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<title>kn7083のブログ</title>
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<title>【F-2】青森リンゴが台湾で支持される訳（山田兄弟）</title>
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<![CDATA[ <p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　前回、リンゴを輸出するのに、昭和の時代に枠があった事を紹介しました。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　やがて、貿易の自由化が進み、日本から台湾へのリンゴ輸出にも２千トンまでの拡大から始まり</span></span><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">制限なしになりました。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　その変化は、貿易統計を見ればわかります。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　特に、台湾向けが大きく伸びています。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　現在も、その地位は変わりありません。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　その要因の一つは、幕末明治維新の頃の出来事も関わっています。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　津軽の歴史に詳しい方ならご存じの山田良政、純三郎兄弟の事です。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　台湾は、孫文が主導した中国革命で誕生した「中華民国」、その政治活動に参加した津軽藩の若き武士の山田兄弟への思いは今でも台湾人の方に語り伝えられており、その碑が、青森県弘前市新寺町の浄土宗貞昌寺にあります。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　命日供養には台湾からも政府関係者や日台親善交流関係者など多くの人が訪れています。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">　日本は田中角栄総理の時代に台湾との国交断絶をしましたが、台湾と青森県との関係は変わりなく、むしろもっと強く結ばれ、青森県と台湾の官民交流は盛んに行われております。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-weight:bold;"><span style="font-size:0.83em;">&nbsp;この原稿を書いていたら、以下の記事を見つけたので紹介します。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle">&nbsp;</p><p data-uranus-component="entryTitle"><span style="font-size:0.83em;">　</span></p><p data-uranus-component="entryTitle">&nbsp;</p><p data-uranus-component="entryTitle">&nbsp;</p><p data-uranus-component="entryTitle"><a aria-current="page" href="https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-10627629014.html" rel="bookmark"><span style="color:#6416b3;">台湾で「国父」と称えられる孫文が映画化</span></a></p><p data-uranus-component="entryDate"><span style="color:#6416b3;"><time datetime="2010-08-23">2010-08-23 10:17:46</time></span></p><dl data-uranus-component="entryThemes"><dt><p><span style="color:#6416b3;">テーマ：</span></p></dt><dd><p><a href="https://ameblo.jp/na-a911e2/theme-10022136320.html" rel="tag"><span style="color:#6416b3;">ブログ</span></a></p></dd></dl><p align="left"><span style="color:#6416b3;">【りんご雑学帳22】　21号</span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">青森りんごが台湾で人気<span style="font-size:1em;">がある背景に、弘前と孫文が深い縁で繋がっていることを知っていますか？</span></span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">孫文の自叙伝の一節に「中国革命に尽くして終生怠らざりし者に､山田兄弟､宮崎兄弟､菊池､萱野がある（「請孫文再来」より）」と記され、山田兄弟と菊池の3人は弘前出身で、特に山田兄弟については、弘前市新寺町にある「貞昌寺」の境内に、孫文が書いた良政の碑と蒋介石が書いた碑があり、桜が咲く時期に毎年、日本と台湾の関係者が集まり友好拝礼祈願が行われています。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">こうした活動を地元では「青森県日華親善協会」などが行い、その縁が台湾の政財界との接点になり、昭和47年の台湾との国交断絶の後も青森県との友好関係は維持されてきて、今日の大量取引に繋がっているのです。</span></span></p><p align="left">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p align="left"><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">台湾では、中華民国建国100年を記念して、孫文をテーマにした記録映画が作られることになったというニュースを見つけましたので、関連情報として紹介します。