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<title>muratakeisuke1のブログ</title>
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<title>あわや、また乗り遅れ⁉️</title>
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<![CDATA[ <p>5月9日</p><p>&nbsp; 今回持参した現金で使ったのは13万円、あとはカードで引き出したり、カード払いで対応した。残念ながら飛行機乗り遅れのせいで、イスタンブールは一泊しかできなかったものの、最終日は深夜発ということで、イスタンブールの大まかな観光スポットはまわれた。アテネで懲りたこともあって寺院巡りはカット、この教会、寺院、モスク巡りというのが自然の景色以外の観光では多くを占める。後は遺跡。</p><p>&nbsp; さて気分よく帰国の途につこうと思っていたが、またもや落とし穴が。もういい加減勘弁して欲しいが。今回も十分前もってチェックインした、良い席を確保したかったのもあるし。カウンターの女性はなぜか面倒くさそう。搭乗ゲートは502、搭乗手続きは0:20と記載されている。疲れていたのもあり、座席に横になる。ところがである、周りに 日本人はほとんどいない、成田行きなのに。しばらくして確認すると、502ゲートはマダガスカル行きを示している。しかも乗客が搭乗手続きを始めている。不安に思って、501のゲートのスタッフにトルコ航空 成田行きはどうなっているのかたずねるが、マダガスカルの後という返事。本当か？もう時刻は0:30を過ぎている。一度失敗しているだけにかなり不安。モニターを念のため確認するとなぜかトルコ航空 成田行きは310になっている。えっ、もう0:40分、しかもモニターはlast callを示している。変更になったのだ。大慌てで310に向かうが結構遠い、焦る。1:00前に着いてスタッフに「ゲートは変わったんですか」と尋ねると「そうだ」という返事。ホンマに勘弁してほしい。2回連続乗り過ごした、となれば笑いもんである。それにしても、われわれのように大慌てで移動していた人はあまりいなかったようである。みなさん、よくモニターを確認する癖が身に付いているのか、われわれが疎すぎるのか。でも普通、記載されているゲートに行くとそこから乗れるものと思うものである。ここから推測になるが、われわれは相当に早くチェックインした。ところがわれわれのチェックイン後すぐゲートが変更になった。そこでゲート変更後チェックインした人は普通に310に向かった。こういうことではないかと勝手に推測する。この成田行きの機内、驚くほど日本人が少ない。1割いるだろうかというレベル。日本人以外の中国人、韓国人もほとんどいないと思われる。 この時期の成田行きというのはこんなもんなのか。</p><p>&nbsp; &nbsp;成田に着陸したのが18時半、関空行きJETSTARが20時20分発なのでここも余裕はない。ところが預け手荷物がなかなか出てこない。実はこうなることは多少予想できたので手荷物は預けないつもりだったが、どうしてもカバンが膨らみ過ぎて預けざるをえなくなっていた。ようやく出てきた頃には19時半をまわっていた。事情を話し、荷物検査は軽くしてもらい、中身を改めないで終わってもらった。JETSTARに乗るための第3ターミナルまでタクシー飛ばし、カウンターについた瞬間19時45分、最終チェックイン終えるアナウンスが流れていた。なんとか頼み込み、搭乗ゲートまで走る。息を切らせギリギリ乗り込む。</p><p>&nbsp; これで一息つけるかと思ったらどっこい、21:50に着くはずのJETSTAR、なんと着地は22時10分過ぎた。22:40の最終 茨木行きのリムジンは10分前に バス停につけたのでようやく落ち着いた。やれやれ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12159917505.html</link>
<pubDate>Fri, 13 May 2016 14:58:32 +0900</pubDate>
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<title>痛恨のミス、飛行機に乗り遅れる！！</title>
