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<title>名無しの武闘家のブログ</title>
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<description>ただ、思ったこと、感じたことを言葉にしていきます。</description>
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<title>夢</title>
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<![CDATA[ 世の中に、「必ず」っていうことはあるのだろうか。<br>『頑張れば「必ず」うまくいく』、『努力すれば「必ず」達成できる』。人はよくそういうけど、必ずしもそうではないだろう。<br>夢を追い求めるために、目標を達成するために、人は努力を続ける。<br>時には、試験に受かるために。<br>時には、部活動の大会で優勝するために。<br>そういう人を見て、周りは決まってと言っていいほど、こう口にする。<br>『あれだけやれば、「必ず」うまくいくだろう』。<br>その発言は無責任だと思う。<br>確かに、やれば簡単に達成できるようなことは努力すれば大抵はうまくいく。<br>でも、その目標としているものが、極めて困難なものであったら、どうなる。<br>そんな無責任な言葉に励まされて、期待を背負わされて、プレッシャーをかけられて。<br>そして、うまくいかなかったら、手のひらを返したように、文句を投げつける。<br>『あんなにやったのに何で出来なかったんだ』、『努力が足りなかったんじゃないの？』。<br>そんな言葉をかけられた人の、心の中を想像すると恐ろしい。<br><br>努力は報われない時だってある。<br>世の中頑張ればうまく行くほど甘くはない。<br>時には運だったり、才能だったり、身に付けてきたもの以外にも必要なものもある。<br>スポーツの試合だって、戦えば必ず勝敗はつく。勝者と敗者に分かれるのは当然だ。<br>でも勝ったからといって、その勝者が血の滲むような努力をしていたとは限らない。<br>その敗者が、練習もせず、遊び呆けていたとは限らない。<br>勝者には才能があって、敗者にはそれがなかった。敗者は、勝つために精一杯努力したけど、それは報われなかった。<br>なのに、負ければ文句を言われる。今までの努力がなかったかのように、罵詈雑言を与えられる。<br><br>違うだろう。<br>評価されるのは結果だけじゃないはずだ。<br>その人が、その結果に至るまでの道のりも評価されるべきなんだ。<br>結果が良かろうが悪かろうが、その人が努力してきたことに変わりはない。<br>その人の努力が消えることなんてない。<br>結果だけが全てじゃない。<br><br>だから、応援するときも、支えるときも、「必ず」なんて、プレッシャーを与えないで、ただ『頑張れ」だけでいいんだ。<br>それで、もし結果が悪くても、まずは『お疲れ様』と、その人の努力と結果を労って欲しい。<br>そうすれば、その人はまた次に向かって、胸を張って歩き始めることができるだろう。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12389688256.html</link>
<pubDate>Mon, 09 Jul 2018 22:03:40 +0900</pubDate>
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<title>共感して共有する</title>
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<![CDATA[ 僕は好きなアーティストがいる。<br>少し前までは僕の周囲の認知度はなかったけど、メディアなどに取り上げられ始めると、そこら中でその人の名前を聞くようになった。また、商業施設、飲み屋に入って、時折その人の音楽が流れていると、少しテンションが上がる。それほどまでに、僕はその人の、所謂「熱狂的なファン」だ。<br>だから、いろんな人とお気に入りの楽曲などを話している時が楽しくて仕方がない。誰かと自分が好きなものを共有し、その良さを互いに共感し合う。それは、音楽、ゲームなどの趣味や好きなものに限らず、勉強であったり、スポーツであったり、様々なもので出来ることなんだと思う。その共有、共感を通して、自分の価値観を広げられるし、逆に他者に自分を認めてもらえることもある。そういう活動を通して、人は成長していくものだと思う。<br>ただ、その共感、共有の中でも、曖昧であったり、他人に合わせるようなものは、僕はあまり好ましくないと思っている。<br>その音楽、そのゲームを世間の人がいいと言っているから、誰かがいいと言っているから、有名だからとりあえず触っておくか、くらいの感覚で入ってきた人とは、そのものの良さっていうのは、共有できないと思っている。始まりはそれでもいい。問題は、そのあとでそれらのものに自分なりの良さを持っているかどうかだと僕は考えている。<br>そうすることで、自分の中の可能性はさらに拡大するきっかけを掴むことができる。<br>偉そうなことを言っているなと思われるかもしれないし、確かに自分でもそう思う。<br>要は、中途半端な気持ちで物事を語らないで欲しい。語るんだったら、確固たる自分よ考え方を持って欲しい。それを僕は言いたいだけなんだ。<br>互いの良さを共有し、共感するところは共感し、間違っているところは互いに補い合う。人間ってそうやって生きていくものではないだろうか。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12388512835.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Jul 2018 22:09:56 +0900</pubDate>
