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<title>平衡感覚</title>
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<description>まぁ、なんとかなるわな、が口癖（なぐね。）</description>
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<title>引っ越ししたい</title>
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<pubDate>Sun, 31 Aug 2008 14:07:50 +0900</pubDate>
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<title>お線香を手向けに</title>
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<![CDATA[ 日曜日、お線香を手向けに四街道へ行く。<br><br>遺影に写る顔は何故あんなにぼやけているのか。<br>風景のない世界にするために加工されているから、着てもいない服を着させられるからなのだろうか。<br>ここ数年、同じ遺影を見ているが、見るたびにこの写真で亡くなった人を記憶してはいけないなと思う。その一方で、この写真の占める記憶のウェートが大きくなっている。フレッシュだったリアルな記憶は年を経ることに少しずつ底に沈みつつあるからだ。<br><br>遺影に写る人は、写真を撮られることを極度に嫌っていた。以前つき合っていた人が同室で入院していたことから始まったつきあいだったが、終ぞ一度たりともみんなで同じ写真に収まってくれなかった。膠原病ということで、ステロイド剤を服用していたこともあり、周期的に表情が大きく変わってしまうことがあった。ムーンフェイスになると、カーテンを固く閉めてその奥に引きこもり、そうなると目を合わすこともできず、カーテン越しでしか会話ができなくなった。<br><br>－－－<br><br>学校を卒業してまもなくインドに行った時、写真を撮りまくっている人を心底軽蔑していた。そんな小さな枠に記憶を固定して何が楽しいのだろうか。写真を撮るだけでインドを本当に楽しめていると言えるの」と本気で思っていたし、写真を撮ってばかりの人に食ってかかっていた。写真を本気で撮っている今、若かったなぁと思うし、もしかしたらあの時のようなカラダが行動が先に立つインドはもうないのかなと寂しくも思う。その頃は、20代のはじめだし吸収しなくてはならないことがありすぎて、カラダで覚え込ませることがすべてだったのだろう。自分は、今でもその時のインド体験は“それなりに”リアルだと思っているけど、時間やその後に得た思考によって、都合良く脚色されているかもしれないことも知っている。<br><br>－－－<br><br>死ぬ直前、「死んでからも忘れられたくないなんて甘え以外の何者でもないでしょう」と言っていたあの人のことだ。顔がぼやけようと、生前着ることもなかったドレスを着させられても、「遺影なんてそんなものだよ」とクールに言うんだろうな。しかし、彼女が亡くなって数年もすると、写真がないと言うことの意味を遺影を見て考えたりしている。どんなに病状が悪かろうと、一緒に写った写真が欲しかった。無理言ってでも撮るべきだったのかもしれない。<br><br>残されたお母さんから話しを伺う。膠原病を発病してからというもの一切、写真を撮らせなかったようだ。お母さんと親子二人で何度か旅行に出かけたが、娘がもっぱらカメラマンを務め、母一人が写るだけの記念アルバムが多く作られた。発病する前のアルバムを見せてもらったが、私たちが知る人とはまるで別人の彼女がフレームに収まっていた。当日、つきあっていた人の背中から手を回し、同じバイクにまたがる写真、犬吠崎の案内の前で母親と収まるツーショット写真。ステロイド治療を行う前の見たことのない表情の彼女。その後の人生はなかったことにしたかったのだろうか。<br><br>いろいろあーだこーだと考えたところで、すべてのことは時間の差こそあれ、ニュアンスを失い、輪郭がぼけて、やがては忘れていく。<br><br>年に一度の命日、都合良く脚色された事実と知りつつ、その人のありようを想っていろいろ想いを馳せる限り、リアルな存在であるんだろう。<br><br>写真はぼやけていたとしてもね。
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10046561423.html</link>
<pubDate>Sun, 09 Sep 2007 23:42:23 +0900</pubDate>
