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<title>みづきのブログ</title>
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<description>2003 22歳 12歳の頃に骨髄異形成症候群を経験しました。このブログでは、自身の経験や今取り組んでいることなどを投稿していきます！</description>
<language>ja</language>
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<title>自分の体調と向き合いながら働いたバイトの話</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><p>体調のことで悩むことは、病気を経験してから確実に増えた。「治らないものもある」と知ってしまったからこそ、一人で抱え続けるのは、身体的にも精神的にもつらいと感じることがある。</p><p><br></p><p><br></p><p>昨年、スーパーでお酒の品出しの仕事をしていた。</p><p>18時から22時までの勤務で、体力的な負担に加えて、生活リズムも崩れやすい環境だった。</p><p><br></p><p>毎回のシフトは、朝から体との相談で始まる。</p><p>「今日は行けるか」と自分に問いかけ、薬を飲み、少しでも良い状態に近づけようとする。</p><p>それでも、どうしても難しいと感じる日もあって、ギリギリまで粘った末に、シフトの2時間前に連絡することもあった。それは決して、休みたいからではない。</p><p><br></p><p>「できるなら行きたい」「迷惑をかけたくない」という気持ちがあるからこそ、最後まで可能性を探していた。</p><p>実際に出勤できた日は、痛み止めを使いながら、自分なりに精一杯働いていたと思う。ただ、その積み重ねの中で、連絡のすれ違いなどもあり、職場の空気は少しずつ変わっていった。</p><p><br></p><p>そしてある時、自分の体調のことが周囲で話題になっていると知った。悪気があったのかどうかは分からない。それでも、自分にとっては少しつらい出来事だった。</p><p>「また休みか」と思われていたかもしれない。</p><p><br></p><p>でもその裏側では、どうにか働こうとして、体と向き合い続けていた自分がいた。この経験を通して感じたのは、体調に不安を抱えながら働くということは、ただ仕事をするというよりも、「自分の限界と向き合い続けること」に近いということだった。</p><p>そして、うまくいかないことがあったとしても、それは決して何もしていなかったわけではない。自分なりにできることをやった結果だと思っている。</p><p><br></p><p>4ヶ月で仕事を辞めることにはなったけれど、この経験があったからこそ、自分に合う働き方について考えるようになった。これからは、無理に気合いで乗り切るのではなく、もう少し体に合った環境で、自分のペースで働いていきたいと思っている。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12963502780.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Apr 2026 16:13:21 +0900</pubDate>
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<title>「治ったはずなのに、終わっていない日常」</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><p><br></p><p>病気が治れば、すべてが元に戻るわけじゃない。&nbsp;</p><p><br></p><p>僕は退院してから約10年間、晩期合併症に悩まされ続けています。<br>検査の数値が良くなっても、治療が終わっても、消えない痛みや後遺症は確かに残っています。&nbsp;</p><p><br></p><p><br></p><p>朝、外に出る準備をしているときに、お腹の痛みでその日の予定を諦めることがあります。</p><p>&nbsp;外に出るのが怖くなる日もある。&nbsp;</p><p>何もしていないのに、ただそれだけで体力も気力も削られていく感覚があります。&nbsp;</p><p><br></p><p>治療中は、「元気になったら普通の生活に戻れる」と信じていました。 でも現実は違った。&nbsp;</p><p>このもどかしさや苦しさ、そして孤独感は、実際に経験した人にしかわからないと思います。&nbsp;</p><p><br></p><p>&nbsp;世の中には、自分より大変な状況の人がいるかもしれない。</p><p>&nbsp;自分のこの苦しみを「甘え」と感じる人もいるかもしれない。&nbsp;</p><p><br></p><p>それでも、痛みやつらさは人それぞれで、比べるものじゃないと思う。&nbsp;</p><p><br></p><p>僕が伝えたいのは、<br>「病気が治った後の、その先の生活」に苦しんでいる人がいるという現実です。&nbsp;</p><p><br></p><p>外からは見えなくても、毎日お腹が痛くなって外に出るのが怖かったり、<br>痛みに耐えながら、心を削りながら生きている人がいます。&nbsp;</p><p><br></p><p>この痛みと共に生きていくことが、どれほど過酷なのか。<br>正直、これからどう向き合って生きていけばいいのか、今もまだわかりません。</p><p><br></p><p>それでも、わからないまま、この痛みと一緒に今日をやり過ごしています。<br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12963205118.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Apr 2026 18:09:17 +0900</pubDate>
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<title>23歳になりました</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><p>みづきです</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p>私事ですが、23歳になりました！🎉</p><p><br></p><p><br></p><p></p><p></p><p dir="ltr"><span>骨髄異形成症候群を経験してから約11年かな</span></p><p><span>本当にあっという間に時間は過ぎ去るものですね…😅</span></p><div><br></div><p dir="ltr"><span>今こうやって生きていられていることは、当たり前ではないし、たくさんの方に支えられていただいたからこそ、</span></p><p dir="ltr"><span>今の自分がいると思っています。</span></p><div><br></div><p dir="ltr"><span>前を向けない日もあるけれど、明るい未来があることを信じて、少しづつ前に進んでいこうと思います！💪</span></p><br><p dir="ltr"><span>これからも自分らしく、</span></p><p dir="ltr">毎日を大切に過ごしていきます！</p><p></p><br><p></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12959104032.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 20:55:44 +0900</pubDate>
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<title>臍帯血移植からGVHDとの戦い</title>
