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<title>子育て弁護士の奮闘記</title>
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<description>中国法人の職を辞して、法曹の世界に飛び込みました。司法試験に一発合格し、大阪で街弁します。趣味は、読書と思索に耽ること。子育てに奮闘中です。　　　　　　　　</description>
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<title>第18回日中共同世論調査</title>
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<![CDATA[ <p>言論NPOが実施する第１８回日中共同世論調査の結果が先日、発表された。</p><p>日中両国民の相手国に対する印象については、依然として最悪の状況が続いている。</p><p>&nbsp;</p><p>（2022年調査）</p><p>・日本人で中国に「良くない」という印象を持っている人は、８７．３％</p><p>・中国人で日本に「良くない」という印象を持っている人は、６２．６％</p><p>・日本人で中国に「良い」印象を持っている人は、１１．８％</p><p>・中国人で日本に「良い」印象を持っている人は、３５．２％</p><p>&nbsp;</p><p>統計が開示されている2005年から比べると、とりわけ日本世論の悪化が明らかである。</p><p>&nbsp;</p><p>（2005年調査）</p><p>・日本人で中国に「良くない」という印象を持っている人は、３７．９％</p><p>・中国人で日本に「良くない」という印象を持っている人は、６２．９％</p><p>・日本人で中国に「良い」印象を持っている人は、１５．１％</p><p>・中国人で日本に「良い」印象を持っている人は、１１．６％</p><p>&nbsp;</p><p>日中両国国民の感情は、時の政治的な要因による変動が大きく、実際、2012年尖閣半島（釣魚島）国有化の翌年の調査では、過去最悪を記録した。</p><p>&nbsp;</p><p>（2013年調査）</p><p>・日本人で中国に「良くない」という印象を持っている人は、９０．１％</p><p>・中国人で日本に「良くない」という印象を持っている人は、９２．８％</p><p>・日本人で中国に「良い」印象を持っている人は、９．６％</p><p>・中国人で日本に「良い」印象を持っている人は、５．２％</p><p>&nbsp;</p><p>2022年度調査の結果は、コロナ禍の人的交流の機会減少が与える影響を差し引きしても、大きな政治的な悪化の要因もなく、ニューノーマルな数字として現状認識する必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>参照：<a href="https://www.genron-npo.net/world/archives/13950.html">第18回日中共同世論調査（2022年）結果 / 東京－北京フォーラム / 特定非営利活動法人 言論NPO (genron-npo.net)</a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 11 Dec 2022 11:58:08 +0900</pubDate>
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<title>祝中日邦交正常化五十周年</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; 咱们八零后来说，中日邦交正常化是一个在历史教科书里面的一页而已。</p><p>&nbsp;&nbsp;但是，人与人的交流的机会，很大程度上取决于国与国的关系。</p><p>&nbsp;&nbsp;在邦交正常化实现之前，日本人去中国特别困难。</p><p>&nbsp;&nbsp;当时，日本政府不承认中华人民共和国是在中国的唯一政府。</p><p>&nbsp;&nbsp;现在，日本和中国之间的各种往来，非常活跃。</p><p>&nbsp;&nbsp;咱们八零后，享受着这些很大的恩惠，才能认识到中国。</p><p>&nbsp;&nbsp;和中国朋友一起去卡拉OK唱唱歌；去中国参加中国友人的婚礼；中国朋友前来日本访问我家，都已经成了普通的风景了。</p><p>&nbsp;&nbsp;之所以如此，我们应当感谢前人之努力。</p><p>&nbsp; 今后不管发生什么事情，咱们务必维护两国之间的友好关系。</p><p>&nbsp; 必须把它向下一代人继承下去！</p>
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<pubDate>Sun, 25 Sep 2022 19:01:11 +0900</pubDate>
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<title>日中国交正常化５０周年に思う</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp;80後の私にとって、日中国交正常化は教科書の中の歴史の一頁でしかない。</p><p>　しかし、人と人との交流の機会は、国と国との関係に大きく左右される。</p><p>　日中国交正常化が行われる前は、中国に渡航することも、非常に困難だった。</p><p>　日本政府は、中華人民共和国を正式に国として承認していなかった。</p><p>　今や、日本と中国の往来は、非常に活発になっている。</p><p>　僕ら80後は、この恩恵を大きく受けて、私たちは中国と出会うことができた。</p><p>　当たり前のように、中国人の友だちと、カラオケに行って歌を歌うことができた。</p><p>　当たり前のように、中国に渡航して、友達の結婚式に参列することができた。</p><p>　当たり前のように、中国人の友だちが、我が家を訪ねてくることができる。</p><p>　だから、先人の努力には感謝しなければならない。</p><p>　この関係は、何があっても守っていかなければならない。</p><p>　次の世代に、受け継いでいかなければならない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mongie/entry-12766181453.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Sep 2022 18:58:21 +0900</pubDate>
