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<title>パリエムのひとり語り</title>
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<description>ジャワの詩人リヌス・スルヤディの代表作『パリエムの告白』を少しずつ和訳して紹介します。</description>
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<title>父と母が若かった頃</title>
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<![CDATA[ <font size="3">こころを落ちつける時に聴くのはいつでも<br><font color="#00BFFF">「アユン－アユン」</font>曲の調べ<br>それは夜を一枚また一枚とめくってゆきます<br>山から下りてくる風に吹かれて<br>枯れ葉がゆらゆらと舞うようにして<br>そして私も昔のあの頃へといざなわれるのです<br><br><font color="#00BFFF">９・３０事件</font>が起きる前の時代　<br>私の父は古参の<font color="#00BFFF">クトプラ</font>役者でした<br>若い頃はスウィトという名前で<strike></strike><br>長じてカルソ・スウィトと名乗るようになりました<br>愛称はゴンジン<br>父の劇団はとても人気が高かったのですよ<br>チャリティ公演や小屋掛けの芝居の上演は<br>１カ月間にも及ぶことがありました<br>地方の中小の町<br>　―バントゥル、スレーマン、ワテス、トゥリ、パクム、チュボンガン<br>ヨグヤカルタ特別州の外へも行きました<br>西へ、北へ、それから東へ<br>　—クラテン、プルウォルジョ、ボヨラリ、サラティガ、ムンティラン<br>父はたいてい二枚目の青年の役を演じ<br>たくさんの女達が父に憧れていたものです<br>口説きの場面になったらなおさらのこと　<br>　―高らかに愛を歌い上げる場面です―<br>観客達は感動のあまり言葉もなく<br>外では風さえ吹くのをやめ<br>虫達は鳴りをひそめ<br>木々達も耳を澄まします<br><br>母は<font color="#00BFFF">踊り子</font>でした<br>若い頃はパルジナという名前で<br>愛称はジナ<br>でも、シンデンとしては<br>ニケン・マドゥ・クンテルという源氏名で知られ<br>どれほどあちこちへと旅したことか<br>地方の中小の町<br>――バントゥル、スレーマン、ワテス、トゥリ、パクム、チュボンガン<br>ヨグヤカルタ特別州の外へも行きました<br>西へ、北へ、それから東へ<br>——クラテン、プルウォルジョ、ボヨラリ、サラティガ、ムンティラン<br>たいてい村長さんの家に泊めてもらいます<br>母も人気があって<font color="#00BFFF">タユバン</font>の会に招かれていきました　<br>幾人かの仲間達と一緒に<br>――同世代の踊り子グループです　<br>母がプリマドンナでした<br>客を相手に踊る時間ともなると　－それはもう－<br>村長さん、お役人さん<br>群長さんや県長さんまで<br>欲情にかられ　―抑えることなんて無理―<br>のど仏を上げたり下げたりするのです<br>母と踊りたくてたまらないのです<br>こらえてこらえて、順番を待つ<br>夜も更けようものならなおのこと<br><br>スウィトとパルジナがまだ独身だった頃<br>二人とも人のうわさに上っていた頃<br>二人そろって公演に呼ばれたときのこと<br>そう、クトプラとタユバンの公演です<br><br>　―それは本当に偶然のことでしたー<br>公演の場所はすぐ近くで<br>そこはバントゥル県<br>ヨグヤカルタの町の南<br>偉大なる神のお力により<br>二人はひき会わされたのです<br>コモとラティがそれぞれの体内に潜り込み　<br>スウィトとパルジナは恋に落ちました<br>天界の魔術にかかったかのように<br>二人は生を謳歌しました<br>場所も時も羞恥心も忘れ<br>場所はいつでもそこにあり<br>時はずっと昔から動いているのに<br>羞恥心が消えてなくなるのは<br>互いに追い求める生の炎の中で<br>場所も時もわきまえなくなった時<br>ああ、誰が知ることができたでしょうか<br>私という人間の種が<br>バントゥルの今にも朽ち果てそうな小屋の中で<br>私の両親によって植え付けられたことを<br><br>でも、クトプラの劇団や踊り子の集団は<br><font color="#00BFFF">あの滅茶苦茶な事件</font>の後、消滅してしまいました<br>多くの団員達が殺されて死にました<br>その他の団員の多くは軟禁状態<br>軍の司令部で毎週金曜日に点呼を受けるのです<br>震える心を抑え<br>朝の８時に点呼を受けるためにそこにいなければならない<br>父と母もそうでした<br>後悔することも疑うこともせず<br>順番に返事をするのです<br>悲しみもなければ溜息をつくこともなく<br>その心は不安に対して不死身でした<br>釈放の日が来るまで<br><br>そして、今はもう元通りになりました；<br>父の王様の被り物も衣装も<br>母の踊りの肩掛けも<br>きちんとたたんで棚の上にしまってあります<br>過ぎ去った人生の物語の一コマとして<br><br>そして、今はもう元通りになりました；<br>父と母は野良へ出ています<br>畑を耕し<br>陸稲や様々な作物を植えます<br>グヌン・キドゥル県ウォノサリで<br></font>
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<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 13:59:04 +0900</pubDate>
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<title>「空想の世界」の解説２〜マハバラタ物語〜</title>