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<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr"><span>みづきのブログです！</span></p><p dir="ltr"><span>今回は、臍帯血移植からGVHDとの戦いについてです。</span></p><p><br></p><br><p dir="ltr"><span>この時期のことは、正直あまり鮮明な記憶がありません。</span></p><p dir="ltr"><span>ただ、強い痛みを感じていたことだけは、今でも覚えています。</span></p><p dir="ltr"><span>なので今回は、当時母が毎日つけてくれていた日記と治療サマリーをもとに、何が起きていたのかを振り返りながら書いていきたいと思います。</span></p><br><br><br><p dir="ltr"><span>8月25日</span></p><p dir="ltr"><span>リハビリを行った。この日も朝から日中まで熱があったが、37.2度まで下がった。</span></p><p dir="ltr"><span>赤血球の輸血をする。</span></p><br><p dir="ltr"><span>8月26日</span></p><p dir="ltr"><span>熱は下がったが、お腹に痛みを感じた。&nbsp;</span></p><p dir="ltr"><span>血圧も低めだった。</span></p><p dir="ltr"><span>体温は37.3度だった。</span></p><p dir="ltr"><span>口の中に白い斑点ができる。</span></p><p dir="ltr"><span>夜ムカムカする。</span></p><br><p dir="ltr"><span>8月27日</span></p><p dir="ltr"><span>熱は下がり、リハビリは出来たが、</span>食欲はなかった。</p><br><p dir="ltr"><span>8月28日</span></p><p dir="ltr"><span>リハビリを行った。夕方から熱は37.9度まで上がった。</span></p><p dir="ltr"><span>吐き気が強く、吐き気止めを飲んだ。</span></p><p dir="ltr"><span>下痢があり、おむつを使用するようになる。</span></p><p dir="ltr"><span>食欲はなかった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>8月29日</span></p><p dir="ltr"><span>吐き気と下痢がひどくなり、おむつを使用した。</span></p><p dir="ltr"><span>熱や頭痛はなかったが、食欲はなく、</span>お腹の痛みがあった。リハビリできず。</p><br><p dir="ltr"><span>8月30日</span></p><p dir="ltr"><span>熱はなかったが、嘔吐があった。</span></p><p dir="ltr"><span>食欲がないため、点滴から栄養を入れることになった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>8月31日</span></p><p dir="ltr"><span>下痢や嘔吐が治まらないため、絶食が開始された。</span></p><p dir="ltr"><span>水とお茶以外は禁止となった。</span></p><p dir="ltr"><span>熱は37.4度で、嘔吐と下痢は改善しなかった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月1日</span></p><p dir="ltr"><span>超音波検査で膵臓と腸を調べた。膵臓に異常はなかったが、腸に炎症が見つかったため抗生物質の投与が始まった。GVHDの疑いがあると説明された。</span></p><p dir="ltr"><span>※GVHD（移植片対宿主病）は、移植したドナーの免疫細胞が自分の体を“敵”と勘違いして攻撃してしまう合併症です。</span></p><p dir="ltr"><span>点滴で腹痛を抑えるブスコパンが投与された。</span></p><p dir="ltr"><span>口の中の斑点はよくなる。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月2日</span></p><p dir="ltr"><span>腸のGVHDの疑いが強まり、ステロイドとレペタンの点滴が開始された。下痢は続いていた。リハビリも行った。口の中、体、顔に赤い湿疹が現れた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月3日&nbsp;</span></p><p dir="ltr"><span>下部消化管内視鏡検査を行い、</span></p><p dir="ltr"><span>｢直腸と回盲部で粘膜の萎縮・発赤が著明であり、斑状の粘膜脱落が散見された。</span>小腸は全域で絨毛が脱落した平滑な上皮であった。病理組織診断は広範にびらんが認められ、上皮成分が脱落しています。陰窩内には多数のアポトーシス小体が散見されます。以上は急性GVHD(重症)に合致する所見と考えられます｣という検査結果でした。</p><p dir="ltr"><span>つまり、腸の粘膜が広い範囲で傷つき、急性GVHDの重症と診断されました。</span></p><p dir="ltr"><span>CMVの免疫染色は陰性だった。</span></p><p dir="ltr"><span>※CMVは、移植後に問題になりやすいウイルスで、今回の感染は陰性でした。</span></p><p dir="ltr"><span>このときの体重は29.5kgだった。</span></p><p dir="ltr"><span>ひとりで体重計に立つ</span></p><p dir="ltr"><span>体の湿疹が痒みがあった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月4日</span></p><p dir="ltr">ステロイドパルス療法とベクロメタゾンの内服が開始された。<br>ステロイドの影響もあり、WBC（白血球）が3万を超えた。通常よりかなり高い数値で、体の中で強い炎症や反応が起きている状態だった。<br>さらに、末梢血中に幼弱な顆粒球が出現した。これは、本来は骨髄の中にいるはずの未熟な白血球が血液中に出てきている状態で、体が強く刺激を受けていることを示していた。<br>下痢の量は減らなかったが、血便はなかった。<br>湿疹や赤みは少しずつ引いてきていた。</p><p dir="ltr"><br></p><br><p dir="ltr"><span>9月5日</span></p><p dir="ltr"><span>熱や血便はなかったが、皮膚が少しかゆみがあった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月6日</span></p><p dir="ltr"><span>下痢は続いており、意識はうつらうつらしていた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月7日</span></p><p dir="ltr"><span>下痢は続いていたが、歯磨きやうがい、トイレのために自力で起き上がり、立つことができた。</span></p><p dir="ltr"><span>熱はなかった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月8日</span></p><p dir="ltr"><span>腹痛と吐き気があり、下痢がひどくなったため管を入れた。おしりがただれていた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月9日</span></p><p dir="ltr"><span>検便では異常は見つからなかった。</span></p><p dir="ltr"><span>ATG（リンパ球抑制剤）の投与が24時間行われた。</span></p><p dir="ltr">※拒絶反応やGVHDを抑えるために、免疫を強く下げる薬です。</p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr"><span>飲み薬が腸で吸収できなくなっている。</span></p><p dir="ltr"><span>腹痛があった。</span></p><p dir="ltr"><span>完全ドナータイプ</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月10日</span></p><p dir="ltr"><span>免疫抑制剤が使用された。下痢と腹痛の薬が変更され点滴になった。レペタンからアンベックに変更する。</span></p><p dir="ltr"><span>ATG25mgを投与する。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月11日</span></p><p dir="ltr"><span>下痢、腹痛、吐き気は続いていた。