くということに、レベルを設けていきましょうか。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ここでは簡略化と見やすさの意味を込めて、<span style="color:#ff007d;">「趣味レベル」</span>、<span style="color:#ff007d;">「特技レベル」</span>という2つに大別しましょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff007d;"><span style="font-weight:bold;">　※趣味は金銭の発生しない程度の技能、特技は金銭が発生しうる技能というニュアンスです。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　私事ですが、今まで、年数としては6年ほど小説を好きで書いていますが、それまで文章がとても苦手で、小論文など悲惨といえる状態でした。</p><p>　ですが、宮沢賢治の作品を見て、漠然とした憧れと類似性によりこうやって小説を書いて、人前で見せられるレベルに成長した気分になっています。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここでは一つの例として用いましょう。これは、<span style="font-size:1.4em;">趣味の範疇</span>であるといえるでしょうか？</p><p>　個人的な結論としては、「まだ趣味の領域」という状態でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで、趣味の領域の話になっているのはいくつか理由があります。</p><p>　小説の価値を語る上で、私個人的には商業誌かこのように不特定多数が閲覧する可能性があるブログ等による文章なのかによって大分違うと思っています。</p><p>　誤解を招く言い方ではありますが、「商業誌＝影響力がある」ことに対して「無料で閲覧可能なもの＝影響力がない」ということを言っているわけではありません。<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">あくまでも、影響力の強弱の問題を主題にしています。</span></span></p><p>　商業誌は社会的にも高い知名度にいる場合が多いので、人の目に触れる機会が多く、それだけ影響力が高い傾向にあると言えるでしょう。対して、無料で閲覧可能なものは、ネットという非常に広い世界ということもあり、知名度にバラツキがあり、社会的な影響力は商業誌より低い傾向にある、ということです。</p><p>&nbsp;</p><p>　ですが、ここで一つ疑問が生まれます。</p><p>　先程の記述を見てみると、<span style="font-size:1.4em;">「商業誌は確かに知名度が高いかも知れないけど、ネットの記事のほうが知名度的に上のものもあるし、最近じゃそうとも言い切れないじゃないの？ヽ(`Д´)ノ</span><span style="font-size:1.4em;">」</span>という疑問が生じます。</p><p>&nbsp;</p><p>　私はこれに対して、<span style="font-size:1.4em;">「半分的を射ていて、半分は見当外れ」という気持ちを持っています。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　まず、この2つは<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">比較対象とする上では不適切な存在</span></span>であるといえるでしょう。なぜなら、<span style="font-size:1.4em;">商業誌とネットでの影響力の差を見る上で、<span style="text-decoration:underline;">存在している記事の総数が全く異なっている</span>からです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff007d;">　端的に言えば、「質の均等化」がなされていないのがネットなんですね。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>　ネットは非常に簡単に情報の受発信が可能です。それ故、ネットの記事の信頼性というものは、<span style="font-size:1.4em;">普通の商業誌から比べると客観性を損ないがちです。</span>その理由としては、偏に<span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">「情報を公開する段階でどれほどの人間がチェックをするか」</span>によると思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">このブログなんて、まさに特大ブーメランですね！</span> このブログに書いていることは、作成者である「私のみ」がチェックし、公開しています。自分でこの記事を書いておいて何ですが、<span style="font-size:1.4em;">客観性の欠片もありませんね。</span></p><p>　それは私個人の意見しか入っていないことに加えて、<span style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.4em;">それを「客観的である」と理由付けるエビデンスがほとんど存在しないからです。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>　だからこそ、こんな特大ブーメランな記事を作れるわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　というわけで、話が趣味の範囲に収まっているのかという話しに戻ります。</p><p>　これらのことを踏まえて、<span style="font-size:1.4em;">私が自分自身を「まだ趣味の領域」としたのは、このブログに全くもって<span style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff007d;">(十分な信憑性が保てる)客観性がない上、世間一般に対する影響力がないから</span></span></span>なんですね。</p><p>&nbsp;</p><p>　このブログは現在、ほとんどアクセス数(アメーバブログのアクセス解析であるため、正常な値はわかりません)がない状態です。</p><p>　実際の値は、表示されている値よりもかなり低いことを前提にすると、<span style="font-size:1.4em;">このブログは現在「(極めて小さな影響をないものとすれば)社会的な影響は存在しない」という状態になります。