<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>もろいかのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/moroika/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/moroika/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>日々つれづれなるままに、ジャンルを問わず、思いを書く</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>また通学中の交通事故</title>
<description>
<![CDATA[ 先日京都で集団登校時に無免許の若者が居眠り運転をして、大きな事故を起こしたことが報道されたが、また今日2件の小学生の登校時の事故があり、一件は、小学生の死亡者を出す<a href="http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventrypreview.do#">事故</a><span style="text-decoration: underline;"><br></span>であった。<br><br>集団登校の通学路をより安全なところに変える等の対策をしたらしい。それに同調するように、テレビでは、随分通学路の柵の設置等を声高に主張するキャスターやコメンテイターを見た。<br><br>しかし、危険な場所というのはどこにでも存在する。すべて道路に柵付きの歩道を設置することはできないし、設置したとしても、通学路以外の道を子供達が通ることもあるだろう。もちろん対策としてある程度有効であるとは思うが、それが教訓だとすると、なにか釈然としない。<br><br>これらの事件の背景に二つのことを思う。<br><br>一つは車の陰の部分への認識不足である。<br>自動車は年間数千人を殺すのであるから、凶器であると言っても過言でない。原発であろうが、手抜き工事であろうが、覚醒剤であろうが、どれだけの社会悪であろうが、結果的に車ほどの負を生み出すものはない。自動車はメリットも大きいがそれに伴う、デメリットも抜群だ。<br><br>車の運転者は、ある意味凶器を振り回しているという自覚が足りなすぎるのではないか。慎重に運転していても人を殺める道具を扱っていることを忘れるべきではない。私もあなたも、もちろんいつでも加害者側になりうる。<br><br>もう一つこれらの事件の背後に感じるものは、自動車を運転する人の道徳の欠如である。無免許で運転をしないというのは道徳などとはかなり離れた低次元のことなので、それには言及しない。<br><br>忘れがちであるが、運転している時点で、歩行者と比較にならないほど、強者である。仮に、いくら車側が交通ルールを遵守して歩行者に非があった事故であったとしても、歩行者が助かり運転者が死亡することはない。物理的に圧倒的に強いのである。<br><br>社会の道徳として、強いものは弱いものを助けるべきであろう。これに異を唱える人たちが増えているが、もはや異を唱える時点で問題である（このことについてはいつか書いてみたい）。<br><br>歩行者が横断歩道で待っていても停まらない、狭い路地で歩行者を怖がらせるような運転をする、ハンディーキャップのマークがあるスペースに駐車するなどは、すべて、事件とまでは言えないが、延長線上に今回の事件があると思ってしまう。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/moroika/entry-11234941280.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Apr 2012 19:38:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>桜楓</title>
<description>
<![CDATA[ 少し前のことだが、24歳のシングルマザーが男友達との遊行などを理由に、3歳（桜子ちゃん）と１歳（楓くん）の幼い我が子をマンションに置いたまま、50日間帰宅せずに餓死させた「<a href="http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/550248/" target="_blank">大阪2児虐待死事件</a>」の判決公判が大きく報道された。エアコンも電気も水も食料も無い環境で、母を求め、しかし叶わず、餓死に至った幼い命達の苦痛や無念さは想像を絶する。未熟な被告の社会的責任や生い立ちに言及する報道が多かった一方、この家族以外にも当事者がいることを、そのときの報道で知った。事件が起きた同じマンションの住民たちである。<br><br>幼児の鳴き声などを耳にしながら、結局幼い命を救えなかったという自責の念を共有したマンションの住民たちは、事件の後、それまで名前を知らないどころか挨拶さえ交わさなかった人たちと、定期的に交流会を開いているとのことだった。<br><br>亡くなった小さな命達にちなんで桜楓会と名づけられたという。<br><br>事件やもめ事、いや、もっと小さな気分を害する程度の些事は、日常的に起きうるが、周囲とのコミュニケーションで、多少は予防できるのではないかと問題提起されたような気分になる。欧米由来の個人主義と、日本古来の村社会分化との狭間に立たされているようでもある。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/moroika/entry-11228205521.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Apr 2012 15:30:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>原発に対する西日本市民の反応について</title>