水も1日150ccしか飲めなかった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月12日</span></p><p dir="ltr"><span>ATGの影響で血小板が低下するため、夜まで輸血を行った。腹痛に対してフラッシュ（鎮痛薬）を使用した。下痢と吐き気は続いていた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月13日</span></p><p dir="ltr"><span>熱が38度まで上がった。腹痛のため、鎮痛薬の濃度が上げられた。レントゲンで心臓を確認したが異常はなく、</span>元気だった。</p><p dir="ltr">目が霞む症状があった。便の量は多かった。</p><br><p dir="ltr"><span>9月14日</span></p><p dir="ltr"><span>下痢は少し減少したが、1日2000ml程度持続。</span></p><p dir="ltr"><span>腹痛は続いていた。ATG25mg投与が12時間行われた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月15日</span></p><p dir="ltr"><span>強い倦怠感があり、朝から嘔吐した。下痢と腹痛は続いていた。お腹が膨れていた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月16日</span></p><p dir="ltr"><span>お腹が腫れていたが、腸自体の腫れではなく、強い痛み止めの影響で腸管がむくんでいる状態だった。微熱があり、吐き気もあった。腸に水が溜まっていたため、セレン注射薬が使用された。下痢は少し落ち着いていた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月17日</span></p><p dir="ltr"><span>麻痺性イレウスと診断される。</span></p><p dir="ltr"><span>※腸がうまく動かなくなり、食べ物やガスが流れなくなる状態です。</span></p><p dir="ltr"><span>アンベックからフェンタニルに変更する。</span></p><p dir="ltr"><span>鼻と肛門に管をつけたが、肛門の管は自分で外してしまった。エコー検査を行った。熱は38.9度まで上がった。腰も痛む</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月18日</span></p><p dir="ltr"><span>血糖値400台に上昇し、インスリン持続投与が開始し、その後100台になり安定する</span></p><p dir="ltr">小腸が腫れて動きが悪くなり、内容物が下へ流れず逆流してしまうため、鼻から管を入れてお腹に溜まったものを外に出した。<br></p><br><p dir="ltr"><span>9月19日</span></p><p dir="ltr"><span>朝方まで下痢が多く続いた。腹痛も強く、フラッシュを4〜5回使用した。この頃、「治るかな」と話していたと聞いた。</span></p><p dir="ltr"><span>お腹が腫れてるためレントゲンを撮った。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月20日</span></p><p dir="ltr"><span>お腹の腫れが引き、柔らかさが戻ってきた。</span></p><p dir="ltr"><span>下痢は続いていた。フラッシュ2回</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月21日</span></p><p dir="ltr"><span>腹痛が続いていた。フラッシュ2回</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月22日</span></p><p dir="ltr"><span>腸が動き始めてきていると説明された。腹痛と下痢は続いていた。</span></p><p dir="ltr"><span>血糖値の調整もしているがいい数値にならない。</span></p><p dir="ltr"><span>フラッシュ3回</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月23日</span></p><p dir="ltr"><span>便の状態や胃の調子は少しずつ良くなってきていた。腹痛は続いていた。</span></p><p dir="ltr"><span>体の向きを変えると腸が動き、痛みが出ることがあった。フラッシュ7回</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月24日</span></p><p dir="ltr"><span>朝から38度の熱があった。痰が出始めた。</span></p><p dir="ltr"><span>鼻の管を外せる可能性があると言われた。</span></p><p dir="ltr"><span>下痢は続いていたが、水分を取ることができた。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月25日</span></p><p dir="ltr"><span>鼻の管が外された。腹痛はあったが、体温は37.6度だった。水を飲んでも吐くことはなかった。</span></p><p dir="ltr"><span>便の状態は大きくは変わらなかった。</span></p><p dir="ltr"><span>ベクロメタゾン内服薬を飲む</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月26日</span></p><p dir="ltr"><span>痰が絡む。お腹の痛みある。</span></p><p dir="ltr"><span>フラッシュ9回</span></p><br><br><p dir="ltr"><span>9月27日</span></p><p dir="ltr"><span>レントゲンでは、ガスがなく良好だった。</span></p><p dir="ltr"><span>具合が悪く、下痢は持続。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月28日</span></p><p dir="ltr"><span>免疫を助ける薬、ビンベニロン、ブログリン製薬を使う。熱は37.3度だった。</span></p><p dir="ltr"><span>フラッシュ少なくなってきている。</span></p><p dir="ltr"><span>嘔吐すると、血が混じる。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月29日</span></p><p dir="ltr"><span>リハビリをする。</span></p><p dir="ltr"><span>お風呂場で体を洗う。</span></p><p dir="ltr"><span>おなかの痛みも少なかった。</span></p><br><p dir="ltr"><span>9月30日</span></p><p dir="ltr"><span>朝たんが絡み、吐くと血が混じる。</span></p><p dir="ltr"><span>2L程度の下痢が持続する。</span></p><p dir="ltr"><span>ATG25mgを投与する。</span></p><p dir="ltr"><span>サイモグロブリンを点滴する。</span></p><p>※サイモグロブリンは、GVHDを抑えるために免疫を強く抑制する薬です。</p><p><br></p><p><br></p><br><p dir="ltr"><span>今回はここまでです。</span></p><br><br><p dir="ltr"><span>改めて振り返ると、家族、おじいちゃん、おばあちゃん、親戚、看護師さん、そしてお医者さん。</span></p><p dir="ltr"><span>本当にたくさんの方に支えられていたんだと強く感じました。</span></p><p dir="ltr"><span>そして何より、あの状態を乗り越えた自分の体は、本当にすごいと思います。</span></p><p dir="ltr"><br></p><br><p dir="ltr"><span>今こうして生きていることは、本当にありがたいことだと感じます。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p>ただ、GVHDは良くなりましたが、その時に強い腹痛を感じたことから今も腹痛が感じやすい体になってしまいました。</p><p dir="ltr"><span>また精神障害も抱えているため、</span>気持ちの浮き沈みも</p><p dir="ltr">あり、「なんで自分が病気になったんだろう」と考えてしまうこともあります。</p><br><p dir="ltr"><span>それでも、たくさんの人に助けてもらい、支えてもらったからこそ、今の自分がここにいると思います。</span></p><p dir="ltr"><span>そのことを忘れずに、少しずつでいいから、自分にできることを重ねながら、前に進んでいきたいと思います。</span></p><p dir="ltr"><span>この続きは、また次回書いていきます。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr"><span>それでは👋</span></p><br><p></p>
