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<title>川ッチの、長崎ぶらぶら日記</title>
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<description>ﾌﾞﾛｸﾞの説明を入力します。</description>
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<title>恭賀新年</title>
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<![CDATA[ このブログを見て頂いている皆様、あけましておめでとうございます。今年も頑張って更新して参りますので、よろしくお願い致します。<br><br>さて、久々の更新となりました。今日は初詣に行って来ました。長崎の三社詣は、諏訪神社、松の森天満宮、伊勢宮神社の3社。<br><br>まずはここ。伊勢宮神社です。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130104/23/nc-g/48/61/j/o0480064312363095284.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130104/23/nc-g/48/61/j/o0480064312363095284.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>御祭神は天照大神。伊勢宮神社のあるあたりが、まだ新高麗町と呼ばれていた頃、天照大神を祀った祠があったそうです。しかし、当時の長崎はキリシタン全盛。当然弾圧を受け、破却寸前まで追い込まれます。<br>しかし時代が下って行き、キリシタンを弾圧するようになると、再び、天照大神を再興しようという気運が高まってきます。<br>無事再興し、祠が中島川のそばにあった事から、三重の伊勢神宮も川のそばという事で、造り等を模して伊勢宮神社としました。そして新高麗町を神社の名前を取り、伊勢町とするのです。<br><br>次はここ。松の森天満宮です。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130104/23/nc-g/dd/66/j/o0480064312363135607.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130104/23/nc-g/dd/66/j/o0480064312363135607.jpg" alt="photo:02" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>御祭神は学問の神様、菅原道真公です。受験生ではありませんが参拝させて頂きました（笑）<br>松の森天満宮の敷地内には、今博多町天満宮や新大工町天満宮をはじめ、いくつかの神社が入っています。<br>そしてこの場所、もともとは諏訪神社があった場所で、1648年に現在の場所に移転しています。<br><br>そして最後、諏訪神社です。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130105/00/nc-g/8c/38/j/o0480064312363209180.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130105/00/nc-g/8c/38/j/o0480064312363209180.jpg" alt="photo:03" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>御祭神は、諏訪、住吉、森崎の3体。住吉神社は現在の正覚寺付近にあり、森崎神社は現在の県庁の所にありました。<br>この諏訪神社は長崎の総氏神様で、秋には、大祭長崎くんちが行われます。<br><br>今回初めて三社詣というのを経験しました。なんか気持ちがスッキリして、今年も頑張るぞ！って気になりますね。気持ちよかったです♪(´ε｀ )<br><br>今年も一年、よろしくお願いします！<br><br>おまけ① 玉帯川です。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130105/00/nc-g/99/c9/j/o0480064312363209219.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130105/00/nc-g/99/c9/j/o0480064312363209219.jpg" alt="photo:04" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>上流には白糸の滝という、江戸時代の長崎の景勝地だった滝があります。下流に行くと銅座川になり、昔は直接海に注いでいましたが、明治の港湾改良工事により、現在は中島川に合流して海に注いでいます。<br><br>おまけ② シシトキ川です。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130105/00/nc-g/6f/29/j/o0480064312363209282.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130105/00/nc-g/6f/29/j/o0480064312363209282.jpg" alt="photo:05" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>溝のようですが、ちゃんとした川です。端の部分が中心に向かって斜めに切られています。できるだけ水を中央に集め、流れを速くする事によってゴミを溜まりにくくしています。明治時代の最先端の技術で、長崎市内に何カ所か、このような造りの川や溝があります。<br>今も昔も銅座川に合流し、海に注いでいます。<br><br>参考資料:「広助の丸山歴史散歩」より<br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nc-g/entry-11442228620.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Jan 2013 22:51:38 +0900</pubDate>
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<title>出島</title>
