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<title>When I Think About…</title>
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<description>私はクリスチャンと言われる人です。でも、その前に当たり前ですが人間です。ふっと…について考えた時、生み出された言葉たち。独り言を書き綴っています。</description>
<language>ja</language>
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<title>ヒトリゴト。</title>
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<![CDATA[ ダメだ。いろいろダメだ。<br>あーー。<br>頭がおかしくなる。<br>自分が破裂しそうだ。<br><br>仕事に教会にプライベートに。<br>クソみてーなクズどもが。<br><br>そう言っている自分が一番クズですが。<br>永久に眠りたい…時々そう思う。<br>もう疲れたのです。<br>もうよく分からないのです。<br>もうどうでもいいのです。<br><br>怒りの感情、エネルギーはどのように解消したらいいのか？<br>クリスチャンになる前は物に当たり、自分に当たっていた。<br>しかし、クリスチャンになった今でも怒ることはある。ムカつくことはある。<br><br>主から愛され、赦していただいたのだから赦す…なんて頭では分かっていてもなかなか出来ない。<br><br><br>クリスチャンだから怒りを表に出してはいけないの？<br><br>我慢しなきゃいけないの？<br><br>いい人、親切で優しい人でいなければならないの？<br><br>どんどんと怒りのエネルギーが溜まり、腐っていく…私はそんなに器用な人間ではない。<br><br>苦手ことをやらされ、何が「訓練」だ！<br>テメーの考えからみた「訓練」だろーが。<br>「訓練だね。」その言葉にうんざりする。<br>教会は会社じゃない。<br>教会は主の教会だ。<br>自分が主からミッションを受け取って、その後で言われるのはいい。<br>人間の価値観で判断し、人を動かさないでほしい。<br>「訓練」と称し、押しつけるならば、この世の組織と変わらない。<br><br>仕事ならば仕事と割りきれる。しかし、教会ではうんざりだ。<br>怒りが込み上げてくる。<br><br><br>「やらされている奉仕」これほど辛いものはない。<br><br><br>できる人にとっては「そのくらい…」と思うだろう。<br><br>アンタが当たり前にできることでも他の人にとっては当たり前じゃない。<br><br>あー。腐っとる。<br>自分、腐っとる。
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<pubDate>Thu, 02 Aug 2012 00:00:30 +0900</pubDate>
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<title>ひさびさの怒。</title>
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<![CDATA[ 正しく教え、導くのは結構だが、批判家であってはならないと思う。<br>教職レベルではいいと思う。が、クリスチャンになったばかりの人の前で牧師やベテラン信徒が他の牧師や他の教会の批判をしていたらどう思うのか、どう感じるのか？<br>そして、どうすればいいのか？嫌気がさす。<br>牧師のご機嫌とりのおんぶに抱っこでいいのか？<br>そりゃ、信徒は育たないわ。<br>自分の経験値でその人を判断したくない。<br>あなたにそんな権利があるのか？<br>そして、批判を言葉にすることで何のメリットがあるのか？<br>それを聞いてクリスチャンに愛があると思うのか？<br>他を比較することで自分は正しい、自分の教会は正しい、自分のとこの牧師は間違いない、と判断している気がしてならない。<br>つまり、自分の信仰の基準に他を批評している気がしてならない、、、<br>人間の考え、価値観で信仰的なことを測ったら、聖霊が働きづらくなる。<br>神のダイナミックなみわざが働きづらくなる。<br>新しいクリスチャンたちに悪影響を与えていることに気づいてほしい。<br>自分の教会以外の集会、教会に行っても、まず評価的な目線が働いてしまうようになる。<br>恵まれたら、「ああ、良かった。」<br>少しでも違うところがあったら「あそこがおかしい。」<br><br>違うでしょ。<br><br>なぜ、まず主に期待しないのか。<br>なぜ、結果の部分だけみて判断するのか。<br><br>もういいや。<br>私も同じようになりたくないので、口を閉じます。<br><br><br>「あなたは人を愛する者になりなさい。」<br>主を愛し、人を愛する者でありたいと願います。