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<title>こころざし</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20220507/08/mongie/6d/df/j/o0969108015114071122.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20220507/08/mongie/6d/df/j/o0969108015114071122.jpg" border="0" width="400" height="445" alt=""></a></div><p><br></p><p></p><p>何が正しいことなのか、人間が判断する以上、明らかではありません。</p><br><p></p><p>社会（家庭、学校、職場、地域など）では、上の人の言うことや、みんなが同じようにやっていることが正しいとされ、</p><p>弱い立場にある人（あるいはそう見える人）がいうことや、人と同じようにできないことには、耳を傾けない・目を向けない、という傾向があるように思います。</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">&nbsp;</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">権力や、同調圧力の前に、個人はとても弱い存在です。</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">それゆえ、個人の考え方・生き方がそれと異なるとき、矛盾を抱え込むことになります。<br>これが許容できない社会では、ときに理不尽な思いをすることもあるでしょう。<br>&nbsp;</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">個人の側からこれに抗うことは、とても大変な力が必要です。</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb"><br>理不尽な思いをしている人々に寄り添い、力になること、</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">&nbsp;</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">それが、私のこころざしです。</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">&nbsp;</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">　　　以上</p>
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<pubDate>Thu, 28 Apr 2022 18:41:40 +0900</pubDate>
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<title>　弁護士になるきっかけ</title>
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<![CDATA[ <p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">&nbsp;<span style="font-size: 1em;">　<b>弁護士になるきっかけ</b></span></p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">&nbsp;</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">東日本大震災で派遣切りに遭い、ハローワークで仕事を探すも、足元をみられ、最低賃金以下の給料で深夜まで働きました。新規事業を立ち上げ、せっかく軌道に乗せた途端に、退職に追い込まれました。自分の貯金も、その事業に注ぎ込んでいたので、即座に生活に困窮しました。</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">泣き寝入り寸前、事のあらましを友人に話しました。すると、逆に「意気地なし」と怒られました。それで、目が覚めました。</p><p id="e785ffe7-d43e-4e0e-a1b2-e5dfa940dafb">&nbsp;</p><p>自分の権利を守るためには、闘わなければならない。<br><br>友人、知人の力を借りて、労働審判を申し立てました。<br>裁判闘争の末、会社とは和解をすることができました。<br>あれから１０年、私は、弁護士になりました。</p><p>&nbsp;</p><p>※上記会社は前職とは無関係です</p><p><br>以上</p>
