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<title>聖書理解の助け since 1969</title>
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<description>このブログはMMが、理解した聖書理解についてお伝えするブログです。特定の宗派の考え方を肯定・否定するためのサイトではありません。また学術サイトでもありません。意見は大歓迎です。（攻撃はしないでください m(_ _ )m ）</description>
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<title>ルカ16:10　小さな事に忠実　何に？</title>
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<![CDATA[ <p>皆さんは、<font size="3">「<font color="#ff0000"><strong>忠実</strong></font>」</font>という言葉を聞く時に、思い出す聖書の句はどれでしょうか？</p><p> </p><p> </p><p><em>ルカによる福音書16:10（口語訳）「小事に忠実な人は、大事にも忠実である。そして、小事に不忠実な人は大事にも不忠実である。」</em></p><p><em><br></em></p><p><em>ルカ16:</em><a class="vsAnchor" name="bk10"><em>10</em></a> <em>（<span id="vs10" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">新世界訳）「ごく小さな事に忠実な人は多くのことにも忠実であり，ごく小さな事に不義な人は多くのことにも不義です。」</span></em></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">多くの場合、次の句とあわせて使用されている事が多いです。</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></span></p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカによる福音書16:11（口語訳）「神と富とに兼ね仕えることはできない」</em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカ16:</em><a class="vsAnchor" name="bk10"><em>10</em></a> <em>（<span id="vs10" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">新世界訳）「</span>あなた方は神と富とに対して奴隷となることはできません」</em></span><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span> </p><br><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">多くの場合、簡単に上記の句を用いて<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ç©è³ªä¸»ç¾©" target="_blank">物質主義</a> はダメだよ！という話にするのですが、今回はしっかり読んで見ましょう。</span></p></span><p><br></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">16章の前半は、主人のお金をちょろまかしていた家隷がクビになるときに、取引先の負債を減らして自分の再就職先を確保するという、まるでどこかの国の役人が<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/å¤©ä¸ã" target="_blank">天下り</a> 先を確保するための手段と同じ事を行うというお話です。（そしてこれをイエスは褒めています。）</span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">そして11節には（一部の方にとって）驚くべき言葉が・・・</span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカによる福音書16:11（口語訳）「もしあなたがたが不正の富について忠実てなかったら、だれが真の富を任せるだろうか。」</em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em><br></em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカ16:</em><a class="vsAnchor" name="bk10"><em>10</em></a> <em>（<span id="vs10" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">新世界訳）「</span>あなた方が不義の富に関して忠実であることを示していないなら，だれがあなた方に真実のものを託するでしょうか。」</em></span><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span> </p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">忠実なのは富に忠実ですか・・・。イエスって実は<font color="#ff00ff">物質主義者</font>？</span><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカによる福音書16:11（口語訳）「不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。」</em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカ16:</em><a class="vsAnchor" name="bk10"><em>10</em></a> <em>（<span id="vs10" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">新世界訳）「</span>不義の富によって自分のために友を作り，そうしたものが尽きたとき，彼らがあなた方を永遠の住みかに迎え入れてくれるようにしなさい。」</em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">金で友達を買収しろ・・・？イエスって実は<font color="#ff00ff">悪党</font>？</span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">イエスの例え話は前後の話と文脈を理解しないと理解できない事が多いですね。</span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">特に心が素直ではない人には、都合よく曲解できるという利点（？）</span><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">があります。</span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">さて、このお話の鍵はどこにあるのでしょうか？