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<title>好きなものをできるだけ</title>
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<description>好きなものについて好きなだけ好きなように書いてます。非常に気まぐれ。</description>
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<title>約束ってこういうことか</title>
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<![CDATA[ <div>舞台「かむやらい」お疲れ様でした。</div><div><br></div><div>今まで気にもとめなかったことに気づかされた話を少ししようかなと思います。</div><div>またもや自分語り。</div><div><br></div><div>それは初日のロビーでの出来事。</div><div>本公演の円盤予約ができると、物販コーナーの隣に貼り紙がされていた。</div><div>なんと、3500円！(昨今の物価高にも関わらず、こんなに破格というか価格が崩壊しているのではないかと目を疑うような金額)。</div><div>初日はチケットも早割で、普段なら5000円のところ(これもおかしい)、この日は4600円。お財布にやさしすぎる。</div><div>1万円で、観劇して円盤を買っても、まだおつりがくる。</div><div>悩むことなく円盤の予約をすることに。予約はこちらでできるのかとお伺いすると、すぐに確認してくださり、申込用紙を取りに行ってくださいました。初日でお忙しいにも関わらず、ありがとうございました。</div><div><br></div><div>「観てないけど大丈夫ですか？」</div><div>あまりにも正論すぎて、申込用紙に記入しながら笑ってしまった。確かに。</div><div>見てない舞台の円盤を買うのはあまりにもリスキーすぎる。いいカモだと思われているかもしれない。</div><div>普段の私なら絶対にしない。</div><div>私は観劇が趣味ではあるが、頭が偏りすぎているため、あまり面白いと思える作品に出会ったことがない。見返すことがない円盤や、ましてつまらないと感じた作品はお金を出されても円盤なんかほしくはない。</div><div>破格とはいえ、判断材料がまるで存在しない状態で購入を決めた変なやつでしかない。でも私には確信があった。</div><div><br></div><div>「絶対に面白いって聞いたんで」</div><div><br></div><div>頭に浮かんだのは、珍しく幕が上がる前にあがった熱量のあるブログだ。</div><div>あのブログを読んで、こんなにも熱い思いでぶつかっている作品は面白いに決まっている。たとえ私が面白いと感じられなかったとしても、あの熱をもった彼の芝居を手元に残したいに決まっていた。</div><div>「ちなみにどなたから？」</div><div>「鈴木裕樹さんです」</div><div>「鈴木さん！ご知り合いですか？」</div><div>「いえ、ただのファンなんですけど……」</div><div>なんていう会話に続いて、あれよあれよという間にパンフレットも購入させていただいた(謎の鈴木さん誕生日クイズや出身地クイズを出題される展開に)。</div><div>(物販コーナーには山崎樹範さんもいらっしゃって、交響詩篇エウレカセブンのドミニクが大好きだった私は更に挙動不審になってしまったりもした。恥)</div><div><br></div><div>一幕が終わって、私は大興奮だった。正直、一幕の主だった出番は少ない。あらゆる楽器を操る姿、やかましくコミカルなお芝居、どれも私は目を細めて見ていた。生真面目な表現に「これこれ！」と感じていた。その楽しさの片隅には、昨年の舞台から気になってチケットをとってくださった方を心配する気持ちもあった。でも、二枚目を演じる彼を観ることができて、大満足だった。ここに価値があったと思った。</div><div>二幕が終わって、この舞台を観ることができてよかったと心の底から思った。品のない言葉かもしれないけれど、「おいしすぎる」のだ。作品の解釈や感想はTwitterに投げっぱなしにしてあるので、ここでは割愛させていただく。</div><div><br></div><div>初日が終わってから、私の中で舞台に関する感想が一気に湧き出てきた。</div><div>どれも登場人物に対する否定的な内容で、それは止まることはなかった。彼が演じる役について考えたくても、登場人物への怒りや自省がおさまらなかった。</div><div><br></div><div>そこでふと、今回のように書きなぐったふせったーの過去ログを見てみた。すると、言及しているほとんどの作品への感想はなかなかに怒りに満ち溢れたものが占めていた。</div><div>人間の感情を仮に喜怒哀楽の4つに分けたときに私の持つ感情は怒が最も強く、おそらく90%を占める。それは承知していた。</div><div>ではふせったーで言及している作品のことが嫌いなのかと言われたら、そうでもない。むしろ、興味深いと感じて印象に残っているものがほとんどだった。</div><div><br></div><div>ここまできて、鈴木裕樹という俳優は「必ず面白いものを見せてくれる」のだなと気がついた。</div><div>私は先に述べた通り、観劇など鑑賞を主とした趣味ではあるが、好き！と思える“作品”にはなかなか出会えない。年に1本あればかなりいいほうだ。</div><div>思い返せば、彼の出演していた舞台作品で“好き！”と思えるものは片手でも余るし、突き詰めれば1作しかない気がする。びっくり。</div><div>でも、苦痛になったことがほとんどない気がする。不思議。特定の人の作品を中心に見ているとどうしても出る作品の系統が肌に合わなくて、苦しい思いをすることがあった。それが彼において今までほとんどないような気がする。</div><div>作品を見ていないわけではなく、作品を見たうえで、作品に感情を抱いたうえで、いつも「観て良かった！」と思って劇場を後にしていたことに気がついた。</div><div>今回もそうだ。</div><div>絶対に彼が出なければ私はこの作品と出会えなかった。こんなにも感情を揺さぶられて、椅子を蹴り飛ばしたいくらい不快になったりマスクの下でニンマリとしたり大はしゃぎしたくなるくらいに楽しくなったりできる作品に出会うことはなかった。貴重な経験ができたと感じた。いつも面白い世界に連れて行ってくれるのが鈴木さんだ。</div><div><br></div><div>「この人のお芝居を見ていれば、必ず面白いものを見せてもらえる」</div><div>そう思わせてくれる、私にとって唯一の俳優が鈴木裕樹なのだと思った。</div><div>とある作品に、チケットを売るということはいい芝居をするという約束、という台詞がある。あまりピンときていなかったが、こういうことなのだろうと思う。この人を見ていれば、面白いものに出会える。</div><div>これからもきっと、興味深い世界に彼は連れて行ってくれるのだろう。最高だ。</div><div>ああ、こんな面白い人と同じ時代に生きることができて、私は幸せだなぁ。</div>
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<pubDate>Wed, 21 Feb 2024 01:42:49 +0900</pubDate>
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<title>太陽を、ずっと見ていられる！(しぬステ感想)</title>
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<![CDATA[ <div>「しぬステ」こと、舞台「吸血鬼すぐ死ぬ」お疲れ様でした。</div><div><br></div><div>本当に面白い作品で、とっても楽しかったです。</div><div>ネタバレのない感想を書き留めておこうかなと思い、ブログを書くことにしました。お気持ちブログ。</div><div><br></div><div>好きな俳優さんの主演、しかも2.5次元舞台、ギャグ漫画が原作。何が起きているんだと。</div><div>原作ファンの友人からは、マイクロビキニになる可能性をちらつかされ、わけもわからないままアニメを予習し、チケット戦争に突入したのもいい思い出です。</div><div><br></div><div>アニメを見た時に、アニメだからできるテンポ感やセリフまわしがあり、これを舞台で生身の人間やるのは本当に難しいだろうなと感じました。下手したら痛々しく寒いものになってしまう。正直どきどきでした。</div><div>その不安は、初日を観劇したときに全部綺麗さっぱり消え失せるのですが。</div><div><br></div><div>初日でロナルドくんが真ん中に立って一言発した瞬間に空気が張り詰め、ドラルクが砂になった瞬間、その緊張感が爆発したように笑い声が響き渡る。この緩急を観て、あぁこの作品は面白いんだなと感じました。</div><div><br></div><div>しぬステは「限界への挑戦」だと思いました。主演のお二人はもちろん、他のキャストさんもたくさんの兼役や裏方兼業し、まさに全員野球のような。なんてったって「しぬステはスポーツ」ですから。</div><div>しぬステは演劇作品としてみた時に、本当にとてつもない作品だと思います。この令和のデジタル化時代に、全て人力で体当たりでギャグを見せつけてくれた、その覚悟がすごいと感じました。こんなに目が足りない作品は観劇人生で初めてでした。</div><div><br></div><div>ここからはロナルドくんと鈴木さんのお話を少しだけ。</div><div>すべてを芝居で表現してくださる方なので、素人がなにか言うのは不粋も承知なのですが…。</div><div><br></div><div>私は鈴木さんのお芝居をメトロノームのようだと思っています。いつ見ても安定している。超人的で、その不可思議さが好きなところでもあります。</div><div>今回はそのメトロノームこそが、この作品において支柱となっていると感じました。</div><div>ギャグだから笑いで止まることもある。それはこの作品にとっていいことだけど、テンポが崩れたらこの舞台は終わる。そこでメトロノームとしてテンポを刻み続ける存在がいるからこそ、失速することがないのだと思いました。あと大真面目にバカやってるからこそ面白いんですよね、しぬステは。</div><div><br></div><div>そしてなにより、ロナルドくんってヒーローなんですよね。</div><div>ギルド曲であるWE ARE HUNTER でも「WE ARE HERO」とあるように。</div><div>アクションも動きも、かっこいいと思うところ、好きだなと感じるとこが全部あの頃に見たヒーローだった。もちろんその頃そのままではなく、この16年でご本人が培ったものも含まれているからこそ尚、魅力的で。</div><div>汗できらきらしながら歌って踊る姿は誰よりも何よりもかっこよくて、笑った顔は可愛くて。でも真面目にバカで不器用なので、ロナルドくんは遠い存在ではなくて等身大のヒーローでした。だからこそ愛されるんだなぁと。</div><div><br></div><div>ロナルドくんはいつもみんなの真ん中で、太陽みたいに笑っている。その姿を見て、ああ、こんな鈴木さんにまた会いたかったんだな私は。と思いながら、泣き所でないところで泣いていました。</div><div>公演期間中、そして終わってからも、原作のファンの方や他の俳優さんのファンの方々の「かっこよかった！」という話やお芝居に関する感想を沢山お見かけします(中には私にまで伝えてくださる方もいて、恐縮です)。</div><div>ヒーローの面影をずるずる引きずっていることに申し訳なく思っていたここ数年でしたが、思い悩む必要なんてなく、彼はずっとヒーローだったんだなと痛感しました。</div><div><br></div><div>ロナルドくん、鈴木さんに出会ってくれてありがとう。またヒーローの鈴木さんに会わせてくれてありがとう。沢山の人に愛されて、太陽みたいに笑っている鈴木さんに会わせてくれてありがとう。</div><div>そして全力全開なロナルドくんに出会えたのも、この素敵な座組の真ん中で一緒に突っ走ってくれる一慶くんがいたから、プロフェッショナルなキャストの皆さんがいたからだと思います。</div><div>そして見守り一緒に楽しんでくださる原作ファンの方々の存在が、この作品のパワーだと感じました。あの素敵な空間を共有できて嬉しかったです。</div><div><br></div><div>またいつか、鈴木さんのロナルドくんと一慶くんのドラルクさん、そしてシンヨコのみんなに会えたらいいな。</div><div><br></div><div>改めて俳優の鈴木さんが好きになる日々でした。</div><div>とっても楽しかったです。ありがとうございました。</div>
