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<title>百田 昭伸のブログ</title>
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<title>チキンフィレサンド</title>
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<![CDATA[ <p>　土曜日の１日バイトの翌日、日曜日。寝る前に、朝８時には起きて洗濯や掃除を済ませると意気込んでいたものの、アラームなんかそっちのけで結局１１半まで眠ってしまった。もはや、いつも通り過ぎて「でしょーね」と起きた瞬間に言ったほどだ。さて、前日の計画は全て頓挫したわけで、どうしたものか。「そういえば、最近体を動かしてないから偶には自転車でどこか行くか！」と一念発起して、自転車で30分ぐらいかかるショッピングモールに行って、昼ご飯を食べることにした。何を食べてやろうかとワクワクしながらショッピングモールに入っている飲食店を眺めていると、ケンタッキーが目に入った。「そうだ！バナナマンさんがCMで食べてたチキンフィレサンドを食べよう！」。という事で、だいたい15分くらいで計画を立てた。そもそも、近所のショッピングモールに行くごときでいちいち細かく計画を立てすぎだろ、と思うだろう。私も思う。出来る事なら、流れに身を任せて行き当たりばったりで行きたい。しかし、何事もしっかりと下調べをして、いざという時に恥をかきたくない性分なのでしょうがない。</p><p>&nbsp;</p><p>　自転車で30分はこの季節ではぎりぎりであった。もう少し、距離が長いか8月に近かったら、ショッピングモールには近寄りがたい、汗だくだく妖怪に様変わりしていただろう。無事ショッピングモールに着いたものの、１つ忘れていた事があった。それは日曜日だという事だ。どこも家族ずれでごった返していて、フードコートは１席も座る余地が無かった。どうしようかと思い、近くの違うケンタッキーを調べてみると、なんと800ｍ先くらいにもう一店舗あったのだ。チキンフィレサンドに取りつかれている私はもちろん、自転車のハンドルを800ｍ先へと向けた。</p><p>&nbsp;</p><p>　こちらのケンタッキーはすいていた。「それ見た事か！」と心の中で吐き捨てて、私は意気揚々とチキンフィレサンドのランチセットを注文した。思い返してみると、ケンタッキーのサンドは和風チキンカツサンドしか食べたことが無く、チキンフィレサンドは初体験だった。さて、一口。うん、チキンがジューシーでスパイスも効いてて美味い！正直、なぜ今まで食べてこなかったんだろう、と後悔するほどであった。もっと味わいたいところではあったが、40分後には雨が降る予報だったので急いで食べてとんずらしてきた。これだけで満足な一日を過ごせたと思うあたり、私はちょろいなと思った。</p><p>&nbsp;</p><p>p.s. 道中で少年野球チームが練習しているのを見た時に、ふと小学生の頃、野球の１日練習の時の間の昼食休憩が嫌いというか苦手だったのを思い出した。なぜ、苦手だったのか考えて一応、「激しい運動をした後なので食欲が無く、汗もうっすらかいていたので気持ち悪かった。加えて、食べた後も練習があるというプレッシャーから食事どころでは無かった。」という答えは出た。ただ、完全に納得したわけではない。あの嫌悪感はどこからしょうじていたのだろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mvp-hoketsu/entry-12686096339.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jul 2021 00:22:40 +0900</pubDate>
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<title>夜は短し歩けよ乙女</title>
