<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>真似日記</title>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/mochio99664466/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>雑記。真似をしていきていく</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>実用と嗜好</title>
<description>
<![CDATA[ 　長めのメモをする場所がここか。<br><br><br>　最近というか、去年後半くらいから壇蜜さんの勢いがすごくて、新聞にいつも広告を出す週刊誌ポストと現代の両紙とも載っていたりして驚くばかりか、映画にテレビに登場。「エッチなお姉さん」と自ら規定してそのキャラで色々話を聞かれている。<br>　これを見て思い出すのが数年前同じくすさまじい勢いだったグラビアアイドルの吉木りささんで、彼女もグラビアの載る雑誌（週刊だが週刊誌とは呼ばれない、マンガ誌など）複数に同時に登場して表紙を飾るなどしていた。（それから最近だと篠崎愛さんも同時表紙は結構見たか。）<br><br>　この、お二方のお仕事を拝見して思うのは、というよりも感じるのは、まずドエロいということだが、気になるのはその「ドエロさ」を、テレビ等の「タレント業」においても求められるのか否かの差なのだ。それは「エロい」をタレント性の核に据えようとするかどうかの、プロデュース側の考えでもあるのだろうが。<br><br>　あるいは、グラビアアイドル＝若い、においては「エロい」は「若くて美しい」の副産物であるのか？<br><br>　吉木りささんのイメージＤＶＤを見ると、相当にエロを意識した衣装、ポージング、カメラワークである。出世作『セキララ彼女』も、その他も。まあセキララ彼女が先鞭を付けて以降がそれに倣ったのかもしれないが、ともかく爽やかな可愛いアイドル、でなく、エロいお姉さん路線であるのは明白なわけで。しかし、テレビタレントとしての売り出しはセクシー路線でなく、その高い声のせいもあるのか、けっこうアホで素直な人というような感じだった・・・？　いや実は、俺は、出演番組ほとんど見ていないからわからないのだが。<br><br>　それと共にひとつ浮かぶのが、テレビなどで「エロいですねー」と、視聴者・・・という製作側の仮想・・・と共有できるようなエロさの質はどういったものかということだ。未亡人的・退廃的エロスの壇蜜さんと、スレンダーの吉木りさ。巨乳であれば、「巨乳ですねー」「見てください！」「雪路ちゃん、そのボイーンとしてんのなに」などわかりやすい。しかし吉木りさのエロはどうにも、受け手の中で醸し出されてくるエロであり、対象化して外部に置いて眺めづらい。それを集団で「エロいもの」として眺めた時のエロは、実は壇蜜のエロを凌いでしまうのではないか。<br>　表に出ているものは「キレイ」であるのに、それを「エロ」として見つめてしまう。表面から一歩一段、奥に入るルートを集団でとる。それはエロへの谷。吉木りさのエロ路線テレビ化にはそうした問題があったと考えた。<br><br>　また思うのは、よくダイヤモンド社などが実用書と呼ばれるものを出しているが、「実用」という面でいくのならばバウハウスやコアマガジン社こそが実用書籍の出版元であるということで、そうした意味での「実用」、その「実用」的エロが壇蜜であり、また吉木りさは言うなれば「嗜好」の側にあるということである。実用対嗜好の図式に於いて、実用の方が最大公約数に近く、伝わりやすく、誰にでもエロである。また、どう見てもエロである。中年男性向け週刊誌はこれを志向し、「嗜好」たる吉木りさは恋心もやや混じりつの青少年の側に置かれる。「キレイな人だねえ」と呼ばれるのは吉木りさであり、そこからエロを汲み出すのが嗜好者であり、「なんだかいやらしそうな人だねえ」と呼ばわるのが壇蜜であり、それは誰にでもいやらしいのである。<br><br>　って、そんなにグローバルなエロを持つというのは大変な能力だ。<br>　まとめようと考えれば、壇蜜はエロくて綺麗な人。吉木りさは綺麗でエロい人・・・・・・ではない。なにかその言い方では淫乱を思わせる。吉木りさは人格に於いてエロを吹聴していない。やはり綺麗なもの、それがなかなかにエロへ傾いた様子をしているのを見て、エロが生まれている。<br><br>　結局、人格にどれほどエロを纏うかということか。それだけ、か？<br>　<br>エロにおける「実用」的人材と「嗜好」的人材という区分けはもう少し考えたい。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11446394516.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Jan 2013 22:41:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映像と生身との混淆舞台</title>