</span></span></p><p align="left">&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">【2010年8月21日　毎日新聞】</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">――　「孫文」天真らんまんな無知か　――</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">【台北・大谷麻由美】台湾の馬英九政権が来年の「中華民国建国100年慶祝活動」の一環で製作を進めている近代中国の革命家、孫文の記録映画に関し、人物像の描き方で激論が起きている。「天真らんまんな無知」とも評された人間・孫文を描くか、偉大な革命家の立場を強調するか。映画完成まで議論が続きそうだ。</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">　来年は中国・清朝の打倒につながった1911年の辛亥革命から100年。翌12年1月1日の中華民国の成立から100年目に当たる。台湾では、中華民国の初代総統に就任した孫文を「国父」と呼ぶ。</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">　孫文の記録映画には公的資金2000万台湾ドル（約5300万円）が投じられる。映画製作を主管する建国100年基金会の製作顧問で女性作家の平路氏は、台湾メディアに対して孫文を「レーニンに笑われた天真らんまんな無知」「情熱的だが抽象的な思考に欠ける」と分析。一方で「その生命の特徴は若者を感動させる」と語り、。映画で孫文を多元的、人間的に描く考えを示した。これに対し、孫文研究の専門家、胡仏・台湾大学名誉教授と弟子の周陽山・監察委員が「軽佻な分析で、孫文を侮蔑している」と批判。公的資金で製作する映画としては「妥当でない」と指摘した。</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">　台湾では国民党の独裁時代、蒋介石・蔣経国の両総統を神格化し、民衆の反感を買った歴史がある。今回の映画製作では孫文の神格化を警戒する意見は多い。</span></span></p><p>&nbsp;</p><p align="left"><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">孫文の自叙伝の一節に「中国革命に尽くして終生怠らざりし者に､山田兄弟､宮崎兄弟､菊池､萱野がある（「請孫文再来」より）」と記され、山田兄弟と菊池の3人は弘前出身で、特に山田兄弟については、弘前市新寺町にある「貞昌寺」の境内に、孫文が書いた良政の碑と蒋介石が書いた碑があり、桜が咲く時期に毎年、日本と台湾の関係者が集まり友好拝礼祈願が行われています。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">こうした活動を地元では「青森県日華親善協会」などが行い、その縁が台湾の政財界との接点になり、昭和47年の台湾との国交断絶の後も青森県との友好関係は維持されてきて、今日の大量取引に繋がっているのです。</span></span></p><p align="left">&nbsp;</p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">台湾では、中華民国建国100年を記念して、孫文をテーマにした記録映画が作られることになったというニュースを見つけましたので、関連情報として紹介します。</span></span></p><p align="left">&nbsp;</p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">【2010年8月21日　毎日新聞】</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">――　「孫文」天真らんまんな無知か　――</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">【台北・大谷麻由美】台湾の馬英九政権が来年の「中華民国建国100年慶祝活動」の一環で製作を進めている近代中国の革命家、孫文の記録映画に関し、人物像の描き方で激論が起きている。「天真らんまんな無知」とも評された人間・孫文を描くか、偉大な革命家の立場を強調するか。映画完成まで議論が続きそうだ。</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">　来年は中国・清朝の打倒につながった1911年の辛亥革命から100年。翌12年1月1日の中華民国の成立から100年目に当たる。台湾では、中華民国の初代総統に就任した孫文を「国父」と呼ぶ。</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">　孫文の記録映画には公的資金2000万台湾ドル（約5300万円）が投じられる。映画製作を主管する建国100年基金会の製作顧問で女性作家の平路氏は、台湾メディアに対して孫文を「レーニンに笑われた天真らんまんな無知」「情熱的だが抽象的な思考に欠ける」と分析。一方で「その生命の特徴は若者を感動させる」と語り、。映画で孫文を多元的、人間的に描く考えを示した。これに対し、孫文研究の専門家、胡仏・台湾大学名誉教授と弟子の周陽山・監察委員が「軽佻な分析で、孫文を侮蔑している」と批判。公的資金で製作する映画としては「妥当でない」と指摘した。</span></span></p><p><span style="color:#6416b3;"><span style="font-size:1em;">　台湾では国民党の独裁時代、蒋介石・蔣経国の両総統を神格化し、民衆の反感を買った歴史がある。今回の映画製作では孫文の神格化を警戒する意見は多い。</span></span></p><p data-uranus-component="entryTitle">&nbsp;</p><p data-uranus-component="entryTitle">&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12670025468.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Apr 2021 11:10:49 +0900</pubDate>
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<title>【F-1】りんご輸出枠があった昭和の時代（復刻）</title>