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<![CDATA[ <font size="2">パリエムのひとり語り<br>今回彼女の口に上った名前は：<br><br>アルジュノ、アングライニ姫、スンボドロ妃、そしてリンブです。<br><br>これは、インドの古代叙事詩「マハーバーラタ物語」をもとに<br>ジャワ人が12世紀半ば頃から自分たちの独自の物語として翻案し<br>ジャワ風に作り替えてきた物語「マハバラタ」に登場する人物たちです。<br>そして、ジャワの「マハバラタ」は、主として影絵芝居ワヤンで語り継がれてきました。<br><br>インドのマハーバーラタからして、そもそも長大な叙事詩ですが<br>ジャワに渡ってきて以来<br>そのストーリーは幾多の枝葉に分かれて多くの果実をなし<br>様々に新たなストーリーを生み出してきました。<br><br>よって、「マハバラタ」のあらすじをまとめなさいと言われても<br>それはとても困難で、私には自信がないのですが。。。。。<br><br>そこで、日本で初めてワヤンの研究に着手し、<br>自らも創作ワヤンの上演活動を続けていらっしゃる松本亮さん（ワヤン協会主宰）の<br>『ジャワ影絵芝居考』（誠文図書、1975年）をもとに、<br>ジャワで語り継がれるワヤンの演目としての「マハバラタ」をまとめると、次の通りです。<br><br>登場する中心人物は「パンダワ五王子」と「コラワ百王子」で<br>彼らは祖父を同じくする従兄弟同士「バラタ一族」。<br>これらの主要人物の誕生、結婚、旅などに関する演目は無数にあるが<br>基本をなす演目だけでも200を超えると言われている。<br>中核をなす演目の流れは、バラタ一族の内紛である。<br>「パンダワ五王子」を何かと疎み、憎む「コラワ百王子」。<br>なんとかして「パンダワ」を亡きものにしようと様々な謀略をめぐらし<br>最終的には王国をかけた大戦争「バラタユダ」につながってゆく<br>というもの。<br><br>そして、この「パンダワ五王子」の三男がアルジュノ（アルジュナ）Arjunaです。<br>文武両道の美丈夫として名高いアルジュノは<br>ジャワの多くの女性にとってあこがれの男子（かもしれません。）<br>でも、多くの女性との浮き名を流すことでも知られる色男。<br>よって、むしろジャワの男子にとっての理想像ではないでしょうか。<br><br>そんなわけで、アルジュノの妻は星の数ほどいるらしい。<br>とりあえず第一夫人として登場するのはスンボドロSumbadra。<br>穏やかで控えめで、かつ非常に賢い女性として描かれます。<br>彼女こそが、かつてはジャワ人にとっての理想の女性像だったと言えるでしょうか。<br>第一夫人なので、アルジュノの家＝マドゥコロの館に住んでいます。<br><br>そして、アングライニ姫とは。。。。<br>実はMbak Yungはこの姫のことをあまり良く知らなかったので調べてみましたら<br>インドとジャワでは描かれ方がずいぶん違うようです。<br>どうやら作者リヌスが描いているアングライニ姫とは<br>アルジュノの妻のうちの一人で<br>正妻のもとに帰ってしまったアルジュノが戻ってきてくれるのを<br>ただひとりじっと耐え忍び、待っている。<br>そんな風に描かれているように思えます。<br><br>そして、一晩のワヤンで欠かせないのが道化たち。<br><br>主要人物に付き従い、いつも歌や笑い、ボケとツッコミで観衆を飽きさせず<br>また歯に衣着せぬ辛辣な社会批判もしばしば飛び出す<br>そんな役回りが道化たちです。<br><br>ここで登場するリンブLimbukもそのひとり。<br>道化は、決して眉目秀麗ということはあり得ず<br>たいてい異形でかつまぬけ、しばしばずる賢さも見せます。<br>おそらく、人間の負の部分をすべて請け負っているのでしょう。<br><br>リンブはずんぐりむっくりとした体型の女中役です。<br>目はぎょろっとして鼻も低く、おまけに猪首で二重あご。<br>いつも一緒に登場する母親のチャンギCangikは<br>それとは逆に痩せた老婆で、細いたれ目に下あごを出して甲高い声でしゃべりまくる。<br>２人とも、決してカッコいい人物ではないのですが<br>それでも見ているとなんだかほっこりと心が和みます。<br><br>このリンブこそがおまえにふさわしい役どころだよ、と<br>パリエムはベチャ引きのおじさんに言われてしまいました。<br><br>ベチャbecakとは、３輪の人力タクシー。<br>ジャワの庶民の足として愛されてきました。<br>ちょっとそこまで、歩いていくには少し遠いと思われる距離なら<br>迷わずベチャでしょう。<br>また、市場で食材を仕入れて帰宅する時<br>重い荷物はベチャに乗って運ぶのが一番でした。<br><br>ベチャのおじさんは毎日色々な人をお客に乗せ<br>暑い昼日中には汗だくになってペダルを漕ぎ<br>雨の日は雨合羽を身につけて身体をはって生きています。<br>そうして人々の暮らしぶりを<br>いつも黙って後ろから見ているのではないでしょうか。<br><br>そんなおじさんが軽口を叩くほどに親しい間柄のパリエムですが<br>若いパリエムが「リンブがお似合いだ」と言われて嬉しいはずはありません。<br>ご機嫌ななめ。<br>でも、それはきっと本当のことなのでしょう。<br>ベチャのおじさんには、お見通し。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130519/16/mmpariyem/4e/ba/j/o0800053612544632607.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130519/16/mmpariyem/4e/ba/j/t02200147_0800053612544632607.jpg" alt="$パリエムのひとり語り" border="0"></a><br><br>市場で鶏と野菜を仕入れて帰ってきたおばさん。<br>日よけの編み笠をかぶり、足にはゴム草履のベチャ引きのおじさんに<br>家の前まで送ってもらいました。<br>拡大すると、鶏がよく見えますよ～<br>(1992年頃。ジョグジャカルタ市内）<br><br><br><br><br><br> <br></font>