</span></p></span><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"> </span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカによる福音書16:11（口語訳）「欲の深いパリサイ人たちが、すべてこれらの言葉を聞いて、イエスをあざ笑った。 そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のまえでは忌みきらわれる。」</em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><em>ルカ16:</em><a class="vsAnchor" name="bk10"><em>10</em></a> <em>（<span id="vs10" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">新世界訳）「</span><span id="vs14" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">金を愛する者であるパリサイ人たちがこれらのすべてのことを聴いていて，彼のことを冷笑しはじめた。</span> <span id="vs15" style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">そこで［イエス］は彼らに言われた，「あなた方は人の前で自分を義とする者たちですが，神はあなた方の心を知っておられます。人の間で高大なものは，神から見て嫌悪すべきものだからです。」</span></em></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></span> </p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">ここで、話をまとめてみましょう。</span></span></p><p> </p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">この部分でイエスは、パリサイ人の考え方について述べた部分です。</span></span></p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">パリサイ人の事を「光の子」とさえ呼んで、その高潔さと義を認めておられます。</span></span></p></span></span><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">しかし、そんな「<font color="#ff00ff">光の子</font>」よりも「<font color="#ff00ff">世の子</font>」を実益があって賢いとして評価しておられます。</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">富に対して正しい使い方を知っている者が、イエスにとっての評価できる人であるという事なのです。</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">イエスは物質の富に忠実でない（使い方を知らない）人は、霊的な富にも忠実でない（使い方を知らない）という事を述べているのです。そして「光の子」は「世の子」よりも評価できないと。（「「義人」は評価対象にならないという判断です。このあたりはイエス前と以後での大きな違いの部分ですね。ある人ﾀﾁに言わせれば旧約と新約では別の神だといわれるぐらい。）</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">わかりやすく言えば、富（物質的/霊的）を貯金し続けるのをやめて富を使えって事です。何故でしょうか？使えば景気（物質的/霊的）が良くなるからです。</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">聖書の神は「生きている者の神」ですから。（この点はまた別の時に書きます）</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><font color="#ff0000"><strong>金は貯めるのが目的にとして存在するのではなく生活に役立てるために存在するのであり、聖書の知識も自分の義を実証するためにではなく人々に愛を広げるために存在するのである</strong></font>、</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><font size="3">イエスの述べる言葉は、<font color="#00ff00">全体<font color="#000000">を</font>素直</font><font color="#000000">に受け止めれば</font>簡単に<font color="#00ff00">理解</font>できます。</font></span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">全体を見て</span></span><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">素直に読んだとき、他の読み方があるのでしょうか？</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><font color="#ff0000"><font color="#000000">この句が述べる忠実とは、</font>富に対する（真の）忠実の事であり、富に対する忠実は人は神に忠実と同じである。　</font>これが結論です。</span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><br></span></span></p><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff"><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">ちなみに、ちょろまかし家隷の話は・・・僕は好きではありません。「そんなのありかぁ！」と思ってしまいます。僕の心の中のパリサイ人が文句を言ってます。(;^_^A</span></span></p></span><br><p><span style="BACKGROUND-COLOR: #ffffff">えっもしかして、不忠実？<br></span></p></span><br>
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<link>https://ameblo.jp/mm-mmmm/entry-10055994749.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Nov 2007 08:21:49 +0900</pubDate>
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<title>コリント第一15:33　悪い交わりは有益な習慣を損なう</title>
