<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>アウトプッターのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/naitei2013/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>経営コンサルタントを目指す。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>傲慢さのはきちがえ</title>
<description>
<![CDATA[ 尖るっていう言葉や、傲慢さを大切にするって考え方をはきちがえるやつがいる。そういうやつには大きく分けて３つのタイプがいる。<br><br>一つ目に周りの批判で満足するタイプ。<br><br>二つ目に悪態をついたり悪口を言うことが傲慢さだと勘違いするタイプ。<br><br>三つ目にその二つを合わせたタイプ。<br><br><br>そういうタイプの人間はくだらない考え方や、くだらなくて取るに足らない小さなプライドの誇示のために低次元にとどまってしまう。<br><br>人は感情によって世界を彩って認識するのでネガティブな感情を前提にした生き方をしていると今の自分には何も生み出せないと自分自身でどこか思い込み、そのせいで競争の場面では自分の成長よりも競合を蹴落そうとしたり、それすらできない場合には負け惜しみのように周りをディモチベートする不快さを撒き散らして生きて、更にプライドだけは捨てきれないので、それを肯定するために俺は良い意味で傲慢に生きている！だなんて騒ぐのである。<br><br>まぁ、どういう風に言葉を定義しようと、それを生き様に反映させようとしまいと、そいつの勝手だがとにかくポジティブに定義していくことの方が成功率は高そうである。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11415756333.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Nov 2012 12:15:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>シンプルな動機から行動しよう</title>
<description>
<![CDATA[ 先輩という存在が苦手な俺ではあるが、基本的にその経験の豊富さには敬意を示すべきだと思っている。ただし、自分と先輩との実力がどれだけ違うか、みたいな比較をしてそれを定規のように信奉してはいけない。<br><br>もともと理不尽な人が周りに多かったからか、とにかく斜めに構えたり、疑ったりが少し癖になってるのかもしれない。<br><br>これは友達の受け売りだけどすごくしっくりくる言葉なのだけども、<br><br>例えば10歳上のおっさん社員の姿を見て、自分の10年後を想像したり、想定したりするのは間違っている。<br><br>誰かの出した結果を基準にしたり、現在の延長でしか未来を描けないのではダメだということだ。<br><br>指の運動の無駄かと思えるくらいクソくだらないことだが、でたらめに高い目標を立ててみて、それに達するよう全力でやってみるってことが重要なんじゃないかな。<br><br>そうなるためにはいつもシンプルでポジティブな動機を持って夢中になることだと思う。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11415713938.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Nov 2012 11:36:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>全社的なことも考えないとね</title>
<description>
<![CDATA[ <br>コンサル業とかになるとついつい個人の営業力の成長とかにばかり目がいく人が多い傾向にあるのだろうが、全社的な事も考えていくべきだと思う。<br><br>自分の働くことになる会社の環境についてはそっちのけで、ただただ自分や自分の取引先のことだけ考えていればいい、みたいな考え方は貪欲さに欠ける。俺なら自分の関わる環境も全てベストでありたいと思う。<br><br>会社が抱える問題はなにも個人の営業力だけではない。たとえば人事考課や採用について。その中でもインセンティブの在り方、評価基準について、採用のフロー、採用したい学生、内定を出した学生をいかにして自社にひきとめるか、などなどだ。<br><br><br>うちの内定者には俺の知る限り、うちの会社のインターンを経験した学生はほぼいない（と思う）。<br>内定者の三分の一を知っているが、その中ではみんなインターンを経験したとは言っていなかった。<br><br>要するに夏や秋にうちの会社のインターンを受けた学生で内定・入社に結びつく学生は超少ないのではないか、という問題提起というか疑問というか仮説が浮かぶ。<br><br>まず、夏や秋にインターンをすることのメリットは<br>会社の名前を知ってもらう、意欲的な学生を見つけたり採用に結び付けれる、ということだと思うけど、それが出来ていないのでは問題だ、といった感じ。<br><br>まぁ内定者を全員知らないからなんとも言えないのだけども。<br><br>何が言いたいかというと、とにかく全社的なことも考えて行動に落とし込むべきなんじゃないかということ。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11408787437.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Nov 2012 11:58:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>卒論</title>