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<pubDate>Tue, 26 Apr 2022 15:21:39 +0900</pubDate>
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<title>Vol.4『南京の真実』ジョン・ラーベ著</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201225/14/mongie/d7/4f/j/o1080144014871629298.jpg"><img alt="" border="0" height="533" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201225/14/mongie/d7/4f/j/o1080144014871629298.jpg" width="400"></a></div><p><br>○あらすじ<br>　1937年の冬から1938年にかけて、南京に日本軍が入城した際、数多の中国軍人及び市民が惨殺された、いわゆる南京大虐殺の現場で、南京安全区国際委員会の代表として、多数の南京市民の命を魔の手から守ったドイツ人、ジョン・ラーベの手記である。ジョン・ラーベは、ジーメンス社南京支社の責任者として南京に赴任していた。南京陥落の前夜、南京安全区国際委員会の代表に推挙され、自らの使用人を含めた数多くの中国人を救うため、南京に留まることを決意する。南京国際安全区は、日本軍占領中の南京において、最大25万人もの中国人の元軍人及び市民の衣食住の面倒を見た。ラーベの役割は、難民の安全確保はもとより、医療衛生、治安維持、食糧調達まで果たさなければならず、その所掌の幅は市長にも匹敵するものであったが、持ち前の柔軟な判断力と危機管理の才能を遺憾なく発揮し、多くの中国人の命を救った。<br>○感想<br>　本書に登場する日本軍人の姿は、略奪、強姦、放火、殺人など、悪事の限りを尽くす野蛮な犯罪者であり、決して世界に冠たる一等国の軍人ではない。同じ日本人として信じられない蛮行が行われており、軍の規律や統制が失われていることは、明らかであった。これらの日本人は、偶々、1937年の上海事変に動員され、予期せぬ国民党軍の猛烈な反撃を受け、多くの仲間の死体を乗り越えて南京の門をくぐった兵隊であり、平常心を失っていたともいわれる。しかし、同じ時代に生まれていたならば、我々の友人諸氏の中から、あるいは自分自身が上海に徴兵されていたとしたら、同じような狂気が生じるものなのだろうか。南京における大虐殺の事実が、如何にして惹き起こされたのかを解明し、それを日本人自身の問題として、あるいは人類普遍の問題として向き合う姿勢こそが、私たちには求められているのではないだろうか。そのような意味からして、東洋のシンドラーと称されるジョン・ラーベの功績も、偶々、1937年の南京に居合わせたからではないか、と評する向きもあろう。しかし、彼が南京に残ったのは決して偶々ではなく、使用人を含め多数の中国人の身を案じての決意であった。ラーベ自身が繰り返し言うように、30年もの長きにわたり中国で生活し、中国の人々と深く交わってきた彼にとって、日本軍の侵攻に伴い、南京から退避することができない無数の中国人の命を救うことが、自然な隣人愛の表出であったのである。このことは、不屈の功績であり、後世の鏡として語り継がれていくことだろう。<br>○備考<br>　題名：『南京の真実』<br>　著者：ジョン・ラーベ<br>　編者：エルヴィン・ヴィッケルト<br>　訳者：平野卿子<br>　出版社：講談社<br>　出版年：1997年</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 25 Dec 2020 10:28:45 +0900</pubDate>
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<title>【鄭車掌と忘れ物と】</title>
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<![CDATA[ <div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/a1/0f/j/o0960071714868069327.jpg"><img alt="" border="0" height="298" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/a1/0f/j/o0960071714868069327.jpg" width="400"></a></div><br>【鄭車掌と忘れ物と】　</div><div>　</div><div>　話せば長くなるのですが、実は僕の手提げ袋は、ハルピン鉄道局の鄭車掌が今も保管をしてくれているのです。心温まる話なので、どこかに発表したいと思って心に残していたのですが、詳細な記憶が薄れてきたので、大雑把に残しておきたいと思います。</div><div>&nbsp;</div><div>　冬の深まりを感じる１１月の中ごろ、大連発のハーモニー号Ｇ２５２（中国新幹線・Ｇ２５２は仮号）に乗込み、中継地の瀋陽に向いました。瀋陽に到着したのは、夜も更けた９時過ぎでした。行く先車庫に入るだろう列車を見送ってから、改札を過ぎた頃、手提げ袋が無いことに気が付きました。駅舎のあちこちをたらい回しにされた後、どうやら、忘れ物は駅舎では取り扱えないことを宣告されまして、しぶしぶ切符の裏側にある総合ホットライン１２３０６に問い合わせることになりました。たらい回しというのは、少し説明を加えると、総合窓口を引受けるホットラインから、所要の窓口に連絡して用を達することは、億級の人口を抱える地域の輸送を担う鉄道機関だけに、それこそ川魚を素手で掴み取るほどの困難が期待されたので、駅員を通じて繋いでもらいたかったのです。