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<title>みょむしの哲学的な解説</title>
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<description>哲学や文学や映画などのことを書きます。僕はヨーロッパ人だから、日本語でうまく話せません。</description>
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<title>転生について話そう</title>
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<![CDATA[ 仏教は無我（「自我」が無い）を教えるが、釈迦は輪廻を教えた。「自我」が無ければ、僕はどうやって転生するのか？<br>その答えは「『業』のせい」だ。サンスクリットで、業の翻訳は”Karma”だ（パーリ語で、上座部仏教の言語、”Kamma”です）。”Karma”とは行為です。”Karma”すると、行為する。因果のせいで、何かをしたら、何かが起こる。例えば、落ちたら、怪我をする。因果は法律と同じだね。ボールを投げたら、ボールは移動する。不可避 だ。論理学によると、すべての行為は結果がある。（結果が一つも無い行為を想像出来る？）<br>残念ですが、人は時々死亡する。死亡の結果は何か？もちろん、友達は悲しむけど、「僕」が影響を及ぼす結果は何か。？釈迦にとって、僕は新しい人になる。輪廻だ。それはなぜか。<br>その答えは「『縁起』のせい」だ。（縁起について僕はこの記事の中で「転生」のことだけを話す。だから、縁起の他のアスペクトを読みたければ、ウィキペディアの記事が良いと思う。僕は日本語が下手だから、縁起について全てを書けない）前世で人は因果と法を知らなかったら、「業」をした。業をしたから、結果がある。結果が起こるために、良心が必要だ。だから、死亡した後で、新しい良心と体をもらう。前世が悪ければ、動物か幽霊になり地獄へ行き、良ければ人か神になる。その後、もう一度死亡すると新しい体がもらえる。<br>でも、新しい体をもらう事は良いだろうか。いや、仏教徒にとっては良くない。理由は命が苦だからだ。僕たちの友人は死亡し、花は腐敗し、力をなくし、老いる。それから苦がある。もちろん、苦を止めるのは良い事だ。だから、仏教徒は業で苦を止めたい。どうやって？釈迦にとって、欲求があるから、行為をする。だから、業を止めるためには欲求に答えてはならない。業をしなければ、輪廻を止めることができる。
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<link>https://ameblo.jp/myomushi/entry-12091353409.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Nov 2015 11:03:52 +0900</pubDate>
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<title>儒学について書こう。</title>
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<![CDATA[ 生きていたが、病気だったので、記事は二か月間で一つも書けなかった。<br>それでも、僕は今日、新しく明るいテーマの記事を書きたい。例えば、孔子についての記事を書くのが良いでしょう。家族と国の間で、何が一番大事ですか？<br><br>孔子曰く、父親は息子を守り、息子は父親を守る。父親が犯罪をしたら、息子は彼の父親を守らなければならない（論語：13：18）。家族の犯罪を王に報告することは君子のすべきことではない。また、孔子は「忠」より「孝 」の方が大事だとも言う。<br><br>それでも、日本の朱子学(朱子は宋の哲学者で、儒家を新しくした、重要な哲学者だ。)は、少し違った。藤原惺窩は孝よりも忠の方が大事だと思った（簡素化だ）。もちろん、、彼は四書五経を読んだにも関わらず、彼の考えを正当化した。それに、孔子の言葉は率直だが、儒学者の解説は孔子の考えとは時々異なる。古い中国哲学の本を解説するのは難しく、多分僕の解説は間違っている。だから、哲学(欧米とアジアの)をよく知るために、人は勉強しなければならない。私たちが論語か孟子のみを読むと、罰の解説をする。<br>例えば、欧米では多くの人は「道学者は無神論だった」と考える。それは何故か。多くの「道徳経」の英訳は悪く、その中に神はいない。「道」だけがある。「道」は宗教的な概念だが、中国文化をよく知らなければ、それを知ることはできない。それから、老学者の文学の中には多くの神がいる。だから、僕は哲学について話すのが怖い。多分間違えている。でも、多くの中国文化と哲学の本を読んだから、多分心配すべきではない。<br><br>でも、もちろん僕のブログは哲学の論評の場ではない。哲学について基本的な概念だけを説明する<br><br>僕はいつか、いくつかの日本の朱子学についての記事を書きたいが、今日は短い記事を書きたかった。
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<link>https://ameblo.jp/myomushi/entry-12090258423.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Oct 2015 11:58:10 +0900</pubDate>
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<title>芥川龍之介の切支丹物についての感想</title>
