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<title>motoyukiのブログ</title>
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<title>問題分析</title>
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<![CDATA[ レポートの書き方メモ。<br><br>問題提起<br>↓<br>複数の現象を検証。なるべく広く網羅。<br>↓<br>共通の問題の原因となる現象を発見。他の地域と比較。地域の人間性を検証<br>↓<br>問題の原因を箇条書き。<br>↓<br>問題改善の重要性。<br>↓<br>それぞれの改善点、原因となる現象を利用する提案。<br>↓<br>具体的に誰がどのように寄与するか提案。
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<pubDate>Sun, 05 Apr 2015 15:36:04 +0900</pubDate>
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<title>イオンの苦戦</title>
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<![CDATA[ イオンの苦戦<br>http://toyokeizai.net/articles/-/64984<br><br>問題点。<br><br>多様化、地域色を出すことで地方スーパーは今勢いがある。<br>プライベートブランドで統一された商品が裏目に出た。
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<link>https://ameblo.jp/motoyuki1979/entry-12010548932.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Apr 2015 15:33:44 +0900</pubDate>
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<title>英語疑問形一覧</title>
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<![CDATA[ 疑問形一覧<br>http://www.geocities.jp/kusumotokeiji/eigo14.htm<br><br>疑問文作り方<br>http://www.englishcafe.jp/english2nd/day10.html
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<link>https://ameblo.jp/motoyuki1979/entry-12008337028.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Mar 2015 10:10:12 +0900</pubDate>
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<title>ジャズピアニスト</title>
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<![CDATA[ 偉大なジャズピアニスト<br>http://tmkbase.com/?p=7349<br><br>速弾き<br>https://www.youtube.com/watch?v=tMng_gTaGoo
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<link>https://ameblo.jp/motoyuki1979/entry-12008138466.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Mar 2015 21:12:10 +0900</pubDate>
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<title>世界史</title>
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<![CDATA[ 世界史勉強してない奴のため<br>http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4380485.html
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<pubDate>Sat, 28 Mar 2015 04:23:29 +0900</pubDate>
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<title>クレイジードクター</title>
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<![CDATA[ クレイジードクター<br>https://www.youtube.com/watch?v=LmVRO76fZ8I<br><br>天才。<br><br>https://www.youtube.com/watch?v=zC_j86MR7lM<br><br>かわいい。
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<pubDate>Fri, 27 Mar 2015 06:06:55 +0900</pubDate>
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<title>石油の歴史</title>