<description>
<![CDATA[ 　こないだ知り合いの、映像と生身が混淆した舞台というかダンス作品を観て気になっていて、何が気になったかというと、あまり俺はその出し物がよく出来ているとは思えなかったのだけど、ではよく出来ている映像・生身の混淆舞台ってどんなものか、俺は観たことあるのかしら、規範とか理想みたいなものってあるかしら、と、考えつつ気になっていた。<br><br>　映像を使った舞台で思い出せたものは、吹越満さんの『フキコシ・ソロ・アクト・ライブ』シリーズ。これはしかし映像というより文字がスクリーンに出ていることが多いか。がっちり映像なのは「昭和六畳一間一人暮らしバレエ」（『タイトル未定』に収録）ぐらい？<br><br>　それから、一度だけ観たことのあるNibroll、『THIS IS WHATHER NEWS』。これは・・・ダンスで・・・どう映像を使っていたか、忘れてしまった。<br>　そう、そこよ！　ダンスを、ちくとも記憶できないんだ俺は。そこからすでに弱ヨワだということがわかる。よく、知り合いにダメ出しなどしたもんだ。失礼だよ。<br><br>　他には、知り合いの舞台は二回観たのだけど、一回目と二回目の間にハイバイ『霊感少女ヒドミ』を観ることになった。これはガッツリ映像を用いた演劇で、上演一時間のうちけっこう映像のみの部分もあった。もちろん俳優のアクトと映像が絡む所もあり。これ、面白かったなあ、というか、話の物悲しさが好きだった。<br><br>　で、ポイントというかわかりやすい区分けとして「きっかけ（オペの操作するところ）が多いか」「アクトと絡むか」というのがあると思う。というか、知り合いの舞台と分かりやすく分ける・・・映像の使い方を入口近くから考えると・・・そこから、という。知り合いのはダンスで、曲がずっと繋がっているので映像もそれと同調して、多分オペ操作は途中なかったろう。そしてアクトとの絡みは多かった。<br>　吹越さんとハイバイは（これ映像製作がどちらもムーチョ村松さん、同じなのだけど）きっかけが多そう。特に吹越さんはタイミングがシビアだろう。「昭和一人暮らし～」は流しっぱなしだが・・・曲があるとそうなるか。<br><br>　うーん。<br><br>　なにから考えればいいのか？<br><br>　映像の使い方、映像によって制限されがちな体、というようなこと・・・。<br>　ハイバイ『ヒドミ』は演技の形態を（たぶん普段のハイバイとは違う）シュールコントの一派のような、体の活力を抜いた様式的なものにしていて、それで、制限されてる感は薄くなっていたのではと思う。ただ、もっとシュールコント的なうまさがでたら（少なくとも俺の観た回はもったいない感じのシーンがあったので）笑いが増えたかと。<br><br>　うーん。<br><br>　つづく。知り合いのグループは今回限りだと言うが、それじゃ、だめなんじゃないの、と思うからなぜだめか、考える。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11402332665.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Nov 2012 00:26:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>動く　のか？</title>
<description>
<![CDATA[ 　書いてみるとえらく、今日嫌な事があったのかな？　て感じだけどそうでもない。考えようとして何かを考えるとこんな文章になってしまう。<br><br><br>　活動さえしてればいいじゃないか、動けばその中で考えは必ず促されるし、そうして何かに触れてぶつかって出会って、それで促されていくのじゃないか、と思った時もあるが。そんなことは考えの生まれるひとパターンでしかなくて、他にもさまざまな動き、思考への動きをしなくてはだめだよ、とやっぱり、後者の考えだな、今は。<br><br>　もちろん、活動的なのがいいこと、なのはわかっているが、他人から見た意見ですよねって感じがしてきたというか、活動的であることによって促進された、よきこと、に向かうもの、その方向は、世の大勢＝他人、にとって私のよきことではあるだろうが、私にとってどうかは知らない。