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<![CDATA[ <p>良い人と一緒にいれば、良い人になるのでしょうか？<br>悪い人と一緒にいれば、悪い人になるのでしょうか？</p><br><p>「<font color="#ff00ff">朱</font>に交われば<font color="#ff0000">赤</font>くなる」という言葉は後者の意味を持つ言葉です。</p><br><p>さて、聖書からこの点に関係する句を選ぶとすれば皆さんはどの句を選択しますか？</p><p>多くの場合、コリント人への手紙から例証することがあるかも知れません。</p><br><p><em>コリント第一15:33（口語訳） まちがってはいけない。「悪い交わりは、良いならわしをそこなう」。</em></p><p><em><br></em></p><p><em>コリント第一15:33（新世界訳） 惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです。</em></p><br><p>さて、この句の悪い交わりとは誰との交わりなのでしょうか？</p><p><br>これは"<font color="#0000ff">如何にも悪人</font>"との交わりや、"<font color="#0000ff">異教徒の交わり</font>"の事だと考えている方が多いのですが、実際にはどうなのでしょうか？</p><br><p>前後をよく読んでみますと、コリントの<font color="#ff0000">クリスチャンの間</font>での「死人の復活」に関する意見の相違に関してこの句が書かれています。そして「死人の復活」がないとする人たちの事を「<font color="#ff0000">悪い交わり</font>」としています。</p><p><br>しかし、この句のすごい！('-^*)/　ところは、パウロは彼らのことを「罪を習わし」（15:34）と激しい口調で断罪しているのに（さすが元強烈ユダヤ教徒）、その「罪人」をクリスチャン仲間としていることです。そして神に関する知識を持たないクリスチャンがいることもわかります。（このあたりのパウロはクリスチャンらしいですね）</p><br><p><font color="#ff0000"><font color="#000000">今日の結論。</font><strong><font color="#ff0000">「</font>悪い交わり」とはクリスチャン内の交わりの事</strong></font>です。</p><p>では、良い交わりは？</p>
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<link>https://ameblo.jp/mm-mmmm/entry-10055193687.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Nov 2007 22:54:05 +0900</pubDate>
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<title>テモテへの第2の手紙3:16　聖書全体は神の霊感を受けたもの？</title>
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<![CDATA[ <p target="_blank">聖書は誰が書いたのでしょうか？</p><p target="_blank"></p><p target="_blank">勿論、人間が書いたのですが、書かせたのは神である　という認識がユダヤ教徒やキリスト教徒の考えです。</p><p target="_blank">（神直筆は聖書によれば<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/ã¢ã¼ã»ã®åæ" target="_blank">十戒</a> だけです）</p><p target="_blank"></p><p target="_blank">さて、なぜ神が書かせたといえるのでしょうか？その証拠は？</p><p target="_blank">聖書からその根拠を・・・と、よくこの句が用いられます。</p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"><em>テモテへの第2の手紙3:16（口語訳）「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。」</em></p><p target="_blank"><em><br></em></p><p target="_blank"><em>テモテ第2 3:16（新世界訳）「聖書全体は神の霊感を受けたもので，教え，戒め，物事を正し，義にそって訓育するのに有益です。」</em></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"></p><p target="_blank"><em><br></em></p><p>はっきりと書いていますね。</p><p>「聖書は神の霊感により書かれた」　他にどんな読み方があるのでしょうか？</p><br><p>さて、今回の話のポイントは、<font color="#ff0000"><strong>ここでいう「聖書」はどの本の事</strong></font>か？ということです。</p><p>テモテが<font color="#0000ff">幼い時から読んだ</font>というこの「聖書」、パウロがテモテに書いているこの手紙を含むのでしょうか？</p><p>どう考えてもそうではないですね。</p><br><p>ここでパウロが述べているのは、今の言い方で言う旧約（ヘブライ語）聖書です。</p><p>新約（ギリシャ語）聖書は含みません。</p><p>なぜですか？この時には聖書として認識されていなったからです。（といういより大体この時期には多くの新約（ギリシャ語）聖書の各書は書かれていないし・・・）</p><p>新約（ギリシャ語）聖書が聖書として認識されたのは2世紀から3世紀と考えられています。</p><br><p>大体パウロ自身、書いた時点でこのテモテへの手紙が聖書に含まれるなんて考えもしなかったことでしょう。</p><br><p>素直に読めば、誰にでもわかる事です。</p><br><br><p>では、なぜ聖書全体について述べていると勘違いする人が多いのでしょうか？<br>それは、聖書が神の霊感を受けていることを何らかの形で証明したいと言う気持ちが、目を曇らせてしまうのしょう。</p><p>何を願うかは人の勝手なので、好きにしていただいて全然OKなんですが、聖書に書いていないことを勝手な妄想で解釈するのはあまりよろしくないのでは？（思い込むが激しいのでは？）</p><br><p>勿論、この句は"<font color="#0000ff">聖書は人間の本</font>"といっているの<font color="#0000ff">では</font><font color="#0000ff">ありません</font>。<br>しかし、間違いなく<font color="#0000ff"><font color="#0000ff">新約（ギリシャ語）聖書が神の</font>霊感を受けて書かれたといっているのではありません</font>。</p><br><p>聖書を<font color="#ff0000">正</font>しく読みましょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mm-mmmm/entry-10054773246.html</link>
<pubDate>Sat, 10 Nov 2007 08:50:35 +0900</pubDate>
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<title>黙示録（啓示）22:18,19　付け加え、取り去る者</title>
