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<title>なぐも翁の読書日記</title>
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<title>数学ガール</title>
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<![CDATA[ 　絶対数学というものがある。詳しくは分からないが、どうやら大変な数学らしい。ゼータ関数の学者である黒川信重によれば、その体系は従来の数学とは全く違うという。さらに、今までの数学を木の幹や枝、葉だとすれば、絶対数学は根だというのである。<br>　とっても面白そうな数学だが、なんだか非常に難しそうでもある。まず前提となるゼータの世界が難しい。だいたい、一億円の懸賞金のかかった難問の一つが、ゼータ関数に関するリーマン予想だったはずだ。もともとは素数の分布に関する予想だったリーマン予想は、意外なほど発展して、原子の構造や宇宙の構造とも相似な関係をも示すのではないか、ともいわれている。ただ、筆者のカンでは、少なくともあと十年は、この予想は解決しそうにない。<br>　というわけで、あまり難しい数学は他の人に任せて、こちらは気楽な数学書でも読もう。結城浩の『数学ガール』ではどうだろうか。日坂水柯によるコミックにもなった、人気作品である。現在は、シリーズとして三冊だが、この後もあるのかどうか。<br>　内容は、高校生の「僕」が、同級生でミステリアスな美少女ミルカさん、後輩のお元気少女テトラちゃん、そして、奔放な従妹ユーリの三人の少女たちと、数学の問題を解いていくというものである。数学は好きだったが、少女たちとはとんと無縁だった筆者としては、なんとも羨ましい話だなあ、と思ってみたりするのだが、それより、彼らが解いている問題があまりに難しいものなので、ちょっと吃驚である。少なくとも高校時代、筆者は、ここまで数学を追求していなかった。そういう意味でも、羨ましい話である。<br>　というわけで、鉛筆片手に、「僕」と一緒に数学の世界に遊んでみるのは面白いかもしれない。さて、１冊目がオイラー、２冊目がフェルマー、３冊目がゲーデルと、頭文字を記すと、ＥＦＧとなっているので、次があるとすれば、Ｈでヒルベルトあたりだろうか。そんなよそごとを考えていると……、ほら、計算ミスをしてしまう！　なお、筆者の好みの少女は、ちょっぴり太目なテトラちゃんであるというのは、余計なことであるのは言うまでもない。<br>
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<pubDate>Wed, 05 Jan 2011 20:54:56 +0900</pubDate>
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<title>『醒酔笑』</title>
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<![CDATA[ 　正月だから、笑える本はないものか、と書棚を漁ってみたら、笠間書院の影印本シリーズの『醒酔笑』が出てきた。この本は、昭和六〇年頃に購入したもので、『醒酔笑』の抄本の版本のコピーである。抄本ではないものは、第六巻だけ、種々の写本のコピーは持っている。何故なら、大学二年の時、国語学演習という授業で、『醒酔笑』第六巻の研究というものをやった時の残骸である。抄本のコピーが出版されたのが、それよりも数年後、活字本の決定版である岩波文庫版が出るのが、もっと後、ということで、大学時代は、ウンウン唸りながら変体仮名と、どう崩したかよくわからない行書ばかりの本を読んだものだ。<br>　というわけで、版本の『醒酔笑』を久々に読んでみた。えっ、読みづらい。かつて買ったばかりの頃は、すいすいとはいかないもののまあまあ読めたのに、すっかり変体仮名を忘れてしまっている。勉強し直さなければいけない……。慌てて、岩波文庫を引っ張り出してみる。で、今回初めて気がついた。一巻と二巻の順番が違う！　今まで、気がつかなかった……。バラバラに読んでいたせいだ。ついでに言うと、本文も、かなりの異同がある。抄本と完本だから、収録話数に違いがあるのは当然として、こんなところ省略したら話が分からなくなるだろう、という部分まである。誰だよ、この版本を作った奴。寛永時代に生きていた誰かに違いないのだが、そんな四五〇年以上も昔の人間に文句を言っても始まらない。<br>　というわけで、今年も勉強していかないといけないことを、あらためて自覚させられる正月となった。<br>
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<link>https://ameblo.jp/mnag4755/entry-10756648603.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Jan 2011 08:52:00 +0900</pubDate>
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<title>書斎記</title>
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<![CDATA[ 　どういうわけか、読書日記を始めることになった。その経緯については、後々述べることもあるかもしれないので、ここでは詳しく述べない。ただ、日記とは言いながら、毎日の更新ではなく、ぼちぼちとやっていくつもりだから、その辺はあしからず。ついでに言うと、普通の読書日記のように感想を述べることもあるが、それ以上に、本という資料についての様々なことを述べることになると思う。<br><br>　さて、新年である。そこで、古典でも読んでみよう。菅原道真の『菅家文草』から、「書斎記」あたりはどうだろう。道真の代表的な散文ではあるけれど、彼にしては、和習（和臭）芬々たる如何にも日本人の書いた文章となっている。それ故、読みやすいと言えば読みやすいのだが。<br>　内容は、当時学問の家柄で知られていた菅原家にあった、彼の書斎の様子を描き、そこから学問の仕方などを書いたものである。菅原家は、当時、一種の学校のようなものだったので、家の中には数多くの学生がいたようで、その中には生真面目な道真を困らせるような人物もかなりいたようだ。机に何か彫りつける者や、訳も分からずただ騒いでいる者、さらに道真が大切にしているカードを勝手に持ち出したり、盗んだりする者……。<br>「学問之道、抄出為宗、抄出之用、稿草為本」とあるように、当時の学問は、読んだ本の抜き書きを認めたカードを作ることだった。そして、そのカードを元に一冊の書物を書くことだった。だから、カードの管理は厳重であるべきだが、当時のセキュリティに期待は出来ないだろう。だから、彼は悔しさまじりの愚痴を言うしかなかったのである。<br>　というわけで、菅原道真のことでも考えながら、そろそろ近所の天神様に初詣にでも出かけるとしよう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/mnag4755/entry-10755104010.html</link>
<pubDate>Sat, 01 Jan 2011 16:44:18 +0900</pubDate>
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