</span></p><p>　実際、私の小説に関しても同じことで、<span style="color:#ff007d;">アクセス数は小説投稿サイトの大御所様から比べれば微々たるものです。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　このような<span style="color:#ff007d;">数値的な根拠</span>があるからこそ、私は「まだ趣味の領域」としたわけです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　では、<span style="font-size:1.4em;">私の作品が今の<span style="color:#ff007d;"><span style="font-style:italic;">100万倍</span></span>のアクセス数と、リツイートの回数があったとしましょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　この場合、<span style="font-size:1.4em;">「趣味の領域」を逸脱したと考えています。</span>その際、値として示された数値がどれほどの社会的影響を与えているかは定かではありませんが、少なくとも、<span style="font-size:1.4em;">今の100万倍、人がこれらの記事や小説について「目に触れてしまっている状態」にあると言えるでしょう<span style="color:#ff007d;">(そんな単純な話ではありませんが)</span>。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　つまり、<span style="font-size:1.4em;">社会的な影響としては、個人の趣味の領域を抜けてしまっている可能性がある場合は、「趣味」ではなく「特技」になっているということですね。</span></p><p>　この2つのレベルには、更に金銭の概念が加われば、記事が更に長くなってしまうのでここでは省きますね。</p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">ここで大事なのは、小説を書くと言ってもレベルがあり、<span style="color:#ff007d;">社会的影響力の程度でレベルを決めた</span>、という前提があれば大丈夫です。</span></p><p>　それを踏まえて、次の節にいきましょうA=´、｀=)ゞ</p><p>&nbsp;</p><h3>・「小説」は何に対して価値を持つのか</h3><h3>&nbsp;</h3><h3>　ここに来てやっと価値のお話です。</h3><p>　先程、<span style="font-size:1.4em;">小説の価値を「小説が与える影響」</span>としましたが、一般的な価値のニュアンスを考慮すれば若干言葉足らずと言えるでしょう。</p><p>　ですが、ここではこの簡略的な定義を使用させていただきます。</p><p>　複雑な定義をご覧になりたい方は、小説の価値関係の書籍を御覧ください。</p><p>&nbsp;</p><p>　さて、では一口に、「小説が与える影響」として、何が挙げられるでしょうか。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　これは非常に難しい質問です。なぜなら、小説が<span style="color:#ff007d;">「何を対象として」</span>、<span style="color:#ff007d;">「どのような影響があるか」</span>を尋ねているからです。</span></p><p>　2つの複雑な事柄が重なり合っているので、これを解体して考えていきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　これを考える上で、小説と対比されがちな「漫画」にも同じことが言えそうな事がありますが、この点については長くなりすぎるという理由で割愛します。別の記事としてまとめたいですね。</p><p>　この前提の上で、小説、ひいては物語が何に対して価値を持っているのかを考えましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>　相変わらず、私個人の例を出していきます。</p><p>　私は物語を作る一番の理由は、「自分のため」です。自分が見たい物語を作りたいということと、何かを表現したいという欲求的な何かを感じるからです。これには様々な理由があるでしょう。欲求をメインに考えれば、マズローなどのお話に絡めて話すこともできるでしょうが、ここではあくまでも「価値の話」です。</p><p>&nbsp;</p><p>　では、私の場合「小説の価値」はどこに向かっているものでしょうか。</p><p>　恐らくは、「私」に対して向けられていますよね。名前をつけることは避けますが、何かしらの「欲求」に活気されて物語を書いています。つまり、<span style="font-size:1.4em;">物語側、ひいては小説側が持ち合わせている価値が「私に対して」向けられ、欲求に繋がったとも言えるわけです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　さて、これを見て「小説書く人って、大体同じじゃないの((((((ﾉﾟ⊿ﾟ)ﾉ？」という意見を持つ方もいるでしょう。</p><p>　私は周りに小説を書く人はいないのでわかりませんが、「社会的な承認を目的として」小説を書く人もいるでしょう。先程、自分の欲求に対して明確化しなかったのはこういうことです。</p><p>　今の私にわかることは、「小説を書く人は、何かしらの欲求に活気されて書く」ということだけです。それに対して、具体的な事柄をあれこれ考えても、推測の域を超えないのです。</p><p>　なので、「対象」は自分に対して向けられていても、そこに「どのような影響があるのか」は違っているわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>　それに、今の話は若干主題が変わっていますよね。いま提示したのは「作品を書く理由」でした。明らかに話がずれてしまっています。</p><p>　ですが、私はこの理由こそが、自らに働きかける「小説の価値」に繋がっていると考えています。なぜなら、<span style="font-size:1.4em;">物語が自らに小説を書かせているという表現が最も適切であると感じているからです。</span></p><p>　お話は勝手に浮かぶ場合もあれば、自ら趣向を凝らして作る場合があります。本来ならば、<span style="font-size:1.4em;">それぞれの概念を分離させて考えることが必要なのですが、私の技量ではこの2つの完全な分離はできなかったので、このような形を取りました。