その努力が適わないと思い知らされるまで、窓口に挑戦をしてみたということです。</div><div>&nbsp;</div><div>　観念して、１２３０６に掛けつづけること３０分やっと窓口に繋がったと思いきや、瀋陽鉄道局では取り扱えができないと、当該列車を所管しているハルピン鉄道局つながなければならないということでした。少し蛇足ですが、１２３０６には忘れ物受付の窓口はありませんので、いわゆる『人工服務』につないでもらってから、忘れ物をした旨を伝えなければなりません。ハルピン鉄道局に掛け続けること３０分、車内に忘れたのであれば、Ｇ２５２の鄭車掌に直接連絡を取ってくださいと、鄭車掌の携帯番号を教えてくれました。中国では車列毎に所轄の鉄道局と車掌が決まっているということでしょう。鄭車掌に電話を掛けたところ、Ｇ２５２は私じゃなく趙車掌が担当だと、ふたたびたらい回しの様相が濃くなってきました。趙車掌に電話をかけると、件の通り、私ではなく鄭車掌に言ってくれと、ぶっきら棒にも扱われる始末。</div><div>&nbsp;</div><div>　瀋陽の町はゆうに０度を下回り、道端には除雪車によって積み重なった雪が氷結し、黒ずんで盛り上がっていました。その日は交渉をあきらめ、翌朝再度チャレンジしてみることにしました。朝８時、早速鄭車掌の携帯電話にショートメールしました。「私はいち乗客ですが、忘れ物の件で鉄道局のたらい回しに遭い、困り果てています。鄭車掌の善処を期待します。」という内容だったと思います。鄭車掌から電話がかかってきました。「君の荷物はすでに昨夜のうちに、趙車掌に見つけてもらったよ」これから、瀋陽駅に運ぶところだ。鄭車掌は瀋陽駅へ取りに来るようにと、瀋陽駅に到着の時間は１０時だと教えてくれました。しかしながら、仕事の用務をこなすのにどうしても時間には到着できない、１２時３０分に取りに行くから駅舎で取っておいてもらえないかと相談をしましたが、話の終らないうちに、私は仕事の用務のため直ぐにでも電話を切らなければならず、「お願いしますね」と一言だけ残して、その後の運命を鄭車掌にお任せるこを余儀なくされたのでありました。</div><div>&nbsp;</div><div>　１２時、用務の最中に何度か電話の着信を受けていたことを知っていた私は、申し訳ない気持ちで鄭車掌に電話をしました。鄭車掌は、「君は取りに来なかったから、車両はすでにハルピンに向っている」と、残念を含んだ語気で説明しました。私は、もっとも簡便な方法として、朝の電話でも取り上げて鄭車掌にあっさり却下をされてしまった方策を、つまり「着払いで送ってくださいと」再度お願いしてみることにしてみました。鄭車掌はそれはできないと、私からの一通りのお願いを聞き終わると、最終結論を言い渡すように「取りに来るか、それとも処分をこちらにお任せするかだ」。鄭車掌にとっては「取りに来る」ことができないということなので、「処分をお任せする」ということの申し渡しでありましょう。数秒間の沈黙、にわかに鄭車掌の不本意な心の裡が広がりました。「分かったよ、君は外国の客人だから、荷物は俺のところで引き取ってやる。次回来るときまで預かってやるよ」。</div><div>&nbsp;</div><div>　ということで、次は来年の３月までに来ることを約して、私の手提げ袋はいまだに鄭車掌が保管をしてくれているのです。</div><div>&nbsp;</div><div>　いまや、高速鉄道は中国各地に敷かれ、巨大で、高速の変化に、人々の体感はいよいよ適応を迫られつつあります。巨大な施設に伴って、整備されるべきシステムは、人々の気づきの反復に伴って改善されていくでしょう。ただ、今日の体験においては、システムに取って代わることのできない「温かみ」を感じずにはいられません。</div><div>　最後まで読んでいただいてありがとうございます。</div><div>&nbsp;</div><div>　２０１３．１２．１８</div><div>&nbsp;</div><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/8b/7e/j/o0960071714868069329.jpg"><img alt="" border="0" height="298" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/8b/7e/j/o0960071714868069329.jpg" width="400"></a></div>&nbsp;<div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/ac/0e/j/o0717096014868069330.jpg"><img alt="" border="0" height="535" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/ac/0e/j/o0717096014868069330.jpg" width="400"></a></div>&nbsp;<div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/a9/e6/j/o0960071714868069332.jpg"><img alt="" border="0" height="298" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201218/08/mongie/a9/e6/j/o0960071714868069332.jpg" width="400"></a></div><br>&nbsp;</div>
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<pubDate>Fri, 18 Dec 2020 08:21:41 +0900</pubDate>
