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<title>neku-8008のブログ</title>
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<title>恋人の人間性を見極める</title>
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<![CDATA[ 嫉妬は、適度であれば、恋愛のスパイスとなります。しかし、恋人が自分以外の異性と話をすることも許さない、というような強すぎる嫉妬は、かえって恋愛の価値をおとしめることになります。<br><br>強い嫉妬を感じる人は、自分に自信がないから、相手に見捨てられることを怖れているのでしょう。<br>実際に恋人に浮気をされた経験があり、二度と裏切られないために、監視を強化しなければならないと考えているのかもしれません。すなわち、「浮気をするような相手が悪いのだから、仕方がない」というわけです。<br><br>浮気をされるから、ますます疑り深くなり、相手を束縛しようとし、煙たがられて、相手の心は離れていってしまう、という虚しい繰り返しです。<br>恋愛は楽しむためにするはずのものなのに、まるで相手を疑うためだけに付き合っているような人がいます。<br><br>相手が本当に浮気をするような人であれば、疑われれば疑われるほど、「どうせ疑われるのなら、本当に浮気してやろう」と思うでしょう。<br>浮気をする人は、どれだけ警戒されても、隠れてやります。そんな恋人を警戒し、束縛しても、自分への愛情が増すということは絶対にありません。<br><br>だからと言って、相手が浮気をしても目をつむり、おおらかな心で許すのがよいというわけではありません。だまされないように、まず他人を疑ってかかるべし、というのでもありません。<br>どちらが折れるか、という勝ち負けの問題ではないのです。<br><br>どんなに冷たい人でも、恋人を得ようと思えば、はじめは優しい言葉のひとつやふたつはかけるものです。<br>自分に自信のない人は、少しでも優しくしてくれる人がいると、いい気分を味わい続けたいばかりに、その人に執着し始めます。「もっともっと、自分を持ち上げてほしい」と要求するのです。<br>つまり、相手を「どれだけ利用価値があるか」という面だけでしか見ていないのです。他人を利用しようとする人は、結局、自分も利用されて終わるだけです。<br><br>付き合う恋人にいつも浮気をされてしまうという人は、自らそういう恋愛のパターンにはまってしまっているのです。<br>恋人を生身の人間として見ようとせず、「こういう人であってほしい」という願望ばかりを押しつけているので、その人間性が見えてこないのです。<br><br>もちろん、互いを思いやり、優しく接するということは、恋人同士としての最低条件です。<br>しかし、恋人が本当に優しい人であるかを見極めるには、自分以外の人にどう接しているかを観察しなければなりません。<br>「私だけを見なさい」と強要し、相手が自分だけに優しくしてくれていれば満足、というような薄っぺらい恋愛は、必ず失敗に終わります。<br><br>恋人同士が恋愛を持続させるためには、逆説的ですが、「どれだけふたり以外に豊かな人間関係を結ぶことができるか」にかかっていると言ってもよいでしょう。<br>いつもふたりだけでべたべたと過ごしていれば愛が深まるというわけではありません。誰に対してもやさしくできる人こそが、信頼できる人です。<br><br>恋人以外の人との関係が、ますますその人の心を豊かにし、恋人への愛情もふくらませます。また、恋人への愛情が、恋愛以外の人生の充実にもつながります。<br>「自分をどう扱ってくれるか」ではなく、自分以外の人への接し方もふくめて、相手の人間性を尊重することが重要です。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11906712816.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Aug 2014 14:13:31 +0900</pubDate>
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<title>許されている事に感謝しよう</title>
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<![CDATA[ どんなに偏差値の高い大学に入っても、何かを学びたいという意志がなければ、価値はありません。<br><br>自分と別れたがっている恋人を暴力で脅したり、泣きついたりしてつなぎ止めたりして、「付き合っている」という体裁だけをたもっても、愛されていなければ意味はありません。<br><br>学歴が高い、高い給料を得ている、恋人がいる、などという表層的な現象がうまくいっていることよりも、自分がどういう考えに基づいて生きているのかということのほうが大切です。<br>他人に見せびらかすために、どんなにきれいな服装で着飾ろうとも、それを他人がどう思うかということは、あくまで他人が決めることであり、自分が決められることではないので、いつまでたっても心は安らぎません。<br><br>努力が他人から認められるということは、もちろん、おおいに喜ばしいことですが、他人から認められるためだけに努力するというのは、何とも虚しいものです。<br>つねに「他人が自分を認めてくれているか」を気にかけ、見捨てられる恐怖に怯えなければならず、ついには「なぜ他人はもっと自分を認めてくれないのか」という怒りを抱くことになってしまいます。<br>どれだけ他人に認められることを求めても、本当の自信は得られません。<br><br>自分に自信をもつためには、どうすればよいのでしょうか。