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<![CDATA[ <p>5月5日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;朝5時半に起きてピレウス港に向かう、サントリーニ島行きのフェリーに乗り込む。エーゲ海が例えようもなく美しい。早起きしたせいで午前中はフェリー のソファでほとんど寝ていた。サントリーニ島に着くと断崖絶壁にへばりつくようにホテルが並んでいて壮観、宿に着いてすぐにバギーをレンタルして島内をドライブ、天気がイマイチだがサンセットはやはり壮観、断崖絶壁レストランでの夕陽を見ながらのディナーは少々奮発して夢を叶えた。</p><p>&nbsp;&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>5月6日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 1日中島内をドライブ、四駆のバギーなんで悪路もなんのその、全然苦にせずどこにでも登っていく。島内の有名な観光地をグルッと 巡る。この島は韓国人、日本人はあまり見かけずアジア人といえば圧倒的に中国人である。ところでこの日に泊まる予定のホテルはいくら探して全然見つからない。仕方なく近所の人に電話をかけて 迎えに来てもらう。するとやはりホテルは目の前だった。本日オープンで看板がまだ 間に合ってないという。おいおい勘弁してよ、と思う。ネットで予約したらしっかり写真に看板は出ていたのに、後でよくみるとどうやらコンピュータグラフィックで掲載していたようである。</p><p>&nbsp; &nbsp;いよいよ残りわずか、帰り支度整えねば。</p><p>&nbsp;</p><p>5月7日</p><p>&nbsp; 大失敗、今日はトルコへの移動日、サントリーニ島からアテネ乗り換えでイスタンブールへ向かうはずだった。16:55発の飛行機ということで2時間半前に空港に到着した。ところがである。アナウンスがなされてストライキで遅れるという。アナウンスは18:30になることを告げた。普通、ボーディング開始タイムと出発時刻があって、この18:30というのはてっきりボーディングタイムと思ってしまったが、実は出発時刻だったのだ。おそらく30分前に搭乗手続き開始します、というようなアナウンスもなされたのだろうが、18:30という時刻だけ聴いて早合点してしまった。もちろんすべて英語とギリシャ語のアナウンスである。さらに悪いことに、国際空港と違い、国内線なので、各ゲート前に行き先別にお客が、待っている状態ではなく、行き先もバラバラの客が混じり合って待っている状態であった。18:30前後にゲートに向かうともう出発したとのこと、えーそんなバカな、チェックインもすませたのに、後の祭り。エーゲ航空はLCCなので代替便があるわけもなく、翌日のチケットを自費で買い直しに なった。超ショック、少し問いただすと「何度か放送で呼び出したけど来なかったじゃないですか」とのこと。そうか、呼び出されていたのか、でもきっとムラタケイスケを「attention please ,as soon as possible come to the gate &nbsp;6 Mr.ミューラータ、カイスキ 」みたいな発音をしたのではないか、人のせいにするつもりは毛頭ないし、放送に注意を払わなかった自分が一番悪い、でもまさか異国の地で自分が呼び出されているなんて夢にも思わなかった。それにストライキでそもそも通常事態ではないのだから普通以上の注意を払うべきだった。でもアナウンスを聞いていたところで自分の名前とわかっただろうか。いろんなアナウンスが次々流れる中で注意力散漫になっていたのは間違いない。言い訳になるが周りの人がゴッソリ搭乗手続きに向かうと、それなりに気づいたんのかもしれないが、歩けないほどごった返している中で行き先もバラバラの混じり合っている客が三々五々に搭乗手続きに向かう状態で気づきにくかった。でもそもそもストライキなくて時間通りに出発してたらこんなことにならなかったと思うとやや釈然としない部分は残る。まして18:30にサントリーニを遅れて出発してもどっちみち乗り換えの本日最終便19:30発のアテネーイスタンブールの便には乗れなかったはず、ということはアテネで予想外の宿泊を強いられていたはずだし、イスタンブールで予約していた宿代はパーになる。その責任はわれわれにはないはずである。その補償はどうなっているのか。LCCだから期待できないが。せめてもの救いとしてやはりアテネーイスタンブールの便の費用は返してくれた。われわれのミスではないのだから当たり前である。でも結局25000円を再度出した割に10000円しか返って来なかった。この比率も釈然としない。なぜならわれわれのミスで乗れなかったサントリーニーアテネの方が、アテネーイスタンブールよりずっと距離は短いから。普通逆でしょう。トータル15000円の余計な出費になり。加えてイスタンブールの宿代はパー、さらにここサントリーニで再度宿泊が必要になり、またレンタルオートバイを借りで結構な予想外の出費になってしまった。