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<title>moekoro0304のブログ</title>
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<title>潰瘍性大腸炎になった話</title>
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<![CDATA[ <p>私は社会人一年目の秋に潰瘍性大腸炎という難病を患った。入院もして会社も休職になった。鈍いお腹の痛み。今でも覚えてる。</p><p>休職をしていて会社と連絡を取るのが嫌だった。上司が最悪だったからだ。私が病気になったことを報告してからも、「〇〇さんの成長のために全部稟議書回していいから」「気持ちの問題だよ」等圧をかけてくるタイプの上司だった。休職して２ヶ月目、私は病院受診の際涙が止まらなくなり心療内科受診を勧められた。</p><p>心療内科では初診の先生がクソだった。あなたはこういう気持ちなんでしょ、と断定してくるタイプの先生だった。二人目の先生はおっとりした女性の先生で話をきちんと聞いてくれて担当になった。のちにこの先生の治療によって私はどん底に落ちることになるのだけれど。</p><p>心療内科では、リーゼとサインバルタを飲んでいた。これを飲むようになってからは涙が止まっていた。会社との連絡で人事部が出てきた。人事部の人との面談で上司の話をしている時にまた涙が溢れてきた。</p><p>また１ヶ月後に面談が入った。ちょうど兄に会った日。父と母に本音をぶちまけて泣きじゃくり面談をリスケしてもらうことになった。</p><p>「ずっと辛かった、二人の間に挟まれていることが。もう助けてよ」すらすら言葉が出てて二人も目が点だったと思う。</p><p>その２日後、4/2に私はもう家を出ていくと彼氏の家に行った。キャリーケースに荷物をまとめて、両親にはメッセージを残して。</p><p>「猫たちが兄と私だと思って接してほしい」と。猫２匹を飼っているのだが、この猫は兄が飼わせてくれたものだ。２匹がまるで私たち兄弟に似てるなと思ったのは最近のこと。猫が嫌がっていたらそれはしてはいけないこと。喜んでいることはやってあげて欲しいと。</p><p>タクシーを呼んで、運転手が待ってるからとソワソワする母と自分の部屋にこもって出てこない父と。母を落ち着かせて、父にはAmazonで買った私が言いたかったことが書いてある本を与えた。</p><p>私の第二の人生が始まる。アドレナリンが出てるのがわかった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/moekoro0304/entry-12976030361.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 20:55:38 +0900</pubDate>
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<title>兄の話</title>
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<![CDATA[ <p>私には6歳上の兄がいる。兄は一人暮らしをしていて、長く実家には帰ってきていない。</p><p>小さい頃はとても仲が良かったと思う。丁度東日本大震災の時から父の仕事が忙しくなって、家庭環境が荒れ始めた頃だと思う。その時ぐらいから兄との関係も悪くなった。兄は思春期に荒れまくっていた。将棋ゲームにハマり負けては大暴れする、壁に穴を開ける、暴言を吐く。怖い存在に変わっていった。両親の離婚で兄とも離れて暮らすようになり内心ほっとした。それから兄は音楽系の会社を作って今では社長をやっている。私は精神科に入院することになる数日前に兄に連絡をして「どうやって会社を作ったのかを知りたい」と会社まで行って話をした。いつもならしない行動をとっていたことがサインだったのかもしれないと今なら思う。兄は私の話を4時間も聞いてくれた。社長だからこそ大変だったことや今の若者の被害者意識が強すぎること、実体験だからこそ身に沁みる話だった。兄はこうも言った。「お母さんはオーバーに言うところがあるから信用しすぎないほうがいいよ。」と。実は兄の会社に行く私を心配して母がついてきたのだ。兄の会社に行くまでの電車の中で席に座っている母の姿を見て「ソワソワしてる。落ち着かない様子。」と客観的に母のことを見ることができたのだ。いつものルーティーンをして落ち着こうとしている母の姿を見て「気持ち悪い」と思ったのも正直なところ。</p><p>兄と話し終わって「自由と責任を取り戻そう」と言われ、本当にその通りだと思った。私は責任を取らなくていいような甘えた環境にいた。両親が責任をとってくれる環境に。</p><p>そのことに24歳で気づけて良かった。心から思った。自立しよう。家から出よう。そう思った。</p>
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<link>https://ameblo.jp/moekoro0304/entry-12976028784.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 20:38:22 +0900</pubDate>
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<title>父と母</title>
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<![CDATA[ <p>私が精神科に入院することになった要因として父と母の存在がある。</p><p>まずは父と母について話していくことにする。</p><p>父は理論タイプで因果関係を自分の中で理解しないと納得しないタイプだ。女性ならではの感情論を全く理解できないので、よく母と揉めているのを見たことがある。</p><p>母は感情タイプで気持ちだけでどうにかなる、どうにかならせる！と理論のかけらもないタイプだ。</p><p>私はよく母から父の悪口を聞いていた。父からは聞いたことがなかった。</p><p>そんな二人の間に入って、母が父にして欲しいことを父にそれとなく伝えてみたり仲介人としての役割が家庭の中にはあったと思う。</p><p>家庭は心を安らげる場所のはずなのに常に緊張状態で安らげる場所ではなかったのだと精神科に入院して感じた。</p><p>よく母は「父はアスペルガーだから、こだわりが強い。ルーティーンにこだわる。予定変更が苦手」と言っていた。すぐ障害に当てはめるのはどうかと心の中では思っていたが、一緒に暮らしている手前そんなことは言えず、うんうんと聞いていた。</p><p>二人は一度離婚している。私が小学5年生の時だ。私には兄がいる。私は母と、兄は父と暮らすことになった。兄の話は後ほどすることにする。</p><p>離婚して、たまにご飯を食べるくらいの関係性がちょうど良かったのかもしれないと今になって思う。再婚したのは離婚してから7年後だ。私は大学浪人中だった。</p><p>自分の部屋に鍵がついていないことをずっと不思議に思っていた。こっちの準備が整っていなくても、母はお構いなしに部屋に入ってくる。家の中で鍵がかかるトイレの中とお風呂の中だけが安心できる場所だったと思う。</p><p>その人だけの境界線があると思う。いくら家族でも入ってはいけない境界線。その境界線をずかずか踏み荒らされていたことが、精神科に入院するまで症状が悪化してしまったことにも繋がっていると思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/moekoro0304/entry-12976027488.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 20:24:34 +0900</pubDate>
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<title>24歳で双極性障害になった話</title>
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<![CDATA[ <p>私は３ヶ月前、精神科に入院していた。</p><p>今まで何も悪いところがなく真面目に生きてきた。その私が精神科に入院したことで人生が変わった。</p><p>自分で救急車を呼び家族から離れようとして周りの人にたくさん迷惑をかけた。そうしないとやっていけなかった。</p><p>このブログでは私の人生の話と、今どのようにして生きているかの記録として話していこうと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/moekoro0304/entry-12976023702.html</link>
<pubDate>Mon, 17 Aug 2026 19:39:59 +0900</pubDate>
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