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<title>セラピストになるために</title>
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<description>「modificare」とはイタリア語で「変化する」つまり「chenge」を意味します。将来的に心の専門家になるため、仕事の傍ら通信教育にて心理学の勉強中。夢はでっかく独立開業！！</description>
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<title>固定概念</title>
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<![CDATA[ <p>今日、敬愛するある方がブログを更新されました。</p><p>内容は「仕事、やめました。」というもの。</p><p>その仕事に就いてから数年間、本当に勉強になったこと。そこにいたときにあった様々な出来事が周りの協力や支えによって返しきれないほどの恩を受けたということ。立ち止まって何がしたいか考えたらその仕事をきっかけに新しいことをしたいということなどが書かれていました。</p><p>その方は今、どんな仕事がしたいのか考えたところ、こういった結論に至ったと書かれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>“人の役に立ちたい”</p><p>&nbsp;</p><p>とてもすばらしいことです。</p><p>この目標は僕自身が掲げている目標でもあります。</p><p>ただ、その方法というのは星の数ほどあります。どんなことがしたいのか具体的にはこう書かれていました。</p><p>&nbsp;</p><p>“自分が働くことによって、誰かの家庭を陰ながら支えたい”</p><p>&nbsp;</p><p>おもわず、ハッとさせられました。</p><p>僕が考えていた「人の役に立つこと」というのはその当事者から直接お礼を言われることだと考えていました。</p><p>例えばお医者様。例えばプランナー。例えば弁護士。</p><p>その中でも僕は目に見えない心と向き合う心理士を目指しました。考えてみればただクライアントから「ありがとう」と言ってもらいたかったからだけかもしれません。</p><p>いつからか思うようになったんです。弱い立場の人から感謝され、天狗になりたいだけじゃないだろうか。</p><p>心理学的用語でいう【メサイヤコンプレックス】です。自惚れたかったのかもしれません。</p><p>広い意味で考えると仕事をして対価を得るということは大なり小なり感謝されているから成り立つんですよね。</p><p>そう考えたら飲食業も運送業も農家、酪農家の自営業もすべてが“人の役に立つ仕事”なわけです。</p><p>今までなんて上っ面だけの善人になっていたのだろうと反省しました。</p><p>できることをやる。体はひとつ、時間は平等。その中で変えられることはやる気と行動力。</p><p>もう一度、やってみます。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12388780642.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Jul 2018 01:33:38 +0900</pubDate>
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<title>学習的無力感</title>
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<![CDATA[ <p>このタイトルでブログを書くのは2回目ですが、心理を勉強するようになって世の中を俯瞰的に見ることができるようになった。</p><p>もともと人を見ることが好きだったのもあり、この人は何か悩みを持っているのではないかとか、今日この人は何かいいことがあったみたいだ、なんてことを考えながら街ゆく人を観察していたりもした。</p><p>最近になって思うことは、集団社会、つまり会社での人間関係についてのことが多い。</p><p>&nbsp;</p><p>4月に新入社員が入社して、早2ヶ月。それなりに仕事を覚えてきて優秀な人材はもうすでにひとりでバリバリ仕事をしている。</p><p>その中で新人ならではの怖いもの知らず感、悪く言えば世間知らず感が最近になってどんどんなくなってきている。会社色に染まったとでも言うべきか、社会に揉まれたとでもいうべきか。良くも悪くも感じる。</p><p>入社早々には我々の常識が通じないところがちらほら見受けられることもあった。気に食わないことがあれば先輩だろうが主任だろうが課長だろうが噛みついている奴もいた。