っていうか、私の精妙な理想なんて私自身だって分かっていない。それをば、最近、彼、君、輝いてるよねー。でうまくいったことにされてはたまらない。<br><br>　どこにむかいたいのだ。自分がいい感じ、自分の周りも良い感じ、幸せです、ハッピー、みんな笑顔。そんなコミュニティ。そりゃあ、嬉しい。でも芸能ってのは、もっと突き抜けて時空を歪めなければけないからね。という、その時空歪め説というのが私、の理想なわけだぜ。元気に活動してるのが一番！　の方に、時空歪め説をお持ちの方はいるだろうか？<br><br>　また、篠崎ひめさんの例が出るが。<br>　あの、通常はどう芸歴を積んでいっても辿りつかない異質さ、というものが芸の世界には存在しているわけだぜ。芸の世界だけではないかもしれない、これから考えていけば、それは、わからない。そう、ともかくそうした形、周りとのありようを私は見ました。個人だけの話ではなく、その人の属する場、同じくことを行なう人と、その人との異様な違い。天才だと思いました。初めて見たものだったからです。これまで見てきた凄い人、とは様相の違う凄さで、だから天才という言葉・形容を選んで使うことになったのです。<br><br>　保坂和志さんという小説家、この人も思考の面白さがものすごい人で、いつも本を読むと読む前の生活のモードから離脱してしばし保坂モードになる、しかし保坂モードは定着せずいつの間にか戻ってしまい、また次に読んだときにああまた忘れていた、とやきもきする。ともかく、その保坂さんが『書きあぐねている人のための小説入門』という本で、文脈も言いまわしも詳しい内容も忘れたが書いていたことには、「そんな程度では努力と呼ばない」ということで、努力というなら、結果の見えないものに入っていくことだ、とかなんとか。<br>　先人とか、まことしやかなハウトゥー本やカルチャーセンターは教える。教えるが、そんなところに自分の本当に向かいたい先はない。向かいたい場所へ努力、というなら、自分で切り込んでいくしかない。そういうこと、か。<br><br>　豊穣がほしい。くめどつくせぬほうじょうがほしい。それは、どうすればえられるか、そんなそうぞうはできない。できない、きりこんでいくしかない。そういうことか。<br><br>　そういうものだ。と、それは『スローターハウス５』の言葉。<br><br><br>　こんな文章になってしまった。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11391257605.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Oct 2012 23:20:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>まだストリップ</title>
<description>
<![CDATA[ 　まだストリップ。<br><br>　篠崎ひめさんのことを忘れない。なんて、言わなくとも忘れるわけはないのだけど、オレさんのブログ（『オレとその状況』）で触れられた通り、ひめさん自身はインターネット上に痕跡を何も残していない。ブログも、ツイッターもしていなかった。昨年初めに行なわれた写真撮影会（それ自体驚きのイベントだったようだけど）の後にとられたコメント動画30秒程度がYou tubeにあがっているくらいだ。貴重だよ。<br><br>　ぼんやりと考えていたら、なぜか山口百恵さんに行きあたって、というのも、スパッと引退してその後のことが知れないという存在は、なんだかそこまで遡らないと出てこなかったのだ。もちろん他にもいるだろう、俺がひめさんをもっと広めたいと焦ったように、これまでも無数に凄い人がいて大勢を魅了してそれでもマスメディアに乗らず引退していった。マスメディアに乗らなければ「あの人は今」にも乗らない。<br><br>　そう、「あの人は今」だよ、問題は。それと、カムバック。<br><br>　普通の女の子に戻りたいと言ったキャンディーズは、個々が元気に活動している様子からしか俺の年代は知らないし・・・と、これを例にすると田中好子さんを悼む輪の巨大さに触れなければいけないけれど・・・（※それと、ミキちゃんは俺の年代にはもう芸能界にはいらっしゃらなかった。よく知らないで書くものではありません。すみません）、ともかく、現代においておそろしくアイドル＝偶像、幻想、ファンタジーな存在だった篠崎ひめさん、なのです。