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<pubDate>Tue, 03 Mar 2026 20:32:11 +0900</pubDate>
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<title>原級留置について</title>
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<![CDATA[ <p>僕は中学二年生を2度経験しました。</p><p><br></p><p><br></p><p>皆さんは、原級留置(げんきゅうりゅうち)を知っていますか？</p><p>原級留置とは、学校において、各学年の課程を終了できず、進級せずに同じ学年にとどまって学習を続けることです。</p><p>簡単に言ってしまえば、留年のことです。</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p>僕は、原級留置を中学二年生のころに決断しました。</p><p>2015年の4月、中一の12歳のころに病気になって、入学して約一か月後に入院しました。</p><p><br></p><p>入院中は、院内学級という病院の中にある学校に転校という形で勉強に励んでいました。</p><p>当時、僕が通っていた院内学級は同じ学年の人は２，３人程度で生徒の入れ替わりがよくありました。</p><p>退院すれば、元の中学に戻るので、生徒の入れ替わりが激しかったです。</p><p>また、当時通っていた院内学級では、学習内容についても一人一人に合わせるのではなく、最初からいた人の学習内容に合わせる形だったので、放課後に自分で勉強を進める必要がありました。</p><p>また、治療と両立しながら通学をするので人によっては勉学の進むペースが遅かったり、学べなかった範囲もありました。</p><p><br></p><p>僕は、輸血や検査などが入って学校をお休みすることはあったものの、夏休みが入る7月～8月くらいまではある程度学校生活を送れていた気がします。</p><p>しかし、臍帯血移植をしてからは、体にいろいろな症状が出てしまったので、授業に出れたり出れなかったり、午前は行って午後はいけないとか、途中早退したりなど勉強どころではありませんでした。</p><p>なので、当然勉強に遅れが出るし、退院して地元の学校に戻った時には勉強に相当な遅れをとっていました。</p><p><br></p><p>2016年5月に1度目の退院し、地元の中学校に戻りましたが、入院前のように学校に通えていたわけではなく、休むことも多かったです。</p><p><br></p><p>2016年10月に再入院して、もう一度院内学級に転校することになりました。</p><p>なんとか自分や院内学級で勉強を進めていましたが、なかなか追い付かず、2週間ほどICUに入ったりなど、勉強どころではありませんでした。</p><p>二度目の退院をしたころには、地元の同級生たちは中学三年生になろうとしていて、勉強の遅れを取り返せずにいました。</p><p>また、勉強の遅れだけではなく、退院後学校に戻った頃には、同級生の子たちが身体面、精神面も成長していて、当時の僕はそれに対応できず馴染めませんでした。</p><p>そんなこともあり、両親、担任の先生、校長先生などと話し合いの結果、中学二年生をもう一度やりながら、特別学級と普通学級の行き来をしながら中一、二年の勉強をしていこうということになり、原級留置を決めました。</p><p>原級留置を決めた時の本心は、一個下の子たちと勉強することに嫌だなという思いはなく、高校進学のためには仕方ないと思っていました。</p><p>ただ、同級生と一緒に学校生活を送れないこと、一緒に卒業できないことはとても辛かったです。</p><p><br></p><p>原級留置後の二回目の中学二年生、三年生は、腹痛に悩まされながらの日々でした。</p><p>一個下の子たちともあまり馴染めませんでした。&nbsp;</p><p>身体的にも精神的にも苦しい日々だったと思います。</p><p><br></p><p><br></p><p>もし今、同じ状況に立たされたとしたら、当時の２０１５、２０１６年と比べて、現在は、オンライン授業など、自分に合った選択肢が見つけやすい時代だと個人的には思います。</p><p><br></p><p>原級留置を決断したことは、正直辛いことの方が多かったです。</p><p>それでも今振り返ってみるとなかなかできることではないし、色々な意味でとても良い経験になったと思っています。</p><p><br></p><p>次回は、臍帯血移植後からGVHDとの戦いです。</p><p><br></p><p>それでは👋</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12955933027.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Mar 2026 13:22:00 +0900</pubDate>
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<title>お久しぶりです！僕のことについて</title>
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<![CDATA[ お久しぶりです！みづきです！<br><p>まず投稿が1年とちょっとかな。止まってましたね。</p><p>申し訳ありませんでした。</p><p>それでも見てくれていた方、ありがとうございます！</p><p></p><p><span><br></span></p><p><span>僕があげているブログの「臍帯血移植から生着まで」というブログで止まっていますが、次回、臍帯血移植後のことなどを投稿していきます！</span></p><p><span><br></span></p><p><span>もし、ここがもっと聞きたかったとか、その後どうしているの？など疑問や質問がありましたら、コメント欄に書いていただけると嬉しいです。</span></p><br><p></p><p>そして今回は……</p><p>改めて僕のことについて話したいと思います。</p><p>なんの病気をして、退院後から今までどのように生活してきたかを書いていきます！</p><p><br></p><p>&nbsp;僕は12歳の頃に骨髄異形成症候群を発症し、臍帯血移植をしました。臍帯血移植後に、腸にGVHDが出てしまい強い痛みを経験しました。</p><p>&nbsp;</p><p>その後、何とか退院できるようになったものの、アスペルギルスの影響で2週間ICUに入ったりなど、トータル約2年間入退院を繰り返していました。</p><p>治療の時にお腹にGVHDの症状が出て、強い痛みを感じたことから、退院後も神経的な腹痛に悩まされる日々を現在も過ごしています。</p><p>&nbsp;</p><p>病気が完治して、なんの不自由もなく日常生活を送れると思い、当時は治療を頑張っていました。</p><p>だけど、僕が大好きなサッカーもできなくなったり、当時まだ幼かったこともあり、退院して久々中学校に戻ったら、友達も成長していて大人になっていたり、僕はその環境に馴染めずにいました。</p><p>&nbsp;</p><p>さらに、神経的な腹痛に悩まされたり、退院当時は汚い話、外出先で漏らしてしまったことが何度かあり、いつしか外に出ることも怖くなっていました。</p><p>&nbsp;不安なことが多すぎて、学校どころではなかったのですが、出席しないとやばいし、プレッシャーに押しつぶされそうになりながら、中学校生活を送っていました。</p><p>まぁ何とか中学は卒業できて、地元の高校に進学しました。中学時代は出席日数の半分も出れていません。