<description>
<![CDATA[ 特に原発のコラムではないのだが、今日ももう少しこの話題を続けてみたい。<br><br>日進市の対応は事大主義だったと批判されても仕方がないが、彼ら自身が潔く「判断ミス」だったと結論づけたようだ（<a href="http://www.asahi.com/national/update/0922/TKY201109220570.html" target="_blank">朝日新聞の記事</a>）。<br><br>本心は「花火をやっておくべきだった」とのことだとすれば、単なる辻褄合わせの謝罪以上の誠実さを感じる。<br><br><br>一方、市民の反応を考えたい。<br><br>京都や福岡で同じ事件があったことを思えば、西日本に住む住人のいくらかは、放射線とは無関係で暮らしたい。放射線というやっかいなものを持ち込んで欲しくないと考えていると断定しても不合理な解釈ではないだろう。<br><br>この件に関して、昨日、「蔓延する自己中心的な考え方」と書いた。<br><br>米国の資本主義的思想は、今完全に日本に侵食している。<br>資本主義とはつまるところ、共同体的な利益の追求より、個人の利益の追求を求める構造にならざるを得ない。日本経済は、バブル以後の弱体化の中で完全に米国にマネとまではいかないが、その思想の延長線上にあるといえるだろう。<br><br>少し例を挙げてみよう。<br><br>米国では、クレームなどを引き受けるカスタマーサービスは充実していない。不満足な商品やサービスに対しては、嫌と言うほどたらい回しにされ、とても時間がかかる。かつての日本は、顧客がクレームをするために電話して待つことなどなかった。それなりの人的経済的投与があったはずである。しかし、最近極めて米国的になったと感じる。顧客の満足より、はるかに、営利の追求は重要であると言わんばかりである。<br><br>つまり、我々の今住んでいる社会は、もう戻れないほどの資本主義に浸かっていて、その資本主義も完全にアメリカに存在するそれである。その結果、都会では既に個人主義が蔓延しており、今後、地方にも波及するであろう。<br><br><br>今回の西日本の住民の原発への対応は、蔓延するアメリカ主義とも云うべき資本主義を軸とした個人主義と無関係ではないと言いたくなるのである。<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/moroika/entry-11031313521.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Sep 2011 19:01:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>日進市の福島産花火取りやめ問題の本質を考える</title>
<description>
<![CDATA[ 前回、日進市の福島産花火取りやめ問題をとりあげ、中部大・武田邦彦教授の反応について言及した。<br>今日はその続きである。<br><br><br>今回の日進市の花火大会に福島産のものを使用して欲しくないという市民はいると思う。この人達の科学的な知識の多寡や、感情の制御について問うても始まらない。しかし、多くの人達がそのように感じているような雰囲気で、いささか閉口する。<br><br><br>日進市の姿勢にも多少疑問を感じる。<br><br>取りやめ要請が単なる五月蠅い存在と考え仕方なく取りやめたのではなく、妥当だと思ったのではないかという疑問。<br><br>いずれにせよ、自分たちの保身のために市職員が行動したと言われても仕方がない。<br>しかも、福島まで市長が謝罪しに行くなど、この市政の事なかれ主義に驚かされる。<br>これなら、まだ中部大・武田邦彦教授の方が多少の哲学を感じる。<br><br><br>ここからが本題だが、<br>どうしてこういう問題が起きるのであろうか？と考える。どのようなことが問題の本質なのかと。<br><br><br>この中部地方の都会に約一年住んでいて気付いたのだが、他人の事は無関心で、自分のことで精一杯というような姿勢が目につく。これは自分の思い過ごしなのかもしれないが、そう感じる事が多い。<br>他の都会に住めば、同じかもしれないので、中部地方特異的なものではないと思っている。<br><br>「絆」「ひとつになろう」など、3.11以来多くのスローガンがあったが、結局は日進市民や市職員の対応など、全くひとつになるどころか、己に一切の迷惑をかけないで欲しい、迷惑を福島の人で引き取って欲しいというような気持ちである。福島の花火職人にはなんら責任がなくても、こちらに迷惑をかけるのを止めてくれればそれでいい。<br><br>震災後、海外のメディアが、実に日本人の規律正しさと道徳心の高さを礼賛して、またそれを嬉々として国内メディアが伝えた。あたかも自分たちの誇りのように。しかし実のところ、都会を中心に自分中心主義は十分に蔓延しているのではないか？海外メディアが驚嘆したのは、東北人の規律の正しさや道徳人の高さであって、都会人のそれではないのではないかと思うのである。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/moroika/entry-11030057312.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Sep 2011 15:10:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>中部大・武田邦彦教授は正しいのか？</title>
