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<title>聞名寺（もんみょうじ）のブログ</title>
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<description>北九州の小さなお寺聞命山聞名寺の住職日記です</description>
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<title>どなた様でもご来寺ください</title>
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<![CDATA[ <p>　明日は、聞名寺『お寺の日』として皆さまとお話しをする場としています。</p><br><br><p>　毎月、第一　・　三　水曜日を『お寺の日』として皆さまとお話しをする機会をもうけております。</p><br><p>　『仏事 ・ お墓 ・法(戒)名 ・ 子供供養　・　愚痴 ・　世間話　など』</p><br><p>　どんな話でも構いません。</p><br><p>　聞名寺は「檀家・門徒」制度を取り入れておりません。</p><br><p>　どのような　宗教　・　宗旨　・　宗派　・　国籍　の方でもご自由にお立ち寄りください。</p><br><p>　日が合わない場合も寺での法要がなければいつでも構いません。</p><p>　寺に確認の電話をいただければ無駄足になりませんので下記電話番号へお願いします。</p><br><p>　北九州市八幡西区浅川日の峯２丁目２７－１　駐車場あり</p><p>　０９３－６０１－４９３４</p><p><br></p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a> </p>
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<pubDate>Tue, 01 Mar 2016 12:17:02 +0900</pubDate>
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<title>法要の意味を考えます</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は、法要の意味について私考したいと思います。</p><p>　以前に「お参りは報恩感謝」でお話ししていますので内容は似ると思います。</p><br><br><p>　他宗では『追善供養』の意味合いが強く、一般的な解釈もそれに近いものがあります。</p><p>　我々の行いが『生前足りなかった「功徳」を先祖に足してあげる』と考えられているようです。</p><br><p>　（浄土真宗では阿弥陀如来の本願力により仏さまにおなりですから「追善」は必要ありません）</p><br><p>　しっかりと法要を行い供養しないと先祖が苦しみ家庭や身内に不幸が起こると言われています。</p><br><p>　ここで、考えていただきたいことは『追善供養』しないと先祖は苦しむのか？</p><p>　苦しんだ先祖が我々に不幸を招くのか？ということです。</p><br><p>　大抵の方は「そんなはずは無い」と思われるのではないでしょうか。</p><br><p>　我々と近しかった方々がそんな狭量なことを考え行うとは私には思えません。</p><br><p>　ですから、やはり法要は「したい」という気持ちから来るものだと思うのです。</p><p>　「しなければならないから仕方なくやる」ではなく「したいからやる」なのです。</p><br><p>　では、何故やるのか？</p><br><p>　仏さまに「安心」していただき、我々が「安心」するため　だと考えます。</p><br><p>　真宗ではと前置きさせていただくと、念仏（阿弥陀如来の名を称える）することで同じ浄土へ成仏する。</p><p>　これを仏前で報告することで、安心していただく。</p><br><p>　仏さまは自身の「不自由・不安・不満」はありません。ただ気がかりは我々のことだけなのです。</p><p>　ですから、安心していただくために法要を行うのです。</p><br><p>　安心していただけると分かったとき、我々もまた「安心」することができます。</p><br><p>　これが法要の意味だと私は考えます。</p><br><br><p>　最期にもう一つだけ、仏さまに安心していただけることをお伝えします。</p><br><p>　『怪我をしないでください。病気をしないでください。元気でいてください』</p><br><p>　自身のことですが自身のためだけではありません。</p><p>　仏さまだけではなく縁ある方々すべてが「安心」してくださると思います。</p><br><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12132997616.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Feb 2016 14:10:01 +0900</pubDate>
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<title>理不尽な寄付</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は、昔馴染みにばったり会った時にされた相談についてお話します。</p><br><br><p>　先日、出先で昔馴染みにばったり会いちょっと話をしました。その時に相談を持ち掛けられました。</p><br><p>　その昔馴染みには菩提寺があり、最近納骨堂に加入したそうです。</p><p>　そのことで悩みが出来たとのことでした。</p><br><p>　納骨堂の加入に１００万円を納め、そのすぐ後に菩提寺から「納骨堂を新しくするので１００万円寄付しなさい」と言われたそうです。ただし「今月中なら７０万円でいい」とも言われたそうです。</p><br><p>　納骨堂の加入前には庫裡を新築するために”７０万円”の寄付をしているそうです。