</span></p><p><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size: 22.4px;">　→　個々の部分の記述は次回の記事と合わせて修正したいと思っています。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>　ここまでの話をまとめましょう。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　「小説の価値」は、自らに対して働きかける動機に対しても作用し、その理由は様々存在しているということです。</span></p><p>　ここで一つ、対象は「自分」が出ましたね。その効果については一旦おいておいて、明確に価値が向けられる対象が一つ明らかになりました。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　では、もう一つ、対象となる主格が存在します。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　それが<span style="color:#ff007d;">「読み手」</span>です。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　小説として構成された物語を発信する側、そしてそれを認識し、解釈する受信側が存在しているのは至極当然の話でしょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　この「読み手」が受ける価値の影響は極めて大きいものがあります。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ときにそれは、読み手の人格形成や人生の歩み方、価値観に対して大きな影響を与えます。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　この次に、小説が持っている価値の話になるのですが、記事が雑然としてきているので、一度ここで区切らせていただきます。</p><p>　次回、<span style="font-size:1.4em;">「小説の価値の意味」についての記事を投稿したいと思います。</span>記事が作成された場合、ここにリンクを貼らせていただきますね(＠´з｀＠)ﾉﾞ</p><p>&nbsp;</p><p>　ではでは、本日はここまでとさせていただきます。</p><p>　まさかここまで長い事になるとは思ってなかったので、修正を行う可能性はあるので、その点についても楽しでいただければ幸いです。</p><p>　次回の記事でお会い出来ることを楽しみにしていますねо(ж＞▽＜)ｙ ☆</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12362075296.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Mar 2018 16:55:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>小説家になろう「不条理なる管理人」公開のお知らせとこれからの展望</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　今回はお知らせ系の記事になります(　 ﾟ ▽ ﾟ ;)</p><p>　着々とお知らせを保管するブログと化していますが、その点についても後半で触れさせていただきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h3>・これからの小説投稿について</h3><h3>　今月の頭にFeardで投稿していた「色彩のない夢」が終了しましたので、現在は同系列の作品である「永久(ゆめ)だった日々」を中心に書いている状態となります。</h3><p>&nbsp;</p><p>　「色彩のない夢」は自分のとってもかなり手間がかかった作品だったので、いい意味で一区切りがついたのだと思っています。それに加えて、<span style="font-size:1.4em;">ブログにしても投稿小説にしても、より本格的な活動をしていきたいと考えています。</span>なので、この場を借りて、今現在私が考えている展望をざっくりとまとめたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">POCKET BL「</span><a href="http://bl-novel.jp/viewstory/index/2307/?guid=ON" target="_blank"><span style="color:#ff007d;">永久(ゆめ)だった日々</span></a><span style="color:#ff007d;">」の投稿(最優先)</span></span></p><p><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">　→　5章完結予定(第3章3節を作成中)　終了はおよそ5月ほどを予定しています</span></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">小説家になろう「</span><a href="https://ncode.syosetu.com/n4199eq/" target="_blank"><span style="color:#ff007d;">不条理なる管理人</span></a><span style="color:#ff007d;">」</span></span></p><p><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">　→　具体的な話数は現在未定(決まり次第追記予定)　一週間に一度の更新を目指した連載</span></span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">カクヨムでの投稿</span></span></p><p><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">　→　主な作品名や展望に関しては未定　「不条理なる管理人」と同時進行を予定</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　今のところ考えている展望はこのようになります。</p><p>　一番の最優先事項はPOCKET&nbsp;BL「永久(ゆめ)だった日々」となりますが、<span style="font-size:1.4em;">小説家になろう「不条理なる管理人」は<span style="color:#ff007d;">一週間に一度</span>の更新を目指した連載をメインテーマにおいていますので、</span>更新スピードに関しては圧倒的に後者がメインになってしまいます。</p><p>　なので、前者の方も早く完結させてしまいたいと考えています。