</p><p><br></p><p>&nbsp;高校時代は、入学時は少し調子が良かったんですが、お腹の痛みにやはり悩まされて、高一の頃も出席日数の半分くらいしか出れませんでした。</p><p><br></p><p>&nbsp;高2になり、今年こそ、安定した学校生活を送るぞ！と思っていたら、コロナウイルスが流行しました。 コロナウイルスは、当時感染したら隔離されて、最悪死亡するみたいなニュースがやっていたので、もし僕が外に出たり、学校に行ってコロナに感染したら重症化するリスクも高かったので、死んでしまうんではないかという恐怖でいっぱいになり学校に行けずにいました。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、期末テストだけは受けなければならないので、高校の先生に授業プリントを集めてもらって、それを母が授業のプリントを貰ってきて、僕が勉強するみたいなことを高2から高３までずっとやってました。</p><p>&nbsp;</p><p>高校二年生の頃には、僕のメンタルは限界を超えていて、学校には行けない、将来どうなるか分からない、外に出ようと思うけど、外に出たらお腹が痛くなって、最悪漏らしてしまうんじゃないか。でもテスト勉強は頑張らないと行けないし卒業できない。というプレッシャーに潰されそうになりながら生活してました。</p><p><br></p><p>&nbsp;たくさんの悩みややりたいことが制限されながら生きていたら、いつの間にかメンタルはボロボロになっていて、何とか高校の先生方や家族、高校時代の友達に助けられ、何とか高校を卒業できました。</p><p>&nbsp;</p><p>これに関しては周りの人に助けられ、恵まれていたと本当に思います。</p><p>本当にありがとうございます。</p><p>&nbsp;</p><p>高校を卒業して、不安やプレッシャーから少し解放され、初めてアルバイトをしましたが、休むことも多かったので、2ヶ月ほどで辞めました。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>2022年の1月、僕の夢だった看護師になりたいと言う夢を叶えるため、看護専門学校を受験し、合格しました。</p><p>やっと、夢の一歩を歩めたと思いましたが、腹痛や体力面、メンタルが不安定だったこともあり、入学して3ヶ月で休学しました。</p><p>&nbsp;</p><p>そこで僕は、自分の夢を叶えられない。もう僕には何もないというネガティブな感情になり、通院中の病院に精神科があったので、主治医の先生や、看護師さん、母に勧められ、精神科を受診し、身体表現性障害という精神疾患の病気を診断されました。</p><p>&nbsp;</p><p>生活リズムがぐちゃぐちゃになっていたり、夜寝れなかったり、寝れず、いつの間にか朝の6時になっていて、朝眠くなって、寝て、夕方に起きるみたいな生活を送っていました。</p><p>2024年の10月、通院中の病院でピアサポートという場を設けてもらい、気持ちが安定していきました。</p><p><br></p><p>〇ピアサポートとは？&nbsp;</p><p><br></p><p></p><p><mark class="HxTRcb" jscontroller="DfH0l" jsuid="TynS9_9">がん患者、精神障害、学校生活など、同じような悩み、経験、立場を持つ者同士（仲間＝ピア）が、互いの体験を共有し、支え合う活動</mark><span>です。</span></p><br><p></p><p>&nbsp;ピアサポートを受けていく中で何か始めてみたい！そんな気持ちが出てきたのが2024年の初めてブログを投稿した時期くらいでした。</p><p>そしてみづきのブログを開設しました。</p><p><br></p><p>今、僕のメンタル状況は不安定な時やいい状態の時がありますが、少しづつでもいいから前に進みたいと思えるほど回復しつつあります。</p><p><br></p><p>このブログを作ったのは、病気や治療後の後遺症に悩んでいたり、僕みたいにお腹の痛みに悩んでいる方に少しでも役に立てるようになりたい！という気持ちが強かったからです。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>次回も見てていただけると幸いです！</p><p>それでは👋</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12955663460.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Feb 2026 21:33:30 +0900</pubDate>
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<title>臍帯血移植から生着まで</title>
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<![CDATA[ <p>　みづきのブログです。</p><p>今回は、臍帯血移植をしてから生着までの出来事を書いていくのですが、僕自身、臍帯血移植後くらいからの記憶がないところがあるので、当時母が記録していた日記と退院後サマリーをもとに書いていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>７月２１日</p><p>１３：００に臍帯血移植をして、問題なく終了しました。</p><p>最初は、臍帯血移植って痛いのかなと思っていたのですが、臍帯血を点滴から時間をかけて体の中に入れていくので特に痛みなどは感じませんでした。</p><p>骨髄異形成症候群の治し方って手術して悪いところを取り除く！というわけではないから、ほんとにこれで治るのかなーって思ってました。</p><p>&nbsp;</p><p>７月２２日　(臍帯血移植をして１日目)</p><p>発熱があり、朝から具合が悪く、頭痛もあった。</p><p>夜も頭痛と咳が出る。</p><p>&nbsp;</p><p>７月２３日　(２日目)</p><p>深夜０時ごろに熱が38℃を超え、頭痛がひどく吐き、薬を飲むが吐いてしまう。咳も持続していた。</p><p>この日の夕方から40℃の熱が続き、熱せん妄になる。</p><p>急に起き上がったり、ベットの周りをマットで囲み看護師さんが6人ほどでおむつ交換などの対応をしてくださっていたそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>７月２４日　(３日目)</p><p>髪が抜け始める。</p><p>深夜から朝まで熱が３９℃超え。</p><p>会話ができず、おむつを使う。</p><p>起き上がって、トイレをしたいと言っていたみたいで、多分これは熱せん妄の影響だと思います。</p><p>脳をＣＴ検査をした。結果は、脳の出血、浮腫はなし。</p><p>脳炎の疑いがあるので一日二回治療薬を使って治療しました。</p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>７月２５日　（４日目）</span></p><p dir="ltr">意識が戻り、話すことはできるが、呂律が回ってない。</p><p dir="ltr">水分を取りたいと言っていて、アクエリアスを綿棒に含ませて口に入れていた。</p><p>熱は３９℃が持続していました。</p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>７月２６日　（５日目）</span></p><p dir="ltr">幻覚が強く出ていた。熱も３９℃持続。</p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>７月２７日　（６日目）</span></p><p dir="ltr"><span>夜中から朝までずっと幻覚を見ている。</span></p><p dir="ltr"><span>検査結果が出て、脳炎ではなかった。</span></p><p dir="ltr"><span>神経内科の先生に見てもらい、</span></p><p dir="ltr">脳は元気で、脳と頭の痙攣、脳のむくみはなかった。</p><p dir="ltr"><span>この時点では脳症の疑いではあるがむくみがないので重度では無いがステロイドの使用を検討する。</span></p><p dir="ltr"><span>悪くなることは無く、後遺症なども残る脳症では無い。</span></p><p dir="ltr"><span>しかし、合併症には気をつけなければならない。</span></p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p dir="ltr"><span>７月２８日　（７日目）</span></p><p dir="ltr"><span>朝から日中も幻覚が強く現れていたが、医師の顔を見て名前を言えていた。