</p><p>　旅館のような立派な庫裡ができたそうです。</p><br><p>　ここで私は、納骨堂の加入ということは”葬儀”も近いうちにあったのではないかと思い尋ねました。</p><p>　”葬儀”も出していました。金銭については詳しく聞きませんでしたが、おそらく斎場・寺に合わせて２００万円以上は使っていると思われます。</p><br><p>　昔馴染みは「どうしたらいい？もう嫌だ」と困った様子です。</p><br><p>　そこで私は「どうしても嫌ならお骨を引き上げて小さくして手元に置いておけばいい」とこたえました。</p><p>　小さくすれば邪魔に思うこともないし安心です。続けて１００万円ものお金を失う必要もないのです。</p><br><p>　この話のおかしいところは一般的な社会人なら誰でも分ると思います。</p><p>　「お寺だから仕方ない」なんてことはありません。</p><br><p>　一年にもならない期間に５００万円近い出費！　普通の家庭の手取り年収を超えています。</p><br><p>　おそらく、そのお寺さんは人間性は素晴らしいのだろうと思います。</p><p>　しかし、社会性があまりにも乏しいと言わざるを得ません。</p><br><p>　「人間性と社会性」この両方のバランスが取れてこそ現代社会でのお寺は成り立つのではないでしょうか？</p><br><p>　私のこたえを聞いた昔馴染みは「お寺って替えてもいいのかな？」と聞いてきました。</p><br><p>　「構わない」と私はこたえました。</p><p>　宗教やお寺は自分の信じる所に寄るものです。信じられないところで我慢する理由は無いのですから。</p><br><p>　昔馴染みは「たぶん替える、宗旨も替えるかも」と言っていました。</p><br><p>　今回のお話しは、随分と『ソフト』にいたしました。</p><br><p>　阿弥陀如来のおられるお浄土にお住いの仏さま（先に往かれた私たちの親しい方々）は、お寺のために皆さんが我慢や無理をするのを嬉しいなんて思いません。</p><br><p>　「お布施や寄付は『お気持』です。」といいます。</p><p>　それは「感謝の顕れ」を形にしたものではないでしょうか。</p><br><p>　決して「寺の収益」のためではないのです。</p><p>　経済を否定はしません。私たちも社会人です。しかし「強欲」になろうとは思いません。</p><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a> </p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12131943564.html</link>
<pubDate>Tue, 23 Feb 2016 13:55:21 +0900</pubDate>
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<title>想い経ったら</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は、偶然ですが五十回忌の法要をすることになったときのお話しをしたいと思います。</p><br><br><br><p>　お参り先にて過去帖（折本に法名を記す他宗での位牌にあたります）を確認させていただきました。</p><br><p>　そのとき目に留まったのが丁度、五十回忌にあたる方のお名前です。</p><br><p>　「こちらの方は命日も近いですし一緒にお参りさせていただいてよろしいですか」</p><br><p>　と私が訊ねると、急な申し出でお布施も用意できないので結構ですとこたえられました。</p><br><p>　「きっと一緒にお参りしたほうがお二人とも安心されますし、ただ私がお参りしたいだけですのでお布施は結構です」</p><br><p>　とお話しすると、それではと一緒にお参りすることになりました。</p><br><p>　実は五十回忌にあたる方とは一歳の若さで往生されたご長男でした。</p><p>　お願いされていたお参りはご長男のお母さまでしたので、ご主人は大変喜んでくださいました。</p><br><p>　これまで、なんのお参りもされていなかったとのことでしたが親子そろってのお参りをすることで</p><br><p>　「なんだか安心しました」</p><br><p>　とのことでした。</p><br><br><p>　帰り際にお供えとして手渡された干し柿がとても甘かったと覚えています。</p><br><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a> </p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12130462383.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Feb 2016 13:03:13 +0900</pubDate>
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<title>お寺に来てみませんか</title>
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<![CDATA[ <p>　本日２月１７日は『<strong>お寺の日</strong>』として、どなた様のどんな話も伺う日として開放しております。</p><br><br><p>　聞名寺では</p><br><p>　毎月【第１・３水曜日】の午前１０時～午後４時までを『お寺の日』として</p><br><br><p>　『<strong>仏事・お墓・法(戒)名・子供供養・愚痴・世間話などの相談事</strong>』を</p><br><br><p>　「宗教・宗旨・国籍」関係なくお話しいただく場としております。</p><br><br><p>　どなた様もお気軽に来寺いただきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。</p><br><br><br><p>　北九州市八幡西区浅川日の峯２丁目２７－１</p><p>　０９３－６０１－４９３４</p><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12129678024.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Feb 2016 09:14:28 +0900</pubDate>