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<![CDATA[ <p align="left">　私のブログも、そろそろ最終章になります。</p><p align="left">　リンゴ業界から離れて10年、人も代わり環境も変わりました。</p><p align="left">　コロナ禍の影響で海外との取引が制限される中、青森リンゴは元気です。</p><p align="left">　ここに至るまで、有名無名の別なく多くの人が頑張ってきた成果だと思います。</p><p align="left">　私も昭和の時代に生きて少しは頑張ってきました。</p><p align="left">　<span style="font-size:1em;">当時の事を知る一人です。</span></p><p align="left"><span style="font-size:1em;">　このブログに書いた原稿から残したい記事を復刻してみました。</span></p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left"><span style="font-size:1em;">　2018-07-10 19:25:25</span></p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left"><span style="color:#6416b3;"><b>りんご輸出枠があった昭和の時代【N－６号】</b></span></p><p align="left"><a name="_Hlk518314153"><span style="color:#6416b3;">【リンゴ雑学帳N６号</span></a><span style="color:#6416b3;">】</span></p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">　昭和43年(1968年)に発行された「東南アジアとリンゴ市場」には、最終章に「ワクのないかなしさ」から始まる段落に、通産省が昭和30年（1955年）10月に「輸出入取引法」に基づく省令を公布し、東南アジアに輸出するリンゴにワクをはめてしまった――事が書かれています。</span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">　その省令により、毎年、通産省の部会で年間輸出総量を決め、過去３ヶ年の輸出実績によって各商社に割り当てられていたのです。</span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">　この本が発行された昭和43年(1968年)当時は総枠が1,072,800箱（19,310トン）、うち、80％は神戸の商社５社（神戸洋行、関西貿易、山本貿易、富永貿易、神果貿易）が独占していました。残りのうち、青森県では永井商会（浪岡）と県りんご輸出協会で、合わせても３万箱（570トン）しかなかったのでした。</span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">　その年、青森港からは381,500箱（6,867トン）が輸出されたとの事です。35万箱は神戸の商社の枠、1箱に20セント（72円）のマージンを支払ったのです。252万円を神戸の商社に支払いつつ、青森県の「りんごや」は頑張ってリンゴを輸出していた時代があった事を、この本から読み取れます。</span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">　昭和48年（1973年）に省令は廃止されました。</span></p><p align="left"><span style="color:#6416b3;">　平成15年（2003年）に中国と台湾がＷＴＯに加盟してからは飛躍的に輸出を伸ばし今日では３万トンまで達成、4倍に至っています。</span></p><p align="left">&nbsp;</p><p align="left">&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12669477753.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Apr 2021 14:59:19 +0900</pubDate>
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<title>【G-8】リンゴ業界のモンスター、鍛 恒雄氏</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color:#006a2f;">鍛 恒雄(きたえ・つねお）さんは、1922年（大正11年）3月生まれ、98歳で、業界の最長老。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">1989年（平成元年）7月から1994年（平成6年）7月まで弘前りんご商業協同組合の理事長を務めた</span></p><p><span style="color:#006a2f;">ほか、青森県りんご対策協議会の専務理事【1988年（昭和63年）6月～1992年（平成 4年）8月】、青森県りんご輸出協会の理事、弘果りんご買参人共進会の会長など、業界各団体の要職をこなしてきた方です。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">詳細は、りんご大学のHPから、「我ら林檎人」をググって見てください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#006a2f;">前回のブログで、筆者は組合の冷蔵庫で勤務していた話をしました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">鍛さんはそこの組合の理事をしていて、当時はまだ普及していなかった「ＣＡ冷蔵庫」の建設を提案し、本格的な大型りんご専用CA貯蔵の先鞭をつけるきっかけになりました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">その後、この組合のＣＡ冷蔵庫を参考にして、キタエアップルがＣＡ冷蔵庫を建設。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">施工業者も従来の防熱工事のみの冷蔵庫から、気密工事を加えたＣＡ冷蔵庫建設に取り組み、後発のメーカーであった「フジプラント」が、今では業界のトップの施工業者になるなど、昭和60年（1985年）頃からの建設ラッシュは凄まじいものがありました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">フジプラントの社長、藤崎和夫さんは、第33回木村甚弥章【2007年（平成19年）】を受章しています。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">詳細は、青森県りんご対策協議会のHPから検索して見てください。</span></p><p><br><span style="color:#006a2f;">今回は、かつて私がりんご貯蔵の仕事で関わりのあった方から、昔を思い出して書いてみました。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12645724140.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Dec 2020 16:15:16 +0900</pubDate>
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<title>【G-7】長尾清秀さん「大阪・京阪天満橋駅前での“りんご集団強奪事件」を覚えてますか？</title>