</span></p><p dir="ltr"><span>17:00頃、熱も収まり、アクエリアスをストローで飲む。</span></p><p dir="ltr"><span>感染症の数値は下がっているものの、油断はできない状態だった。</span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>７月２９日　（８日目）</span></p><p dir="ltr"><span>熱は37度になる。</span></p><p dir="ltr"><span>幻覚が少し改善。意思疎通が少しできるようになる。</span></p><p dir="ltr"><span>お腹と頭が痛い。</span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>７月３０日　（９日目）</span></p><p dir="ltr"><span>朝、具合が悪い。昼から夜にかけて38.5度に上がる</span></p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p dir="ltr"><span>７月３１日　（１０日目）</span></p><p dir="ltr">生着症候群の症状が出る。</p><p><span>「生着症候群とは、白血球が増える時期の前後に、感染症を原因としない発熱や皮疹、肝障害、体重増加、下痢などの症状が出現する状態です。」</span><span class="UV3uM">﻿</span></p><p></p><p dir="ltr"><span>夜中が38.9度だったが朝37,9になる。</span></p><p dir="ltr"><span>低ナトリウム血症の疑いがあった。</span></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>８月１日　（１１日目）</span></p><p dir="ltr"><span>夜中から朝39,6の熱。生着熱。</span></p><p dir="ltr"><span>突然意識戻って、聞き取りにくいが受け答えができるが、また寝てしまう。</span>頭痛が酷い。</p><p dir="ltr"><span>この日くらいから熱の上がり下がりや体の痛みなどはあるものの、プリンなどを食べれたり、飲み物を飲めたりしていた。</span></p><p dir="ltr"><span>たまに幻覚を見ていた。</span></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>８月６日　（１６日目）</span></p><p dir="ltr"><span>リハビリが開始。</span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>８月７日　（１７日目）</span></p><p dir="ltr"><span>夜中から朝、胸が痛む。脳症の影響で頭痛が前から後ろまで痛む。</span></p><p dir="ltr"><span>夜中に熱が39度まで上がる。</span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>８月９日　（１９日目）</span></p><p dir="ltr"><span>無菌室解除　</span>（クリーンルームはクリーンカーテンというもので覆われているが、それを外して普通の病室のように扱うこと）</p><p dir="ltr"><span>普通の面会ができるようになった。</span></p><p dir="ltr">採決の結果で好中球が５００以上になった。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>８月１１日　（２１日目）</span></p><p dir="ltr"><span>朝から頭痛が酷い。熱が38度。</span></p><p dir="ltr"><span>入浴室で入浴開始。</span></p><p dir="ltr"><span>少し頭痛と吐き気がある。</span></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>８月１２日　（２２日目）</span></p><p dir="ltr"><span>MRIをして異常なし。朝頭痛がある。</span></p><p dir="ltr"><span>看護師さん三人がかりでお風呂に入れてもらう。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr"><span>８月１３日 　（２３日目）</span></p><p dir="ltr"><span>頭痛が酷くて泣いた。</span></p><p dir="ltr"><span>この時ほんとに意識的にもはっきりしていて、毎日頭痛があることがほんとに辛くて、いつになったら治るのかという不安があった。</span></p><p dir="ltr"><span>体も気持ちにも限界は来ていたのかなと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p dir="ltr"><span>８月１４日　（２４日目）</span></p><p dir="ltr"><span>普通の病室に移動する！</span></p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p>８月１９日～２１日　（２９から３１日目）</p><p>また３８℃近くの熱が出始めて、２１日に３９℃まであがる。</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p>８月２２日～２３日　（３２から３３日目）</p><p>食欲はあるものの、３８℃以上の熱が持続する。</p><p>２３日に３９．５℃まで上がるが、食事はとれていた。</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p dir="ltr"><span>８月２４日　（３４日目）</span></p><p dir="ltr">３９℃以上の熱が持続。マルクを実施して、生着したかを確認し、無事に生着！</p><p dir="ltr">ステロイドを点滴する。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p></p><p></p><p dir="ltr"><span>　臍帯血移植をしてから生着するまで、平均３から４週間かかるのですが、僕は、臍帯血移植をしてから生着するまで早かったみたいで、もし生着しなかったらもう一度臍帯血移植をしなければなりません。</span></p><p dir="ltr"><span>臍帯血移植をもう一度して耐えられていたかと考えると、難しかったんじゃないかなって思うし、そのくらい体も心もきつい治療だったと思います。</span></p><p dir="ltr"><span>移植を乗り越えられたのは、主治医の先生方、看護師さん、そして家族のサポートがあったからだと感じています。</span></p><p dir="ltr"><span>臍帯血移植後は、熱が出て収まるの繰り返しだったので精神的にも気持ち的にもとてもつらかったし、早く元気になりたい気持ちがすごく強かったです。</span></p><p dir="ltr"><span>今振り返ると、必ず治すという気持ちはぶれずに持ち続けられていたところが臍帯血移植がうまく行った要因の一つだったのかなって思います。</span></p><p></p><p>今回もご覧いただきありがとうございました。</p><br><p></p><p>&nbsp;この続きは、臍帯血移植後からGVHDとの戦いです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12877308601.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Dec 2024 16:00:00 +0900</pubDate>
