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<title>中国ビジネス　コネ作り</title>
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<description>中国ビジネスでは、日本の常識で起業をすると、どんなに技術やアイデアがあっても成功することは難しい。コネでカネを得、そのカネでさらに大きなコネを掴む。求められるのは柔軟性と勇気だけ。最速成功ノート。</description>
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<title>充実感</title>
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<![CDATA[ <p>充実感とは何かということですが、</p><p>これは感覚的なことなので、よくわかりません。</p><p>目の前の人が「充実している」といえば、</p><p>私はそうとらえますし、「充実している」</p><p>という割にはネガティブな話が多いと、</p><p>その人は無理をしているなと考えます。</p><br><p>まず、お金と充実に関してはっきりさせておきたいのが、</p><p>充実している＝お金がある状態とは違います。</p><p>むしろ、対極になると思った方が良いのではないかと</p><p>考えます。これは多くの人の頭を困惑させてしまうかもしれません。</p><br><p>例えば、一流企業で一流の給料をもらっている人が</p><p>人間関係の悪化で仕事を辞めたいと思ったとします。</p><p>これは、職場に充実感がないからですね。</p><br><p>借金生活でとび職をしている方が、</p><p>「現場ではなくて、専務になってほしい」</p><p>と社長から昇進を誘われ「いいえ、僕は現場に幸せを</p><p>感じていますので、お断りします」と答えている</p><p>としたら、その方の日々は充実感でいっぱいでしょう。</p><p>借金の苦痛より、やりたいことがやれている充実感の方が</p><p>勝っているからです。</p><br><p>お金は、時として人が本当にやりたいことを</p><p>する時、それを妨げる魔女的働きをします。</p><br><p>充実とは、お金に左右されない要素から成り立っているのです。</p><p>「金銭の正当な対価」と混同されがちですが、</p><p>仕事から正当な対価をもらっていても、娘がグレて</p><p>父が鬱になり、帰宅しては妻が飲んだくれている状態では</p><p>充実した毎日とは言えないのではないでしょうか？</p><br><p>天職だと思った仕事が歌手で、多くの人が聞いてくれ、</p><p>それに見合った収入、地位が与えられても、</p><p>プライベートが寂しいものだと辛いでしょう。</p><br><p>逆に今プライベートがどんなに充実していても、</p><p>正当な対価無しにはそれが続きません。</p><p>人は生きている限り、生産し、消費していくのですから。</p><br><p>次はお金と精神のバランスについて書いていきます。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/miyaotakushi/entry-10514756117.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Apr 2010 08:29:44 +0900</pubDate>
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<title>精神的な充実感</title>
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<![CDATA[ <p>前回、金銭的に正当な対価について触れましたが、</p><p>これはようやくすると、「頑張った分だけのお金がほしい」</p><p>という欲求です。</p><br><p>人は、経済的に豊かな暮らしをしたいと思うのが普通なので、</p><p>その正当な対価が得られている状態で、「お金がない」</p><p>というのは通常あり得ません。</p><br><p>高級服をたくさん買ったり「あれもこれも」と大人買いをする行為は、</p><p>仏教的観点から言わせるとダメなのでしょうが、</p><p>私は、そこまでの人徳者でもありませんし、</p><p>お金は使わないとただの紙切れなので、</p><p>色んな物が欲しいという欲求は悪くないと考えます。</p><br><p>しかし、度が過ぎた購入も全て「自分への正当な対価（ご褒美」</p><p>となってしまいます。つきつめれば、私もしくはあなたが、</p><p>「頑張ったんだから買ってもいい」と思うからその行為が成り立つのです。</p><p>どれだけ好きな物が目の前にあっても「これを買ったら生活していけない」</p><p>と心の底から思ったら買いません。買えません。</p><p>沢山買ったら、自分が必要とするお金が増えるので、</p><p>給料を増やさなければなりません。だから一生懸命働く。</p><p>これによって個々の正当な対価が段々と上がっていき、</p><p>社会的に見れば、経済が潤っていくのです。</p><p>日本の高度成長期を支えていた精神は様々ですが、</p><p>個人レベルを突き詰めるとあながち外れていないはずです。</p><br><p>さて、高度成長期時には、食べること、住むことの確保が</p><p>そのまま精神的な充実感を与えていました。