<br>人は、努力によって、ある程度は自分の人生を切り開くことができますが、この世に誕生したということは、自分の努力によるものではありません。神に許されて生まれてきたのです。<br>人は誰でも、この世に存在しているということ自体が、生きることを許されているという証拠なのです。その事実は誰も動かすことができません。<br>ただ、自分が許されていることに粛々と感謝してください。<br> <br>「いや、現に私の存在を許そうとしない人がいる」と反論する人がいるかもしれません。友人や恋人、中には家族から虐げられて苦しんでいるという人もいるでしょう。<br>しかし、あなたが苦しいのは、他人の言うことにいちいち敏感に反応しているからなのです。つまり、他人からの評価ばかりにとらわれて、自分の人生を生きていないことが原因なのです。<br><br>自分を見くだしている人のことが許せないのは、あなたが他人との「勝ち負け」に執着しているからです。<br>どんなに偉そうにしている人も、いえ、偉そうにしている人こそ、自分の弱さに怯えているものです。<br>あなたをバカにする人も、やはり自分に自信がないのでしょう。あなたがそんな人に執着してしまうのは、その人の中に自分と同じ弱さを発見しているからではないでしょうか。<br><br>あなたはきっと、その人が自分と同じように弱い人間であるにもかかわらず、自信満々に生きているように見えるのが悔しいのです。その人も自分のように劣等感に苦しむべきだということを気づかせたいのです。<br>勝ち負けにこだわるのは、「他人よりも恵まれていたい、優れていたい」という思いがあるからです。<br>つまりあなたは、自分に負けている人間を見つけて安心したいのです。<br><br>自分を守るために武装を固めても、よけいに不安は募る一方です。その執着心のエネルギーを、もっと有効なことに使いましょう。<br>強くたくましく、他人や己にうち勝つことが幸せなのではありません。強さにこだわっているかぎり、勝ち負けという不毛な概念から抜け出すことはできないでしょう。<br>小さくて弱いなりに、そのままの自分を愛しむことこそが、自信をもつということです。<br><br>生きる喜びを感じるのに、小難しい理屈は必要ありません。心が塞いだときは、頭で考えるよりもまず、外に出て、大きく深呼吸をしてください。<br>美しい花、小さな虫、この世に存在するひとつひとつの命に思いを巡らせ、それらとともに生かされている喜びに感謝すること。それだけで充分です。<br><br>自分の人生を主体的に生きるということは、矛盾する言い方のようですが、「自分の無力さを悟り、自分を誕生させた雄大な自然の摂理に身をゆだねる」ことから始まります。<br>ただし、機械やロボットのように意志を放棄して何かに屈するということではありません。<br>自分が自分であることの価値を最大限に認め、活かすということなのです。<br><br>あなたを傷つけた人の悪意も、あなたが抱いている悔しさも、この宇宙の中では塵のようにちっぽけなものです。人間にできることなど、たかが知れています。<br>この世にたったひとり、かけがえのない存在であるあなたの尊厳は、あなた自身でさえ侵すことはできません。<br>皆、平等に、許されているのです。<br>
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11873903454.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Jun 2014 20:49:18 +0900</pubDate>
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<title>言いたい事が言えないとき</title>
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<![CDATA[ 恋人や友人に対し、はっきりと言いたいことが言えない。<br>本当は甘えたいのに、相手に迷惑をかけまいとして、欲求を抑えてしまう。<br>必要以上に他人に気を遣ってしまい、結局、「私はこんなに我慢しているのに、その気持ちを誰も理解してくれない」と不満を募らせてしまう、という人がいます。<br><br>他人の気持ちを思いやり、気を遣ってあげることは、それだけをとり上げて考えれば、よいことです。<br>よいことをしているのに、なぜ不満を感じるのでしょうか。それは、率直に言って、本当に他人を思いやってはいないからです。<br>相手のために気を遣っているのではなく、自分が嫌われるのが怖いからご機嫌をうかがっているにすぎないのです。<br><br>自分の要求が正しいことだと思うのなら、胸を張って言えばよいのです。それを「相手の迷惑になるから」と抑えてしまうのは、別の言い方をすれば、「相手は、こちらの正当な要求さえも迷惑に思うような心のせまい人間だから」と見くだしているということになります。<br>はっきり言いたいことが言えない原因は、「自分の要求が本当はわがままだと判っているから」か、「相手を軽蔑しているから」かのどちらかです。<br>どちらにしても、自分の問題なのです。<br><br>と言っても、やはり心情としては、他人に言いたいことをはっきり言うというのは、なかなかできないことです。できないなら、できなくてもよいのです。<br>はっきり言えない自分に嫌悪を感じ、自信を失うことはありません。<br>「言えないのではなく、言わないほうが得だと思うから、言わないのだ」と自覚しさえすれば、それでよいのです。<br><br>「相手の機嫌を害して、ムードを壊したくないから」でも、「自分が嫌われたくないから」でも、理由はどうあれ、そう判断したのは自分なのです。<br>「できないこと」は、本当は、やろうと思えばできるのに、自分がやりたいと思わないから「しない」だけなのです。<br><br>それが今の自分の判断なのだと認めなくてはなりません。他人のせいだと思い込もうとするから、不満が募るのです。