<br>　今年に二度目の観劇をして、それからの数回・・・一回に何度か出番を観るから数はややこしいけど・・・の観劇はずっと、この人の正体は何なのか？　を考えていた。私生活というか、プロデューサーの存在があるのではというのか、なにか、自分の知っている世界の範囲内に着地させられる糸口を探していたような。<br>　こんな凄い人、いるわけないじゃん！<br>　という思いだったわけだ。何かタネがあるはずだ、と思っていたのだ。もちろん大尊敬したうえで。・・・うえで、それでも、「何なんだろう？」という考えには、やはり自分の分かる領域へ引っぱってこようという考えがあったと思う。ひめさんの方へ引っぱってほしいという願いもありつつ。<br><br>　最後のポラ撮影で、「今後の活動については秘密ですか？」と俺は訊いたんだ。訊いたんだと思う。発音、できてたと思うんだけど、ひめさんは、、、まあとにかく答えは得られなかったわけです。急にキャラの濃度が上がった、と感じた。最後の最後にまたストレートパンチをくらってしまった。正体不明が決定的になってしまった、と。<br><br>　でもその後、答えはお客さんの一人から頂けたのだった。別に秘密でもないですよ、と仰っていたのだった。答えが知れて大変嬉しかった。<br><br>　と同時に、これで、謎が二重になってしまった。<br>　俺の発音がひどかったのでなければの話だが、あの濃度変化は何だったのだろう？<br><br><br>　だからね、こんなこと考えちゃう存在だってのが凄いわけだ。あれだけ近くで客と触れあっていて、それでこのわからなさだ。<br><br><br>　それで、「忘れない」っていうのはこうしたことを書きたかったんじゃなくて、<br><br>　昨年９月に観たひめさんの舞台を、今年の５月ごろに、ふ、と思い出して（だったか？）、それは芝居の稽古場に向かう途中で、自転車で信号待ちをしていたのだけど、あれは思い出してもやっぱ凄かったよなあ、と感じ入って、あれ以降も同等の衝撃を受けてはないしなあ、いやそんな比べなくともあの一回で十分価値が不変なのはわかるじゃないか、やっぱりまた観に行かないとなあ、ほんと、自分の表現活動とかくそだわー、とか考えが巡っていて、そして、その時に信号が青の方の車線をゆっくりと、おれを軸にするくらいな近さで左折していったバスに知り合いが乗っていて、後に、<br>「全然気づかないんだもん」<br>　と、言われた。<br><br>　それくらい思い出していたのだ。<br>　そういうものだ。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11390257211.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Oct 2012 21:15:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ストリップ</title>
<description>
<![CDATA[ 　今年の６月２０日に篠崎ひめさんを人生二度目、見て、そして今まで追いかけて、それでストリップはすっかり自分の中に定着したのだった。<br>　今日も、浅草ロック座の休憩中に流れる映像にひめさんが映り込んでいると聞いて、行こうかと思っていたくらいだ。<br>　１１頭（これも界隈の用語）の池袋ミカド劇場は、これはもう、行くだろう。御幸奈々さん、虹歩さん、そして今年いっぱいで引退の早瀬みなさんがご出演なのである。皆さん多分、１５年以上の芸歴の方々。この香盤を知って、すごい！　と思うと共に、おそろしい！　とも感じた。<br>　どうも、やはり芸人の世界として親近感を持って俺は見ているんだろう。あれだけお客さんと近く、そして一人で舞台を務める、芸の世界。尊敬してはばからない。<br>　本当にはばからない。<br>　ストリップストリップ言って、けっこう引かせてきた。<br><br>　それでも、ストリップ、いいんですよ。いいんだよ、いい。<br>　正直に言って、篠崎ひめさんを観るときのような、あの、この世を突き抜ける感じ？　っていうか、天才じゃねえかーっ！　と叫びだしてどうにか遣り処を見つけないとしゃあないみたいな、これなんだ、なんなんだこの人は、え？　え？　え？　マジ？　やらせ、とかじゃなくて？　テレビが仕組んださあ、ってどういうからくりだよ、うわー、すごーい、天才じゃねえかーっ<br><br>　みたいな、ほどの感動には出会わないと思うのだけれど、でも今の方がひめさん初見よりもずっと俺の中での「ストリップ」が地に足着いたものになってきたわけで、そこで生まれてくる感動はまた素晴らしいものです。<br><br>　また、ミカド劇場の件の香盤には小沢アリスさんもご出演で、この人を観にストリップ劇場へ行ったからこそ、ひめさんを知ることができた。