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<title>明るい離婚相談室。</title>
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<![CDATA[ 先週の深夜、関西に住む友達から離婚の相談を受ける。<br><br>ちょっとした言い争いから、奥さんが子供を寝かせたまま実家に帰ったらしい。悶着を起こして間もなかったのだろう、ちょっと興奮気味に「聞いてくれよと」ばかりに話をしだした。<br><br>ダンナとは年が10歳以上離れ、ダンナもどうしようなく忙しいひとだった。奥さんは、思ったことはすぐには口にせず、とりあえず我慢するタイプの女性だった。自営と言うこともあって、ほとんど休みなく働くダンナ。親から引き継いだ家業は、必ずしも順調なところからスタートしたわけではなかった。ただ、いくつか不動産を有していたことから、それを活用することで再起を目指し、お店のネットワークを広げたのが多忙の原因だった。小売業というのは、忙しいからすぐに社員を増やせるというモノではないらしい。仕入れはもちろん、店のチラシから、ポップの作成まで社長であるダンナが一切、取り仕切っていた。<br><br>カラダ壊すよ、お前。と自分は何度言ったか分からない。それ社長の仕事かよ、とも言った覚えがある。些事であれ任せきれるスタッフがいないというのもあっただろうが、結局自分がコミットしなければ納得しないし、人に押しつけるというのができないそういう性格だったのだ。奥さんは間近でそれを見ていたのだから、仕事に関しては口出しできないし、自分が手伝うことで返って心配や気を遣わせるから何もできないと聞いたことがある。信頼されていないのかな、とも言っていた。そうじゃない、決してそうじゃない、と語気強く答えたけど、届いたかどうかは確信がもてなかった。<br><br>で、原因はなによと自分が訊くと、分からないときた。<br><br>友達としては良い奴だし、優しいし、人を思いやれるし、自分が女だったら面倒見の良さから間違いなく惚れるタイプではあるだろう。友達としてつきあい始めて、10年、遠く離れて暮らすようになって5年以上、コミットが続くというのは彼の性格の良さはもちろん、自分のガサツさによるモノも大きい。しかし、彼が結婚したのは、想ったことを口にする自分のようなタイプではなく、おとなしくて我慢しがちな女性だった。<br><br>奥さんから、ズバズバ物言う自分は妬ましいと言われたことがある。最初は聞き間違いかと思った。妬ましいなんて、人に面と向かって使わない言葉と思っていたから。「それでも言えばいいんだよ」と返したのが、会った時に交わした最後の言葉だったかもしれない。<br><br>我慢をすることで何かがオーバーフローしたのだろう。言語化しないところで繋がっている感じがしたのだが、それは幻想だったのかよく分からない。ダンナにしても、一時でも彼女に愛情を欠いた瞬間はなかっただろう。「わかりやすく、密に」とはよく言われることだ。ただ、そうしなくても伝わる関係を彼が願っていたことは間違いない。<br><br>それは単なる省略だったのだろうか。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10040206835.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Jul 2007 00:42:58 +0900</pubDate>
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<title>玉川温泉にて。</title>
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<![CDATA[ 覚醒したのは、朝の4時。<br>目が覚めて、どこだっけと惑う一瞬が、旅先にいるのだと言うことを実感させてくれる。<br>目が冴えたらしく、二度寝ができそうにないので朝風呂に入る。<br><br>さすがにこの時間は誰も先客がいない。貸し切りと思うと、さらに気持ちが良くなるらしい。大浴場の手前には箱形に区切られた洗い場があって、奥に檜でできた大きな浴槽が４つある。手前の左の湯船は源泉５０％のぬるま湯、その奥も源泉５０％の熱めの湯。手前左側が源泉100％の湯なのだが、塩酸が主成分と言うことがあり皮膚刺激性が強く、物足りないぐらいぬるく設定されている。前日、一緒に風呂場にいた腫瘍のオヤジが言うには、性行為の後、その湯に入ると源泉に入ると、局部がひりひりして痛みが抜けなくなるのだそうな。その奥は、他とは泉質の違う湯が張られている。