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<![CDATA[ <p>　6月16日、新国立劇場で「夜は短し歩けよ乙女」の舞台を観劇した。この作品は、私が崇拝する森見登美彦先生の出世作である。記憶は朧気だが、確か森見登美彦先生の名前を認識する前から、その奇怪なタイトルに心を奪われこの作品を読んだ記憶がある。そして、同じ文句を繰り返したり、巧みなデジャブの扱い方に感動して、四畳半シリーズに傾倒していった。そんな作品を今回、ヨーロッパ企画の天才、上田氏によって舞台化すると聞いた時はまさしく心が踊った。</p><p>&nbsp;</p><p>　当日までにしっかりと読み返して復習して行ったが、これが大正解だった。小説版との違いを発見する喜びはひとしおだ。例えば、先輩が文化祭の作戦を練るのに、四畳半の世界から図書館警察が引用されていたり、同じく文化祭でパンツ番長と結ばれる相手が異なったりと、ただ小説をなぞるだけでなく、舞台ならではの演出を見せつけるという上田さんの気概がひしひしと伝わってきた。また、登場人物の容姿や三階建て電車の外観など、自分の想像との乖離を楽しむのもまた一興であった。なにも、全部自分の思った通りで無くて良い。自分が読み取った以外の解釈法がある事を知るのが何よりも楽しいのである。</p><p>&nbsp;</p><p>　舞台というものは初めて見たが（正確に言えば学校で見たことはあるが、自分から進んでみたわけではないのでノーカンとする）、役者さんたちの本気というものを全身で浴びて、少し打ちひしがれた思いがした。腹の底からの声、役が憑依したような顔つき、セリフも自分の心からの思いとして発され、この舞台にかける思いで溢れていた。何事も中途半端に、及第点を目指して適当に物事をこなしている自分が恥ずかしくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>　素晴らしきこの舞台は、3時間という本来であれば長丁場であるにもかかわらず、体感は1時間強ぐらいに感じた。それくらい、その世界観に引き込まれていた。誰かが、本気で馬鹿をやれ、といったようにこの舞台は全員が全力で馬鹿をやっていた。だからこそ、締まる部分はよりしまったものになり極上のスイーツのような味わい深いものになっているのだと思う。人生の糧になるような本当に素晴らしい舞台であった。この後の日程も無事、消化されることを祈るばかりである。なむなむ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mvp-hoketsu/entry-12682216844.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Jun 2021 23:18:47 +0900</pubDate>
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<title>鳥獣戯画展</title>
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<![CDATA[ <p>　6月14日、上野の東京国立博物館で開催されている『国宝　鳥獣戯画のすべて』を観覧してきた。鳥獣戯画は、小学校だか中学校だかの国語の授業で少し習った記憶はあるが、例の蛙と兎が戯れている画しか思い浮かばないほどの乏しき知識量であった。だからこそ、詳しく知れるとワクワクしていた。何事も新たに知識を吸収するのは楽しい。（勉強以外は、、、）</p><p>&nbsp;</p><p>　中に入るとまずは、甲巻のレプリカが出迎えてくれた。そうそう、観覧する前に軽く調べたのだが、鳥獣戯画は全部で4巻あって、それぞれ甲巻、乙巻、丙巻、丁巻と言うらしい。甲巻は、名前を言われたら誰でも即座に思い浮かぶ、いわゆる鳥獣戯画であった。詳しく見ると、意外と蛙と兎以外にも猿や狐、猫、鼠が描かれていた。次に進むと、本物の甲巻を動く歩道に乗って見られるエリアになった。この動く歩道は今回のためだけに設置したらしい。甲巻は、蛙と兎が水浴びをしている場面から始まり、的当てや猪狩り、相撲などをする動物たちがあたかも人間のように生き生きと描かれていた。展示の説明にあったのだが、なんと前半と後半では作者が異なるらしい。確かによく見ると、途中で紙質が変わっていたり、兎の背中の線が、前半は太く力強かったのに対して、後半は若干線が細く繊細に描かれているのが窺えた。</p><p>&nbsp;</p><p>　甲巻が終わると次は、乙巻が展示されていた。乙巻は、前半が日本にいる様々な動物を図鑑のごとく書き並べたもので、後半は日本にはいない動物や架空の動物が想像で描かれていて、これもまた前後半で異なる人物が描いたらしい。乙巻の印象は、鳥や虎などの毛並みがある動物が比較的多く描かれていて、あたかも作者の水墨画の技術を見せつけるようで、上手いのだが、なんだか憎たらしい気色になった。</p><p>&nbsp;</p><p>　丙巻には、なんと人間が描かれていた。てっきり鳥獣戯画なんていうのだから、鳥や獣などの動物だけが描かれているものだと思っていたので仰天した。ただ、丙巻や丁巻を見る列は他と比べて少なかった。