そうしたわけで、恩人なんだな。恩人かあ、でもお礼言っても、はあ、そうなんですか、となるだろうし・・・<br>　なるのだろうか？<br>　ひめさんとは共演してらっしゃるし、ブログで、悩んでたら頭なでてくれた、みたいなこと書いてらしたよな。<br><br><br>　それは、まあおいおい考える。<br><br>　ちょっとブログを更新したかっただけなのだ。<br><br>　頭の中はストリップばかり。今日も、ひめさん使用の曲を一つつきとめた。嬉しい。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11383890077.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Oct 2012 00:56:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>久しぶりすぎて</title>
<description>
<![CDATA[ 　このエントリは、<br><br>　読みたいブログがあったけど、アメンバーというものにならなければ読めず、そしてアメンバーというのはつまり、そのブログの人に「読んで良いよ」と認められたあかしなわけで、それに際してはこちらのブログを先に見られる場合があるのではと思ったが、このブログそもそも自分のメモ＆何か考える用に作っておいたもので、長らく何もやっていないし、書き方もとても勝手なので、ひとまず一つ更新しておこうというわけです。<br><br>　また勝手な書き方になってしまった。<br><br>　といって、少しブログを読み直してみたら、思っていたより書いていた。けっこう書いてたんだー。放置した印象ばかり残っていた。<br><br>　でも、なんですか？　あれは？<br>　昨年９月のエントリに、篠崎ひめさんのことが書いてないじゃないか！<br>　<br><br>　結局おれも、よくわかってないやつだったのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。<br>　当日の日記には、凄い体験をした旨書いたくせに。その日に会った人にはすごいすごいと話したくせに。<br>　大体まあ、今年の６月まで観なかったわけだし、まだ金銭を優先させていたわけだ。<br>　それにあの頃はまだ確かに、「ストリップ」という語への恥じらいがあった。世間と、そのイメージをちゃんと共有していたように思う。<br><br>　今は大声でストリップと叫ぶ人間になってしまった。<br><br>　そして、篠崎ひめさんは引退してしまった。まだ、興味を持ってくれた中で観られてない知り合いもいる。ああ・・・。<br><br>　ああ・・・、と、思うと同時に、その知り合い連の「ごめん行けなくなった！」みたいなメールにものすごく憤慨するというか、なんだ、こいつの危機感のなさは！？　と思うこともしきりで、自分の過ちをまた観るよう。そんな勝手なこともないのだが、つまり、天才がもう観られなくなってしまうというのに、お前は／いやさ貴様は、そんな自分の用事を大事にするのか！？　馬鹿野郎にも程がある、というような感情。<br><br>　天才の前には誰も隷従しなさい、という感情。<br><br>　だって、一回観れば、何より優先すべきだと、思ってしまうからさ。思わないか？<br>「行けないー！　すごい残念－！」<br>　なんて、わかったつもりの惜しみはうんざりだ。完全に見誤って、量り間違っている。天才の表現を肌身で感じられる経験より、他のことを優先するやつ、しかも芝居だのダンスだのお笑いだの、いわゆる表現系に関わっているやつ。<br>　なんなのか？<br><br>　と、言ったところでもう遅い。<br><br>　のか？<br><br>　俺は、語り継ぎたいよ。資料を集めて、考えて考えて、ひめさんのステージの衝撃波がうまく想像できるように、語りたいよ。あいつらの／貴様らの価値観が崩壊するようにね。<br><br>　ポラでひめさん凄いです、凄い、って言ったら、ぎゅんぎゅん首振ってそんなことないようー、だと。なーんなの。<br><br><br>　おれもがんばろう。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11377413605.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Oct 2012 01:18:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画二日続けてみる</title>