<br><br>かけ湯して、源泉５０％のぬるま湯へ。深いところに腰を下ろし、頭を浴槽のヘリに乗せる。総檜風呂というと、なんとも嫌味に聞こえてくるものだが、作られて相当時間が経過しているらしく、木の色も黒ずみ、風呂の縁も全体的に丸みを帯びて柔らかい印象を与えてくれる。いい年の取り方をしていると思った。<br>打たせ湯に少しあたって、蒸し風呂へ。見た目はまるでゴミの集積場。穴の空いた観音開きの蓋を開けると、人が座れるようになっており、箱の中に入って穴から首を出すようにして蓋を閉めると体が温まるという仕組みだ。箱に入って、蓋を閉めようとすると体がつかえて蓋が閉まらない。どうやらデブは入るなということらしい。<br><br>蒸し風呂は諦めて、源泉に入ると、確かにお尻の粘膜が少し痛む。別に出すべきところから、逆流させて何かを入れたという覚えはなく、たんに丁寧に拭いただけなのだがそれでも痛い。貸し切り状態から、３０分ほど過ぎると、旅館の従業員が入ってきた。風呂の清掃が終わる朝の２時から５時半までが仮眠の時間で、その時間にお風呂にはいるという。ここの従業員も雪上車に乗らないことには帰れないわけで、下痢をしようと熱が出ようと早退ができないある意味過酷な職場であると言うことを教えてくれた。<br><br>湯から上がると、外が白み始め、湯煙が激しく上がっているのが分かる。風呂から上がると、着替えて、外に出て源泉の噴出口を見に行く。大噴とよばれる噴出口は、毎分8,000リットルの熱泉を吹き出しており、単一の温泉としては日本一の油量らしく、煮える巨大な鍋を見ているようだ。硫黄が幾重にも堆積しており、深みに向かって黄色から緑と幻想的なグラデーションが形成されている。生命の営みが一切ないので、きれいと言うよりは、無機質で吸い込まれそうな感じがして怖い。飛び込めば、間違いなく死ねるスポットではある。<br><br>大噴の周囲は地熱が高いので雪が積もることはないが、硫黄を含んだ水蒸気が、そこかしこから吹き出している。硫化水素の濃度が高く、長時間の滞在を戒める看板を見つけた。人知れないところで硫化水素の濃度が上昇して人が死んだ乳頭温泉は、ここから5kmも離れていないことを思い出した。<br><br>朝の７時になって朝食。鰯のめざしを２匹、スクランブルエッグ、とろろ、サラダ、みそ汁と麦飯と牛乳。自分の隣には、やはり昨日の夕食と同じ癌患者のグループが陣取る。グループと言うよりは、個人個人でなんとなく示し合わせて集まっているらしい。と感じたのは、いつも来ている一人が来ていないらしく、「背の低い人、何時も来ているのに今日いないのは調子悪いからかしら？ 」という会話で始まるのだが、誰もその女性の泊まっている部屋の番号も知らなければ、名前すら誰も知らないのだ。<br><br>８時５０分、雪上車が出発する時刻、荷物をまとめてフロントに行く。値段は田沢湖駅までのバス代を込めてちょうど１万円。雪上車に乗ると大噴の湯煙が遠くなっていく。次にこの温泉に来るときは、癌になったときか、死にたくなった時かもしれないなぁ、と思う。いくら奇跡の湯だと言っても、温泉に浸かることで腫瘍が治るとはとても思えない。ただ感じたのは、同じ現実と向き合い、同じ恐怖を共有できる仲間がいる空間って、そうはないような気がする。健康な人が病人を思う気持ちと、病人が病人を思う気持ちは、同じ相手を思い合う気持ちであっても、決定的に何かが違うと思われる。当事者意識の連帯というと言葉は強いが、共有し会う何かはあるはずなのだから。<br><br>とは書いては見たものの、一泊だけ泊まって、何を言ってるのアンタ？という声も聞こえる。そこまで整理しなくても、そう思う何かはあった、と言うことだけにしておいた方がいいのかも知れない。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10024426084.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Jan 2007 22:37:39 +0900</pubDate>
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<title>悲惨を悲惨の一言で片づけさせないために</title>