それがこの会社ではこうだ、社会とはこういうものだなどと教育を受けてだんだんと意見を呑み込むようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>そう、自分の意見を呑み込むようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>これが良い成長だろうか。否、悪い風潮だとおもう。</p><p>確かに学生しか知らなかった新入社員が初めて社会に出て、そこで自分の考えが甘かったとおもうのは当然のことで、そうあるべきであろう。</p><p>ただ、言いたいことがあるのにその意見を呑み込んで同期同士で陰口を叩くのはいかがなものか。意見があるのならそれを直接言うべきではないだろうか。僕はそう思う。</p><p>かく言う自分はどうだったかというと、それはもうプライドの塊で上司同期関係なく言いたいことは言ってきた。いや、現在進行形。</p><p>それが間違っているのならとことん話し合った。なぜ自分がこう主張しているのか、それをなぜそう返してくるのかと。</p><p>上司先輩からしたら面倒な後輩だったとおもうし、今でもそうだとおもう。おかげで今の会社では確固たる地位を築けた。</p><p>我を通すのが正解とは言わない。ただ、言いたいことも言えない環境とはどうなのだろうか。</p><p>よく聞くのは</p><p>&nbsp;</p><p>「どうせ、こんなことを言っても意味がない。」</p><p>&nbsp;</p><p>「どうせ、課長に論破される。だったら言わないほうが傷つかない。」</p><p>&nbsp;</p><p>あちこちから「どうせ、、、」と聞く。まさに学習的無力感。</p><p>すでに入社2ヶ月にして見なくなった顔も数人いる。この子たちは何を描いてわが社を希望し、何を感じてわが社を去ったのだろう。そう考えると一番近くにいたであろう自分たちの振る舞いを顧みないわけにはいかない。</p><p>筋は通っていなくても彼らの声に真剣に、正面から向き合っただろうか。鼻で笑って受け流してなかっただろうか。そういえば、いつから自分の意見を言わなくなっただろうか。そう考えると恐らく彼らを殺してしまったのは自分たちだろう。</p><p>友達のような師弟関係は望まない。ある程度の壁は社会人として必要。</p><p>だが、たかが数年生まれるのが早かっただけで、たかが数年入社するのが早かっただけで彼らの貴重なフレッシュな意見をつぶしていいわけではない。正直、どんなばかばかしい意見でもしっかり最後まで聞いて、その上で意見を持ってくれたことにまず目を向けよう。否定肯定はそのあとでいいのではないか。少なくとも僕はそうでありたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12383550792.html</link>
<pubDate>Thu, 14 Jun 2018 00:52:24 +0900</pubDate>
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<title>親として</title>
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<![CDATA[ <p>自身、2児の父として最近おもうことがある。</p><p>子育ては「なんとなく」では絶対にできないということ。</p><p>&nbsp;</p><p>昨今、痛ましい児童虐待のニュースが連日報道されている中でその残忍さに目を向けられないものも多い。</p><p>子供にとっては些細なことで手を挙げる親でも唯一無二の存在。依存しなければ自分が生きていけない。怖いけど好き。そんな中で毎日を生きているのかとおもうと心が張り裂けそうになる。</p><p>&nbsp;</p><p>うちへおいで。温かいごはんと温かい布団を用意してあげるから。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなことばをかけずにはいられない。本当にそうおもう。</p><p>そんな自分も自身のこどもに手を挙げないか、感情的にならないかといえばそうではない。</p><p>妻からするとそんな怒ることでもないでしょと言われたことも何度かある。</p><p>父でも母でも子供と同じように一人の人間であり、感情がある。イラつかないことがないというわけではないし、子育てに家事に、仕事にストレスを強く感じていれば泣き声ひとつ、わがままひとつでカッとなってしまうことも多分にある。</p><p>ただ、それが一般に日常化しないのはやはり自分が受けてきた愛情を自分の子にも与えたいというものの他ならないと思っている。</p><p>まだ満足にしゃべれない乳児が自分に対して微笑んでくれる。カタコトでしか話せない子供が「ありがとう」「好き」などと言ってくれる。</p><p>それに対して「キモい」「ウザい」と突っぱねる親がどこにいるだろう。やはりそういった場面では愛おしいとおもうのが普通の親ではないだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、そういった虐待を繰り返す親もまた子供と同じように被害者なのではないか、というのが自分の考えでもある。