<description>
<![CDATA[ 名古屋市の東隣に日進市という小さな街がある。典型的な新興住宅地でバブル前に建てられたと思しき大学が点在する。自分も名古屋に住んでいなければ知ることはないだろうと思う程特徴のないこの衛星都市が、一昨日のgoogle急上昇ワードにリストされていた。その理由は報道されたことであるが以下である。<br><br><br><br>市民からのクレームに従い、市内で開催される花火大会で福島産の花火を使用を辞めたとのこと。<br>また、この件に関して市長が福島県の花火会社が存在する町に謝罪するとのこと。<a href="http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110922k0000m040189000c.html" target="_blank">記事<br></a><br><br><br>これに対して、私見を述べたいと思うが、その前に驚くべき記事を見つけた。<br><br><br><br><a href="http://takedanet.com/2011/09/post_e6d6.html" target="_blank">中部大の教授は、日進市の判断を是とする意見</a><br><br><br>火薬にどれほどの放射線が含まれているのか測定していないからわからないから、市の取りやめは正しいとの判断である。<br><br>私個人の意見であることは言うまでもないが、この教授の見識を疑わざるえない。<br><br><br>火薬とは湿度を嫌うのであるので、当然放射能が舞い落ちた屋外にあるはずがない。そこが汚染地域であるならば、もちろん、火薬玉の作製過程で放射能は混入するだろうが、花火が爆発して大気で拡散してもなお市民の健康に害する程の高い放射能が含まれると考えるのは合理的な予測とは言い難い。もしそうであれば、その花火を一日何十、何百作る職人はもう完全に健康を害しているのではないか？<br><br><br>自然科学では測定が大切である。客観的な事実（測定結果）に基づいて議論すべきだといいたいのであろう。ならば、放射能を測定するべきだと主張するのが正しいのではないか？放射能の強度がわからないから危険だという論理は、わからないから安全だとする論理と、科学者的な観点からすれば、大差ないのではないのか？<br><br>一方で、教授の今までの発言から、政治判断としてこの判断を是とすると主張しているとも想像できる。しかし、読者がかなり忖度しないと理解できないようなものを発信するべきではないと思う。また、一方でこのような合理性を欠く発言は、本当は放射能汚染していない場合には、風評被害を巻き起こすことになる。<br><br><br>武田邦彦教授は、名古屋大の教授がデータに基づいて話していないというならば、ご自分もデータを出すべきであろう。おそらく上記の理由で、火薬玉についている放射能などは許容範囲に違いないと多くの人が思っているであろうし、その判断は合理的だ。<br><br>しかし、私が言いたいのは武田教授的なメンタリティーが、日進市を始めこの日本に蔓延していることである。そのことは、また次回。<br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/moroika/entry-11025729492.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Sep 2011 09:35:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ブログ開始</title>
<description>
<![CDATA[ このブログはもろいかが、何気に日々考えたことエッセイ風に綴るものです。<br><br>日々書き留めておきたい事柄を文字にしてみようと思ってもなかなか億劫なので、今までしてこなかったのですが、漸く決心しました。<br><br>しかし、初ブログなので続くかさえ、疑心暗鬼です<img src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" alt="はてなマーク">
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/moroika/entry-11024839894.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Sep 2011 15:12:05 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