<br>そんな自分が嫌なら、言いたいことは言うべきだと心の底から思うなら、迷うまでもなく、言っているはずなのです。<br> <br>好きな人に思いを打ち明けられないという人も、できないのではなく、「断られたときのショックを考えれば、あまりにもリスクが高い」と自分が判断したから「しない」だけなのです。<br>それはまだ愛情とは呼べず、「自分を受け入れてほしい」という願望の段階にすぎません。もしも断られたとき、「せっかく勇気を出して告白したのに。その純真な思いを踏みにじられた」という怒りを感じてしまうことが怖いから、告白できないのです。<br><br>告白したいなら、断られてもその事実をしっかり受け止めるという覚悟ができるまで待つしかないのです。「恋愛はしたい、でも傷つきたくはない」などと悩んでいては、いつまでたってもらちがあきません。<br>傷つくことは、誰でも怖いものです。<br>人は皆、弱いもので、弱いことは恥ずかしいことではありません。「自分の弱さを受け入れられないこと」こそが恥ずかしいのです。<br><br>では、実際に、好きな人に振られたり、友人から嫌われたりという悲しい目にあったときは、どう対処すればよいのでしょうか。<br>その答えは、「しっかり悲しむ」ということです。<br>悲しいことから逃れる方法などありません。責任を転嫁したり、言い訳を考えたりせず、悲しいことは悲しい、と自分の感情を受け入れるしかないのです。<br><br>自分の感情をありのままに認めるということが、「生きている実感」ということです。<br>うれしいこと、楽しいことばかり起こる人生が幸せなのではありません。悲しみを受け入れられる人こそが、喜びも自分のものとして感じられるのです。<br> <br>
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11871766245.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Jun 2014 07:21:34 +0900</pubDate>
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<title>自分の愛情を見つめ直す</title>
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<![CDATA[ 恋人に何度も浮気をされ、裏切られているのに、好きだから許してしまう。<br>恋人に暴力を振るわれたり、ひどい言葉を浴びせかけられたりしているが、好きだから従っている。<br>最近、恋人の自分への愛情が冷めたようで、悔しい。文句を言いたいが、よけいに嫌われるのが怖いから我慢している。<br>愛に悩み、苦しんでいる人はたくさんいます。<br><br>そういう人たちは、「好き」という言葉の意味を勘違いしているのではないでしょうか。あるいは、自分の感情にふたをして、ごまかしているのです。<br>自分にとって「好き」とはいったい何だろうか、ということを考え直してみてください。<br>身もふたもない言い方をすれば、相手の美点と欠点とをはかりにかけて、美点のほうが大きいと思えば、それは「好き」であり、欠点のほうが大きいと思うのなら「嫌い」だということです。<br><br>ちなみに、ここで言う美点や欠点とは、自分の価値観に照らし合わせて、という意味です。客観的に人間の価値をはかるものではありません。<br>おしゃべり好きな人のことを「明るい」と見る人もいれば、「うっとうしい」と見る人もいます。ある人は美点とみなしても、ほかの人には欠点とうつる場合もあるのです。<br>自分の頭で考え、自分の心に正直に問いかけてみることが重要です。<br><br>「好き」とは、自分から相手に「向かう」感情です。相手を引き寄せようとすることではありません。<br>苦しみ悩むほど相手の欠点が許せないのなら、「好き」ではないのです。<br>「好き」だと思い込んでいるのは、相手への敬意ではなく、思いやる気持ちでもなく、「私を認めてほしい」という内向きの要求にすぎないということです。<br><br>愛情があってこそ、障害を乗り越えようとする意志も生まれます。<br>相手の欠点を受け入れること、過ちを許すこと、そういう寛容さも、愛情から自然に生まれてくるものです。無理に自分に言い聞かせ、我慢するということではありません。<br>愛を持続させるためには努力が必要ですが、愛情そのものは、心の内側から自然に沸き上がってくるものであって、無理やりつくり出すことはできません。<br> <br>愛情もないのに、「相手を許し、すべてを受け入れなければならない」と表面的な愛の形にこだわるのは、まったく的外れなことです。ただ苦しむためだけの努力に意味はありません。<br>本当はそれほど好きではないのに、それを純粋な愛情であるかのように自己暗示をかけ、自分を美化している人は、心の中では相手を軽蔑しているという後ろ暗さを必死で打ち消そうとしているのです。<br><br>愛に苦しんでいる自分が好きになれないのなら、それは本当の愛ではありません。<br>自分の思い通りにならない相手を受け入れられないということは、その人のありのままの人格を尊重していないということです。すなわち「嫌い」なのです。<br>それをいさぎよく認めれば、心が楽になり、相手に腹が立たなくなります。「せっかく私が愛してあげているのに、なぜあなたは、それに応えてくれないのか」という怒りや悔しさが消え去ります。<br><br>そして、自分の素直な心に耳を傾け、従うことができるようになります。<br>好きでもない人に執着するのはやめればよいと思うようになります。<br>本当に好きな人との愛が実らなくても、相手を恨んだりせず、自分の愛情を大切にできるようになります。<br>他人に受け入れてほしいと要求する前に、まず自分を受け入れ、自分を愛さなければなりません。<br>幸せな人とは、自分の心を大切にできる人のことです。<br><br>「私は愛される価値のある人間である」とはっきり自覚することは、けっしてごう慢ではありません。<br>本当は他人に愛されたいのに、自分からは心を開こうとせず、「私を傷つけると許さないぞ」と警戒しながら他人に近づく人のほうが、よっぽどごう慢です。<br><br>自分を愛することができる人は、自然に他人も愛することができ、また、他人を愛すれば愛するほど、自分も好きになれるものです。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11871206296.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Jun 2014 12:14:17 +0900</pubDate>