</p><p>自分の親に満足に愛情を受けて育てられず、子への接し方がわからない。泣いたとき、癇癪を起した時の対応の仕方がわからない。または嫁ぎ先が両親の住むところから他県で親への相談を気軽にできないなど状況はさまざまであるだろうが、子育てに悩んでいる親は少なくないはず。</p><p>自分はどうかというと、妻がやはり悩んでいて些細なことで手は挙げないにしても怒鳴ったり叱ったりを繰り返していた。対して父である自分はそれに乗るわけでなく、子を優しく抱きしめ「お母さんに怒られたか。大丈夫。大丈夫。」とあやす。逆に自分が怒ったときは妻が抱き、あやす。夫婦間で飴と鞭の役割ができていると思っている。これがうまくできないと夫婦とも共倒れになり、ほぼ無抵抗の子に矛先が向いてしまう。そうならないためにいわゆるアースの役割が必要だと考える。昔でいえばそれは自分の親であったり、近所の諸先輩方であったのだろうが、それが今はいないことが多い。</p><p>絶対的に手を挙げる親が悪い。ただ、その親も悩んでいるということを知ってもらいたい。一方的に責めるのではなく、親子双方を救う方法はなかったのかと、考えると涙が止まらない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12383110205.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jun 2018 08:32:09 +0900</pubDate>
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<title>中立の立場で。</title>
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<![CDATA[ <p>前回の内容につづくところがありますが。</p><p>&nbsp;</p><p>結果には過程があって、その原因があります。どんなことでも。</p><p>もっと若いころは一方的に目に見えるものだけで良し悪しを考え、見えないものは自分の中に入ってこない存在として処理していました。</p><p>また、昔からこれと決めたらこれというなんとも面倒な頑固な性格をしているので、あとあと目に見えない情報が入ってきたとしても頑なに拒否していたところがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>自身、子の親となって目に付く痛ましい事件、事故のニュース。</p><p>その記事を読んでいると中には涙を流さずにはいられないものもあります。なんて惨いことをしたんだろう。なぜここまで鬼になれるんだろう。その考えは今も昔も変わっていません。</p><p>自身の年齢もあって、周囲の友人も既婚子持ちが多いです。男女問わず。</p><p>特に女性に関してはこういった問題を話題にすると一方的に親を責める傾向があります。以前の私もそうでした。</p><p>小さな子供にした仕打ちをそのまま親が被ればいいのに、とか普通に真剣に考えていました。</p><p>ですが、最近はちょっと考え方が変わって。</p><p>子供は不憫で仕方ない。ただ、親も何らかの犠牲者なのではないか。だとしたら、この親をこの状況にまで陥れた“原因”はなんかのか。</p><p>そう考えることが多くなりました。叶うことならこの親も子も両方が救われる手段は無かったのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>強く、こう考えるようになったのは本当に最近で、痛ましい事件のニュースを知ってからでした。</p><p>大阪での自宅マンションから2歳女児を投げ落としたというあの、殺人事件。</p><p>これは虐待の末での致死ではなく、突発的にやってしまったというのです。お母さんは育児に悩んでいたとの記事もありました。</p><p>事件当時、この二人のほかにお父さんもいたそうで、必死に止めたが振り切って投げ落としたそうです。その状況を想像すると言葉では言い表せない状況なのは言うまでもないでしょう。</p><p>お子さんは本当に不憫です。もうそう言うことしかできないのが歯がゆいですが、問題はやってしまったお母さん。どうしてそうなる前に助けることができなかったのでしょう。相談する相手はいなかったのでしょうか。旦那さんはしっかり向き合って育児の悩みを聞いてあげていたのでしょうか。すべてが悪い方向へ向いてしまっての結果…なのですが、本当に防ぎようがなかったのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>心理を学ぼうと思ったきっかけは「愛（LOVE）について探究したい」というものでした。</p><p>それから約1年半。心理を学んで、いろんな事例を見てきて思ったことは人を好きになることというのは幼少期からの積み重ねではないだろうかということ。