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<title>大切なことはみんな母が教えてくれた。</title>
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<description>母に教えてもらったことはいっぱいあるが、何一つ身につかなかった愚娘の記録です。死にたい。</description>
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<title>乳癌の死亡率について～現在闘病中の方、そのご家族は見ないで下さい～</title>
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<![CDATA[ <b style=""><font size="7">乳がんの予後に大変否定的な内容です。<br>闘病中の方、治療方法を模索中のご家族等も、絶対に読まないで下さい。</font></b><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>久し振りの投稿になりました。<br>気付いたら年が明けて２月も半ばですね。<br>息子の受験真っ只中で、駆け抜けていたこともあり、母の死に向き合う時間が減っていたことはある意味救いだったかもしれません。<br>けれど、無事受験もおわり、息子の進路につき一番相談したい相手だった母がいない。<br>お金を取るべきか、恵まれた環境をとるべきか、親しんだ地元公立に進むべきか、遠距離通学は無理ではないかと悩んで悩んで。<br>父と息子は早々と私立に決めたけど、私は今でも悩んでいるし、最悪通いきれなくて、途中で公立に転校も有り得るかも、と思ってしまっている。<br>父の送迎があれば何とか通えるかもしれないが、いつまで父も元気でいられるかわからないし、弟は公立しかいけないだろうから、ひとりだけ高望みしても、、、と思ったり。<br>母は確かに信心深い人だったから、私立進学は喜んでくれるとは思うけど、体力的には賛成しかねると思うのだ。<br>そこが母の優しさ、慈悲深さでもあったとわたしは知っている。<br>どうなることやら、、私立への進学。<br><p>また、一昨日の夜溜まった服をせいりしていたら、生前母が左腕につけていたサポーターが沢山出てきて、悲しくなってわんわん泣いた。</p><p>母の腕を守っていたサポーター達、いつも合う締め付け・緩さを試していた母のことを思い出し、懸命に生きた在りし日の母を思い、涙が溢れて止まらなくなった。なぜ私のぐちゃぐちゃな服の中に袋ごとあったのか謎だが、母の体の一部のような物だから、全てのサポーター。骨壺にいれた。</p><p><br></p><br>まえおきが長くなりましたが、色々調べても本当のことをかいてある記事は少ないのではっきり私が書きます。<br>乳がんの予後は良好だとか、進行がゆっくりだとか楽観的な記事が多いし、もしかしたら世間一般はそうなのかも。<br>でも、私の母は乳がん発覚からあっという間に骨と肝臓と脳に転移し、進行のスピードは早かった。<br>肝臓に転移してからは更に早く、二年半で亡くなった。<br>最後は悪液質でやせ細り、せんもうに苦しみながら亡くなった。<br><p>私は駐車場の仕事を終えた後、行く必要もない文具とファンシー雑貨を見に、群馬県館林市にいて、緊急電話がかかってきたのに間に合わず、母の死に目にもあえなかったひたすら親不孝な愚女である。</p><p>これを思うと、ほんと死にたい。</p>だからこそ、今は用事がないのにブラブラ買い物やウインドーショッピング等できなくなった。こんなことも母に教えられなければわからないのか、馬鹿な私は。<br><br>これが乳がん死亡の実態である。<br>小林麻央しかり、田中好子然り、乳がんの闘病ブログを見ても、肝転移した人の殆どが死亡している。<br>乳がんはけして安心な癌などではない。<br>予防できるとか、予後が良いなんてのはごくわずかの爪の上の砂の人数だと思う。<br><br>乳がんのほとんどは浸潤する＝転移するがんで、余程初期に取り去らないと血管で全身を巡って微小転移が起こる。<br>ラッキーなひと、免疫力の高い人は、そこでくい止めることができるか、血管新生阻害剤も併用してとことん焼け野原になるまで抗がん剤治療をして、根治もめざせるかもしれない。<br><p>でも母は違った。母は持病のハンデもあったし、きれいなままなくなった。</p><p>抗がん剤やフルベストラントが逆に寿命を縮めたのかもしれないし、運命がアンラッキーだったのかもしれない。</p><p>残念ながら、私のような愚女が生まれたことが最たるアンラッキーさを表している。</p><p>だから、母には絶対来世は幸せになってほしいし、辛さや苦しみのない仏界があるならばずっとそこにいてほしい。</p>やりきって、清らかな母のこと、間違いなく不足のない場所に生まれると思う。<br><br><br>息子の進路の話に戻るが、母だったらお金もそうだし、喉の病気や左足股関節の痛みなどの経緯から、無理せず公立にいけば、と言ったかもしれない。