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<pubDate>Sun, 19 May 2013 16:56:25 +0900</pubDate>
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<title>「空想の世界」の解説１〜ダマルウラン物語</title>
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<![CDATA[ <font size="2">今回のパリエムの語りは<br>ジャワの民話「ダマルウラン物語」がベースになっています。<br><br>ダマルウラン物語は<br>13世紀末～15世紀末にジャワ島東部を中心として栄えた<br>モジョパイト王国（マジャパヒト王国とも）時代を背景としています。<br><br>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br><br>主人公のダマルウランは故あって祖父と田舎暮らしをしておりましたが<br>たくましい青年に成長すると都へ出て宮殿の下男としてまじめに働いていました。<br>その姿に恋心を寄せたのが美しく心優しいアンジャスモロ。<br>２人は相思相愛となります。<br><br>そんな時、モジョパイト王国の東にあるブランバンガン国では<br>国王メナ・ジンゴがモジョパイト王国を手中におさめようと<br>モジョパイト王国の若く美しい女王スヒトに求婚します。<br>しかも、求婚が受け入れられなければ王国を武力攻撃するとの脅しまでかけてきました。<br><br>そこで宮廷では、モジョパイト王国を救うため<br>メナ・ジンゴを滅ぼすことのできる若者を探すこととなりました。<br>そうして白羽の矢が立ったのがダマルウランです。<br><br>ダマルウランはメナ・ジンゴと対峙しますが、最初はあっさりと負けてしまいます。<br>メナ・ジンゴは魔力をもった秘宝「ブシ・クニン」という棍棒をもっており<br>それを奪わない限り不死身なのでした。<br><br>メナ・ジンゴの妾たちワヒトとプエンガンは美しい青年ダマルウランに好意を寄せ<br>メナ・ジンゴの寝室から「ブシ・クニン」をこっそりと盗み出します。<br>そしてダマルウランは再度戦いを挑みます。<br>魔力をもった秘宝を失ったメナ・ジンゴはあっけなく敗北。<br><br>手柄をたてたダマルウランは、ワヒト姫、プエンガン姫を娶ったばかりか<br>最後には女王スヒトと結婚することとなりました。<br><br>＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊＊<br><br>ジャワの民話には様々なバージョンがあります。<br>この後、アンジャスモロも無事に妻の座につくことになるという話の展開もありますが<br>それにしても、やはり女性としてはあまり楽しい話ではなさそうですね。<br>おいてゆかれたアンジャスモロに共感するパリエムの気持ち、わかります。<br><br><br><br> <br></font>
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<pubDate>Fri, 22 Mar 2013 21:51:46 +0900</pubDate>
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<title>空想の世界</title>
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<![CDATA[ <font size="3">ええ、そうです、私はパリエムです<br>マリア･マグダレナ・パリエムというのがフルネームで<br>「イエム」と普段は呼ばれています<br>グヌン･キドゥル県ウォノサリの生まれです<br><br>私はよく空想の世界で遊びます<br><font color="#00BFFF">モジョパイト王国</font> の<font color="#00BFFF">アンジャスモロ姫</font> になったつもり<br>いつもせつない思いばかりしているの<br><br>恋人の<font color="#00BFFF">ダマルウラン </font>ときたら遠くへ行ったきり<br><font color="#00BFFF">ワヒト姫やプエンガン姫</font> と浮名を流し<br><font color="#00BFFF">スヒト姫</font> と歌なんか口ずさんでいる　<br>そのお城といったら、それはそれは立派で目がくらみそう<br>ついに手柄を立てて名をあげたならば<br>彼はもう思い出してもくれない、帰ってきてはくれないの<br><br>私も同じ、ひとりぼっち<br>悲運を嘆くばかり<br><br>ええ、そうです、私はパリエムです<br>マリア･マグダレナ・パリエムというのがフルネームで<br>「イエム」と普段は呼ばれています<br>グヌン･キドゥル県ウォノサリの生まれです<br><br>こんな空想もしてみます<br>ほっそりとした<font color="#00BFFF">アングライニ姫</font> になったつもり<br>いつもせつない思いばかりしているの<br><br><font color="#00BFFF">アルジュノ王子</font> ときたら出かけたきり<br>正妻の<font color="#00BFFF">スンボドロ妃 </font>にぞっこんで<br><font color="#00BFFF">マドゥコロ の館</font>、後宮の中庭<br>月の光に包まれて<br>仲睦まじく逢瀬を楽しんでいるのです　<br>ふたり、夢の国<br><br>私も同じ、ひとりぼっち<br>悲運を嘆くばかり<br><br>そんな気分に浸ってしまったときは<br>この身の現実を辛く苦しく感じます<br>力萎えて何もする気が起きなくて<br>気分も沈んでしまう<br><br>ああ神様、お許しください<br>私には女中が似合ってる<br><font color="#00BFFF">リンブ </font>になるのが似合ってる　<br><font color="#00BFFF">ベチャ引き </font>のおじさんもそう言ってからかうの　<br>でも、それを聞くたびに嫌な気分<br>うんざりだわ<br>自分自身に対してさえそう思う<br><br>でも、ふと我に返れば<br>またくすりと笑ってしまいます<br><br>ほんとに、パリエムったら　<br>そんな時は、こう言ってやるの<br>「自分を鏡に映してみれば？」