<description>
<![CDATA[ 　昨日は『ヒミズ』、『月光ノ仮面』。<br>　今日は『Ｊ・エドガー』を観た。<br><br>　どれも、「女子高生にウケる」かといわれればウケない気がする。<br><br>　そういう趣味である。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11153654452.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 00:07:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>感想の類</title>
<description>
<![CDATA[ 　映画『サベイランス』観た。デヴィッド・リンチの娘、ジェニファー・リンチ監督作品。<br><br>　ジェニファーって、『イレイザーヘッド』で核になっているできちゃった子供にあたる人だ。リンチの長女。その人が監督かあ。<br><br>　面白かったが、リンチっぽさは言うほど濃くないように思えた。音響のズワーンズワーンとか、スローモーションとか、差し挟まれるイメージ、フラッシュバックとか、そういったことか。内容は混乱するけど、大体謎は解かれてる・・・んだよな？　多分・・・。解かれたんだろうな、って感じで理解しないまま観終えた。<br><br>　車の衝突シーンはうっははあ、と思い、また『ロボジー』を思い出す。最近はロボジーを反芻し、浸ること多々。破壊は面白いなあ。<br><br>　あと、『Kiss×sis』の１～５巻を読んだ。４巻辺りから連載状況の変化もあり、話の感じが変わっている。閉鎖環境が薄くなっちゃうとなあ・・・。今後に期待。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11142446171.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 01:12:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>好きな物・事</title>
<description>
<![CDATA[ 　久々のブログだなどと気にして何か書いたりせぬので。<br><br>　好きなものを列挙して自分の趣向、あるいはセンス、を知りたい。<br>　そうしたことは就職活動で学生の皆さんやったりされてるのでしょうか。<br>　はあ。<br><br><br>　爆笑問題　（『号外！爆笑大問題』見始めてから）<br>　の中でも太田光さん<br>　ジョン・アーヴィング　（映画『ガープの世界』）<br>　カート・ヴォネガット　<br>　町田康　（『告白』『パンク侍、斬られて候』『夫婦茶碗』『東京飄然』などなど）<br>　ある意味グッチ裕三　（すごく気持ちの沈んでいる時期、ハッチポッチステーションばかり見ていたため。恩人）<br>　須田剛一<br>　デヴィッド・リンチ<br>　スタンリー・キューブリック　（リンチを知るくらいから、キューブリックはきっちりしすぎ、と思うようになった。今はまだその気分）<br>　鈴木清順<br>　実相寺昭雄<br>　ドラゴンクエスト６　（世界の構造がたまらない）<br>　ファイナルファンタジー６　（グラフィックがものすごい）<br>　ロマンシング・サ・ガ３　（ＦＦ６よりグラフィック凄いはず。質感はＦＦの方が好きだけど）<br>　スーパードンキーコング１・２・３　（１は借りて、２は所有して、３は十年ほど経ってから所有してプレイ。なので２が印象強い。ずっとずっと浸っていたい）<br>　天外魔境ＺＥＲＯ　（６回くらいクリアしたのか。小学低学年の頃だ）<br>　みつめてナイト　（ギャルゲーは好きだけど、ちゃんとプレイしたのはこれだけかも）<br>　桝田省志　（実際は、ゲームよりもこの人が書いた文章からの影響がでかいが。でも小説の活動は賛成しない）<br>　夏目漱石　（「いい人」「立派な人」になることを諦めてない感じが頼もしい）<br>　ウラディーミル・ナボコフ　（『ロリータ』。今の俺の過半はこの小説が作ったかもしれない）<br>　ナンシー関<br>　吉田戦車　（『伝染るんです。』のキレっぷりは読みなおすたびに戦慄。そのほか、どの作品にも個性がきらめく）<br>　シティボーイズ　（高校・大学で最も見たし、尊敬した・している芸人）<br>　シェル・クレイル　（初めてやったエロゲー。そして最も面白かったエロゲー。