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<title>Vol.3『戦後の日中貿易史』白根滋郎著</title>
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<![CDATA[ <p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">&nbsp;</p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201215/17/mongie/d5/b6/j/o1080144014866900847.jpg"><img alt="" border="0" height="533" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201215/17/mongie/d5/b6/j/o1080144014866900847.jpg" width="400"></a></div><p><br>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">○あらすじ</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">　戦後の日中貿易関係の歴史を、<span lang="EN-US">1949</span>年の中華人民共和国成立から<span lang="EN-US">1953</span>年の第二次民間貿易協定まで、<span lang="EN-US">1954</span>年の日本国際貿易協会成立から<span lang="EN-US">1958</span>年の第四次日中貿易協定調印まで、<span lang="EN-US">1958</span>年から<span lang="EN-US">60</span>年までの貿易中断期間、<span lang="EN-US">1961</span>年の貿易再開から<span lang="EN-US">1972</span>年の日中国交正常化まで、<span lang="EN-US">1972</span>年から<span lang="EN-US">76</span>年中国における四人組追放まで、そして、<span lang="EN-US">1977</span>年から本書が出版される<span lang="EN-US">1986</span>年まで、全部で<span lang="EN-US">6</span>つの期間に区分し、それぞれの期間における政治情勢、経済交流、社会運動、貿易統計の各方面から、日中貿易の苦難の道のりをまとめた良書。</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">○感想</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">　「以民促官」。戦後の日中関係史を語るとき、必ず口にされる枕詞である。そのことの意味をよく理解するためには、本書を紐解くのが最も良い。戦後、日本はサンフランシスコ講和条約体制のもと、中華人民共和国を承認しない方針を取った。このため、政府はパスポートの発給を認めないなど厳しい処置をとっていたが、第一次民間貿易協定はかかる方針を破って締結された。その後、政府は事実上、民間の貿易往来を容認し、もしくは推進する立場を取り、貿易協定は幾次にも更新されることになった。この間、長崎国旗凌辱事件をはじめ日中間の貿易往来は、時の政権によって中断にまで追い込まれた時期もあったが、先覚者の粘り強い努力により、輸出入の総額は<span lang="EN-US">1965</span>年に戦前の水準を超え、日中国交正常化の<span lang="EN-US">1972</span>年にはその倍額に上っている。本書で、印象的であったのは、当時の経済人が使命感を抱いて果敢に取り組む姿である。<span lang="EN-US">LT</span>貿易の立役者である岡崎嘉平太氏の手記には、「プラントは重要な輸出であるということだけでなく、その建設のために我が国の多くの技術者が中国に行き、長時間にわたって中国技術者と同じ職場で共働きをすることは、わが国多年の侵略によって損なわれている対日感情の融和に必ず役立つであろう、という点も私は重きを置いていた」と、記している。対中感情が極度に悪化した現在の日本社会において、日中関係の安定に最大の役割を果たしているのはなおも経済界である。とりわけ中国現地に法人を設立し、何万、何十万の中国人従業員を雇用し、共同の目標に向けて日夜、日本人と切磋琢磨している事実は、何にも代えがたい人的交流の資産である。これが、先人の努力の賜物であるということを、改めて認識させられるだろう。近時は、国際的な投資環境の変化に伴い、第二次産業を中心に中国からの撤退ムードが生じていることは、紛れも無い事実である。現下の状況をどのように食い止めるのか。「以民促官」の知恵から、今こそ学びたい。</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">○備考</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">　題名『戦後の日中貿易史』白根滋郎著</p><p class="MsoNormal" style="-webkit-text-size-adjust: auto; margin: 0mm; text-align: justify; font-size: 10.5pt; font-family: 游ゴシック, sans-serif;">　自費出版　<span lang="EN-US">1986</span>年</p>