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<title>知ることと解ること</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は「知る」ことと「解る」ことについて私考したいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　「知る」ということには段階があります。表面・側面・裏面・内面的なことです。</p><p>&nbsp;</p><p>　表面的なこととは正面から見えることですが、ものの本質に迫っているとは言い難いです。</p><p>　ですが、ほとんどの場合この段階で満足しています。</p><p>&nbsp;</p><p>　側面や裏面は経験や他のもの事からの推測で想像・推測して知っているつもりになれます。</p><p>　多くを知り経験を積めば正確性が望めます。</p><p>&nbsp;</p><p>　内面（本質）的なものは理解する「解る」ことが必要となります。</p><p>&nbsp;</p><p>　しかし「知る」必要なく「解る」こともあります。</p><p>　生まれて初めて感じる光は「知らない」でしょうが「解ります」</p><p>&nbsp;</p><p>　このブログを読まれる方でしたら「光・風・香・音」といったものを「解っている」と思われます。</p><p>　ただ「解る」のですが「解らない人」に説明しなさいと言われると難しいと思います。</p><p>　「解っている」から「知っている」つもりになるのです。</p><p>&nbsp;</p><p>　「知る」と「解る」は両輪なのです。どちらが欠けても「理解」していることにはなりません。</p><p>&nbsp;</p><p>　知っていても解っていなければ、ただそれだけで終わりです。</p><p>　解っていても知らなければ、人に伝えることができません。</p><p>&nbsp;</p><p>　いわゆる「学歴だけの人」や「本人は優秀だが上司には向かない」方々がいます。</p><p>　「知る」と「解る」のどちらかが足りないのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　「少しでも人にわかりやすく」「少しでも自分を高めるために」</p><p>&nbsp;</p><p>　こう意識されている方は「自身の知と解」のバランスを確認してみるといいかもしれません。</p><p>　私も「つもり」にならぬよう確認しながら過ごしていきたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12127820542.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Feb 2016 10:00:00 +0900</pubDate>
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<title>「みかた」「みられかた」</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は、ものの「みかた」「みられかた」について私考をしたいと思います。</p><br><br><p>　同じもの（事柄）をみても</p><p>　立場・肩書・経験・環境で見方が変わります。</p><br><p>　ですが、対象は変わりません。本質というものがあれば、それは不変のはずです。</p><p>　不変のはずですが、十人いれば十人の見方があります。</p><br><br><p>　今度は自分が、みられる対象だとします。</p><br><p>　自分と相手の立場・肩書・経験・環境で見られ方は当然変化します。</p><p>　合う合わないと言った合理的でない考え方をすれば全員が同じ評価にはなりません。</p><br><br><p>　奇抜なファッションをする方が「見た目だけで判断して欲しくない」と言います。</p><p>　自身でも「されたい評価」を期待できないと理解しての発言だと思います。</p><br><p>　ですが、そう言った本人は「見た目だけで人を判断」します。</p><p>　私を見て「おっさん」「じいさん」と言います。（まんまだから気にもしませんが）</p><br><p>　自分で「本当は……」「真面目」「優しい」「情に篤い」「賢い」のに「見た目」だけで判断される。</p><p>　それが「不当」で「不満」なのだと言われます。</p><br><p>　相手が自分に合わせないことを不満に思っても仕方がありません。</p><p>　「評価されたい」なら自分が相手にそう「見える」ようにしないと難しいのではないでしょうか。</p><br><br><p>　世の中には「自分のスタイル」を「貫いて」評価される方が確かにいます。</p><p>　ですが、それは「貫いた」結果です。最初から皆が手放しに認めたわけではありません。</p><br><br><p>　「見られたい」姿があるなら、それを示し続けてひとの所為にしない。</p><p>　私たちのお寺もそうありたいと思っています。</p><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a> </p>
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<pubDate>Tue, 09 Feb 2016 16:36:41 +0900</pubDate>