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<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#009944;">もう36年も前の出来事だったんですね。</span></p><p><span style="color:#009944;">あの事は今でもはっきり覚えています。</span></p><p><span style="color:#009944;">長尾清秀さんは、あの事件が転機でりんご行商から「ナカショウ」を起業し、青森県弘前市内にりんご移輸出商店を構え、業界に名を連ねる存在になりました。</span></p><p><span style="color:#009944;">当時の被害総額は40万円だったそうですが、結果は良い宣伝費になった形です。</span></p><p><span style="color:#009944;">数年前にナカショウは廃業、津賀野にあった社屋は別の農業関連の会社に変わってしまいました。</span></p><p><span style="color:#009944;">あの時のリンゴは、私が当時勤務していた組合の冷蔵庫から出荷したものです。その担当者が私でした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#009944;">事件の概要は以下の通り。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">昭和５９年４月２３日、</span><a name="_Hlk59264582"><span style="color:#cc0000;">大阪・京阪天満橋駅前</span></a><span style="color:#cc0000;">。青森からトラックで行商にきた人が、はるばる運んできた赤いりんご８０箱をトラックの荷台に積んで売っていた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　桜の季節で、駅前は近くの桜の名所、造幣局の　「通り抜け」　に訪れた人たちでにぎわっていた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　事件はその人が、電話をかけるため目を離したわずかなすきに起こった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　リンゴの山に、「試食をしていただいて結構です」と垂れ幕がしてあった。それをみた人が、つい一つ、手にした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　「リンゴはただやで」ということになり、１個どころか何個も手にする人が出た。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　「押さんといて」。群集心理に火がつきトラックの前には身動きもできない人だかりがした。興奮してかリンゴの山にのぼり、人がきを目がけてボンボンとリンゴを投げる背広姿の男の人もいたという。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　千数百個のリンゴはアッという間になくなってしまった。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　かえってきた青森の人は、ぼうぜんとした。最初は何が起こったかわからない。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">被害総額４０万円。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　「いまさら警察に訴えてもしかたがない」と被害届も出さなかったが、マスコミに「大阪は本当に怖いところ」ということばを残して帰った。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　大阪新聞は、事件の発生から３日後に「大阪の良識を取り戻そう」キャンペーンを展開した。これが当時の佐藤編集局長の発想である。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　「いまからでも大阪の良識を取り戻しましょう。持ち帰ったリンゴの代金を支払うのも反省の証の一つです」と代金の支払いや寄付を紙面で呼びかけた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　キャンペーンは大きな反響と共感を呼んだ。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　「天満橋のサラリーマン」を名乗る人からは「事情が分からず、４個拝借しました。申しわけありません」と代金の倍額の２千円を届けてきた。「大阪のイメージダウンになるのはたまりません」と１０万円をボンと寄付する団体も現れた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">青森出身の舞踏家・江口乙矢さんも３万円を寄託。寄金は３１万２５００円に達した。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　現地の希望に沿い、交通遺児のために役立ててほしい、と編集局長が弘前市役所を訪れて、大阪市内の幼稚園児が描いた２００枚のリンゴの絵とともに福士文知市長に託した。当の被害者からは、「大阪人の真心に触れることができました」と手紙が届いた。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">　大阪、弘前の両市が市制１００年を迎えた平成元年からは、府内の福祉施設へのリンゴの寄付がスタート。そして平成９年も１０月２３日、市内のホテルで金澤隆弘前市長から大阪新聞社に２０ケースのリンゴが託された。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">新聞記事より</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#cc0000;">【大阪】二十三日午後、花見見物でにぎわう大阪の桜の名所、大阪造幣局「桜の通り抜け」近くで、リンゴ路上販売業者が電話をかけに行ったわずかのスキに、約２㌧、八十箱のリンゴが通行人に次から次に持ち去られる”事件”があった。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">「試食していただいても結構です」の看板に、通行人が群集心理にかられ持ち去ったらしいが、青森から来た業者はあまりのモラルの低さにあ然とし、警察に被害届も出さず、しょんぼり引き揚げていった。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">ご難にあったのは弘前市清原二ノ一〇ノ二十九、リンゴ販売業</span><a name="_Hlk59262249"><span style="color:#cc0000;">長尾清秀さん</span></a><span style="color:#cc0000;">（三六）。