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<title>週間イントラモエニア</title>
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<description>イタリアに関する雑感、ニュース、書評など</description>
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<title>色に隠された物語</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">ドーナッツクラブの公式ブログに記事が載りました。東京のアゴスティ上映はどうなのでしょう？　私事ですが、明日日本に一時帰国します。</font></p><p><a href="http://d.hatena.ne.jp/djmasao/20120327/p1"><font size="3">http://d.hatena.ne.jp/djmasao/20120327/p1</font></a></p><br>
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<pubDate>Wed, 28 Mar 2012 05:32:53 +0900</pubDate>
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<title>Cesare deve morire</title>
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<![CDATA[ <iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/lFxpLimRlN4" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><font size="3">　今年のベルリン映画祭で金熊賞を獲得したタヴィアーニ兄弟のCesare deve morire（シーザーは死ななければならない）を鑑賞しました。ドイツメディアには、映画祭で巨匠に金賞を与えるのはどうかといういわれなき批判も受けましたが、これは面白い、久しぶりにしっかりしたイタリア映画を見た！って感じでした。ローマの地下鉄Ｂ線のはしっこにレビッビアの刑務所があるのです。野球グラウンドに通うためこの刑務所の前を通るたびに、この中を見てみたいと思っていたのです。この映画の舞台はレビッビアの刑務所の中で、服役中の囚人たちがシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」を上演する。その俳優になる囚人の面接から練習、上演までの各場面をただただカメラがとっていくフィクション・ドキュメンタリーです。囚人たちの迫真の演技（の演技）が進むに連れて、刑務所という舞台（の中の舞台）を異質な何かに変えてしまうような、凄みのある映画でした。でもだいたい最初の20分くらいは寝てました。</font>
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<pubDate>Tue, 13 Mar 2012 08:29:01 +0900</pubDate>
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<title>風刺漫画に見るベルルスコーニ時代の終わり</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://d.hatena.ne.jp/djmasao/20120227/p1" target="_blank"><font size="3">風刺漫画に見るベルルスコーニ時代の終わり</font></a></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">という文章をドーナッツクラブのブログに載せました。ブログでブログを紹介するというのも不毛ですが、昨年の11月から年始にかけて、イタリアの政権交代という本当に激動の時代を生で感じることができたと満足しております。現代史の教科書にEtà berlusconianaなんつって書かれる日が来るんでしょうね。</font></p>
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<pubDate>Tue, 28 Feb 2012 08:30:25 +0900</pubDate>
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<title>アゴスティ作品上映会</title>
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<![CDATA[ <iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/qgaN0z2jk6w" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><font size="3">　３月中旬から末にかけて東京の下高井戸シネマでシルヴァーノ・アゴスティ監督のレイトーショーが開催されます。東京方面の方は是非。彼の作品はときに観る人を選ぶほどどぎついです。上映ラインナップの中でいちばん好きなのは激しくヴァチカンを批判した「天の高みへ」でしょうか。もうすぐ日本で公開されるだろうナンニ・モレッティの「アベームス・パーパム」（こちらはやんわりヴァチカンを批判している）と合わせて観るのもよろしいかと。<br><br>　ところで、こないだ彼の映画館に行ったとき、新作ドキュメンタリーができたということで、さっそくいただきました。タイトルはIl Trionfo del vuotoで空白の勝利という意味です。これはあるテレビ放送局に製作を依頼されてつくったファシズム建築についてのドキュメンタリーです。アゴスティ氏曰く「撮影をしながら、ファシズム建築は空間を取り囲むのではなく、空白を取り囲んでいることに気づいた。こうして私はファシズムが何も生み出さなかったことを改めて確信したのだ」。彼らしい一義的な意見だなと思いました。実はこの意見にはぼく自身は結構反対で、ローマ大学の校舎、ＥＵＲの町並み、カプリ島のマラパルテ邸などなど、ファシズム建築って今見てみると独特で非常に興味深いと思っています。無機質な壁に汚れがついている感じなど、なかなかわびさびを感じるな、と。そんなわけで気になっていたIl trionfo del vuotoでしたが、家に帰って再生してみると、見れませんでした。作品データが入っているＤＶＤが安物すぎて読み込めなかったようです。ちゃんとパッケージの中に入っていたのに…これもアゴスティさんらしい手作り感のなせるわざ。この作品もいつかまとめて日本で公開してほしいです。</font>