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<link>https://ameblo.jp/mysn1030/entry-12807581648.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jun 2023 22:25:45 +0900</pubDate>
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<title>にぱ(28)っとむにに(622)！</title>
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<![CDATA[ 伊野尾くん、28歳おめでとうございます。<div><br></div><div>27歳の伊野尾くんを振り返ろうにも、ちょっぴり悔しい思い出が多くて。</div><div>当日に言うにはよくないかなぁと思って、１日遅れであげることにしました。</div><div><br></div><div>以下ちょっともやっとした話です。</div><div><br></div><div>26歳の締めくくりが初主演映画でしたね。</div><div>おめでとうと最高の場所で拍手を送ることができて、舞台挨拶巡りも最後まで見届けられて。</div><div>でも、決まったときからずっと悔しかったです。</div><div>終わったことをとやかく言うのは無粋なので、心に秘めておきたいけれど。</div><div><br></div><div>やっぱり今でも思うのは、なんであれだったんだろう。</div><div>どう考えたって、発表された瞬間から転けるってわかっていたから。</div><div>原作だって素敵なものなのに、平成29年を舞台として、2時間でおさめるにはあまりにも無理がありすぎた。</div><div>升さんとの父子はとっても嬉しかった。父子のシーンはとっても苦しくて辛くて、でも優しくて愛しかった。人の幸せを祈れるカイリくんは、あの春の徹くんと重なってしまった部分もあるけれど、あのシーンは伊野尾くんを俳優として大きく成長させてくれた。だから私はあの作品を否定しないし、伊野尾くんの「この作品で初主演でよかった」という言葉を信じてる。それに納得もしている。だってまた俳優として新しい姿を見せてくれたから。</div><div>けれど、次に繋がらなければ意味がない。</div><div><br></div><div>伊野尾くんはアイドルです。</div><div>私自身、アイドルの伊野尾くんを好きになったし、今でも核はそこにある。</div><div>でも、俳優・伊野尾慧ってめちゃくちゃ素敵なんですよ。</div><div>まだ経験は浅いけれど、とんでもない力を持ってるんですよ。私、こんなに経験値が少なくて魅力的な俳優って出会ったことがない。たぶん、お芝居の神様がいるならばその神様に愛されてるんだって思うくらい。もちろんそんなものはいないし、現実主義の伊野尾くんには鼻で笑われてしまうかも。だって伊野尾くんの努力とまわりの方々の支えで、その才能が開花したんだから。</div><div><br></div><div>だから、悔しかった。</div><div>丁寧に積み重ねられた魅力的な経験が続かないことが。こんなにも素敵な俳優から、演技が奪われてしまうのが。</div><div>27歳の伊野尾くんは、誰とも出逢うことなく、終わってしまうのかと思うと悔しくて仕方なかった。</div><div>私は元来オンリー担なので、色々と横目で見て、めちゃくちゃにハンカチのすそを噛み千切ってました。なんで、どうして。</div><div>アイドルの伊野尾くんの表現力、もとからめちゃくちゃすごかった(伝わらない貧弱な語彙力)んですけど、お芝居をするようになってすこし変わったんですよね。あと、彼のもとの性格もあるでしょうけど、言葉のつかいかたがより美しく強かで、こだわりが見えた。徹くんの時に伊野尾くんが言っていたけれど、彼だけじゃなくて、伊野尾くんと出会った彼等が伊野尾くんの引き出しを開けてくれた。新しい表現力を身につけた伊野尾くんが、より魅力的なアイドルになる。それがたまらなく嬉しかった。</div><div>アイドルの伊野尾くんと、俳優の伊野尾くんが相乗効果でどんどん素敵な人になっていく。だから伊野尾くんと誰かの出逢いを渇望していた。</div><div><br></div><div>とかなんとか言ってもアイドルの伊野尾くんは変わらずに大好きで。</div><div>お仕事を誰よりも楽しんで、たくさんのことを吸収して、時には人を想って涙を流したり。</div><div>最高のエンターテイナーで、野心の強い勉強家で、とっても繊細で優しくて。そんな27歳の伊野尾くんも愛しくてたまらなくて。</div><div>でもやっぱり大きな十周年ツアー、思い返してもめちゃくちゃに悔しかった。</div><div>伊野尾くんが真ん中に立てる力があることを知っているからこそ、悔しかった。「私の心のセンター」「どこにいてもキラキラしてる」なんて言葉はもう錆び付いているから。そんな生半可な中途半端なものはもう、物足りない。覚悟を決めた今の伊野尾くんを、くれ。そう思い続けていました。</div><div><br></div><div>記憶を一新したくてモヤモヤしていた上半期後半戦、髪型どころか髪色も大きく変わったという話を聞いたとき、すごく嬉しかった。</div><div>伊野尾くんがドラマをやると発表されたとき、すごく嬉しかった。</div><div>また伊野尾くんが、誰かに寄り添って生きていける世界が来たことが。27歳の伊野尾くんにも誰かが出逢って、一緒に歩んでいけることが。</div><div>しかもA.B.C-Zの戸塚くんと兄弟役で、ドラマ初主演。すごいことだ、とめちゃくちゃに喜びました。その節は関係各所お騒がせしました。まだ騒ぐけど。だって伊野尾くんと戸塚くんだよ！！！！！！奇跡かよ！！！！！！</div><div>奇跡の再開に感動したのは、過去に同じグループで可愛がってもらっていたからというだけでなく。今はお互いデビューして、それぞれに歩む先は共に頂上。そんななかで誠実で貪欲で繊細で真っ直ぐな戸塚くんと、伊野尾くんの共演は絶対的に伊野尾くんを刺激するに違いない。</div><div><br></div><div>発表後に伊野尾くんのコメントを読んで、すごく嬉しかった。また嬉しくなった。だって伊野尾くんもお芝居を望んでいたから。カラフトのあとを思い出してしまって、泣きながらすこし笑った。撮影中のTwitterもInstagramも愛に溢れて可愛らしくて、今までに見たことない伊野尾くんがいることがわかって、なおさら嬉しくなった。今、伊野尾くんがどんどん俳優として成長してると思うと、わくわくがとまらなかった。</div><div><br></div><div>一方で目立ったのは、伊野尾くんが年を取ることに対してネガティブなこと。たぶん彼のアイドルとしての野心からくるものだと思っています。どうにも年齢には抗えない。まだ彼は、彼が目指す先に到達していないから、どうにもならない時間への焦りがあるのかもしれません。でもその重ねてきた時間に培ったものは、いつか大きな花を咲かせるから。現に、蒔いた種が芽吹いているじゃない。焦らなくていいよ、そう思うばかりでした。</div><div><br></div><div>そして伊野尾くんの28歳初日、主題歌決定のニュース。やっとだと思った。やっと。まだなにも公開されていないから、ぬか喜びはできないけれど。でも、やっと周回遅れで時代が伊野尾くんに追い付いたと思った。前に時代が追い付いたと思ったときは違った、肩透かしは何度もあった。</div><div>でも、今回こそはやっと、やっと伊野尾くんの時代がくるはず。</div><div><br></div><div>27歳の伊野尾くんが冬之介くんと出逢って、何を魅せてくれるのか。28歳の伊野尾くんが、冬之介くんから受け取った引き出しの中身をどう魅せてくれるのか。それが楽しみでなりません。</div><div>そんな曲を引っ提げて、まわるであろう、発表されるであろう、2018年のツアーは、きっと特別なものになる。</div><div><br></div><div>28歳の伊野尾くんが魅せてくれる世界を共に見届けられたら、何よりも幸せです。</div><div>のらりくらりと、強かに。たくさんの笑顔と幸せがが訪れますように。</div><div><br></div><div><br></div><div>2018年7月23日(月)24:59~</div><div>日テレ系スタート！</div><div><a href="http://www.ntv.co.jp/alienbros/">トーキョーエイリアンブラザーズ</a><br></div><div><br></div><div>2018年8月1日(水)発売！</div><div><a href="https://www.j-storm.co.jp/heysayjump/news/5560">COSMIC☆HUMAN</a><br></div><div><br></div><div>よろしくお願いいたします。</div><div><br></div>
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<pubDate>Fri, 22 Jun 2018 23:45:45 +0900</pubDate>
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<title>星の見えない空を見上げよう(舞台「おたまじゃくし」感想)</title>
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<![CDATA[ <div>ビジュアルの強さから、怯えていたのは言うまでもありません。結局、ぶちのめされたけれど。</div><div><a href="http://shika564.com/otama/">舞台「おたまじゃくし」公式サイト</a><br></div><div><br></div><div>ネタバレはしません。大好きな台詞とか考察とかは追々。</div><div><br></div><div>小森憲一という男はだらしなくて、頼りなくて、情けなくて。</div><div>でも、彼がいると何故か周りが明るくなるようで、そのあたたかさが憎めなくて。</div><div>小森憲一という人は、言うなれば“太陽”でした。</div><div>言葉も、笑顔も、汗も、涙も、全部が輝いていた。眩しかった。</div><div><br></div><div>また、“鈴木裕樹が歌う”というのもこの作品の目玉だったと思います。</div><div>4曲も！生歌を！！！あの、鈴木裕樹さんが！！！！</div><div>あえての戦略。舞台で歌うことなんて、もうないと思っていたから2018。</div><div>ぶっちゃけなめていました。</div><div>何回あの歌声に泣かされたことか。</div><div>歌がとてもグサグサと突き刺さる。ライブハウスのような照明の中、ベビー服を着てグロテスクな仮面を被って、どこかに救いを求めるような全力の歌声、繊細な歌詞、ここまで抉られるような歌を私は今までに聞いたことがなかった。</div><div><br></div><div>YouTubeにあがっているM4<a href="https://youtu.be/eZqMY8HKxuo">「泣いていた理由～リーズンズ オブ オギャー～」</a></div><div>とても苦しい場面での曲です。