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<title>ncisfreakのブログ</title>
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<description>依存症に悩む方へ吐き出し</description>
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<title>Miracle 1 year! 飲酒引退から1年3ヶ月経過...。 Episode 2</title>
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<![CDATA[ <div><span style="font-size: 16px;"><font color="#0000ff"><b>前の記事からの続き。<br><br>4月：1日より4ヶ月（最終的には半年）の職場復帰。4日目の<br>　　　</b><b><font color="#0000ff">バス通勤中リーダーから着信、会話は以下の通り：<br></font></b><span class="text_exposed_show"><b>　　　</b><b><font color="#0000ff">リーダー「会社の月初めの朝礼で顔合わせの挨拶をして<br>　　　　　　　　　いただけますか？」<br>　　　自分　　「おｋ。何人くらいですか？」<br>　　　リーダー「まあ全事業部なんで100人くらい」<br> 　　　自分　　「…解りました。それで、何時ですか？」<br> 　　　リーダー「始業からすぐ本社ビルで」<br>　　　　　　　　　＊自分の仕事場は本社の隣<br> 　　　自分　　「…打刻してからすぐ行きます（...昨日言えよ）」<br> 　　　という開始でした。その挨拶は1ヶ所咬みつつも<br>　　　つつがなく（多分）終了。この人は最後までこんな無茶振りが<br>　　　多かった。いい人なんだけど、他の部下にはちょっと<br>　　　修造チックな部分が不評だったようだ。自分には正直ウザい。<br>　　　でもそれ以外は嫌いじゃない。<br><br>　　　それから1週間して所属部署取締役がいきなり辞任を<br>　　　発表。グループの社長と揉めたらしい。それから<br>　　　4月末までにぞろぞろと社員が辞め、所属の事業部からも<br>　　　1人退職。この人は別の希望職のオファーがあって<br>　　　円満退社。ただ、体制が落ち着かず1ヶ月身動きが取れず。<br><br>　　　自助会の参加会場の週のローテーションがほぼ固まる。<br>　　　アルファベットのグループは6日。X酒会は1日のみ。<br>　　　終了10分前でも行ける時間があれば出席。<br><br>5月：中々体制が決まらない中、プロジェクトグループは<br>　　　あーでもない、こーでもないという少し不毛な議論が<br>　　　続く。まあ、これもしょうがなく、自分の入社前には<br>　　　タイを対象とした訪日旅行の事業案件がありこれを<br>　　　継続するという手もあったのだが、前述の取締役退任の際に<br>　　　人的コネクッションを持っていた補佐の人も辞めてしまったので、<br>　　　チームマネージャーから持ちあがりで就任した修造さんが<br>　　　もともと勝ち戦のみをする傾向があり、また現地エージェントと<br>　　　英語のでのコミュニケーションが不得意の為、あんま積極的で<br>　　　なかった。タイのプロジェクトは社内で言語対応できるスタッフが<br>　　　いないで決行したのがある意味凄いと思った。自分も<br>　　　旅行社時代にタイの航空会社とは15年以上の付き合いが<br>　　　あったため、やる気はなかった。その為に、自分は今後の<br>　　　展開性を訴えながらSINGAPOREをターゲットにする事を主張。<br>　　　その為、3人残っていた所属の社員はそれぞれ別の案件を<br>　　　進めていくことに決定。<br><br>　　　自助グループは前月通りに参加していて、その上に9月の<br>　　　国際会議の実行委員会の打ち合わせが月2くらいで<br>　　　あったのだが、この時は完全な傍観者。ワイのワイの<br>　　　結論の出ない論議を見ていただけだった。<br><br>6月：本来は5月に動き出していなければならないプロジェクトに<br>　　　1人とりかかる。その間、商談会に出展しろとの勅命が<br>　　　出たのでレイアウト等も考え、あるもので取りそろえる。<br>　　　なんせ現段階では一旦完結した案件しか見せるものは<br>　　　ないので、他の事業部の紙媒体を借りて提示。商談は<br>　　　相手が某（元）交通公社のみだったので、ロシア以外は<br>　　　手を抜いた。だって対象国以外だったのと、ロシアは<br>　　　英語での交渉となったので周りからはちと絵になるかと<br>　　　思って意識した。来年のパンフの写真にはなるかも<br>　　　しれない。ただ、もう会社にいないけど。　<br><br>　　　その後、残り時間を考え、自分の担当事業案件を<br>　　　海外市場調査に絞り込む。問題は現地でのアポ先を<br>　　　自分で探さなきゃいけなかった事。これは予想外。<br>　　　2週間ほどかけて何とか12ヶ所（8社、4展示会）に<br>　　　都合を着ける。