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<pubDate>Fri, 24 Feb 2012 06:21:39 +0900</pubDate>
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<title>誰も知らない基地のこと</title>
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<![CDATA[ <iframe width="420" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/_-KsYDBtsKg" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><font size="3">　字幕付けで手伝ったドキュメンタリー映画｢誰も知らない基地のこと｣が４月から東京のイメージフォーラムで公開されるそうです。ぼくが手伝った字幕付けというのは、日本語からイタリア語にする作業においてなので、公開される日本版にはノータッチです。だからたくさん観客が来たとしても、金銭的な利益はまったく受けないのですが、それでも東京方面の人には是非観にいっていただきたい。日本公開までの紆余曲折を考えると是非観にいっていただきたい。<br>　この仕事を手伝っていていちばん面白かったのが、監督のイタリア人たちが沖縄の人たちを見る視点っでした。コロニアリズムとは言わないけれど、日本人の視点とは大いに違っていて、そこらへんがこの映画の見所かと思います。<br>　コロニアリズムに関して一つ裏話をすると、編集時に、普天間の幼稚園で先生と園児たちが教室で遊んでいるシーンがありました。先生が絵を見せながら｢これは何かな？｣と尋ねると、園児たちが｢いぬー！｣だとか｢ねこー！｣だとか答えるというシーン。そこで先生が｢これはペリカンさん、ペリカンさん｣と言うシーンに監督二人がものすごく興味を示していて、｢彼女は何と言っているんだ？｣とぼくんび詰め寄ってきました。なんと｢ペリカンさん、ペリカンさん｣を、音だけ聞いて｢アメリカ、アメリカ｣と先生が何かしらアメリカに対して否定的なことを園児たちに教え込んでいるシーンだと勘違いしていたのです。ぼくがアメリカではなくてペリカンである旨を伝えると、たいそうがっかりして、｢じゃあこのシーンは使えないね｣という結論に達しました。が、いざ出来上がった作品を通して見てみると、一瞬だけですが｢ペリカン｣シーンも挿入されていました。明らかに事実を都合のいいように歪曲し、日本語がわからない観客を前提にして挿入したんですね。日本版ではカットされているのでしょうか。でもそういった部分も含めて彼らの視点を味わってほしいな、と切にそう願うわけです。</font>
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<pubDate>Wed, 22 Feb 2012 07:40:45 +0900</pubDate>
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<title>見えないものたちの踊り</title>
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<![CDATA[ <dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=19030443" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">見えないものたちの踊り/シルヴァーノ・アゴスティ<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51%252BrXMMcmgL._SL160_.jpg"></a></dt><dd style="MARGIN: 0px">￥1,890</dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp</dd></dl><p><font size="3">　ぼくも翻訳に参加させていただいた「見えないものたちの踊り」が昨年の11月に発売されました。電子書籍、およびオンデマンド書籍(受注生産のようなもの)のみなので一般の本屋では買えません。なんでも売り上げがある一定数に達したら一般書籍として流通するそうです。翻訳したからには普通の紙の本になってほしいです。というわけで宣伝です。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　ローマ、バチカン市国の最寄り駅、オッタビアーノで映画館を経営する映画監督シルバノ・アゴスティさんの短編集です。この人は自分の映画を有名にしたくないといって自分で映画館を経営しているむちゃくちゃな人で、むちゃくちゃすぎて「大丈夫かいな…」と引いた目で見てしまう部分があったのですが、翻訳の質問のために何度か映画館にお邪魔するうちに「うーん、この人はすげえな」と見なおすことになりました。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　「学校は子供から人間らしさを取り払う悪しき制度」、「働きすぎると生産性が下がるので1日3時間しか働いてはいけない」など、極端な意見をだれかれかまわず言い放つ。