取り憑かれたように歌う姿が怖かった、苦しかった、どうにかなりそうだった。憲一さんを見るアキノリくんの眼差しが全てだった。</div><div>“どうせ僕らに世界は変えられないから”</div><div>何故かここで、いつもとても悔しくて泣いてしまった。</div><div>世界を変えるつもりなんてない、できないことはわかっている。</div><div>自分ではなくて、“太陽”が諦めた世界に日は昇らない。それが寂しくて苦しかった。そんなことないって否定したかった。全力で否定してくれたのは昇る気力を失った太陽にとっての“光”だった。</div><div><br></div><div>どうしても話しておきたい曲の話はやっぱり</div><div>M5「ルーツ」</div><div><a href="https://sumabo.jp/64396">https://sumabo.jp/64396</a><br></div><div>ときめいて、嬉しくて、切なくて、あたたかくて。</div><div>曲振りに関して言うと、とにかくかっこいい。鈴木裕樹の持てる全てのかっこよさを凝縮してぶん投げられたような。小森憲一越しに魅せつけられた、かっこよさ全開の鈴木さん。</div><div>センブロの日はかっこよさの鈍器で殴り殺されるかと思う日々でした。</div><div>親子三代、脈々と受け継がれているロックの魂。</div><div>ここは本当に親子の絆に涙が止まらないのと、この時間が永遠に続けばいいと思うばかりでした。</div><div><br></div><div>この作品で何より好きだったのは、小森父子でした。</div><div>憲一さんとアキノリくんという親子って、親子だけど親子ではない関係なんですね。未完成というか、まだ親子じゃないというか。</div><div>だからこそできる会話だったり、行動だったり。会ったからこそ、一緒にいたからこそ見えてしまったものだったり。良くも悪くも。</div><div>友情に近い関係の二人の間に流れる、揺るぎない断つことのない“血の物語”。</div><div>全然似ていない父子ですが、笑ったときに「にひっ」っと大きな口を開けている顔がそっくりで愛おしい。愛さずにはいられなかった。</div><div><br></div><div>「真面目な役の多い」といわれている鈴木さんは“大博打”と言ったけれど、限りなく彼自身に近しい位置に小森憲一は存在していたと思います。ちょっぴりお茶目で、かっこつけたがりで、ギラギラしている。</div><div>それを演じるからこその、大博打だったのかもしれません。わからないけれど。</div><div>鈴木さんはやっぱり“太陽”だなぁ、と高円寺駅まで歩きながら日々考えていました。</div><div>観ているのは憲一さんの愛しい家族の物語だけれど、憲一さんがここでは太陽だけれど。</div><div>小森憲一という役は鈴木裕樹にしかできない役で、鈴木裕樹だからこそ人に届いて響いてから、じんわりとあたたかさが広がる「おたまじゃくし」という作品になったのだと思います。</div><div><br></div><div>舞台「おたまじゃくし」に出会えて良かった。</div><div>こんなにも好きが更新されていくなんて思っていなかったし、終わりが来ることが悲しくてこれ以上好きになりたくないと思ったくらい大好きな作品でした。</div><div><br></div><div>ネタバレはしたくないので物語には触れませんが、5月末には<a href="https://shika564goods.stores.jp/items/5a96c748a6e6ee4f6d0014e5">DVD</a>も発売されるので(4300円！お手頃！)こんな感想だけでなく、是非作品を。</div>
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<pubDate>Mon, 26 Mar 2018 01:08:32 +0900</pubDate>
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<title>Hey!Say!JUMPが好きかもしれない。</title>
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<![CDATA[ Hey!Say!JUMPデビュー10周年のアリーナツアー『10th Anniversary tour 2017 I/O』が終わりました。<div>個人的に感じたこと、思ったことを書き留めておこうと思い、ここに残します。</div><div><br></div><div>主観のみです。他人の意見は聞いちゃいない。</div><div>この先を読み進めるか、ご自身の判断にお任せします。責任はとりません。</div><div><br></div><div>このツアーを見て、私の心になにが残ったかと言うと「Hey!Say!JUMPっていいグループなのかもしれない」という感情でした。</div><div>私は俗に言うオンリー担と呼ばれる部類のオタクです。</div><div>オンリー担の前提や資格のようなものは存じ上げませんが、雰囲気はそのようなものだと思っていただいて結構です。</div><div><br></div><div>伊野尾くんのファンになって長い間、彼は曲の始まりに端にいて、曲の終わりに反対の端にいるような存在でした。</div><div>もちろんソロがないので、抜かれない。歌番組でもＭＶでも画面に一瞬映るのみ。</div><div>けれど、私には誰よりも輝いていて。</div><div>「どうしてこんなに顔の綺麗な人がいるのに事務所は推さないんだろう」と不思議に且つ勿体無く思いながらオタクを続けていました。</div><div>ただ、他のメンバーを心の底から好きにはなれなかった。</div><div>なんで、どうして。</div><div>彼はこんなにも素敵なのに、他のメンバーが推されているんだろう。</div><div>見る目がないな、なんて向こうの都合も知らずに言ってました。いや、今も都合とか知らないけれど。</div><div><br></div><div>案の定、大学卒業後に彼はテレビに出始めました。</div><div>ドラマにメンバーや先輩のバーターとして出演したときは、お世辞にも上手とは言えないお芝居で。</div><div>もしかしてもうお芝居の仕事は来ないかなと思っていたとき、舞台が決まりました。</div><div>彼もターニングポイントだと話す『カラフト伯父さん』です。</div><div>カラフト伯父さんとドクターXについては以前まとめたので、割愛。</div><div>彼の芝居が世間に話題となった『そして誰もいなくなった』初出演にして主演『ピーチガール』それと同時にバラエティーでも個人の仕事が増え、立ち位置も人気も劇的に変化しました。</div><div>彼のソロパートがあるのが当たり前、彼が抜かれて歓声が沸き起こるのも当たり前。そんなここ2年。</div><div><br></div><div>ツアー自身初日終演後、一番の感想は</div><div>「あれ、なんか足りない。」</div><div>そう、物足りなかったんです。</div><div><br></div><div>彼にソロパートができて、人気も出てきて、新規ファンもたくさんついて(「ジェンダーレス」とか「可愛いが代名詞」なんて寒いことも言われて)ついていけるか不安になったことが何度かありました。でも、それが自分のなかで消えたのが多分去年。</div><div>「これから伊野尾慧は売れていくんだ」大好きなアイドルが売れていくことを、やっと気持ちの面で認められた。</div><div>その前からもフラットな野心家である彼の想いは伝わってきていて。</div><div>でも同時に、今のままでは彼のいるHey!Say!JUMPは売れない。</div><div>「最終兵器」の彼が風穴を開けなければ。そう信じていました。今もそこはかわらないかも。</div><div><br></div><div>だから、昔を振り返り、懐かしむような構成と殆どの衣装が全員似ている今回のツアーを見て</div><div>「ああ、戻ってしまった」と。</div><div>右から左へ移動する曲が戻ってきて、ある意味、憤りにも似た感情でした。</div><div>だって自担が目立たない2017って有り得る？有り得ない(私は)</div><div>いや最近の曲では目立ってたけど。いや、私は彼しか見てないから目立つとかいう概念はないけれども。<br></div><div>そんなことじゃなくて。</div><div>後ろばっか振り返ってるから、ずっと燻っているんだ。</div><div>振り返るほど階段を登ったの？</div><div>そう言いたくてしかたがなかった。お祭りムードの中じゃ言えないけど。</div><div><br></div><div>そんな感情を抱えながらも、どこかその感情に違和感もあった。</div><div>過去のようで、過去じゃない。同じようで、同じじゃない。</div><div>ただ昔のようにわいわいしてるように見えて、彼等はギラギラしていた。</div><div>彼らが「絶対、売れような」「もっともっと、頑張らなきゃいけない」「絶対、納得しない」と声にしているのがこのツアーなんですよね。</div><div>そんなことを共に決意できる仲間がいるからこそ、彼は「変わらない」信念のあるアイドルでいられる。</div><div>いつだって彼は「変わってないよ」と強く言う。変わらないことに拘っている。それは、彼が持っているHey!Say!JUMPへの気持ちと変わらないから。</div><div>支えあえる、励まし合える、そんなHey!Say!JUMPっていいグループなのかもしれない。</div><div><br></div><div>このHey!Say!JUMPというグループは</div><div>一度倒れたら</div><div>悔し涙を流したり、歯をくいしばったり、地面を殴ったりしてから9人で手をとりあって、震える手でぎゅっとお互いの手を握りしめてから「せーのっ」で起き上がって、隣を見て、1歩ずつ歩幅を揃えて歩くグループだなって。</div><div>平成の時代に生まれて、ゆとりと呼ばれて、内弁慶で、アウトプットが上手くなくて、とてつもなく繊細で。</div><div>泣き虫だった彼らはいつしか泣かなくなり、そして久しぶりに見せた涙。</div><div>「平成生まれ」だけど、「平成生まれ」だから、「みんな」で飛躍していく。</div><div>Hey!Say!JUMPって名前、すごい彼らそのものだなって。</div><div>彼らの弱点であり、好きになれなかった大きな部分が、実は強大な武器になると気づけたツアーでした。</div><div>やっと、Hey!Say!JUMPというグループを好きになれてきたのかも知れない。彼らの上への想いは強いと、初めて知ることができたから。</div><div>私が気づかなかった、気づきたくなかったのかもしれないグループの強み。</div><div>いいじゃん、Hey!Say!JUMP。</div><div><br></div><div>でもね。</div><div>君たちで選んだ道の先にある景色なら、私はその景色を見てみたいと思う。</div><div>だから、どうか、多様性を、可能性を、自分達の魅力を、自分達で殺さないで。</div><div>君たちなら行ける。9人で、なら。</div><div>優しすぎて振り返りすぎてしまう君たちだけど。</div><div>もう、大丈夫だよ。</div><div>私はその背中を押せるし、ちゃんとついていくから。</div><div><br></div><div>腰が曲がっても三途の川を渡っても、オタクやめてなんかあげないからね！</div><div><br></div><div>Hey!Say!JUMP初のドームツアー成功を祈っています。</div><div><br></div>
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<pubDate>Mon, 16 Oct 2017 20:07:58 +0900</pubDate>
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<title>魔法にかけられて。</title>