</p><p>しかし今、生まれながらにして食あり家あり水洗トイレありの</p><p>物質で満たされた社会では、新たな充実感を求めなければいけません。</p><br><p>正当な対価を得ても、使う先が無い、家に引きこもってカドで体操座りを</p><p>しているような毎日だと、幸せとは言い難いです。</p><br><p>日本人の１０人に１人、９、８、７人に１人は鬱だと、年が経つにつれ</p><p>鬱患者数は増えていますが、私の周りの人をみる限り、</p><p>鬱に陥っている人はもっとたくさんいるように感じます。</p><p>バリバリ仕事している人も、豪邸に暮らしている人も鬱になります。</p><p>金銭面だけでは幸せになれないことを物語っています。</p><br><p>よく心療内科だとかメンタルクリニックに通っている人の相談を受けますが、</p><p>私は極力勧めません。鬱が起こるのは、日々の生活の中に「充実感」</p><p>が無いからであり、「充実感」があれば発生しないからです。</p><p>病院に行くことに充実感を見いだせればそれにこしたことはありませんが、</p><p>「治す」または「うまく付き合っていく」ことを目的とした場所なので、</p><p>「充実感」を探そう、持とう、という場所ではないからです。</p><br><p>では充実感とは何か、ということを次回書いていきます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/miyaotakushi/entry-10507678974.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Apr 2010 20:19:49 +0900</pubDate>
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<title>金銭的に正当な対価</title>
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<![CDATA[ <p>幸せを構成する金銭的な要素として</p><p>何故「有り余るお金」ではなく「正当な対価」なのでしょう。</p><br><p>まず第一に、すごいお金持ちになりたい！と思ってる人は、普通はそれだけの仕事をします。</p><p>何もせず、食って寝て起きたら毎日１００万が口座に入ってきたらどうでしょうか？</p><p>最初は嬉しいかもしれません、欲しいもの買って、家族に分け、</p><p>恋人なんかもできちゃったりするかもしれません。</p><p>しかし、「納得感」は得られないはずです。</p><p>どう考えたって努力してないのに、打出の小づちみたいに</p><p>お金が入ると、段々と後ろめたさを感じてしまうはずです。</p><p>「後で何かバチが当たらないだろうか？」</p><br><p>更には不安も襲ってきます。</p><p>「いつまで続くんだろう。明日からストップするんじゃないか？」</p><p>「誰にもこの事実がバレてはいけない」</p><p>という後ろめたさも湧いてくるはずです。</p><br><p>それは、人は自分が何かを犠牲にせず、何かを得ることに</p><p>満足できないようになっているからでしょう。</p><br><p>エジプトではナイル川という有難い水資源があり、</p><p>「ナイルの賜物」と言われています。</p><p>あくまでギフトの和約ですが、賜物と言われるからには、</p><p>それ相応の努力をしたのだと思います。</p><p>「水よ貯まれ」と願うたびに川ができたら</p><p>何かいい加減申し訳なくなってくるはずです。</p><p>逆に何百人で毎日毎日ひたすら祈り、</p><p>やっとのことで川をプレゼントされたら、</p><p>「神様ありがとう」と同時に「祈り続けて」</p><p>良かった、と対価を素直に受け取ることができます。</p><p>地下鉄で人がこけそうになったご老人を腕で引っ張り</p><p>助けたとしましょう。もしそのご老人が</p><p>「ありがとう。つまらんものだが、」</p><p>と１億円くれたら「助けて良かった」と素直に思えないはずです。</p><p>「マジで！」という安易な気持ちで受け取ってしまったら、</p><p>日が経つにつれ罪悪感や虚無感にさいなまれることでしょう。</p><br><p>ですから、お金が欲しいというのは、</p><p>何かを買いたい、ということよりも、</p><p>自分の存在意義を感じるために現れる欲求です。</p><p>人はお金を使い、正しい対価物を得ることで喜びを得ることができますが、</p><p>それよりも、自分が頑張った分だけの正しい対価としてお金を得るという、</p><p>この現象そのものに喜びを感じるのです。</p><br><p>次は精神的な充実感について書きます。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/miyaotakushi/entry-10501126507.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Apr 2010 23:52:19 +0900</pubDate>
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<title>幸せ</title>