<br>そんな風に私は言って<br>鏡の前にひとりで立ってみる<br><br>私はどこかおかしくなってしまったのかもしれません<br>気が変になってしまったのかもしれません<br>身体を投げ出し――転げまわって――<br><font color="#00BFFF">コロ神 </font>に飲み込まれて消えてしまいましょうか<br> <br></font>
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<pubDate>Wed, 20 Mar 2013 12:00:15 +0900</pubDate>
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<title>「ガムランの音」の解説５〜プルクトゥット</title>
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<![CDATA[ <font color="#00BFFF"><font size="4">プルクトゥット・マングンPerkutut Manggung</font></font><br><font size="2"><br>ガムランの古典曲の曲名です。とてもポピュラーなレパートリーと言ってよいでしょう。<br>Mbak Yungも習ったことがありますが<br>留学中には様々な場面で演奏されているのを聴くことができました。<br><br>プルクトゥットというのは、鳥の名前です。<br>鳩の一種で、外見はとても地味ですが大変良い声で鳴くことで知られています。<br>そしてマングンとは「高らかに鳴き続ける」といった意味でしょうか。<br>それと関連するかどうか確信はありませんが<br>この曲の半ばには、シンデンの声と技巧の聴かせどころがあります。<br><br>ちなみに、ジャワでは家の軒下に鳥かごをぶら下げ<br>朝夕に、その声を楽しんでいるご家庭が多く見られます。<br>町の真ん中に鳥の市場もあり<br>餌を買ったり鳥を眺めたりする人たちでいつも賑わっています。<br>そして、鳥の鳴き声コンテストまで開催されるのですよ。<br>そこで優勝した鳥の鳴き声はカセットテープに録音され販売されています。<br><br> <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130316/22/mmpariyem/35/10/j/o0800106712460237286.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130316/22/mmpariyem/35/10/j/t02200293_0800106712460237286.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊1997年頃に購入したカセット。<br><br><br>・・・・というのも、今は昔ですかね。<br>現在はYouTubeで美声を聴くこともできますから<br>perkututと入力して検索してみてください。<br>自慢の鳥とその鳴き声を録画した個人の動画やコンテストの様子などがアップロードされており<br>色々と楽しむことができます。<br><br>今でもプルクトゥットは人気が高いのですね。<br><br></font>
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<pubDate>Sat, 16 Mar 2013 22:17:48 +0900</pubDate>
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<title>「ガムランの音」の解説５〜ガドン</title>
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<![CDATA[ <font size="2">ガムラン合奏には様々な編成があります。<br><br>フル編成の大規模なものは20人ほどの演奏者からなり<br>各人がそれぞれ異なる楽器や歌のパートを担当します。<br>そこには青銅製のゴング類や鉄琴状の鍵板楽器、太鼓、弦楽器、竹笛などが含まれ<br>西洋のオーケストラ並み、楽器の種類は実に様々です。<br> <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/48/12/j/o0800051212458154422.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/48/12/j/t02200141_0800051212458154422.jpg" alt="$パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊フルセットのガムラン一式。<br>左の方にもいくつか隠れており、とても１枚の写真には収まらない。<br><br>そんな多様な楽器を用いる合奏音楽ガムランですが<br>大音量の出る銅鑼（ゴング）を用いずに<br>柔らかい音色の楽器のみで演奏されるのが「ガドン」とよばれる編成です。<br>ガドンは「ガドgado＝おかずだけ食べる」を語源としており<br>つまりは美味しいもの、良いものだけの組み合わせという意味合いをもつとされています。