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<title>嫌な人への対処</title>
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<![CDATA[ いかに上手に他人と付き合うか、いかに他人を愛するべきか、について書かれた本はたくさんありますが、他人の「正しい嫌い方」という本はあまり見かけませんし、学校でも教えてくれません。<br>もちろん、人を愛するということはすばらしいことですが、社会で生きていく上では、嫌いな人とどう向き合うかということも、同じくらいに重要なことです。<br><br>「人を嫌うのは悪いことだ」という雰囲気が日本中に蔓延し、多くの人が他人を傷つけないように必要以上に気を遣い、また自分が嫌われることを怖れて神経をすり減らしています。<br>会社のすべての同僚に好かれなければならない。学校のクラスで孤立してはいけない。家族は親密でなければならない。<br>人を嫌ったり、人から嫌われたりすることが、まるで人間失格の烙印を押されることであるかのように思い込んでいるのです。<br><br>他人を嫌うということは、自分にとっても不愉快な感情なので、なるべく抑えたほうがよいに決まっています。<br>しかし、ものごとは何でも一対をなしています。人間に「好き」という感情がある以上、反対の「嫌い」という感情が存在するのは、当たり前で、ごく自然なことなのです。<br><br>人を嫌うということは、あくまで「自分が気に食わない」という主観の問題であり、相手が絶対的に悪いというわけではない、ということさえ判っていればよいのです。<br>「私はあの人が嫌いだ」とはっきり自分で認めることができれば、その人のことはどうでもよくなり、嫌いという感情は薄れるものです。<br>他人を嫌っているという自分の心を受け入れられない人こそが、ひねくれた性格になり、他人に迷惑をかけてしまうのです。<br><br>いつまでも他人への恨みを引きずり、実際に仕返しなどの行動に出てしまう人は、「人を嫌うのは悪いことだ」というあまりにも清らかな理想にしばられているのです。<br>自分を嫌う他人が許せないのと同時に、他人を嫌っている自分自身にも嫌悪感を抱いているのです。だから、自分の清らかな心が毒されたことが許せなくなるのです。<br><br>人間不信に陥ったり、ストーカーになったりするような人も、「人は皆、他人を嫌ってはならない」という形ばかりの理想にとらわれています。<br>自分が他人から嫌われるなどというのはあってはならないことだと考えているので、実際に嫌われてしまったとき、それを受け入れられず、もがき苦しんでしまうのです。<br> <br>他人から嫌われることを極度に怖れている人は、いじましいほどに他人のご機嫌をうかがいながら生きていますが、ある人から嫌われているという事実を知ったときには、逆に激しくその人を憎んでしまいます。<br>自分が悪いのではないという言い訳をするために、徹底的に相手を悪者にしなければ気がすまないのです。嫌う場合も嫌われる場合も、自分は善良な被害者でありたいのです。<br>潔癖なほどに清らかであろうとする心の働きが、皮肉なことに、憎しみというみにくい感情への執着を生んでしまいます。<br><br>人と付き合う以上は、嫌われることもあるし、自分が嫌うこともある、ということを前もって覚悟しなければなりません。<br>怒りや憎しみは、忌まわしいものとして遠ざけようとすれば、自分の手に負えない大きな魔物となって襲いかかってきます。<br>私たちは、そういうマイナスの感情も自分の一部として、うまく制御していかなければなりません。<br><br>実際に他人を傷つけるような言動をとらなければ、心の中で他人を嫌ってもよいのです。また、他人から嫌われたとしても、「そういうこともある」と受け入れなければなりません。<br>他人から嫌がらせを受けたときは、その行為に対して、はっきりと文句を言うのはかまいません。しかし、「相手が自分を嫌っていること」まで批難してはいけません。<br>何を考え、どのように感じるかということは、他人の自由なのです。そんなことまで気にかけていては、きりがありません。<br><br>人から嫌われることを極度に怖れる人は、「一方的に嫌われるのは悔しいから、こちらから先に嫌ってやる」と身構えているのです。そういう利己的な態度が、かえって他人から嫌われる確率を高めてしまいます。<br>「嫌われることもある」とおおらかに受け入れられる人ほど、結果的には多くの人から愛されるのです。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11870009359.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Jun 2014 06:05:30 +0900</pubDate>
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<title>恋愛を楽しむ</title>