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<![CDATA[ ミュージカルさよならソルシエ再演おめでとうございます！<br><br>2016年3月21日に幕を下ろしたミュージカルさよならソルシエ。<br>さよならソルシエロス勢をたくさん生み出した、ミュージカルさよならソルシエ。<br><br>その再演が2016年12月9日発表されました。<br>時間を確認するためにスマホを見たら、ソルシエ公式ツイッターの通知と良知真次FCさんからのメールが来ていて、心臓が口から飛び出しそうに。<br>そっとメールを開いてみると“再演”の文字が。<br><br>ミュージカルさよならソルシエ再演<br>2017年3月17日㈮～3月20日㈪<br>シアター1010<br><br><a href="http://www.marv.jp/special/m-sorcier/index.html">ミュージカル『さよならソルシエ』再演公式ホームページ</a><br><br>まさかこんなに早く再演が実現するなんて。<br><br>“諸般の事情”で公開を延期(未だ非公開)された動画、即消された動画群、DVD&amp;Blu-Ray発売日まで発表されなかったジャケット、DVDリリース後に公開されたダイジェスト映像。<br><br>それらを思い出すと、正直なところ捨てられたコンテンツだと思っていました。<br>けれど、心から待ち望んでいた“再演”が。<br>マーベラスさんがまた『さよならソルシエ』で新たな演劇に挑戦して下さることが本当に嬉しく思いました。<br>興奮と動揺で涙がこらえきれずに部屋を飛び出したり（笑）<br><br>公演については以前ブログで1万字以上で愛をぶちまき散らしたので<br>そちらでご確認下さい（※がっつりネタバレしてます）<br><br>さて、前置きが長くなりましたが。<br>「とにかくミュージカルさよならソルシエはヤバい」<br>という話をここでしようと思います。<br><br>まず、ゴッホの絵をはじめ、ポスト印象派の絵画、19世紀の西洋画を見てみたくなります。<br>舞台上のキャンバス全てに絵が描かれているからというのもありますが(小道具さんに感謝)、<br>歌詞に作品をなぞらえたものが多くあるからです。<br>私自身、ミュージカルを見てからとてもゴッホの絵が好きになりました。<br><br><br>そして本題のミュージカルについて。<br>（私がテオドルスのファンなので主にテオドルスの話です）<br><br>原作とミュージカルではテオドルスの印象がガラッと変わります。<br>私は180度どころか540度くらい変わりました。<br>余計に一周まわってます。<br><br>原作の漫画さよならソルシエのテオドルスが<br>“ソルシエ（魔法使い）”ならば<br>ミュージカルさよならソルシエのテオドルスは<br>“ソルシエ（魔法使い）と呼ばれた人間”です。<br><br>クールでスマートでキザなテオドルスが、チャーミングで愛おしいんです。<br>ミュージカルではその帽子さばきや身のこなし、歩き方さえも流れる水のように美しい。<br>そして熱い。<br>この相反するような言葉全てが詰まっている“人間”がミュージカルさよならソルシエのテオドルス・ファン・ゴッホなのです。<br><br><a href="https://youtu.be/Su2fPRrY8xU">ミュージカル『さよならソルシエ』初演ダイジェスト</a><br><br>さよならソルシエ初演DVDリリースイベントで<br>「原作ではクールでスマートな印象のテオドルスでしたが、ミュージカルのテオドルスはとても情感溢れるテオドルスでした。それは何故ですか？」<br><br>という質問に対して<br><br>テオドルス役の良知さん<br>「原作から受けた印象と、コマとコマの間のまばたきだったり呼吸だったり気持ちだったり、それを考えながら演じました」<br><br>脚本・演出・作詞の西田さん<br>「あのテオドルスは、良知くんだからこそのテオドルス。良知くんにしかできないテオドルスで、良知真次だけのテオドルス」<br><br>とお話されていました。<br>良知さんのコメントも西田さんのコメントも、号泣しながら聞いていたもので大まかな要旨ですが…。<br><br>そして原作はテオドルスが主役でしたが、ミュージカルはテオドルス役の良知真次さんとフィンセント役の平野良さんのＷ主演。<br>原作のテオドルス像が<br>（ソルシエでありたいテオドルスのイメージするテオドルス）であれば<br>ミュージカルは<br>（テオドルスから見たそうでありたいテオドルスと兄フィンセントから見た弟テオドルス）<br>であるとも私は思いました。<br><br>また、フィンセント役の平野良さんも<br>「漫画から出てきたの！？」と思うほどにフィンセントなんです。（小並感）<br>けれどフィンセントがかっこいい。可愛い。お兄ちゃん(CV.良知テオ)<br>全てを優しく包み込むような歌声と笑顔。<br><br>原作がほわほわしていて異質性を放っていた存在だとしたら、ミュージカルは弟想いの兄としての要素が強く感じられました。<br>柔らかい中のゆるぎない核。<br><br>ジャン・サントロ役の合田雅吏さん。<br>声がとてもかっこいい。笑い声がとても素敵な妖精さん。<br>(妖精ではありません)<br>原作では後半に登場しますが、この世界の最初に舞台上に現れるのは彼です。<br>テオドルスの最大の共謀者。<br><br>ムッシュ・ボドリアール役の窪寺昭さん。<br>テオドルスと対峙した時のあの憎々しげな表情や後半の冷たさがぞくっときます。<br>テオドルスに感情を動かされがち。<br>アフトやリリイベでは役と全く違う可愛らしいお方で、下賤ネタでいじられているのも西田さんとワイワイしているのも微笑ましいです。<br><br>ジャン・ジェローム役の泉見洋平さん。<br>ジェロームもまた原作と印象が変わった一人。<br>冷徹な彼の焦りや恐怖、熱い想いが苦しかった。<br>ジェロームを「ジジイ！」と話す泉見さんが本当に面白いです。<br>リリイベでは「あの綺麗なお方は誰？」と思うほどに別人で驚きました。<br><br>オリジナルキャラクター、ポール・ゴーギャン役のKimeruさん。<br>キャスト発表された当時は「ゴーギャンいていいの！？」なんて思ったりもしていましたが、今となってはゴーギャンがいないさよならソルシエには戻れない。<br>世渡り上手で器用で人懐っこい。<br>画家組の中で一番フィンセントに理解があって良き友。<br><br>と、続投される方々の話をつらつらネタバレ気味に書いてしまった気もしますが。<br><br>あと、初演の前ナレ後ナレが本当に好きでした。<br>劇中には出てこない原作の台詞があったり。<br>テオドルスのナレは緊張感とかっこよさに圧倒され、フィンセントのナレはとてもあたたかくなります。<br>再演の際もとても楽しみにしています。<br><br>また、リリイベ（再演発表前）で<br>実はテオとフィンを良知さん平野さんどちらがやるか<br>ギリギリまで決まっていなかった話をされていて。<br>発表当時や公演期間中にファンの方々が「逆じゃない？」とお話されていたのを思い出しました。<br>リリイベの際にも演出の西田さんや主演のお二人をはじめとした登壇されたキャストの皆さんが再演したいと話しておられたのも印象的でした。<br>「またやりたい」と。<br>そして、もし再演が叶うのならば<br>良知フィンセントと平野テオドルスバージョンも。<br>海外での公演も、と。<br><br>演出の西田さんとキャストの皆さんの熱と愛が伝わってきて。<br>何目線だと言われるかもしれませんが、ファンとして本当に嬉しく思いました。<br><br>いつかの未来にテオとフィンの逆バージョンと海外公演を。<br>きっとそれが夢じゃない、叶えることができるものだと信じてます。<br><br><br>私がミュージカルさよならソルシエ初演を観劇後ずっと言ってきたのは<br>「テオドルスに恋をした」<br>「テオドルスとフィンセントと、彼らの仲間たちの幸せを願いたい」<br>きっと再演でも彼に恋をしてしまう。<br>きっと再演でも彼らの幸せを願ってしまう。<br><br>だってソルシエだと思っていた彼が、自分と同じ人間だったのだから。<br>彼の世界と私の世界の境界線が崩壊してしまったから。<br>彼らの笑顔が、太陽に向かって咲くひまわりのようだったから。<br><br>幸せで悲しくて残酷な5日間から1年、きっともっと幸せで悲しくて残酷な4日間がはじまる。<br><br>けれど、ずっとずっと<br>大好きな魔法使いの「また会いましょう」の言葉を「信じ続けて」よかった。<br><br><br>おかえり、ソルシエ<br><br>
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<pubDate>Thu, 29 Dec 2016 11:36:10 +0900</pubDate>
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<title>笑顔を忘れたアイドルはただの人でしかない。</title>
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<![CDATA[ 触れるつもりはありませんでしたが、触れないことには気持ちの整理がつかないと思ったので書きます。<br>矛盾上等。ただ書きたいことをぶん投げるだけ。<br><br>これは地雷を抱えまくったとある伊野尾担のブログなので、読むことはオススメしません。<br>自己満足です。<br>胸糞が悪くなっても責任は取りません。<br>この先は自己判断でお願い致します。<br><br>主に伊野尾くんの記事と直後の広島公演についての雑感。<br><br>記事が出た時に真っ先に思ったことは「とうとう来たか」でも「人気の証拠」でも悲しみでも憤りでも「アイドルだって人間」でもありませんでした。<br><br>「誰の差し替えだろう」でした。<br><br>昨今の事務所の行動を見ているとどうにもこの不信感は拭えませんでした。<br>そして私は元はオンリー担。<br>俯瞰して自分を見ることがあまりできない人間なので正確にはわかりませんが、今でも恐らくオンリー担と呼ばれるものです。<br>（コンビ厨でも、結局「この人と一緒にいるときの自担が好き」から始まったので。）<br><br>だから誰かのもっと知られたくない記事の差し替えたものなのかな～と。<br>そんなことは1ファンにすぎない私の妄想でしかないんですがね。<br>だからたいして気にもとめないつもりでいました。<br><br>基本的にそういった記事が出たところで私は「見ない選択」を取ります。<br>自担でなくても他Gの人であってもそれは変わりません。<br>理由を聞かれると的確な言葉では答えづらいのですが、なんとなく「胸糞が悪い」からです。<br>だから今までも極力避けてきました、そういった話題も三猿方式でスルーを決め込んで忘れ去られるまでじっと待っているタイプでした。<br><span style="font-size: 24px; "><font color="#2c6ece">趣味は楽しくなくちゃ。</font></span><br><br>そりゃあ大好きな大好きな自担ですから「もっといい女いただろうが」とか<br>「今そんなことしてる場合じゃないだろ」とか<br>「ほら見ろ他担から“恩返しってなに？これじゃ足引っ張ってるだけじゃん”とか言われてんぞ」とか、<br>多少なりとも思いました。<br><br>また、「アイドルだって人間」とよく（目）耳にしますが、そんなことは残念ながら思ったことがありません。<br>「アイドルは商品」だと思ってヲタクというものをしてきました。<br>それはもう昔から変わらないスタンスです。<br>アイドルとは偶像とも言うらしいですね。<br>まさにそれだと思います、それでいいと思います。そうであってほしい。<br>プライベートの切り売りのようなことをして「かわいそう」と思うこともままあります。その「かわいそう」さえビジネスだなぁと感じることも。<br>（彼の事務所以外のアイドルを知らないので先程の言葉にはあやがあるかもしれませんが、便宜上彼の事務所のアイドルを「アイドル」と呼ばせていただきます）<br><br>アイドルである彼はヲタクのみならず一般人の“夢”でなければなりません。<br>夢といっても色々なものがありますが、私にとって伊野尾くんは「夢のような存在」です。