<br><br>そんなわけで、ガドンに用いられる主要な楽器は：<br>・ グンデルgender（青銅製のビブラフォンに類似した楽器）<br>・ ガンバンgambang（木琴）<br>・ ルバブrebab（二胡に類似した弦楽器）<br><br>これらの楽器はすべて大変音量が弱く<br>大編成のアンサンブルではなかなか音を聞き取ることができません。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/04/cf/j/o0800051212458154421.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/04/cf/j/t02200141_0800051212458154421.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊グンデル<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/c8/ae/j/o0800054012458154420.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/c8/ae/j/t02200149_0800054012458154420.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊グンデルを演奏する老演奏家（1991年、ジョグジャカルタで）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/56/35/j/o0800125112458154423.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/56/35/j/t02200344_0800125112458154423.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊ ルバブ<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/f5/18/j/o0800051212458154424.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/f5/18/j/t02200141_0800051212458154424.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊ガンバン<br><br>またこれらの楽器は、いわゆる「主旋律」を演奏するものではありません。<br>主旋律は演奏者たちの心の中に響いていて<br>演奏者たちはその旋律に合わせ<br>実際には楽器それぞれの独特で複雑な旋律型を奏でるのです。<br>よって、これらの楽器の演奏には高い演奏技術が求められ<br>多様なバリエーションや臨機応変の即興性も必要とされます。<br><br>ガドンはこのような構造からなるアンサンブルなので<br>初めて聴く人々の耳には、聞こえてくる実際の音は全くもってとりとめがなく<br>摩訶不思議な音楽として響くことでしょう。<br><br>また、これらの楽器の他に次の楽器やパートが加わることもあります。<br>・ スリンsuling（竹製の縦笛）<br>・ スレンテムslentem（グンデルと同類の楽器で、主旋律を担当）<br>・ クンダンkendang（太鼓）<br>・ゴングgong（銅鑼、曲の最初と最後、大きな節目に鳴らされる）<br>・ シンデンsinden（女性歌手）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/cd/89/j/o0800051212458160561.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/cd/89/j/t02200141_0800051212458160561.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a> <br>＊スレンテム<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/e2/15/j/o0800051212458160562.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/e2/15/j/t02200141_0800051212458160562.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊スリン<br><br> <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/76/5b/j/o0800053512458160563.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/76/5b/j/t02200147_0800053512458160563.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊クンダン３種<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/8e/18/j/o0800053512458166607.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130315/13/mmpariyem/8e/18/j/t02200147_0800053512458166607.jpg" alt="$パリエムのひとり語り" border="0"></a><br>＊ゴング<br><br>これらの楽器やパートが加わると、いくぶん聴きやすくなるかもしれませんが<br>いずれにしても現代の私たちが普段耳にするような<br>リズムやテンポを感じて首を振りながら鑑賞するタイプの音楽からはほど遠いでしょう。<br>したがって、「ガドン」が多くの人々の人気を獲得するとは考えにくいですね。