<br><p>高校受験をパスするには、あまりに大きな出費でもある。</p><p>文中で自分が馬鹿だと書いているが、私は最近周りで私馬鹿だからーと言う人がたまたま複数いて、イラッとした。</p><p>それ、敢えて言わなくて良い台詞だと感じる。</p><p>（私馬鹿だから）詳しく教えてもらわないとわからなくて</p><p>とか</p><p>（私は馬鹿なんで）iPhoneを買っちゃった</p><p>とか。</p><p>わかってるなら言うなよ、やるなよ、と思うし、敢えて言うあたりが馬鹿っぽい。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12726762415.html</link>
<pubDate>Mon, 14 Feb 2022 03:57:13 +0900</pubDate>
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<title>ぬいぐるみを集め始めてしまっています。</title>
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<![CDATA[ 母が亡くなってから今日で三週間となりました。<br>まだまだ信じられないです。<br>ダイソーのキャンペーンで、シールを集めるとテディベアが買えるのですが、それをきっかけにして、かわいいぬいぐるみがそばにいてくれたら、少し気持ちが安らぐかも…なんて思ってしまい、ピンクのテディベアを440円でお迎え。<br><br>母が亡くなって変わったことは、物販の仕事で仕入れをあまりしなくなったこと。<br>生前から、在庫をはかなきゃいけないから、仕入れはもうすとっぷーと現実問題思っていましたが、セール品を見ると買ってしまうので、なかなか止められず。<br>でも母が亡くなってからは、店に立ち寄るとか目的のないモノを買う気になれなくなり、あまり買わなくなりました。<br><br>その代わり、自分で使いたいモノを激安品とかセール品とかでなくても、普通に買うという、本来の買い物の姿に戻ってきている気がします。<br><br>ぬいぐるみはやたら集めてしまいますが…。<br>ぬいぐるみは最初、母の棺桶に入れて、旅立ちのお供にしようとおもったんです。<br>でも、セキグチノウサギは可愛すぎて燃やせなかったし、母はぬいぐるみが好きだったので今も母が使っていたベッドの枕元には私があげた虹色のウサギちゃんやショウトトロガ二匹、オグリキャップのぬいぐるみがいます。<br><br>寂しさを埋める、生きていくためのパートナー、癒やし…。<br>今までは商品でしかなかったけれど、思いが変わったのがぬいぐるみですね。<br><br>あと母が亡くなって変わったことは、ごまかしや嘘は嫌だなと感じるようになったこと。<br>人が見ていなくても、仕事をきっちりやるとか、当たり前のことなんですけど、母が見ているから、面倒で手抜きしてしまいたい仕事でも、適当に済ませることは極力避けたいと感じるようになっています。<br><br>母が悲しむことや嫌がる生き方はあまりしたくないなって。<br><br>あーあ。<br>今日も悲しいです。<br>何故死んでしまったのかなあ。<br>もっと早く、CDK4/6阻害剤を始めてれば、まだいきられた？<br><br>癌でも死まで至らず生きている人もいるのに。<br>透析が30年以上できた人もいるのに。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12710811866.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Nov 2021 22:51:20 +0900</pubDate>
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<title>まだ悲しいです。</title>
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<![CDATA[ 亡くなった前後のような、堰を切ったような悲しみではないけれど、まだ母が亡くなったことは信じられない。<br>それに、癌は最後一気に悪くなるとわかったとはいえ、この前までそつ服の話をしたり、星陵高校と母が言ったのを聞いたばかりだし、こないだまで生きていたのだ。<br>ついこないだまで母はいたのだ。<br>なのに、なぜ？<br>やっぱり納得いかない。<br><br>どうして？どうして？？どうして？？？<br>母が死んだ病理的な理由もよくわからない。　<br>何故母が死ななければならなかったのか、理解できない。<br>66歳は天寿を全うするには早すぎたと思う。<br><br>納得のいく死など少ないと思うが、所謂一般的な寿命というものに近ければ近いほど、本人も残された遺族も不満は少ないと思う。<br>持病があったにせよ。<br><br>せめて86歳くらいなら、納得はできたと思う。<br>世間的な寿命より20年も早かった母の死は、遺族の誰も納得がいくものではない。