<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>ruiのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/morihama/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/morihama/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>思ったことを日々徒然と語っていきます。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>モノを所有することの意味</title>
<description>
<![CDATA[ 最近徐々にものを捨ててる。<br><br>服も必要な分以外ほとんど捨てたし、説明書系などの無駄な書類や、思い出の品の大体は<br>処分するか、スキャンするかした。<br>プリンターも、いざというときはセブンのサービス使えばいいし来週捨てる予定。<br>本も大分捨てたが、iPad３がでたら完全に紙からデジタルに移行しようと思ってる。その<br>頃には日本の電子書籍市場も盛り上がっているだろうから、読みたいときにレンタルする<br>サービスもあるだろう。そのときに家の本棚の本は全部スキャンして処分しようと思ってる。<br><br>もともと収集癖があり、家具から本、思い出の品といったハードからニュースやWebサービ<br>ス、iPhoneアプリといったソフトに至るまで集めるタイプだった。だが最近こんな状況だと<br>、身動きが取りづらくてしょうがないと思った。<br><br><br>「所有することは、同時に縛られること」<br><br>失うものがたくさんあるやつが、ベンチャースピリットなんか持てるわけない。<br>いざというときに、失うものを計算してしまって、踏み込めないと思う。<br><br><br>結婚に関しても思う。このまえ友人が、「結婚とかも数年ごとに契約結ぶのってどうかな」<br>とつぶやいていたが、こんなこと言うと女性に大ヒンシュクかもだが、正直言うとそれも悪<br>くないなと思ったりする。<br><br><br>自分のスタイルとして、いくら歳を重ねても挑戦している人間でありたい。<br>少なくとも家のローンが残って子供もいるからと、言いたいことも言えず、やりたいことも<br>出来ずにリストラにビクビクしながら働いているサラーリーマンとかにはなっていたくない。<br>日本のエスタブリッシュメント層には辟易するし、エスタブリッシュメント層側には立ちたくはない。<br><br><br>時代の方向性としても、所有せずにシェアすることは進んでいる。<br>IT業界ではクラウドサービスが盛り上がり、車は購入せずにカーシェア、家を購入する若い世代は<br>徐々に少なくなってきている。<br>これは正しい方向性だと思うし、もっと盛り上げていっていいことだと思う。<br>車とか時計とか、そういう記号で自分で表現する時代は終わったし、それが何か人に幸せをもたら<br>したとは思わない。むしろ一部の人しかそれによる満足は得られず、縛られて苦しかった人は多い<br>はずだ。家や車も所有しなければもっと、自由に生きられる。<br><br><br>自由でいることは難しい。高度経済成長から今に至るまで、日本人は自由でいることにコスト<br>が高かったと思う。自分の意志を貫くことより、組織に守られているメリットのほうが大きかった<br>だろうから。<br><br><br>今は年功序列や終身雇用が崩れ、それが逆転しつつあると思う。<br>今後組織は自由に移動が可能なものになるだろうし、プロジェクトごとの組織というものも<br>近いうちに誕生するだろう。<br>不景気だし、少子化によって日本は経済的は縮小していく一歩だが、ふと視点を変えてみると、自<br>由に生きやすくなる時代はもうすぐそこに来ているのかもしれない。<br><br><br>モノを所有しないこと。<br>これによって拓けてくる世界は意外と楽しいんではなかろうか。<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10914472730.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Jun 2011 22:31:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>被災地は点ではなく線だった。そして今後の復興に向けて。</title>
<description>
<![CDATA[ <br><br>GW中に地元の岩手の被災地を回ったが、やはりメディアで見て感じていたこととは大き<br>な違いがあった。最初に宮古の惨状を見て言葉を失った。ニュースで見る映像や写真より<br>も、遥かに圧倒される。<br><br>しかし現地を回って何より感じたことは、被災地は点ではなく線であるということ。<br>三陸の海岸約１００キロの沿岸を移動し、たくさんの街を見た。最初に見た宮古の惨状と<br>同じ光景が次々と目の前に現れた。<br><br>メディアで伝える情報は、どうしても個別の事象の切り貼りになる。リアス式海岸が続く三<br>陸沿岸部はほぼ壊滅状態なんだ、ということを実感した。<br>被災地は点じゃない。線で繋がっている。そして、一日かけて車で走っても、変わらぬ津波<br>の惨状が続く状況は、復興への長い道程を感じさせた。<br><br>街で瓦礫の撤去をしている方の地道な作業は、大量に破壊された建物と相まって絶望感を感<br>じた。ボランティアが足りているとか、そんなことは絶対ありえない。機械で行えないこと<br>も数多くあるし、これだけ広範囲な被害である。ただ宿泊施設の確保やボランティアの管理<br>などの体制が不十分であり、受け入れ態勢が出来ていないだけ。<br><br>ただ現状復帰がこれほどまでに困難だと、いっそ海岸沿いは全ての住居を禁止したほうが良<br>いのではないかとさえ思う。三陸地震津波の教訓で巨大堤防を築いた田老町は、今回の津波<br>であっさり堤防は破壊されて街は壊滅。三陸は津波に定期的な被害をうけているにも関わらず、<br>今回も教訓は活かされなかった。あれほどの巨大堤防が意味をなさなかった意味を考える必<br>要があるかもしれない。<br><br>今後の復興において都市計画の部分などには関わることは難しいだろうが、自分に出来ること<br>はなんなのか。ボランティアもそのひとつだろうし、経済的な援助も必要だろう。<br><br>ただ今後の東北は震災が発生せずに現状維持だとしても、どんどん疲弊していくだけだった。<br>農家も漁村も食べていけなくなるだろうし、メーカーの工場もどんどんアジアの人件費の安い<br>国に移転していった。<br><br>そんな状況を考えているうちに、観光というのはまだ無限の可能性を秘めているのではないかと<br>思う。<br><br>かつての東北は観光資源の少なく、いわば観光の後進国ような地域であった。<br>ある側面から見ると、今まで出来なかった革新的なことに挑戦出来るチャンスかもしれない。<br>道中の車でずっと友人と話していたのだが、東北に新たな面白い祭りを作るのはどうだろうか。<br><br>これからはLCCの発展に伴い、移動コストが減り、どんどんアジアからの観光客が増える。<br>今までのターゲットが日本人であったのに対し、これからのターゲットは世界全域になる。<br>移動コストが減れば、どこにもないオリジナルな体験を提供出来るかが集客の勝負になっ<br>てくる。そこで新たなオリジナルな祭りを立ち上げ、それを中心新たな観光体験を作っ<br>ていけば、アジアからの観光客を取り込める可能性は十分にあると思う。<br><br>マニアックなものでもパイが大きくなれば、成り立つはずだし、小さな祭りでもが満遍なく<br>行えれば、宿泊施設などはメリットになる。一個大きな祭りがあるよりも、平均的に集客が<br>あったほうが機会損失が少ない。<br><br>もちろん放射能の風評被害の問題などで、海外からの観光客が激減しているが、２～３年も<br>すれば原発のことは忘れられるだろうと思う。人は良かれ悪かれ忘れる生き物だから。<br><br>かつては東北は保守的な地域で、新しいことにはなかなか挑戦出来ない風土があった。<br>僕も閉塞感ある東北に２度と戻る気もなかった。<br><br>今岩手の中尊寺が今世界遺産に加えられることがほぼ当確したという。<br><br>「平泉」世界遺産へ登録勧告、旅行客増に期待<br><a href="http://mytown.asahi.com/areanews/iwate/TKY201105070397.html" target="_blank"></a><br><br><br>観光のことをずっと考えていた矢先にこのニュース、何かの偶然だろうか。<br><br>すぐに出来ることはWeb制作や、Facebook,twitterなどのソーシャルメディアを使った集客<br>ぐらいになるかもしれないけれど、地元の人達密着して何か考えれたらなと思ったりする。<br><br>どういう形での地元の復興に関われるのか分からないが、今後色々模索していきたい。<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10886111654.html</link>