疑問に思いながら丙巻を見るとなるほど、人物画も上手で場面も面白いのだが、背景も無く全体的に動きに乏しいため見る足が自然と速くなった。</p><p>&nbsp;</p><p>　ここで、なぜ甲巻だけがあんなに有名なのかが疑問に上がった。自分なりに思索して算出した結論は、第一に動物が人間らしく描かれていてとてもユーモラスなことだ。やはり、せっかく芸術作品を見るのだからその中でも汚らしい人間を見るのは苦痛なのだろう。第二に甲巻以外は、背景が描かれずに対象の動物や人間だけが描かれていることだ。背景が無いせいで全体的に寂しく見える。また、背景が無い分、背景に逃げることなく描かれている対象物に集中することが強要されていることも理由のひとつに思えた。最後に、甲巻は、それとなく場面転換があって、物語を創造できることだ。「蛙と兎で協力して猪を捕らえて、和尚さんである猿にお供えした。しかし、その後で報酬の分け前で口論になり、相撲で決着をつけることになり、、、」など見る人それぞれが思い思いに自分だけの鳥獣戯画物語を創作できる。そんな楽しみ方も出来るからこそ、他よりも人口に膾炙されているのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>　したがって、丁巻は語るに足らないので概要の説明だけにする。丁巻は、人間が主体として耳相撲や将棋をする姿が描かれていて、おおらかな筆致に見えながら速いスピードで的確に筆を走らせ、他の3巻より作者の技量の高さが窺える。らしい。</p><p>&nbsp;</p><p>　以上が第一会場で、第二会場では権力者が作らせた鳥獣戯画の一部を切り取った掛け軸が飾っており、実は甲巻には失われた場面がある事が示唆されていた。第三会場では、長らく鳥獣戯画を所蔵している京都の高山寺の特集、特に開山者の明恵上人についての展示であった。ここまで語りすぎたのであまり語らないつもりだが、心に一番残ったことをひとつだけ。『華厳宗祖師絵伝　元暁絵』である。この作品は、元暁の妃が病に倒れ、王の使いが竜宮から薬を持ち帰る様子を描いている。その中で、巻物を敵に見つかることなく持ち帰るために脛を割って、中に巻物を隠すという描写があった。きっとフィクションだからこそ、どういう思考をしたらその考えに至るのか分からず昔の人の野蛮さを思い知った。</p><p>&nbsp;</p><p>　鳥獣戯画という誰もが聞いたことがあるのに、意外と誰も詳細を知らないものを知れたことはきっと今後の人生の財産になる。やはり、私くらいの年頃からこういう文化に触れることは大事なのだと身に染みて感じた。心残りはポストカードの一枚や二枚、買っておくべきだったという事だ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mvp-hoketsu/entry-12680863976.html</link>
<pubDate>Wed, 16 Jun 2021 01:38:24 +0900</pubDate>
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<title>ミーグリ</title>
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<![CDATA[ <p>　6月6日の日曜日に日向坂のミートアンドグリートがあった。乃木坂の握手会は何度も行った事があって正直余裕だが、日向坂は初めてで、しかも、オンラインでの開催という事でわき汗垂れる思いだった。現実逃避のためか、14時にバイトが終わるまで、一切話す内容を考えていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>第4部の時間になった。この部は、かとしが1枚、KAWADAさんが1枚、おみくが2枚という構成だった。1推しは絶対に死券に出来ないという思いから、最初はかとしから行くことにした。待ち人数86人、待ち時間は35分。待ちが何分かも分からない握手会よりは、心の準備が出来るので良いシステムだが、緊張から待ち時間のカウントダウンが死へのカウントダウンにも思えてしまった。自分の番が来た！３，２，１で、かとしが映る。たぶん薄緑の服を着ていたと思う。手を震わせながら必死で「ヒット祈願のバク転、感動したよ！」と言おうとした刹那、少々のラグがあって、かとしが「レコメンリスナーですか？」と聞いてきた。この段階で、画面の右上には『もうすぐ終了のお時間です』の文字。必死に「そうです」とだけ答えてフェードアウト。ミーグリの筆おろしはあえなく失敗に終わった。もちろん、かとしが「レコメンリスナーですか？」