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<![CDATA[ 石油WIKI<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B2%B9<br><br>地下から湧く燃える水の存在は、古代から各地で知られていた。産地で燃料や照明に用いた例も多い。たとえば4世紀には中国で石油の採掘が行われたという記録がある。また1691年には現在も石油の生産が行われているルーマニアのモレニ油田から石油が採掘され、産出された石油は品質の点で他の油より良いとされていた。しかし、大量生産はずっと後のことであった。<br><br><br><br>プロイェシュティWIKI<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%A7%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%86%E3%82%A3<br><br>ルーマニア、ムンテニア地方の都市<br><br>19世紀半ば、プロイェシュティ地方には世界有数の原油採掘および石油精製所が置かれていた。<br><br>2つの大戦間、地元工業は石油製造過程で沸騰した。外資系が大半を占める大手石油企業が市で操業を開始した。<br><br>市は第二次世界大戦中、同盟していたナチス・ドイツの重要な石油提供地となった。飛行場から近かったために、プロイェシュティは連合国側の攻撃を受けた。 1943年8月3日、アメリカ空軍はベンガジからタイダルウェーブ作戦をしかけ、178機のB-24が低空で強固な爆撃を精製所へしかけた。空襲は地上にひどい損傷を与えたが、そのほとんどは修繕された。1944年にはイタリアの空軍基地からやってきた米軍機が爆撃を行った。1944年8月、ついにソビエト連邦軍がプロイェシュティを陥落させた。<br><br>戦後成立した共産主義政権は、大半が私有であった石油精製所を国有化した。そして国の近代化目的で原油・石油産業に手厚い投資を行い、戦争の傷跡を修復したが、その社会と経済の変化の状況の中で、都市の重要性は低下した。
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<pubDate>Thu, 26 Mar 2015 12:52:56 +0900</pubDate>
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<title>宇宙開発</title>
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<![CDATA[ ヴェルナー・フォン・ブラウンWIKI<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3<br><br>第二次大戦後にドイツからアメリカ合衆国に移住し、研究活動を行った。<br><br>ジュピターCは1958年1月31日、西側諸国として初めての人工衛星エクスプローラー1号の打ち上げに成功した。<br><br>フォン・ブラウンの子供時代の方針であった「時代を動かすこと」とその後の夢となっていた人類が月面を踏む手助けをすることは、1969年7月16日、マーシャル宇宙飛行センターが開発したサターンVロケットがアポロ11号の搭乗員を打ち上げた時に現実のものとなった。アポロ計画の過程で6組の宇宙飛行士チームが月面を探検した。<br><br><br>セルゲイ・コロリョフWIKI<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%A7%E3%83%95<br><br>R-7は核弾頭をペイロードや宇宙船に替えて宇宙開発にも使用され、1957年に世界最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、1961年には世界初の有人宇宙飛行としてユーリイ・ガガーリンを宇宙に運んだ。<br><br>第二次世界大戦直後のドイツに飛び、ペーネミュンデ研究所で作られていたドイツのV-2ロケットの情報収集を行った。1946年には5,000人のドイツ人技術者をソ連国内に移送させたが、この技術者達は比較的良い扱いを受け、彼らは1947年にV-2の改良型のR-1多弾頭型ロケットを打ち上げた。しかし、同年にコロリョフが設計したR-2ロケットはV-2の倍の飛行距離を記録した。<br><br>1957年10月4日に、R-7ロケットにより世界最初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げた。<br><br>1961年に世界初の有人宇宙飛行としてユーリイ・ガガーリンを宇宙に運んだ。
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<link>https://ameblo.jp/motoyuki1979/entry-12006295073.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Mar 2015 12:26:14 +0900</pubDate>
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<title>東欧革命</title>
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<![CDATA[ 東側諸国WIKI<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%81%B4%E8%AB%B8%E5%9B%BD<br><br>ワルシャワ条約機構加盟国<br><br>ソビエト連邦<br>①ポーランド<br>②ハンガリー<br>③ドイツ民主共和国<br>④ブルガリア<br>⑤チェコスロバキア<br>⑥ルーマニア<br><br>”ユーゴスラビアは冷戦中、中立国であることを宣言し、非同盟運動の提唱国のひとつとなった。”<br><br><br>東欧革命WIKI<br>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD<br><br>”ポーランド（6月18日）とハンガリー（10月23日）における非共産党国家の成立に始まり、11月9日のベルリンの壁崩壊と11月17日のチェコスロヴァキアのビロード革命を経て、12月25日のルーマニアのチャウシェスク政権の崩壊”<br><br>”エストニア、ラトビア、リトアニアのバルト三国のソビエト連邦からの分離独立、ソビエト連邦の崩壊、ソ連崩壊後の、ユーゴスラビア紛争、アルバニア社会主義人民共和国の崩壊（1992年）まで含める最も広義的な捉え方である”<br><br>”東欧革命の本格的展開は、1985年にソビエト連邦のミハイル・ゴルバチョフ政権が始めた「ペレストロイカ」により起こった。これは、ソビエト連邦の政治・経済の硬直を打開するために開始された政治改革であり、外交でも従来のソビエト連邦の外交政策の転換を図った。ゴルバチョフの外交に対する新方針は、一つは冷戦体制に基づいた旧来の外交政策を緊張緩和の方向に転換する事。（新思考外交）もう一つは、ソビエト連邦が持っていた東側諸国の共産党国家に対する統制、いわゆる「ブレジネフ・ドクトリン」の撤廃であった。このペレストロイカに則った「新思考外交」は、1988年3月の新ベオグラード宣言の中にも示され、またフランク・シナトラのヒット曲「マイ・ウェイ」から「シナトラ・ドクトリン」と呼ばれた。”<br><br><br>①ポーランド<br>”東欧革命の予兆は、1978年にポーランド出身のヨハネ・パウロ2世がローマ教皇に就任したことに始まる。