<pubDate>Mon, 09 May 2011 07:37:19 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>友人の決断を応援する</title>
<description>
<![CDATA[ 今日は大学時代の同志に会ってきた。<br><br>彼は4月から公務員として働いている。<br><br><br>昨年の4月に大手の製薬会社の内定を貰ったようだが、やはり行政を変えて<br>いきたいと思い、志を持って公務員を選んだ。<br><br>だが実際に働いているうちに、その中で出来ることや環境などが自分の<br>思い描いていたものと違い、苦しんでいたようだった。<br><br>直接は会っていなくとも、メールなどから、とても苦しんでいる様子は伝わ<br>ってきた。<br><br><br>しかし、今日会った彼は驚くほどイキイキとしていた。<br><br>悩んだ末に働きながら、公認会計士の試験を受けることを決め、<br>そしてすでに予備校にも通っていた。<br><br>決めたあとの彼の表情は非常に晴れやかで、自信に満ちていた。<br><br>僕はほんとに嬉しかった。<br><br><br>「むしろ今の環境にいたからこそ、自分の進むべき道が分かった」<br><br>彼はそう言った。<br><br><br>人生遅いなんてことはない。<br><br>少し寄り道したっていい。<br><br>思い立った瞬間からマッハで行動すればいい。<br><br><br><br>思い描いていた道でなくても、<br>腐ることなく、また一からやり直すことを決めた<br>彼のその決断に拍手を送りたい。<br><br>僕も全力で応援しよう。<br><br><br>彼ならきっとやりきるだろう。<br><br><br>一度しかない人生、共に突き抜けようぜ！<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10526611280.html</link>
<pubDate>Wed, 05 May 2010 18:52:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>スティーブジョブズの伝説のスピーチに想う。</title>
<description>
<![CDATA[ 以下はAPPLE創始者スティーブ・ジョブズが、２００５年にスタンフォード大学の<br>卒業式にて行った伝説のスピーチです。<br><br><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/qQDBaTIjY3s&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/qQDBaTIjY3s&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br><br><object width="480" height="385"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/ShoOOS2GrWU&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;"><param name="allowFullScreen" value="true"><param name="allowscriptaccess" value="always"><embed src="https://www.youtube.com/v/ShoOOS2GrWU&amp;hl=ja_JP&amp;fs=1&amp;" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="385"></object><br><br><br><br>この動画は何度も見返しています。<br>今日は友人にメールで動画を送ったことがキッカケでもう一度見る機会がありました。<br><br><br><br>自分の道に迷った時<br><br>元気が出ないとき<br><br>日々の生活に追われているとき<br><br><br>様々な瞬間に見て、そのときどきで異なる感銘を受けます。<br><br><br><br>この話は<br>１．点と点を繋ぐという話<br>２．愛と敗北にまつわる話<br>３．死に関する話<br><br>の３つについて述べているのですが、話のなかで特に好きな部分を２つ抜粋すると<br><br><br><br><br><br>『自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。』<br><br><br>『君たちの時間は限られている。だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、心、直感を掻き消されないことです。自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っているんだ。だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。』<br><br><br><br><br>僕らに与えられた時間は限られています。<br><br>自分の内なる心の声を聞き逃さないようにすること。そしてそれを<br>確信して生きること。<br><br><br>それさえ出来れば、僕らの未来は輝いているはず。<br><br><br>人の創った人生でなく、自分の人生を生きよう。<br><br><br><br>「Stay hungry, stay foolish.」
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10526066162.html</link>
<pubDate>Wed, 05 May 2010 02:06:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』</title>
<description>
<![CDATA[ アルパチーノ演じる退役した盲目の老人フランクと、<br>田舎から出てきた17歳の青年チャーリーの心の交流を描いた作品。<br><br><br>フランクの身勝手な行動に振り回されていくチャーリーだが、<br>その存在がフランクの心を叙如にとかしていく。<br><br>こんなフランクのセリフがある<br><br>「私も何度か人生の岐路に立った<br>　どっちの道が正しい道かは判断出来た<br>　いつも判断出来た<br>　だがその道を行かなかった<br>　困難な道だったからだ」<br><br><br>人は大抵分かっているものだ。<br><br>だが環境がそれを邪魔をする。<br><br><br>人間には自由意思がある。<br><br>それこそが人を人たらしめるものであり、人間としての誇りだ。<br><br>そして人間の価値は財産・地位・知識などではない。<br><br>こころの高潔さのみが人間の価値を決める。<br><br><br>その意味を、その価値をこの映画は考えさせてくれる。<br><br><br>ラストシーンは圧巻。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10462853654.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 16:42:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>映画スタンド・バイ・ミーと映画についてのある考え</title>
<description>