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<![CDATA[ 僕は芥川竜之介が大好きだ。だから、面白いけど人気があまりない短編小説について話す。<br><br>「切支丹物」は切支丹についての短編集だ。<br>「切支丹物 」の中で、芥川龍之介はキリスト教と欧米の倫理を風刺する。特に、違った倫理があるので、欧米と日本が交流するのは難しい。例えば：<br>－「糸女覚え書き」の中で、キリスト教徒の細川玉は、彼女の名誉を守るために、自殺した。細川玉は、キリスト教徒が、死後、天国へ行くと考えていたから、自殺するのが怖くなかった。でも、キリスト教の教義によると、自殺した人は地獄へ行く。この場合、話の中で、細川玉はばかげた痛々しい人物だ。<br>－「神々の微笑」の中で、日本の神は司祭と会話する。神は司祭に海外の宗教は日本を変えることは出来ないが、日本は海外の宗教を適合させる。キリスト教の神よりも日本の神の方が強いと言った。<br>－　「おしの」の中で、おしのという女は、彼女の子供の病気を治すことのできる外国人の医者を探しに南蛮寺に行った。そこで、司祭はイエスの命を物語った。最後に、女は笑った。イエスが臆病者だと思った。男は戦わないといけない。彼女にとって、子供が臆病なイエスに助けられるよりも死んだ方がましだ。<br><br>三つの話の中で、「南蛮」の倫理は日本の倫理と衝突する。<br>他の「切支丹物 」の中でも衝突がある。でも、すべての話を説明するのは反復的だと思う。<br>それでも、一つの話は少し違う。<br>「るしえる」という話の中で、芥川龍之介はキリスト教の悪魔についての教義を批判している。スタイルは良いが、僕は話があまり面白くないと思う。
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<link>https://ameblo.jp/myomushi/entry-12068791309.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Sep 2015 23:52:23 +0900</pubDate>
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<title>芥川龍之介の蜘蛛の糸についての感想</title>
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<![CDATA[ 蜘蛛の糸は仏教の話だが、キリスト教のドストエフスキーの「カラマーゾフ兄弟」と関係がある。<br>仏教はキリスト教とは違うが、大乗仏教の概念は時々キリスト教と同じだ。<br><br>何の概念がキリスト教と同じか。<br><br>普通の仏教のゴールは仏になる。例えば、上座部仏教徒は、仏になるのために、お寺に住んで、禅定する。大乗仏教のゴールは少し違う。大乗仏教徒にとって、仏になるのは利己的だ。人は他人が仏になることを手伝わなければならない。したがって、大乗仏教のゴールは菩薩になることだ。全ての人が輪廻から解放されるとき、菩薩は仏になる。<br><br>同様に、キリスト教徒は非キリスト教徒を転換しなければならない：「そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」（マルコによる福音書　16：15）良いキリスト教徒は宣教師だ。<br><br>キリスト教徒も大乗仏教徒も人の心を助けたがっている。それでも、もちろん、大乗仏教徒は、人をどうやって助けるかについて、キリスト教徒と反対する。<br><br>「蜘蛛の糸」は大乗仏教の小説だということが簡単に分かる。カンダタは、他の人を助け<br>ず、大乗仏教の考え方を尊重しなかったから、仏によって罰せられた。<br><br>書き方について、もちろん芥川龍之介は上手な作者だから、蜘蛛の糸を読むのは楽しい。多分小説は短すぎるが、 もっと長いと少し面白いかもしれない。
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<link>https://ameblo.jp/myomushi/entry-12068095833.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Sep 2015 07:16:20 +0900</pubDate>
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<title>寄生獣についての感想</title>
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<![CDATA[ <strong>一 :  ストーリー<br></strong><br>ストーリーは代表的なＳＦ映画のストーリー : 人間を殺す異星人の寄生獣が人々を食べるのために、地球に来ます。しかし、一つの漫画らしい変化があります：一体の異星人が失敗して、主人公の手の中に入りました。だから、あの「ミギー」という異星人は主人公の友人になり、主人公の人間性を守るのを手伝います。<br>ストーリーは独創的ではないけど、悪くないし少し面白いと思います。（でも、実は僕はＳＦ映画のファンではありません。）<br><br><strong>二 : 俳優<br></strong><br>－　染谷将太：僕は染谷将太を、すごく面白いドラマの「みんな！エスパーだよ！」で初めて見ました。彼の演技は良かったです。彼は驚く高校生を上手く演じていました。<br>－　深津絵里：彼女の演技は悪くありませんでした。時々彼女の演技はやる気のないように見えました(多分異星人の役だから)。<br>－　橋本愛：彼女はあまり話さないので、僕は彼女の演じ方が上手いか下手か分かりません。しかし、「桐島、部活やめるってよ」の時の橋本愛は上手だったので、きっと彼女の演技は良かったのでしょう。<br><br>他の俳優の演技は大丈夫だと思います。<br><br><strong>三：テンポ<br></strong><br>映画のテンポには少し問題があると思います。劇中、登場人物は話し続け、アクションがあまりありません。だから、僕は時々退屈しました。<br><br><strong>四：結論<br></strong><br>僕にとって、寄生獣は良くも悪くもないです。多分テンポは少し遅いけど、全体的に面白いです。ただ、今のところこの映画をもう一度見たいとは思いません。寄生獣 完結編のテンポはもっと良くなることを願います！
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<link>https://ameblo.jp/myomushi/entry-12061582137.html</link>
<pubDate>Fri, 14 Aug 2015 08:58:40 +0900</pubDate>
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