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<![CDATA[ 仕事一筋で生きてきた人が、定年退職後に暇をもて余し、「何か趣味でも見つけなければ」と、あれこれ新しいことに挑戦する、ということがよくあります。<br><br>しかし、たいていの場合、何も楽しめるものが見つからず、よけいに焦ってしまう結果となってしまいます。<br><br>「何かしなければ」と、義務感にかられて行う趣味など、心から楽しめるはずがないのです。<br><br>そういう人は、趣味さえも「自分が楽しむため」ではなく、「他人から認められるため」のものなのです。「趣味のひとつでもなければ、つまらない人間だと思われる」という不安から、いやいや行っているにすぎないのです。<br><br>恋愛も、仕事のように「きっちり完璧にこなさなければいけない」と思い込んでしまう人がいます。<br><br>いい年をした大人なのだから、恋愛ぐらいはするべきだ。相手が付き合ってほしいと言うのだから、それに応えなくてはならない……。本来は楽しいはずの恋愛さえも、そういう人にとっては「与えられた仕事」なのです。<br><br>仕事は、趣味と違って、はっきりと結果を残さなければ意味がありません。会社の営業の仕事で、ひとつも契約をとっていないのに、「それでも私は、人と話をしているだけで楽しいのです」とのんきなことを言っても、上司は認めてくれません。<br><br>中には、自分の仕事を心から楽しんでやっているという幸福な人もいるでしょうが、ほとんどの人は、お金を稼ぐため、肩書きや地位にしがみつきたいために、嫌なことがあっても我慢して仕事をしているのでしょう。<br><br>嫌だからといって簡単に投げ出すことができず、義務や責任がついて回るのが仕事というものです。<br> <br>それに対して、外部から強制されなくとも、自分の内側から沸き上がる喜びによって行えるものが趣味です。<br><br>恋愛は、仕事ではなく、趣味だと考えるのがよいでしょう。<br><br>もちろん、気まぐれにいい加減な気持ちでやればいいというのではありません。本当に自分の好きな趣味なら、いい加減な気持ちでは終わらず、仕事以上に、とことんまで極めてみたいと思うのがふつうでしょう。<br><br>趣味で絵を描いている人が、うまい絵が描けなかったからといって、「ああ、自分はダメな人間だ」と落ち込んだりはしません。<br><br>プロの画家であれば、仕事を失う不安に怯えるかもしれませんが、趣味でやっている人は、不安を感じる必要などありません。そもそも好きで始めたことなのですから、「もっと勉強し、練習して、うまくなろう」と意欲が増すはずです。嫌なら無理をしてまでやることはないのです。<br><br>現在の恋愛に不満があるなら、自分の良心とプライドにかけて、嫌なものは嫌だとはっきり言うことは、けっしてわがままではありません。<br><br>自らの選択を放棄して、流されるままに生きておきながら、不幸をすべて他人のせいにし、不満ばかりを並べ立てているほうが、よっぽどわがままです。<br><br>恋愛に報告書を提出する義務はありません。<br><br>恋愛は、責任を果たすためにやるのでも、自分の評価を高めるためにやるのでもないのです。自分の意志で、自分で選択し、自分の喜びのために行うものなのです。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11863550135.html</link>
<pubDate>Wed, 28 May 2014 07:26:29 +0900</pubDate>
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<title>他人を変えようとしてはいけない</title>
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<![CDATA[ いつもイライラしている人と仲よくしたいと思う人は、あまりいません。不機嫌な人のそばにいると、こちらまで嫌な気分になります。<br><br>他人から好かれる人間になる第一条件は、「つねに上機嫌でいられること」だと言ってもよいでしょう。<br><br>ストレスをためる原因のもっとも大きなものは、やはり人間関係です。<br><br>いつもイライラしてばかりいる人は、「他人が悪いのだから、仕方がない」と思い込んでいるかもしれません。<br><br>ここで、冷静に考え直してみましょう。他人のせいでイライラさせられているのであれば、世の中のすべての人がいつも不機嫌であるはずです。<br><br>しかし、明るく上機嫌に過ごしている人もたくさんいるのです。その人と自分の違いは何でしょうか。<br><br>明るい人のまわりには、よい人ばかりが集まり、自分のまわりには、たまたま運悪く、嫌な性格の人しかいないのでしょうか。そんな勝手な理屈はありません。<br><br>他人に腹が立つのは、自分の思い通りにならないときです。そして、他人の考え方を変えようとして、無駄なエネルギーを使い果たし、疲れてしまうのです。<br><br>「嫌な性格の人のせいで、自分はいつも不機嫌にさせられている」という人は、自ら嫌な人に執着してしまっているのです。<br><br>他人を変えようとしてはいけません。<br><br>好きな人に愛情をもって前向きな提案をするならともかく、嫌いな人を自分の思い通りに変えようとするのは、まったく無駄なことです。<br><br>自分が相手を嫌っているということは、相手も自分を嫌っているはずです。相手も自分に変わってほしいと思っていることでしょう。<br><br>嫌いな人から変わるよう命令されて、素直に受け入れられるでしょうか。<br> <br>嫌いな人は、どこにでも存在します。地の果てまで逃げても、のがれることはできません。<br><br>私たちにできることは、「その人に合った付き合い方をする」ということだけです。