<![CDATA[ 「Stand by Me」 <br><br>1986年に公開された映画。 <br><br>私が生まれた年だ。 <br><br>少年4人が「死体を見に行く」という悪だくみを決行するために <br>冒険に出るストーリー。 <br><br>同名の主題歌はだれしも一度は聞いたことがあるだろう。 <br><br><br>派手な映像や、何かエッジの効いた化け物が出てくるわけではない。 <br><br>いろんな場所を旅するわけではない。 <br><br>せいぜい二日間にわたる、数十キロの冒険だ。 <br><br>だが十分だった。 <br><br><br>最近は何か壮大なものを表現しようとして、無駄にお金をかけた <br>映画が氾濫する <br><br>しかしそんなものであればあるほど、心をゆすぶられる映画は <br>少なくなってきた。 <br><br><br>登場人物の心・感情に触れることが出来る映画ならば、 <br><br>その世界は果てしなく広がってくる。 <br><br><br>この映画は、自分の様々な感情を引き出し、 <br>子供のころの記憶の扉を開いた。 <br><br>ゴーディが父に言われたあの一言。 <br>その一言にゴーディは苦しんだ。 <br><br>子供の心は悪ガキぶってようがお坊ちゃんだろうが、誰もが <br>無防備で弱い。 <br><br><br>少年時代の心は、裸で純粋で傷つきやすくて、 <br>自らも人を傷つける。 <br><br><br>人の心は未知で、無限に広い。 <br><br><br>そして、よい映画は、様々に広いのだ。 <br><br><externalvideo src="YT:Vbg7YoXiKn0"><br></externalvideo>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10462707578.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 12:28:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>知識社会の到来～ポスト資本主義社会～</title>
<description>
<![CDATA[ 今日のサッカー、和田のカレー屋で見ました。 <br>こういうときは家にテレビないのは不便だなあ。 <br>普段ほとんど見ないし、見るとすれば一日後ぐらいににネットで観れるけど、 <br>生中継とかはきついなあ。 <br><br>やっぱりホリエモンか三木谷さんにテレビ局買収してもらって、さっさと <br>ネットで見れるようになったらよかったなあ。 <br><br><br>そのあとは元カノと飲んできました。 <br><br>こっちの都合で別れたので心配していたけど、 <br>良く食べて元気そうだったので、よかったです＾＾ <br><br>太らんか心配ですが笑 <br><br>はい、余計なお世話ですねｗｗ <br><br><br><br>では今日は知識社会の到来についてのエントリです。 <br><br>今までのは <br> <br><a href="http://ameblo.jp/morihama/entry-10443724837.html" target="_blank">■ネクスト・ソサエティ</a><br> <br><a href="http://ameblo.jp/morihama/entry-10444533007.html " target="_blank">■労働手段の労働者からの分離</a><br><br><a href="http://ameblo.jp/morihama/entry-10451003886.html" target="_blank">■官僚制組織（ピラミッド型組織） </a><br><br>ですので。 <br><br><br><br>※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※ <br><br>つい数十年前までは、ポスト資本主義社会がマルクス主義社会であろうこと多くの <br>人が信じ、かつ夢見ていた。しかし、社会主義の壮大な実験は失敗に終わり、ポスト <br>資本主義社会は社会主義ではないことに、誰しもが気づいてしまった。 <br><br>ではポスト資本主義とはいったい何なのか。 <br><br>それを「知識社会」と捉えたのがP・F・ドラッカーだ。 <br><br><br>このエントリではドラッカーの唱えた知識社会について、それがいかなるものかに <br>ついて把握していく。 <br><br>それではドラッカーの把握した知識社会を、ちょいちょい現在の社会に触れながら <br>説明していこう。 <br><br><br><br>＜目次＞ <br>------------------------------ <br>■知識社会の到来と個人 <br>　◆知識社会の概要 <br>　◆知識社会は組織による個人の抑圧を解決しえるか？ <br><br>■知識社会の到来をもたらす諸要因 <br>　◆何が産業革命をもたらしたか <br>　◆IT革命の影響 <br>------------------------------ <br><br><br><br><br><br><br>------------------------------ <br>■知識社会の到来と個人 <br>------------------------------ <br><br>◆知識社会の概要 <br>ドラッカーはポスト資本主義社会として、知識社会を提唱した。 <br>現実に支配力を持つ資源、最終決定を下しうる生産要素は、資本でも土地でも労働で <br>もなく、知識になる。 <br><br>つまり、ポスト資本主義社会における支配的な階級は、資本家ではなく、知識労働者となる。 <br><br>知識労働者のほとんどすべては、組織によって雇用される。だが、彼らは資本主義社会 <br>の従業員とは異なる。彼らは、自ら生産要素と生産手段を所有する。 <br><br>知識労働者は、知識を所有し、その知識をどこへでも持っていけるという意味に <br>おいて、生産手段を所有する。 <br><br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br>またドラッカーは国民国家が唯一の政治権力機関でなくなり、他の機関、他の組織、 <br>他の政策決定者と力を分けあうようになる、と考えた。 <br><br>かつては社会の問題国が解決してきたが、ここ最近の社会起業家などへの注目は <br>、国がすでに個人のニーズに対して対応できなくなりつつあることを意味するだろう。 <br><br><br>それは国が唯一の政治権力機関ではなくなりつつある一つの事例だ。だがこの国民国家についての <br>話などは、また別の機会にでも述べることにして、今回はあまり触れないでおこう。 <br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br><br><br><br>◆知識社会は組織による個人の抑圧を解決しえるか？ <br>知識社会とは、別の側面からみると、組織社会であり、従業員組織社会でもある。 <br>ただ現代はすでに組織社会である。 <br><br>知識社会における組織とは、ウェーバーのいう官僚制組織ではなく、オーケストラのような専門性を持つ組織である。 <br><br>かつてウェーバーは「労働手段の労働者からの分離」という現象を目的合理的過程 <br>の進展、生産力的・技術的必然と捉えた。そして人間が目的合理的な論理を至上の <br>ものとしない限り、ピラミッド型組織＝官僚制組織の発展・強化は続き、人間を支 <br>配抑圧し続けるであろう、と予言をした。 <br><br><br>たしかにここ数十年、人間の主要な社会手行為は、いずれも巨大なピラミッド型組 <br>織でもって営まれるに至り、この悲観的な予言を人間は超克できるのか疑問に思っ <br>ていた。 <br><br><br>しかし、ここ現代に至り、ドラッカーはそ知識社会の到来を唱え、組織形態の変化、 <br>つまりピラミッド型組織の終焉を論じた。 <br><br><br>知識社会は組織社会であることはかわりない。しかし、知識労働者は生産手段 <br>・すなわち知識を所有する。これはつまり、知識労働者においては労働手段を持ち <br>得るこということである。 <br><br><br>確かに知識労働者とて、組織に依存することなく働くということは出来ない。むしろ <br>組織社会は進展していく。しかし、知識労働者は自分達が生産手段（労働手段）を持 <br>ち得ていることを知った。だからこそ、組織間の移動は自由になっていく。 <br><br><br>そしてそれは、組織による個人の抑圧を解決しえるヒントになるだろう。 <br><br>ここにおいて、バーナードの独自の権威論が生きてくる。 <br><br>バーナードのいう「組織からいつでも自由に出入りでき、組織の構成員がそれぞれの個人人格が許さないような命令は聞かず、自由に他の組織に移ることができるような状態」 <br><br>それが現実味を帯びてくるのである。 <br><br><br><br><br>------------------------------ <br>■知識社会の到来をもたらす諸要因 <br>------------------------------ <br><br>知識社会とは知識がもっとも重要な要素となる。その過程には、知識の意味が変化 <br>するターニングポイントが存在した。それが産業革命である。それを追うことで知 <br>識を異なる視点から考察していく。 <br><br>ドラッカーの産業革命をもたらした要素をまとめてみよう。 <br><br><br>◆何が産業革命をもたらしたか <br>１７５０年から１９００年に至る１５０年間において、資本主義と新技術が、新し <br>い世界文明をつくった。 <br><br><br>この１５０年間の資本主義と新技術は、その伝播の速度と到達度において歴史上例 <br>がなかった。この伝播の速度と到達度が、資本主義を体制としての資本主義に変え、 <br>技術革新を産業革命に変えたのである。 <br><br>　 <br>産業革命は知識の応用によってもたらされた。存在に関わるものとしての知識が <br>、行為に関わるものになった。 <br><br><br>第一段階として、１８世紀半ばから１００年に渡って道具、工程、製品に応用さ <br>れた。それが産業革命である。 <br><br>第二段階として１８８０年頃に始まり第二次世界大戦の末期を頂点として、知識 <br>は仕事に応用された。その結果、生産性革命がもたらされた。 <br><br>第三段階として、第二次世界大戦後、知識は知識そのものに応用されるようにな <br>った。それがマネジメント革命だった。 <br><br><br>資本主義は、人類の歴史を通じて形を変えながら何度も現れた。技術上の発明と革 <br>新も同様である。しかしこの２５０年間の発展が特異であったのは、ひとえにその <br>速度と到達度においてである。 <br><br><br>かつての資本主義は、社会のごく一部の階層に限定されていた。１７５０年以降あ <br>らゆる階層に浸透し変革をもたらした。 <br><br><br>以上のように知識の意味を変えたのは産業革命である。そこをきっかけに知識はさ <br>らに行為に関わるものに変化していった。資本主義も一部の限定された階層から、 <br>社会全般のものに変化した。産業革命が封建社会から資本主義社会への変化を促した。 <br><br><br>この変化は、その伝播の速度と到達度において比類なきものだったからである。それ <br>は蒸気機関であり蒸気機関車の存在が大きい。 <br><br><br>それが大量生産・大量消費の現象を作りだした。そして「労働手段の労働者からの <br>分離」を作りだしたのである。 <br><br><br><br>◆IT革命の影響 <br>　eコマースが世界を変える <br>社会が封建社会から資本主義社会へと移行するきっかけが産業革命だったように、資 <br>本主義社会から知識社会へと移行する重要なファクターとみなされているのがIT革命 <br>である。 <br><br>そしてそれをさらに限定するとeコマースである。eコマースは経済、市場、産業構造 <br>を根底から変える。 <br><br><br>産業革命を起こす第一段階は蒸気機関であったが、決定的な変化は第二段階として1820 <br>年代の鉄道の存在である。 <br><br><br>1785年の蒸気機関の発明が、すぐさま社会が変化を遂げたのではない。この鉄道という <br>存在が、大量なモノ・資源の移動を可能にした。 <br><br><br>同様に、今資本主義社会から知識社会へしているには移行の重要なきっかけは、第一段 <br>階がコンピューターの出現であり第二段階がeコマースであると考えられるだろう。 <br><br><br>これによりIT分野に限らない、多くの新産業の登場が考えられる。それはバイオかもしれないし、 <br>環境関連の技術かもしれない。かつての産業革命の蒸気機関車の発明後のように、 <br>それは予測不能である。 <br><br><br>いずれにしろIT革命は資本主義社会から知識社会への移行を考える上で、重要な鍵になってくる。 <br>その理由は二つある。 <br><br>一つ目は、IT革命は知識革命であるということだ。このIT革命によって、全世界どこにいても、 <br>インターネットがあるならば、容易に知識がやり取りされるようになるのである。 <br><br>二つ目は、IT革命は生産要素、すなわち、土地、労働、資本の価値を半減させる。それは <br>、例えばデパートのような小売店に顕著である。アマゾンなどのeコマースによって、 <br>流通における中抜きは、土地・資本などの物質を半減させた。 <br><br><br>例えば書籍を考えてみると、キンドルもしくはiPadなどに代表される、電子書籍は、書籍 <br>の製造過程すべてを無価値化させる。もはや、生産要素の価値の低下は疑いようもない。 <br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br><br><br>以上のように知識社会を捉え、そしてその要因につてい述べた。 <br><br>しかし、まだこの知識というものがいかなるものか、述べていない。 <br>ドラッカーもこの知識というもについての把握は不完全であるどころか、具体的に <br>はほとんど述べていない。 <br><br><br>ゆえに次回は、知識の意味、一般知識と専門知識などについて着目し、「知識社会における <br>知識は何か」について論じていく。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10456763135.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Feb 2010 03:26:30 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>競争性の観点から過去を振り返る（２）～中学・高校～</title>
<description>
<![CDATA[ 後悔は朝の目覚めと共にやってくる。<br>全身に漂う気だるさと、不快感に、記憶を呼び戻される。<br>しばらくそれにもがき苦しんだあと、<br>思うんだ。<br><br>今日を頑張ろう。<br><br><br>※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※<br><br>前回の「競争性の観点から過去を振り返る（１）」の続きだ<br>http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1407035165&amp;owner_id=2037983<br><br><br>今回は中学高校を振り返りながら、<br>競争優位性のない僕の進む道を述べていく<br><br><br><br>＜目次＞<br>------------------------------ <br>■中学・高校～どこへ進んでいくのか～<br>　◆自我に苦しんだ中学<br>　◆高校における自我とその行く先<br>　　　◎ディベート部の結成<br>　　　◎同好会の仲間<br>　　　◎お化け屋敷<br>■そして未来へ<br>------------------------------ 　<br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br><br><br>------------------------------ <br>■中学・高校～どこへ進んでいくのか～<br>------------------------------ <br><br>◆中学<br>競争性について優位のない性格な僕だが、<br>人一倍この世界に、この社会に、興味を持ってきた。<br><br>それは社会における個人の幸せを考えることでもあった。<br><br>それは自己の強烈な自我と結びつき、<br><br>「この世に何か残したらん<br>世の不合理を解決せしめんとするのが我が使命なり」<br><br><br>と、もはや強迫観念のように自分に襲いかかってきた。<br><br><br>強烈な自我と共に、まだいずれのことも成し遂げていない<br>ことが僕を苦しめた。<br><br>この若い危なっかしい正義感と想いの矛先をどこに向けるのか、<br>向ける場所が見つからなかった。<br><br>部活、勉強、遊び。<br><br>そんなものは解決の手段たり得なかった。