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<title>積み重ねること</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は「積み重ねる」ということを少しお話ししたいと思います。</p><br><br><p>　様々な分野・事柄で「毎日の積み重ねが大切」と言われます。</p><br><p>　しかし積み重ねたことの実感は難しいものです。</p><br><p>　毎日鏡で自分の顔を見ていると小さな変化にはなかなか気づきません。</p><p>　それと同じで「徐々に進む」自分に自分で気づくことも難しいのです。</p><br><p>　目に見える成果がないので途中で止めたり諦めたりしてしまいます。</p><br><p>　自分を信じることを「自信」といいます。</p><p>　「自信」を得ることができないのが一番の難点ではないでしょうか。</p><br><p>　周りと比べて自分の歩みが遅かったり、成否でしか結果の見えないことに悩んだりしてしまいます。</p><br><p>　見えない気づかないところで前進していても実感できないことは多いようです。</p><p>　思うようにいかないことと前進しないことは違います。</p><br><br><p>　いつか実を結ぶ、別の形でその努力を感じることもあると思います。</p><br><p>　結果とは「結実したところにある果て」なのですから道の途中で結果を欲するのは性急ということです。</p><p>　成果が出るまで諦めなければ最後には、成すことができるのだと思います。</p><br><br><p>　「積み重ねる」ことが無駄にならないというのは捉え方次第です。</p><p>　人類の歴史には「副産物」の方が「求めていた結果」よりも優れていたことは多々あるのですから。</p><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　 <a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a> </p>
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<pubDate>Fri, 05 Feb 2016 15:50:00 +0900</pubDate>
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<title>ご無沙汰しております</title>
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<![CDATA[ <p>　当ブログの更新が滞っておりました。</p><p>　久しぶりの更新となります。不調のため更新が停止しておりましたが、</p><p>今日から更新を再開したいと思います。</p><br><p>　毎日の更新を目指しておりましたが、基本的に火曜日と金曜日の更新</p><p>とさせていただこうと思います。</p><br><p>　皆様にも体や精神の不調には気を付けて健康で幸せな日々を過ごして</p><p>いただきたいと思います。</p><br><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12124245397.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Feb 2016 16:18:44 +0900</pubDate>
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<title>遠くて近いお隣さま</title>
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<![CDATA[ <p>　本日は、お参りのときに親族が揃わず残念がられている方にするお話をしたいと思います。<br><br><br>　遠方に居られたり多忙のためお参りの日に都合がつかず親族が揃わなかったことを残念がられる方がいらっしゃいます。<br><br>　実は仏さまには地上の距離は大した問題ではありません。<br><br>　私は九州にいますので九州と北海道で例え話をさせていただきます。</p><p><br></p><p>　私「昔、映画で観た網走刑務所に行ってみたいのですが」<br></p><br><p>　と札幌の方に聞きますと</p><p><br></p><p>　知人「札幌からだと遠いし行ったこともないし行く予定もない」<br></p><br><p>　ここで逆に</p><br><p>　知人「最近ドラマで見た小倉は、博多の隣なのか」</p><br><p>　と聞かれます。小倉は北九州市で博多は福岡市です。同じ県内ですが隣かと問われれば否です。</p><br><p>　このように遠く離れた地から見ると私たちの尺度は異なります。</p><br><p>　ですから、仏さまのいらっしゃるお浄土というのはとても遠いので、そこで暮らす仏さまは私たちが離れていると感じていても隣通しで肩寄合っているように感じるものです。</p><br><p>　都合がつかずお参りに参加出来ない方がいても</p><br><p>　「同じ時間のころに出来るならば、手を合わせてお念仏をしてもらってください」</p><br><p>　こうお話しします。きっと仏さまから見れば仲良くお参りしているように見えるはずですからと。</p><br><br><br><p>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　<a href="http://monmyoji.jp/" target="_blank">聞名寺HP</a> </p>
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<link>https://ameblo.jp/monmyougj/entry-12113509284.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jan 2016 12:00:00 +0900</pubDate>
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