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<![CDATA[ <br>クリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」を見る。<br><br>全体を見終わって、第一に感じたのはアメリカという国は、身の回りに戦争をよく知っている人がいて、感情とは別な部分で戦争を語れる人が少なくないと言うことだ。自分の解釈ではあるが、この映画自体は、別に戦争を否定も肯定もしていない。もちろん、戦争を積極的に肯定するということはあり得ないだろうから、否定されるべき戦争であっても、事実から目を反らさないという意味であって、戦争反対とか主張とは一線を画してあるように思えた。海兵隊にとって硫黄島の戦いがどれたけ過酷だったか、アメリカ国民がこの戦いの帰趨にどれだけ熱狂したのか、その熱狂を利用して戦争を遂行するために政府は如何にして国民に戦時国債を買わせたか、戦時国債のPRに利用された「英雄」とされた兵士たちの傷と苦悩、それを徹底的に描写することを主眼に置いている。<br><br>　映画が始まってほどなく、自分の隣で見ている女性が、時折顔を伏せるのが気になった。主に顔を伏せていたのは、被弾シーンでひとつの肉体がそれぞれのパーツに別れて地に舞ったときや、日本軍の兵士が最後に自決した後の肉体の描写などの時に顔を伏せるのが分かった。見たくないから見ないというのは理解できるし、映像の効果としてそうした気分になるのも理解できないわけでもない。ただ、見たくないから見ないというのは、見たいものしか見ないことだと言い換えることができるわけで、この人はこの映画に何を期待しているのだろう。<br><br>　戦争とは何か。何となく私たちは知識を駆使して、それは説明できることは可能と思われる。国家が武力を持って、自分たちが有している意志を貫徹させるための武力行為、というように。戦争の状況であっても、これまで数多くの戦闘シーンがスクリーンの向こうで展開されている。戦車をブチ抜くための反動砲（バズーカ砲ともいう）に人が当たれば、確実にその肉体は砕ける。毎分400発の弾を発するブローニングM2重機関銃の前に踊り立てば、生きて帰ってくるものは誰ひとりしていないと言うことも知っている。蜂の巣どころか、集中的に打撃された肉体は欠損し、もはや人間の体をなさないときもある。そういう状況を指して、私たちは「戦争は悲惨だ」とか、「戦争とは、そういうものだ」と私たちは何気なく使う。おそらく、その言葉の使い方としても大きく間違ってはいないはずだ。「父親たちの星条旗」を見て気付いたのは、恥ずかしいことだけれど、「悲惨」とか「そういう」という言葉で形容されがちな、実際の戦闘行為について具体的なリアルなイメージを持っていなかった自分の姿だ。頭を撃たれれば、脳漿が飛び散り即死する。といつつ、平時に生きる私たちにそれができるかというと、難しい側面がある。<br><br>　いつのことだろう、旧軍で実際の戦闘を体験したお年寄りに対し、若い人が「その戦闘に意味はあったのか」と、お年寄りに詰め寄り絶句させる討論番組をテレビで見たのは。合理性で判断するために若者が何気なく使った「意味」という言葉。負けた戦闘に意味はあるのかというと、意味がないと言っていい。戦争とは目的を遂行するために行われるもので、負けてしまえばその目的は遂行できないからだ。日本軍の戦いの多くは、戦争が拡大して行くにつれて勝つ見込みのない戦いが多く、合理性を示す意味を有しているとは思えない。現場で知っていたかどうかは別にして、戦場で戦った多くのお年寄りにとっても平時である現在、それは自明のことと思われる。しかし、戦場では多くの戦友が死んでおり、その死の質を意味の有無で判断されるのは、お年寄りにとっては我慢ならなかったのだろう。この映画で印象的だったのは、「厳しい戦場をより知っている兵士ほど、戦場について語ることはない、多くの兵士が忘れたがっているからだ」「兵士は国のために戦い、戦友のために死んでいく」という意味の冒頭とラストのナレーションだ。「父親たちの星条旗」とは、この二つのメッセージの間を埋める映画であったということもできる。<br><br>梯久美子の「散るぞ悲しき・硫黄島総司令官・栗林忠道中将」を底本とした「硫黄島からの手紙」は当初、日本人にメガホンを取らせる予定だったとインタビューでクリント・イーストウッドは語っていたらしい。最終的にクリント・イーストウッド自身がメガホンを取るのだが、自分が思うに、感情以外に戦争に対してリアルで積極的に想像力を働かせられる日本人スタッフが皆無だったからじゃないのか。イーストウッド本人に聞いた訳じゃないから分からないけど。<br>戦後、60年他国に対して軍隊を派遣しなかったことは、素晴らしいことだし、そのこと自体は誇りに思っていい。一方で、「戦争」に対するリアルな想像力の欠如は、これらの映画が話題になる前、日本における硫黄島の認知度と関心の低さと、靖国論争代表されるように矮小化されてしまう戦争の総括的の徹底的な欠如に端的に現れている。<br>　多くの国は、戦争について本当に「必要なのかそうでない（不要）」のかという現実的な視点で判断するのに対して、日本の場合だと好きか、その数歩手前である嫌いかで戦争を判断する傾向が強い。戦争は手段であって目的ではない。