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<title>病気との闘い</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>　治療をすれば、元通りの体になって、また元気に生活ができる。またサッカーができる。だから必ず治す。</p><p>当時は、その強い気持ちがあったから、治療を頑張ることができたのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　２０１５年５月２７日に骨髄異形成症候群と診断されてから、必ず治すという気持ちとこの先どうなるのかなという不安を抱えながら日々、入院生活を送っていました。</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p>　当時１2 歳だったぼくは、骨髄異形成症候群なんて聞いたことすらなかったので、「え？何その病気」と思っていたし、病気になれば手術してリハビリを行い、退院という流れを想像したいたので、抗がん剤→放射線治療→骨髄移植oｒ臍帯血移植→退院という順で治療していくことに驚きと、治るのかなといった不安な気持ちになりました。</p><p>　また、自分のスマホで骨髄異形成症候群について調べると、生存確率５０％や高齢者の方の発症率が高いことや、　血縁関係の中にも、血液の病気になった人がおらず、「え？なんで僕が」と不思議な気持ちでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　若い方で同じ病気をしたという情報も少なく、これからどうなっていくかという情報も少なかったので、「絶対治す」と自分自身に言い聞かせたり、病室でできる趣味などを行いながら当時の僕は気持ちを安定させることに集中していたのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>６月１８日</p><p>　芽球が増加しているため、急遽マルクを実施。このときの　マルクは全身麻酔で行いました。　</p><p>個人的な意見ですが、マルクは局所麻酔だけだとほんとに痛いので、全身麻酔のほうが痛みも軽減するので気持ちも楽でした。</p><p>全身麻酔でのマルクは、術後腰らへんに違和感を感じるくらいで、次の日くらいから違和感もなくなっていました。</p><p>&nbsp;</p><p>６月１９日　</p><p>　３９度の熱が出て、病気の症状が悪くなりつつあること　から、近いうちに移植が必要になる。</p><p>最初は、骨髄移植を検討していたが、血縁者やドナーに　同じ型の人が見つからず、骨髄移植を待つ時間がなかったので、臍帯血バンクで適合者を見つけて臍帯血移植を行うことが決まりました。</p><p>&nbsp;</p><p>６月２９日、消化管殺菌開始</p><p>　　　　　　　　　　　　</p><p>７月２日</p><p>　少量の抗がん剤治療を点滴で開始。副作用は、吐き気、頭痛がありました。</p><p>&nbsp;</p><p>７月１３日～１５日</p><p>　全身放射線治療を開始。全身放射線後は、とても体がだるくなった記憶があります。</p><p>全身放射線を受けると、白血病細胞を死滅させる効果などがある一方で、髪が抜ける、成長期に放射線を浴びると低身長になる、不妊になる確率が上がってしまうデメリットもあります。　　</p><p><br></p><p>　放射線治療前に、父が精子バンク（精子凍結）を検討していましたがうまくいかずに失敗してしまいました。</p><p>当時の僕が将来についてもっと考えていたら、今、不妊について悩まなかったのかなと考えたりします。</p><p>　だからこそ、全身放射線治療を受ける際、自分と家族のためにも将来を見据えながらしっかり話し合うことが大事だと思いました。</p><p>　低身長になったことについても退院後は悩みました。　中学校や高校では、ほとんどの人が身長が伸びていくのに僕の身長は伸びずに悔しい気持ち、嫉妬や自己否定に走ってしまうことが多かったです。</p><p>　今思うことは、いつの間にか身長について考えることはなくなるし、自分が思っているほど他人は身長について考えていないと僕は思います。だからこそ人の目を気にせずに自分らしさを貫き通して楽しく生活を送ること大切だなと感じます。</p><p>&nbsp;</p><p>７月１６日</p><p>お風呂で体をきれいにした後、すぐに車いすに乗せられ、無菌室（クリーンルーム）に入り、尿フォーレ（フォーレカテーテル）を挿入しました。</p><p>尿フォーレは痛いんでほんとに嫌いでした。</p><p>無菌室は、きれいな部屋に隔離される感じで、家族ともガラス越しから話すので寂しさや孤独さがありました。</p><p>&nbsp;</p><p>７月１８日～１９日</p><p>抗がん剤を点滴で入れる。その際、副作用を抑えるためにひたすら、氷やアイスなどで口の中を冷やす作業をしていました。最初はずっとアイス食べれて最高じゃん！と思っていましたが、口の中はずっと冷たいし、薬の影響で味もしないし地獄でした。</p><p>&nbsp;</p><p><span>７月２１日　</span></p><p>移植前の採血で、白血球、好中球が検査不能（ほぼ０）になれば移植可能となる。</p><p>悪い血液を取り換えなければいけないので検査不能にする必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>同日の午後１３：００に臍帯血移植をしました。&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</p><p>　　　　　　　</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　次回に続く</p><p>　　　　　　</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ご覧いただきありがとうございました！</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　</p><p>　　　　　　</p><p>　　　　　</p><p>　　　　　</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12874129220.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Nov 2024 13:32:16 +0900</pubDate>
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<title>新たに覚悟を決めた日</title>
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<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr"><span>みづきのブログです！</span></p><br><p dir="ltr"><span>前回、当時中学１年生の１２歳の僕に病気が見つかるまでの経緯について投稿しました。</span></p><br><p dir="ltr"><span>今回は、入院生活での出来事などについて投稿していきたいと思います。</span></p><br><p dir="ltr"><span>４月２８日の夕方に県立病院に救急搬送され、緊急入院しました。</span></p><p dir="ltr"><span>この日は、家族もバタバタしていて、僕も状況をあまり理解できず、現実を受け入れたくない自分と「死ぬかもしれない」と言う気持ちが混ざり合い恐怖と不安な気持ちで夜を過ごしました。</span></p><br><p dir="ltr"><span>僕が入院していた病棟は、平日はとても賑やかで、</span></p><p dir="ltr"><span>休日、祝日になると外泊などですごく静かになり、とてもさみしい気持ちと退屈な気持ちが混ざり合っていました。</span></p><p dir="ltr"><span>　</span>当時の僕はまだスマホも持っておらず頻繁に家族や友達と連絡が取れない状況だったので、病棟の公衆電話で家族と連絡を取ったり、病室では、テレビを見るにも1000円のテレビカードや冷蔵庫にもお金がかかったり、毎朝の採血など、入院前と比べて生活が180度変わりました。</p><br><p dir="ltr"><span>　家族と過ごせない、学校に行けない、やることがない、早く退院したいと思うことも少なからずありました。</span></p><p dir="ltr"><span>　</span></p><p dir="ltr"><span>　そんな生活の中で支えになったのは、家族や親戚、学校の先生、同級生の存在でした。</span></p><p dir="ltr"><span>　家族は共働きで仕事で忙しい中、会いに来てくれたし、妹もまだ幼い中寂しさを我慢し、ずっと支えてくれました。</span></p><p dir="ltr"><span>学校の担任の先生はよく学校の状況を僕の病室まで伝えに来てくれたり、同級生は千羽鶴や色紙、応援メッセージを書いたサッカーボールなどで応援してくれました。</span></p><p dir="ltr"><span>　</span></p><p dir="ltr">&nbsp;また、入院生活の中で不安を取り除いて、明るい気持ちにさせてくれたのが、子ども療養支援士の方の存在でした。