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-11243421777.html</link>
<pubDate>Sun, 06 May 2012 18:21:59 +0900</pubDate>
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<title>また…</title>
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<![CDATA[ 土曜日、どんだけイライラさせられたか(＞＜)<br>無神経さに…本当に呆れる。<br>あんたのミニストリーじゃないっつーの！<br>自分でやっているつもりになっていたり、自分のペースでやっていたり。<br><br>奉仕があったので霊の目がオープンで、敏感になってただけあって、かなり打撃を受けた。<br><br>何か起こって、心がかき乱される度に必死に祈ったさ。<br><br>全くもって自覚がない…霊的なアバウトさ。<br>祝福の妨害になってるの気づかんのかねぇ～。<br>それでも「変わらない」と言い張るのかねぇ～。<br>どうにかならんのかねぇ～…本当に。
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10943555498.html</link>
<pubDate>Sun, 03 Jul 2011 21:02:31 +0900</pubDate>
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<title>戦い</title>
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<![CDATA[ <p>なんだろ・・・この消化不良の感じ。。。</p><p>出しきれなさというか、完全に満たされていない感じというか。</p><br><p>本当に二人ではきつい。</p><p>人間だから仕方ないけどさ。。。</p><p>ところどころで思う「は！！？（怒）」っていう瞬間…</p><br><p>その瞬間、その思いは自分の罪からくるものなので、その罪（思い）に支配されないように必死になって賛美し、振り切る。。。</p><p>だって、賛美奉仕中ですもん。</p><p>会衆には悪いものは流したくないですもん。</p><br><p>どうにかならないんですかね。。。</p><p>なぜ必死にならなければならないんですかね。。。</p><br><p>「戦いはない」と言ってましたが、この私の思いは「戦い」ではないんですか！？</p><br><p>牧師の立場が違うだけで。。。教会の立場が違うだけではないんでしょうか？</p><p>「彼の」立場での「彼の」考えであって、人間は絶対ではないはず。</p><br><p>「戦いはない」と言うならば、私の霊的な働きは「ない」というわけで、「いらない」ということなのでしょうか？</p><br><p>目に見える働きは、人からも理解されるし、評価もされる。</p><p>でも、目に見えない働きは、人も分からないし、理解もされない。</p><p>逆に反対されるときもある。</p><br><p>もちろん、人から評価されるためにやってるわけでもないんだけど。</p><p>でも、自分のとこの教会の牧師が違う考えで、「ない」と言われること、そして仲間からも「ない」と思われること。</p><p>本当になんか。。。悲しい。</p><p>自分の働きが否定されているようで。。。</p><p>主の働きのためにやっているのに。</p><p>（教会としての）宣教のためなのに。</p><br><p>今までも牧師が「霊的戦いはない」だの、「クリスチャンにはサタンは働かない」だの、「今の時代は奇跡は起こらない」だの言っていた。</p><p>その度に、耐えてきた。</p><br><p>だって、自分自身体験してきたし、S教会と関わってきて実際起きているもん。</p><p>そのギャップを必死に埋めようとしてきた。</p><p>それが私の召しだと思ってきた。</p><br><p>でも、やっぱ人間的には理解されないのは悲しい。</p><p>理解されないことで起こる、内側の葛藤は本当に辛いものがある。</p><p>霊的に押し込められる感じ。。。</p><br><p>今日、何度となく思ってしまった。</p><p>「私がかわいそう。」</p><p>「私」というのは内なる人のこと。</p><br><p>外なる人がどんなに痛みがあろうが、苦しかろうが、耐えられる。</p><p>でも、内なる人の苦しみは耐えられない。</p><br><p>日曜日に・・・なんで悲しいんだろう。</p><p>奉仕の後に…なんで泣いているんだろう。</p><br><p>私は間違っているのだろうか。</p><p>私はどうしたらいいのだろうか。</p><p>私はどこへ向かったらいいのだろうか。</p><br><p>なんか、分からなくなった。</p><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10921648110.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jun 2011 22:48:01 +0900</pubDate>