<br><br>彼氏みたいな好きでも兄みたいな好きでもアイテム的な好きでもファッション的な好きでもありません。<br><br>ただ、見ていたい。<br>できる限り一挙手一投足見逃したくない。<br>鑑賞物のような、まさに商品。<br>暴力的に美しく眩しい「夢のような存在」です。<br>伊野尾くんを見ていると、そこだけの世界が出来上がります。<br>言葉では言い表し難いのですが、時間が止まるような感じです。<br>だからこそ私の中で判断される、美しくない姿、夢の崩壊を「見たくない」のかも知れませんね。<br><br>友人各位が私に気を遣ってその話に全く触れない張り詰めた空気をひしひしと感じながら<br>「広島でどうなるかだよね」と胸の前で腕を組むような心持ちで沈黙を貫いていました。<br><br>そんなこと言ったってやっぱり自担は可愛いもので「伊野尾くんは最高のアイドルだからステージ上ではいつもの彼でいてくれる」と期待しつつ広島に飛び立ちました。<br><br>団扇になにか応援メッセージを書こうかと迷いましたが、いつもの彼でいて欲しいから私もいつものヲタクでいようとあえて何も新調したりはしませんでした。<br><br>そして迎えた（緊張の）広島公演初日。<br>コンサートが始まり、ダンスはいつも通りのフラットで流れるような綺麗さ。<br>「なんだ、大丈夫じゃん」<br>しかし、そんなのも秒速で消え去りました。<br>笑わないんです、全く。<br>というよりもむしろ笑う力がない。<br>笑えていない。<br>笑おうとしてるのかさえ怪しい。<br>確かに彼は普段からそんなもんです。<br>そんなニッコニコしてる元気っ子アイドルではありません。<br>前日まで関東で仕事をしていたと聞いていましたが、そんなのは今更初めてではない。<br>覇気がない、全く。<br>普段からそんなもんですけど！でも！違う。<br>まだ大学4年生の卒論に追われて死んだ目をしてダンスも移動も間にあわないことがあった時期の彼のほうが元気だった。アイドルだった。<br><br>私が今回のそういった先入観を持っているからとかではありません、全然違うんです。<br>それは妄想だとかなんだとか言われるかもしれませんが、今まで見てきた私はそう感じました。<br>惰性。笑ってるとは言い難い歪んだ表情。<br><br>去年、伊野尾くんが初主演舞台で大きな風邪をこじらせて弱気になっていた時がありました。<br>その時の私は<br>「大丈夫、ちゃんとできてるよ。声の強さに出せないぶん、ちゃんと表情で補えているし、体調を崩す前よりももっと良い表現ができているよ」<br>そう思いながらグローブ座に通っていました。<br>モンペ極まりない。<br>でも本当にその時はそう思っていましたし実際にそうだったんです。<br><br>しかし、今回は別です。<br>確に今回も前回も本人の責任であることには変わりません。<br><br>ただ、私は彼に「笑え」という感情しか起こりませんでした。<br>別に私は伊野尾くんの笑顔が何より好きなわけではありません。むしろ嘘臭い薄っぺらいあの笑顔は避けて通っています。<br><br>「いろいろあります男の子<br>　考えすぎちゃう年頃です<br>　それでもなんとか笑顔だけ忘れんな」<br><br>この歌詞を衰弱した表情で歌って踊るアイドルなんて。だから何があってもステージ上では「笑え」<br>（笑うとは笑顔というよりもステージ上でアイドルでいるための義務のような、必須アイテムであるオーラのようなものであると思ってください。）<br><br>感じることができる感情は「後悔」と「反省」とこっぴどく叱られたんだろうなという雰囲気。<br>「後悔するなら、最初からそんな安易な行動を取るな」<br>何を大袈裟な。そう思う方が大半なのかもしれません。<br>諸先輩方やメンバーの同じ状況下での言動は知ってはいます。色々な表現があることも。<br><br><span style="font-size: 40px; "><font color="#ff2a1a">そんなもん、知らんがな。</font></span><br><br><br>私は“伊野尾慧”のファンなんです。<br>求めているもの、期待しているものがそれぞれに違うんです。私にとって伊野尾くんは最高のアイドル（偶像）だから<br><br><span style="font-size: 40px; "><font color="#ff2a1a">「</font></span><span style="font-size: 40px; "><font color="#ff2a1a">笑えないならアイドル辞めちまえ」</font></span><br><br>そう思いつつ初日は終わりました。<br>ただ、私は伊野尾くんのファンを辞めようだなんて思いませんでした。<br>彼が今1番仕事を共にしているだろうメンバーが彼の分を、黙りこくっている彼の分もめいいっぱい頑張っている姿を見たからです。<br>以前彼がアイドルとしてステージに上がれなくなりそうだった時に叱ってくれたのも彼でした。<br>だから「こんなにも素敵な仲間がいるんだからしっかりしろ」と。<br><br>そして迎えた広島公演2日目。<br>「今日次第」<br>「ステージ上以外は興味がないし見たくもない。こっちは知ったこっちゃない。ステージ上のアイドルにお金を払ってるんだ。だからステージにはそれ以外を持ち込むな。アイドルでいろ」<br>そう思ってるうちに開演。<br><br>結果からいうと、伊野尾くんは頑張っていました。<br>今は全開では笑えないかもしれない、作った表情もありました。<br>それでも彼は<span style="font-size: 24px; "><font color="#2c6ece">“アイドル”</font></span>でいてくれました。<br>全開にできない部分は他のところで補っていました。<br>私の好きな伊野尾くんが帰ってきました。<br><br>前日に彼の分も頑張ってくれたメンバーが伊野尾くんの肩にそっと手を回して支える様に組んだ姿、その甘えのない信頼関係を見て「頑張れ」と素直に思いました。<br><br>顔が好きだとか言いつつも、正直な所ステージ上では絶対的アイドルで在り続ける伊野尾くんが何よりも大好きでした。<br><br>今年はもう既に1度堪忍袋の緒が切れたりもしました。<br>「辞めたほうがいいよ？」と思う方もいるかもしれません。<br>ありがたいことに何千何万とファンが増えた今、私みたいなちっぽけは1ファンが消えても彼は痛くも痒くもないでしょう！<br>そう思った時もありました！辞めようとも！<br>それが不思議や不思議、辞められないんですよ！<br>伊野尾担になればわかると思うんですけどマジで辞めようとしても辞められないんですよ、これが。理由はわかんないですけど！！！！！ははっ！<br><br>今はモンペでも貶しでもなく、ライオン系ヲタク（獅子は我が子を千尋の谷へ突き落とす）なので、己の不慮で勝手に落ちていった自担が這い上がるのを見守って行きたいと思います。<br><br>自分の尻は自分で拭え！！！！！<br><br>良くも悪くも、この広島公演は忘れられないものになると思います。<br><br><span style="font-size: 24px; "><font color="#2c6ece">今日の彼の笑顔はきっとずっと、忘れません。</font></span><br><br>色んなこと言ってるけれど、大好きだから、信じています。<br><br>あなたは最高のアイドルだ、と。
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<pubDate>Sun, 02 Oct 2016 23:50:25 +0900</pubDate>
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<title>私が愛してしまった、伊野尾慧という俳優</title>
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<![CDATA[ <br>こんばんは。<br>今日は伊野尾くんご出演のドクターXの放送日でしたね。<br>このブログはOA前日に書いています。<br><br>実は、冬に行われたエキストラに参加してきました。<br>その時に感じたこと、思ったことをどうしても文字にしたくて。<br>あの感動をひとりでも多くの方に伝えたくて、ブログを書くことにしました。<br>だいぶ自分語りも多くなりますが、ご了承下さい。<br><br><br>カラフト伯父さんが終わって約半年、同時期にやっていたドラマも(残念ながら不発に)終わり、伊野尾くんに来るお仕事はバラエティが殆どでした。<br><br>お仕事がいただけることは、ヲタクとしても本当に幸せで有り難いことなのは充分承知していました。<br>しかし、カラフト伯父さんの伊野尾くんのお芝居を観て、私は“俳優・伊野尾慧”のことを好きになってしまいました。<br>なのであのバラエティラッシュはついて行くのに必死なのと同時に(あのかけがえのない1ヶ月はなんだったのか)と疑問に思ってしまう半年間でした。<br><br>そこにいきなりやってきたドクターXのお話。<br>驚くと同時に、不安にも思いました。<br>カラフト伯父さんからの半年間、演技のお仕事をしていない伊野尾くんがカメラの前に立つことが、どういったことになるのか、見当がつかなかったからです。<br>エキストラに当選し、期待と不安を抱えながら始発で集合場所へ向かいました。<br><br><br>とあるスケートリンクでの撮影。<br>撮影内容は、伊野尾くん演じる氷室光二郎さんが手術に成功し、復帰大会。<br>私達はそのオーディエンス、氷室光二郎のファンとしての参加でした。<br><br>伊野尾くんが大歓声の中やってきて、撮影が始まります。<br>スケート選手ということで一体どうなるか、気が気でなく緊張して撮影を見守ります。<br><br>スケートのシーンが始まります。<br>実際に滑っているのはもちろん、伊野尾くんではありません。<br>撮影待機中にエキストラに向かってウィークエンダーを踊って盛り上げてくださったり、とてもチャーミングで素敵な方でした。（Twitter楽しく拝見させて頂いてます）<br><br>そして伊野尾くんの撮影。<br>リンク上にマットをひいて、その上で飛んだり回ったり。風を受けたり。シュール。<br><br>(まぁ、ドラマの撮影だからこんな感じだよなぁ)と思いながら、ただただ見守るばかり。<br><br>そして、ヒーローインタビューのシーンの撮影。<br>拍手をしたり立ち上がったり歓声をあげる練習の後、本番。<br>氷室光二郎さん(伊野尾くん)の言葉を聞いた瞬間、涙が止まりませんでした。<br><br>本当に気持ちの悪いお話なのですが、あの瞬間の私は“伊野尾慧のファン”ではなく“氷室光二郎のファン”として拍手をしていました。<br>氷室光二郎のファンとして「おかえりなさい！」「おめでとう！」と声を発していました。<br><br>心からそう思ったのです。<br>「おめでとう」「ずっと待ってた」「帰ってきてくれて、本当に良かった」<br>そんな思いで胸が一杯になりました。<br><br>1エキストラでしかない画面にも姿が映らないような私が、心の底から氷室光二郎のファンになっていたのです。<br>氷室光二郎がどんな人間なのかも知りませんし、どのような病気におかされていたのかも知りません。どれほどリンクに戻ってくるのが困難だったのかも知りません。<br><br>それなのに涙が溢れ、心の底から復帰を喜んだ。<br><br>これは、伊野尾くんに“周囲を巻き込む演技”にまんまと図々しく“巻き込まれた”のではないかと思いました。<br><br>私はカラフト伯父さんで升毅さんの“周囲を巻き込む演技”と伊野尾くんの“巻き込まれ、呼応する演技”に圧倒されたことを思い出しました。<br>空気を変え、周囲の人間を自分の演技に巻き込み、内包するようなエネルギーを蓄えそして爆発させる。<br>それを伊野尾慧はやってみせたのではないか。<br><br>たった1ファンで1エキストラでしかない人間さえも巻き込む力が伊野尾くんには備わっていた。<br>そう気づいた瞬間「とんでもない俳優を好きになってしまった」と思いました。<br>数ヶ月ぶりの、してやられた。<br><br>撮影の前日、STAGE SQUARE Extraを読んだ際のツイートです。<br>“「あんなに密な時間を過ごしたこと、忘れたくない。忘れないためにも、また芝居がやりたい」その言葉を待っていた。