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<![CDATA[ 皆様、ご無沙汰しておりました。年末は何かと忙しくてなかなか更新できませんでしたが、久々に更新致します。<br>今日は出島界隈です。<br><br>江戸時代の始めの頃、ポルトガル人を管理する目的で作られました。禁教令などによってポルトガル人が国外追放になると一時無人になりますが、その後オランダとの貿易が始まり、オランダ商館などが建ち並び、再び繁栄します。やがて幕末になり、オランダ商館が閉鎖。出島は、その役割を終えて行きます。<br><br>と、いう事で町歩き。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121204/00/nc-g/50/24/j/o0480064312315081265.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121204/00/nc-g/50/24/j/o0480064312315081265.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">道路の半分くらいの幅の色が違いますね。本当の出島の大きさを表しています。すでに道路になっているので完全復元はできないんですね。ちなみにこの写真は出島の東側です。西側は今の電車の線路近くまでありました。<br><br>さっきの道をまっすぐ歩くと、この橋を渡ります。出島橋です。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121204/00/nc-g/25/a1/j/o0480064312315081210.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121204/00/nc-g/25/a1/j/o0480064312315081210.jpg" alt="photo:02" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">正確には出嶋橋(デシマバシ)といいます。現存する(現役の)日本最古の鉄製の橋です。明治23年に作られて、元々は中島川の河口の方に架けられていて、名前を新川口橋と呼ばれていましたが、明治32年に出島の東側に移設されました。建設されて120年くらい経過していますが、車も通るしまだまだ現役です！<br><br>最後はこの写真。出島の北側です。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121204/00/nc-g/7e/3e/j/o0480064312315081228.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121204/00/nc-g/7e/3e/j/o0480064312315081228.jpg" alt="photo:03" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">実は出島の北側、イメージなんです。中島川の変流工事によって出島の北側は15m～20mほど削られました。本当の出島は、今の中島川の川幅の半分くらいまであったんですね。<br><br>北側が削られた後、残りの東西南も埋め立てられ、出島は姿を消しました。<br><br>ちなみに、昔は出嶋(デシマ)と呼ばれてたそうです。島という漢字は常用漢字で最近の漢字です。昔はすべてが嶋だったそうで、読む時は濁りませんのでデシマとなります。<br><br>参考文献<br><br>「広助の丸山歴史散歩」<br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Mon, 03 Dec 2012 23:27:32 +0900</pubDate>
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<title>原爆落下中心地</title>
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<![CDATA[ 今日は長崎原爆についての話。<br><br>1945年(昭和20年) 8月9日 午前11時2分…、長崎市松山地区の上空で原子爆弾が炸裂しました。<br><br>この1発の爆弾で、約7万人の人々の命が奪われ、多くの歴史的な文化財が失われました。戦後60年たった今なお、原爆症に苦しんでいる方が多くおられます。決して繰り返してはいけない惨劇が、日本の、長崎と広島で起こりました。<br><br>原爆落下中心地の碑が松山にあります。平和祈念像がある平和公園の隣にある公園です。<br><br>しかし、アメリカ軍の当初の目標地点は松山上空ではなかったという事をご存知でしょうか？<br><br>当初の目標地点…、それは、長崎市中心部、中島川に架かる常盤橋、賑橋付近でした。<br><br>その理由として、ここに落とせば完全に戦意を喪失させる事ができるからです。中島川に架かる石橋群は当然全て無くなっていたでしょう。そして、市役所や県庁、グラバー園や、その周辺の居留地など、すべてが無くなっていたはずですね。もし中島川に落とされていたら、長崎市の歴史は大きく変わっていたでしょう。<br><br>ちょうどその日のその時間、長崎市上空は曇り。ちょうどぽっかり開いていたのが浦上の上空だったんですね。爆撃機の燃料の関係で、そこに落とすしかありませんでした。<br><br>歴史というのは、少しのタイミングの違いで大きく変わってしまいます。<br><br>自分たちは、その歴史の上に立っています。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Fri, 23 Nov 2012 00:00:07 +0900</pubDate>
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<title>諫早へ</title>
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<![CDATA[ 今日は諫早へ行く用事がありました。用事が済んだ後、久々の町歩き。今日は諫早が舞台です。<br><br>旧 長崎街道。貝津工業団地をスタートします。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/cd/99/j/o0480064312292530624.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/cd/99/j/o0480064312292530624.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>少し歩くと茶屋橋という橋があります。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/60/00/j/o0480064312292530397.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/60/00/j/o0480064312292530397.jpg" alt="photo:02" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">このあたりにお茶屋さんがあったのでしょう。