「あんた映画館で3時間以上働いてるやん」とつっこみたくなるけれど、それでも自分の考えにいつでもブレがないところはすごいと思う。頭のネジが1本どころか、4，5本はずれてないとこうはなれない。そう感じさせてくれる人です。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　ちなみに彼と話していて印象に残っている出来事がひとつあります。ある日いつものように会いに行くと、切符カウンターに立つ彼に突如として「彼女はいるのか？」と聞かれました。「日本にいる」と答えると、「なぜイタリアでもつくらない」と叱られたのでした。曰く「彼女が一人しかいないなんて、本を一冊しか読まないようなものだ」。言われたときは相変わらずの奔放な発言だと思ったけれど、後で反芻してみると、「面白い例えじゃないか」と手を打ったのでした。世の中には同時に複数の本を読む人もいれば、読む本がなかなかみつからないときだってある。難解すぎて読むのを投げ出したりもする。結婚相手となると、さしずめ幾度となく読み返す「人生の書」といったところでしょうか。会う回数を重ねると、アゴスティさんのむちゃくちゃ発言にも納得してしまうことがあるのでした。</font></p>
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<pubDate>Tue, 21 Feb 2012 05:15:18 +0900</pubDate>
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<title>ぼくの電車を逃さないために</title>
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<![CDATA[ <font size="3"> 乗り物でどこかへ行く場合、具体的には特に、ローマのテルミニ駅から他の町へ向けて電車に乗る場合、それがたとえフィレンツェ、ナポリといった比較的に移動距離が短くてすむ他都市であっても、旅をするような感覚になる。そして、旅の幕開けたる「電車に乗る」という行為は、極めて重要な意味を持ってくる。<br>　シュミレーションしてみよう。自分の家からフィレンツェ行きの電車が出ているテルミニ駅まで、バスと地下鉄で約一時間。さらに身支度の時間を計算に入れて起床する。バスの本数はなかなか少ないので、もし十分、二十分と家の前のバス停で待たなければならない羽目になると、当然電車を逃す恐れが出てくるので、イライラしてくる。ちなみにバスや地下鉄に乗る時は、電車に乗ってフィレンツェに行くときのような旅の感覚はない。一つに、それが移動距離に比例するものだからだろう。これがもし飛行機で海外に行く場合にでもなると、家から空港までかかる時間を計算するどころか、二時間前にはチェック・インしなければならないし、宇宙旅行に行く場合は一週間前にチェック・インして健康診断と無重力に慣れるトレーニングが行われるといった具合だ。だが、テルミニ駅で陥るあの感覚は、移動距離だけでは説明がつかないように思われる。もう一度シュミレーションに戻ってバス停からコマを進めてみよう。<br>　ようやくやってきたバスに乗って地下鉄の駅に向かう。地下鉄に乗ってテルミニ駅に到着する。駅に到着したからといって、すぐに電車に乗れるわけではない。入り組んだ、特に現在(2011年４月)は工事中の地下鉄駅を這い出るように地上に出る。ときには、エスカレーターが故障しているので、地上に出るのにさらに時間がかかる。地上に出ると、準備の悪い私は、今さら自動販売機でフィレンツェ行きの切符を買う。巨大な駅構内には、かなりの数の自動販売機が整然と並んでいるのだが、時間によってはすべてが使用中で待っている人の列に並ばなければならない。自分の番が回ってきて、自動販売機のモニターと格闘するように急いでフィレンツェ行きの切符を買おうとするのだが、これも、モニターの画面が切り替わるのを待たされたりだとか、そう易々とことが運ばない。ようやく切符が買えたので、今度は刻印を押さなければ。やはり自動刻印機もかなりの確率で壊れている。正常稼働中の刻印機をさがしてホームをフラフラさまよっている内に電車が出発する時間だ。間髪刻印を済ませ電車に駆け込む。水とちょっとしたお菓子でも買いたかったのだが、そんな暇はなかった。<br>　と、これが私の電車に乗るときによく起こりうるパターンだ。自分が慣れっこになっているのと、毎回起こりうるのにそれでも予測していなかった出来事が相俟って、かなり焦燥している。その中で任務を遂行する（つまり電車に間に合うように乗る）自分の果敢なふるまい。むかしある友人Mが好みの女性のタイプを聞かれて、「出発しそうな電車に走って間に合おうとする女の子」と答えた。これはまた違う友人Mの「出発しそうな電車を歩いて見逃す女の子」という答えへのアンチだったのが、要は、果敢に突き進み物事に対処するアアゾネスか、ゆっくりと流れに身をまかせ危うきに近寄らない君子の違いだろう。アマゾネスを旅の伴侶にした場合、かなりの冒険が期待される。つまりぼくは、自らの果敢のふるまいにより、旅への感覚を鼓舞していたのだ。<br><br> そして旅する人々が行きかう駅というやつは、ときに人生の歩みに喩えられるようだ。各々が自分の目的地に向かって、あっちに行ったりこっちに来たり。さらにホームのベンチに腰を下ろしたまま微動だにせぬ乞食なども、一つの人生の象徴なのかもしれない。ルイージ・ピランデッロの戯曲に『口に花をくわえた男』(L’uomo dal fiore in bocca)というのがある。今回はこの作品を紹介しようと思って電車に乗る話を導入したのだが、うまくつながりが持てず、破綻してしまったといえよう。<br>最終電車を逃した一人の男が、駅近くのバールで時間を潰している。そこにあらわれた花男。何気ない会話をはじめたとみせかけて、病に冒された自分の狂気を吐露していく。ここでは、人が流れゆく駅と閉まることのないバールが生の継続として、主人公と対比して用いられている。そしてクライマックスで放たれる花男の名ゼリフ。<br><br>　もしも死が、ああ友よ、あの気色の悪い小虫だったとしたら。誰かが何気なく背中についているのをみつけてくれるなら…あなたは道を歩いている。