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<![CDATA[ <p target="_blank">ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教では聖書は<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/æ§ç´èæ¸" target="_blank">特別な本</a> として扱われています。</p><p><br>それらの人にとっては、その聖なる書物を書き換える事は良くないことだと感じているようで、各宗派では聖書とは別の教典を作成しています。</p><p>さて、今日は、聖書に文言を付け加えたり、削除したりすることについて聖書は何と述べているのか調べてみましょう。</p><br><p>このテーマの紹介ブログでも扱った句がその根拠としてよく使用されます。</p><br><br><p><em>ヨハネの黙示録22:18-19（口語訳）「もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、この書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべきぶんを、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」</em></p><br><p><em>啓示22:18-19（新世界訳）「これらのことに付け加える者がいれば，神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。 また，この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば，神は，命の木から，また聖なる都市の中から，すなわち，この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。 」</em></p><br><p><br></p><p>さて、これらの警告は聖書全体に当てはまるのでしょうか？</p><p>22:18の前半に注目しましょう。</p><br><br><p><em>ヨハネの黙示録22:18（口語訳）「<font color="#ff0000"><strong>この書の預言の言葉</strong></font>を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者が・・・」</em></p><p><br><em>啓示22:18（新世界訳）「わたしは，すべて<strong><font color="#ff0000">この</font><font color="#ff0000">巻き物の預言の言葉</font></strong>を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者が・・・」</em></p><br><br><p>素直に読めばわかりますが、この警告は<strong><font color="#ff0000">黙示録（啓示）の中の巻物（予言）に対して</font><font color="#ff0000">のみ</font></strong>の適用に読む事ができます。</p><br><p>では、なぜ聖書全体について述べていると考える人が多いのでしょうか？<br>それは、黙示録（啓示）が聖書の最後の書として提供されているからです。最後の書の最後の文言がこの警告なので、皆さん勘違いしてしまうのですね。（実際には最後に書かれたものではないと考えられています）</p><p>勿論、この句は"<font color="#0000ff">聖書の他の書を好きに書き換えてよい</font>"といっているの<font color="#0000ff">では</font><font color="#0000ff">ありません</font>。<br>しかし、間違いなく<font color="#0000ff">聖書全体に対する警告ではありません</font>。</p><br><p>聖書を<font color="#ff0000">正</font>しく読みましょう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mm-mmmm/entry-10054652390.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Nov 2007 13:54:19 +0900</pubDate>
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<title>正しい聖書の読み方について</title>
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<![CDATA[ <p>正しい聖書の読み方とは、どういう読み方でしょうか？</p><br><p>それは、聖書に書いてあることを　削らず　増やさず　読むことではないでしょうか？</p><p>多くの宗教団体の主張は、皆さん自分たちの考えが一番だと思っておられるようですが、その考えには聖書には書いていない考えや、書いていても気にしない考えなどがあるようです。大抵は聖書とは違う立派な書物がありそこに書いてある事が聖書より優先されるようです。</p><p>また、小難しい理解や見解を優先せさる場合もあります。</p><br><br><p><em>ヨハネの黙示録22:18-19（口語訳）「もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。また、もし、この書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべきぶんを、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる。」</em></p><p><em><br></em></p><p><em>啓示22:18-19（新世界訳）「これらのことに付け加える者がいれば，神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。 また，この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば，神は，命の木から，また聖なる都市の中から，すなわち，この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。 」</em></p><p><em><br></em></p><br><p>このテーマでは"正しく聖書を読む"事を前提に、聖書のみで理解できる理解を考えてみたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mm-mmmm/entry-10054640089.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Nov 2007 11:30:49 +0900</pubDate>
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<title>ブログはじめました。</title>
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<![CDATA[ <p>ブログをはじめることにしました。</p><br><p>様々な事柄を書いていきます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mm-mmmm/entry-10054637468.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Nov 2007 11:16:48 +0900</pubDate>
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