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<![CDATA[ <p>幸せというのはやっかいです。</p><p>形が無いですし、幸せが来ても、中々感じにくいものです。</p><br><p>あの時は「幸せだった」という言葉をよく耳にします。</p><p>そう言っている人は、その時だいだい辛い思いをしていると感じでいます。</p><br><p>「幸せだ！」と言う人も（少ないですが）います。</p><p>１．無宗教の人が勉強のためにと宗教本を読んで共感した時、</p><p>２．恋人の愛らしい瞬間を見たとき、</p><p>３．恋人に「私と一緒にいて幸せ？」と繰り返された時、</p><br><p>三番目は仕方ないとしても、難しいのは、その幸せ（感）が</p><p>中々持続しないことにあります。</p><br><p>１．も２．も現実社会ですが、それぞれには</p><p>また別の現実もあります。社内、親子、夫婦、友人、自分自身。</p><br><p>外でどんなにハッピーな一日を過ごせたとしても、</p><p>家に帰ったら妻から無視、息子からは冷ややかな目、娘からは臭い</p><p>と言われる毎日だったらどうでしょうか？</p><p>きっと、幸せ（感）というのは、瞬間ではだめで、</p><p>持続性が必要なのでしょう。</p><p>千日回峰行を二回もしたことで有名な酒井大阿闍梨は幸せについて</p><p>「今、今、今」と、今この瞬間に幸せを感じると述べています。</p><br><p>夢が達成できたら、幸せな日々を送れると思うから、</p><p>夢を設定できるのです。</p><p>逆に、夢が無い人は、例え夢を達成しても幸せになれないと思うからです。</p><p>「今のままでいい」と心の底から言える人は、既に幸せなわけですから、</p><p>夢を設定する必要はありませんが、私はそんな人に会ったことはありません。</p><br><p>夢を持ちにくい時代になったと言います。</p><p>確かに物は溢れ、大げさな物で無ければ大概の物は努力して買えます。</p><p>昔は食べたくても食べれない時代だったと言いますから、</p><p>「食べれる生活」が夢だった人も大勢いると思います。</p><p>夢が自然に湧いてくるので、ひねり出すように考えなくても済むのです。</p><br><p>人は、目先の目標なら大抵持っています。</p><p>「昇進したい」「旅行したい」「恋したい」</p><p>しかしそれらは夢を支える個々の要素であって、</p><p>人生全体を支えることはできません。</p><p>また、個々の目標を並べ立てて夢を設定することは至難です。</p><br><p>しかし、共通していること二つあります。</p><p>一、精神的な充実感です。旅行や恋への欲求も、想像という精神に作用します。</p><p>二、金銭的に正当な対価です。労働に対し、正しい収入が欲しいという思いです。</p><br><p>二、については次回説明します。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/miyaotakushi/entry-10501094876.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Apr 2010 23:21:39 +0900</pubDate>
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<title>貨幣と社会心理学</title>
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<![CDATA[ <p>今日は母の誕生日ということで、ブログを始めました。</p><p>主に精神的なことを書き綴っていきたいと思います。</p><p>だいだいにおいて「主観的」な見地です。</p><br><p>以下、広辞苑より抜粋</p><br><p>「貨幣」</p><p>商品交換の媒介物で、価値尺度・流通手段・価値貯蔵集団の三つの機能を持つもの。</p><p>本来はそれ自身が交換されるものと等価な商品で、昔は貝殻・獣皮</p><br><p>「社会心理学」</p><p>心理学の一分野。</p><p>社会的環境の中で個人や集団がどのような行動を示すかを研究する学問。</p><br><p>とまあこんな感じです。</p><br><p>つまり「貨幣」＝カメレオンみたいな存在ですが、ようはお金ってことですね。</p><p>「社会心理学」＝そのままです。ストレス社会が問題視されていますが、</p><p>　　　　　　　　　　　生きてる限りそれは永久不変でしょう。</p><br><p>もし突然あなたが将来の夢は？と聞かれたら何と答えますか？</p><p>「宇宙飛行士になりたい！」と本気で思っている人はこのブログを</p><p>見るはずがありませんが、「～～～になりたい！」という無数の答えは、</p><p>全て「幸せ」になるための手段だという考えからです。</p><p>「奴隷」になりたいという人はいないでしょうし、</p><p>仮にそういう人がいたとしても、それはそれに幸せを感じるからです。</p><br><p>次回は幸せについて書いていきます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/miyaotakushi/entry-10501059583.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Apr 2010 22:51:28 +0900</pubDate>
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