<description>
<![CDATA[ さてさてもう11月。俺ももうすぐ22歳です。<br>ちなみに誕生日は今月の21日です。一休さんの命日だそうです。<br><br>さてさてだいぶ前回書き込んだ記事から時間が経ちますが、何も考えていなかった訳ではありません。ちょっと忙しかったんです。<br><br>―そう、卒業論文がね。汗”<br><br><br><br>今日はいくつか最近思ったことを小出しにどばどばっと書いていこうかな。まぁ、誰も見てないだろうけど自分の頭の整理に。<br><br><br><br>俺が所属しているのが哲学・倫理学のゼミなんだけど、ゼミ内のやつらの書いている卒論が「それ、なんの為に書いてるの？」系なものばっかだ。<br><br>例えば団塊の世代と俺らの世代の精神構造の比較みたいなこととか、日本人の「世間」にとらわれる人間性についてとか、一見すると面白そうだけど重要なのは次に繋がる論文になるかどうかだろ。<br>どうせ研究するなら何か自分の肥やしになるようなものを研究するべきだ。<br><br>まだ中間発表までしか聞いていないからなんともだけど、心理学者や昔の哲学者があーだこーだ言っている言葉をコピペしてるだけに見える。<br><br><br>哲学の本もいくつか読んでいたけど、結局劇的な理論展開で読み手がはっとさせられるような概念を打ちだされても、現実では砂粒一つすら動かない、みたいなことがある。まぁ、読み手の読解力や想像力によるところもあるけど。<br><br><br>俺の知っている限りの来年から体験していくであろうビジネスの世界ではこういう問題がおこっています、ってところで終ってしまっては何にもならないし意味がない。<br><br>研究で得た知識を来年からのビジネスの世界でどのように活かしていくのかについての意識がないのでは、まぁ人の勝手ではあるが、もったいないのは事実だ。<br><br><br>哲学も倫理学も現実的な問題と照らし合わせるから意味がある。<br><br><br>勉強になったことから屑みたいな経験まで、様々な体験をしてきて、これからもしていくわけだが、それらをビジネスの世界に対して向けていくよう心がけていくべきだ。<br>それがゆくゆくは金を産み、その金で何かしらの体験や知識を買い・・・・と投資のサイクルを作っていくことを意識するべきだと思う。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11408757913.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Nov 2012 11:30:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>見下すな。</title>
<description>
<![CDATA[ それぞれの人にはそれぞれの経験があり、それはそれぞれ尊いもので否定しがたいものだ。<br><br>例えば、日本人に対して醤油の味を否定したり韓国人にキムチの味を否定したりは出来ないのと同じ。まぁちょっと例えとしてはどうかとも思うが。<br><br>こと学生においては、留学しに行ったとか、学生団体をやったとか、そういうのを特別な経験として持っているやつは多いが、そういうやつに多いのは自分だけは特別で、自分の経験こそが最も尊く素晴らしい、みたいな周りを見下した視点である。<br><br>例えば俺は特に留学も学生団体も経験はないが、好きでずっとバンドをやっていた。(俺の話で申し訳ないが)<br><br>お客さんからはチケット代をとったし、それなりにライブを楽しみにしてくれる固定客もいた。月に多いときで5回ライブをこなしたし、東京や大阪にもライブをしにいった。CDを作ってショップで売ったりもした。デザイナーと業者に頼んでフライヤーを作ってライブを宣伝したし、したくもなかったが色んなバンドの先輩達にごまをすった。<br><br>客から金をとるからには、と週に3回スタジオ練習をしたし、金もないのに月に1万5千円かけてボイトレも行った。<br><br>一学生がただ好きでやっていたことだから周りからしたら趣味の一つくらいにしか思われないけど、これだけのめり込んで色んな経験が出来たのは自分にとってはとても良かったし、周りにあまりない特別な経験だったと思う。<br><br>ただし、だからといって周りの人生経験を見下したり小馬鹿にしたことは一度もない。よっぽどひどいやつは別として。<br>例えば学生団体だって、就活支援だって客に対して何かしらお金が発生してたら、それは俺のバンドでのチケット代をとったことと同じだし、当然、金を取るからにはその分の裏打ちとなる努力があったはずだ。<br><br>それなりに人それぞれに特別な経験はあるし、それぞれがそいつにとって尊い。だからそういった、自分が経験し得なかった色んな経験について話を聞いてみたり、その人が持つ色んな優秀さを認めて吸収したりした方が誰かを小馬鹿にするよりよっぽど楽しいし自分を磨けると思う。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11383957820.html</link>