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　どちらにしても、小説投稿のスパンを出来る限り短くしていくことがメインになっていくと思います。</span></p><p>　それに付随して、こちらのブログの記事も、少しずつ更新速度を上げていき、安定したコンテンツ化を目指します。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h3>・このブログの展望</h3><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　このブログは現在、</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">1.自作品の評価を自らで行う「自作品の評価」</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">2.完結した作品の設定資料の「設定資料」</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">3.小説関係の記事を「小説関係」</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">4.小説のネタになりそうなものに対する個人的感性で書いた雑記を「雑記」</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">5.小説投稿及びブログに関するお知らせ全般を「お知らせ」</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　として分類し、それぞれのテーマに沿って記事を分類分けしています。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　ですが、<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">なんとこうやって定義しているにも関わらず、いくつか存在しない記事があることに気が付きました。</span></span></p><p>　そこで、今月の残された時間で存在しない記事を作成していきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">完結した作品の設定資料</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　→　完結済みの作品どちらかについての設定資料を作成</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">小説関係の記事</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　→　今まで作成した雑記を踏まえた、小説関係の記事の作成</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　<span style="color:#ff007d;">※どちらも3月中に作成します。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>　とりあえずは、現在存在していないカテゴリーの記事をメインに作成したいと思いますが、<span style="font-size:1.4em;">このブログでは、私が個人的に小説を作る上で必要となる「知識(問題や言葉の意味合いなど)」に焦点を当てる「雑記」がメインなる場合が多いと思われます。</span></p><p>　対して、小説の評価や設定資料などが蔑ろにされる場合が多いと思われますが、<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">出来る限りは均等を心がけて</span></span>、楽しいブログの作成に努めていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　今回の記事は、2つのお知らせを行いましたので、「お知らせ」に分類されますが、これからはこの分類の記事を出来る限り抑えていきたいと思います。</p><p>　なので、これ以降お知らせは、何かを始めるときと何かが終了するときのみに限定させていただきます。ただし、このブログの展望が大きく変わる場合はお知らせに属する記事にしたいと思うので、その点についてはご了承ください。</p><p>&nbsp;</p><p>　今回のお知らせはここまでとさせていただきます。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　それでは、この次のどちらかの記事で、ぜひぜひお会いしましょう(＠´з｀＠)ﾉﾞ</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　ここまでご覧になっていただいた方全員に、改めてお礼申し上げますо(ж＞▽＜)ｙ ☆</span></p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12361892970.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Mar 2018 22:59:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>短絡的な烙印付の代償</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　この記事は、カテゴライズと少しだけ関わりがあるかもしれませんね。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　今回のテーマは「短絡的な烙印付」です(　 ﾟ ▽ ﾟ ;)</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#ff0000;"><span style="font-size:1.4em;">※やや断定的な書き方になっていますが、これはあくまでも私的考察であるため、統計的根拠を持つものではないことに注意して、一意見であるという前提を持って御覧ください。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h3>・「短絡的な烙印付」とは</h3><p>&nbsp;</p><p>　はじめに、<span style="font-size:1.4em;">この<span style="color:#ff007d;">「短絡的な烙印付」</span>は<span style="text-decoration:underline;">特定の本からの引用ではありません</span>。