核兵器にしても持つことが目的のような書かれ方をしている（保有論議すらいけないという論調とか）が、核兵器を持つことによってもたらされる何かが大切なのであり、核はそのツールにしか過ぎない。戦争や核兵器が許されないのは、言うまでもない。だからといって戦争の具体的な中身を知らなくていいというわけではないだろう。「父親たちの星条旗」や「散るぞ悲しき・硫黄島総司令官・栗林忠道中将（硫黄島からの手紙）」の意義があるとすれば、戦争・戦闘というの具体的に描写することで、その本質であるとか、戦いに望む人の心の動きを知らしめてくれることだろう。しかし、戦争を「悲惨」の一言で済ませたい人たちが多い日本で、どれぐらいの評価が受けるのだろうか。<br><br>確かに戦争は悲惨かもしれない。しかし、悲惨なことを悲惨の一言で片づけるのは、もっと悲惨なのではないか、漠然とそう考えている。
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10020381758.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Nov 2006 01:34:12 +0900</pubDate>
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<title>横瀬詣り－１－</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/bd/44/10002768497.jpg" target="_blank"><img alt="残り火" src="https://stat.ameba.jp/user_images/bd/44/10002768497_s.jpg" border="0"></a><br><br><br>毎年、6月になると一通のメールが来る。<br>記されているのは、待ち合わせの場所と時間だけ。<br>そのシンプルなメールが来ると、夏が近いことを思い知らされる。<br><br>待ち合わせは、ここ数年、西武線池袋駅の改札前なっている。<br>そこで、特急列車の切符を２枚買って待つのが私の役目だ。<br>そこから電車に乗って、秩父線の横瀬駅まで行く。<br>今年も、会話はほとんどないだろう。<br>横瀬からタクシーに乗り換えると、多少は話をするのだろうか。<br>彼女から、私に何かを尋ねてくることはほとんどない。<br>沈黙に潰されるのは、いつも私だ。<br><br>ここ数年訪れている横瀬のお寺は、巡礼の札所になっているらしく、何時来ても年輩の方が多くいる。<br>今、若い人を中心に四国88箇所札所巡りがブームなのだそうだ。それにあやかっているのだろうか、ここ秩父でも、そのまま朱印を押せるパンフレットを配布している。<br>２つ目のスタンプが押されることはないだろうと思いつつ、それを一枚貰っては、記念にと毎年鞄に入れている。<br><br>門前のアジサイが有名で、多くの巡礼者が記念写真を撮っている。<br>カメラの前で笑顔を作る景色を見ながら、私たちはそそくさと後ろを通り過ぎ、寺の裏に無数にある水子地蔵の山に向かう。<br>私たちの水子地蔵は、建立してから８年も過ぎており、いささか緑色にくすんでいる。<br>作ったは、いいけど若い人は、放置するんだよね。あんたたちは、どこから来たか知らないけど、偉いねと掃除をしている寺男は、私たちの顔も見ない喋っている。<br>私たちは、若いのだろうかと、彼女に声を掛けるが返事は戻ってこない。<br>木の葉を払い、絞った雑巾で地蔵を拭きながら、くだらいないことを言ってしまったと思った。<br>新しいよだれかけ着けて、風車を持ち替えさせる。<br><br><br>「私たちの、子供・・・死んじゃったね」。<br>それまで、何も喋らなかった彼女が、わたしたちの、こども、と短くはっきりと区切るように声を出した。<br><br>私は手を合わせる。手を合わせながら、私たちの「それ」が何であるか、直感的に理解できる男は何人いるのだろうと思う。私たちの何かが、存在していたことは、事実なんだろう。そう、理屈では分かるものの「何か」が具体的なカタチで理解することができない。<br>理解という言葉がいけないのだろうか。<br>このような石にしてみたところで、残念ながらピンとくるものは少ない。多少、意味を持った石であるに過ぎない。<br><br><br>５年前、「私にとっては深刻なことが、あなたにとっては風景だった」と遺書となるべき手紙に書いてあるのを見て、初めて彼女の深刻さを知った。<br>知ったというのは、あくまで理解であり、景色を見て認識することとさほど違いはないことは分かっていた。ただ、理解する以外に私のとる手だてはあるのだろうか。それは今も考えている。