<br><br>「絶対に自分の意見を譲らない人」には、反論しないことです。<br><br>「愚痴や悪口ばかり言っている人」は、適当にあしらっておけばよいのです。<br><br>「自慢ばかりする人」は、調子よくおだてていい気にさせておきましょう。<br><br>そして何より、付き合う必要のない人とは付き合わなければよいのです。<br><br>このように、好き嫌いで他人を分けへだてるというのは、冷たいことのように思われるかもしれません。人間としての本当に正しい道は、すべての人に心を開き、許し、受け入れるということでしょう。<br><br>しかし、そんな神様のような人が、いったいどれだけいるでしょうか。すべての人と仲よくできればそれが一番いいのですが、そもそも、それほど心の広い人であれば、人間関係に悩んだりしないはずです。<br><br>ほとんどの人は、嫌いな人に対して、ただ腹を立て、無用なトラブルを生み、ストレスをためこんでいるのではないでしょうか。それで何かが変わればよいのですが、結局、何も変わらず、自分の神経を疲れさせるだけです。<br><br>それよりは、「嫌いな人のことは、幼稚な子供だと思って、まともに相手にしない」と考えるほうが、よっぽど明るく心豊かに生きられます。<br><br>まず自分が幸せになり、充分に他人を受け入れられる寛容さを身につけてから、嫌いな人のことも気にかけてあげればよいのです。<br><br>相手に合わせた付き合い方をするということは、自分を押し殺して他人に迎合するということではありません。自分の意志で、自分のために、自分を変えるのです。<br><br>自分も、すべての人から受け入れられているわけではありません。人それぞれに考え方は違うのですから、自分の好みに合わない人がいても、何の不思議もありません。<br><br>他人に傷つけられたときは、自分も同じようにほかの人を傷つけたことはないだろうかと思い返してみれば、腹立ちはおさまります。<br><br>「他人が変わるべきだ」と思い込んでいる人は、一生、ストレスから解放されることはないでしょう。他人が悪いのが事実だとしても、やはり自分が変わったほうがよいのです。<br><br>自分の考え方を変えることは、勇気がいることですが、自分を楽にするためだと思えば、けっして難しいことではありません。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11862498612.html</link>
<pubDate>Tue, 27 May 2014 07:27:01 +0900</pubDate>
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<title>愛情を行動にうつす</title>
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<![CDATA[ いくら他人への愛情があっても、何の行動もとらなければ意味がありません。<br><br>愛情が欠けているのに、行動ばかりが先走るのも、よくありません。<br><br>他人を愛することができる人とは、愛情とそれにともなう行動をうまく連携させて表現する能力のある人のことだといえます。<br><br>大学生のＡさんは、同じ学校の女子学生に一目惚れしました。<br><br>しかし、内気なＡさんは、ただ授業中に遠くから彼女の横顔を見つめて、ため息をつくことしかできません。彼女の前に出ると、何を話していいのか判らず、目を伏せてしどろもどろになってしまうのでした。<br><br>そんなＡさんでしたが、このままではいけないと思い、ついに勇気をふりしぼって彼女に告白しました。しかし、答えはノーでした。<br><br>Ａさんは、自分の好意が拒絶されたことにショックを受け、すっかり自信を失ってしまいました。<br><br>たしかにＡさんは彼女に好意をもっていましたが、行動がともなわなければ、それは愛情とは呼べないのです。<br><br>彼女は、Ａさんから何のアクションも起こされていないのですから、いきなり告白されても、Ａさんの好意をどう判断していいのか判りません。Ａさんの心の中をのぞくことはできないのです。<br><br>「何を話せばいいのか判らない」などというのは、本末転倒です。話したい、相手を理解したいと思うことが愛情なのです。何の行動もとらないのは、愛情がないのと同じことです。<br><br>にっこり笑ってあいさつをするだけでもよいのです。わざとらしくない程度に褒めるのもよいでしょう。相手をよい気分にさせるだけでも、充分に愛情を表現したことになります。<br><br>会社員のＢさんは、人付き合いが下手で、気楽なおしゃべりというものができず、悩んでいました。<br><br>ある日、社員食堂で、以前から好意を抱いていた女性社員とたまたま隣の席になりました。彼女は気さくな性格で、口下手なＢさんとも楽しそうに話をしてくれました。<br><br>彼女となら、いい友達になれそうだ。Ｂさんは、それ以来、社員食堂では必ず彼女の隣の席に座るようにしました。退社時に待ち伏せて一緒に帰ったり、自宅に電話をして長話をしたりすることもありました。<br><br>しかし、彼女はしだいにＢさんを避けるようになりました。社員食堂に行く時間をわざとずらしたり、電話をしても居留守を使ったりするようになったのです。<br><br>そしてＢさんは、ついに彼女から「あまりつきまとわないでほしい」と言われ、大きなショックを受けてしまいます。<br><br>恋人として付き合ってほしいなどと思っているわけではないのに……。ただ友達になってほしかっただけなのに……。それさえも拒絶されるということは、自分には一生恋人などできないのではないか……。<br><br>Ｂさんは人間不信になり、以前にもまして他人を怖れるようになってしまいました。<br><br>Ａさんのように何の行動も起こせない人もいれば、Ｂさんのように精力的に行動するのですが、空回りばかりしてしまうという人もいます。