このブログでのみ適用される言葉であることをご承知ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　「短絡的な烙印付」とは、<span style="color:#ff007d;">特定の1側面のみで対象を社会的不利な烙印付をすること</span>、を指すことにしましょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　幾つか例題を挙げます。</p><p>&nbsp;</p><h4>-一般的な人がしない事柄全般の起用に対して「中二病」と呼ぶ。</h4><h4>-部分的に似通った箇所がある作品に対して、その似通った場所をあげつらい、「パクリ」として批評する。</h4><h4>-男性に対して、女性的な部分を過度に強調して、「オカマ」などと蔑む。</h4><p>&nbsp;</p><p>　日常生活でも見受けられそうな短絡的な烙印付はこのくらいでしょうか。</p><p>　特に私は、趣味的な問題で一番上の「中二病」と呼ばれることは多いですね(´_ゝ`)ｸｯｸｸｸ･･</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　一番下の赤字で示している例は、もっと広義的な書き方をすることができるのですが、「日常生活で見受けられる例題」としては不適切なのでここでは記述しません。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　さて、今挙げてきた3つの例には、<span style="font-size:1.4em;">それぞれ<span style="color:#ff007d;">独立した要因</span>を持つと言えるでしょう。</span>その部分については、また別の記事にしていきたいと思います。</p><p>　今ここで主題に置こうとしているのは、<span style="font-size:1.4em;">「なぜ、短絡的な烙印付が<span style="color:#ff007d;">起きるのか</span>。また、それによってどのような<span style="color:#ff007d;">デメリットが生じるのか</span>」ということについて</span>記事にしたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>・なぜ起きるのか</p><p>&nbsp;</p><p>　前述したように、最初に挙げた3つの例では、別々の要因を持つと考えられます。とりあえず、<span style="font-size:1.4em;">このようにそれぞれの概念ごとに独立した要因については、この記事群において<span style="color:#ff007d;">「独立要因」</span>として定義しましょう。対して、<span style="color:#ff007d;">全体を通したこの現象の要因を「全体要因」</span>と定義します。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　ここでは、「全体要因」を中心に考察していきましょう。</p><p>　そのヒントとして使えそうなのは、<span style="font-size:1.4em;">上記3つの例での共通点です。</span></p><p>　前述の例から読み取れる共通点を探るのは難しいですが、前提として、<span style="font-size:1.4em;">「<span style="color:#ff007d;">特定の一部分のみ</span>しか見ていない」ということは一つの共通事項です。恐らく、<span style="text-decoration:underline;">「全体要因」の根幹がここにある</span>ことでしょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　まず、上記の例では<span style="font-size:1.4em;">「特定の一部分しか見えていない」にも関わらず、どうして烙印付けをすることができたのでしょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　「人から離れた行動」から「中二病」へ</p><p>　「似通った箇所」から「パクリ」へ</p><p>　「男性の女性的部分」から「オカマ」へ</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　どれもこれも、<span style="color:#ff007d;">不確定的な側面</span>であるはずなのに、どうして我々は<span style="color:#ff007d;">安易に</span>「中二病」だの「パクリ」だの判断することができたのでしょうか。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　ここで大切になってくる感性として、先程の例を見て<span style="font-size:1.4em;">「納得できるか」</span>です。</p><p>&nbsp;</p><p>　私個人の話をすると、中二病の例なんてとてもしっくり来ましたね。自分が烙印付をする側に回るかは別にして、<span style="font-size:1.4em;">「あー！ 確かに！」なんて思ってしまいした(*´艸｀*)</span></p><p>　一番下のオカマの例もしっくりきます。経験ありますしね(＠￣Д￣＠；)</p><p>&nbsp;</p><p>　さて、個人的な話はここまでにして、<span style="font-size:1.4em;">多かれ少なかれ<span style="color:#ff007d;">「納得」できる人は多かった</span>と思います。</span></p><p><span style="font-size:1.96em;">　これが全体要因の根底でしょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　我々はこの社会で生活する上で、人だけではなく多くのものを分類分けをして見ているはずです。</p><p>　勿論、<span style="font-size:1.4em;">「分類分けとかしてないしヽ(`Д´)ノ」</span>と思われる方も多いかと思います。ですが、冷静になって考えてみてください。</p><p>　言語というものは多かれ少なかれ、<span style="font-size:1.4em;">物質的なものを分類分けして言葉が作られているはずです。</span>例えば、なんか<span style="font-size:1.4em;">適当に本を見せられたら、「本」というカテゴリーに頭を分けているはずです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　分類分けは、我々が意識で認識するよりも、もっと原始的なところに位置しているのかもしれませんね。</p><p>&nbsp;</p><p>　話を戻して、<span style="font-size:1.4em;">先程の例に分類分けの<span style="color:#ff007d;">名前を与えてあげる</span>と、「カテゴリーから外れたもの」をひとまとまりにしている</span>ような気がします。