共産主義政権側の人々でさえも尊敬するヨハネ・パウロ2世の存在は、それまで政府と反体制運動との間の力ずくの闘争であったポーランドの民主化運動の大転換を促すものであった。この大転換は1979年6月に祖国ポーランドを訪問した教皇がワルシャワで行った演説のなかでの「みなさん、（共産主義体制を）恐れてはいけません。」との言葉により、まず大衆の確信により始まった。”<br><br>”ポーランドは民主化の完成に向けて一定の自由選挙、次いで完全自由選挙、という二段階のプロセスを踏むという、国民同士の激しい対立を避けた穏健な体制移行を採用した。”<br><br><br>②ハンガリー<br>”1956年10月23日、ハンガリーの人々は政府に対して蜂起した。彼らは多くの政府関係施設や区域を占拠し、自分たちで決めた政策や方針を実施しはじめた。ソビエト軍は1956年10月23日と停戦をはさんだ1956年11月1日の2回、このような反乱に対して介入した。1957年の1月にはソビエト連邦は新たなハンガリー政府を任命し、ハンガリー人による改革を止めようとした。”<br><br>”1989年6月にはハンガリー動乱で処刑されたナジ・イムレ元首相の名誉回復と改葬を行い、6月25日には社会主義労働者党は一党独裁制を完全に放棄した。1989年10月には、社会主義労働者党は社会民主主義政党のハンガリー社会党へと改組、さらに10月23日には新憲法「ハンガリー共和国憲法」が施行され、ハンガリー人民共和国は終焉した。”<br><br><br>③東ドイツ<br>”1989年5月にハンガリーがオーストリアの国境を開放すると、ハンガリー・オーストリア経由で西ドイツへ脱出しようと多くの東ドイツ市民が東ドイツから逃げ出すようになった。”<br><br>”こうした国民の大量出国やライプツィヒの月曜デモ等で東ドイツ国内は混乱していたが、ホーネッカーは事態を楽観視し、改革には背を向け続けていた。ホーネッカーの演説を聞いたゴルバチョフは軽蔑と失笑が入り混じったような薄笑いを浮かべてSEDの党幹部達を見渡すと、舌打ちをした[5]。これによって、ゴルバチョフが改革を進めようとしないホーネッカーを否定したことがSEDの幹部達の目にも明らかになった。これを機にエゴン・クレンツやギュンター・シャボウスキーらのSED党幹部達はホーネッカーの失脚工作に乗り出し[6]、10月17日にはSEDの政治局会議でホーネッカーの書記長解任動議が可決、翌10月18日にエーリッヒ・ホーネッカーは正式に退任し、失脚した。”<br><br>”後継者となったエゴン・クレンツ政権は、1989年11月9日、翌日から施行予定の出国規制緩和策を決定した。その日の夕方、クレンツ政権のスポークスマン役を担っていたシャボウスキーは、この規制緩和策の内容をよく把握しないまま定例記者会見で「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と発表し、いつから発効するのかという記者の質問に「私の認識では『ただちに、遅滞なく』です」と答えてしまった。この発表は、東ドイツ政権内部での事務的な手違いによるものだとされる。この記者会見を観た東ベルリン市民がベルリンの壁の検問所に殺到し、殺到した市民への対応に困った国境警備隊の現場指揮官は11月9日の深夜に独断で検問所を開放した。11月10日に日付が変わると、どこからともなく持ち出された重機などでベルリンの壁は破壊され、その影響は世界史的に広まった。”<br><br>”こうして、ベルリンの壁崩壊から1年にも満たないうちの10月3日に東西ドイツは統一された。”<br><br><br>④ブルガリア<br>”1984年に始まるトルコ系住民へのスラヴ名強制などの民族同化政策は1989年に至ってトルコ系住民のトルコへの大量流出、それによる労働人口の減少などを招き、ブルガリア国内の不安定化と国際社会の反発を生んだ。これに危機感を抱いた政治局員・外相のペタル・ムラデノフ、政治局員・国防相のドジル・ジュロフら党幹部は11月10日にジフコフを辞任に追い込んだ。ブルガリアの場合、長期政権を崩壊させたのは民衆に拠るものではなかった。”<br><br><br>⑤チェコスロバキア<br>”ポーランドやハンガリーのような予告された民主化の約束はなかった。しかし、ベルリンの壁崩壊に勇気付けられたチェコスロバキアでは、1989年11月17日に至り、民主化勢力を中心にデモやストライキ・ゼネストを度重なって行った。それらの事態を収拾できなくなった共産党政府はなし崩し的に民主化勢力との話し合いによる解決を模索することとなり、結果、両者は共産党による一党独裁体制の放棄と複数政党制の導入を妥結した。この「革命」では後のルーマニアのような流血の事態には陥らなかった。これを指してビロード革命と言う。”<br><br><br>⑥ルーマニア<br>”1989年12月16日に民主化革命が勃発し、治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こり多数が犠牲となった上、12月25日にはルーマニア共産党の最高指導者であったニコラエ・チャウシェスクが射殺されて終結した。チャウシェスクの死体はテレビを通じて世界中に晒され、チャウシェスクの死によってルーマニア社会主義共和国は崩壊し、民主政体を敷くルーマニア共和国が成立した。”<br><br>
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<pubDate>Thu, 26 Mar 2015 10:35:08 +0900</pubDate>
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<title>米国利下げ</title>
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<![CDATA[ FRB「利下げするかも」<br>その後の2時間内の動き。<br><br><br>ドル円<br>121円→119円！！<br><br>ユーロドル<br>1.06ドル→1.1ドル！！<br><br>原油<br>45ドル→47ドル！！<br><br>ダウ<br>500ドル高！！<br><br><br><br>日経平均先物<br>200円高！！<br><br><br>（ん？円安で日経平均上昇してたんじゃなかったっけ・・・）<br>案の定ズルズル下落。
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<link>https://ameblo.jp/motoyuki1979/entry-12003331754.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Mar 2015 05:16:35 +0900</pubDate>
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