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10005686810.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Nov 2005 00:13:21 +0900</pubDate>
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<title>犯罪一歩手前。</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/45/d4/10001286499.jpg" target="_blank"><img alt="000" src="https://stat.ameba.jp/user_images/45/d4/10001286499_s.jpg" border="0"></a><br><br>完全に思いつきなのだが犬吠埼へ行って来た。<br><br>京成電車で成田まで行って、そこから成田線に乗り換えて1時間20分揺られると、そこが銚子。そこから銚子電鉄という、単行のローカル線に揺られて20分ほど走ると外川の駅に着く。<br>時計を見ると12：20分。家を出たのが9時前だから、3時間近く電車に揺られていたことになる。遠い。<br>途中の成田線は、利根川に沿って走るので沿線には田んぼが多く、蒸していて冷房の入った電車に乗っても外の熱気が伝わってくる。こんな炎天下を歩くのかと思うと、出かける行為そのものが失敗かと思ったが、外川の街は海近くの港町とあって涼しかった。<br>そこから、銚子電鉄で一駅分戻ると犬吠埼だ。その間の撮影が目的である。<br><br>ここ暫く、ずっと写真が撮れなかった。3週間ほど前、茨城県・那珂湊の阿字ヶ浦まで撮影に行った。阿字ヶ浦は、あの当たりでは有名な海水浴場で、県内から多くの海水浴客がやってくる。そうした周辺の景色を撮ろうと思ったのだが、さすがに水着姿にカメラを向ける勇気もないので、朽ちた海の家とか、昔は隆盛していたと思われる観光ホテルの廃墟を撮っていた。<br>ちょっと使用するには苦しいシャワールームがあり、それを撮ろうと思って構えていたら、女の子が入ってきた。絵的にちょうどいいと思ったこともあり、シャッターを切った。すると、その子の親なのだろう、父親らしき男から「ちょっと兄ちゃん」と呼び止められ、「オレ見てたぞ、警察行くか」と凄まれた。意味が分からず、因縁つけているのかと思ったら、女の子は裸だったのだ。<br><br>　幼児の裸を意識して撮影するつもりは全くなかったので、そう説明したものの、その親はもちろん納得することはない。それどころか、現像すればすべては分かるから警察へ行こうと引かない。自分も、説明しながら言い訳をしているとしか聞こえないのだろうなとも思っていた。仕方ないので、カメラのふたを開けてフィルムを感光させた。もう撮った写真をどうしようもないことを証明すると騒動は収まった。<br>　そのやりとりを見ていた人が何人か集まり、撮影を続けることはすることは不可能となっていた。ビーチで撮っていたのならいざ知らず、離れた駐車場で撮っており、自分からみると事故としか言いようがないけれど、結果として明らかに隙があったのも事実。その大きな隙に気付かず、結果として犯罪一歩手前までしてかしていたことに、自分を責めてしまっていたのだ。<br><br>　子供にとって物騒な世の中である。どうして子供を殺めることができるのか不思議で仕方ないけど、事実、子供にカメラを向けるのが難しくなっている。趣味性を強調して、いかにそういう犯罪とは無関係ですよと、自分なりにアピール（というのも変だけど）してもそんなの何の意味もなさないし、過度な親の警戒を責めることはできない。<br>　ただ、自分の場合、親と子の無垢なときに見せる無条件な関係性に関心があるのであって、声をかけて撮影させてもらうと言うことでもないような気がする。これから、どうするかというのが自分の中で明確になったわけではないけど、隙を作ることなく慎重かつ大胆に撮影して行くしかないのだろう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10002921473.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Jul 2005 00:14:58 +0900</pubDate>