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<title>酒</title>
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<![CDATA[ 先日、県外の友人と久しぶりに会って、その夜に居酒屋へ行った。酒を飲み、食べ物をつまみながら、昔ばなしに華を咲かせる。子どもの頃は、酒はそんなにいいものなのか？、と思っていた。でも、いざ大人になって友人らと飲み交わすと、とてもいいものだと思うようになった。まさに、大人にならないと分からない、至福の時である。<br>反面、時に酒は人を狂わせる。無理に飲んだり、限界を超えて酒を飲んだ時、人は理性を失う。そして、社会的に逸脱した行為をして周囲に被害を与える。時にそれは、言葉の謝罪だけでは済まない事態まで発展する可能性だってある。<br>ここ最近、有名人が酔った勢いで、未成年に不適切な行為をして、波紋を呼んでいる。自分もよく知っていた人だけに、怒りよりも悲しみの方が強かった。そんな雰囲気の人間には思えず、何かの間違いではないかと思った。それほどまでに、酒は人を豹変させる。そして、人生を破壊する。<br>今回のことで、彼のした行為は許されるものでは無いと思う。社会的に逸脱した行為をしてしまったのだから。<br>しかし、少し疑問に思うこともある。<br>今回のことが世間、一般人にに発覚したのは、事件が起きてから期間が空いている。<br>その空白の時間というのは、一体なんなのか？それが僕の中で引っかかっている（もしかしたら、周知されているのかもしれないが…）。<br>何か裏があるのではないか？そう考えてしまう僕の思考はおかしいだろうか…。<br>いずれにせよ、期間がどれだけ空いていようが、事態が発覚していたのは明確だろう。<br>今回のようなことのほかに、暴力を振るったり、アルコール中毒になり命を落とすなど、酒は一歩間違えば凶器となる。<br>これから飲みに行くわけだが、あまり羽目を外さないように、至福の時間を楽しみたいと思う。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12374671608.html</link>
<pubDate>Wed, 09 May 2018 16:38:52 +0900</pubDate>
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<title>存在</title>
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<![CDATA[ 様々な場所には、そこにいなければ行けない人がいる。その人がいなければ、その場の機能が停止する。そんな能力の高い人、いわゆる存在価値の高い人がどこにでも居ると思う。誰からも尊敬され、信頼される人。そんな風になれたのは、多くの努力と経験を積んだ結果だと思う。そういう人間を、僕は心から尊敬する。<br>でも、中にはそんな風に存在価値が低い、あるいは無いに等しい人もいるのではないか。いや、必ずしもそうではないだろうし、自分自身でそう思ってないのなら、その人は少なからず、その集団の中で役割を果たし、貢献しているんだと思う。<br>そんな中で、僕は自分の存在価値が低いと思っている人間だ。自己肯定感が低い、ともよく言われる。<br>その集団の中で、自分が居ても居なくても、機能が果たされる。逆にいることでその場に支障が生まれる。そんなことが、最近自分の所属する集団で起こっていると感じる。<br>僕はいらない人材だ、と自己嫌悪に陥り、今のままだと更に悪い結果を呼びかねない。それは、僕の努力が足りないんだし、能力が低いから仕方のないことだ。<br>でも、心のどこかでは、自分を助けて欲しいという、わがままな考え方がある。つくづく、自分の甘さが本当嫌になる。<br>このままいらない人間のまま終わるのは嫌だ。もしかしたら、今いる場所が僕にとって存在価値を見出せない場所かもしれない。そういう考え方は、逃げの考え方だけど、嫌な雰囲気のまま生活したって、人生損するだけだ。<br>時には逃げるのも大事だと思うし、それご良い結果に転ぶこともある（もちろん、逆の場合もある）。<br>今の環境に不満があって、このままだと自分自身が潰れそうになるんだったら、勇気をもって行動するべきだ。強い人ならそれができる。<br>でも、僕は弱い人間だ。逃げる勇気も立ち向かう勇気もない。今はまだ、今の環境で自分の存在価値を高めるために、抗っていこうと思う。そうすれば、自分の中でまた何かが変わると思うから。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12370883085.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Apr 2018 17:09:13 +0900</pubDate>