<br><br>仕事や作業で気を紛らわすことはできる。<br>ムーミンパークに行けば、悲しさを少し忘れることもできる。<br>でも、仕事がおわれば、ムーミンパークから出れば、本質的な喪失感は埋まらないのがわかる。<br><br>何となく、ムーミンは母が見て育ったものだからか、共通の知っている手段として、一昨日から好きなものだ。<br>母はスナフキンが好きだったから、ムーミンパークでスナフキンの小さなぬいぐるみを買って、祭壇に備えた。<br>疲れるとか体力のことは抜きにして、あそこは母と一緒に行ったら楽しかっただろうなあ。<br><br>今はただ、ムーミンのぬいぐるみを抱き締めてぼんやりすることしかできない。　<br><br>母の死を受け入れられる日がいつになるのかわからない。　<br>母が亡くなる前後から、母は長期の入院をしていて、私は母がいつか戻るまで、仮のご飯や仮の生活をしている感じがしている。<br>それが失った実感が湧かないことだと思う。<br><br>少しずつ前を向けたとき、母の衣服や遺品の整理等ができるのかもしれない。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12710452476.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Nov 2021 02:29:50 +0900</pubDate>
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<title>滞りなく、葬儀は終わりました。</title>
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<![CDATA[ 日に日に泣く時間が減ってきたと思う。<br>昨日は通夜、今日は告別式を終え、火葬と拾骨まで終わった。<br>一連の儀式を終えたことで、少しずつケジメがついてきて、前を向けている気がする。<br>今は葬儀直後で火葬された事実への実感があまりないだけで、もちろん、これからもふとしたときに、涙が溢れたり、思い出して声を上げて泣くことだろう。<br><br>棺桶に花いっぱい敷き詰め、体や足元にはシキミ。<br>首の臭いを嗅いで洗濯カゴに入れていた大好きだったトライバル柄のベストや、葬儀社が差し入れひてくれた太郎焼3個も！と生前食べたがっていたのに食べさせられなかったツイスター、好きだったホットケーキに編み途中の編み物を入れ、孫たちのメッセージも入れて、友人葬でとてもいい式で見送れたと思う。<br>驚いたのは、小柄で痩せてしまっていた母なのに、骨が沢山、そしてきちんと残ったことだ。<br>骨転移があったり、骨粗鬆症でよく転んだりしていたから、スカスカなんじゃないかと思っていたが、結構しっかりしていたのだ。<br>確かに、亡くなる一週間前位まで、ゆっくりながらも階段の登り下りをしていたし、トイレや透析に通うのに、何とか家の中の歩行はできていたのだから、骨はしっかりしていたことがわかる。<br>ランマークのお陰だろうか。<br>骨より肝転移の方が怖いけど、最後まで痛みがなく、黄疸もなく本当に苦しみが少なく、キレイな遺体であった。<br>心優しく純粋な母の生き様が、遺体に現れていた。<br><br>火葬場にはN波さんとSBにしぴが来てくれた。<br>子供をティアから火葬場に乗せてもらったときの爆音で会話なしが気になる（子供が怖がっていた）が…人生の節目に来てくれたことに感謝だよね。
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12707375049.html</link>
<pubDate>Sun, 31 Oct 2021 22:40:17 +0900</pubDate>
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<title>どうして亡くなった後でないと分からないのだろう。</title>
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<![CDATA[ <p>母がとても綺麗な人だったこと、聡明で女性らしさ溢れる人だったこと。</p><p>亡くならないとその偉大さが分からないなんて、残された家族は本当に愚かだ。</p><p>生前にもっとそんな母のことを大切にしてあげていたら良かった。</p><p>離婚して実家に住むんじゃなかった。</p><p>そもそも母が大反対していたあんな男と結婚するんじゃなかった。</p><p>私が母を癌にしたのだ。</p><p><br></p><p>今は後悔しかない。</p><p><br></p><p>母の癌は、２０１９年の６月に初発だった。</p><p>私が子供を産んだのが２００９年。</p><p>離婚して実家に戻ったのが２０１２年。</p><p>がん細胞が大きくなるまで７年。</p><p>丁度、離婚のストレスが母にかかった頃に癌が産まれたのだ。</p><p>それから歳を重ねるごとに母は体力がなくなり、泊りがけの旅行に行けないことが増えてきた。