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<title>マキャヴェリズム　カンピズム</title>
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<description>韓非子とマキャヴェリを主体に歴史などについての私なりの考えを載せています。</description>
<language>ja</language>
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<title>内部告発は有益ではあるが、悪口、誹謗中傷は百害あって一利ない</title>
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<![CDATA[ <p>政略論には悪口がどれほど危険であるかを述べております。</p><p>&nbsp;</p><p>人を傷つけるだけならず、自分を危険な目に追い込むことかということも。</p><p>更には有能な指揮官たるものは、部下に対して出身地や身分などによる差別や悪口を戒めるように強く述べております。</p><p>歴史をみても悪口は敵の戦意を向上させるだけで、弱体化させることは一切ありません。</p><p>悪口によって指揮が高くなり、さんざんに敵を打ち破った後の捕虜に対する残忍な行為にも及びます。</p><p>&nbsp;</p><p>現代社会においても金品を盗まれて殺人にいたる例は多少なりともありますが、悪口誹謗中傷によって殺人を引き起こすことは枚挙にいとまがありません。</p><p>&nbsp;</p><p>韓非もこの悪口に関しても、虎の威を借る狐、猛犬と揶揄しております。</p><p>&nbsp;</p><p>つまりは上の人間には媚びへつらい、下の人間に幅を利かす。</p><p>そして告げ口、誹謗中傷で都合の悪い人間を排除する。</p><p>&nbsp;</p><p>すると下の人々はいわゆるお局の顔色だけを伺い、君主や指揮官の目はふさがれてしまうと。</p><p>&nbsp;</p><p>自分自身も悪口は言わずに生きていきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてもし人の上に立つ立場になるのなら、部下には悪口誹謗中傷はさせず、告発は受け付けても告げ口は受け付けない人間になりたい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mkrizumu/entry-12616750185.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Aug 2020 21:27:09 +0900</pubDate>
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<title>目的の為には手段を選ばない</title>
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<![CDATA[ <p>マキャヴェリを知る人はよくこういいます。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし私が見るからには、そのような記述はありませんでした。</p><p>あるのは、「国家が存亡の危機に立たされた時は、そこで求められるのは手段ではく、最善の結果である。」と。</p><p>&nbsp;</p><p>生きるか死ぬかの時は、誰もが認める結果を導き出せば、手段は許されると述べています。</p><p>&nbsp;</p><p>つまり、具体例を出すと、1990年にサハリンでやけどを負ったコンスタンチン君を、ヘリコプターで札幌医科大学附属病院に搬送したことが有ります。</p><p>&nbsp;</p><p>この経緯につきましては省きますが、外務省は査証なしでコンスタンチン君の日本上陸を許可しております。</p><p>本来であれば法律に基づき、できない事でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしこの外務省、並びに北海道警察や医師に対して更迭や罰則はありませんでした。</p><p>なぜなら誰もが認める英断だったからです。</p><p>これを法律違反などと非難をした人はいなく、称賛する人ばかりでした。</p><p>&nbsp;</p><p>つまりマキャヴェリの言わんとすることはここだったと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、君主論、政略論が広く世の人に読まれるにつれ、解釈の幅もそれに伴います。</p><p>いつしかマキャヴェリの「目的のためには手段を選ばない」の本質から外れ、まるで悪徳を行うことを正当化するような著作が多い気がします。そしてそれが定説のようになっている状況は大いに嘆くことと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mkrizumu/entry-12615312157.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Aug 2020 12:00:12 +0900</pubDate>
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<title>適善の善を求めず、必然の道を歩ます</title>
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<![CDATA[ <p>韓非は人民に善い行いをしてもらおうと思わず、そうせざるを得ないようにしなさいと説いた。</p><p>これを聞くと人をがんじがらめにして操る印象があるかもしれません。現にそのような解釈をする人や、書籍もありました。</p><p>&nbsp;</p><p>私は断じて否です。</p><p>&nbsp;</p><p>韓非の言わんとするところは、一言でいうと、現代の義務教育でしょう。</p><p>つまり、人々に勉強してもらおうと期待するのでは無理がある。だから7歳から9年間の教育を憲法で義務付けるわけです。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしその言葉を文字通り受け取る人は、人を軍令のようにして思い通りに操れという解釈になるように思えます。</p><p>&nbsp;</p><p>韓非は人民に自ずから勉強と国防をしてもらおうと期待するのではなく、人民を法と権力によって勉強と国防をする仕組みを作るよう説いたのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mkrizumu/entry-12614627782.html</link>
<pubDate>Fri, 31 Jul 2020 13:13:38 +0900</pubDate>
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<title>マキャヴェリと韓非子</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200730/13/mkrizumu/01/75/j/o0191026314796474123.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="263" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200730/13/mkrizumu/01/75/j/o0191026314796474123.jpg" width="191"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20200730/13/mkrizumu/16/b8/j/o0619077814796474665.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="277" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20200730/13/mkrizumu/16/b8/j/o0619077814796474665.jpg" width="220"></a></p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">&nbsp;</p><p style="text-align: left;">マキャヴェリと韓非子は一統の帝王学として知られております。</p><p>&nbsp;</p><p>私は韓非子を明治書院の本で見た後に安能務氏の韓非子を読みました。その本の帯に、「マキャヴェリより1400年も早く書いた一統の帝王学」と書かれていて、それをきっかけにマキャヴェリを読むようになりました。それが24歳ごろです。</p><p>&nbsp;</p><p>本を読むにつれて、自分で考えても勉強しても限界があり、経験豊富な人に教えを乞うことが重要だと思いましたが、なかなか智謀を得ることは難しかったです。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし社会経験を積み、考えることよりも感じることを主体にすると、いろいろな意味で道が開けると同時に、自分の為になる、または同じような人々との出会いがあることを確信しました。</p><p>&nbsp;</p><p>そしていま自分で得た、開眼したことを発表していくことを思い、ブログを開設しました。</p><p>&nbsp;</p><p>私はもし韓非子とマキャヴェリが、自分の書いた思想を世の人がどうとらえているかを知ったら、自分の意図することが伝わっていないと痛感すると思います。しかしそれは当たり前だと納得もすると思うのです。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜなら、両者は孔子、ルソーのように世の人々の為に書いたのではなく、一人の人間に対してのみ書いた本だからです。</p><p>マキャヴェリは本の中で、メディチ家に対してのみ献上し、権力を持った人間ではなく、権力を持つに値する人間にかいたと記しております。</p><p>韓非子はそのように人民には見せないなどとは記してはいませんが、君主が心得るべき考えとして記しており、内容からは君主に対してのみ記している本であります。</p><p>故に一般人が理解をする、またはしてもらおうということで著作したわけではないからです。</p><p>&nbsp;</p><p>私自身権力を持つに値する人間ではありませんが、少なくとも一般の人々が思う韓非子とマキャヴェリよりは理解があると思っております。</p><p>そして両者は決して民衆を家畜のように扱うような支配的思想とは違うように思います。</p><p>その私なりの考え、思いを今後綴ろうと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mkrizumu/entry-12614408634.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Jul 2020 14:28:16 +0900</pubDate>
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