幕がおりて数ヶ月、ずっとずっと、その言葉だけを。私も芝居が観たい。私が証明する、伊野尾慧は最高の俳優だ。でも、勝負はこれからだ。”<br><br>そう思った矢先のドクターXの現場でした。<br><br>最高の俳優。そう、胸を張って言えます。<br><br>もちろん、はじめに好きになったのはアイドル・伊野尾慧です。今でも最初と変わらず、伊野尾くんのお顔が大好きです。伊野尾くんのパフォーマンスが大好きです。<br>しかし、あの日から私は伊野尾くんのことを俳優として好きになってしまいました。<br><br>なかなか演技のお仕事に繋がらず、焦れったく思うことも多くありました。<br>だって俳優として、お芝居を愛してしまったから。<br>他のファンの方に伊野尾くんのお芝居を色々言われるのも、快く思えないことが多くありました。短気で過激なんです。<br>だって最高の俳優だから。観ていないならとやかく言わないで。<br>そう思うばかりでした。<br><br>ただ、巻き込まれたあの日から「この人はファンをもあっと驚かせるだけじゃなく、すごいスピードで成長し、想像を遥かに超える芝居で周りを認めさせる“俳優”なんだ」と思うようになりました。<br><br>私の好きな伊野尾慧はアイドルであり、俳優でありました。<br><br>のらりくらりと飄々と。<br>けして器用ではない彼は努力をしていないわけがないのに「見せない」美学を貫きます。<br>そこが大好きなんです。<br>アイドルとしてのスタンスを彼は俳優としてもやってのけました。<br><br>俳優としての彼は美しい微笑の裏で<br>虎視眈々と実力を備え、脳ある鷹になり研いだ爪を隠し、その時になればいっきに爆発し、周囲を驚かせ、認めさせる。<br><br>最高じゃないですか。<br><br>やっぱり私は“俳優・伊野尾慧”を愛さずにはいられません。<br><br><br>これからも伊野尾くんのお芝居が沢山観られますように。<br><br><br><br>天の川への祈りにかえて。
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<pubDate>Sun, 03 Jul 2016 03:01:19 +0900</pubDate>
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<title>はっぴーにむむにに</title>
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<![CDATA[ 伊野尾くん、26歳のお誕生日おめでとうございます。<br><br>伊野尾くんのお顔が本当に本当に好きです。<br>でも、伊野尾くんの“言葉”が大好きです。お芝居が大好きです。<br>悔しいくらいに伊野尾慧が大好きです。<br><br><br>25歳、目まぐるしかったですね。<br>ドラマの出演、レギュラー番組、映画の主演。<br><br>伊野尾くんの背中を見失いかけてしまうたびに伊野尾くんは<br>「今の自分がいるのは、ずっと応援してくれているファンのおかげ」<br>「革命はついてきてくれる人がいるからこそ」<br>と、強かに言い放ちます。<br>渦中の人かと思えば、伊野尾くんは革命の先導者だと思い知らされました。<br>後ろは振り向かなくていいんだよ、前だけ向いて走り続けて、そう言ったところで伊野尾くんは前を向きながらもファンの手を引っ張り続けるんだと思います。<br><br>また、「舞台から演技が楽しくなった」とたくさんお芝居の話をしてくれるのがとても嬉しいです。<br>26歳の伊野尾くんのお芝居をたくさん見ることが出来ると思うと、この25歳で培った力がどう爆発するか楽しみで仕方ありません。<br><br>26歳の伊野尾くんのことも応援させていただきます。<br><br>もちろん、革命の共謀者として。
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<link>https://ameblo.jp/mysn1030/entry-12173429207.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Jun 2016 23:40:09 +0900</pubDate>
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<title>ミュージカル『さよならソルシエ』雑記</title>
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<![CDATA[ ミュージカルさよならソルシエ千秋楽から1ヶ月。<br>DVD&amp;Blu-Ray発売まであと100日強。<br>今更ですが、ミュージカルさよならソルシエについてまとめます。<br><br>ミュージカルさよならソルシエは2.5次元ミュージカルというカテゴリーで重きを置かれる「原作に忠実」であると同時に、「原作からの脱構築」に成功した“ミュージカル”であると思います。<br><br><br>※レポ的な何かと個人的な解釈と感想です。ネタバレガッツリ。<br>※主に原作ファンの私がミュージカルによって、はっとさせられた場面の話。<br><br><br>会場に入ると、ステージの真ん中には布が被せられたイーゼルとキャンバス。下手にはグランドピアノ。一段高いところに一人がけのソファー。<br>(この時は「あ、ピアノ舞台上にあるのか」とさらっと流してましたが、このピアノは劇中の音楽だけでなくさよならソルシエを“2.5次元超越した作品”となるような演出にとても大切な役割を果たします。)<br><br>席について暫くすると「しーっ…」と男性の声。<br>なんだなんだと耳を澄ませると、テオドルス(良知真次さん)による開演前の影ナレ(諸注意)でした。<br><br>かなりの驚きでした。<br>『ギフト』でアンリ達にやっていたことと同じことを私達3次元空間の人間にしている、つまり2(.5)次元空間の人間であるテオドルスに私達が“見えている”ということになります。<br><br>まもなく開演時間という時にピアニストの江草啓太さんがふわっと登場。<br>(江草さんはこの舞台の2(.5)次元と3次元の“かけ橋”であると私は考えます。妖精さんみたいなものかな。)<br><br>そして開演。<br>コツ…コツ…という足音。テオかな？と勝手にドキドキしていたら足音のリズムが狂い、少しよろめく音。<br>酒にのまれた戯曲家ジャン・サントロ(合田雅吏さん)の登場。<br><br>アプサントを飲み、部屋の中を見回し絵の存在に気付く。<br>ここではじめてピアノの音がひとつだけ鳴る。スポットライトで照らされる布が被せられた絵とひとつの高音。フィンセントの絵の存在感と得体の知れない緊張感。<br><br>そこでテオドルス(良知真次さん)の登場。<br>「随分と酒にのまれているなぁ、戯曲家ジャン・サントロ」<br>他者のすべてを知っているような話し方。そして地を這うような、色のない冷たい声。<br>人生を丸ごと作りかえるとサントロに話すテオドルスが徐々にピアノへと近づく。<br>「炎の画家」と言い放つと同時にピアノの鍵盤を強く叩きつけ、不協和音を鳴らすテオドルス。<br>（ピアノは3次元空間の存在だと思っていた私は2(.5)次元空間のテオドルスがピアノに触れたことでその境界線が崩れたと解釈します。）<br><br>「つまらない人生をおくったフィンセント」の絵を見た瞬間、圧倒されるサントロ。思わず絵に手を伸ばしてしまう、しかし触れるなんてできない。この時のサントロの手の動きでフィンセントの絵の素晴らしさを一瞬で客席に伝える。<br><br>大きな足音がして、アンリ達が駆けつける。<br>「しーっ…」<br>（この印象的な「しーっ…」はミュージカルオリジナル。キザにも見えますが良知テオがやると嫌味を一切感じさせず、むしろスマートさを際立たせる＋αでした。西田さんありがとう！）<br><br>M1『ギフト』<br>言葉を並べるような歌詞と、低音でひとつひとつの言葉を置いていくようなテオドルス。<br>フィンセントの『ひまわり』を持った瞬間、いきなり声色が変わり、語りかけるように穏やかな声。<br>テオドルスと対立するジャン・ジェローム(泉見洋平さん)の登場。<br>するとテオドルスは穏やかな声から変わり、ジェロームを鋭く睨みつけて低く、鋭く歌う。<br>兄、フィンセント(平野良さん)の登場。<br>まるでそこにだけ太陽があるような温かく、優しく、全てを包み込むようなフィンセントの歌声。<br>テオドルスは暗闇の中でひとり、じっとフィンセントのことを見つめている。<br>アンリ達が歌うように「あなただけを見つめ咲く」ひまわりは、テオドルス自身なのでは。<br>そして最後のテオドルスとフィンセントのかけあい。まさに、2つの才能。とんでもないものを目の当たりにしているという興奮と緊張感。<br>初日のM1『ギフト』が終わった瞬間の拍手は忘れられない。あんなに熱を含んだ拍手は未だかつて聞いたこともなく、 拍手までの一瞬は圧倒された客席そのものでした。<br><br>サントロが戯曲を書くにあたり、アンリ(土屋シオンさん)、エミール(小野健斗さん)、シニャック(吉田大輝さん)にテオドルスについてたずねます。<br>（物語は原作にとても忠実ですが話の順番が原作と異なり、回想(サントロが戯曲を作り上げるためにテオやアンリ達に話を聴く)という形で進んでいきます。）<br><br><br>原作1巻の最初にある、浮浪者と身を偽ったムッシュ・ボドリアール(窪寺昭さん)が公園でチェスをしている場面。<br><br>M2『CHESS』<br>まさに、ソルシエ。<br>全てを思いのままに操ることのできるテオドルス・ファン・ゴッホ、操り人形のようなアンサンブルとムッシュ。<br>（後に良知さんから「宝塚の男役とマイケル・ジャクソンを意識してと言われた」とあるだけに、それらのいいとこ取りのようなダンス）<br><br>クールにスマートに勝ったと思った瞬間、マルクス(青木一馬さん)の「支店長ーーーー！！！」<br>マルクスの声に「(やれやれ…)」といった表情と人差し指(中指？)で耳栓をするテオドルス。<br><br>とても予想外でした。<br>テオドルスは、クールでスマートでキザで、まさに“ソルシエ”だと思っていた私にとって、<br>マルクスの怒鳴り声に耳栓をしたり、マルクスと浮浪者の言い合いにかったるそうにしているような、表情豊なテオドルスは見たことがなかったからです。<br><br>マルクスによって画廊に戻され、本部長と冷戦。<br>マダムブールジーヌが来店することを予測し的中、マルクスにその理由を話すテオドルスもジェスチャーが多く、飲んでいるティーカップの裏をしげしげと見ているのがスマートではないな、違和感を感じました。<br>(このあとこの違和感からあることに気付かされます)<br>また、マルクスとテオドルスの関係性が変人支店長と必殺苦労人な感じでとても好きな場面です。<br>（青木マルクスの怒鳴りの声に時々ビクッとする良知テオとか）<br>テオドルスのファンでマルクス大好き勢としては、なかでもテオがマルクスにモップをパスするところが好きです。後半はフェイントをかけていたり、微笑ましかったです。<br><br>M3『新しい才能』<br>個人的に好きな曲ベスト5に入る楽曲。<br>『ギフト』の対ジェロームと同様にアカデミー保守派権力者にはナイフのようなテオ。<br>歌の掛け合いの最中のセリフからから「駄文の極み」と吐き捨てるように歌うテオと賞賛されていると思い込んでいたため、微笑みからいきなり首元にナイフをあてられたような、驚いた顔のムッシュ。<br>テオの攻撃的な言葉に、ソファーの後ろでヒヤヒヤしてるマルクスに同情。<br>「ありますよ、ここに」を指をこめかみにあてながら知らしめるように客席を向き、「テオドルス・ファン・ゴッホです」とソファーに腰掛け足を組み直しながら言うテオは攻撃的でかつスマートで美しい。<br>そしてスポットはフィンセントへ。<br>フィンセントをうまく言い表せないと言う画家組。<br><br>パリの街にはあまりにも沢山なドラマ(人生)がありすぎてキョロキョロしてしまうフィン。<br>傍聴者であるサントロは回想シーンで他人と絡むことは無いが、唯一フィンと肩がぶつかりペコっと謝り、思わず顔を覗き込むサントロ。<br>ゴーギャン(Kimeruさん)とフィンの出会い。<br>お節介ゴーギャンを「ありがとう」でおしきるフィン。「いいってことよ」の3段活用。