そこを通りかかった人がふとあなたをとめる。慎重に二本の指をのばしながらあなたにこう言う。『すみません、いいですか？　麗しきシニョーレ。背中に死がついていますよ』。そして二本の指でそれをつかんで、捨ててしまう…どんなに素晴らしいことだろう！<br><br>　さあここ、ご覧ください。ひげの下です…スミレ色の茎がお見えになりますか？　これ、なんという名前か知っていますか？　あー、とても甘美な名ですよ…飴玉よりも甘い名前。エピテリオーマ（上皮にできる腫瘍）です。どうぞその言葉を口にして、口にしてください…その甘美さがおわかりになるでしょう。エピテリ‐オー‐マ…。死が、つまりですね？　やってきたんですよ。私のもとに来て口に花なんかさして、言ったわけです。『よお、兄弟。これをやるよ。七、八ヶ月かしたらまた来るからよ！』</font><br><iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="https://www.youtube.com/embed/_GpOkgWG8k0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe><br><iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="https://www.youtube.com/embed/0oA-I6uiVSY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
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<pubDate>Tue, 19 Apr 2011 05:45:45 +0900</pubDate>
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<title>Habemus Papam</title>
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<![CDATA[ <font size="3">　ナンニ・モレッティの新作Habemus Papamを観てきました。Habemus Papamはラテン語で「わたしたちは教皇を持っています」というコンクラーヴェの後に教皇が決定したときにされる宣言の言葉です。このシーンも実際の場面をかなり忠実にコピーしていてなかなかよかったです。トレイラーを見たぼくの友達は、教皇が決まる場面なので、たくさんいるべきはずの観衆のエキストラが少なすぎと指摘していましたが…。<br>　いいんです、それは。モレッティ映画の醍醐味はその絶妙のシニカルさにあると思います。だから映像がどうとか、素人のぼくはあまり興味がいかない。本作のストーリーは、世界中から集まった司祭たちの中から教皇に選ばれた主人公が、その重圧に耐えられず、聖ピエトロ広場一面に集まった信者たちの前で、自分が教皇であるという公式の挨拶ができなくなるほど精神薄弱状態になってしまいます。そこにやってきたのが、モレッティ演じる精神科医。（彼はいつもいちばん美味しい役を自分が演じますね！）診察を試みるも、なんら快方には向かわず、公式に教皇の宣言ができるまで外部との接欲は許されないということで、多数の枢機卿、司祭、衛兵とともに、ヴァチカンの建物内に閉じ込められてしまいます。そんな中教皇は一人外の世界に逃げ出して…。軟禁された医師は放つセリフの数々がまさにモレッティの真骨頂といわんばかりのシニカルさで、館内でも大きな笑いを誘っていました。<br>　全作に共通して思っていたのですが、やはりシナリオがしっかりしている。シニカルなセニフやシーンが最大限生きるようなシュチュエーションに物語を進めていくところがすごいなと思いました。ただ、近作はモレッティの最高傑作というわけではありません。なぜならHabemus PapamやCaimanoは扱っているテーマがでかすぎて、彼の気の抜けたシニカルさがかっちりハマらないからです。やはり青年の無為な生活を描いたEcce bomboなど初期のもののほうがよかったなあ。</font><br><iframe title="YouTube video player" width="640" height="390" src="https://www.youtube.com/embed/Mr8O687r-60" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
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<pubDate>Mon, 18 Apr 2011 06:06:17 +0900</pubDate>
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<title>2010年をふりかえって　その４</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110307/06/moenia/70/49/j/o0170025811095186025.jpg"><img border="0" alt="週間イントラモエニア" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110307/06/moenia/70/49/j/t01700258_0170025811095186025.jpg"></a><br><font size="3">　2010年もっとも心を震わされたのは次に挙げる二冊である。この二冊は、昨年の十月末、エーコ、マライーニ、タブッキ、アンマニーティ、サンドロ・ヴェロネージなどの新作と同時期に発売されたのだが、私の中では他の追随を許さぬほどに輝きまくっていた。ちなみにどちらも購入したものの未読なのだが、心を震わされたという事実には相違ない。それほど現在イタリアで力のある作家なのだ。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">　一冊目はアレッサンドロ・ピペルノのPersecuzione（迫害）。ローマ第二大学トルベルガータでフランス文学を教えるユダヤ系イタリア人のピペルノ。