旧街道を歩いていると、こういう茶屋に関係する遺構や石碑を多く見る事ができますね。<br><br>この街道は江戸時代、重要な脇街道でした。参勤交代などで殿様が通り、初めて日本に上陸した象やラクダなども通った道です。今では家々が建ち並ぶ住宅街<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/9c/bc/j/o0480064312292530583.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/9c/bc/j/o0480064312292530583.jpg" alt="photo:03" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">このあたりに住む人はそういう歴史を知ってるのかな？<br><br>いっとき歩くと、「お馬の水」という祠に着きます。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/8e/47/j/o0480064312292530742.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/8e/47/j/o0480064312292530742.jpg" alt="photo:04" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">その名の通り、人を乗せて歩く馬や、籠持ちの人達が水分補給をしていた場所です。今でも水が湧いていますが、残念ながら飲めません。<br>街道沿いにはこのような標識も多く見ますね。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/02/f1/j/o0480064312292530550.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/02/f1/j/o0480064312292530550.jpg" alt="photo:05" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">小倉方面へ行きます。<br><br>「さやんごぜん」という道祖神です。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/57/e4/j/o0480035912292530708.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/57/e4/j/o0480035912292530708.jpg" alt="photo:06" width="300" height="224" border="0"></a></div><br clear="all">疫病や災いから守って頂くように信仰していたそうです。<br><br>そして本日のゴール、「小船越 追分」です。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/a3/3e/j/o0480064312292530484.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/a3/3e/j/o0480064312292530484.jpg" alt="photo:07" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/e2/34/j/o0480064312292530654.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121118/23/nc-g/e2/34/j/o0480064312292530654.jpg" alt="photo:08" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">左に行くと長崎街道、右に行くと島原街道です。昔はこのあたりに「獄門場」というのがあったらしいです。罪人をはりつけにする所だったようです。<br><br>これからも、事あるたびに長崎街道シリーズをアップしていきます。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Sun, 18 Nov 2012 23:33:48 +0900</pubDate>
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<title>長崎の事</title>
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<![CDATA[ 最近何かと忙しくて町歩きが出来ません~_~; <br>全く更新しないのも面白くないので、とある橋の名前の由来を紹介します。<br><br>中島川に掛かっている「賑橋」という橋。江戸時代には第十三橋と呼ばれてました。今は新しく鉄筋コンクリートの橋ですが、最初は木製の橋、水害で流失して石橋に架け替えられました。<br><br>当時、この橋を挟んで左岸側に「榎津町」、右岸側に「材木町」という町がありました。明治時代になって橋に名前を付ける際、榎津町には「き」という文字が入ってます。材木町にも「き」という文字が入ってます。<br><br>ここから語呂合わせです。<br><br>二つの「き」が合うんです。<br><br>二「き」が合うんです。<br><br>「にき」合うんです。<br><br>「にぎ」わう？<br><br>にぎわい？<br><br>そして、賑橋になりました。<br><br>嘘のような本当の話です。この賑橋にちなんで、昭和の町界町名変更で材木町界隈を賑町としました。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Thu, 15 Nov 2012 00:23:18 +0900</pubDate>
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<title>旧長崎街道の続き</title>