ちょっとへこんだもののこういう時は 貴順の方が切り替えが早い。初めて今サントリーニに着いたことにするという、なんという積極的な 見方、済んだことを嘆いても仕方がない。この状況でベストを尽くすしかない。彼女は基本的に考え方が前向きなのでいつも助かる。</p><p>&nbsp;</p><p>5月8日</p><p>&nbsp; 気持ちを引きずらず、また島内をオートバイで疾走する。風が心地よく海は穏やかで、色はコバルトブルー。</p><p>最後のサントリーニを満喫して、イスタンブールに飛ぶために空港へ行く。</p><p>昨日のことを引きずるつもりは なかったが、預け荷物代を全額請求され、さすがにクレーム。そもそも昨日はアテネーイスタンブールの便には100パーセント 航空会社のせいで乗れなかった。このことにわれわれの非はない。なのにすでに支払っている預け荷物代はパーになり、一度も運んでもらっていない預け荷物代を二重に払わないといけないというのか。納得がいかない旨を伝えると、了承して払い込み分を有効にしてくれた。やれやれ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12158463544.html</link>
<pubDate>Mon, 09 May 2016 05:39:35 +0900</pubDate>
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<title>アテネでアルバニア会衆</title>
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<![CDATA[ <p>5月3日 火曜日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 朝から メテオラを見物、周りは高さ数百メートルの断崖絶壁、どうしてこんなところに資材を運び上げ城壁を築けるのか、死者は出なかった のか、14世紀に建てたというから驚き。</p><p>午後からアテネに向かう。バスは最前列だったが、運転手が危なっかしい。渋滞に切れまくるし、運転しながら巻きタバコを作り吸う。携帯はイヤホンとはいえしょっちゅうしゃべる。今日はairbnb,アテネに着きオモニア駅に迎えに来てもらった。</p><p>&nbsp;</p><p>5月4日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 朝からパルテノン神殿に行く。ここは2001年、2007年に来て以来、3回目になる。入場料が一気に12ユーロから20ユーロに値上がりしていた。最新の電子版ガイドブックによると12ユーロになっていたから最近値上げしたに違いない。2人で5千円、値上げしていたのがわかっていたらちょっと出費を考える値段である。神殿の維持費を入場料でまかなおうということだろうが高すぎて辟易、僕自身、そんなに遺跡に関心 ないから、外から見るだけでも十分だったと思う。ただ使徒パウロがはるか昔、アレオパゴスの丘で宣教したことを思うと感慨深い。</p><p>&nbsp; 途中で手話会衆の兄弟たちに会い、今日は手話会衆に参加すると伝える。実はアルバニアのティラナでイタリア語会衆に意図せずに参加したのだがその時に手話会衆の兄弟と短い時間交わりをもてた。イタリア語もアルバニア語も全くわからないので手話会衆に参加すれば良かったと思ったものである。そこで今回アテネでは手話会衆に参加することにする。曜日も水曜日でバッチリ。ところがKHに行くが全く手話会衆の兄弟たちが時間になっても見えない。掲示板を見てわかったが、今週は巡回訪問で火曜日が集会であったようである、非常に残念、「今日は集会で会いましょう」という約束はうまく通じていなかった。しかたがないからという訳ではないが、ギリシャ語会衆とアルバニア語会衆が同日に集会を開いていたのでアルバニア語会衆に参加する。実は今回の旅行、地元の言語で参加したのはルーマニアのブカレストだけであり、それ以外は全部外国語会衆に交わったことになる。</p><p>&nbsp; ロサンゼルス、ニューヨーク、パリでコリアン、ブカレストでルーマニア語、モルドバでロシア語、アルバニアでイタリア語、ギリシャでアルバニア語というわけである。</p><p>&nbsp; ここの会衆は日本の1980、1990年代のように子どもが多い。子どもはけっこう自由に動いていて笑ってしまう。</p><p>&nbsp; 集会後、別のフロアのKHにいた若者が積極的に近づいてくれる。そして「Which church are you come from?」と尋ねてくる。🤔うーむ、これはわれわれのことを関心ある人と勘違いしていて、普段は何の宗教をしているのか、という質問なのか？「わたしはJWですよ」と答えると「もちろんわかっています」という返答。「われわれは旅行者なんです」と答えるとようやくわかってくれた。きっと、彼らはcongregationという単語がわからず、苦しまぎれに会衆をchurchといったことがわかった。</p><p>&nbsp; &nbsp;その後、2家族と食事に出かけアルバニア事情を尋ね理解を深めた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12158463380.html</link>