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<title>バカヤローー！！！</title>
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<![CDATA[ …なんて、叫んでみたくなった。<br><br><br>やっぱりひとりなんだね。<br>どうせひとりなんだね。
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10900239669.html</link>
<pubDate>Sun, 22 May 2011 19:40:25 +0900</pubDate>
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<title>…？</title>
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<![CDATA[ なぜに疲れるのか…？<br>なぜにこんなにいらいらするのか…？<br><br>日曜日なのに…？<br>日曜日だから…？<br><br>なぜにこんなに頑張らなければならないのか…？<br>なぜにこんなに束縛されなければならないのか…？<br><br>御霊を悲しませてはいけないのではないのか…？<br>御霊の働くところには自由があるのではないのか…？<br><br>教会に人が来ないのは当然に思える。<br>教会に人が来たくなくなるのは当然に思える。<br><br>人に何か言う前に…<br>人が教会に来るように祈るより前に…<br><br>まず内側が整えられなければ。<br>まず自分自身を省み、神に悔い改めなければならないところは悔い改め、清めていただかないと。<br><br>今日のGMは消化不良だし、本当にムカついたし、そういうことで平安がなくなってしまう、愛のない自分にも失望した。<br><br>こんなんだったらやらない方がいいんじゃないの？<br><br>今日は本当に悪い…。<br>本当に悲しい。
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10885955866.html</link>
<pubDate>Sun, 08 May 2011 20:13:24 +0900</pubDate>
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<title>主のみこころは…？</title>
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<![CDATA[ みことばの真理は十分なくらい恵まれている。<br>しかし、霊的な勢いがない。みことばを宣言し、サタンに立ち向かう方法を身につけていない。<br>これでは片手落ちだ。<br>真理に生きる事とサタンの策略を見破り、サタンに立ち向かう事が必要。<br>簡単だが簡単にはいかない。<br><br>私はこのままでいいのだろうか…黙っていられない自分がいる。じっとしていられない自分がいる。<br>滅びゆく魂への思いもそうだが、クリスチャンがサタンの策略に翻弄させられ、霊的に弱り、ついに死んでいく状況は私にとってかなりの痛みだ。<br>そんなクリスチャンがたくさんいる。<br><br>そして、その度に自分の愛の無さと信仰の弱さを痛感する。<br>何も出来ずにいる自分が歯がゆい。<br>このままでいいのだろうか…私。<br><br>働きのない信仰は死んだも同然ではないだろうか。<br>キリストの愛を行動で表せるようになりたい。<br>しかし、優しいだけが愛の行動ではないと思う。<br>その人に対する主のみこころは何なのかを知り、その必要を導いていけるようになりたい。<br>自分の事であっても、他の人の事であっても、『神の国と神の義を第一』に求め、判断していきたい。<br>今日のメッセージでそう思い、それを決意した。<br><br>私自身はキリストのためならば嫌われてもいい。<br>それでも、主のみこころの内を生きていく素晴らしさを伝えていきたい。<br><br>いつの間にか…こんなにもキリストに捕らえられている自分に気づく。<br>私の内にはキリストしかいない…最近、そう思う事が多い。<br><br>なんだか、こわい。畏敬の念と言いますか…。<br>とりあえず…喜び踊り叫びたい（笑）