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<![CDATA[ 第2弾です。<br>古橋から少し歩くと、着いたのは蛍茶屋跡。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/73/48/j/o0480064312259457985.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/73/48/j/o0480064312259457985.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/b0/00/j/o0480064312259458082.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/b0/00/j/o0480064312259458082.jpg" alt="photo:02" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">長崎を発つ旅人と最後の盃を交わした料亭と、すぐ近くにある一ノ瀬橋です。当時蛍の名所だった事から、この名前が着きました。<br>蛍茶屋を後にして、一気に寺町の興福寺へ。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/3e/92/j/o0480064312259458237.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/3e/92/j/o0480064312259458237.jpg" alt="photo:03" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">この門はいつ見ても壮大…。<br>またまた一気に諏訪神社へ。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/e2/74/j/o0480064312259458310.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/e2/74/j/o0480064312259458310.jpg" alt="photo:04" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/8d/b7/j/o0480064312259458361.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/8d/b7/j/o0480064312259458361.jpg" alt="photo:05" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">長崎の氏神さまである諏訪神社。長崎市民は「お諏訪さん」と言って親しんでます。写真は諏訪神社の拝殿と、長坂から見た市街地です。この長坂、長崎くんちの奉納踊りの舞台です。<br>その後、松の森神社へ。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/fc/4b/j/o0480064312259458480.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/fc/4b/j/o0480064312259458480.jpg" alt="photo:06" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all">諏訪、伊勢宮と共に長崎三社に数えられます。今日は二社参り。次は三社参りをしましょう。<br>今日もよく歩いた！次こそ館内町に行きます！<br><br>参考資料<br>原田博二  著<br>長崎  南蛮文化のまちを歩こう<br>岩波ジュニア新書<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Sun, 28 Oct 2012 22:28:46 +0900</pubDate>
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<title>旧長崎街道、中島川、諏訪神社から松ノ森神社</title>
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<![CDATA[ 今日は新大工町界隈。この界隈は元祖長崎といわれる地域。長崎小太郎を祖とする長崎家が居を構えた場所です。<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/ff/db/j/o0480064312259408999.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/ff/db/j/o0480064312259408999.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>まずはここ。写真を撮り損ねたので資料の本から。江戸時代、長崎街道は国内唯一の玄関口だった長崎と江戸とを結ぶ重要な脇街道でした。長崎から小倉までの約228キロの中に23の宿場町がありました。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/3a/14/j/o0480064312259409084.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/3a/14/j/o0480064312259409084.jpg" alt="photo:02" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/e2/38/j/o0480064312259409217.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/e2/38/j/o0480064312259409217.jpg" alt="photo:03" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>ちょっと寄り道。春徳寺です。ここは、長崎最初の教会「トードス・オス・サントス教会」がありました。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/a0/4e/j/o0480064312259409300.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/a0/4e/j/o0480064312259409300.jpg" alt="photo:04" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>寄り道第2弾、シーボルト宅跡です。今はシーボルトの胸像と書斎跡とか倉庫跡とかいう碑だけ。<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/f0/00/j/o0480064312259409382.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121028/22/nc-g/f0/00/j/o0480064312259409382.jpg" alt="photo:05" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>再び街道に戻ります。この橋は古橋(ふるばし)といいます。唐通事の林守殿(リンシュデンと読み、殿の字は殿の下に土がつきます。)という人が私費を投じて架けられました。もともとは1mほど低い橋でした。欄干とかが埋まってるのが分かるでしょうか？中川橋という名前でしたが、明治時代にかさ上げされ、さらに下流の方に新しく中川橋(なかごばし)が架けられたので古橋という名前に変わりました。<br><br>長くなりそうなので、第2弾に続きます…。<br><br>参考資料<br>原田博二  著<br>長崎  南蛮文化のまちを歩こう<br>岩波ジュニア新書<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Sun, 28 Oct 2012 22:09:29 +0900</pubDate>