<br><br>しかしながら、しっとりと柔らかなガドンの楽器と歌の声は<br>聴く者に対して強烈な主張をすることもなく<br>空気の中に音の粒となって散らばり、周囲を埋め尽くしてゆきます。<br>ですから、なぜか実に心地よい環境がそこには作り上げられて<br>私たちの身体や心をふんわりと包み込んでくれます。<br><br>ここでリヌスが書いている「昼のガドン」は<br>やはり民放ラジオ局が放送している番組名でした。<br>ジャワの暑い日の昼下がりにラジオから流れてくるガドンの音。<br>午睡にはもってこいの番組だったに違いありません。<br><br>＊日本で入手しやすいCDとして以下をご紹介します。<br>『中部ジャワの室内楽ガドン』キングレコード、KICW 8516　　<br><br> <br></font><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 15 Mar 2013 13:17:39 +0900</pubDate>
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<title>「ガムランの音」の解説４〜ウヨン・ウヨン</title>
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<![CDATA[ <font size="2">「ウヨン・ウヨンUyon-Uyon」とは<br>ジャワ・ガムラン演奏形態の中でも、舞踊や芝居などの伴奏音楽として演奏されるものではなく<br>純粋に音楽そのものを楽しむことを重視して演奏される形態のことを言います。<br><br>西洋古典音楽でいうところの「絶対音楽」という概念に近いでしょうか。<br><br>そして、「ウヨン・ウヨン・モノスコManasuka」とは<br>～私の記憶に違いがなければ～<br>1980年代、ジョグジャカルタの民放ラジオ局で放送されていた番組名です。<br>日本語に訳すと「ガムラン音楽の楽しみ」という感じでしょうか。<br><br>ちなみに、Mbak Yungが高校生～浪人時代に楽しみに聴いていた番組のひとつは<br>NHK ・FM放送の「バロック音楽の楽しみ」でした。<br>この番組は、皆川達夫先生のわかりやすい解説とともに<br>バロック時代の名曲が紹介されるものでしたが<br>ジャワの「ウヨン・ウヨン・モノスコ」も専門家の解説こそありませんでしたが<br>アナウンサーの控えめでおっとりとした声の調子が<br>ガムランのまったりとした響きとあいまって<br>ジャワの昼下がりのけだるい音風景を生み出していたと記憶しています。<br><br>ラジオ局名は確か・・・「ルチョブントゥンRecobuntung」だったでしょうか。<br>民放ラジオの中でも、最も人気の高かったラジオ局です。<br><br>そこで思い立ってネットで調べてみたら・・・ラジオ局は今でも健在でした。<br>さすがIT時代。日本でもリアルタイムで聴取できることがわかりました。<br>JOGJA STREAMERSで検索すると<br>ジャワ中部の主なラジオ局の放送を提供するサイトがヒットします。<br>その中からRetjoBuntungをクリックすると、番組を聴くことができますよ。<br><br>ところで「ウヨン・ウヨン・モノスコ」は今でもあるかしら・・・・？<br>番組表の中を探してみたら、さすがにもうありませんでした。<br>でも、日曜日の深夜（つまりは月曜の02:00~03:00）の時間帯で<br>「ウヨン・ウヨン」と題された番組が放送されているようです。<br><br>また、前回取り上げたサンディワラは<br>日曜日の夜21：00～22：00の時間帯で<br>「ジャワ語サンディワラ」という番組が組まれています。<br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/mmpariyem/entry-11488459469.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Mar 2013 22:57:15 +0900</pubDate>
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<title>「ガムランの音」の解説３〜サンディワラ</title>
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<![CDATA[ <font size="2">インドネシア語で「芝居」を意味することば。<br><br>前回に解説したクトプラは生粋のジャワ民族の芝居で<br>ジャワ語を用いてジャワの伝統音楽を伴奏音楽とし<br>ジャワの衣裳やジャワ的な表現様式で芝居を上演します。<br><br>一方サンディワラはそもそもインドネシア語の語彙であることからもわかるように<br>インドネシア語（マレー語）で演じられる場合もあれば<br>さまざまな民族集団が独自の民族語（地方語）を使うこともあります。<br><br>では、サンディワラの特徴は何か？<br>それには誕生時の歴史的背景が大きく関係しているように思います。<br><br>インドネシアの諸民族は<br>独立以前の遠い昔から独自の言語と伝統的な芝居の様式をもっていました。<br><br>ところが20世紀に入ると、インドネシアという一つの国家としての独立の気運が高まり<br>「インドネシア語」という統一言語の使用が必要とされるようになりました。<br>また、19世紀後半から新しい外来文化を積極的に受容するようになり<br>社会文化的な「時代の雰囲気」が大きく変わっていったのです。<br><br>サンディワラも、そういった時代に生まれた<br>新しい様式の舞台演劇であるといってよいでしょう。<br>上演する内容も、クトプラよりもはるかに幅広い演目が取り上げられ<br>伴奏音楽や上演様式もかなり自由であったようです。<br><br>ここでパリエムが言っているサンディワラとは<br>おそらくジャワ語を用いた芝居のことでしょう。<br><br><br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/mmpariyem/entry-11486173738.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Mar 2013 20:32:03 +0900</pubDate>