<br><br>人付き合いの苦手な人は、両極端のどちらかに走ってしまいがちです。心と行動がちぐはぐで、他人との距離の取り方をうまく測れないのです。<br><br>「距離の取り方」などというと、小手先のテクニックのように聞こえますが、これが未熟であるために苦しんでいる人がたくさんいるのです。<br><br>単なる技術不足の問題であるのに、自分の全人格を否定されたように思い込んで、自信を失ってしまうのは、とても惜しいことです。<br><br>Ｂさんは、押しつけがましい態度を彼女から拒絶されました。<br><br>しかし、Ｂさんの「好意」が拒絶されたのではありません。「行動」が拒絶されたにすぎないのです。恋人同士でもないのに、帰りを待ち伏せたり、電話で長話をしたりという「行き過ぎた行為」が彼女には負担だったのです。<br><br>Ｂさんの「彼女と親しくなりたい」という気持ちは、間違ってはいませんでした。ただ、人付き合いの訓練が足りないために、気持ちをうまく言葉や行動で表現できなかった、というだけのことです。<br><br>自分の気持ちをうまく表現するためには、ある程度のテクニックも必要です。それは、他人と接していく中で会得していくしかありません。<br><br>スポーツや車の運転と同じように、いくら頭の中だけで考えていても、実践をふまなければ上達しないのです。<br><br>たとえ人付き合いに失敗しても、自分の好意が拒絶されたと考えてはいけません。その表現がまずかったというだけのことです。<br><br>他人から好意をもたれることは、誰にとってもうれしいことのはずで、好意そのものを拒絶する人はいません。<br><br>それさえ判っていれば、人間不信に陥ることはないでしょう。失敗するごとに、表現の仕方を見直し、テクニックを上達させていけばよいのです。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11861796483.html</link>
<pubDate>Mon, 26 May 2014 13:13:40 +0900</pubDate>
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<title>愛されていないと言う不安をもったとき</title>
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<![CDATA[ 先日、喫茶店で、隣のテーブルにカップルが座っていました。女性のほうは、「私のこと本当に好き？」と彼氏にしつこく訊いていました。<br><br>仲のよいカップルがじゃれ合っているだけなら、「ごちそうさま」と言いたいところですが、彼女の口調は真剣で、まるで彼を責めているようでした。<br><br>彼女は、たぶん好かれていないだろうという不満をもっているから、尋ねているのでしょう。<br><br>しかし、わざわざ直接相手に尋ねても意味はありません。<br><br>「好き」と答えられても、相手の言葉と態度との違いに不誠実さを感じ、ますます不満を強めるだけです。「嫌い」と言われたら、「なぜ私を好きになってくれないのか」と、相手を責めようというのでしょうか。<br><br>どちらにしても、もやもやとした不安は解消されないのです。<br><br>なぜ不安が消えないのかといえば、自分の心をごまかしているからです。<br><br>「私のこと好き？」という言葉が出てくるのは、その人自身が相手を愛していない証拠です。自分を尊重してくれない相手に対して、少なからず憎しみを抱いており、相手も困らせてやらなければ気がすまないと考えているのです。<br><br>相手への尊敬も、幸せを願う気持ちもなく、「私を尊重しない人間は許せない」という利己的な怒りがあるだけです。<br><br>相手への尊敬も信頼もないとき、発せられる言葉は質問形式になりがちです。<br><br>「なぜこうしてくれないの」「なぜそんなことを言うの」「あなたはどう思っているの」……。<br><br>自分がこう言えば相手はどう出るか、という敵対関係でしか相手を見ていないのです。勝つか負けるかの競争ですから、心が安まるときはありません。<br> <br>好きな異性のタイプを尋ねられて、「誠実な人、ユーモアのある人」などと、相手の人格そのものを見る人もいれば、「私だけを一途に愛してくれる人、私のわがままを許してくれる人」などと、自分をどう扱ってくれるかということにしか考えが及ばない人がいます。<br><br>後者に当てはまる人は、あまりよい恋愛はできないでしょう。<br><br>そういう人にとって、恋愛の目的は、ちっぽけなプライドを満たすことでしかないのです。<br><br>どんなに理想的な恋人を得ても、関心の的は、恋人の人間性ではなく、「魅力的な恋人をもって、まわりからうらやましがられている自分」にあるのです。<br><br>恋人に愛を要求する人は、たとえどれだけ愛されたとしても、一時的な優越感がえられるだけで、心からの幸せは感じられません。<br><br>相手が無条件で愛してくれたのではなく、自分が要求したからしぶしぶ従ってくれただけなのだということを知っているからです。<br><br>そして、いつ見捨てられるか、いつ裏切られるかということにびくびく怯えています。<br><br>要求してえられた愛には、けっして幸福はともなわないのです。<br><br>他人に好かれるためのもっともよい方法は、「自分が好かれているか」など気にかけず、「私は、あなたといるととても楽しい」という態度だけを示すことです。<br><br>このような態度は、わざわざ意識しなくとも、自分の喜びから自然に生まれるはずなのです。<br><br>それができないのなら、自分も相手を愛していないということです。<br><br>「自分だけが気を遣わされて、損をしている」という被害者意識が、「あなたは、なぜ私に気を遣わなくても平気でいられるのか」という怒りに変わるのです。