<br><br><br><br>高校に入るまで、僕の強烈な自我は、その行く先を求めさ迷った。<br><br><br><br>◆高校<br>高校に上がると、僕の自我は少しずつ、その行く先を見つける。<br><br><br>◎ディベート部の結成<br>高校に入り、僕は自分自身で何か始めたかった。<br>運動部にも所属していたが、用意された道だけをを歩むのが嫌だった。<br>僕の自我はそれを許さなかった。<br>だから何かを始めようと思った。<br><br><br>選んだのはディベート。特に口が達者なわけではなかったが、<br>社会の問題を考えるのに適していた。社会と関連していたことが僕にそれを選ばせた。<br><br>２００２年のテーマは<br>「遺伝子組み換え食品は、是か非か」<br><br>社会の問題を解決する手段になると思った。<br>ディベートでは解決し得ないことばかりなのは、そのうちよく分かってくるが。<br><br><br>やることはいろいろあった。まず仲間集めだ。色んなクラスを回って、誰かいないか<br>、と回った。相当苦労した。<br>岩手という土地柄、ちょっと違うことをやると目立つ。一年の最初の時期<br>であり、特にその傾向は顕著であった。また皆部活をやっている。わざわざ<br>+αで手を出そうとはしなかった。<br><br>ようやく４人の仲間を得た。<br><br>□S木：一個上だったが、頭の回転が異様におかしい奴だった。数学と英語が抜群でき、<br>　　　東北大の医学部に行ったようだが、絶対にこいつの診察は受けたくない。<br><br>□I澤：官僚ぽい男。参謀役にぴったり。一緒に東大目指していたが共に無理で、<br>　　　早稲田の法学部だかに行った。そのうち起業したら事務処理係りに雇いたい。<br><br>□S河：中学時代は伝説的な生徒会長だったらしい男。高校で最もよく一緒にいた。<br>　　　京大に行って、今度H報堂にて働くらしい。斜陽な広告でも彼なら大丈夫だろう。<br><br>□Y藤：トラブルメーカー。やめてくれと途中で何度も頼んだが、なかなかやめてくれなかっ　　　　　　た。どこにいったかも、いまなにしてるのかも全く知らないが。NHKの番組に出ている　　　　　のをS河からの電話で知る。<br><br><br>皆面白い奴だった。<br><br>顧問は比較的容易に決められた。絨毯爆撃で片っぱしからいった。<br><br>そして練習方法などを考えた。集合は大抵夜の7時ぐらいから11時。部活終了後<br>に行う。駅前のミスドで、いつも210円のアメリカンコーヒーでねばった。<br><br>どうやればいいのか、暗中模索であり、マネジメントもうまくいかないことが多かった。<br><br>だが、毎日遅くまでやっても、めちゃくちゃワクワクして仕様がなかった。<br><br>大学生との練習会や他校との練習を通じて、叙如に形が作られていった。<br><br><br>メンバーが優秀だったおかげで、結局大会は東北大会を2位になり、<br>全国大会に出場することが出来た。<br><br>僕の初めての挑戦で掴んだ、小さな成功体験を経験だった。<br><br><br>そして自分自身が、仲間と一緒にやることを喜びと感じることを<br>少しずつ気づいていったきっかけになった。<br><br><br><br><br>◎同好会との仲間<br>それからいろんなことをしたが、思索するきっかけや社会を考えるときの<br>仲間が出来た。そして表現する場所を得た。<br><br>変人の集まり（だと思う）京大に入学していった、岩手の変人一明と亮。<br>進学校なのに音大いくよう五日市。<br>そんな仲間と一緒に講演会を開いたり、「life in 　the glasshouse」というタイトルの<br>雑誌を発行したりしていた。<br><br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br>こんなことをしている僕の将来は、<br><br>ジャーナリストなどに向かうかのように思われた。<br><br>違うものに僕は魅力を見つけた。<br>組織の運営だ。<br><br>まわりとぶつかってばかりので独善的な部分を持っていた僕が、<br>仲間と一緒にやる喜びに気づき、確信に至ったのが、次に書くお化け屋敷だ。<br><br><br><br>◎お化け屋敷<br>3年の役決めで、僕は文化祭のクラスの責任者になった。<br><br>なった当初からひそかにすごいものにしてやろうと目論んでいた。<br><br>３－３の出し物は<br><br>体育館を使ってのお化け屋敷。<br><br>2カ月前ぐらいには決まっていた。<br><br>そこから、準備と調整。<br><br>僕は40人ほどの集団でリーダーを務めた経験がなかった。<br><br>だからこそ、多くの問題に直面する。<br><br><br>僕は絶対に素晴らしいものにしてやると意気込んでいたが、<br>時期は9月。受験シーズンだ。普通は文化祭の出し物など、<br>一部のやる気ある連中とその他の連中、というような感じだろう。<br><br><br>いろんな連中に切れられた。<br><br>それじゃあうまくいかないと、必死だった。<br><br>たくさんぶつかっていった。<br><br>途中で限界に気づいた。だから方法を考えた。<br><br>クラスにはたくさんのリーダー経験のある奴がいた。<br>その中から7人ほど協力してもらい、そこを中心に文化祭のチームを<br>組織した。ほぼ皆、生徒会長か副会長などのリーダーの経験の<br>あるやつだった。<br><br>これはうまく機能した。<br><br>僕が直接言わなくても、7人の中から適任を見つけ、代わりに言って<br>もらった。<br><br>7人の役割を分担し、文化祭の準備にはクラスのほぼ全員が意欲的に<br>協力する体制になった。<br><br><br>使う道具も半端なかった。<br>段ボールをおそらく200～300メートル使用しただろう。<br>椅子も机も2、300ぐらい必要だった。<br>長机も暗幕もその他の小道具も大量に必要だった。<br><br>思考錯誤して解決方法を考えながら、準備は進んでいった。<br><br><br>待ち時間用の映像も出来た。<br>お化け屋敷の中で見せる映像も出来た。<br>照明の仕組みも作られた。<br>色んな小道具、役割が決まっていった。<br>２階から落とす人形も出来上がった。<br>衣装のも決まっていった。<br><br><br>当日が近付くに連れ、忙しさは増していった。<br><br>どんどん問題が出てきた。<br><br>皆、１週間前から文化祭の準備しかしていないような状況だった。<br><br>こんなに皆が頑張っている。<br>絶対に成功させる！失敗は許されない！<br><br>そんな中プレッシャーはどんどんつのっていった。<br><br><br>スピードを持って正確に判断しなければいけないことが増えた。<br><br>特に準備は少ない時間の中で正確にやらねばならない。<br>緻密な段取りが必要だった。<br><br>友人は僕が大雑把な人間と思っている人が多いだろうが、<br>驚くことなかれ、こういうときは人一倍緻密になる。<br><br>途中で一旦タガが外れたときもあった。<br><br>だけど、最も相談していた存在の奴が代わりに指揮してくれて、回復したら<br>そっと戻った。<br><br>準備の日には、クラスの男が体育館の段ボールに寝た日もあった。<br><br>泊まりがけで、時間との勝負になりながらギリギリまで改善をしていた。<br><br><br>２日間ある文化祭がいよいよ始まった。<br><br>おおむね好評だったが、<br>始まって早々問題が起こった。<br><br>這うルートがあるため、女子生徒のパンツが見えるという問題だった。<br><br>貸し出し用のジャージを容易するということで解決された。<br><br>笑いごとのように思うかもしれないが、僕は大真面目だった。<br><br>こんなことで評判を下げたくない！<br>本気でそう思っていた。<br><br>時間が立つにつれて<br>皆の驚かし方もどんどん良くなっていった。<br>効率よくお客さんを入れられるようになった。<br><br>３－３のお化け屋敷は評判を呼び、長い行列になっていた。<br><br>整理券も発行して、なかなかのプレミアムチケットになっていた<br>はずだ。<br><br>二日目の１５時ぐらいに営業は終了した。<br><br>二日間を通して、１０００人弱の人が入った。<br><br><br>皆達成感に満ちていたが、閉会式までの片付けがあった。<br><br>これも見て驚くような光景だったと思う。<br><br>４３人全員が率先して動き、誰一人としてサボろうとはしていなかった。<br><br>指示を待つのではなく、全員が自ら動いていた。