</p><p dir="ltr"><span>最初は病気のことで頭がいっぱいだったのが、ボードゲームや色々な遊び、会話を通して、病気であることを忘れるほど楽しく過ごすことができました。また、不思議と力をもらえる存在でした。</span></p><p dir="ltr"><span>　</span></p><p dir="ltr"><span>　また、主治医の先生、看護師さんが優しく接してくださったおかけで、不思議と不安なく入院生活に臨むことができました。</span></p><p dir="ltr"><span>　</span></p><p dir="ltr"><span>そんな生活を送りながら、４月３０日、病名を突き止めるために骨髄検査（マルク、骨髄穿刺）をしました。</span></p><p dir="ltr"><span>骨髄検査の感想は、とにかく痛い。骨髄に針を刺すので、歯を気張ったり、クッションを握ってないと我慢できないほどの痛みでした。</span></p><p dir="ltr"><span>当時はゴールデンウィークで連休が重なり、検査結果が遅れるので、その間は輸血等で体調の改善をはかりました。</span></p><br><p dir="ltr"><span>５月８日、自宅に外泊して抗がん剤を使うことで髪が抜けるショックを抑えるために家族との相談で坊主になり父も僕の不安を紛らわすために坊主にしてくれました。</span></p><p dir="ltr"><span>&nbsp;その後、地元の中学校に行き、入院することと、支援学校に転校することを中学校のクラスメイトに挨拶する時間をもらい、クラスメイトの前で話をしました。</span></p><p dir="ltr"><span>その時、僕は号泣してしまいました。</span></p><p dir="ltr"><span>&nbsp;もっと学校生活を送りたかったし、楽しく生活したかった気持ちと同時に、「必ず病気を治して戻ってくる。またサッカーをするぞ」と言う強い気持ちになりました。</span></p><br><p dir="ltr"><span>５月１３日、骨髄検査の結果待ちではあったが、骨髄異形成症候群（mds）の可能性が高いと言われました。</span></p><br><p dir="ltr"><span>５月１４日、二度目の骨髄検査実施。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr"><span>５月１５日、中心静脈にカテーテル（CVC）手術を行う</span></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">５月１６日、カテーテル手術後の影響で３９度の熱が出る</p><p dir="ltr">　　　　※術後にカテーテルから菌が入ってしまう事は</p><p dir="ltr">　　　　　よくあること。</p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>５月２７日、一度目の骨髄検査の結果、家族とともに主治医から骨髄異形成症候群と診断されました。</span></p><p dir="ltr"><span>このときも、僕はあまり不安な気持ちはなく、病気に勝って必ず治すという強い気持ちでした。</span></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr">今回も読んでいただきありがとうございました。</p><br><br><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/mizuki77739/entry-12872260098.html</link>
<pubDate>Thu, 24 Oct 2024 09:30:09 +0900</pubDate>
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<title>中学生になった僕に待っていた現実　その2</title>
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<![CDATA[ <p></p><p dir="ltr"><span>※前回の続</span>き</p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr"><span>　２０１５年４月２８日、熱が下がってきて、学校に行けそうな状態までよくなりました。学校を休みすぎてしまうと授業などに遅れが出てしまうし、次の日が祝日ということもあったので頑張って自転車で学校に向かいました。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr">　やっぱり自転車に乗ると足も重く、酸欠状態になり、登校途中で早く帰りたいと思いながらも、学校付近の坂を登っていました。<br></p><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>　登っている途中から気持ち悪くなり、僕はその場で座り込み、嘔吐しました。</span></p><p dir="ltr"><span>嘔吐はしたのですが、もう休む事はできないと思っていたので、気分がすっきりしたら教室に行こうと当時の僕は思ってました。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr"><span>　そんなときに当時の担任の先生が僕の目の前を偶然にも車で通って「大丈夫か？」と声をかけてくれて、先生が保健室まで運んでくれました。また、僕が乗っていた自転車を駐輪場まで運んでくれたクラスメイトにも感謝しています。</span></p><p dir="ltr"><span><br></span></p><p dir="ltr">　もし誰にも声をかけてもらわなければ、無理矢理にでも登校していて、倒れていた可能性が高かったと思うので、クラスメイトと担任の先生は命の恩人です。</p><p dir="ltr">　</p><p dir="ltr"><span>　その後、保健室に運ばれた僕は、母に迎えに来てもらいそのまま自宅に帰り、自宅で</span>父が僕の体の異常を分かってくれて、紹介状が必要な病院に受診できるよう電話で掛け合ってくれて、その日の夕方に診てもらうことになり、母に連れられて小児科で血液検査をしました。</p><p>　</p><p>　僕はその時も「まぁただの風邪だろう。大きな病気をすることはない…」と思っていました。<br></p><p></p><p dir="ltr"><span>名前を呼ばれ、診察室に入り椅子に座ると、</span>お医者さんから</p><p dir="ltr"><span>「血液に異常があるので専門で見てもらえるところに搬送します。」</span></p><p dir="ltr"><span>と言われました。</span></p><p dir="ltr">　その言葉を聞いて、何が何だかわからなくなり頭が真っ白になって、学校に通えなくなるかもしれない、死ぬかもしれないという恐怖に襲われて、その場で泣き崩れました。</p><p dir="ltr">その後、救急車で専門的に治療してもらえる県立病院に搬送され、緊急入院しました。</p><p>病院についてしばらくしたときに父親が病室に来て泣いていた姿が今も忘れられないです。</p><br><p dir="ltr"><br></p><p dir="ltr"><span>これが病気とは無縁だった当時１２歳の僕に病気が見つかるまでの経緯です。</span></p><div><br></div><br><p dir="ltr"><span>　人生ほんとにいつ何が起こるかもわからないし、いつ病気になるかなんて誰にもわかりません。</span></p><p dir="ltr"><span>　だからこそ一日一日自分が最大限できることを未来の自分が後悔しないように生活していきたいと思います。</span></p><br><p dir="ltr"><span>　</span></p><p dir="ltr"><span>この投稿が少しでも誰かの役に立っていたら幸いです。</span></p><br><p dir="ltr"><span>　</span></p><p dir="ltr"><br></p><br><br><br><br><p></p>
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<pubDate>Fri, 27 Sep 2024 22:50:24 +0900</pubDate>
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