<pubDate>Mon, 09 May 2016 05:37:39 +0900</pubDate>
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<title>アルバニア事情</title>
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<![CDATA[ <p>5月1日 &nbsp;日曜日</p><p>&nbsp;</p><p>コルフ島を出発してフェリーでイグメニッツァに向かう。ここからカランバカに行きたいがシーズンオフかつ今日はギリシャ正教のイースターということもあってかバスがない。カランバカへの途中イオアニナまでならバスがあるらしい。それでも5時間待ち、観念して喫茶店でWi-Fiにつなぎ情報収集。せっかくメテオラ近くのカラバカにホテルを予約しておいたのに無駄になってしまった。当日キャンセルなのでキャンセル料100パーセントは痛い。これが東ヨーロッパならまだしも物価がやや高いギリシャの観光地、7000円は大きい。仕方なくイオアニナまで行って宿泊。</p><p>&nbsp;</p><p>ここで少しアルバニア事情</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; アルバニアはついこの前まで、正確に1992年までは鎖国していた。第二次世界大戦以降からある程度 鎖国状態になり、1978年には完全鎖国で完全自給自足に入ったというから50年近い。それがアルバニアをして秘境たらしめているのであるかもしれないが。当時の生活を聞いてみた。電化製品一切なし、一般家庭に自動車なし、バスは少し？鉄道はわずかな路線あり、自動車は警察と病院などはあり。あらゆる宗教禁止、マルクス、エンゲルスの唱えた「宗教は人民のアヘン」を唱導する。 音楽、娯楽にまで規制がかけられる。反体制的な発言はもちろんご法度、いきおい人と自分の意見を語るのに慎重になる。鎖国解禁後もJWが尋ねても人々は長年の習慣から自分の意見を語ろうとしなかったという。1992年に鎖国解禁時はJWはわずか30人くらいしかいなかった。それがいまや5000人、JW率は0．16パーセント、ほぼ日本並みの割合である。ほとんどの人はJW歴20年以内の比較的に新しい人と思われる。故人だが一人のアレティという姉妹は1928年にJWになり鎖国解禁までの数十年を一人で宣べ伝えという。まわりからはボケたおばあさん呼ばわりされても聖書片手に宣べ伝え続ける。何と144000人の1人というからすごい。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>5月2日 月曜日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp; 早朝、メテオラに 向かう。世界遺産で巨岩の上に修道院がそびえ立つ。圧巻の光景、14世紀に迫害を逃れて移り住んだ僧侶の住居であるが、当初は階段すらなかったという。いったいどうやって建築資材を運び上げたのか、不思議でしかたない。オートバイを借りて周るがけっこう降雨が激しくなりあえなく見学中断、明日続きを見ることにする。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12156827040.html</link>
<pubDate>Wed, 04 May 2016 14:31:43 +0900</pubDate>