6社は前のクライアントの関係者を<br>　　　頼った。大いに助かる。これを持って、上司に<br>　　　出張の談判。最初は渋るも、まさかアポ取り<br>　　　してくるとは思って無かったようで、再度、<br>　　　入れていなかった細かい経費の算出をしてからの<br>　　　再提出を要請される。内心ガッツポーズ。もう一人の<br>　　　同僚もタイの案件で出張計画をしていていて、<br>　　　2人で申し合わせて、自分が先に行かせてもらった。<br>　　　彼女の計画書ではちょっと交渉の根拠には弱かった<br>　　　のもあったからだ。一応、双方を照らし合わせて、<br>　　　順番には納得してもらった。彼女の書面に関しては<br>　　　キャリアの問題（若干20歳）のためなので、これは<br>　　　仕様がない。ただ、その辺の新入後1～2年目の<br>　　　社員にしては上出来というかそれ以上望むのは酷。<br>　　　自分が先に行った方が上司の気分的に彼女も計画書も<br>　　　承認される可能性が高くなると読んだ。で、結果は<br>　　　その通り2人とも晴れて翌月の出張の承認が下りた。<br><br>　　　この頃は持ち帰りの仕事が日付を超える事が<br>　　　ままあったので、ミーティングに行くのが時間的に<br>　　　参加が毎日は難しかったのだが、最初に訪れた会場と、<br>　　　外国人のミーティングは絶対外さなかった。<br>　　　世界会議の方は議論が進まず。不安がよぎる。<br><br>7月から9月も内容が濃いので次に回す。1月毎の<br>掲載になるのをご了承を。<br>　　　<br>　　　<br></font></b></span>　　　<br></font></span></div>
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<link>https://ameblo.jp/ncisfreak/entry-12115744749.html</link>
<pubDate>Sun, 10 Jan 2016 01:01:34 +0900</pubDate>
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<title>Miracle one year! 飲酒引退から1年3ヶ月経過...。Episode 1</title>
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<![CDATA[ <span style="font-size: 14px;"></span><span style="font-size: 14px;">　<font color="#0000ff">退院後の暇つぶしにブログでもやろうかと思って立ち上げたのだが、何のかんの忙しくなり放置していたので少し埋める。個人ではFBもあるのだが、こっちは完全に趣味のコメントが多いため、あんまり断酒の為の活動の記録は残していないのでアーカイブの意味で晒していく。<br>　今日は取り敢えずこの1年の経過を、箇条書きで羅列しておく。詳細はその都度書いていく。<br><br>2015年<br>1月：年末に通い出した某自助組織のミーティング、例会通いを<br>　　　継続。そして外国人のミーティングを聞きつけ、ここを中心に<br>　　　1週間のスケジュールを構成していく。どちらかというと懺悔の<br>　　　時間の感があった日本人のグループに閉塞感を感じていた<br>　　　ので、外国人グループの存在は大きかった。ただ日本の<br>　　　グループにも継続して出向く。これが9月にプラスに作用する<br>　　　こととなる。またこの時に9月に若者主体の国際フォーラムを<br>　　　予定していて実行委員会のメンバーを募集していたので<br>　　　軽～い気持ちで参加する。これが後で結果として今年1年を<br>　　　左右する最大の出来事となるとはこの時点では気付いてい<br>　　　なかった。<br>2月：就活が進まないので、中旬に某組織の日本発足の40周年<br>　　　記念大会が横浜で開催されたので、コンベンションに参加する<br>　　　目的で5ヶ月振りに家族の元へ。その間、30年振りに中学校の<br>　　　友人に会う。これぐらいの年になると病気等の理由で飲酒が<br>　　　できない者もいるのでそんなに違和感なく酒の出る席での<br>　　　会話ができた。また、入院への経緯も全て余すことなく話した。<br>　　　そこでの話の中で7月に同窓会を予定しているというので、<br>　　　出席時には恥ずかしくない状況にしようと目標を立てる。<br>　　　記念大会の方は在米時に住んでいた町から来たという人や<br>　　　旅行社時代のクライアントと会場で顔を合わせるという偶然に<br>　　　出くわす。それから2時間ぐらいお喋り。10年来のお付き合い<br>　　　だったが、共通の問題と向き合っているとは窺い知れなかった。<br>　　　滞在中はそれ以外に、同級生や友人と数年振りに個別に<br>　　　食事したり、近場の温泉施設に家族で出かけたりとかで<br>　　　平穏且つ有意義な時間を過ごす。また、部屋の掃除をした際に<br>　　　多数の空き瓶があちこちから発掘される。苦笑するしかなかった。<br>3月：病院の診察があるので初旬に帰沖。そして1社の面接がトントンと<br>　　　進み、4ヶ月（最終的には6ヶ月）の契約で4月からの仕事復帰が<br>　　　中旬に決まる。仕事まで体調調整。ミーティング・例会の参加は<br>　　　相変わらず。この頃には行く会場の人々の何人かとは世間話を<br>　　　する間柄に。<br><br>と、取り敢えず3ヶ月分を記載したのだが結構な量になったので、後は後日に回します。</font><br>　<br></span><br>