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<title>きっかけ</title>
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<![CDATA[ 僕が町歩きに目覚めたきっかけ。それは、長崎ケーブルテレビで放送中の「長崎ぶらぶら好き」という番組。<br>MCの方と町歩きのスペシャリストの方が2人で、長崎市街地の、ほんとに身近な歴史を巡り歩くという番組です。<br><br>長崎の歴史は重層的。同じ場所に、ある時代は教会が。ある時代は寺、そしてある時代はお偉いさんの屋敷があったりと、紐解いていくとそこには幾重にもなる歴史があるんです。<br><br>そして少し歩けば昔の海岸線の名残りがあったり、古地図を見ると昔は○○町だったとか。<br><br>そういうのに興味を持っていろいろ調べていくと、今度は長崎という土地の歴史に興味を持ち、最後はなぜか「長崎くんち」に辿り着いてしまいます。<br><br>長崎の氏神さまである諏訪神社。その諏訪神社の例大祭「長崎くんち」。結局、我々長崎市民(諏訪神社の氏子)は「長崎くんち」を中心に時間がまわっているような気がします。奉納踊りが全てではない…、話が長くなりそうなのでこの辺でやめておきます。続きはまた後日。<br><br><br>話が長崎くんちに行ってしまいましたね…。どれくらいの方がこのブログを見て下さっているか分かりませんが、みなさんも一度、ご自分の住んでいる地域の歴史を調べてみてはいかがでしょうか？さらに、地元が好きになりますよ(￣▽￣)<br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121024/23/nc-g/27/f2/j/o0480064312253291458.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121024/23/nc-g/27/f2/j/o0480064312253291458.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>写真は、今年の長崎くんちの庭先回りの様子です。籠町(本籠町)の龍踊りです。辰年の龍踊り。御利益がありそうでしょ？<br>※庭先回りとは、氏神さまへの奉納踊りのお裾分けのようなもの。とてもありがたいものです。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nc-g/entry-11387981143.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Oct 2012 23:31:09 +0900</pubDate>
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<title>寺町から風頭、そして中島川</title>
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<![CDATA[ 今日からこのブログを町歩きブログとしてリニューアルしたいと思います。<br>記念すべき第1回目は、丸山スタートで寺町、風頭、中島川沿いをコースにした町歩きです。<br><br>スタートの丸山。江戸時代は、江戸の吉原、京の島原、長崎の丸山と言われるほど賑わってました。当時の遊廓を思わせる遺構などはほとんど残っていませんが、遊廓が立ち並んでいた通りや、遊女たちが通った梅園天満宮や中の茶屋などが今でも遺されています。裏通りを歩いていたら、なかなか趣きあって楽しいですよ。そのうち写真を載せます。<br><br>そして寺町まで歩いて行くと、高台寺というお寺の横に「弊振坂(へいふりざか)」という、風頭まで登る坂があります。あろうことか、ここを風頭まで登ってしまいました。感想は疲れた…、その一言につきます。<br>しかし発見もありました。この道標<div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121021/23/nc-g/b5/81/j/o0480064312248595423.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121021/23/nc-g/b5/81/j/o0480064312248595423.jpg" alt="photo:01" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121021/23/nc-g/53/84/j/o0480064312248595362.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121021/23/nc-g/53/84/j/o0480064312248595362.jpg" alt="photo:02" width="300" height="401" border="0"></a></div><br clear="all"><br>調べていると、このような説明を見つけました。<br><br>「要塞地帯の道標(ようさいちたいのどうひょう)<br>風頭町10(長崎村伊良林郷)<br>要塞とは重要都市や拠点などの防御のために作られた軍事施設のことをいい要塞地帯はその周辺の区域を指します。明治32年(1899)長崎は要塞地帯法によって長崎要塞地帯区域に指定。区域内では測量や建造物に厳しい制限が行われます。区域は長崎港を中心に式見-滑石-三ツ山-日見-茂木-川原-高島-伊王島-式見といった長崎を円形に囲んだ地域で、さらにこの中心付近も３段階に分かれました。この風頭にある道標は第３区線の外側線上にあって道標には｢長崎要塞第三地帯標　第三十五号　陸軍省　明治三十二年六月十日｣と刻されています。」(丸山歴史散歩より引用)<br>明治時代、長崎は要塞都市だったんですね。明治浪漫を横目に、風頭公園を過ぎて若宮稲荷、亀山社中を通り中島川まで出てきました。<br><br>この中島川、昔は大川と呼ばれていて、掛かっている石橋群は今でこそ固有に名称がありますが、江戸時代は番号で呼ばれていました。一番有名な眼鏡橋は第十橋と呼ばれてました。<br><br>今回のコース、時間にして約2時間。とても疲れましたが楽しい町歩きでした。次回は、小島界隈か、館内町を歩きたいと思います。<br><br><br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Sun, 21 Oct 2012 23:01:27 +0900</pubDate>
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