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10878381370.html</link>
<pubDate>Sun, 01 May 2011 22:04:22 +0900</pubDate>
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<title>む。</title>
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<![CDATA[ 疲れすぎて泣きそうなんですけど。<br>まさに…ぐったり。<br>ふざけんなよ。<br>だからゴスペル部には参加しないつっただろうに！<br>いいように使われる『いい人』の末ですかね。<br>慣れぬ仕事で戦ってやっとの日曜日…余計に疲れてるって、余計にムカついてるって、何なん！？寝たい。休みたい。<br>でも、今日の集会は約束したから行かなきゃいけんし…。<br>明日からまた仕事やし…途中で帰ることできんしな…。<br><br>もうほっといてください。<br>心身共にお疲れです。<br>のんびりしたいです。<br>休ませてください。<br>ってか、どうせ『あっそ、勝手に休めば？』って感じだよね。<br>そんなもんだよ、人間ってやつは。この世ってとこは。
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10857586487.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Apr 2011 17:40:52 +0900</pubDate>
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<title>…。</title>
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<![CDATA[ 家に帰ってきて、かれこれ二時間半が経つ。<br>でも…まだ洋服はそのまま。そういえば暖房もついてない。椅子に座って固まったままだ…私。<br>なんだろう…泣けてくるよ。<br>なんでだろう…好きなものが並ぶ部屋の景色…これは夢なのか…。<br>なんだろう…この気持ちは…。<br>感謝なの？悲しいの？寂しいの？切ないの？<br>なに？<br>ミノが好きな気持ち？主の素晴らしいさに感動してるの？今日のたまちゃんとの交わりで感動してるの？<br>ただ単に人間的な気持ちだけではない感じがする。<br><br>私は何がしたいのだろう…神様は私にどうしろと言われているのだろう…。<br><br>私が本当に輝いて働けるのは主のために働くしかないのは分かってる。<br>もうとっくに気づいてる。<br><br>私の人生、かけるなら主のために働きたいって。<br>死にたい。<br>自分に死にたい。<br>どうしょうもないこの罪のからだから離れたい。<br>でも、私はきっとミノのことが好きなんだろう…。<br>だって、祈った結果、示された人なんじゃないの！？<br><br>…なるほど。<br>このギャップがつらいのね。試練なのね。<br>書いててわかった。<br>でも、じゃあ…どうしろと？<br><br>祈るしかないよね。<br>委ねるしかないよね。<br><br>でも人間は弱い者さ…。
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10777902547.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Jan 2011 01:16:55 +0900</pubDate>
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<item>
<title>御霊だよ。</title>