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<title>アルバニアからギリシャへ まさかの入国拒否⁉️</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; 4月28日 木曜日</p><p>&nbsp; 今日はジロカストラに向かう。今日の宿は久しぶりにairbnb。ホテルより高いが、設備がいいし、ちょっと現地人と交流がしたいのでairbnbにした。宿の奥さんと話するが、愛国心が強いことがよくわかる。ユーゴスラビアが崩壊して６つの国になったが、この辺りは、ヨーロッパの火薬庫、なかなか まとまらない。なかなかまとまらないのは宗教の違いも含め行き過ぎた国家主義が原因であると思われる。</p><p>&nbsp;</p><p>4月29日 &nbsp;金曜日</p><p>&nbsp;朝から奇跡の清流ブルーアイを経由してサランダへ、サランダは美しい海岸線街で目の前にはギリシャのコルフ島が広がる。ブルーアイは中国 の九寨溝、クロアチアのプリトヴィッツェのようなコバルトブルーの清流、世界遺産に なっていないのが不思議なくらい。</p><p>&nbsp;</p><p>4月30日 土曜日</p><p>&nbsp;昼過ぎに目の前のギリシャのコルフ島に向かう。ギリシャで最も美しいと言われている島である。ここで入国の際、予想外の事が起こる。貴順のパスポートでは 入国無理という。そんなバカな、これまでアルバニア、マケドニア、モルドバという難しいと思われる国でさえ入国できてギリシャがダメ？正直焦る、もしかしたら、これまでギリシャと仲悪い国のスタンプを押されていることが問題なのか、しかし心配も五分で済んだ。入国審査官はKOREAの北か南かを聞いてきた。北であるわけないやろと思う。そんなことは常識ではないのか？北朝鮮人が観光旅行できると本気で思っているのか、ともかく南KOREAとわかるとすぐにとおしてくれた、やれやれ。この島はレンタカーではなくレンタルバイクで回る。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12156825272.html</link>
<pubDate>Wed, 04 May 2016 14:25:25 +0900</pubDate>
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<title>コソヴォからアルバニアへ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>4月26日 &nbsp;火曜日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;朝からまたアルバニア国境まで乗馬する予定だったが4月末というのに、降雪で無理とのこと。明日まで待つかかなり迷ったものの、このBLOD、5分もあれば周囲をグルッと周れる、過疎化の村。人口800人とはいえ周辺部も含めた話で中心部は100軒程度しか家もない思われる。そんなところで美しい景色だけで1日過ごすのも耐えられないので、ここを後にしてプリズレンに向かう。ここもかつての城塞都市、リアル「物見塔」が存在する。この辺りは各都市ごとに「物見塔」があり、やはり外敵の侵入から都市を 守ることは最重要なことであっただろうと思われる。ここでコソヴォ入りして初めて日本人2人組婦人にお会いする。話を聞くと修道院を泊り歩いているらしい。おそらくカトリックの方でご本人は巡礼の旅の感覚ではないかと思われる。</p><p>&nbsp;&nbsp;</p><p>4月27日 水曜日</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;プリズレンを出発する。ここのホテルで働いている24歳の男性に何気なく話しかけると彼はベネズエラ出身という。彼ならスペイン語のJW動画見せて証言しようと思うが、Wi-Fiが遅すぎてダウンロードが進まない。でもベネズエラはJW率0.5パーセントのJW先進国。証言すると当然よくJWのことは知っている。それもそのはず、彼の姉はJWで、彼も時々誘われてKHに行ったこともあるらしい。今はベネズエラは大変なことになっていて治安の悪化は尋常ではなく白昼強盗も当たり前、スーパーインフレにより経済が麻痺して、外貨にして一カ月 10ユーロしか稼げないらしい。</p><p>&nbsp; プリズレンを出発して3時間でアルバニアの首都ティラナに着く。歴史博物館に行くとアルバニアがいかに列強の喰いものにされてきたかがよくわかる。この国1992年までは鎖国をしていた。鎖国が解かれるまで、人々はピザ、バナナさえ知らないほどの状態だったらしい。もちろん車なんて病院か警察くらいしか乗れなかったという。</p><p>&nbsp; この日は集会に行くがイタリア語だった。もちろんアルバニア語でもイタリア語でもどっちもわからないのでどっちでもいいのだが。アルバニアはイタリアに近いのでここティラナで2万人のイタリア人がいるという。アルバニア自体は日本と同じようなJW率。まあまあ普通に知られている。成員は30人くらいしかいなかった。</p><p>&nbsp;&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 06:26:52 +0900</pubDate>