と聞いてきたのは、がちがちに緊張している僕を見て優しさで、かとしの方から話しかけて来てくれたのだと分かる。だからこそ、そんな情けない自分が嫌になった。</p><p>　でも、落ち込んでいる暇は無い。ぼやぼやしていると受付時間が終了してしまう。次はKAWADAさんの所に並んだ。待ち人数50人、待ち時間は23分。さっきのでメンタルが崩れた僕は、超初歩的な「釣って下さい」と言う事にした。卑怯だが成功率100％、可愛い率100億％の常套手段でメンタルを持ち直すのだ。自分の番が来て、３，２，１。すると画面に映ったのはKAWADAさんの目から上の頭部。ちょうど、彼女が自撮りをする時によくする、目の上だけショットと同じ構図だった。思わずそこでキュン。続けて、「〇〇さんだ～い好き」と言われて、キュンキュン。耳とろ～ん。1枚という事で、「可愛い～」と言いながらちょうど良い時間でフェードアウト。大満足でKAWADAさんを終えた。</p><p>　ひとまずKAWADAさんの可愛さに酔いしれたいところではあったが、再三言うように受付時間が終了してしまうため、おみくの所に並んだ。待ち人数56人、待ち時間は26分。もう「釣って」などという姑息な手段は使うまいと思い、必死でスマホで話題探しをした。すると、Twitterで初ガツオを言ってもらった、というレポが見つかった。よしこれだ！と思った僕は初ガツオという武器を大事に抱えながら順番を待った。自分の番が来て、３，２，１。黒っぽい服を着たおみくが映った。すかさず「初ガツオ下さい。」と言った。ここら辺になると少しはなれたものだ。おみくは後ろを向いて、振り返りながら「初ガツオ」と色っぽい声で言った。女王様に対するブタのように「ありがとうございます。」というも、まだ時間が余っていた。どうしようと思っていると、彼女の髪の毛を止めている星形のヘアピンが目に留まった。咄嗟に「頭のその星、可愛いですね」と言った。おそらくこの上なく気持ち悪い言い方だっただろう。生まれてこの方、女子のヘアピンなど褒めたこともないのだから。中学生ぐらいのややイージーな頃にやっておくべきだった。でも、彼女は少し嬉しそうに声のトーンを上げて「そう！かわいいでしょ！」と言ってくれた。生き生きと話す彼女を見て謎の達成感を覚えたとともに、心が満たされに満たされまくっておみくを終えた。</p><p>&nbsp;</p><p>　第5部はおみくの2枚のみだった。正直ここまでくれば自信満々。かかってこい、という心持ちだった。話す内容もすぐに決めた。先日発売された、おみくが表紙を飾ったBUBUKAについてだ。ただ、買ってから約5日、忙殺の日々で一読もしていなかったので、待ち列に並んでいる間に読むことにした。これぞ玄人だけが成しえる技！という事で、おみくの所に並んだ。部の始めという事も相まって待ち人数83人、待ち時間は32分だった。BUBUKAを読みながらの待ちはあっという間だった。自分の番が来て、３，２，１。おみくが映る。BUBUKAの表紙を見せて「BUBUKA買ったよ」と報告。続けて、お気に入りの写真を見せる。しかし、これが冷や汗もんだった。内カメになっていたため動きが左右反対になっていたのだ。焦りながらも、なんとかおみくがポストの前でサンバルカンよろしく、左手と右足を水平にしているページを見せた。すると、おみくは笑いながら「これね。私、すごい恰好してるでしょ。」と言ってくれた。時間はあと少し。「おみくらしくて好きだよ。」と言いながらフェードアウト。最後の言葉が彼女に届いたかは分からないけど、笑顔になってくれただけで十分だった。</p><p>&nbsp;</p><p>　初めてのミーグリは多少の失敗はあったものの、全体的に見て大勝利と言って良いだろう。次回は6月27日の日曜日。この日は全員2枚づつなので、ミーグリの達人である僕なら大丈夫だろう。あぁ、27日が待ち遠しい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/mvp-hoketsu/entry-12679286060.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jun 2021 00:51:06 +0900</pubDate>
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<title>本当の自分</title>