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<title>意志と身体の間で</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/ec/ff/10000920638.jpg" target="_blank"><img alt="少女" src="https://stat.ameba.jp/user_images/ec/ff/10000920638_s.jpg" border="0"></a><br><br>ブログの方の更新が滞っている。<br><br>いくつか、文章を書いているのだがいたずらに長くなり、ココという落としどころが見つけられないまま、ダラダラとくだらない文章を書いてしまう。<br><br>友達が、彼女を妊娠させてしまい、結果として堕胎させるとになった。年齢が離れた二人で、彼は彼女が成人するまで待ち、彼女は彼の仕事が一段落するまで待っていた。しかし、お互いが誠実に思いやるあまり、お互いが身動きがとれなくなる関係だった。結果として行き詰まり、別れを決意。彼女は新しい場所で、新しい人と新生活を送り出す。ただ、互いに思いやる糸まで断ち切ることができないまま、時間が流れ、彼女は妊娠してしまったのだ。<br><br>彼とも彼女ともお互いに知っている関係でもあり、軽いショックを受けた。そのショックの元は何なんだろうと、ツラツラと文章を書くことで整理しようと思っていたのだが、それが一向にまとまらない。<br>できちゃった婚、ブライダル業界では「おめでた婚」と言うらしいが、婚姻件数の約25％は「でき婚」であるらしい。確かに、ある一定の時間が経過していながら、ひとときの情熱に陰がさせば、結婚に踏み切るタイミングって、そうはないような気がする。妊娠というのは、そのきっかけとしては、最良のものだろう。もちろん、信頼と愛情を前提とした話だけれど。<br><br>友達と彼女は、お互いを思いやる関係であることは書いた。ただ、それはお互いを思いやることで、ストレートな感情を内に内に押し込める我慢の思いやりだった。別れてからの、二人というのは、お互いに何を思い合っているか、それをストレートに語り合う、開かれた思いやりだった。<br>ただ、タイミング悪いことには、彼女は彼のことを思い別れを切り出して別れた後だったこと。その後、陰でずっと想いを寄せてくれていたことを告げてくれた別の男性とつきあい始め、同棲をはじめていたことだろう。<br><br>明日、13時から処置があると彼から電話があった。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10002635802.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Jul 2005 21:39:34 +0900</pubDate>
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<title>報道写真を見に行く。</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/6a/ea/10000920656.jpg" target="_blank"><img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/6a/ea/10000920656_s.jpg" alt="夜"></a></p><br><br>昔から報道写真が好きだ。<br>実際に写真を撮り始めた動機の一つに、報道写真が好きだったからというのは必ずある。<br>どこの図書館にもあると思うが、新聞社が発行していた報道年鑑が小学校時代の愛読書だった。自分が生まれた頃、昭和40年代の年鑑がお気に入りだったとおもう。<br><br>一番最初に記憶に残っている報道写真は、ユージン・スミスが水俣を撮った一連の写真。中でも、強烈なインパクトを残したのが、先天性の全身麻痺をかかえた少女が、母親に抱えられてお風呂を入れらている有名な写真だろう（被写体となった家族の申し出があり、もう写真展では見ることができなくなりました）。<br><br>それからというもの、マグナムの報道写真を求めるように見て、サルガトの「人間の大地」写真展を見て、同じ時代に本多勝一と鎌田慧の反骨系ルポルタージュを読んで、「世界を変えたる！」という気合いの元に、ジャーナリスト志望になったのだ（何故か写真家になろうとは思わなかった）。その原点は、おそらくはユージン・スミスの一枚の写真なんだよね。<br>といいつつ、今、現実としてはジャーナリストではないから、その夢は挫折したわけだけれど、一枚の写真との出会いが人生を左右することはあるのだろう。<br><br>コニカミノルタプラザで行われている雑誌DAYS JAPAN主催の特別企画展「地球の上に生きる2005」－DAYS JAPAN フォトジャーナリズム写真展－楽しみにして見に行った。<br><br>DAYS JAPANは広河隆一が責任編集として立ち上げたフォトジャーナリズム誌だ。