(ここのやり取り全公演収録してほしいくらい面白い)<br><br>葬式に居合わせるフィンとゴーギャン。<br>M3『ドービニの黒猫』<br>筆をとり、目の色が変わるフィン。<br>筆を走らせるフィンに、はっとして食い入るように見つめるゴーギャン。<br>真剣な眼差しで描いているのはフィンの実体であり、彼の精神は歌っているように穏やかで制約のない自由な芸術。<br>実際にフィンの作品に『ドービニの庭』というのものがあり、そこに描かれていた黒猫は何らかの理由で1回消されたことがあるというので“これから消される(捏造される)存在”の暗喩なのでは。<br><br>ミュージカルオリジナルキャラクターのゴーギャンとフィンの関係性がよりフィンの魅力を引き出していると思いました。<br>フィンセントをうまく言い表せないと話した中にゴーギャンはいない。<br>回想シーンの中で「調子狂う奴だなぁ～」とフィンセントを称していたアンリに「俺も前はそうだった」と得意げに話していたりと、お調子者でも周りをちゃんと見ていて世渡り上手で大人なゴーギャンは画家組の中でフィンセントの1番の理解者だったのでは。<br><br>サリスの店の場面。<br>サリスは出てきません。オリジナルキャラクターのポール・シニャックがアルバイト的な立ち位置。<br>それを遠くから睨むアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックと、これまたお調子者のエミール・ベルナール。<br>エミールの独特なセンスのアドリブをシャットアウトしてテオに威嚇するアンリ。<br>この時もティーカップの底をしげしげと見ているテオ。スマートじゃない。<br>まだ青いがその才能を見込んでいる者に対しては、あえて話を聞いていないような素振りを見せるテオ。<br>マルクスもアンリも、その才能を密かに認められているが、これからの芸術界を変えることができる存在かテオに試されているのでは。<br>(あえて一見スマートじゃない行動を取ることでわかったテオの心理)<br>アンリをモンマルトル通り19番街カフェモンタンに呼び出す。<br><br>M5『1フランの絵画』<br>シニャックに「グーピルで雇って下さい」と言われ、即却下したテオだがパンと肖像画を売るのにシニャックを雇っている。<br>グーピルでは雇うことができない(グーピルなんかに置けない)けれど、翌日にすぐ彼の望みをきいてあげている。原作ではマルクスだったところがシニャックに変わることによってわかる彼の優しさ。<br>手汗を拭いて深呼吸をしてから大声を張り上げるシニャックが可愛い。<br>アンサンブルの方々の歌が光る。中でも荒木栄人さんの「でも、うまそうだな、そのパン」からの新しい芸術に差し込む新しい光。<br><br>M6『神よりの盃』<br>満を持してジェローム本編登場。<br>「…利き手は？」のジェロームの割れたガラスのような声の鋭さ。ゆっくりと片眉をあげる表情が怖い。歌声に含まれる透明感と鋭さと皮肉っぽさ(とても褒めている)。淡々とした印象だったジェロームがこんな嫌味っぽい話し方(褒めている)でキャラが立っていて魅力的だった。<br><br>テオとフィンの再会。<br>フィンに話しかけるテオの声が、聞いたことのないくらい穏やかで優しさがあって語尾が丸い。特別な存在。<br><br>ジェロームはじめアカデミー側の妨害により、アンデパンダン展が中止の危機に。<br>顔面蒼白で怒りを顕にする画家組に対し「大丈夫だよ。テオはやると決めて出来なかったことが1度もないんだ」と描きながら穏やかに話すフィン。<br>部屋に入ってくるなり、フィンの絵を覗き込み満足気に頷くテオ。<br>グーピルに自分たちの絵をおいてもらえないかとテオに頭を下げるアンリ。過剰なまでに毛嫌いしていた“グーピルのテオドルス”に頭を下げるアンリに驚く画家組が印象的。<br>（足の不自由なアンリが怒りでステッキを叩きつけ、足を庇いながら拾う演技が好きでした。）<br><br>扉をあけるテオと印刷された絵を握りしめて街に駆け出す画家組が旋風のよう。<br><br>街中に撒かれた自分達の絵を見て楽しそうに語り合う人々と、テオの先を読む力と行動力に圧倒される画家組。<br><br>M7『モンマルトルの丘』<br>個人的に1番好きなナンバー。<br>画家組の夢と希望と、制約のない新しい芸術の可能性を信じるテオと、すべてが美しく見えるフィン。新しい芸術に確かに見えはじめた光。<br>テオが街を見下ろす中央の高い位置にいて、宙に浮いているようでまさにソルシエ(魔法使いというより魔術師)。<br>アンリのステッキまわしが光る。<br>ここでゴーギャンが先頭になってピアニストの江草さんに絡みに行く。2(.5)次元と3次元の境界線の崩壊。<br>彼らの生み出す新しい芸術と兄弟の物語が3次元(現代)の世の中でも愛されるという意味なのか。<br><br>イーサン画廊の開館式。<br>テオがひと芝居うつ。「なんせ！」にイーサン画廊開館式司会(廣瀬真平さん)が怯むのが面白い。帽子に手をかけるテオの悲しそうな声は芝居ではなく彼の本音。それをただ冷たい目で見ているジェローム。<br>「やってみやがれ馬鹿野郎」の剥き出しの攻撃性。<br>ムッシュとムッシュの部下に暴行されるテオ。<br>ムッシュが浮浪者の服装のままなのは誰かに見られた時に身バレ対策なのか。<br>どんなに殴られても絶対に手を出さないテオ。<br>画家を「絵を描くことしか生きている意味がない」と悲しそうに微笑いながら表したテオ。その“画家”でない自分はどうなのか。自分の生きている意味は何なのか。そう思わせる言い方。<br><br>仕事場に戻ると模写をしていたフィンがテオに気づく。<br>模写の手を止めて心配そうに自分を見つめるフィンに、むきになった子供のように「俺がいて描けないなら俺が消える…！」と言うテオ。「(しかたないなぁ)」といった微笑みで模写を続けるフィン。きっとテオは幼い頃から負けず嫌いで強がりで、フィンは全部わかったうえで笑顔でテオを包み込んでいたのではないか。<br><br>M8『糸杉と星の道』<br>子供の頃に兄の絵に恋をし、兄の絵を世界に広めるためだけに生きてきたテオ。<br>「一番の幸福」でフィンから差し出された手に手をのばすもその手をとらず、一瞬泣き出しそうに顔を歪め、「一番の不幸」では鋭い眼差しでフィンを見るテオ。<br>「本当は…画家になりたかった」と独白するテオドルスの悔しさと苦しさが心に刺さる。<br><br><br><br>2幕<br>サントロの戯曲が半分以上出来上がる。<br>捏造されたフィンセントは顔つきからして全くの別人で、史実から想像できる“炎の画家・ゴッホ”<br><br>テオの口からフィンの話が聞きたいと言うサントロ。<br>躊躇いつつも意を決し、息をひとつ吐く。<br>怒りの感情が無く、全てが美しく見えるフィンセントのことを病気だと話すテオ。<br><br>画廊の絵がおいてあるスペースに行くと自分の絵を見て選んでいるフィンセントに「おおっ」と驚くテオがチャーミング。<br>（千秋楽では手にした2枚の絵をぐるぐるまわしていた平野フィンに笑いを堪える良知テオが微笑ましかった）<br><br>フィンセントが見ず知らずの作業夫の家の子ドアの穴を自分の絵で塞ごう提案したと話し、一瞬顔が曇るテオ。<br>それまでずっと笑顔で話していたテオがフィンが背中を向け、カーテンを締める間際に凄まじい力でフィンを睨む。<br>昔飼っていた犬の話、才能の話。<br>英語で才能を何と言うか問われた時のフィンの「うーん…知らないっ！」の底抜けの明るさと対称的に暗く、低く、ひとりの世界に閉じこもるようなテオの声。<br>何度も繰り返される「考えろ」のすべてが違った感情の色が見えた。血に染まった手で帽子を下げ、抑えきれない憎悪を隠すように逃げるように去るテオ。<br>何が起こったかわからないといったフィン。血に染まったキャンバスを見て驚き、後退る足音が悲しく響く。<br><br>ゴーギャンとフィンが街を歩いていると、突如襲われてしまう。<br>ゴーギャンはなんとか反撃をしようと手を出しているのに対し、フィンは殴られるがまま。しかし落ちたパレットは慌てて守るように抱きしめる。<br>フィンもテオも暴行された時に手を出していない。牧師の家に生まれ、兄弟喧嘩もしてこなかったであろう2人がわかる。<br><br>M9『欲望』<br>ジェロームの印象が変わった1番のきっかけ。<br>ムッシュにもあんな画商ごとき放っておいてはと言われ、たしかに権力者のジェロームなら目にとめなくていいようだが、なぜあそこまでテオを徹底的に潰そうとするのかがわかる1曲。<br>「私だけの透明の色」を求めているジェローム。<br>もちろん透明の色なんていうのは存在しないものであり、その透明の色はつまり彼の“限界”。つまり彼には彼自身の限界が見えてきてしまったのではないか。だから何物でもない“透明の色”を苦悩し、求めていたのではないか。その限界を超え、自身を脅かす存在がフィンの絵であり、テオであったのでは。<br><br>話の流れは原作通りなので割愛。<br>スマートに平然としているように見せかけ、教会へ駆け出すテオ。<br>後ろのポケットから銃をとりだし、自身のこめかみに銃口を突きつけるテオの手が震えていた。<br>なんでも自由に操ることのできるソルシエであるテオが兄の“怒り”を引き出そうとする。しかし、もう自分の感情さえも制御できずにいる現実。<br><br>M10『兄弟』<br>フィンの怒りを引き出すためとはいえ隠し続けてきた嫉妬と憎悪が溢れ出る。<br>次々にフィンに浴びせる黒い感情と黒い言葉。<br>そして、フィンセントの覚醒。<br>フィンに拳銃を渡し、額に向けられた銃。<br>フィンがテオの額と銃口の間を少しあけるも、つめより額を銃口に押しあてるテオ。煽るように自分の頭を撃つ動きをするテオは微かに震えている。自身の恐怖を隠すための、大袈裟な煽りなのか。<br>宿命を背負ったフィンから宿命を言い渡されたテオ。<br>フィンに掴まれた腕を振りほどくことができず、床に落ちる帽子。<br>耳を撃ち抜いたフィンに驚きを隠せないテオ。<br>いつもの気の抜けたようなフィンのほわんとした声にはっとして駆け寄るテオ。<br>そして生まれ変わった兄弟。嬉しそうに大事そうにフィンを抱き締めながら泣き出しそうな顔で「行こうか、世界の果てまで」が印象的。<br>(原作だとテオは晴れやかではあるもののしゃんとソルシエであるテオの表情で「行こうか、世界の果てまで」なのに対し、ミュージカルのテオは嫉妬や憎悪が崩れ去り本当に生まれ変わった偽りの無い“弟”テオの表情)<br>フィンとテオの笑顔が眩しい。<br><br><br>3年後のパリ。天才画家ゴッホの凱旋。<br>アンリの絵を見て「フィンもやりたがっているぞ」とテオがフィンのことを「フィン」と呼ぶのに驚き。画家としての「フィン」なのか。<br><br>M11『キャンバスに魔法を』<br>才能を認め、評価し、お互いに信頼していて、仲間として新しい芸術を巻き起こそうとしているテオと画家組。<br>アンリに少しちょっかいを出していたりするのが微笑ましい。<br>新しい芸術が育ち始めたパリの晴れ渡るような空気と希望。<br><br>駆け込んでくるマルクス。<br><br>いつだってテオに希望を与えてくれるフィンは同時に絶望も運んでくる。<br><br>最後まで言えないマルクスの言葉を読み取り、慌てて駆け出すテオと彼に続くゴーギャン。<br>アンリとエミールとシニャックは俯くマルクスの方に手を置き頷く。<br>それぞれのフィンとの関わり方がわかるシーンのひとつ。<br><br>オーヴェールに到着し、フィンの遺体と対面するテオ。<br>「死んだ…誰がだ！！！」の絶叫。<br>ゴーギャンがフィンからの手紙を差し出すが、もうゴーギャンの声も聞こえていない。魂がフィンの元へ行ってしまったように、うつろな眼差しで前を睨むテオ。<br>フィンの顔にかけられていた布を剥がして嬉しそうに微笑み「兄さん、髪、切ったのか」と話しかけるテオ。フィンの死を受け入れることができていない。<br>手紙を持っていた手が力なく降ろされ、悔しそうにやりきれないような表情で俯くゴーギャン。世渡り上手で器用な彼でさえ言葉が出ず、目を背けたくなるような絶望との対面。<br>サントロはテオの話として聞いているが、同じように俯く。聞いているだけでも目を背けたくなる絶望であることがわかる。<br><br><br>フィンの絵を1枚ずつ手に取り、落とし、兄を殺したと泣き叫び、かけた帽子ごとイーゼルをなぎ倒すテオ。<br>握りしめていた兄からの最後の手紙を躊躇いながら開く。これが最後、これを読んでしまえばもう兄との別れになってしまう。