虐待されて育った子は、自分が親となっても同じことを自分の子に繰り返すといいます。それは自身の幼少期の体験が言うまでもなく影響しているからなのではないでしょうか。</p><p>人の好みは全員違います。似ていてもどこか違います。現在ブライダル系の仕事もしていますが、花嫁からの手紙でよく出てくるフレーズは「新郎はお父さんによく似ています。」というフレーズが多い。つまり人は生まれながらにして、その環境で愛を学んでいくのではないでしょうか。</p><p>それが歪曲していたり、足りなかったりするとこういったことが起きる…のではないかと考えています。</p><p>その足りない部分を補うために、なにかができるようになりたい。ではなく、なにかをしなければならない。本気でそう思っています。</p><p>不幸になる子供が、親がいなくなるその日まで。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12381864635.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jun 2018 00:33:50 +0900</pubDate>
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<title>ニュースを診る</title>
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<![CDATA[ <p>最近は夜のニュースを見ながら思うことがある。</p><p>これはこの症例に合う。これはこの前勉強したこれだな・・・とか。</p><p>&nbsp;</p><p>HOTなところでは日本体育大学アメリカンフットボール部の反則行為について。</p><p>連日昼夜問わず報道されて、ようやく状況が明るみになってきましたがこれ、まさしく「ミルグラムの服従実験」とまったく同じですね。</p><p>権威あるものからの命令であれば、自分の意思に反して服従してしまうという有名な心理学実験。もとは第二次世界大戦下で旧東ドイツが行っていたホロコーストを受けての実証実験ですが、今回の件になぞらえるとこうなりますよね。</p><p>&nbsp;</p><p>権威ある者：日体大監督およびコーチ</p><p>命令：「クオーターバックを潰せ。」「（タックルは)やらないわけはないよな?」</p><p>結果：反則行為実行</p><p>&nbsp;</p><p>有名な心理実験で現在、聴講しているいくつかの心理学分野でもほとんどの科目でこれが紹介されるほど有名な実験です。</p><p>ただ、これが実験されたのは今から50年以上も前の話。</p><p>正直、戦後直後の昔話だなんて思っていましたが現代に、しかも日本でここまで大きな問題になるようなことがあったなんて正直驚きました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心理学に限らず、現代の学問の根幹にある目的は「人々のより良い暮らしのため」の学問であります。</p><p>日本は我慢が美徳、お客様は神様、クライアント主義な部分の強いお国柄、こういった問題は明るみになっていないだけでたくさんあることでしょう。倫理的な問題があったとされる通称アイヒマン実験ですが、こういったひとつの実証がなされているのであれば、これを使って今後同じようなことが教育機関に限らず日本国内で起きないように指導者を管理する立場の人は知識を付け、指導にあたってほしいものです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12380828195.html</link>
<pubDate>Sat, 02 Jun 2018 22:00:00 +0900</pubDate>
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<title>知る権利とプライバシー</title>
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<![CDATA[ <p>先に申しておきますが、これは決してこの権利を否定するものではないということを念頭に読み進めていただければな、と思います。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、このふたつの言葉の意味、なんとなくご存じかとおもいますが、辞書にはこのように記載されています。</p><p>&nbsp;</p><p>[知る権利]</p><p>民主主義社会における国民主権の基盤として，国民が国政の動きを自由かつ十分に知るための権利。</p><p>&nbsp;</p><p>[プライバシー]</p><p>2003年（平成15年）5月23日に成立し、一般企業に直接関わり罰則を含む第4〜6章以外の規定は即日施行された。2年後の2005年（平成17年）4月1日に全面施行した。