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<title>佐藤 瑞樹 Offical Blog</title>
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<description>From Mizki（執筆業）</description>
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<title>ahead 誌 ☆</title>
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<![CDATA[ 2013年10月発売のahead 誌に、女性のレース参戦についてのコメントを寄稿しました。お時間ございましたら是非ご覧くださいませ。(※このブログはマイケルへのコメント用として執筆。その後 更新しておりませんでしたが、最近 再開することにいたしました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。)
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<link>https://ameblo.jp/mizk-5/entry-11631039702.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Oct 2013 11:53:50 +0900</pubDate>
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<title>マイケルの心とアメリカの時代／Mizki</title>
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<![CDATA[ ＜マイケルの心とアメリカの時代／<br>マイケルジャクソンとフィンガー５＞ <br><br>マイケルが、死んでしまったらしい。 ・・・本当なのだろうか？ <br>信じられないし、信じたくない。 <br><br>●アメリカ／LAからの帰国子女の私にとって、 <br>マイケルは 特別な存在の人だった。 <br>彼を初めて知ったのは、私がまだ４歳の頃。 <br>ものごころがつくかつかないかという時、 <br>彼は『ジャクソン５』という兄弟バンドの リードボーカリストとして、 <br>アメリカでは大スター。すでに 有名な存在だった。 <br><br>私が日本に帰国した頃、(70年代) <br>彼らの音楽が日本では違った形で有名になっていて、 <br>驚いたことを記憶している。 <br>昔、日本で フィンガー５というグループが流行っていた。 <br>『個人授業』や『恋のダイヤル６７００』という曲を 歌っていた 歌手で、<br>ご存知の方も多いと思う。 とてもいい曲を歌う彼らを見て、 <br>小学生だった私はすぐに大ファンになった。 <br>歌い方が少しマイケルに似ているなあと思いながら、 <br>友達からアルバムを借りた。 <br><br>・・・聞いてビックリ！！ <br>なんと彼らのアルバムの中におさめられていた曲は、 <br>ほとんどが ジャクソン５の 日本語版、つまりコピーだったのだ。 <br>歌い方も同じ、コンセプトも同じ。 <br>『ABC』や 『ベンのテーマ』、 『I'll Be There』 <br>『I want you back』などが、 日本語になっていて、<br>ものすごいショックを受けた。 <br>（ぜんぜん違う訳で、 替え歌バージョンのように なっていた歌もあった。）<br>ジャクソン５のお兄ちゃんたちが、 フィンガー５の中では、<br> 一夫、まさお、といった名になっていた。 <br>あきらくんという、トンボのようなサングラスをかけた <br>小学生のボーカリストの男の子の歌唱力も素晴らしく、 <br>マイケルに ひけをとっていなかった。 <br>ずっと日本にいるうちに、 いつの間にか私は <br>ジャクソン５よりフィンガー５に夢中になり、 <br>日本にはジャクソン５の情報が ほとんど入ってこなかったこともあって、 <br>マイケルとは距離ができてしまった。 <br>ジャクソンズという名前でshake your bodyという曲が <br>流行っていた時期もあったが、<br>その頃はマイケルよりお兄さん達のほうが <br>目立っていたような気がする。<br><br> ●・・・それから数年後。 <br>日本のテレビコマーシャルで、黒人の青年が歌う、 <br>"Don't Stop 'Til You Get Enough"という曲が 流れるようになった。 <br>最初、誰が歌っているのかも意識せず、 <br>ただ単に 『いい曲だな』と思っていた。 <br>その曲が、マイケルのソロの曲だと知って驚いた。 <br><br>大人になって現れたマイケル。 <br>白いジャケットを着ていて、ステキな男性になっていた。 <br>ムーンウォークというダンスステップが 有名になったのも、  <br>この頃だった。 その後の『スリラー』の大ヒットで、 <br>マイケルは日本でも有名になった。 <br>私はその後発売された、 <br>”Men in the miller” が大好きになった。<br> (『世界を変えるなら、まず鏡の中のこの男から』 という内容の歌詞で有名) <br><br>”moon waker” という、ライブをミックスしたビデオ集が 発表され、<br>それが ものすごく良くて、 大ファンになった。 <br>日本ではスリラーばかりが注目されていたが、 <br>"moon waker"の ビデオの１曲目の、 <br>ライブの"men in the miller"に ノックアウトされてしまった方も多いと思う。 <br>"Bad"のPVで ちびマイケルが出てきたり、 <br>うさぎのキャラクターと一緒にダンスしたり、<br>つま先立ち禁止の標識が出てきたり。<br>あのビデオは 大変 完成度が高かった。<br>他にも彼の作品には多数、素晴らしいものがある。<br>remember the timeのPVなども、今見ても古さを感じない。<br><br>ジャクソン５を知らなくても、 マイケルジャクソンの名は知っている。 <br>・・・日本で 彼は、そんな存在になった。 <br>対して、アメリカでの彼は、 <br>『ジャクソン５の小さな男の子が、 大人になってソロデビュー』 <br>という位置づけ。 そういう認識の人が多かったと感じる。 <br>だから今回の彼の死は、<br>彼とともに人生を過ごしてきたアメリカ人にとって、 <br>本当に大変なことなのだ。   <br>...........<br>●ここ20年くらいのマイケルには、 <br>整形や事件で、 なんとなく変な印象があったように思う。 <br>世間で騒がれていたことも 本当だったかどうかはわからないが、 <br>裁判になってしまい、相当なストレスが あっただろう。 <br>あれだけの スーパースターだったわけだから、 <br>おかしな人も 周りに 沢山よってきたと思う。 <br>彼自身も、もしかすると精神を病んでしまったのか？ <br>それとも、まわりの嫌がらせが ひどく、 <br>その人達によって真実ではない評判をたてられたのか？ <br>今となっては真実を知る術は、ない。 <br><br>●彼が自分自身の軸を持つことができなかった その原因は、 <br>なんとなくだが、 黒人社会と 白人社会の間の 葛藤だったように感じている。 <br>（当時、家族の関係に大きな問題をかかえていたと聞いた。 <br>元々あまり信頼関係がない所に、 <br>彼が小さな頃、父親や兄が、ライブツアー中に <br>ファンの女の子達に対してやっていたと書かれていたことは、 <br>もしそれが真実で、私が同じ立場にたったとしたら、 <br>いかなる理由があったとしても 許すことはできないだろうと<br>感じた質のことだった。） <br>..........<br>●日本にいると見えにくいことかもしれないが、 <br>アメリカには今でも、厳然たる人種差別が存在する。<br> (ちなみに衛星放送などで海外のドラマを見ると、 <br>今でもひんぱんに、そういったことに関連する話が出てくる。) <br><br>それは 現地に住んでみないと、 なかなかわからないことかもしれない。 <br>お客さんで やってくる外国人には、 決して見せない、 <br>欧米社会の一つの側面。 <br>昔に 比べれば ずいぶんなくなったとはいえ、 <br>人種差別は今でも世界中のあちこちで感じることができる。 <br>マイケルもまた、そんな人種差別の中で苦しむ、 WASP以外の人間だった。<br>..........<br>●マイケルは ソロになった時から、 <br>マネージメント会社が変わったと聞いた。 <br>整形して肌が白くなった頃から、 <br>黒人社会、そして 自分の家族、兄弟たちと、 <br>心、はなれていったとも聞いた。 <br><br>親との関係に問題があり、 自分が父親に似てくるのを、<br>とてもいやがっていたという 記事を見たことがある。<br>兄弟からの ねたみ そねみに関することも、 <br>本当のことなのかどうかは <br>本人に聞いたわけではないので 事実を 知らない。 <br>でも、当時、他の兄弟に 裁判を起こされたという記事が、 <br>あちこちの 雑誌に 書かれていた。<br> <br>白人からは 商業的に 利用され、 <br>かといって成功しすぎたことで 家族との関係も良くなく、 <br>黒人社会に戻るにも、 <br>自分の居場所、安心して一緒にいられる人たちを、 <br>失っていたように見える。 <br><br>●そうした さまざまな 背景の中、 <br>彼が”白人”になろうと努力していたのは、私には違和感があった。 <br>最近の彼の肌の色は、私が昔知っていた彼の、 それではなかった。 <br><br>整形手術を繰り返したのは、まるで、<br>愛を求めて 自分以外の何かになろうとしていた作業のように見えた。 <br>キズつきやすい彼の内面を　隠すための、 一つの手段だったのだろうか。 <br>心の奥底に、人種差別に対するトラウマを <br>しまいこんでいたようにも感じられた。 <br>（欧米に住んだことのある有色人種の方なら、 <br>『それ』は誰もが感じた経験を持っていることでしょう。） <br><br>●白人・・・中でもWASPになろうとする者の心の中に、 <br>自分に対する自信のなさのようなものを感じるのは、 <br>気のせいではないと思う。 <br>日本人が 外国人のマネをすることも、 <br>心の奥底にある自信のなさがうかがい知れる。 <br><br>例えば、日本の若い女性の中に、 髪を染め、 <br>極端に まつげを長くしてみる者がいる。 <br>外国人の目から見れば、それはまるで、 <br>黒いカラスがカラフルな羽をつけようと、 <br>悲しい努力をしているかのよう。 <br>男性が、アメリカ人のマネをしているのも同様。 <br>本物の欧米人の迫力に対し、かなり違和感がある。 <br>LAの道路の真ん中で、 そのような いでたちの東洋人を見るたび、 <br>外国人になれるわけではないのに、 何をやってるんだろう？と、<br>いつも感じていた。 <br><br>欧米の人からの観点では、そんな人たちを、 <br>美しい東洋人として扱わない。  <br>東洋人には東洋人の美しさがあるのだ。 <br>彼らはそこには敬意を払ってくれる。 <br>そしてまた、プラック（黒人）にはプラックの美しさがある。 <br>でも、マイケルの子供時代は、 <br>そのことを人前で大きな声で言える時代背景はなかった。 <br>.........<br>●１ドル３６０円の時代。 <br>白人と黒人は、友達になるだけで評判が悪くなった。 <br>東洋人である私も、LAのディズニーランドに行けば、<br> 同世代の子供に『ジャップ！』と罵倒された時代だった。 <br>そんな空気の中で、自分だけが強くあろうとするのは、 <br>困難が大きすぎたことだろう。 <br>マイケルは そんな中で、 大スターとしての地位を確立していった、 <br>20世紀後半の、音楽界の シンボルだった。 <br>...........<br>●少し話がそれるが、 日本でも、<br>欧米の会社のものごとのやり方が良いと信じて、 <br>自国の 文化的背景を無視し、 <br>成果主義を 導入することが 流行った時期があったと思う。 <br>そこにも 何か、人の心の動きが、 根底に流れているような気がする。 <br><br>その心の動きとは、白人文化が良くて、 <br>有色人種は良くない、というものの考え方。 <br><br>●人間には、差別意識というものがある。 <br>それは例えば男は女よりえらいとか、 <br>都会が田舎よりすごいとか、 白人は黒人よりすばらしいといったもの。 <br>私は世界中でいろいろな人種差別を目の当たりにしてきたが、 <br>レース界、テニス界、ビジネス界、そして音楽界、 <br>その他の業界・・・皆、口にこそ出さないが、 <br>今でも 差別が皆無だとは 言えないように感じる。 <br><br>オバマさんが当選したことや <br>ルイスハミルトンがF１でチャンピオンになったのは <br>本当に驚異的なことだが、 完全に文化が変わったわけではない。 <br><br>●そしてそれは、私にとっては 良いことでも悪いことでもない。 <br>ただ『そのような差別が存在している』と <br>認識しておくことが重要だと思っている。 <br>そのことを わきまえていれば、 <br>いろいろな面で物事を進めるのがスムーズになると考えている。 <br><br>90年代、私が仕事で 欧米のレース界、 <br>２輪のF1にマネージャーとして参入することになった時、 <br>自己主張はしっかりしたとしても、 <br>現地での態度に注意しなくてはならない、 <br>大きな顔をする振る舞いは控えておこう、 <br>自分たちが日本人だということを<br>忘れないようにしようと 考えていた。 <br><br>なぜなら、あの場所は彼らが長い時間をかけてつくってきた、 <br>日本でいう大相撲の世界のようなものだ、と 思ったから。 <br>不思議なことに、そんな風に 考えながら行ってみたら、  <br>すんなり受け入れてもらえた。 <br><br>（今にして思えば、もしも無理して欧米人になろうとして、 <br>彼らと同じ態度でも とっていたら、 <br>仲間に入れてもらえなかったかもしれない。） <br><br>男女の差別、学校の差別、地域の差別だって、<br>それは同じ。 『差』を、否定しなければ良いのだと思う。<br><br> ●対して マイケルの人生は、<br>その『差』を否定し続けたものに見えてしまう。 <br>黒人として生まれた自分を、白人にしようとしたあげく、 <br>体調をくずして、自分をダメにしてしまった。 <br>たびかさなる整形によって、<br>感染症にかかったというニュースは、記憶に新しい。<br>今は、そんな彼が　かわいそうでならない。 <br><br>（鏡の中の自分に見える、<br>黒人の父親も 否定したかったのだろうか？<br>そんな彼の気持ちを考えると、とてもつらくなる。）<br>............<br>●マイケルがこの世を去ってしまったことで、 <br>アメリカの時代も去ってしまったのだろうか。 <br>モータウンの時代、ベトナム戦争の時代、 <br>アメリカとハリウッドが、世界のナンバーワンとして、 <br>世界中の人々から憧れられていた時代・・・。 <br><br>私の心の中の、子供時代のアメリカも、<br>なくなってしまったような感じがしている。<br>彼が亡くなったことで、ものすごい空虚感を感じている。<br>こんなにショックを受けるとは、自分では想像していなかった。<br>...........<br>●世界同時不況の昨今、 世の中の 価値観も、 <br>人々の心も、大きな変化の時期を迎えている。 <br>これからどこに向かっていったら良いのか、 <br>時代の方向性を 失っているように見える <br>アメリカと同じように、 <br>マイケルも人生の方向を 失っていたのだろうか？ <br><br>何年か前には、プロヂューサーとも ぶつかっていたと聞いた。 <br>コンサートをやると言ってしまったのに、 <br>体調が悪く 準備も大変で、 <br>プレッシャーと ストレスに <br>押しつぶされてしまったのだろうか？ <br>............<br>●私にとってマイケルは、もう歌わなくても踊らなくても、 <br>ただ会って皆の前で話してくれるだけで、 <br>力づけてくれる、うれしい存在だった。 <br><br>彼は子供の頃から世間の注目にさらされ、 <br>非常に大きなストレスを受けてきたと考えられる。 <br><br>激しい人種差別の時代に、白人と黒人の両方の間にはさまれ、 <br>注目をあびることは 大変なことだったろう。 <br><br>本人の立場になってみれば、 神様のもとに召されて、 <br>安らかな気持ちになっているのかもしれない。 <br>今はただ、信じられない気持ちでいっぱい。 <br><br>でも、もし マイケルが 天に召されて、 <br>世界中の言葉がわかるようになっているならば、 <br>彼に 伝えたいことがある。 <br><br>・・・マイケル、沢山の思い出を、 本当に どうもありがとう。 <br>アメリカでの青春を、ありがとう。 <br>心の中にいてくれて、ありがとう。<br> I love you forever, and Rest In Peace... <br>**********************************************<br>＜佐藤瑞樹／Mizki-Kao-Sato＞ <br><br>●執筆業。講演・講師。<br>元・女性 2輪レーサー、4輪レーサー。元・女優。<br><br>イラストレーター、<br>医療コーディネータ、カウンセラーとしても活動。<br><br>帰国子女。実家が会計事務所を経営していたことから、 <br>幼少の頃より政治・お金にまつわるさまざまな出来事を経験。<br><br>アメリカにて、軍事訓練に似た  人間教育プログラム、<br>経営者向け勉強会に 多数参加。研鑽を積む。<br><br>神奈川大学卒。横浜市 在住。<br>*************<br>●学研『レディスバイク』他、バイク雑誌連載、<br>『サンケイスポーツ』他 新聞連載、 <br>マガジンハウス『ダ カーポ』他、コラム連載執筆、<br>角川書店『ウィリー』連載執筆、 <br>講談社・週刊 コミック『モーニング』コラム連載執筆、<br>その他、多数の 雑誌・新聞などで連載執筆。 <br>..........<br>●12歳の時 父 死去。出生時 母 死去。<br>幼少時から人間についての探究心を持ち、<br>'87年より アメリカ・サンフランシスコ、<br>LAにて、数々のself helpプログラム、<br>軍事訓練 (崖から飛び降りるプログラム) などの、<br>アメリカ人経営者向け勉強会を 多数経験。<br><br>●'82年、富士スピードウェイ・２輪ロードレースデビュー。<br>'84年、350ccクラスにて男性ライダー185人中、<br>唯一の女性ライダーとして予選ヒートレース １位、決勝レース２位。<br> '84年、350ccクラス・年間ランキング５位。クラス昇格。<br><br>上記レースが きっかけとなり、<br>レース参戦記・コラムを 多方面の雑誌・新聞他に 連載執筆開始。<br> <br>'84年、日本人女性として初めて、<br>250ccクラスの純レーシングマシン・TZ250にて、全国のレースに参戦。<br><br>'84年より10年間、ホンダVFRにて、夏の鈴鹿４時間耐久レース出場。<br>日本テレビ『ズームイン朝！』、<br>TBS『スポーツ＆ニュース』特集 他、<br>数年に渡り TV スポーツ特集番組など 多数出演。<br><br>'85年、マツダスピード、マツダ株式会社、マツダオート東京と契約。 <br>4輪レースデビュー。国内A級ライセンス取得。<br>４輪・富士フレッシュマンレースP1600クラス、最高位・予選６位。<br>（86年まで ２輪レースと両方同時、２年間参戦。）<br><br>'86年、国際A級 女性レーサー・<br>井形マリが監督する、チームマリと、<br>メカニカルサポート・<br>エンヂュランス・レーシングチームにて、鈴鹿４時間耐久レース参戦。<br>井形マリの妹、井形とも と 組み、<br>耐久レース史上・初の女性ペアとして参戦。<br><br>'87年 夏、病に倒れ手術、入院。<br><br>'87年 秋、フジTV 学園ドラマ『河田町工業高校』、<br>英語教師・伊集院先生役にて、女優デビュー。<br>半年間、女性レーサーの英語教師役として、レギュラー出演。<br>『なるほど・ザ・ワールド』 他 出演。<br><br>'88年、番組終盤に 再び 病に倒れ、２度目の手術、その後 長期入院。<br>その体験をもとに、病に悩む方々へのサポートを目指し、<br>日本医療コーディネーター協会・認定カリキュラム参加。<br><br>'88年、バイオレンス小説・ファントムシリーズ、<br>作家、故・竹島将氏に 師事。<br>校正アシスタント 及び、竹島氏が主宰していた<br>２輪WGPチーム、チーム竹島・運営アシスタントを経験。<br><br>’89年～'91年、本田技研工業株式会社と契約。<br>女性オートバイレーシングチームを結成。鈴鹿４時間耐久レース参戦。<br><br>'92年、世界グランプリロードレース (２輪のF1)、 マネージメント業・開始。<br>ヨーロッパ各国の現地ファクトリーチームと契約。<br>WGP 500ccクラス 運営マネージャーとして、世界16カ国 ６年間転戦。<br><br>'94年、鈴鹿４時間耐久レース・NK4クラス参戦、唯一の女性として完走。 <br><br>2000年 8月、カートレース・日本一決定戦 参戦。１９位。 <br><br>2000年、フォーミュラカーでの参戦を 考え、<br>体力づくりと身体のリハビリのため、テニスを始める。<br>2004年秋、海外のテニス大会に参戦。<br>オーストラリア地方選手権、ゴスフォード選手権・予選１勝４敗。<br>............<br>●現在／執筆業を中心として、講演・講師、<br>医療コーディネーター、カウンセラーとして活動。<br>加えて 2001年より研究に取り組んでいる、<br>理系分野の分析を形にするため勉強中。<br><br>全国の教育委員会や企業にて交通安全、成人式 他の議題で 講演、 <br>コラム執筆、翻訳、ゴーストライター、<br>カウンセリング、ビジネス コンサルタント、<br>アメリカ、ヨーロッパ、東南アジアとの文化交流にて活動。<br><br>趣味は 読書、テニス、サッカー、フットサル、ネコと遊ぶこと、<br>音楽 (Bass guiter・drum・vocal)、演劇、サイエンス研究、勉強会。<br>
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<pubDate>Fri, 26 Jun 2009 19:09:52 +0900</pubDate>
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