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<![CDATA[ <p>「御霊だよ。」</p><br><br><br><p>アーメン。</p><br><br><br><p>本当にその通り。</p><br><br><br><p>ミニストリーづけの３日間。</p><br><p>年末からの聖霊の流れが、一気に表に明らかにされた感じ。</p><br><br><br><p>1日目。</p><br><p>日吉ＰＰＨ。久しぶりだったこともあるが、何よりもみのが来るというので、私にとって特別に霊的に気合いが入った。</p><br><br><br><p>「わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。（ガラテヤ５：１６－１７）」</p><br><br><br><p>自分自身、肉の欲の部分では弱いということを十分自覚している。</p><br><p>だからこそ、みのと付き合うようになって、より主の助けを求めるようになったし、聖霊の満たしを求めるようになった。</p><br><p>それだけでなく、私が聖霊に満たされている様子を見て欲しかったし、彼に体験して欲しかった。</p><br><p>別に彼が、引こうが、躓こうが、そんなの知らない。</p><br><p>だって、主は１００％善い方なんですもん。</p><br><p>主が定めるみこころの人がみのであるならば、必ず主の元に帰る。</p><br><p>もし、みこころの人でないとしても、導かれている魂であることには間違いない。</p><br><p>そんな感じでいたら、本当に聖霊が吹き荒れて、ありえないくらいに満たされてしまった。</p><br><p>祈り叫び、踊り、異言を語る私を彼はどのように見たのだろうか…？</p><br><p>彼の深層心理は分からない…が、これが本当の私（主にある私）であることを見せられて嬉しかった。</p><br><p>しかしなぁ～本当、ありえないほど聖霊が吹いていた。超～楽しい。</p><br>主は素晴らしい。<br><p>やっぱ、日吉は特別だと思った。</p><br><br><br><p>２日目。</p><br><p>池ゴス。朝、Ｔちゃんに会って、なんだかイライラしているのが伝わってきた。</p><p>おまけに私に愚痴を言い始め、「は！？」っていう感じだった。</p><p>これが悪いところだ。９／１０満足なことがあっても、１／１０納得がいかないことがあったら、前の９／１０までも喜びが奪われてしまう。それって、サタンの思う壷じゃないの！？っていつも思う。</p><p>納得がいかない部分を目を潰れなんて言っているんじゃない。それが原因で全ての喜びが奪われてしまうことが問題なんじゃないのか！？</p><p>なんで私に言うか！？昨日、満たされて喜びでいっぱいだったのに、イラっとした。</p><br><p>１２月に２０１１年の方針が話されて、Ｔちゃんがシンガーズに入るという私にとって訳がわからない予定を聞かされて…平安がなくて。そのビジョンを想像しても想像できないし、納得がいかなかった。</p><br><p>ひとつのパーツがあるべき場所になければ、他のパーツにも影響がでるのだ。</p><br><p>はっきり言って、シンガーズなんて音楽に召しを感じる人がやればいいわけで、（音楽的な向上も目指す池ゴスは特に）ＴちゃんにはＴちゃんにしかできない重要な役割があるのだ。</p><br><br><br><p>Ｔちゃんの存在は大きい。ゴスペルにおいても、教会においても。</p><br><p>こんなにも牧師から信頼を置かれていて、ゴスペラーからも慕われている人は他にはいない。</p><br><p>ゴスペルクワイヤはずっと、ゴスペル界と教会とのつながりを求めてきたし、双方の意識の違いで苦労しているクワイヤも少なくない。また、ゴスペルを通して救われた人が教会に定着しないということもいまだに問題となっている。</p><br><p>そのようなことを考えれば考えるほど、Ｔちゃんの存在は本当に貴重だ。</p><br><p>だからこそ、私に目を注いで欲しくなかった。</p><br><p>だからこそ、私は離れる決意をした。</p><p>主のために大いに用いられるべき器だから。</p><p>主が喜んでくださるならば、主のみこころが成るならば、私は何だってするし、我慢もする。</p><br><br><p>私が軽井沢で受霊したとき（２００６年？）、主から「Ｔちゃんを助けなさい」と語られた。</p><br><p>それ以前にもミニストリーにはちょこちょこ関わっていたけど、その出来事があって以来は特にＴちゃんのサポート的な役割で共にやってきたつもりだ。</p><br><p>だからこそ、今回のシンガーズに入るという話はとてもじゃないけど考えられなかった。</p><br><br><p>池袋のゴスペルミニストリーは主がＴちゃんと通して始められた。</p><br><p>しかも、教会のゴスペルクワイヤ、教会のミニストリーとして。</p><br><p>今まで、教会からの反対やメンバー間のすれ違い、問題…また、Ｔちゃん自身の問題や私たちの問題…いろいろなことがあって、いろいろな思いがあって、たくさんの祈りがあって…そのひとつひとつを私は見てきた。</p><br><p>そして、一緒に闘ってきた。そして、乗り越えてきた。（もちろん、その全てで主の助けがあったのだが。）</p><br><br><br><p>それがあって、今のゴスペルミニストリーの祝福がある。</p><br><p>それがあって、私たちの主にある、本当に分かりあえる関係がある。