先日のLibri comeというイベントで新作を発表したばかりのジョナサン・フランゼンとの対談で、一人でしゃべりすぎるものだから、観客から非難を喰らってました。それくらい博識で文学通なんですね。2005年、ローマの上層階級ユダヤ人の世紀にわたる生活を描いたCon peggiori intenzioni（最低の印象で）で小説デビューしてすぐさま成功を収めたピペルノ。今回は幼児がん治療に携わり、一定の地位がある４８歳の主人公が、性的スキャンダルに巻き込まれ、家族たちとの軋轢が生まれていく…みたいな感じの超大作。前後篇で、後篇は今年もうすぐ発売のはずですね。後篇が出たらインタビューしたいなあ。</font></p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110307/06/moenia/d7/95/j/o0170026911095186024.jpg"><img border="0" alt="週間イントラモエニア" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110307/06/moenia/d7/95/j/t01700269_0170026911095186024.jpg"></a><br><font size="3">　もう一冊はアンドレア・バヤーニのOgni promessa（すべての約束）。バヤーニはローマ生まれでトリノでジャーナリストをしている新進気鋭の作家です。去年も取り上げたっけ？？　2011年明けて時間がたったものだから、なんと本作でバグッタ賞を獲得しました。おめでとう！　内容は夏休みに入った最初の日、妻のサーラが一枚の書置きを残して、姿を消す。そこに書かれていたのはロシアに遠征した退役軍人の祖父の死を告げるもの。主人公のピエートロは、妻を捜すとともに、祖父に起こった当時の事件も解き明かしていく…みたいな感じだと思います。イタリアとロシアの戦時中の関係って日本人からしてみればかなりなじみ薄いものなので、とってもおもしろそうです！</font></p>
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<pubDate>Thu, 14 Apr 2011 23:13:33 +0900</pubDate>
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<title>2010年をふりかえって　その３</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">　先に言っておくと、今回が最後じゃなくってもう一回続けます、2010年の振り返り。というのはどうしても語っておきたいこの人のことを思い出したからです。ストレーガ賞を受賞したアントニオ・ペンナッキ。その受賞作の『ムッソリーニ水路』(Canale Mussolini)です。ローマの南東に位置する大きな沼を開拓したムッソリーニと、彼を信奉してその沼のある地方に移住してきた北部の貧しい家族。その開発事業やら、史実やら、当時の環境やらが事細かに記述された大作で、要するにムッソリーニとファシズムも当時の下層階級からすればヒーローである。人間の歴史の中に悪は存在しない。というところでしょうか。この物語を読んでして、安直に連想してしまったのが印旛沼を開発しようとした田沼意次です。開発して産業を活発化させようとすると、いつでも悪者扱いになるのか。</font></p><font size="3"><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110302/10/moenia/68/ea/j/o0170025911084551012.jpg"><img border="0" alt="週間イントラモエニア" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110302/10/moenia/68/ea/j/t01700259_0170025911084551012.jpg" width="170" height="259"></a><br>　著者のアントニオ・ペンナッキは五十歳まで工場員をしては、出版社に自作の小説を持ち込んでいたそうです。初めて脚光を浴びたのが、共産主義の兄とファシズムの弟が主人公の『ファッショコムニスタ』。こちらは映画の原作にもなりました。まさにイタリア版プロレタリア文学作家じゃないですか。でも極右運動団体Casa Pound直営の本屋Testa di ferro（アイアン・ヘッド）のショーウィンドウに『ムッソリーニ水路』が飾られたのを見たときは、ショックだったなあ…。おまえら、なんでもいいんかい！と。</p><p>　今年は賞もとって絶好調のペンナッキさんは年末にももう一冊出しました。ラテルツァの文庫（？）サイズのシリーズContromanoから『チルチェオのハイエナ』(Le iene del Circeo)です。この作品ではチルチェオの洞窟に原始人の頭蓋骨を持ち帰ったハイエナの謎を追う、古代歴史ミステリー。ペンナッキの幅の広さをみせてくれました。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110302/11/moenia/f1/1f/j/o0146022011084565411.jpg"><img border="0" alt="週間イントラモエニア" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110302/11/moenia/f1/1f/j/t01460220_0146022011084565411.jpg" width="146" height="220"></a><br> </p></font>
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<pubDate>Wed, 02 Mar 2011 09:16:48 +0900</pubDate>
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