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">長尾さんはこの日正午すぎ、造幣局の花見に出かける客でにぎわう大阪市東区京橋二ノ三ノ五の天満橋南側付近の路上に、二㌧トラックに満載してきたリンゴ約八十箱（約四十万円相当）の荷を下ろし、路上販売を始めた。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">午後零時四十分すぎ、電話をかけに行き、約十五分後に戻ってみるとほとんどが空箱。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">この間、百人ぐらいの通行人が、路上のリンゴに群がり次々と持ち去っていった。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">道路の反対側で雑踏警備にあたっていた大阪府警東署員が異常に気付き駆けつけたが、リンゴはほとんど持ち去られた後。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">長尾さんは「”試食していただいても結構です”の看板を出していた私が悪かった」とうなだれるばかり。</span></p><p><span style="color:#cc0000;">同署員がしきりに被害届を出すように説得したが、応じず、午後四時すぎまでに、残ったわずかのリンゴを売りつくし、弘前へ戻っていった。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12644900870.html</link>
<pubDate>Sat, 19 Dec 2020 11:03:53 +0900</pubDate>
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<title>【G-6】蜜入り「ふじ」は津軽の味と香りがする</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color:#006a2f;">数日前に、弘前（ひろさき）の友人から、リンゴが届きました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">「サンふじ」と「トキ」でした。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">早速、「サンふじ」を割ってみました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">芯まで蜜が入った完熟でした。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">一口食べると、甘い香りと味がしました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">そして、懐かしい津軽の空気がしました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">数年前に信州の地（長野県）で出会った「秋映」（あきばえ）は</span></p><p><span style="color:#006a2f;">私には甘酸っぱい香りと味は、最高のリンゴでしたが、</span></p><p><span style="color:#006a2f;">津軽のりんごの懐かしい香りは別物で、感動しました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">地元から離れて3年、忘れかけていた弘前で過ごした日々を</span></p><p><span style="color:#006a2f;">思い出させる出来事でした。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color:#006a2f;">余談ですが、少し前にガラ携帯の調子が悪くなり、</span></p><p><span style="color:#006a2f;">近くのショップで見てもらった序に、</span></p><p><span style="color:#006a2f;">住所登録が弘前のままになっていたので</span></p><p><span style="color:#006a2f;">変更の手続きをしている際に、本人確認で</span></p><p><span style="color:#006a2f;">前の住所を聞かれ、「ひろさきし…」と言ったら</span></p><p><span style="color:#006a2f;">「それは違います」と言われてしまいました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">松前（まつまえ）は北海道にある地名ですが、</span></p><p><span style="color:#006a2f;">その連想からか「ひろまえ」とその係の方が思ったのでしょう。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">前を「さき」とは普通は読めませんよね。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12643956963.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Dec 2020 13:04:52 +0900</pubDate>
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<title>【G-5】北山敏光氏死去</title>
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<![CDATA[ <p align="left"><span style="color:#006a2f;"><span style="font-size:1em;">元青森県りんご対策協議会会長、青森県りんご輸出協会会長の、北山敏光（きたやま・としみつ）さんが亡くなったという記事を2020年10月28日付けのWｅｂ東奥で見て驚きました。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#006a2f;"><span style="font-size:1em;">青森県出身で長くリンゴ関係の仕事に携わっていた筆者には関係があった方でした。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#006a2f;"><span style="font-size:1em;">思い出もたくさんあります。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#006a2f;"><span style="font-size:1em;">訳あり、今は別の土地に住んでいます。仕事上でのリンゴとのかかわりもありません。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#006a2f;"><span style="font-size:1em;">正直なところ、このブログで未練がましく自説のリンゴ論を述べているに過ぎません。</span></span></p><p align="left"><span style="color:#006a2f;"><span style="font-size:1em;">そんなところで、記録として関係者の訃報を残しておきます。</span></span></p><p align="left">&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12643384995.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Dec 2020 15:34:23 +0900</pubDate>