</p><p><br><br>帰りにTちゃんとご飯を食べながら、最近あったアメージングな出来事や、Tちゃん自身のこと、また私とみののこと…たくさん話した。その中で今までの話しの中では『聖霊が～』と話していたのに、いきなり『御霊が～』と言って、それを指摘したらよく分からないが、ツボって…さらに『バラバラ祈った』という言葉にもさらにツボったw<br><br>さらに話しは終わらず…私のこれからの人生について（特に恋愛について？）熱心に語り合った。</p><p>真夜中近くまででしたねぇ～…そういえば、先週の火曜日も語り合って、終電を逃したということがあったわｗｗ<br><br></p><p>３日目。</p><br><p>日曜日。今日の午後はＧＭ。</p><br><p>二人で歌うということは想定内だったので、驚きはしなかったが、事前に流した曲とは大きく変わっていたし、全く初めてやる曲があるのは初めてのことだった。</p><br><p>リハ。少しひとりで歌ってもらい、霊的な状態をよみとる。そして、合わせる。</p><br><p>リードする人がどのように導き、どのようなことを求めているのか、そしてその上で自分がどのような霊的役割、ポジションで賛美すればいいのか…そのためのリハでもある。</p><br><p>自分で言うのはなんだが、このことは自分の賜物だと思う。</p><p>だから、音楽なんて二の次だと私は思うのだ。</p><p>私ができること、私の役割は霊的な賛美なのだから。</p><br><p>今日はみことばを読んでくれたし、具体的に「御霊による礼拝」ということを言ってくれたので合わせやすかった。</p><br><p>リハの中でＰが「おお！」と言ったのも納得というか、理解できた。</p><p>向いている方向や霊的な感覚が一致していた。</p><br><p>Ｔちゃんのよいところも悪いところも多くを知っている。</p><p>その上で、違いを理解しつつ、その全てをリスペクトできる。</p><br><p>ない部分は私が補い、こぼしている部分は拾う。</p><p>これが同労者というものか。</p><br><p>目に見える部分での相性（性格とか）よりも、目に見えない部分での一致が大きい。</p><p>何も言わなくても、何も語らなくても分かるという…。</p><p>とても不思議だ。</p><br><p>今日、Ｔちゃんは献身の決断をした。</p><p>言葉ではあまり言わなかったけど、召しの確信が与えられたんだなっていう感じだった。</p><p>注がれていた。</p><p>目が違った。顔が違った。</p><p>自分の思いではない、自分ではない。</p><p>主から献身の召しが与えられるとはこういうことなんだって感じた。</p><p>本当に嬉しい。</p><br><p>主のみこころが成ることは本当に嬉しい。</p><p>私自身、見えている視野は、とても広い。</p><p>この世でもあり、霊的な世界でもあり。</p><br><p>なので、時にいろいろな情報が入りすぎて疲れることがある。</p><p>前に立って何かをしたりするのは向いていない。</p><p>私はとりなし手なんだって改めて思った。</p><br><p>エクレシヤ全体、またその構成員一人一人に対する主のみこころは何なのか、それぞれの役割とポジションまたバランスはどうなのか…そのことが、主のみこころと一致すればするほど、祝福が多く注がれる。</p><br><p>そんなこと言って…あんた何様！？って人によっては思われる。</p><p>また、自分自身もそう思うことがある。</p><br><p>でも、そんな気持ち以上に主のみこころが成ることに妥協できない自分の気持ちがある。</p><p>私はもうすでに、自分に死んだものであって、キリストに捕らえられている。</p><br><p>生きることはキリストであり、死ぬことは益である。（ピリピ１：２１）</p><br><p>キリストのために生きたい。</p><p>ＧＭで二人で主の御前に立ち、主を仰ぎみていたそのビジョンが私の霊の目で見えていた。</p><p>Ｔちゃんの献身は他人事ではない。</p><p>私の中の霊的な部分が揺さぶられた出来事であった。</p><br><p>新たなる御霊が注がれ、新たなる扉が開かれたことは確実だ。</p><p>これからのＴちゃんの歩み、またミニストリーの歩みが楽しみで仕方ない。</p><p>とりなし手としても祈りがいがあるな☆</p><br><p>ハレルャ！主に栄光！</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/moguko/entry-10763629939.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Jan 2011 23:13:03 +0900</pubDate>
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