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<title>桃源郷 続き</title>
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<![CDATA[ <p>ここでは自家製のヨーグルトを飲み、自家製のチーズを食べた。この辺りの 農家は手絞りで搾乳して、それをそのままヨーグルトにする。果たしてやや生臭い濃厚な味わい。コソヴォに来て生のホンモノのヨーグルトを飲めてよかった。&nbsp;</p><p>&nbsp; さてここの桃源郷、観光客は少し先にあるホテルには多少くるだろうが、それもおそらく国内組が多いと思われる。村人は観光客からボッタクリしようという発想が皆無で、むしろ申し訳ないくらい安い。散髪など200円で同じコソヴォの都市部よりもぐっとやすいだろう。そもそも観光客なんてほとんど来ないし、ムスリム100パーセントなんで彼らは基本的に旅人に優しいのである。コーランにも旅人には親切にせよ、という教えがあるらしい。このような外界から切り離された陸の孤島では基本的に自給自足であまり金はいらないと言える。ただ逆説的だが金の持つ意味はおおきい。仕事がないだけに金を得る機会も極端に少ない。でもやはり生活する上でのこまごました日用品を買う必要はあるし、当然光熱費、携帯代も発生する。おもしろい体験ができてコソヴォに来てよかった。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 06:21:36 +0900</pubDate>
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<title>アップロード出来ない！！</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160425/21/muratakeisuke1/53/92/j/o0800060013629128222.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160425/21/muratakeisuke1/53/92/j/o0800060013629128222.jpg" width="420" height="315" alt=""></a></p><p>&nbsp;</p><p>Wi-Fiが遅すぎて写真をなかなかアップできません。Wi-Fi速いところに行ったらまとめてアップします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12153947887.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Apr 2016 21:53:40 +0900</pubDate>
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<title>コソヴォの桃源郷</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;4月25日 日曜日</p><p>&nbsp;朝から乗馬、この辺りは話を聞くと100パーセント ムスリムでかつ民族的には少数民族のエリアらしい。ここコソヴォは国全体で見るとセルビア正教会が多数派でムスリムは少数派だが、ここではモスクもありイスラム色が濃い。JW率0.01パーセント、200人ちょっとしかいない。イスラムのエリアではうかつに証言しないようにしよう。</p><p>&nbsp; &nbsp;ここBLODは桃源郷のようなところだが、過疎化 問題はどこも、共通しているようだ。子供たちと年寄りが多い。床屋さんは村に一軒しかない。雑貨屋さんも一軒、バーや喫茶店は数軒ある。エルディンという男が今日は馬を出してくれたが、はっきり言って彼は馬を引いてちんたら歩くので、面白くない。速足と言わないまでもある程度、走らせたい。ここで彼は牛と馬を飼っているが、41歳でそれ以外副業もしてないので 貧しく、現金収入はありがたいとのこと。携帯 もパソコン も持っていない完全なアナログ人間。ちなみにこんな桃源郷でもWi-Fiは喫茶店に入るとある程度使える。ただし、ADSL なのか遅すぎるところも多い。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12153945382.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Apr 2016 21:47:36 +0900</pubDate>