くどかったエロゲー）<br>　千鳥　（ネタのセンスが全然よめない）<br>　チョップリン　（シュールコントが主だけど、きっちりしたベタの腕も持ってる、好き）<br>　綾辻行人　（高校のとき「館シリーズ」をあるだけ読んだ。モラトリアムが長かったという人となりにも興味・共感）<br>　誰も寝てはならぬ　（サラ・イネス）<br>　城山羊の会　（いま一番好きな、山内ケンジさんの演劇プロデュース名）<br>　モンティ・パイソン<br>　岡本太郎　（『太郎に訊け！』を自己啓発本として）<br>　ムーンライダーズ　（殊に、鈴木慶一さん）<br>　オリジナル・ラブ　（旧：オリジナル・ラヴ）<br>　ＭＯＴＨＥＲ２<br>　宮沢章夫<br>　三木聡<br>　高橋洋二　（爆笑問題好きなので、きっと影響をうけているだろう）<br>　女神転生シリーズ　（金子一馬さんの絵は真似したー）<br>　矢口史靖　（殊に『ひみつの花園』『ハッピー・フライト』『ロボジー』。ひみつの～　は断トツ）<br>　松本大洋　（最強）<br>　山田太郎ものがたり　（これは面白いよなあ。森永あいさん、この後はどうも超えてこない・・・）<br>　機動警察パトレイバー　（マンガと、映画。上質だよなあ）<br>　江戸川乱歩　（これも高校時に読んだなあ。「蟲」のストーカー性がぴったり来た）<br>　ドグラ・マグラ　（一応入れとく。『ロリータ』と同じく、読んだ状況が想い出深いという・・・）<br>　ねこの手もかりんと　ひとつ　（これは舞台化したい！）<br>　佐藤雅彦　（高校時はずっとこの人をモデルにしていたかも）<br>　スチャダラパー　（スタンスが好きで。歌詞も好きで。でも電気グルーヴは書くほどでないんだな・・・ノリが違うせいかな）<br>　今敏　（特に『妄想代理人』『千年女優』『パーフェクト・ブルー』）<br>　イッセー尾形<br>　吹越満<br>　カナダ　（国。何度も行ったので）<br><br><br>　本当に好きで手放したくないといった感じのものはとりあえずこれだけあって、そしてまだまだ思いだしてないものがあるだろう。<br>　大学以降のものが少ないですね。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11141374242.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Jan 2012 22:38:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>オモシロ</title>
<description>
<![CDATA[ 　またクリスマスに向けたムード作りの機運が高まっている。それに反発する人たちも自分を戯画化しながら、構図の横幅を広げているだけだ。さらにメタに立った視点とかないのか。よくわからんけど。<br><br>　それはそうと自分で書いたネタを久々にやって、というか、それだけのせいではないが、オモシロは自分の中にしかないのだろうなあと思う。全て自分のオモシロを表現できるか、どうか、それにその技術の問題。人が教えるオモシロなど氷山の一角でしかないしそれを自分のオモシロであるかのように発想したり演じたりできるのであれば、その人は真に他人を理解しているようなものだ。つまり、ふつう無理。<br><br>　『ステキな金縛り』つまらなかったあ。<br><br>　これも俺のオモシロ基準で言っているだけのこと。面白かったあ、の人も多いだろう。隣の席の人がそうだったし。<br>　でも、あれ、映画じゃないよね。っていうのは、興行形態とかの事務的なカテゴライズとしての映画でなくて、その作品によって起こる感情の動き、神秘的なものへの接触、日常の価値観からの遊離、とか、言いすぎているかもしれないが、そうしたものを含む、芸術作品の一部を担うジャンルとしての映画、と言う面で、全然達していないというか、技術のない映画だなあと思った。あ、映画と言っている。<br><br>　日常にはオモシロがあふれている。お笑いが表現している面白など０．００１％くらいのものではないかしら。もちろん、純度は高めているけれど、お笑いのオモシロだけで人は生きれない。まだまだある。オモシロは笑うという結果へ行きつくものだけを指すのではないから。<br><br>　あー、おもしろいことをー。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/mochio99664466/entry-11071773257.html</link>
<pubDate>Mon, 07 Nov 2011 20:11:49 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
