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<title>NARARIRAN</title>
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<description>What I am thinking in my daily lives</description>
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<title>客観的事実が教えてくれるもの</title>
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<![CDATA[ <p>ずっと、なんだかうまくいかない、おかしいと思っていた。</p><p>それでも何とか自分を律してやってきた。事実はいつだって自分次第のはずで、自分がそれをどう捉えるか、だから！と思っていた。自分の気持ちが強くあれば大丈夫、そう思おうとしていた。けれど出来心によって発覚した事実は自分を傷つける。何よりも性質が悪い。だってそれはなんの意図もなく、どう見せよう、とかどう見せたい、とかそういったことから遠い、本当の真実に近い部分なんだもの。もちろん、そこには本当の真実のみではない、何かはある。相手によって対応を変えたり、自分に都合の良い様に状況を作り上げるために、どこかで本意ではないことを言っている、かもしれない。それでも、ここまでの長い時間を二人で共有し、二人で作り上げてきた時間や雰囲気、空気がある。それがあまりにも自分のつくり出したものとは違っていた。人と人の相性は足し算かもしれないし、掛け算かもしれない。だから自分が誰かをうらやましがっても仕方がない。私とあの人ではこういうものしか作れなかったのだから。それを人と比べて嘆いているのは意味がないのだ。でもこの気持ちを払拭できない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10547948832.html</link>
<pubDate>Sat, 29 May 2010 10:20:53 +0900</pubDate>
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<title>白黒はっきりさせる</title>
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<![CDATA[ <p>調子のいいとき悪いとき、いろいろあります。当然ですが。</p><p>そして調子の悪いときって、理屈で割り切りたいと思っていることが多いような気がします。調子のいいときはもっとおおらかな気持ちで、「なるようになるさ」と思っているのですが・・・。</p><p>理屈で割り切る、白黒をはっきりつける。これってすっきりして気持ちがいいものです。でも、生きている上でそうしてしまうのは自分の感情を無視する必要がある場合も多々あり、結局そうはいかないというものです。簡単には生かされていないものですね。白黒をはっきりつけられない自分を疎ましく思い、そうさせられてしまう状況を苦々しく思う。それでも、白黒はっきりさせずに良かった、などと思うような出来事が後から起こったりするわけです。でも、でも、結局は自分ばかりが損してるんじゃないの？という気持ちを拭い去れないのですね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10533535287.html</link>
<pubDate>Thu, 13 May 2010 10:28:51 +0900</pubDate>
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<title>理屈と感情</title>
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<![CDATA[ <p>結局、理屈で考えているようには割り切れないものなのだ。</p><p>自分がどんなに白黒はっきりさせたいと思っていても、時に事態はますます複雑化する。それは事態をより良くしたい、ラクになりたいからだったりするのだけど、結果、当初の目的とは真逆の状態に陥ったりする。こういう状況を打破するために一番必要なのは自分の意思の力だと分かっているのだけど。。。</p><p>うまくいかない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10529081933.html</link>
<pubDate>Sat, 08 May 2010 12:55:40 +0900</pubDate>
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<title>意味を見出す</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">人生で起きるすべてのことに意味があるなんていうけれど、それは本当かしら？</font></p><p><font size="2">こんなにつらく無意味に感じられる日々に意味があるなんて。</font></p><p><font size="2">私は大丈夫って思いたいけれど、綱渡りをしているような不安定な毎日で、それが信じられない日もある。</font><font size="2">今日はそんな一日でした。生活の中で自分のコントロールが効かない部分が大きいのは苦痛ですね。自分次第じゃなくてあの人次第だなんて。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10515789011.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Apr 2010 19:14:54 +0900</pubDate>
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<title>事実と解釈</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">電話がこない・・・。</font></p><p><font size="2">どうしてなの。今頃何をしているのかしら。忙しいだけ？もしかしたら今、あの人といっしょなの？それとも、もう私のことなんてどうでもよくなってしまったの・・・。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">事実は自分のその行動に対しての意味づけや解釈とは別のところにあるかもしれないわけです。しかし、ある行動に意味づけや解釈を加えることによって次の道が決まってしまう。例えば、電話のこない理由を誰かといっしょだから電話できないのだと解釈したとします。すると疑心暗鬼になり、次に彼から連絡がきても、彼女との時間が終わったから自分のところにきたんだと考えてしまう。するとぎくしゃくしてしまいうまくいかない。ところが、ここでの解釈を電話が来ないのは彼が忙しいのだと考えたとする。すると次に彼から連絡がきても、忙しい時間が終わって自分との時間を取ろうとしてくれていると積極的に解釈できるかもしれない。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">起きていることは一つしかないわけですが、そのことを知る由がない場合、人は勝手な解釈を繰り広げていきます。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">それだったら、事実を事実としてだけ捉えるほうが公平なのではないか。「電話がこない」ただそれだけ。勝手な意味づけや解釈は自分の首を絞めることになると思うのです。起きていることをそれだけのものとして捉えることができる強さを身につけたいものです。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10515774990.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Apr 2010 23:32:11 +0900</pubDate>
