<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>スネオの髪型</title>
<link>https://ameblo.jp/namuv8/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/namuv8/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>年に1度はスネオの髪型に違和感を覚える。妄想壁で気分や。そんな、私の頭の中です。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>生と死</title>
<description>
<![CDATA[ <p>もし、今死ぬとしたら何を想うだろうか。。</p><br><br><p>親しい人との別れの寂しさだろうか。</p><br><p>孤独や、自分がなくなってしまう恐怖だろうか。</p><br><p>私には無常観が残る気がする。</p><br><p>実際に想像するのはとても難しく思える。</p><p>ただ、似た経験をしたことはある。</p><p>地震が起きた時は似た気持ちになる。</p><br><p>私はまだ何もしていない。何とか生き延びたい。</p><br><p>そんな思いにかられる。</p><br><p>ところが死が遠のくと、何かを成し遂げたいという情熱も遠のいて行く。</p><br><br><p>なぜだろうか。。</p><br><br><p>人の生きる気力（やる気や情熱）には、ある種の危機感が必要なのだろうか。</p><br><p>では、今、情熱を持って頑張っている人たちには危機感が常にあるのだろうか。</p><br><p>一概にそうであるとは言えないと思う。</p><br><br><p>ただ、人に生まれたからには必ず老いや死が訪れることは、生きる糧として重要な要素である。</p><br><p>偏った表現をすれば、死ぬ瞬間の自分のために生きているように感じる。</p><br><br><p>死ぬ瞬間に満足の出来る日は来るのだろうか。</p><br><br><p>生きる情熱を持って、めいいっぱいにこの世を生き抜いてみないとわからない。</p><br><p>床に伏して、いつ死んでもおかしくないと宣告された時、出来れば笑顔でいたい。</p><br><br><p>そのためにも、生と死の狭間でリアルに生き抜く覚悟が必要であると思った。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/namuv8/entry-10422566864.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Dec 2009 08:11:52 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