<br>個人情報保護法および同施行令によって、取扱件数に関係なく[1]の個人情報を個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者は個人情報取扱事業者とされ、個人情報取扱事業者が主務大臣への報告やそれに伴う改善措置に従わない等の適切な対処を行わなかった場合は、事業者に対して刑事罰が科される。</p><p>&nbsp;</p><p>前者は憲法、後者は法律として制定されています。</p><p>最近ではこの法が暴走しているように思えるのは私だけでないと思います。</p><p>タイムリーな話題ですと日本大学アメフト部の問題。もう少し前の話ではTOKIO山口達也の強制わいせつ問題。日本相撲協会の女性差別に関する問題などなど。</p><p>テレビを点ければまずはこの話題という時期が必ずありましたね。マスコミ各社は新しい情報をと奔走して少しでも新しい情報が出れば重箱の隅を突くかの如く連日報道しています。視聴者としては正直うんざりです。あくまで個人的意見ですが。</p><p>&nbsp;</p><p>ここまでその当事者の私生活に介入するのはいろいろと問題があるのではないかと思われることもあるのではないでしょうか。</p><p>じつはそこには先ほどの2つの法律と憲法のうまい関係性があったのです。</p><p>私たち一般人は個人情報の保護に関する法律（いわゆる保人情報保護法）でプライバシーは護られています。ただこれが私たち国民とは一線を置く著名人になると様子が変わってしまい、プライバシーよりも知る権利のほうが優勢となります。そのため、私たち国民に有益な情報であれば、その当事者のプライバシーは問題となっている件に関してのみ無効となるのです。</p><p>だからよく、どこの誰と誰が不倫をしていたとか何億円の脱税をしているようだとか当事者または近しい人でないと知りえない情報がバンバン報道されるわけです。いわゆる有名税とでも言うべきなのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>突然はなしは変わりますが、僕は心理を本格的に学び始めて1年と数ヶ月になります。</p><p>これまで通信制故に実験はあまり行えていませんがそれでも少しでもその遅れを取り戻そうと勉強に日々、がんばっています。</p><p>そこでテレビを見て、表情や声のトーンだけでなんとなく精神的な疲れといいますか、疲弊具合が分かるようになった気がしています。</p><p>日々のニュースでも出演している人の表情でそういったことがわかるようなことも多くなりました。</p><p>いきなりこんな話をして何かと思われた方もいるかもしれませんが、つまりはいくら知る権利が憲法で保証しているからといっても最近はやりすぎではないだろうかということです。</p><p>&nbsp;</p><p>恐らく国民はメディアが思っているほど深く掘り下げた一個人の情報に需要を求めていないとおもいます。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12380081456.html</link>
<pubDate>Thu, 31 May 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>人肌</title>
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<![CDATA[ <p>ご無沙汰しておりました。</p><p>じつは先週、腸炎にかかってしまい、床に伏せておりました。</p><p>今は回復して、仕事も勉強も元気にやっているのですが、家庭内が軽くパンデミック状態で、全員同じ症状でダウン中です。</p><p>&nbsp;</p><p>それはさておき、人間こう思い通りに体が動かないときといいますか、もっと単純に病気にかかったときにはなぜ、人肌が恋しくなるのでしょう。</p><p>「人肌」といいますか「人」が恋しくなります。</p><p>動けないから身の回りの世話を焼いてくれというものではなく、単純にそばにいてほしい。身体が弱るということは、精神的にも弱るということなのでしょうか。</p><p>大人ではあまり見かけないですが、小さな子供の場合には熱を出した時、親にべったりくっつくなんてことが周りでよく見ます。これも同じ理由なのでしょうね。ハーローの研究ではないですが、恐怖、この場合病気ということになりますが、それを感じた場合には居心地のいい親にくっつくということなのでしょうか。もう少し時間がとれたら調べてみたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12379824353.html</link>
<pubDate>Wed, 30 May 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>学習的無力感</title>