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<pubDate>Tue, 15 Dec 2020 17:51:56 +0900</pubDate>
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<title>Vol.2『革命をプロデュースした日本人』小坂文乃著</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201209/09/mongie/d7/85/j/o1080144014863748928.jpg"><img alt="" border="0" height="533" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201209/09/mongie/d7/85/j/o1080144014863748928.jpg" width="400"></a></div><p><br>○あらすじ<br>　孫文の盟友、革命の恩人、日中親善の功績者、映画界の風雲児、この日本人を形容する言葉はこれに尽きない。梅屋庄吉は、商人の家で育てられ、後に日活の創始者となり、巨万の富を築いた。他方、氏には別の顔がある。孫文の中国革命を物心両面で支えた稀代の人物だ。君は兵を挙げよ、我は財を挙げて支援す。梅屋27歳、孫文29歳の時に交した盟約は、氏の人生を掛けて果たされた。革命のために捧げた資金、武器、軍票、その他を現在の貨幣価値に換算すると、１兆円を下らないという。にもかかわらず一切の見返りを求めず、氏没後一切の口外を許さずとの遺言故に、一度は歴史中に埋没しかけたが、その曾孫に当たる著者が、近時の日中情勢に鑑み、本書を世に捧げた。<br>○感想<br>　梅屋氏の大事業は、通常の慈善事業とは比べ物にならない前代未聞の功績であり、歴史を動かすための具体的な行動であった。従って、梅屋氏が革命家であるという著者の評価は正当である。どうして、一民間の人間がこれほど大胆な事業を行うことができたか。それは損得ではなくて友情、世界皆兄弟であるとの哲学が、氏の生き様に表れているからだろう。友情を大切にするからこそ、仲間が集まる。理念に実が伴っているからこそ、心から信じるに値する。氏亡き後、上海に残された家族が日中戦争のさ中にあっても、施政府の庇護下に置かれ守られてきたことも、忘れてはいけない。<br>○思い出<br>　この本にはじめて出会ったのは私が25歳の時分、恩師からの紹介でこの本を手にし、梅屋庄吉という人物に魅せられた。当時私はこわいもの知らずの青二才で、梅屋と孫文が交わした盟約に触発され、世に生を得るは事をなすにありだ、あと2年で俺は何を成さんかと漏らしていたのが恥ずかしい。その後上海万博で梅屋庄吉展が開催されると聞き、この本をもって会場へ駆けた。小坂さんと面会を果たして感激し、日比谷松本楼にも赴いた。今回10年ぶりに本書を読み直し、今尚掻き立てられるものがある。<br>○備考<br>　題名『革命をプロデュースした日本人』<br>　講談社　2009年</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mongie/entry-12642931082.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Dec 2020 09:13:40 +0900</pubDate>
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<title>Vol.1『無戸籍の日本人』井戸まさえ著</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201206/22/mongie/5a/dc/j/o1080144014862611702.jpg"><img alt="" border="0" height="533" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201206/22/mongie/5a/dc/j/o1080144014862611702.jpg" width="400"></a></div><p><br>○あらすじ<br>　なぜ、無戸籍になってしまうのか？なぜ、無戸籍者は生まれ続けるのか？なぜ、この状況が解消されないのか？自身の子供が無戸籍となった事をきっかけにして、この問題に長年取り組み続けてきた著者が、実際の事例を踏まえて問題の全体像を炙り出す。<br>○感想<br>　無戸籍者の実態は、それまで余り知られてこなかったが、著者の精力的な活動のおかげで社会的に相当認知されるようになった。しかし、具体的にどのような経緯で無戸籍になるかについて、理解できている人はほとんどいないのではないだろうか。社会から無いことにされる実態、それが無戸籍の人たちが自ら救済を求める上で非常に障壁になっているという。また、救済を求めたとしても融通の利かない日本の法律も大きな障壁となっているのだろう。では、民法772条は廃止すべきか。この本を読んでいて、子供の身分の安定を図る同条の存在意義について、筆者がどのように考えているのかが分かりづらかった。本来血縁関係はないが、法律上の嫡出子であるケースは星の数程存在する。家族法の根本問題だけに、今後も民法772条の周辺は火種を抱えている。<br>○備考<br>　題名『無戸籍の日本人』井戸まさえ著<br>　集英社 2016年</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/mongie/entry-12642468255.html</link>
<pubDate>Sun, 06 Dec 2020 22:01:14 +0900</pubDate>
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