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<title>[G-4]秋映が高値になったね！</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color:#006a2f;">ブログを再開します。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">信州リンゴの人気品種、秋映（あきばえ）、今季はもう終わりましたが、</span></p><p><span style="color:#006a2f;">10月下旬にスーパーマーケットで見かけたら、1個200円ほどと、</span></p><p><span style="color:#006a2f;">高値になっていました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">今年は高温続きで、果物全体的に、生育環境が異常でしたから</span></p><p><span style="color:#006a2f;">どれもこれも高値傾向です。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">シナノスイートを買って食べました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">スイートと言いながら結構酸味がありました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">青森県人の感覚では甘いとは言えない味です。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">青森県産は、甘みが強い傾向です。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">好みは人それぞれです。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">自分の好きなものを選べば良いのです。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">と言う訳で、今日は気ままに書きました。</span></p><p><span style="color:#006a2f;">また宜しくです。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12640726327.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Nov 2020 12:53:40 +0900</pubDate>
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<title>私家版　青森県りんご史　その3【G－3号】りんご冷蔵庫の普及で通年販売を可能に</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-weight: bold;"><font color="#0000ff">【CA貯蔵に至る進歩】</font></span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">リンゴは、冷蔵庫で冷やしておけば、収穫後６ヶ月以上保管出来ます。品種にも寄りますが、「ふじ」なら10月下旬に収穫したものは4月以降でも美味しく食べられます。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">青森県は本州北端に位置するハンディを逆手に取って、商系の方々がいち早くリンゴ専用の冷蔵庫を建てました。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">初期のものは単に冷やすだけでしたが、昭和50年頃からCA貯蔵が普及していきました。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">先行した商系の施設を参考に、農協でも「リンゴセンター」が建設されました。ここにはＣＡ冷蔵庫と選果場がセットで設置されていて、「流し選別」「箱詰め」を行い、出荷されます。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">農協の施設が充実したおかげで、青森県のリンゴ産業も商系主導からＪＡグループへシフトして行きます。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">りんご史を語るには商系の方々の先見性を忘れてはいけません。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">しかし、リンゴは商材から健康食品になり、年中、スーパーマーケットに並ぶ大衆食品になりました。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">そして、4月頃になるとほとんどが青森県産だけになります。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">最近は、生食だけでなく加工用に特化した品種も長野県などで作られています。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">少量多様化の動きも注目しておきたいと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">【筆者より】</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">思いが先行し、今回もまとまりの話になりました。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">兎に角、書くことに意義ありと続けていきたいと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12572979760.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Feb 2020 17:27:56 +0900</pubDate>