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<![CDATA[ <p>[学習的無力感とは]</p><p>長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象。（ウィキペディア）</p><p>&nbsp;</p><p>例えば、あるボタンを押せば檻が開くという装置に置かれた犬が、どんなにがんばっても出られないとして。次に近づいただけで檻が開くという装置に置かれたとしても、なにも行動をしようとせず鼻を鳴らすだけの状況になってしまったこと。これを学習的無力感といいます。</p><p>よくドラえもんののび太が言ってる「どうせ、僕なんか何をやっても・・・」というあの状態ですね。</p><p>ふとおもったんです。これって幼少期の子育てでとても重要なことなのではないだろうかって。</p><p>よく子供は褒めて伸ばしなさいと聞きます。その意味はよくわかりませんが、我が家でもそれに倣っています。</p><p>たしかに、叱ってやらせるよりも褒めて煽ててやらせたほうが効率よく、素直に動くのです。これは学習効果ですね。これをしたら褒めてもらえる。褒美がもらえるとがんばるあの姿。</p><p>&nbsp;</p><p>逆に僕の友人で幼いころから所謂、教育ママに育てられたという友人がいます。</p><p>彼女は現在、躁うつ病を患っていて苦しい毎日を送っています。いろいろと話を聞くと、母に褒められた覚えがあまりないというのです。</p><p>逆に叱られた記憶は、むしろそれしかない状態だといいます。</p><p>「なぜできない。」「どうしてそうする」「何を考えている」などなど。大人でもそんな言葉を毎度かけられても参ってしまいます。親になった今だから彼女の母が当時どうしてほしかったのか、将来どうなってほしかったのかわかりますが、当時の彼女にそんなことがわかるはずもありません。</p><p>その弊害として彼女は躁うつ病になってしまいました。母の怒鳴る声に怯えて生きてきたので工事の音や除雪車が通るような轟音を間に当たり</p><p>にするとまさに、蛇に睨まれた蛙状態。まったく動くことも、言葉を発することもできなくなってしまうといいます。</p><p>&nbsp;</p><p>思い返せば、以前お付き合いをさせていただいていた方も同じような状況でした。</p><p>何を言っても母に論破されつづけたことで、言いなりになって、そして反論することを諦めてしまったといいます。</p><p>数年お付き合いをさせていただいてようやく思っていることを、言い合える仲になりましたが、付き合って1年ちょっとは僕がこうと言ったら不満気な顔をしつつもそれに従っているという状況でした。これが学習的無力感なのかと今なら思えます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>誰にでも無限の可能性はあるのです。</p><p>それにボーダーラインを引いてるのはほかでもない自分です。</p><p>ただ、その地盤を作るのは自分の親の仕事。家の建築でも基礎がしっかりしていない状態で箱を作っても脆く、すぐ壊れる。それと同じで幼少期の教育がどれだけ将来の人格形成に大切なことか、僕は今までの人生で学んできました。</p><p>実は妻も学習的無力感の傾向があるので、今後これが子供たちにどう影響を与えてしまうのか、少々不安でもあります。</p><p>小学校、中学校、高校と成長していくなかで「どうせ、わたしなんて」「どうせ、ぼくなんて」なんて言葉を子供たちの口から聞きたくないですね。何にでも自信をもって取り組める環境づくり、それがぼくら親の仕事と自覚し、取り組んでいこうと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12378722333.html</link>
<pubDate>Sat, 26 May 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>継続は力なり。</title>
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<![CDATA[ <p>ほかにも“信じる者は救われる”とか“努力は実を結ぶ”なんて言葉がありますが。</p><p>つまり、がんばればそれだけ結果に表れるってことですよね。</p><p>個人的にはこの類の言葉、あまり好きではありません。</p><p>目標としている結果に届いていないということは、己の努力が足りないってことになるとおもいます。</p><p>もちろん、切磋琢磨して、身を削ってその目標に打ち込むのはとても大切なことですし、場合によってはそうしないとならない場面もあるでしょう。</p><p>ただ、個人的には自分を追い込んで追い込んで追い込んで追い込んで追い込んでというぐらいでないと成し得ない難しいものだという表現に聞こえます。つまり、身を削るほど自分を追い込めっていうことと捉えています。</p><p>果してそこまでして得た結果は、自分が求めたものなのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>例えば難関高校合格への受験勉強だとして。