<pubDate>Sat, 20 Oct 2012 06:31:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>アホかと言いたい。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>卒論で日本のビジネスエシックスについて勉強しているんだけど</p><p>そういう勉強をしていると、まだまだ日本の集団における倫理感のなさを感じる。</p><br><br><p>一昔前だが、相撲の八百長事件があった。あれは典型的な日本的腐敗の在り方だと思う。相撲へのイメージダウンにつながった一連の事件を完結に述べるなら</p><br><p>相撲の八百長を告発した人が殺されたり</p><p>また別の件で、相撲部屋内で親方の指示でリンチが行われ若い力士が死んだ。</p><p>どちらの件も相撲協会はひた隠ししようとして、司法解剖を拒否したらしい。（後者は遺族の強い要望によって司法解剖がおこなわれ、死亡がリンチによるものだと判明した。）</p><br><p>日本みたいなムラ社会ではたまにこういうことが本当にまかり通ってしまう。普遍的な正義がない。というか、こういう風土の元では「あるコミュニティ内において正しいとされている認識を無条件的に受け入れること」こそが正義であり倫理である。この日本的倫理を日本的コミュニティは構成員に求め、構成員はそれを尊守する。また世間という横のつながりによってそれをより強固なものとして、お互いがお互いに干渉し一致団結する。</p><br><p>だから日本における色んな事は談合により決定され、談合の上手い下手によって政治家をはじめとする大衆のリーダーは評価される。</p><p>議論は形骸化し、物事の普遍性を欠くのである。</p><br><p>そういったことは何も相撲の世界に限ったことではなく、企業にだって言える。雪印や三菱、最近であればオリンパスがいい例だ。</p><p>オリンパスに関しては意味不明だ。あんな風にクビにするくらいなら、いっそウッドォードを雇わなければよかったじゃないか。</p><br><p>欧米諸国では株主のために会社がある、という認識が強いのだから、健全な経営をしているかどうかの情報の透明さが求められるわけで、外国人を雇う時点でそんくらい予想しておけってんだ。アホかと言いたい。しかもそれを解雇という形でもみ消そうとするってのは本当に日本らしい。</p><br><p>むしろそこは価値観の違いとして受け止め、建設的になるべきだったのではないか。何度も言うが大切なことなのでもう一度述べるがアホかと言いたい。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11383703233.html</link>
<pubDate>Fri, 19 Oct 2012 20:29:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>受け身で生きるくらいなら東京スカイツリーから飛び降りる。</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ここ最近、自己啓発系の本を久しぶりに読んでいて、来年から働くにあたって自分はどんな願望を叶えていきたいのかがまだまだ不明瞭であることに気がついた。</p><br><p>正直、自己啓発なんて、、って小馬鹿にしていたけれど、ここ最近は自分の心が積極的じゃないことに気付かされた。</p><br><p>願望や信念、理想像を明確にしないとどんな勉強や自分への投資もなぁなぁになってしまう。なぜなら深い動機がないと人はちゃんと動かないからだ。</p><p>特に俺みたいに自由に自分のしたい事をしたいように、したいだけやってきた人間は、義務的に何かをしたりさせられたりが、耐えられない。理由も分からず誰かにやれと言われることに深い動機を持てない。せめて自分なりに物事に意義を持って行動したい。</p><br><p>高校二年のときクラスでドベ２の成績だった俺が今の大学に入学できたのは、親から受験で受かったら車講に通わせてやると言われたからと、受かるはずがないとバカにしたクラスメートにかっこつけたかったからと、なんとなく持っていたうちの大学への憧れからだった。</p><br><p>だから就職するのなら、せめて自分の心を積極的にして、自分の叶えたいと思う願望のために働こうと決意したし、そのように働けるであろう企業から内定も頂いたのに、なんだか最近は平和ボケしていた。</p><br><p>平和ボケもそうだが、ごちゃごちゃしたことばかりを考えていた。単純に自分がどうなりたいかを描いてポジティブで勢いのある心構えで物事に楽しく取り組むってことを忘れていたような気がする。</p><br><p>こんな風では「やれと言われたからやってます。」とか「誰誰さんに聞かないと分からないです。」とか「面白くないけど、とにかく手だけは動かします。」とか、とにかく超受け身な働き方で、超受け身な人生を過ごす、超くだらない人間になってしまう。</p><p>本当に気をつけようと思った今日この頃でございます。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11377933381.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Oct 2012 19:54:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ちょんちょんに尖る</title>