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<link>https://ameblo.jp/ncisfreak/entry-12114673495.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jan 2016 01:35:36 +0900</pubDate>
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<title>Brutal violence in domestic</title>
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<![CDATA[ <font color="#0000ff"><span style="font-size: 14px;"><strong>おはようございます。<br><br>今週末は外泊許可で実家に帰ってきました。<br><br>火曜日定例の院外断酒会に行く際、病院の階段で転倒して、足を捻挫してしまいました。2ヶ月の入院生活で大分、体が錆びついているようです。院内で、尚且つ、退院の時でなくてよかったです。そうだったらシャレになりません。<br><br>そんなことで、家で静養中、TVをみたら、今、アメリカでは大変な事になっています。<br><br>恐らく、ご存知の方は多いかと思いいますが、エリック・ガーナ―が身柄確保の際に背後からCHOCKHOLD（いわゆるスリーパーホールド）をされ、死亡した事件の公判で被告の警官が不起訴になったことから全米で大規模な抗議デモが発生しました。<br><br>裁判に関しては事情があります。恐らく、90年代に有った、ロドニー・キングや、ご存知、今年11月のいわゆる「BLACK FRIDAY」の事件では、公判は恐らく、警官や検察関係者が多く住み、さらに白人の多く住む地域からの陪審員選抜と裁判が行われてました。これは被告弁護士が判決を有利に導くためによく使う手です。<br><br>アメリカでの警察の立場は、日本と比べて処遇が悪いです。それ故、なり手が少なく、常に人員不足に悩まされています。先進国では屈指の犯罪率が誇る（？）、アメリカでは、警官の職務中の行為に対しての訴訟では、警官に有利な判決になる場合が多いです。<br><br>現場での真実が解らないのと、日本人と異なるアメリカ国民（敢えてこの言い方です）の価値観が違うので、是非については何も言えませんが、クリスマス前のムードを壊すこの出来事、うまく収束して欲しいものです。<br></strong><br><br><br><br><img title="Eric Garner Protests in New York" class="story-media-image" id="story-image" style="margin-left: 112px; opacity: 1;" alt="" eric" garner protests in new york" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fi.cdn.turner.com%2Fireport%2Fsm%2Fprod%2F2014%2F12%2F03%2FWE01169966%2F3454191%2FIMG4499jpg-3454191_p9.jpg"><br><br><br></span></font>
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<link>https://ameblo.jp/ncisfreak/entry-11961232933.html</link>
<pubDate>Sat, 06 Dec 2014 11:09:11 +0900</pubDate>
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<title>入院までの道のり</title>
