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<title>naruko1432のブログ</title>
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<title>風水大作戦(前編)</title>
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<![CDATA[ <p id="4E5281E2-1B95-444F-AC68-2F3506392951" name="4E5281E2-1B95-444F-AC68-2F3506392951">風水大作戦（前編）――一介の主婦が「55年体制」を終わらせた日<br><br>近所では「気のいいおばさん」で通っている私の母。<br>だが、その日常の裏側には、教科書には決して載らない「もう一つの日本史」が流れている。<br>マダムからの電話と、黒塗りの車<br>ある日、母のもとに一本の電話が入った。<br><br>主（あるじ）は、通称「マダム」。<br>彼女は、海外旅行に行けば空港のVIPルームから機内まで、<br>空港幹部がエスコートするほどの影響力を持つ人物だ。<br><br>「先生、私の大事なお友達が悩んでいるの。相談に乗ってあげて」<br>いつものように迎えの車が到着し、母はそれに乗り込んだ。<br><br>今回ばかりは、あのマダムでさえ、相当な気を遣っている様子が伝わってきた。<br><br>母が案内された先にいたのは、独特のオーラを纏った一人の男だった。<br>彼は当時、長野オリンピックの役員の仕事に内定しており、他にも数々の名誉職のオファーを抱え、<br>その進退に迷っていた。いわゆる「定職に就かなくても食っていける階層」の人間だ。<br><br>その男を前にして、母は一切の迷いなく即答した。<br>「次の衆院選に出なさい。歴史が変わるわよ」<br>母はさらに、具体的な指図を次々と繰り出した。<br>男は食い入るように聞き入り、気づけばノート二冊分ものメモを取っていたという。<br><br>「確かに、天命を賜りました」<br>男はそう言い残し、晴れやかな顔で帰っていった。<br><br>翌年の1993年。長く続いた自民党の「55年体制」は、誰もが予想しなかった形で終焉を迎える。<br>日本が大きく揺れた首相指名の夜。我が家の電話が鳴った。<br>電話に出たのは、何も知らない私の妹だ。<br><br>「細川でございます」<br>「……どちらの細川さんですか？」<br>妹の問いかけに、相手は静かに、しかしはっきりと名乗った。<br><br>「細川護煕でございます」<br><br>妹は、受話器を持つ手が震えるほど驚いたという。<br>その後、翌年の大河ドラマ『花の乱』で細川勝元を演じていた野村萬斎氏の見事な所作を画面で見るたび、<br>私は電話の向こうの彼とイメージを重ね、歴史の不思議を感じることになる。<br><br>その後、細川氏と母の不思議な交流は続いた。<br>「官邸が盗聴されていましてね」という物騒な相談に対し、母が「じゃあ、禅問答でいきましょうか」と返す。まるで掛け合い漫才のような関係だったというから、世の中はわからない。<br><br>結局、細川政権は短命に終わった。<br>だが、その後の氏の二人の令嬢は、一人は裏千家へ、一人は三井総領家へと嫁がれた。<br>まるで、あの時動いた巨大なエネルギーが、日本の文化と経済の核心へと静かに還っていったかのように。</p><p id="77BE9BCA-7119-45C0-A170-89DC65C4BDA4" name="77BE9BCA-7119-45C0-A170-89DC65C4BDA4">そしてもう一つ、細川氏とマダム、そして一介の主婦である私の母。<br>この三人が囲んだ酒の席から始まった「日本新党」という流れは、<br>その後の日本政界を形作る巨大な苗床となった。<br><br>野田佳彦、枝野幸男、前原誠司、小池百合子、茂木敏充……そして、我が敬愛する河村たかし。<br>今やメジャーとなった政治家たちの多くが、あの時の「小さな酒席」から芽吹いたのだ。<br><br>だが、当の母にとっては、自身が時代の分水嶺となった事実さえ、どうでも良いことだ。<br>今日も彼女は、ただの「気のいいおばさん」として、近所の風景に溶け込んでいる。</p>
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<link>https://ameblo.jp/naruko1432/entry-12957162828.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Feb 2026 22:14:42 +0900</pubDate>
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<title>風水大作戦(後編)</title>
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<![CDATA[ <p>風水大作戦（後編）――百尺下の水を動かした「一介の主婦」の記録<br><br>「またマダムから、お呼びが掛かったわ」<br>母はそう言って、迎えに来た黒塗りの車に静かに乗り込んだ。<br>今回の行き先は、ただの社交場ではない。マダムと一緒にそこに待っていたのは、<br>日本財界の巨頭・豊田章一郎氏だった。<br><br>絶望の中の「泣き」<br>1997年当時、愛知万博の誘致は絶望的な状況にあった。<br>国際博覧会事務局（BIE）の空気は「次は北米だ」という流れで固まりつつあり、カナダのカルガリーが事実上の内定状態。<br>日本政府代表として奔走していた元NHKの磯村尚徳氏からも、あまりの劣勢に「泣き」が入ったという。<br><br>かつて名古屋は、1988年のオリンピック招致でソウルに手痛い敗北を喫している。あの時の、韓国による「お色気接待作戦」とも言われる猛烈なロビー活動に屈したトラウマが、地元財界には重くのしかかっていた。<br>「今回は、同じ轍は踏めない」<br>慎重を期す豊田氏と、地元のために動きたいマダム。<br>そんな国家規模の窮地に、なぜか「一介の主婦」である私の母が呼ばれる。それがいつものパターンだった。<br><br>母は、かなりの曲者だ。<br>当時、彼女は台湾の無極天元宮・黄阿老師の推薦を受け、<br>台北アンバサダーホテル（国賓大飯店）の風水顧問を務めていた。<br>マダムが竹中工務店で自社ビルを建てる際にも、実務的な打ち合わせの席にはなぜか母が座っていた。<br>そんな母が、沈滞する空気の中で放った「一手」は、あまりにも具体的で、あまりにも地政学的なものだった。<br><br>「フランスに、工場を作りなさい」<br>それが、後に語り継がれる「一発逆転」の種火となった。<br>1997年、モナコの奇跡<br>1997年6月、モナコでのBIE総会。<br>第1回投票で、日本（愛知）は下馬評を覆し、絶対有利とされたカナダを破った。<br>愛知の財界は沸き立ち、母の知人たちは誇らしげに胸を張った。<br>だが、この「奇跡」にはタネも仕掛けもある。<br><br>トヨタがフランス北部バランシエンヌに、欧州戦略車「ヴィッツ（ヤリス）」の生産拠点（TMMF）を建設すると正式発表したのは、万博決定から半年後の12月のことだ。<br>しかし、そのカードは、6月の投票の瞬間に「見えない力」として盤上に置かれていた。欧州連合（EU）の要であるフランスを味方につける。雇用と投資という、接待などより遥かに重い実利を突きつける――。<br>母が示したのは、国家規模のエネルギーを動かすための、極めて冷徹な「風水」だったのだ。<br><br>雑魚は踊り、水は深い<br>吉川英治の『宮本武蔵』には、こんな一節がある。<br><br>泳ぎ上手に雑魚は歌い、雑魚は踊る。<br>しかし誰が知ろう、百尺下の水の深さを。<br>誰が知ろう、百尺下の水の冷たさを。<br><br>万博成功に沸く世間という「波際」で、雑魚は歌い、踊る。<br><br>だが、その遥か深淵で、冷たい水の流れを読み、歴史の舵を切った者が誰だったのかを知る者はいない。<br>母は今も、自分が歴史を動かしたなどという自覚も興味も、一切持っていない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/naruko1432/entry-12957162514.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Feb 2026 22:11:15 +0900</pubDate>
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