</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ちょっと常識から外れた、所謂電波っぽい人及び行動のことに「中二病」という名前を与えてカテゴリーにしてしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　確証はないけど部分的に似ている内容のものを「パクリ」として、あげつらいやすいようにしてしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　特に理由はないけど、あの男の人女っぽいから「オカマ」として、はけ口にしてしまう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　すべて本質的な根は同じように思えます。</span></p><p>　どれもこれも、<span style="font-size:1.4em;">許容範囲を広げて、名前の与えられた空っぽの概念です。</span>そもそも、<span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">元々の概念にそっている必要はない</span>ということがこれのミソですね。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">　元々の複雑な概念に、部分的に似せればそれでカテゴリーとして便利なものが誕生するのですから、こんなに便利なものはありません。</span></span></span></p><p>&nbsp;</p><p>　こんなに使い勝手がよいものを、人はなかなか手放すことはないでしょう。ましてや、人に何か言われたからってやめることはしないでしょうね。</p><p>&nbsp;</p><p>　では、<span style="font-size:1.4em;">そんな私を含め、短絡的な烙印付をしてしまうことを少しでも無くすために、<span style="color:#ff007d;">デメリットについて考えられそうなこと</span>を挙げていきましょう。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><h3>・短絡的な烙印付の代償</h3><p>&nbsp;</p><p>　まず、どうして「短絡的な烙印付」のデメリット、つまりは代償について考える必要があるのでしょうか。</p><p>　冷静に考えて、この代償について考えることにどれくらいのメリットがあるか、それについて明瞭にならなければあまり意味がありません。</p><p>　そこで、私が考える最たる理由として、<span style="font-size:1.4em;">このような思考を少なくするための<span style="text-decoration:underline;">合理的手段</span>であると思うからです。</span></p><p>　前述の通り、この短絡的な烙印付と言うものは、使い勝手が良いのです。加えて、それが多くの人にとって内在化されたスキーマに近いものともなっている為、それを<span style="font-size:1.4em;">咎めることが困難な状態になりがちです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　その為、このように<span style="font-size:1.4em;">デメリットについて考えることは非常に有用である</span>と考えました。</p><p>　実害を被る可能性があるのならば、それを考慮してまでこのような短絡的な烙印付けをする人は少なくとも減る可能性があります。</p><p>　少なくとも、私はこういう実利的な物の見方を提示したほうが注意しようと思うと感じます。</p><p>　なので、デメリットについて考えていきましょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">1.烙印付をした対象との接触が困難になる</span></p><p>&nbsp;</p><p>　一番最初はこれでしょう(´・ω・`)</p><p>&nbsp;</p><p>　適当な印象を抱いてとりあえず烙印をつけたものには、<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">正当な評価や見方をすることができず、本来楽しめるはずのコンテンツや、人脈を自ら狭めてしまう可能性がある、</span></span>と言うものです。</p><p>&nbsp;</p><p>　例えば、ストーリーだけ見ればあからさまなパクリと思える映画でも、その後の展開は全く異なり、自分好みのはずだったのに「パクリ」とだけ評価して、作品に触れることができず楽しめなかった、などでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>　これについては、やや想像の域を超えないということが明確さにつながりませんが、<span style="font-size:1.4em;">将来的に、本来自分が取得するはずの利益につながらない可能性というのは、建設的なものの見方をすればどれだけの被害を被っているかに気づくはずです。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　あの時、短絡的に物事を考えなければ、そんな後悔はよくあることですが、それを出来る限り減らす一つの手段として、このようなデメリットを知っておくのは良いことでしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">2.視野が狭まる</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　こちらもやや不明瞭なデメリットですが、<span style="font-size:1.4em;">短絡的な烙印付を行うことで、物事を見る視点が狭まる可能性があります。</span></p><p>　より具体的に言うと、<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">客観的に物事を見ることができなくなる可能性がある、</span></span>ということです。その理由として、特定の側面のみで物事を判断してばかりいると、<span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">その特定の側面のみを判断基準としてしまう</span>ため、複数の方向から多角的に視るということがしづらくなります。</span></p><p>　これは、字面よりも遥かに大きな問題であり、1とは比にならないほどの被害を被る可能性があります。</p><p>&nbsp;</p><p>　それは仕事の失敗でも、人間関係の失敗でも起こり得ると言っていいでしょう。