</p><p>中学一年生から、もしかすると小学生から受験勉強を始めている家庭もあるのではないでしょうか。</p><p>私はこういった人生を送ってこなかったのであくまで想像の話で申し訳ないのですが。おそらくこういった子たちは学校が終わったらまっすぐ進学塾に向かうでしょう。そして夜遅くまで勉強をして帰宅するでしょう。夕飯もそこそこに机に向かって遅くまで勉強をするでしょう。そして朝起きたらまた学校へ行って、終わったら塾へ…の繰り返しではないでしょうか。</p><p>それを指示しているのは受験生本人ですか？いいえ、ほとんどがご両親でしょう。</p><p>これのすべてが悪いとは言いませんが、人生80年として、その一瞬たりとも遊びやリハーサルのような時間はありません。1秒1秒が本番なのです。だから同じ日に、同じ場所で、同じ性で産まれてきた子であってもその人生はまったく違うものになります。</p><p>たとえば、片方の子がさっきの例のような難関校合格を目標に幼いころから進学塾に通っていたとして、片やもう一方の子は友達との、家族との時間を勉強よりも多く、大切にとっていたとして。どちらが正しいというつもりはありません。</p><p>個人的見解ですが、自分の子を育てるのであれば断然後者をとります。自論ですが、勉強は人にだまされない程度の教養がついていればいいと思っています。四則の計算や読解力など最低限でいいとおもっています。</p><p>&nbsp;</p><p>こどもは大人が考え、感じている以上にアンテナを張っています。</p><p>大人がわざわざ尻を叩かなくても、自分で考え、自分で行動します。</p><p>たまに躓いてしまったときにだけそっと手を差し伸べる。それだけでいいのではないでしょうか。そうでなくても社会に出たら一人です。</p><p>子供のうちは大いに遊び、そこで得られるものをスポンジのように吸収しなさい。</p><p>それが我が家の教育理念です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12378478058.html</link>
<pubDate>Fri, 25 May 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>権威コンプレックス（権威主義的性格）</title>
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<![CDATA[ <p>権威コンプレックスとは</p><p>思考の柔軟性が欠落し、強い者や権威に対して無批判に服従する。</p><p>単純かつ硬直化した思考が目立ち、自分の意見、関心こそが社会での常識と誤解して捉える傾向が強い。また、その一方で、自らよりも立場の弱い者と看做した人々に対しては容赦のない攻撃を加える傾向も備えている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>恥ずかしながら先週末、警察官にご厄介になりました。</p><p>理由をここで述べるのも恥ずかしいのですが、ある交通違反でした。パトカーに乗せられ、事情聴取と違反の説明を受け。</p><p>どう考えても自分が悪いのです。ですが、人間こういうときなぜあんなにも横柄な態度を取ってしまうのでしょうか。自分のやったことを棚上げして他の人の批判、警察全体の批判をしていました。冷静になった今考えると、バカなことしたなと思います。</p><p>警察官は日本の組織の中で唯一逮捕権を行使できる存在です。ですが、スキーマでいうと人間という括りになることは間違いありません。コンピュータのように何十回、何百回、何千回、何万回、それ以上にひたすら「あ」という字を打ってもたった1回も間違うことなく性格に「あ」と入力できるような機能は人間に備わっていません。何が言いたいかというと、警察官だってミスを犯すこともあるということです。</p><p>ご厄介になったとき、それが瞬間的に思い浮かんだのでしょうね。今までの警察官や警察組織に対する不満をとにかくぶつけました。</p><p>言うまでもありませんが、その当事者が今回の警察官ではありません。ただの八つ当たりです。しかもその内容も重箱の隅をつつくようなものでそれはもう恥ずかしい内容でした。</p><p>あのとき素直に「すいません」と言えないのはどうにかしたらこの場をやりすごすことができるのではないか、とおもったのでしょうか。そんなことできるわけないのですが。自分が弱い立場に立つことが許せなかったのでしょうか。こういうとき、どんな心理状態なのでしょうね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/modificare/entry-12377991308.html</link>
<pubDate>Wed, 23 May 2018 00:00:00 +0900</pubDate>
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