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<title>自分</title>
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<![CDATA[ 誰でも自分の身というのは大事にしていると思う。肉体的な面であったり、社会における地位であったり、それらを守る行為というのは生きていく中では必要ないスキルだし、重要なことだとは思う。<br>でも、それが本当に自分のため『だけ』に行われるものだとしたら、話が違ってくる。自分が優位に立つために、誰かを蹴落とし、今目の前にある状況を無視して、蹴落とすことに必死になるのはおかしいのでは無いのだろうか。まして、それが誰かの上に立つ者だったら、誰かの為に何かをする者だったら尚更だ。<br>そんな者たちが、蹴落とした者に代わって指揮を取ることになったとしよう。僕はその者たちが蹴落とされた者以上のことを為すことは出来ないと思う。何か自分たちに明確な目的や目標があるわけでもなく、ただ相手の粗だけを抽出して蹴落とすような行為をするような、言ってみれば幼稚な手段を使うような者たちだ。僕がこう思うのも無理はないと思う。<br>僕がこんなことを言っている理由や、何に対して言っているのかは、察しがいい人だとお気付きかもしれない。だからここでは明確にその対象を明示するのは避ける。もう一つ付け加えると、僕は誰を支持するとかいう考えもない。そこまで学があるわけでもないし、反論出来るような知識があるわけでもないからだ。僕は、自分自身が、周りの人たちが平和に生きていられればそれでいい。<br>こんなことを言っていると偽善者だとか言われるかもしれないけど、僕は誰かの為だったら多少の自己犠牲は仕方ないと思っている人間だ。誰かに褒めて欲しくてこんなことを言っているわけではないことをわかって欲しい。<br>もしかしたら、この記事は消すかもしれない。僕だってこれから平和に生きていきたい。自分の身を守る為に、多少の卑怯なことだってする。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12369879959.html</link>
<pubDate>Fri, 20 Apr 2018 18:20:41 +0900</pubDate>
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<title>桜</title>
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<![CDATA[ 最近は夜も少しずつ暖かくなってきた。<br>なんとなく、ただ気が向いて外に出てみる。街灯に照らされた夜道を歩いていて、ふと上を見上げると桜の木がその身にピンク色を纏っている。今まで蕾だったのに、気がついたら満開の桜の木々。足を止めて見惚れてしまうほどに、その美しい姿に目を奪われる。<br>でも、そんな美しい姿を拝む事が出来るのもほんの数日。もしくは、明日になったら花が散ってあるかもしれない。<br>桜の見頃は一瞬、とよく言われるのを耳にするが、全くその通りであると僕も思う。<br>冬の寒さをしのいで、春の日差しを浴び、来たるその瞬間に桜の花を全身に纏う。そして、散っていく。<br>それを桜の木々は、枯れ果てるまで何年も何十年も続けている。ここぞという時に、自分の持つ力を最大限に発揮して、人々を魅了している。<br>どんなことも、最高の瞬間というのは、読んで字のごとく一瞬で終わってしまう。そこにたどり着くまでに、様々な困難や苦痛なこともあるかもしれない。でも、そういうものを乗り越えた場数が多ければ多いほど、その頑張りが花開いた時、喜びは計り知れないほどのものだろう。<br>僕もそんな気高く美しい桜の木々たちを見習って、最高の瞬間を得るために、今は何事にも立ち向かっていこうと思う。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12369621695.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Apr 2018 20:00:00 +0900</pubDate>
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<title>ゴール</title>
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<![CDATA[ 人生のゴールとは何か。<br>宗教的な話に思えるかもしれないが、僕はふとこれについて考える時がある。<br>何事にも最終到達地点というのはある。<br>自分が就きたい職業のために死にものぐるいで勉強して採用試験に合格する。<br>何かのスポーツをやって、一生懸命練習して大会で優勝する。<br>あらゆる物事には、このように到達地点、すなわちゴールが存在する。<br>でもそれらの出来事は人が生きていく中では短期的な到達地点にすぎない、と僕は考えている。<br>どんな功績を残そうが、その後も人生というのは続いていく。その中で、また目標を決めて取り組んで、その目標を達成しても、やっぱりその後も人生は続いていく。<br>だったら人は何を到達地点として生きているのか。<br>それは、「死」ではないだろうか。<br>これを以前友人に話した時、大丈夫か？、と心配されたが、誰が聞いてもそう思うに違いない。そもそも、こんなことを人に言うこと自体おかしいのかもしれない。