硬派な内容で構成されており、広河の視点から写真がまとめられ、これでもかと言うぐらい、ハードな現実を突きつけてくる。<br>写真の内容は、戦争であったり、差別であったり、民族問題であったりする。掲載する写真家の力量は、総じて高い。サルガドも写真を提供しているようだ。ただ、反体制的な広河の世界観・政治観に誘導するかのようにまとめられているので、好き嫌いは出てくるかもしれない。<br><br>今回の写真展に関して言えば、映像の力が強く、遠目に見ても訴求力の高い構成になっている。ちょっと違和感を感じたのは、多くの写真に政治性の高いキャプションが多くまぶされていることだ。報道写真だから当然、撮影者の政治性はあっても良いし、DAYS JAPANの写真展なんだから、雑誌と同じような「社論」みたいなのが展開されても文句は言えない。<br><br>しかし、普遍的に潜む人間の怖さを感じさせる写真も、「特定の団体によるテロ」と書かれてしまうと、普遍性な部分より、具体的なところクローズアップされてしまい、見る人の大きな想像力が奪われてしまう。一定の意見を押しつけるより、その写真の背後にある風景・風土・問題を想起させる程度に抑えて、本質の解釈は見る側にゆだねた方が、写真の力は引き出せるはずなのに。<br>変なコメントで誘導しなくても、伝わる力のある写真が多かっただけに残念でならない。<br><br>DAYS JAPANのホームページにある「一枚の写真が国家を動かすこともある」というコピーに感じる意気込みは好きだ。ただそれは、特定の団体が情報を出す出さないで変わるようなものではないだろう。これだけ相対化された社会で、正義を振りかざしても誰も話なんて聞かない。<br>国家を動かされるかどうかは分からないが、写真に個人の気持ちを動かす力があることは間違いない。そうした人が多くなれば、結果として社会が動くことはあるかも知れない。でも、それは政治とは別なところで起こるのではないか。<br><br>想像力を喚起させるツールとして写真を使って欲しかった。あれだけの力のある写真なんだから、もったいないと思う。<br>写真の力を案外信用していないのは、広河隆一本人じゃないのか。そんな想いがよぎる。
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10002347613.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Jun 2005 22:46:44 +0900</pubDate>
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<title>写真行為</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://ameblo.jp/user_images/c5/0a/10000710477.jpg" target="_blank"><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fuser_images%2Fc5%2F0a%2F10000710477_s.jpg" alt="電車"></a></p><br><br><br>先週の日曜日、ワークショップに行く。<br><br>写真をある程度、自分でチョイスしてから簡単なプレゼン。<br>それから再度選ばれてから、みんなからコメントを受ける。<br>マイスターより、「もう何も言わなくてもいいよ、というぐらい気持ちが伝わる写真だよ」とのコメントを受ける。<br><br>マイスターとは、写真についてよく話している。<br>良い写真とは何か、気持ちの伝わる写真とは何か、<br>そんな話が多いかも知れない。<br>自分の記憶を構成するもの、自分自身への葛藤とかもどかしさ。<br>自分をさらけ出し、それをどう受容して、再構成していくか。<br>写真行為とはそんな作業の連続なのかも知れない。<br><br>見栄とか、作為とか、予定調和な作り物はすぐ見抜かれる。<br>そうした想いを排して、どこまで自分に素直になれるか。<br>これが、なかなか難しい。<br>ただ自分には、これしかないんだろう。
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<link>https://ameblo.jp/nagune/entry-10002209804.html</link>
<pubDate>Wed, 08 Jun 2005 23:12:37 +0900</pubDate>
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