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<title>「ガムランの音」の解説３〜クトプラ</title>
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<![CDATA[ <font size="2">ワヤンについては、以前に書きました。<br>クトプラについては、「宗教２」で「クバヤ」を取り上げたとき<br>写真のキャプションに「大衆芝居クトプラ」とさりげなく書きましたが<br>解説はまだでしたね。<br><br>クトプラというのは、20世紀初頭に誕生した大衆芝居のひとつです。<br><br>芝居といえば、ジャワでは影絵芝居ワヤン・クリが有名ですが<br>芝居の形態にはこのほかに<br>・舞踊劇「ワヤン・ウォンwayang wong」（ワヤン・オランorang）<br>・仮面劇「トペンtopeng」<br>などが遠い昔から貴族社会で高度な繊細さをもって洗練され<br>そして庶民の間ではその亜流とはいえ<br>人々による生命力あふれる力強さをもって伝承されてきました。<br><br>芝居といっても、娯楽として楽しまれるという以前に信仰との関わりが強く<br>人生の通過儀礼や共同体の祭礼において<br>必要不可欠な装置であったと言ってもよいでしょう。<br><br>そこへいくとクトプラは、純粋に娯楽として作られ楽しまれるようになった芝居です。<br>一説によれば19世紀末のジャワ島中部で、<br>農民たちが楽しんでいた娯楽としての寸劇を目にしたさる貴族が<br>それをたいそう気に入り、伴奏音楽を洗練し<br>より質の高いものとなるよう指導したといわれます。<br><br>さらに、20世紀初頭に台頭してきた中華系の人々がそれを商業化し<br>当時大流行していたマレー系の舞台演劇から物語や舞台装置を取り入れるなど<br>近代化のまっただ中のジャワ社会で、新しい文化を自由に取り入れ<br>様々な形に発展していった結果出来上がったのが、現在のクトプラの姿のようです。<br>　　　<br>『パリエムの告白』が書かれた70年代～80年代は<br>クトプラはまさに庶民の娯楽の王様。<br>商業公演のための劇団はいくつもあり<br>国営テレビやラジオでは人気番組で<br>結婚式や割礼式、村の祭礼でもそれまで一般的であったワヤンに取って代わり<br>クトプラが上演されることが非常に多かったのです。<br>　　　<br>＊ このあたりの状況は『ジャワの音風景』（めこん、1994年）に詳しい記述があります。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/50/79/j/o0800051112447185932.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/50/79/j/t02200141_0800051112447185932.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br><br>商業公演のクトプラ：芝居小屋外観　（1992年）<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/44/62/j/o0800052812447185930.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/44/62/j/t02200145_0800052812447185930.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a> <br><br>商業公演でのクトプラ舞台（1992年）<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/7a/66/j/o0800116812447185931.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/7a/66/j/t02200321_0800116812447185931.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a><br> <br>結婚式の祝いの夜：新郎の家の庭先に招かれたクトプラ劇団（1993年頃）<br>老若男女が舞台にかぶりつきで役者を見つめる。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/ff/bc/j/o0800052912447185933.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/ff/bc/j/t02200145_0800052912447185933.jpg" alt="パリエムのひとり語り" border="0"></a> <br><br>こどもたちは、人気役者の真後ろに座って観劇中。<br><br>さて、それでは21世紀の現在、クトプラはどのような状況か。<br>残念ながらアマチュア公演以外にはほとんど見ることができないようです。<br><br>逆に言えば、庶民の芸能として20世紀初頭に生まれたクトプラは<br>100年の月日を経た21世紀<br>ふたたび庶民が自ら楽しむ芸能に立ち戻ったということでしょうね。<br><br><br><br><br><br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/mmpariyem/entry-11485140422.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Mar 2013 09:39:28 +0900</pubDate>
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<title>「ガムランの音」の解説２〜シンデン</title>