<br><br>それはお化け屋敷の大成功を示すものでもあった。<br><br>このお化け屋敷に対する誇りでもあった。<br><br><br>あんな光景はいまだ見たことがない。文化祭を通して、最も感動を<br>覚えた瞬間だった。<br><br>閉会式。<br><br>大賞頂いた。<br><br>壇上にあがり賞状を貰って周りも見ても、もはや何も見えていなかった。<br><br><br>僕は今でも、３－３のお化け屋敷は、本当に日本で一番すごいお化け屋<br>敷だったと確信している。<br><br>ビジネスでやっているどこのお化け屋敷にも確実に負けない。<br>４３人がハイテンションで必死に頑張って、あれだけの人数脅かし役が<br>いて、あれほど中身を練ったお化け屋敷は、コスト的に無理だ。<br><br>県下一の進学校で、あれだけ皆がまとまることはまずない。<br>そしてあれだけ優秀なメンバーばかりのこともない。<br>体育館を使わせてくれる高校も少ない。<br><br><br>あの経験は、今でも大切な思い出だ。<br>ろくにリーダーの経験もない僕であり、うまくいかなかったことの方が多かった。<br><br>あるのは、成功させることに対する、人一倍の執念ぐらいだった。<br><br>本当に良い経験をさせてもらった。<br><br><br>クラスの仲間には深く感謝している。<br><br><br><br><br>------------------------------ <br>■そして未来へ<br>------------------------------ <br><br>競争には優位性のなく、興味を持てなかった自分。<br><br>まわりの言うことを聞かず、独善的に突き進んでいた。<br><br>そんな僕が必死にやれる場所はなにか、何にだったら一生懸命やれるのか。<br><br>「この世に何か残したらん<br>世の不合理を解決せしめんとするのが我が使命なり」<br><br>と、いまだなにも成し遂げていないじぶんに、<br>強迫観念のように僕を襲ってきた中学時代。<br><br>大勢の人とうまくやることが苦手で、僕を理解してくれる一部の人との<br>親密な繋がりだけがっあった中学時代。<br>それもあることがきっかけでそれさえも失った。<br><br><br>向かう行く先は、唯我独尊を貫ける場所なのか。<br><br>ジャーナリストか学者か。<br><br><br>そうではなかった。<br><br>人とうまくやれなかった自分にこそ、仲間と一緒にやる喜びを強く感じる<br>ことが出来たのだ。<br><br>共に高い目標を持ち、実行する仲間こそ僕の喜びの源泉だ。<br><br><br>大学時代にもいろいろ学ぶことはあった。<br>ゼミやサークル、団体運営は僕にとって大きな学びを与えてくれた。<br><br><br>だが僕の原点は、高校時代のお化け屋敷だ。<br><br><br>何かに勝ちあがる競争ではなく、<br><br>独自の道で<br><br>まだこの世に存在していないもので<br><br>仲間と一緒に最高のモノを作り上げる。<br><br>そして社会の不合理を解決していくんだ。<br><br><br>そういふ人生にしたい。<br><br><br>それが個人との競争に優位を持たない、僕の道。<br><br><br>それがこの人生をかけてやる、僕の道。<br><br><br><br>「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」<br><br>そんな宮沢賢治の言葉がいつか過去になることを目指して、<br><br><br>生きていこうと思う。<br><br><br>道に迷ったら、何度もこの日記を読み返そう。<br><br><br><br>いざゆかん。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10453711565.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Feb 2010 14:33:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>競争性の観点から過去を振り返る</title>
<description>
<![CDATA[ 競争性についての一考察 <br><br>私は競争に弱い人間である。 <br><br>良く言えば、競争に興味を持てない人間である（いや、良くもないか） <br><br>その事実に最近やっと気づいた。 <br><br>競争性を強みとする友人と共に時間を過ごしながら、いかに自分が競争 <br>に勝つことに力を注いでこなかったのか。 <br><br>今回は競争性の観点から過去を振り返ってみた。２回にわけて書く。 <br>一回は劣等生だった自分と、外部要因について書く。 <br><br><br>------------------------------ <br>■競争をしてこなかった <br>　◆どこにいても常に劣等生 <br>　◆頑固で自己流 <br>　◆永遠に非エリート <br><br>■この人間Rの成立過程における外部要因 <br>　◆親父の存在 <br>　◆三浦先生と宮沢賢治 <br>------------------------------ <br><br><br><br><br>------------------------------ <br>■競争をしてこなかった <br>------------------------------ <br>◆どこにいても常に劣等生 <br>小学校・中学校・高校・大学。 <br><br>どんな偏差値の場所であろうが、 <br>どんな人間がいる集団であろうが、 <br>成績は最下位付近を漂っていた時期を持つ。 <br><br>提出物はろくに出さない劣等生であり、おのずと定期試験はいつも下位クラス。 <br><br>中学の時は、成績の半分以上が5段階評定の２であることもあった。 <br><br>高校一年は赤点で進級も危うかった。化学のテストでは中間試験で０点だったこともある。 <br><br><br>高校のクラスに貼られる提出物一覧表では、常に僕のみ空欄であった。 <br>学年最下位の奴よりも少なかったのだから、よほどな体たらくである。 <br><br>ほんと劣等生だ。 <br>　 <br><br>◆頑固で自己流 <br>何か決められたことをやるのは嫌いだったし、うまくやれなかった。 <br><br>自分が何をするか決めてやりたがった。 <br><br>勉強も自己流。 <br><br>教える側としてみては、最高にむかつく存在だったのだろう。 <br>いつも説教の対象だった。 <br>中学の授業の半分はさぼってた。 <br>高校の授業の半分は本を読んでいた。 <br><br>決められた枠の競争にはめったに出馬しなかった。 <br><br><br><br><br><br>◆永遠に非エリート <br>エリートというものが、決められた枠組み・価値観の中で結果を出し続 <br>けなければならない存在ならば、 <br><br>僕は永遠に非エリートだ。 <br><br>エリートというものが、エスタブリッシュメントによって選ばれしものならば <br><br>僕は喜こんで、非エリートだ。 <br><br><br><br>■この人間Rの成立過程における外部要因 <br><br>僕のこの競争性のなさにはいろいろと理由があろうが、親父と三浦先生の <br>影響が大きい。 <br><br>◆親父の存在 <br>◎親父の運動会前日の言葉 <br>俺の親父は、わりと穏やかな人である。実に頑固ではあるが。 <br>小学校の運動会の前日に言われた言葉を思い出した。 <br><br>絶対一番になるといきり立つ僕に対して、 <br><br>「類、例えばお前が一番になっても、それは2番目、3番目、もしくは6番目の <br>人がいてこその一番なんだ。もしもお前がビリでも、そのかわりにビリじゃ <br>無くなった人もいるんだ。順位にもそれぞれ役割があるんだ。そういうもんだ。」 <br><br>というようなことを言われた。 <br>そのとき、いっぱしに反論をしていた僕だったが、そのうちに何を言いたいかは分かる <br>ようになった。 <br><br><br>◎親父という存在 <br>僕は親父が好きだ。とても尊敬してる。 <br>見方によっては仕様のない親父だ。大学の教授としての親父の研究の価値は <br>大したことがない。 <br>むしろ家族のために生きたような人だった。 <br><br>中学の時以来、母親はほとんど寝たきりの状態の時期が続いた。 <br>親父は掃除・選択・料理と黙々とやっていた。 <br>家庭はいろいろな問題を抱えていたが、親父はしっかりそこに存在してくれていた。 <br><br><br>親父は、栃木県の農家の生まれだ。 <br>戦時中に収入の少ないタバコ農家で、8人兄弟の4男として生まれる。 <br>ろくに高校にも行かない時代であり、中学を卒業をしたら働きに出るのが <br>その地域の通例だったようだ。 <br>その中で、親父は高校に行き、苦学して東北大学に入学した。仕事の合間に勉強した <br>だろう。ろくに参考書もなかっただろう。あまり親父は語らないが、親戚の <br>話で苦労は聞く。 <br>大学進学は奨学金を出してくれる人を見つけられるという運にも恵まれたようだ。 <br>その後フランス文学を学び、福岡大で助教授の職を得、岩手大にて教授になる <br>ことが出来た。 <br><br>親父の恩師の金柿先生という人がいる。東京に来たときは必ず食事をご一緒する。 <br>金柿先生の話はいろいろ教えてくれる。福岡大学時代は女学生に相当もてていた <br>らしい。だが、鈍感な親父だから、女学生で家にご飯を作りに来ても、何か <br>作りに来てるなー、ぐらいの反応だったそうだ。親父らしいな。笑 <br>男なのにバレエをやるという変人でもあったようだ。 <br><br><br>そんな人生を送ってきた親父だ。 <br>だが、特に競争に勝つという人生ではなかった。自分の道を進んでいっただけだ。 <br>親父の中には、敗者も勝者も存在はしない。 <br><br>こんな親父のそばで育ったら、競争性がつくわけがないなあ。 <br><br>しかも大学教授なんてのは、一度はマルクス主義にかぶれている。 <br>御多分にもれず、親父もその時期があったようだ。 <br><br>僕もその影響からか、中学ぐらいのときは、素晴らしいユートピアの創造を夢見る <br>、ロマンチストだった。 <br><br>中学生は単純である。聞きかじりの理論を自分で解釈し、わくわくしていた。 <br>富は皆で共有した方が幸せだと信じ切っていた。 <br><br>今もマルクス主義を盲信するほど、お気楽ではないが、社会への関心を <br>持ち、人を幸せにしたいという思いを持つようになったきっかけではある。 <br><br>◆三浦先生と宮沢賢治 <br>僕の高校の恩師に三浦新作先生という人がいる。 <br>僕を高く評価してくれた、初めての先生だ。 <br><br>それまでの人生で、僕のことを評価してくれた先生はほぼいない。 <br>みんなろくでもない、可愛げのない生徒だとしか思っていなかった <br>だろう。 <br><br>三浦先生は成績も良くない僕を可愛がってくれたし、評価してくれた。 <br><br>大変に苦労した先生で、中学卒業後、岩手から集団就職で東京で就職。 <br>その後職を転々としながら夜間学校に通い、学校の先生となった人だ。 <br>白髪で小さいその体には、深い苦労と優しさが刻まれていた。書を好み、 <br>自己を厳しく律する、老子のような先生だった。 <br><br><br>こんなことがあった。 <br>僕の母校では毎年、海外に生徒が10人派遣される。もちろん学校のお金を <br>使う以上優秀な学生を送ることになっている。 <br>赤点をとっていたにも関わらず、身の程知らずの僕は応募した。 <br>選考は論文と面接。それは一生懸命やった。 <br>しかし成績で問題になった。あとから聞いた話では赤点をとっている人間を <br>送るのはどうか、そんな例はかつてない。という反対意見に対して強く反論 <br>してくれたらしい。 <br>おかげで10人に選ばれ、一カ月カナダとアメリカにホームステイすることが <br>出来たのである。 <br>他のメンバー9人の進学先はというと、東大文一、文三、東京医科歯科 <br>東北大医学部、文学部、工学部、秋田大医学部、アメリカの大学、埼玉大学工学部 <br>で、そこそこ成績の基準は大事であるのは分かるだろう。 <br><br>こんな中でも三浦先生は僕を買ってくれていたのである。 <br><br><br>そんな三浦先生が好きだったのが、「宮沢賢治」だ。 <br>宮沢賢治は僕の母校出身である。石川啄木や米内光政などと並ぶ母校の誇りだろう。 <br><br>宮沢賢治の『農民芸術概論綱要詩』の一部を引用する <br><br><br>「おれたちはみな農民である　ずゐぶん忙がしく仕事もつらい <br>もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい <br>われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった <br>近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい <br>世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない <br>自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する <br>この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか <br>新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある <br>正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである <br>われらは世界のまことの幸福を索ねよう　求道すでに道である」 <br><br><br>三浦先生は良く仰っていた。 <br><br>「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」 <br><br>宮沢賢治のこんな考えに共感を持つ先生だった。 <br><br>素晴らしい先生だった。 <br><br>僕が卒業すると同時に退官だった。 <br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br><br>そんな2人の影響もあり、自分自身が勝ち続けることよりも、社会全体 <br>をどうするかのほうに興味が向いていた。 <br><br>（続く）
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10452037105.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Feb 2010 13:41:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>官僚制組織（ピラミッド型組織）</title>
<description>
<![CDATA[ 今回は官僚制組織（ピラミッド型組織）諸特徴と個人のあり方にについてのエン <br>トリです。 <br><br>このエントリの続きになります。 <br>「労働手段の労働者からの分離」 <br>http://ameblo.jp/morihama/entry-10444533007.html<br><br><br>※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※∞∞※ <br><br>&lt;目次＞ <br>------------------------------ <br>■官僚制組織（ピラミッド型組織）の諸特徴 <br>　◆目的合理性の追求が官僚制組織を生み出した <br>　◆ウェーバーの官僚制組織の抑圧性に関する言説 <br><br>■官僚制（組織）における諸個人のあり方 <br>　◆ドラッカーの企業組織論 <br>　◆バーナードの理論の可能性 <br>------------------------------ <br><br><br><br>------------------------------ <br>■官僚制組織（ピラミッド型組織）の諸特徴 <br>------------------------------ <br>ウェーバーは「労働手段の労働者からの分離」という現象は目的合理的過程の進展、生産力的・技術的必然によるものだと捉えた。 <br><br>目的合理的行為の追求は、官僚制組織（ピラミッド型組織）を生み出す。その組織は規則・専門化・資格・階層制などの内容を持つ。 <br><br>その特徴を捉える上で、前のエントリで明らかにした「労働手段の労働者からの分離」から官僚制組織が出来る過程を追い、そこから規則・専門化・資格・階層制といった組織の特徴の理解を深めていく。 <br><br>------ <br><br>それでは、官僚制組織（ピラミッド型組織）成立の過程とその特徴についてみていこう。 <br><br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br><br>◆目的合理性の追求が官僚制組織を生み出した <br>ウェーバーは、「労働手段の労働者からの分離」という現象は目的合理的過程の進展、生産力的・技術的必然によるものだと捉えた。 <br><br>-------------- <br>目的合理的行為は、個々人バラバラのものよりも協働行為のほうが有効である。 <br><br>協働行為体は管理と予算を必要とし、管理と予算をもった協働体の運営を経営という。 <br>経営の発達は、経営手段と労働者との分離を必然ならしめる。 <br><br>このように「労働手段の労働者からの分離」の現象を捉えると、もはや労働者の手に労働手段がふたたび帰ってくることはない。 <br><br>機械などの労働手段の技術的発展は進み、そしてそれがさらなる「労働手段の労働者からの分離」を推し進め、経営の発展も、とめどなく続く。 <br><br>経営の発展とは、規則化・専門化・資格・階層制などの内容を持つ、官僚制組織（ピラミッド型組織）の発展・強化である。 <br>--------------- <br><br>このようにウェーバーは、目的合理性を至上のものとする限り、人間は社会に官僚制組織を創りだし続けると考えた。 <br><br><br><br><br>◆ウェーバーの官僚制組織の抑圧性に関する言説　 <br>なぜ、ウェーバーの捉える組織が、官僚制組織となるのか、そして彼の捉える官僚制組織の合理性、機能性を明らかにしてきた。 <br><br>ではこれから、ウェーバーの捉えた、官僚制組織の抑圧性について明らかにしていく。 <br><br>まずは、ウェーバー自身の、抑圧性に関する言説を引用しよう。 <br><br>　 <br>「生命のない機械は、擬固した魂である。機械の魂はまさしく擬固しているという事実こそ、人間を仕事にかりたてる力、そして日常の労働生活を事実工場でみられるように支配的に想定する力を、機械に与えているのである。生きている機械の魂もまた、凝固している。生きている機械の役を演じているのは、訓練をうけた専門的労働の特殊化、権限の区画、勤務規則および階層的に段階づけられた服従関係を伴っている官僚制組織である。この生きた機械は、あの死んだ機械と手を結んで未来の隷従の容器をつくり出す働きをしている。もしも、純技術的にすぐれた、すなわち合理的な官僚による行政と事務処理が、人間にとって懸案諸問題解決方法を決定するさいの、唯一究極の価値であるとするならば、人間は、多分いつの日に、古代エジプト国家の土民のように、力なく隷従に順応せざるをえなくなるだろう。 」 <br><br><br><br>----------------- <br>ウェーバーは官僚制組織を、生きた機械であり、それは死せる機械と手を結んで隷従の器をつくり出す、と把握した。 <br><br>そして、その隷従の器は、目的合理的なものであるがゆえに、人間を隷従せざるをえないものである、と捉えた。 <br><br>つまりは、目的合理性を至上の価値とする限り、官僚制組織による個人の抑圧は続いていく、と捉えたのである。　ただ、ウェーバーはその抑圧性を悲観的に捉えた。 <br><br>それは、 <br>「官僚制は人間を支配し続けるであろう。そして、このピラミッド型組織の崩壊は、機能性・ <br>目的合理的な論理を、人間が至上のものとしない世界の到来を待たねばならぬ」 <br><br>という彼自身の嘆きにより明らかである。 <br><br>悲観的である、ということは、問題の解決が絶望的である、という観方である。 <br><br><br><br><br>------------------------------ <br>■官僚制（組織）における諸個人のあり方 <br>------------------------------ <br>ウェーバーは、官僚制的社会はピラミッド型組織による支配の社会であり、諸個人は隷属的に順応する以外の生き方はないと捉えた。 <br><br>それに対し、ドラッカーは自由と機能の統一に、バーナードは独自の権威論によって解決の方法を見出そうとした。 <br><br>　〆　　　　〆　　　　〆　 <br><br><br><br>◆ドラッカーの企業組織論 <br>ドラッカーはウェーバーと同じように「労働手段の労働者からの分離」を把握し、現代より未来へ向かう社会は、組織社会であると把握した。ドラッカーは組織社会において、個人の自由が保障せられる管理の在り方を説こうとした。 <br><br>管理は組織体に特有な現象であり、諸個人は組織にとって単なる手段的存在である。だからこそ彼は、従業員は物的資源と並ぶ人的資源と把握する。しかし資源と把握しながらも、人間の自由の確保を考え、それを自由と機能の統一に求めたのだ。 <br><br>-------- <br>彼の著作「管理の実際」（１９６４）において、以下のことが説かれている。 <br><br>「企業の目的は顧客の創造であり、顧客の創造はマーケティングとイノベーションによって可能になる。利潤は企業成果の尺度であり、企業の維持拡大の原資であり、決してそれ自体が目的ではない。企業が目的的存在たる限り、管理は目標設定による管理、目標管理がなされねばならない。そのとき、人間の自由の確保のために、各人の自発的な努力を全体として融合せしめなければならない。全体目標とそれに結びついた部分的・細部的目標を各人は設定する。そして、目標それ自体と、仕事の成果を比較することによって、自己評価し、自己統制していく。目標は高くかかげられ、働きがいと喜びがあり、昇進のための働きであり、公正であり、明るくあらねばならぬ。目標管理に対応した組織構造は分権制である。具体的には「一つ一つが独立の企業であるような管理単位を、一つの企業に作る」分権制である。可能な限り、各人に大きな責任と権限を付与し、自己統制・自己管理を可能にしていかねばならない。 」 <br><br><br>以上がドラッカーの管理論のあらましであるが、彼の理論はきわめて規範論的性格の濃いものである。 <br>彼の理論は積極的に肯定すべきものであり、現実に活かされるように努力するべきものである。 <br><br>しかし、現状把握と規範論は混同されるべきものではなく、区別しなければならない。 <br><br>彼の理論を規範論として積極利用すべきではあるが、組織による個人の抑圧という問題を超克する理論ではなかった。 <br><br><br><br>◆バーナードの理論の可能性 <br>バーナードは個人の抑圧の問題を、独自の権限論によって解決しようとした。 <br><br>---------- <br>彼は従来のオーソリティーの源泉についての一般的な見解をひっくり返した。 <br>すなわち彼は、権限は伝達の性格であると把握したのだ。 <br><br>彼は権威の源泉を、下位者が受容するかしないかの意志においてとらえた。 <br><br>彼の理論は上位者の権限はさらに上位の者から委譲されたものだとみる上位権限節、同質の法定説、さらには法定説の特殊形態たる職能説をもひっくり返した。 <br>　 <br>彼の所説では、下位者・受令者といえども無責任たりえなくなる。 <br>そして、責任は個人個人がとるものであり、企業責任・組織責任は個人が組織で果たした意思決定の質・量に応じておうべきものである。 <br><br>--------- <br><br>バーナードはサンクション＝制裁については触れることが少ない。 <br>かわりに組織からいつでも自由に出入りでき、組織の構成員がそれぞれの個人人格が許さないような命令は聞かず、自由に他の組織に移ることができるような状態を論じている。 <br><br>しかし現状はそうではない。かつては、だからこそ、此れも規範論的性格が強かった。 <br><br><br><br><br>だが知識社会において、バーナードの理論は現実味を帯びてくる。 <br><br>知識社会では生産手段（労働手段）が知識であり、それを持つのは知識労働者である。 <br><br>それはバーナードのいう「組織からいつでも自由に出入りでき、組織の構成員がそれぞれの個人人格が許さないような命令は聞かず、自由に他の組織に移ることができるような状態」を成し得る可能性を持つ。 <br><br>次回以降のエントリではそれを知識社会における社会・組織・個人を考えながら、その可能性を探っていく。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/morihama/entry-10451003886.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 02:28:16 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