</p><p>　解釈によって成立するすべての事柄に対して、危険性をはらんでいる因子を放置することになります。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　デメリットを大別すればこのくらいでしょうか。</p><p>　ネックなのはどちらも不明瞭な点ですね。<span style="font-size:1.4em;">将来的観測が非常に強く含まれているので、明確なデメリットとしてどこまで解釈できるのかは今後の課題ですね。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　この記事では、もっともらしい言葉を使いまくってますが、何度も言いますがこれはあくまでも一つの考え方です。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　より客観的な根拠を持ったものに<span style="color:#ff007d;">つながる一つのインターフェース</span>のような感じで、私自身もっとたくさんの勉強をしたいなと思っています。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　では、この話題はこの程度にして、さようならです！</p><p>　ここまでご覧になってくださった方は、ぜひぜひ他の記事でもお会いしましょう(＠´з｀＠)ﾉﾞ</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12359117192.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Mar 2018 15:02:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>POCKET BL「永久(ゆめ)だった日々 第一章-口腔の心臓」更新のお知らせ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　ここ最近このブログは更新を知らせるために存在しているようになっているので、この点については現在考え中です(　 ﾟ ▽ ﾟ ;)</p><p>&nbsp;</p><p>　今回のお知らせですが、</p><p><span style="font-size:1.4em;">　POCKET&nbsp;BLで連載をしていた<a href="http://bl-novel.jp/viewstory/index/2307/?guid=ON" target="_blank">「永久(ゆめ)だった日々」</a>の<span style="color:#ff007d;">更新再開</span>のお知らせです！</span></p><p>&nbsp;</p><p>　この作品はだいぶ前に書いていたものが手付かず状態で放置されていてしまい、なんとそれについての<span style="font-size:1.4em;">お知らせを一切していなかった</span>ので、この場を借りて謝罪をしたいと思います。</p><div><span style="font-size:1.4em;">　大変申し訳ございませんでした。</span>このようなことは、以降ないようにしていきたいと思っています。</div><div>&nbsp;</div><div>　手付かずになっていた原因については、前2つの記事を読んだ方ならなんとなく想像つくかもしれませんが、「色彩のない夢」の終章に苦しめられていたからです。それ以外にも、2017年が現実で非常に忙しい年であったことも相まって、全く更新できていませんでした。</div><div>　今年もやや忙しい年ですが、なんとか更新を続けていきたいと思っています。</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　話変わってこの「<span style="font-size:1.4em;">永久(ゆめ)だった日々」は、<span style="color:#ff007d;">初めて書く「純愛BL」</span></span>なので、拙い点がいつもよりも目立つかもしれませんが、高クオリティを目指してがんばりますので、少しでも興味を持った方がおりましたら幸いです！</div><div>&nbsp;</div><div>　ちなみに、<span style="font-size:1.4em;">この話は同サイトに投稿している「あなたの夢みた理想郷」の続編に当たります。</span>こちらの作品はすでに完結済みではありますが<s style="text-decoration:line-through;">、</s><span style="font-size:1.4em;"><s style="text-decoration:line-through;">完結しているのに</s><span style="color:#ff007d;">大量の誤字脱字</span>が残っているので、現在修正中です！</span></div><div>　この過去作は、自己評価をこの作品で行っていて、作品概要がサラッと読むことができます。興味がある方はぜひ下記のリンク先をどうぞ御覧ください(＠´з｀＠)ﾉﾞ</div><div>&nbsp;</div><div><span style="font-size:1.4em;">→　<a href="https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12334072260.html" target="_blank">「あなたの夢みた理想郷」 自己評価</a></span></div><div>&nbsp;</div><div><span style="font-size:1.4em;">→　<a href="http://bl-novel.jp/viewstory/index/1362/?guid=ON" target="_blank">POCKET BL「あなたの夢みた理想郷」</a></span></div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　本作品では、<span style="font-size:1.4em;"><span style="color:#ff007d;">「あなたの夢みた理想郷」の考察</span>が作中でなされる予定なので、</span>読んでくださった方は普通に読むよりもっと楽しめると思われます。ぜひ、先にこちらの作品を御覧くださいませ(*ﾉω・*)</div><div>&nbsp;</div><div>　自分で言うのも何ですが、あの作品は異常に読みにくいので、修正は必須とみています。時間が空けば少しずつ加筆修正をしていきたいと思っています！</div><div>&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　ここまで怒涛のお知らせ連発に、正直自分でも嫌になっているので、<span style="font-size:1.4em;">これ以降の記事に関しては「雑記」に傾倒するかもしれませんが、</span>ぜひぜひ多くの人の目についていただければ嬉しい限りです。</div><div>&nbsp;</div><div>　では、次の記事で会えることを楽しみにしております。ではでは、さような〜о(ж＞▽＜)ｙ&nbsp;</div><div>&nbsp;</div><div>　</div>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12358716097.html</link>