</p><p>昔は家族で行く旅行が大好きだったのに。</p><p><br></p><p>母だけを置いて、残りの家族だけで旅行に行くことも何度もあった。</p><p>だから、母は近場の道の駅や日帰りの温泉、県内にも温泉付きの宿があることを教えてくれて、みんなで何度か行くことができた。</p><p>私達が知らない情報を、いつも母は教えてくれて、実行するのに付き合ってくれた。</p><p>流行りの言葉や美味しいお店の情報など、いつも面白い話や安心する会話をしてくれた。</p><p>母はいるだけで安心できたし、遠く離れていても存在が私の行動力を産んだ。</p><p>貴女がいない今、友人との付き合いがなく、ひとりでする仕事をしている私は、新しい情報を、得ることは難しいでしょう。</p><p><br></p><p>癌が見つかってからは早かった。</p><p>ステージⅡくらいでリンパに転移がなかったので安心していたら、ホルモン療法を続けていたのに、骨や肝臓、脳にまで転移した。</p><p>薬は効かなかったのだ。</p><p>腫瘍内科医は、進行スピードが早く、顔つきの悪い癌だといった。</p><p>何故母はそんな癌にならなければならないんですか？</p><p>こんないい人が何故こんな苦しい思いをしなければならないんですか？</p><p>２次ホルモン療法が終わり、抗癌剤しかないといわれた。</p><p>２ヶ月近くセカオピで時間を取られ、抗癌剤の開始が遅くなった。</p><p>母は透析患者だから、慎重を期すため半量で投与することとなった。</p><p>しかし、その抗癌剤は白血球減少や筋肉痛の副作用が強いので一回で中止。</p><p>腫瘍マーカは1800→1200くらいまで減ったから、相当の効果があったが、同じくらい正常な細胞にもダメージがあった訳だ。</p><p>しかし、一ヶ月半くらいで再び歩けるくらいまで回復したので、交通事故にあったが何とか戻ってこれた状態にはなった。</p><p>しかし、この抗がん剤以外の治療はこの病院では設備がないし透析患者への前列がないからできないし、これ以上の治療は負担が重いので緩和を勧められた。</p><p>当時の私達にとって、緩和ケア＝なすすべがない、見捨てられたと感じた。</p><p>母は抗がん剤前ほどではないが、それなりにまだ元気は残ってはいた。</p><p>だから、私はセカオピで一番分かりやすい話をしてくれた人間味のある外科医のもとに、さらなる治療を母に受けさせるべく、でもどうせ同じく緩和って言われるんだろうなと思いながら、転院させることを決めた。</p><p>透析設備と緩和ケア病棟があったことが決め手となった。</p><p><br></p><p>そこの外科医は、まだできる第三次ホルモン治療があると教えてくれた。</p><p>ただ、ピンポイントに効く抗がん剤である、それに上乗せするCDK4/6そがいざいは難しいと思う、とも言われた。</p><p>とにかく、癌はどんどん進むから、何も治療していないよりは気が紛れる…そんな気持ちで、2回ほど外科医の説明を聞き、緩和で言いと言っていた母に治療を勧めた。</p><p>それが少しでも延命に繋がったのか、大きな間違いだったのか、今となっては分からない。</p><p>初めの腫瘍内科医は、年を越せるかどうか、との余命宣告だったが、実際は今年の10/27に亡くなってしまったから、早かった。</p><p>緩和だけなら、箱根駅伝が見れたのか。</p><p>ホルモン療法をしたから早く亡くなってしまったのか。</p><p>丸山ワクチンを含め、できることがあるなら、と次々に取り組ませた私には分からないが、母は、ホルモン療法をした外科医を恨んでいた。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<pubDate>Sat, 30 Oct 2021 01:44:00 +0900</pubDate>
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<title>やっと歯が磨けた。</title>
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<![CDATA[ ２７日の母の死から丸2日間が経ち、今が２９日の夜で3日目に入った。<br>当日はただ泣き崩れるばかりで、何もできなかった。<br>埼葛で駐車場の仕事やってたのと、こないだ上野文具に行きそびれたから、館林のアゼリアモールにリベンジしてた（このときは結構雨が降っていたが、東北道に乗ったあとは不思議と止んだ。）せいで、病室で母を看取れなかったその後は15時16分だが、子供に一刻も早く逝去を伝えなければならないし、母の布団を敷かないといけなかったので、もちろん蕨や東浦和の現場等寄らずにまっすぐ帰った。<br>子供たちも泣き疲れて、歯磨きせずに居間で寝てしまった。<br>歯磨きしようと思い至らないし、気力も体力もなかった。<br>翌日は葬儀の打ち合わせに業者が来たが、その後は母と買った別宅に行き、遺品を見て大泣きし、駐車場の仕事をとてもする気になれず、その後は同じようなものだった。