<br><br>わざわざ互いの欠点を非難するために付き合っているのだろうか、と思わせるようなカップルがいます。<br><br>「本当に私のこと好きなの？」と恋人を非難する前にすべきことは、自分は相手を尊重しているのかを見つめ直すことであり、強要しなくとも愛される人間になるよう自分が努力することです。<br><br>そして何より、それほど不満があるのなら、もっと自分にふさわしい相手を選ぶことです。<br><br>相手を立てるということは、自分が我慢するということではありません。人間関係は、シーソーのように一方が上がればもう片方は下がるというものではないのです。<br><br>人を愛することが自分の喜びであると感じられたとき、「自分はどれだけ愛されているか」などという不安からは解放されるでしょう。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11859711085.html</link>
<pubDate>Sat, 24 May 2014 15:34:05 +0900</pubDate>
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<title>出来る事に目を向ける</title>
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<![CDATA[ 「どうせ私なんか」とことさらに自分を卑下して、心を閉ざしてしまう人がいます。<br><br>仕事、人付き合い、人生のすべては「仕方なくやらされていること」であり、それがうまくできない自分に嫌悪感を抱き、自信を失ってしまいます。<br><br>意欲がないから何ごともうまくいかず、うまくいかないから、ますますやる気を失ってしまう、という悪循環です。<br><br>自分に自信のない人は、「他人は、自分の落ち度を鋭く指摘し、バカにしようと虎視眈々と狙っているのだ」と思っていますが、それは率直に言って、とんだ思い上がりです。<br><br>世の中のほとんどの人は、あなたの「できないこと」に関心はありません。バカにするどころか、あなたが「できないこと」になど興味すらないのです。<br><br>外を歩いていて、ズボンのお尻が破れてしまったなら、隠さず堂々と歩けばよいのです。誰も、「他人のズボンが破れているか」などということは、いちいち気にかけてもいないのです。ほとんど気づかれることはありません。<br><br>破れたお尻を手で隠してモジモジしながら歩いていれば、「なぜ恥ずかしそうにしているのだろう」と注目されます。注目されるから恥ずかしいのではなく、恥ずかしがる態度が注目を集めているのです。<br><br>あなたの欠点は、あなた自身が意識しなければ、他人はそれに気づくこともありません。<br><br>自己卑下する人は、自分がバカにされていることに悩みながらも、一方では、無意識のうちに、その不幸な状態に安心し、自ら執着しています。<br><br>「本当は、世の中には、心の温かい人がたくさんいるのだ。バカにされていると感じていたのは、自分の思い過ごしだったのだ」ということを認め、これまで閉じこもっていた殻から抜け出し、新しい世界へ踏み出すことは、とても勇気のいることです。<br> <br>「意地悪な他人」という仮想敵がなくなってしまえば、自分がびくびくと不安に怯えている原因を説明できなくなってしまうので、よけいに困ってしまうかもしれません。<br><br>しかし、そうしてごまかしていた自分の心をはっきりと認識することは、大きな進歩なのです。<br><br>現在の地点をマイナスではなく、ゼロだと考えて、「これから、一歩ずつ登っていけばよい」と考えてください。<br><br>人付き合いの苦手な人は、他人の機嫌を害することを怖れ、慎重すぎるほどに気を配っているので、不用意に他人を傷つけたり、迷惑をかけたりしてしまうことは、ほかの人よりも断然少ないはずです。<br><br>これ以上心配する必要はありません。もっと鈍感に、図太く生きてもよいのです。<br><br>人それぞれ、得手不得手があります。<br><br>できないことは、できなくてもよいのです。どんなに努力しても、できないことはあります。「やればできる」などというのは、きれいごとにすぎません。<br><br>けっして努力することを否定するわけではありませんが、自らの意欲で何かに挑戦しているのであれば、それができなくても、自分を嫌いになったりはしないはずです。<br><br>「できない自分」に嫌悪感を抱いてしまうのは、もともとやる気がないからです。できないことにこだわるよりも、できることを見つけるほうが重要です。<br><br>学校の成績が悪くても、他人に親切にすることはできます。<br><br>運動神経が鈍くても、地道にこつこつと作業をすることが得意な人もいます。<br><br>嫌いな人のことを無理に好きになる必要はありません。好きになれる人をひとりでも多く見つければよいのです。<br><br>どんなささいなことでも、「自分にできること」に目を向け、少しずつ積み上げていってください。<br><br>自信のない人は、自分のささいな欠点も許せず、完璧主義に陥りがちです。心に枯れ葉剤を撒いているようなものです。<br><br>少しくらい雑草が生えていてもよいのです。むしろ、そのほうが正常で、健全であると言えるでしょう。
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<link>https://ameblo.jp/neku-8008/entry-11859080327.html</link>
<pubDate>Fri, 23 May 2014 20:21:13 +0900</pubDate>
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