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<title>私家版　青森県りんご史　その2【G－2号】リンゴ輸出が５万トンに至るまでの開拓史</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">【リンゴ輸出５万トン時代を迎えて】</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">リンゴ輸出の約９割は青森県産です。青森県の経済はリンゴ産業に大きく支えられています。行政機関（県、市町村）、金融機関（銀行など）、鉄道、トラック、農薬、資材（段ボール、発泡スチロール、など）、他県ではここまでリンゴだけに関わった生活環境はないでしょう。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">リンゴ史を捉えるにあたって、現在に至るリンゴの定義で言うなら、明治８年4月に内務省勧業寮からリンゴ苗木3本が配布され、と言うのが一般的です。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">それ以前のリンゴは和リンゴで、今日食べているものは外来種です。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">リンゴの輸出は、国の制度で縛られており、ここ最近は年間輸出量４万トンを上げ、５万トンに達する勢いで実績を伸ばしていますが、昭和16年の日華事変から太平洋戦争で配給統制が制定されたため、終戦を迎えるまで自由に取引できなかったなど、歴史的な背景があります。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">戦後乱立したリンゴ商の過当競争によるダンピング、粗悪品を防止するため、昭和30年10月に通産省は「輸出入取引法」に基づく省令を発し、輸出量の割り当て制になった事や、昭和47年９月、日中国交正常化も影響しています。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">【筆者から】</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">今回は、まとまりのない話になりました。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 255);">何れ、整理してまとめたいと思いますが、しばらくは、思いついたまま書き進めていくつもりです。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12572447295.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Feb 2020 13:53:28 +0900</pubDate>
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<title>私家版　青森県りんご史　その１【G－１号】ブログの再開にあたり【序】</title>
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<![CDATA[ <p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">【筆者から】</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">都合により、しばらく休んでいましたが、ブログを再開いたします。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">このブログをご覧いただいていろ方はお気づきでしょう。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">再開にあたり、タイトル番号をNからGに変えました。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">長年、青森りんごに関わってきた事で、私なりに思うことがあり、まだ記憶があるうちに残しておきたいという衝動から、書きます。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">【序】</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">青森県はリンゴ生産量全国シェア60％、ダントツ１位である事は承知のことですが、ここまで安定的に生産が続けられる要因の一つは、年間輸出量が５万トンに至るまでに出荷先が確保されている事です。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">そして、生産者と出荷者の分業が確立されている事も重要な</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">ポイントです。</span></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">今は出荷の</span><font color="#0000bf">60％を<span style="color: rgb(0, 0, 191);">農協が</span><font color="#0000bf">、40％を商系が行っていますが、明治から昭和の時代まで、青森県では津軽地区を中心に岩木山麓で広くリンゴ園が開墾され、リンゴ農家は栽培技術の研鑽に励み、収穫後の流通は「林檎屋」が県外、国外に出荷する体制が整っていました。</font></font></p><p><font color="#0000bf">当時の農協はコメや野菜の生産・出荷が主な仕事で、リンゴの扱いはあまり多くは関わっていませんでした。</font></p><p><font color="#0000bf">リンゴは相場の投機的な商材として、商人に人気があり、地元だけでなく山形県や北海道から来た人達で、ヒトヤマ当てようと多くの店が立ちました。所謂、商系と言われる方です。</font></p><p><font color="#0000bf">本州北端で大都市から離れている青森県は、関東や関西に近い街道町で、善光寺の門前で販売していた信州リンゴとは環境が大きく異なっています。</font></p><p><font color="#0000bf">その辺の地理的な条件の違いが、その後のリンゴ産業の発展に違いがあるのです。</font></p><p><font color="#0000bf">今回は、ここまでとします。</font></p><p><span style="color: rgb(0, 0, 191);">次回は、リンゴ輸出が５万トンに至るまでの開拓史を書きたいと思います。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/na-a911e2/entry-12571162542.html</link>
<pubDate>Thu, 30 Jan 2020 12:02:52 +0900</pubDate>
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