しかし兄の最後の言葉を知りたい。<br><br>M12『手を』<br>「世界はいつの時でも信じ続けて始まる」少しニュアンスの異なる表現。<br>「心の中でいつまでも固く握手を」は原作にはありませんが、史実のフィンセントからテオドルスに最後に送られた手紙の一行だそうです。<br>フィンは死をも肯定的にとらえていて、自分の死を悲観してはいない。気持ちは変わらない。<br>しかし強がりで実は弱虫な弟を心配して様子を見に来たのではないか。<br><br>そしてテオによってなぎ倒されたイーゼルと帽子を立て直す。<br>イーゼルはフィンセント、帽子はテオドルスを表している。<br>その2つを1段高いところへ持って行き、帽子だけを手にし、テオにかぶせる。<br>1度魂がフィンの元へ行ったテオに「まだやることがあるだろう？君の宿命だ」と優しく教えるように。<br>いつもテオが帽子を目深にかぶっていたのはきっと彼自身が醜いと思っている、嫉妬や憎悪や弱さを隠すためだったのではないか。<br>それをフィンが浅くかぶせることによって「もう偽らなくていい」という兄からの最期のメッセージなのでは。<br><br>手紙を読み終え、立ち上がり帽子を深くかぶり直し歩き出すテオ。<br>しかしその動きはいつもの機敏さはなく、ゆっくりしたものだった。涙とともに流れた虚勢。<br><br>フィンが死んでしまってからのテオの声色は一貫して冷たく地を這うように低く、色のないもの。<br><br>捏造したフィンの話をサントロがしている間、アンリ達は固唾を呑んでサントロの方を見ているのに対し、テオにだけ捏造されたフィンが見えている。<br>狂気の画家、ゴッホ。<br>その姿を作っているのはテオ自身なのにそのフィンの姿を見て手を伸ばし、泣き出しそうな顔で首を横に振る。<br>しかし耳の話と、フィンの死に関するテオにとって特別なことに対してはすぐに無情なまでの狂気的な案を出す。<br>自殺したということにしたいと話すテオにつめよるエミール。<br>散々“毒”と言って口にしなかったアプサントを飲み「それでいい」と言い放つテオ。<br>ここでテオは“兄の死を悲しんでいる弟テオ”を自分の手で殺している。<br><br>フィンの戯曲に「どこまでも高いシナリオを描く」の力強さ、毒を体内に取り込んで最後の残り僅かな強がり。<br><br>M13『ひまわり』<br>絵画展のような曲。<br>原作では重きを置かれていなかったゴッホのひまわりを印象づける曲。「あなただけを見つめて咲く」<br><br>1年後。<br>サントロが街でのフィンの評判について伝えに来る。<br>「死ぬべきだった」の原作テオは虚ろな印象だったのに対し、ミュージカルの良知テオはその後に言葉が続くのなら「死にたかった」なのではないか。<br>死にたかったが、兄の絵を世界に広め、兄の絵で変わっていく世界を見届けるのが宿命であったために「死ねなかった」のではないか。<br>「兄さんは俺の人生の全てだった」と泣き崩れるテオ。人生の全てを失った者、全てを作り変えた者。<br>大好きな兄の絵を広めるためとはいえ、兄の人生を作り変えたことへの罪悪感。<br>テオは本当は、フィンの絵もフィン自身も世界に愛して欲しかったのではないか。<br><br>老人になったテオ。<br>（このシーンはテオドルス役の良知さんの案でうまれました。）<br>兄の使っていた赤い絵筆を持ち、幼い兄の姿を追いかけて何かを描くようにひまわり畑の中に消えていく。<br>幼き日にふたりで描いた夢(絵)が叶った(完成した)ということなのか。<br><br>現代のゴッホ展。<br>セリフは原作と同様ですが、展覧会に来ているのはゴーギャン役のKimeruさん演じる青年とフィンセント役の平野良さん演じる青年。<br>「死んでも離れない」とキヅタ花言葉をKimeruさん演じる青年から聞き「へぇ…」とゴッホの肖像画を見つめる平野良さん演じる青年。<br>暗転直前、ふわっと優しく笑って俯き、それはまるで何かを思い出したような微笑み。<br><br><br>カーテンコール<br>『モンマルトルの丘』<br>「幼き二人の夢」で肩を組んで嬉しそうに笑い合う良知テオと平野フィンが大好きでした。<br>私はこれを見る度にテオとフィンと仲間達の幸せを祈りたくなりました。祈らずにはいられない。<br>はけ際の投げキス合戦や初日と千秋楽のハグは尊いとかそんな言葉で言い表すのが恥ずかしいほどに、2人の嬉しそうな表情を見るたびに胸が締め付けられました。<br><br><br>私はさよならソルシエの原作が大好きで、テオドルスのことが本当に好きでした。<br>高校時代に英語の教科書で知った2人のゴッホの人生。<br>その2人のゴッホを題材としたさよならソルシエを手に取り、読み始めた時は疑問符の連続でした。<br>しかしその疑問符が全て消えた時に私の世界は変わりました。<br>「もしかしたらこんなこともあったのかもしれない」<br>「現在そう思われていること、というのはもしかしたら誰かの魔法なのかもしれない」そう考えるようになりました。<br>また、さよならソルシエに出会ってから史実厨寄りだった私が色々な作品と出会ってそれ以前だったらきっと受け入れることのできなかったかもしれない作品を好きになったりもしました。<br>それくらい偉大な作品です。<br>しかし2巻完結ということと、知名度からメディアミックス化はないと思っていました。 <br><br>そこで突然やってきたミュージカル化。<br>私がミュージカル化を知ったのが主演のおふたりのキャラクタービジュアルが解禁された日、2015年10月28日でした。<br>期待しかありませんでした。<br>演出脚本作詞が西田大輔さん(苦手だった歴史上の人物を西田さん脚本の舞台を観劇後とても好きになっていたばかり)ということで、これは凄いことになったぞ、と。<br>そして原作からそのまま出てきたような良知テオと平野フィン。<br>期待をふくらませ続けた5ヶ月間、現実感の無いまま迎えた初日。<br><br>3月17日、相当な衝撃を受けました。<br><br>私は原作のなんでも操ることのできる、クールでキザで圧倒的に格好良い“ソルシエ”であるテオドルス・ファン・ゴッホが好きでした。<br>ミュージカルのテオドルスは足音、帽子さばき、去り方、話し方、視線の動かし方、全てが溜息が出るほどに美しく見惚れるほどでありました。しかし、全く違っていたのはソルシエであるまえに“人間”だったのです。<br>ずっと好きだったテオドルスが自分と同じ人間だと気付かされた日。<br>自分は今までテオドルスの何を見ていたのだろう、と思いました。<br>良知さんがテオドルスとして生きてくれたおかげで、私はテオドルスをはじめて知ることが出来たように思います。感謝しかありません。<br>そしてはじめてテオドルスを「可愛い」「愛おしい」と思いました。<br>そんな大好きなテオドルスのいる2(.5)次元と3次元の境界線の崩壊。<br> 恋愛モノではないのに「恋した」と表現している方がとても多い印象でした。<br>それはやはり、境界線の崩壊に一因があると思います。<br>きっと「しーっ…」を聴いた瞬間から恋に堕ちていた。<br><br>そして「原作に忠実」でありながらさらにリアリティを感じさせるオリジナルキャラクターやオリジナル要素。<br>フィンセント役の平野さんの言葉を借りるなら「どこまでが史実でどこからがフィクションなのかわからなくなる」作品でした。<br>テオが恋したフィンの作品にもスポットを当てることで“人間である”テオの心の中が曝け出される。<br><br>また、テオドルスがあんなにも表情が豊かだったのは、平野さんと良知さんのW主演だったからではないかと思います。<br>原作はテオが主人公であるために「テオが自分で思い描くソルシエ」のテオドルスであり、<br>ミュージカルはクールでキザな部分はテオドルスから見たテオドルスで、チャーミングで表情が豊かなテオドルスはフィンセントから見えていたテオドルス。<br>要するに「理想と現実から見たソルシエで人間」なテオドルスなのではないかと。<br><br>幸せで悲しくて残酷な5日間はあっという間に過ぎ去ってしまいました。<br>千秋楽では完全に恋に堕ちていた私は、もうテオドルスに会えないことに(会うという言葉はエンターテイメントにおいて相応しくはありませんが、境界線が崩壊されて、テオドルスに3次元が見えていることからあえてつかいます)まだパリに帰らないで！まだ出会って5日しかたってない！もっと秘密を共有させて！と、寂しさと狂気でいっぱいになっていました。<br>そこで良知さんの口からでた「続編はありません！でも、みなさんの声がたくさんあれば再演も！」と聞き、また号泣。<br>再演するときはもっと長い期間で、もっと沢山の人とさよならソルシエという異空間を共有したいです。<br><br>ただの1ファンで何者でもないのですが、さよならソルシエミュージカル化の話を聞いた時に<br>「キャストさんとそのファンの方々が、さよならソルシエに出会えてよかったと思っていただけるといいな」と少し不安に思っていました。<br>実際はキャストさんもファンの方々も本当にキャラクターとさよならソルシエを愛してくださって、こんなに愛のある作品になったことが本当に嬉しく思いました。<br><br>ひとりひとりとても魅力的なキャラクターばかりで、革新派はもちろん保守派も大好きになりました。<br><br>土屋シオンさんのアンリは、とてもクソガキ(褒めてる)でありながら育ちの良さが出ていて愛くるしい。<br><br>小野健斗さんのエミールはお調子者ですが優しさもあり、見ていて微笑ましい。<br><br>吉田大輝さんのシニャックはとてもお洒落で可愛らしく、いい子で素直な感じが画家組の毒(個性)の中和剤。<br><br>Kimeruさんのゴーギャンは画家の年長者でありながら1番のアグレッシブで世渡り上手、のらりくらりとやっていく器用なバランス感覚。<br><br>合田雅吏さんのサントロは、物語の案内人でありながら最大の共犯者で共犯者の中でテオの1番の理解者で支えでもあり、何よりも誘い笑い。<br><br>窪寺昭さんのムッシュは、下賤のインパクトが強いのですが、保守派としての活躍と眼差しの冷たさ。<br><br>泉見洋平さんのジェロームは、彼の抱える苦悩や焦りがひしひしと伝わってきて、感情移入してしまいそうになるほどで。あとは気品が溢れてる。<br><br>平野良さんのフィンセントは、本当に世界が美しく見えているのでしょう。天使のような彼を見ているととても心が洗われるようでした。<br>平野さんのほうが良知さんよりも年下だと公演中に聞いて驚きでした。<br>テオドルス役の良知さんがお兄ちゃんお兄ちゃん言うものだからそのままの年齢差かと（笑）<br>アフタートークやカーテンコールで自由奔放に動き喋る平野さんと、それを3秒くらいじっと見てからお兄ちゃんお兄ちゃん連呼して大絶賛してドヤ顔する良知さん本当に心臓に悪かったです。<br><br>どなたかもブログで仰っていましたが、圧倒的兄弟愛！<br>圧倒的兄弟愛にほかなりません。<br><br>ぜひ、再演を！同じキャストで！！！<br><br><br><br>「史実とは」「そう思われているものの本当の姿は」を問うてくるマンガ『さよならソルシエ』<br>「言動の裏に隠された想い」「ソルシエと呼ばれる人間の本当の姿」を表現していたミュージカル『さよならソルシエ』<br>2.5次元で重きを置かれる「原作に忠実」でありながら「登場人物の脱構築」という新しいジャンルの作品だと2.5次元を超越した作品だと私は考えます。<br><br>素敵な作品をありがとうございました。<br>DVD&amp;Blu-Ray、楽しみに毎日カウントダウンしています。<br><br><br>そして最後に。<br>本当に本当に、さよならソルシエのテオドルス・ファン・ゴッホが大好きです。<br>ミュージカルのテオドルスに出会えてテオドルスのことをもっとずっと好きになりました。<br><br><br><br>大好きな魔法使いの言葉を信じて。<br><br>「また、会いましょう」
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<link>https://ameblo.jp/mysn1030/entry-12152670710.html</link>
<pubDate>Fri, 22 Apr 2016 01:42:00 +0900</pubDate>
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