<description>
<![CDATA[ <p>「ちょんちょんに尖る」</p><p>っていつも俺はふざけた感じに言ってるけど一応その定義がある。</p><br><br><p>それは</p><p>「自分の倫理観や価値観などを確立して、それを貫く姿勢」である。</p><p>よって</p><p>「周りに流されず、自己研磨していく姿勢」でもあると思う。</p><p>だから俺の中での重要な軸は「主体性」であり、周りにはそれを保護するために「自由」を求めるのである。</p><br><br><p>こんなことばかり考えていたので俺の就職活動では「自分に大きな裁量と責任の伴う仕事」とか「社員それぞれの自主性が尊重される、のびのびとした環境」を軸に企業を良いか悪いか判断するようにしてたと思う。</p><p>誰かを害することなく、そして害されることなく、高い成果を得るためにのびのびと自分に投資が出来、かつ周りもそうゆう風に感じているような環境で精いっぱい働きたい。</p><br><p>とにもかくにも僕は今日もちょんちょんである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11371037345.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Oct 2012 15:26:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>否定とは何か</title>
<description>
<![CDATA[ 否定とは何か。<br><br>否定をするときの人の心理状態の本質は一つ目に、することによって自身が上位であることを示したいという自己顕示的なもの、二つ目に改善を促したいというポジティブなもの、三つ目に感情に任せて相手を打ちのめしたいという衝動的なもの。<br>だと思う。<br><br>そして否定という行為自体は基本的にされた方はネガティブな気持を持つものである。<br>だから何かを否定する場合は、そうしなければ物事が健全な方向に向かないと確信を持っている時に限定するべきだろう。<br>更に、その否定するときの気持は、先に挙げた三つのうちどれに当てはまるものなのかを考え、意識していく必要がある。<br><br>物事は正しさが全ての尺度ではないということだ。<br><br>ある意見が間違っているとして、それを強く否定しないといけない立場に自分がたったとする。この場合、自分を上位の存在として知らしめたい、という感情がその根にあったり、ただムカついて衝動に任せて意見したりでは、議論は健全にすすまない。どんな気持から言うのか、どんな気持から言っているように聞こえるのか、ということも考えるべき重要なことだということだ。これは否定をする場合に限った事ではないのかもしれないが。<br><br>否定は基本的にポジティブな方向に向けて、ポジティブな気持から言い、ポジティブに捉えられるようにすることが大切だと思う。<br>そして否定をしてはいけないのではなく、否定上手になるべきだと思う。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11370246540.html</link>
<pubDate>Wed, 03 Oct 2012 15:47:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>謙虚さなんて要らない</title>
<description>
<![CDATA[ 謙虚さが要る<br>などとよく声高に叫ばれるが<br><br>世界一自由な上場企業を目指している、俺の内定先ではそんなのありえない。と勝手に思ってる。<br><br>謙虚さが要ると言うやつは、何故謙虚さが必要なのか、まず謙虚さとは何かを定義してから言って欲しいものだ。<br><br>まずは疑うことから始めないとならない。疑うことで初めて主体的になれる。<br><br>俺は<br>会話などの場面で、自身の実力や成果などに対して実質よりも控え目に表現し、相手を相対的に高く評価するよう振る舞うこと<br>だと思っている。<br><br>俺的な思考回路の人間は謙虚って言葉に嫌悪感を抱くんだろうな。とにかくネガティブに捉えてしまうし嫌いだ。<br><br>世間体、へつらう、媚びる、空気を読む、の次に嫌いな言葉である。<br><br>実力や経験に敬意を払うことは崇高なことだと思うし、その根となる素直さも絶対的に要ると思うが、日本的な上下関係のためにあるような謙虚さなんて言葉はいささか邪魔である。<br>年功序列的なムラ社会のための言葉である。ような気がする。<br><br><br><br>学生から社会人になるということはステークホルダーが圧倒的に増えることであり、それに伴う当事者意識や責任感、またそれに付随し、求められる言動などに気を遣うべきだ。<br><br>でも決して角を削って丸くなる事が社会人としての自覚や成長ではないと思う。<br><br>反骨精神を持って、物事を疑い、主体的に行動していく必要があると思う。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/naitei2013/entry-11366638527.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Sep 2012 09:35:02 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