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<title>コソヴォへ</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp; &nbsp;4月24日 日曜日 &nbsp;&nbsp;</p><p>&nbsp; &nbsp; さてヨーロッパというとユーロ、でもここ東欧は通貨が国ごとほぼ違う。これまでフランス以外はアイスランド、トルコ、ルーマニア、ブルガリア、モルドバ、ブルガリア、マケドニアときたが全部、自国通貨。その度に小銭が余り、いろんな国の通貨がジャラジャラしてきた。紙幣は隣国で再両替するもののレートが落ちてくるのでなるべく使い切りたいが、最後のバス代が読めず、どうしても余りがでる。コソボ、アルバニアあたりになるとバス、列車などの情報は皆無でブログ情報に頼るしかないがブログ情報自体がそもそも少なく、古い情報もあり結局、行って見ないとわからない。</p><p>&nbsp; &nbsp; 朝からスコピエを出発してコソヴォの首都プリシュティーナに向かう。陸路国境越えは控えるようにとの一応の指示はあるものの、楽観視ししていた。実際荷物チェックもなく賄賂の要求もなく簡単にスルーできた。そのまま首都はスルーしてプリズレンに向かう。実は今回のような旅をしているうちに無性に田舎に行って見たくなった。ウルルン滞在記のように。そんな話をしているうちに貴順が、ブログでBRODという村を見つける。ガイドブックには載っていない秘境、そもそもコソヴォ自体が観光に訪れる外国人が少ない。なんでもプリズレンから60キロもあり、もちろん一切の公共交通機関はないようである。プリズレンでタクシー運転手に尋ねてみるがやはり50ユーロ程度という。まあ高くないもののここコソヴォでは大金。諦めて一晩 プリズレンで泊まり知恵を絞ろうと思っていた矢先、メルセデスタクシーが声をかけてきた。20ユーロで60キロも行ってくれるという。渡りに船とばかり、即決。途中で崖っぷちの道を猛スピードで走りながら、1時間ほど走ったブロッド村。村の人口は20年前までは 3000人程度いたが過疎化が加速し今は800人とのこと、見た感じ、自給自足の生活風景、運転手によるとホテルはさらに奥に4キロ進み一軒しかないとのこと。どうしようか迷う。そこまでいくとさらに5ユーロ追加という。実はこの小さな村、交渉すれば25ユーロくらいで泊めてくれる民家がありそう。われわれの旅行はリアル ウルルン滞在記、頼めば何とかなると思う。少し前に日本で「田舎に泊まろう」という番組があった。ヤラセなしのガチンコ番組と思われる。10軒目くらいでしぶしぶ泊めてくれる民家が見つかるという番組であった。貴順に言わせると韓国の田舎だと一軒目から泊めてくれるだろうという。それはそうと思う。ここはコソヴォ、人情厚い旧ユーゴスラビア、きっと頼めば一軒くらい泊めてくれそうな気配がする。でも返事をためらっているうちにホテルに着く。まさに桃源郷の世界、秘境中の秘境。でもホテルは山小屋チックではばく案外近代的なホテルである。聞くと20ユーロとのこと。せっかく秘境まで来たのでブログにあるように乗馬もしたいが残念ながら、そのアクティビティは 今スルーしてきたBLOD村に行かないとないとのこと、すると近くでわれわれの会話を聞いていた首都プリシュティーナから来ていた紳士が、乗馬ができるか聞いてくれるという。</p><p>&nbsp; すぐに電話してくれてBLOD村の民泊の世話までしてくれる。願ったり叶ったりで助かる。馬の世話もしてくれた。すべてうまくいき嬉しい。村にいくとアジア人が珍しいのか子供たちが遠巻きに眺めてくる。ここで小道具を使ってマジックを披露すると受けまくって、あっという間に子供たちに取り囲まれる。そしてそこら中に、「おもしろいアジア人が来た」（推測、ここでは英語はまず無理、アルバニア語かセルビア語、たまにイタリア語が通じる）と触れ回る。しばらく子供たちと卓球したり、トランプ手品したりして遊ぶがキリがないので宿に戻るがWi-Fiがない。Wi-Fi求めて、 ビール飲むのも兼ねて、バーに繰り出す。そこでは男たちが飲みに来ていてわれわれに興味津々、オーナーもタダ酒を振舞ってくれるが、明日はガッツリ乗馬、そこそこにする。</p>
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<link>https://ameblo.jp/muratakeisuke1/entry-12153944683.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Apr 2016 21:45:51 +0900</pubDate>
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