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<![CDATA[ 　人生生きていると時々、「自分」というものが分からなくなる。「今、本当に自分は本当に嬉しいと思って喜んでいるのか？ただただ、周りに置いてけぼりにされないために喜んでいるだけなのでは？」と。今の感情が本当に自分から生まれてきた物なのか不安になるのである。<br><br>　例えば、小学生の頃よくお母さんに野球を観に連れて行ってもらっていたのが、応援しているチームに点が入った時、喜んでいる間に自分で自分に「やったー！」と言い聞かせている気がするようになった。何となく雰囲気に飲まれているだけなのだ。この傾向は、学年が上がるごとに強くなっていった。<br><br>　中学生の頃は、3年生の時に野球部のキャプテンをやったり体育委員長として体育祭で生徒宣誓をしたりと、クラスの中でも中心的な存在だった気がしていた。しかし、高校に上がると同時にそれは幻であったことに気がついた。正確には、それは本当の自分ではなかったということに気が付いたのだ。初対面の人と何を話せばいいのか分からない。どう話しかければいいのかすら分からない。そうしてあっという間にクラスの友人関係構成において行かれ、クラスで1人となった。入学当初、「友達いっぱい作って楽しい高校生活を送ってやる！」と息巻いていた僕は、あっさりと敗北してしまったのである。<br><br>　これが本当の自分なのかは分からないが、少なくとも中学生の頃の自分は自分じゃない。中学生の頃は小学生の頃からメンバーがあまり変わらず、僕を持ち上げてくれる良い仲間が多かったからあんな生活を送れていただけなのだ。言うなれば、サッカーのPKだけを蹴らせて貰っている状態。<br><br>　こんな環境で小中と9年間も過ごしたのだから、自分で自分を模索する術を知らない。もっとも、本当の自分を知らないのだから、術を知っていたところで辿り着けるとは到底思わないが。<br><br>　これからの人生を勘定するとまだまだ折り返し地点にすら届いていない。本当の自分を持っていない自分にとってはとても恐ろしい事実だ。死ぬ前には本当の自分に辿り着けるのだろうか？もしかしたら死ぬ、その瞬間、本当の自分に出会えるのかもしれない。しかし、こう考えると、人生生きるのが少しは楽に思える気もする。だって、本当の自分は生きている間には見つけられないから、「辿り着けない」と苦しむ必要も無いから。
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<link>https://ameblo.jp/mvp-hoketsu/entry-12607801310.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jun 2020 04:07:00 +0900</pubDate>
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<title>涙が枯れた日</title>
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<![CDATA[ 幼い頃は泣き虫だった。親にちょっと注意されたり、欲しい物を買って貰えないだけで泣きじゃくっていた。<br><br>そんな中、小学校3年生で地元の野球チームに入った。甲子園で見た、あの眩しいほど輝くプロ野球選手に心を打たれたからである。そして、強く思った。「あんな風に活躍したい！あんな風に強くなりたい！」と。<br><br>しかし、期待とは裏腹にこの性格はさらに悪化していった。ノックでエラーしたりピッチャーで四球を出す度に泣いたりと、意思とは反して涙が止めどなくこぼれ落ちた。<br><br>だが、転機は小学校4年生の時に訪れた。同じチームの女の子が同級生に僕を揶揄するようにこう言ったのである。「昭伸くんってこう見えて野球の練習中はいつも泣いてるんやで」と。チームメイトの辛辣なその言葉を聞いた瞬間、僕の身体から涙が蒸発し消え失せた。<br><br>以来、野球の練習中は勿論、卒業式や感動VTRを観ても感情に涙が伴わなくなった。<br><br>これからも、感動し「涙が出そう！」と思う度に脳内にあの、蔑むような目をした彼女が現れ、残虐な一言を言い残し去っていくだろうな。<br>あぁ、一度でいいからダムが決壊するくらい泣いてみたい。
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<link>https://ameblo.jp/mvp-hoketsu/entry-12459365645.html</link>
<pubDate>Mon, 06 May 2019 14:44:00 +0900</pubDate>
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