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<![CDATA[ <font size="2">ジャワのガムラン音楽は<br>主に青銅でできたゴング属や鉄琴のような鍵板楽器<br>木琴、太鼓、胡弓や琴に類する弦楽器からなるインストルメンタルが中心となっていますが<br>男女の声による歌も同時に歌われることが多いです。<br><br>西洋音楽や日本の音楽のように<br>ジャワの歌謡も楽器を伴奏として歌われることもありますが<br>ガムラン古典曲の多くにおいて「声」は楽器と同等です。<br>つまり、人間の声は器楽パートと同列にみなされており<br>「詩（文学）」を人間の声が歌うとはいえ、あくまでも器楽的に扱われているのです。<br><br>そういった役割をもって女性によって歌われるのが「シンデン」と呼ばれるパートです。<br><br>シンデンは、他の楽器の奏でるメロディやリズムに絡み合うように<br>つかず離れず、比較的自由なリズムで<br>チェンコcengkokと呼ばれる旋律型を歌います。<br><br>音域は、西洋音楽で言えば低い音はおおよそ真ん中の「ド」から４つ下の「ソ」<br>高い音は１オクターブ上の「ド」から５つ上の「ソ」あたりまで。<br>つまり、２オクターブにわたる音域で<br>西洋音楽で言えばアルトからソプラノの音域をカバーしていると言えます。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/9d/25/j/o0800026612447165543.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130307/09/mmpariyem/9d/25/j/t02200073_0800026612447165543.jpg" alt="$パリエムのひとり語り" border="0"></a><br><br>ちなみに、決まった発声法はありません。<br><br>歌手はそれぞれに地声あるいは上手に裏声を用いて<br>とにかく青銅楽器に負けないほどの声量で<br>身体全体を響かせるようにして歌います。<br><br>実は、Mbak Yungも若かりし頃、ガムラン演奏を学んでいました。<br>20歳～24歳くらいまで。<br>指導して下さっていたジャワ人の先生の声の美しさと<br>どこか懐かしいジャワの歌の響きに憧れて<br>私も歌いたいと思うようになったのです。<br>しかし、それは簡単なことではありませんでした。<br><br>当時の私は音楽学部の学生でしたから<br>副科声楽の授業で西洋古典音楽の声楽を学び<br>選択科目で邦楽の「常磐津」の声楽も学んでいました。<br>これにジャワの歌が加わり<br>異なる文化の声楽を同時に３種類学ぶことになったわけです。<br><br>あの頃は、この異なる文化の歌を歌い分けることがとても難しかった。<br>それはなぜか。<br><br>大学に入学するまで私にとって「歌」とは<br>西洋音楽で求められている発声で歌うものであり<br>「地声」で歌うということをそれまで体験してこなかったからです。<br>小学校でも中学校でも<br>「地声」はダメ。<br>「頭声」で歌いましょう。<br>と指導されてきたからです。<br>皆さんもそうではないですか？<br>そして私は、「良い声で上手に歌を歌う女の子」として大切にされてきました。<br><br>ところが、ジャワの歌を学び始めた私はうろたえました。<br>「地声」、「地」のままの声。<br>人それぞれが自分で持っている本来の声で歌うことが難しいってどういうこと？？<br>それに気づいた私は愕然としました。<br>そして、大学３年の夏休みに２ヶ月間ジャワを訪問し<br>スラカルタの「マンクヌガラン宮殿」でシンデンのレッスンを受けながら<br>ジャワの地でたくさんのシンデンの「声」を聴きました。<br><br>彼女たちの声は、しっかりと地に根っこがはっていて力強く<br>それでいて、供物として捧げられた香の煙のようにゆらゆらと<br>あたりいっぱいに広がってゆくのでした。<br><br>ちょうどそれは80年代初頭。<br>リヌスが『パリエムの告白』を書いたのも同じ時期で<br>当時ジャワで人気を博していたシンデンの１人が、チョンドロ・ルキトCondro Lukitoでした。<br>私は、ついぞ生の声を聞くことができませんでしたが、<br>市場には彼女の歌うガムランのカセットがあふれていました。<br><br>今では人気のシンデンと言えば若くて美人でスタイルも良く<br>艶のある声でキラキラと歌い上げるタイプが多いですが<br>チョンドロ・ルキトやその時代に人気のシンデンは比較的おちついた中年婦人で<br>しっとりと落ち着いたその声は、こころやすらぐ響きだったように記憶しています。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130304/22/mmpariyem/25/4b/j/o0800054312444167690.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130304/22/mmpariyem/25/4b/j/t02200149_0800054312444167690.jpg" alt="$パリエムのひとり語り" border="0"></a><br><br>クトプラの舞台で演奏するガムラン楽団。<br>太鼓の後ろで歌うのがシンデン。(1992年)<br><br><br></font>
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<link>https://ameblo.jp/mmpariyem/entry-11483540619.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Mar 2013 22:05:11 +0900</pubDate>
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