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<![CDATA[ <p><font color="#0000ff" size="2"><strong>10月1日からアルコール治療の為、沖縄に渡り、入院生活を開始しました。<br><br>大まかな自己紹介を含めあらましを、<br><br>自分のスペックは、<br>年齢　　　45歳<br>性別　　　男<br>家庭　　　既婚、3人の子供有（長男‐中1、次男‐小4、長女‐小1）<br>住所　　　東京の郊外（今のところ）<br>仕事　　　旅行業（小規模会社から個人営業を経て9月に廃業）<br>飲酒歴　30年ぐらい<br>薬物　　　麻薬関係6年（LSD、コカイン、クラック、マジックマッシュルーム等）<br><br>自分もありがちなパターンで未成年から飲酒を開始、学生時代、社会人時代へと都市を追う毎に酒量も増え、揚げ句、仕事もできなくなり、入院治療を決意しました。<br><br>入院直前は、1日の始まりは朝の一杯から始まり、昼も仕事を有る無しにも拘らず、小瓶で離脱症状を抑え、仕事終了とともに一杯、そして帰宅後、隠してある大瓶で〆るという、アルコール依存症の王道を行くような生活をしておりました。<br><br>ちなみに連続飲酒の際はブラックニッカを飲んでおりました。理由はウイスキーの中でも安いからです。小瓶が外出用で、大瓶が家用と分け、いつでも手の届く範囲に置いていて、アルコールの臭いが体から離れませんでした。<br><br>10年程前から患っていた鬱も当然の如く悪化、体調が悪いときはソファーやベットから動くことができず、子供からは「パパはいつも寝ている」といわれる始末でした。家内とはここ8年ぐらい大きな夫婦喧嘩が絶えなく、家は誰にとっても落ち着く場所ではありませんでした。<br><br>仕事のほうも9.11のテロ以来、毎年の如く紛争やら、テロ、インフルの流行、震災、企業の海外移転などの影響を受け、次第に売り上げも落としていました。この業界は、インターネットの波及により、サービスプロバイダー（航空、鉄道、バス、などの運送会社、宿泊施設など）がディストリビューター（旅行会社）を介さず、直接、エンドユーザー、つまり、お客さんと直接のやり取りが主流になってきているので、中小企業は商売の継続が難しい状況になています。ましてや個人であればなおさらです。正直、将来の見通しができない状況でした。交渉、規約等の接客応対が、ほぼインターネットにとって代わったので、仕事への執着心が薄れていきました。減収に反比例して酒量は増える一方でした。<br><br>減った収入を補うためにアルバイトで事務の仕事を9時から18時の時間帯に、4月に開始しましたが、既に身心共にコンディションが崩れており、まともな仕事をできませんでした。何とか7月までは持ちこたえましたが、8月はもう起き上がるのも難しい状態にありました。元来からあった鬱の症状も悪化し、食事もとれず、もう生きる気力もない、生ける屍の状態でした。ただ、飲酒だけが続いていました。<br><br>忘れもしない8月18日。長男が注意してもＩｐａｄのゲームを止めないので、激昂して殴りつけてしまいました。長男は怯え、自分で警察を呼びに行きました。警察の事情聴取を受け、<br>双方の親が家に来て緊急家族会議になりました。特に80歳の父親は、沖縄から東京に急遽来るのは堪えたことでしょう。<br><br>それから、家に居るのは危険だということで、半ば追い出されるような形ですが、自分から、家を出て父親が泊まっているホテルに移りました。1人個室で2~3日、これからどうするかを考えました。<br><br>まず、入院治療は避けられないという前提の上で、自分の考えられるオプションは2つありました。<br><br>1つは、今通院している松沢病院で入院をする事。ただ、この病院ではその当時に治療後のリハビリプログラムがなく、離脱期が終わる1ヶ月で終了し、それから別の施設でリハビリを行う必要があるのと、リハビリは自宅から通うので、事態の解決の可能性は低くなるのが予想される。<br><br>2つ目のオプションは両親のいる沖縄の病院に行く事。当地では3ヶ月のプログラムのある施設が2ヶ所ある。さらに気候が良いのと、一時的に飲酒に向かうストレス原因の環境から離れることができ、治療にじっくり取り組む事が出来る事。<br><br>いずれにしても、今の仕事は続けられる状況にはないので、選択できるのは後者しかありませんでした。そこでようやく断酒、そして本格的な治療を決心するに至りました。<br><br>それから、家に寄って、妻・子供に、入院の為、沖縄に行くのと、退院後も暫く沖縄に留まる事を伝えました。その事に対して、妻も今できることとして望んでいたので特に何も言いませんでした。ただ頬に涙が伝っていました。<br><br>決断後の行動は早かったです。仕事の辞めるにあたって、自分のクライアントへの連絡と引継ぎ案内と、引き継ぎ先への説明等で結局20日ぐらいかかりました。<br><br>この間は歩くのもつらい状態でしたが、どうにか完了できたのは、治療ができるという未来が見えていたからです。また暫く連絡を取っていなかった友人の励ましもありました。大変、ありがたかったです。<br><br>沖縄へは9月11日に到着し、それから、南部にあるＳ病院、中部にあるＲ病院の施設をそれぞれ見学しました。それでＲ病院の方を選択しました。コーディネーターと打ち合わせを経て10月1日からの長い断酒への旅が始まりました。<br><br>以上が、簡単ではありますが入院までの経緯です。<br><br>週末には外泊でＰＣを使える環境にあるので、退院までは土曜日の更新となります。細々と続けていきたいと思います。<br><br>それでは、後程。</strong></font></p>
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<pubDate>Fri, 05 Dec 2014 21:11:08 +0900</pubDate>
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