<pubDate>Thu, 08 Mar 2018 23:35:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>Feard「色彩のない夢 第6章：モノクロの夢の先」更新のお知らせと今後の展望</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　少し間を明けて投稿ですねA=´、｀=)ゞ</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　<a href="http://mystery-novel.jp/viewstory/index/451/?guid=ON" target="_blank">Feard 「色彩のない夢 終章：モノクロの夢の先」</a>の更新が完了しました！</span></p><p>&nbsp;</p><p>　<span style="font-size:1.4em;">本作はこの第6章にて終章となります！ <span style="color:#ff007d;">今までご覧になってくださった方々、レビューを書いてくださったお二方、誠にありがとうございます。</span>この場を借りてお礼申し上げます(　 ﾟ ▽ ﾟ ;)</span></p><p>&nbsp;</p><p>　前回の記事では「色彩のない夢」5章の更新を告知するものでしたが、そのときには既に終章もある程度書き溜めしていたので、比較的早めの更新となります！</p><p>　内容としてみれば中編程度の内容ではありますが、<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">それで2年も時間をかけてしまったこと</span></span>をお詫び申し上げます。</p><p><span style="font-size:1.4em;">　本当に申し訳ございませんでした。</span></p><p>&nbsp;</p><p>　本作品は一応「ホラー」というジャンルで書いているのですが、私は怖い話を書くことにあまり慣れていないので、<span style="font-size:1.4em;">「怖くねー！！(# ﾟДﾟ) 」と感じた方も多い</span>と思われます。</p><p>　こういうことについても、<span style="color:#ff007d;"><span style="font-size:1.4em;">誠に申し訳ございませんでした。</span></span>ここに来てまさかのジャンル詐欺になってしまう可能性を提示するのはなかなかに最低ですが、それでも話としてはある程度まとまった内容になったと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>　本編をご覧になってくださった方であれば、もしかしたらピンときている方もいるかもしれませんが、<span style="font-size:1.4em;">最後の鬼門であった<span style="color:#ff007d;">第6章はホラーゲーム「死印」</span>をモデルにしています。</span></p><p>　当該作品を知らない方はすぐにでもPVをご覧になっていただきたいほど、私は「死印」という作品が大好きです。</p><p>　「死印」は、怪異との戦いをかなりJホラー的に描かれた良質な作品でして、怪異との戦闘が苦手な私にとっては天啓のようなものでした。後半はオマージュと言い切れない部分がありますが、それでもリスペクトした形にすることができたと自負しておりますo(〃＾▽＾〃)o</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>・今後の展望</p><p>&nbsp;</p><p>　今回で「色彩のない夢」は完結するのですが、今後どのような展望をしていきたいかを完結にまとめます。</p><h3>1.<a href="http://bl-novel.jp/viewstory/index/2307/?guid=ON" target="_blank">POCKET BL「永久(ゆめ)だった日々」</a>の更新</h3><p>　とりあえずは一番最初でも提示した、この作品についての更新を中心にしていきたいと思います。</p><p>　半ば本編である「色彩のない夢」をメインにしすぎたため、<span style="font-size:1.4em;">完全に存在が消えていたというひどい有様ですが、</span>こちらもプロットは既に存在しているので、それにそって書いていきたいと思います。</p><h3>2.カクヨム・小説家になろうでの活動</h3><p>　私は現在、POCKET BLとFeardを主にしていますが、アカウント自体はどちらも存在しているので、<span style="font-size:1.4em;">この2つのサイトでもお話を書いていきたいと思います。</span></p><p>　勿論「永久(ゆめ)だった日々」がメインになると思うので、決まり次第こちら側で告知させていただきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:1.4em;">　ツイッター・ブログ共々告知から大分時期がずれてしまうことも多々あり、申し訳ない気持ちで一杯です。</span></p><p><span style="font-size:1.4em;">　しかし、多くの方にご覧いただき嬉しい気持ちで一杯でもありますо(ж＞▽＜)ｙ ☆</span></p><p>　これからもお話を書き、色々な人に読んでいただければ私は幸せです！</p><p>&nbsp;</p><p>　では、「色彩のない夢」をご覧くださった方々、<span style="font-size:1.4em;">沢山のプレビュー、拍手、レビュー、果てはピックアップ、誠にありがとうございます！</span></p><p>&nbsp;</p><p>　次の作品でお会いしましょう(*ﾟ∀ﾟ人ﾟ∀ﾟ*)━♪!</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/miyabi-hurui/entry-12358194563.html</link>
<pubDate>Wed, 07 Mar 2018 01:13:45 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