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<title>どこに真実が？</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">誰もが自分の物語の主人公ですよね。</font></p><p><font size="2">十代のころ、少女マンガを読んでいると自分とその主人公を重ね合わせたものでした。主人公の女の子はボーイフレンドと楽しい日々を送っている。そこに別の女の子が現れたことによって、ボーイフレンドの気持ちが揺れ始めてしまう。あの手この手で彼との距離を縮めようとする彼女。ここで、後から出てきた彼女は読者には悪役に映ります。</font></p><p><font size="2">まさかまさか、自分が悪役の少女の側にまわることがあるなんて思いません。いつだって、正義は自分の側にあるもの。そう信じていたころ。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">でも大人になった今、主人公も後から出てきた彼女のどちらも正しかったのだということがわかります。漫画の中では目線が主人公の女の子側から書かれているからこそ、読者はそちらに同情している。後から出てきた彼女は意地悪く描かれているかもしれない。主人公からしてみたら、そう見えてるのかもしれない。でも、悪役に回された側にはまた別な物語があったりする。彼のほうがその子に惹かれてアプローチをしていたのかもしれないですよね。二人の間には抗えない運命のような何かがあったのかもしれない。その漫画の中では悪役だとしても、その少女自身の世界では彼女が主役で、漫画の主人公は悪役。</font><font size="2"><br></font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">現実の世界でもこういうことって往々にして起こっていますよね。みんな自分の物語の主人公だから自分が正しいと思いたいし、自分こそが本物なんだと信じたい。でも、本当のところはどうだろう・・・。ただ、たくさんの正しさや本物が存在してるんじゃないかしら。だからこそ、利益がかち合ってしまうこともあるのだろうけれど。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">先日、『シャッターアイランド』を観ました。映画の中で、ある登場人物は正義は自分の側にあり、それに対する悪役がいると信じているのですが、立場は何度も入れ替わってしまう。自分が悪役だと思っている人物が実は自分で、また正義の側にいる自分に戻ったりする。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">自分にとっての悪役を決めてしまったほうがラクではありますが、それが真実かというのは別の問題です。そして、誰もが自分が主人公の物語に生きているからこそ、その人がどんな選択をしようともそれを責めることはできないと思うのです。その物語のなかでは主人公だけが選択する権利を持っているのですから。</font></p>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10515661012.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Apr 2010 10:52:47 +0900</pubDate>
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<title>考えていることを表現できるということ</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3"><font size="2">最近、よく感じることは自分の思っていることや考えていることを「言葉」にして表すということは難しいなぁということ。TVでインタビューを受けている人を見たりして、自分が同じようなことを質問されたらこんなふうに答えられるかしら？とか、こんな言葉を使って自分の考えていることを表せるかしら？と思ってしまいます</font>。</font></p><br><p><font size="2">それは本を読んでいても同じこと。作中の表現に感嘆しています。特に、本を読んでいて感じるのはその言葉を理解できるということと、その言葉を自分のものとして使うことができるというのは違うということ。段階が一段上になると思うのです。本を読んでおもしろいなぁと思うことと、その表現を自分で使うこととは違う。以前はこのことにも気づくことがなかったことを考えれば、一歩前進してるのかしら・・・と思ったり。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">考えてみれば、自分は昔から自分の体験したことや、考えていることをわかりやすく他者に伝えるということが苦手だったような気がします。どうせ分かってもらえない、という気持ちが根底にあり、それをぬぐえなかったのです。伝えよう、と試みてみてもどこかであきらめちゃうんですね。もういいやって。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><p><font size="2">でも、最近になってこんなふうに言葉を知ってることとそれを使って表現できることって違うんだなぁとわかってきたので、それじゃあ少しずつでも訓練してみようか、と思ったことがこのブログを書く理由です。</font></p><p><font size="2"><br></font></p><br>
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<link>https://ameblo.jp/narari/entry-10514810635.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Apr 2010 10:30:26 +0900</pubDate>
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