<br>歯磨きをする気にもならないし、できなかった。<br><p>そして今日。</p><p>夜やっと齒が磨けたのだ。</p><p>これは大きな一歩である。</p><p>この３日間、磨いてないことが気になる気力がないほど、憔悴してしまっていた。</p><br>普通の声で話せるようになってきた。<br><p>心から笑うことはまだまだできないけど、従姉妹が富山から来てくれて母の顔を葬儀社で見れたのと、神戸の現場に行きついでに市営住宅の見学に歩いて５階に登って山と夕焼けが見えることに驚いたり、葬儀社に寄って学会歌のＵＳＢを届けてまた母の顔を見れたり、しまむらで次男の参列服を買ったりしているうちに普通に喋れるようになってきて、支部長と高星さんが学会からの弔辞を持って来てくれたり、近所の友人から電話があり、大泣きしてしまい、彼女が告別式だけ来ることになり、少し気が晴れた。</p><br><p>明日のお通夜の宿泊の準備や、運動会の用意も何とかやった。</p><p>記憶が飛ぶし、まだ自分を取り戻すことはできないけど、少しずつやるべきことをやらなければ、という気になってきている。</p><br><p>おじじも記憶が飛ぶようになってきている。</p><p>６時半ごろに叔母から受けた電話を夜の８時半の電話だと思ったり、お香典を仕舞った場所を完全に忘れたりしていて心配だ。</p><p><br></p>やはり、奮発して5日間安置にして大正解だった。<br><p>母の顔を、長い間見れるのは心の整理に与する気がする。市民葬の2日間やましてや火葬のみなどではあっけなはすぎる。足りない。</p><p>やはり、名残を惜しむ時間や顔を見れる期間は長ければ長いほど良い。</p><p>本当は火葬はやめて、土葬にしたいほど母は綺麗なので、5日間でも足りないが。</p><p><br></p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12706981027.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Oct 2021 23:57:00 +0900</pubDate>
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<title>葬儀を執り行うことになりました。</title>
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<![CDATA[ 生前母は、焼くだけでいい。<br>誰も呼ばないで、身内だけでいいと言っていましたが、家族葬の会場が思いの外広く、椅子も多く並んでいたことから、もう少し呼んでもいいかもと思い直し、同じ宗教の方や生前母と親交があった近所の方、父の親戚なども声をかけることにしました。<br><br>結果、多くの方が参列してくださることになり、通夜と告別式を2日間で行う、所謂普通のお葬式を行うことになりました。<br><br>母の意向とは離れた、割と派手な部類に入るお葬式となりそうですが、なるべく沢山の人で、なるべく別れの時間を長く取りたいという意味では、5日間安置できるし、ちゃんとしたお式のほうがいいと思い直したんです。<br>母の焼くだけで良いという言葉を実現するにも、火葬場に直接連絡しても間に必ずギョウシャカ入ることが一般的で、こじんで火葬場の予約は難アリだなと感じました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12706772616.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Oct 2021 23:44:39 +0900</pubDate>
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<title>享年66歳。母は永眠しました。</title>
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<![CDATA[ 乳がんが全身に転移した苦しい闘病の末、母は2021年10月27日帰らぬ人となりました。<br>母の生き方や生前教わったことなどを、記録したいと思います。<br><br>まだ亡くなったばかりで、大きなショックの中にいるので、記憶の思い違いややるべきことを忘れることが多く、元々どうしようもないクズですが、思い出せる限り、書いていきたいと思います。<br>母ロスで鬱になったり廃人化することもあるのでしょうかね。<br>今はそうなりそうだし、悲し過ぎて、乗り越えられる気がしません。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nalukoyuri/entry-12706771337.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Oct 2021 23:39:53 +0900</pubDate>
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