ここに書き記しているのもおかしいかもしれない。<br>それでも僕はこの話を続けよう。<br>考えて見てほしい。人が死んだ時、それ以降その人は活動を完全に停止する。その後に何かをすることは不可能なのだ。<br>最終到達地点は、その地点以降は何もない。<br>それをもとはすると人生において、死というのがこれに当てはまるのではないだろうか。<br>死んでも、その人の魂は永遠に生き続けるとか、生まれ変わって新たな人生を歩むだとかそう言う考えもあるかもしれない。<br>でも、死を迎えると、その個体にとっての人生はそこでおしまいなのだ。<br>それらの考えに異を唱えるとすれば僕はそう答えると思う。<br>死を迎える瞬間は遅かれ早かれ、誰しもが与えられるものだ。<br>僕もいつ、どの瞬間死ぬのか分からない。<br>もしかしたら、それは明日唐突に訪れるかもしれない。<br>でも、まだ僕には達成していない短期的な目標が山ほどある。<br>こんなことを書いていると自殺志願者とかに思われるかもしれないが、そんなことはない。<br>平凡に生き、最後は笑って死ぬことが、僕が望む人生のゴールだ。<br>そのために、僕は今この瞬間を生きていこうと思う。<br>なんだか文章が支離滅裂になっているかもしれないけど、許してほしい。<br>誰が見ても理解できる読みやすい文章が書けるようになる。<br>そうだ、これも一つ人生の短期的な目標としていこう。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12368664723.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Apr 2018 21:38:11 +0900</pubDate>
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<title>水</title>
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<![CDATA[ 「水」というワードを聞くとみんなは何を想像するだろう。<br>それは人それぞれだとは思うけど、今の僕は水泳が真っ先に頭に浮かぶ。<br>それは僕が水泳が好きだからとか習ってるからとかいう理由ではなく、ただただ苦手としている種目だからだ。<br>好きなものと同じくらいに、或いはそれ以上に、嫌なものっていうのは記憶に残ったり、頭に思い浮かぶものだと思う。時々、不意に子どもの頃の苦い経験を思い出して一人で悶々としている。逆に、楽しかったり、嬉しかったりした時のことは無意識のうちに思い出したりすることはない。それは、僕がそういういい思い出がない訳ではない。思い出そうと思えば、いくらでも思い出せる。<br>思うに、僕は自然と楽しかった時のことを「綺麗なもの」として消化しているのだと思う。それに反して、嫌な記憶や思い出は中々消化しきれずに、その時の情景がまだ頭の片隅に残っているのだろう。<br>これから生きていく中で、困難にぶつかり嫌な思いをすることも多くなる。その度に、その記憶を消化しきれないと、消化不良を起こして、自分自身が崩壊するのでないかと不安だ。<br>僕は決して器用でない。だから、不器用なりに考えて、嫌な記憶も水に流せるように、これから生きていかなければならない。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12368125645.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Apr 2018 18:15:10 +0900</pubDate>
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<title>はじめて</title>
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<![CDATA[ 文章を書くことは今までいろんな場面でやってきた。学校で読書感想文を書いたりすることや仕事での書類の作成まで。何かを表現する方法の一つとして、何気ない日常の中で繰り返し行っているのではないだろうか。<br>でも僕が過ごしてきた中で、ブログという文章を使って表現するコンテンツを使うのは今日が初めてだ。<br>初めてというのはいつでも緊張するもの。<br>正しい言葉遣いをしているか、誤字や脱字はないか、誰かを傷つけるようなことを言っていないか。<br>そんな不安は心の中にあるものの、自分の考えを表現したいという気持ちもまた心の中にある。<br>これからどうしようもないことを書き連ねていくけど、それに対して共感してくれたり、或いは批判してくれても構わない。ただただ流して読んでくれても構わない。そんな考え方もあるのか程度で読んでくれたら、目を通してくれたらそれだけで僕は嬉しいのかもしれない。
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<link>https://ameblo.jp/nanashifighter77/entry-12367670020.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Apr 2018 22:43:43 +0900</pubDate>
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