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<title>ものぐさ房：ニューヨーク在住大学教員の雑記</title>
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<description>歴史・政治・経済・哲学などけっこう硬い話を書いてしまいますが、なるべくわかりやすく書いていきたいです。もっと軽～く書ければいいんだけどね～。</description>
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<title>夏の映画のシーズン</title>
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<![CDATA[ 夏です。アメリカではハリウッド映画の季節です。<br><br>なので今回はMarvel Comics、アメコミのマーベル社の映画を題材にしようと思ってます。最近マーベルが話しに整合性を持たせようとしているので、ちょっと整理を。<br><br><br>話は１９世紀のカナダにさかのぼります。１９世紀のカナダにてミュータントが一人誕生します。これがのちにWolverine（ウルヴァリン）と呼ばれ、X-menの一員になります。彼はどんな怪我をしても驚異的な治癒でたちどころに治るというミューテーションがあります。なので彼はなんと老化現象も治してしまうので不老です。<br><br>これが映画のX-men Origins: Wolverineの冒頭です。<br><br>２０世紀に入るとドイツでヒットラーの台頭があり、ナチスがドイツを支配します。ヒットラーはオカルトやマッドサイエンス等に傾倒していたので、ナチスドイツではいろいろな研究が行われます。<br><br>１）スーパーソルジャー計画<br>ドイツの科学者たちが普通の人を「人として最大限の能力を引き出す」という研究を始めます。<br>この計画によってRed Skull（赤い髑髏）という敵が誕生します。このスーパーソルジャーを作り出すエキスは人間の性格をも最大限に増幅させてしまうので、もとは科学者だったRed Skull はされに頭が良くなり、体力的にも最強の人間になるのです。しかし彼の中にあった悪をも増幅させてしまうので極悪人になります。<br><br>この計画の立案者だったドイツ人の科学者は罪悪感に駆られアメリカに亡命します。そしてアメリカでもRed Skull に対抗できる人物を探し、もともとはひ弱だったけど正義感・自己犠牲をいとわない　Steve Rogers　をスーパーソルジャーにします。ただし、このドイツ人の科学者はこの成功ののちすぐ暗殺されるのでスーパーソルジャープログラムは二人しか成功例がありません。<br><br>ここまでは　Captain America: The First Avenger の最初の半分です。<br><br>２）北欧神話計画<br>Red Skull が創設した軍団　Hydra　（オロチ）を率いて、北欧神話にしるされていた　Tesseract Cube　（まあ光る箱ですね）を探し、それをエネルギー源として新しい武器を作り、ドイツの世界征服を手伝う。この途中　Hydra　は完全に Red Skull が掌握して、最終的にはヒットラーをも殺して、Hydra　の世界征服のための計画になります。<br><br>Captain America: The First Avenger の後半がこの話です。ちなみに映画では描かれてませんが、米兵のCaptain Americaとカナダ兵のWolverineはこのころからの知り合いです。<br>最後にこの　Tesseract Cube　はアメリカのためにトニー・スターク（アイアンマン）のお父さんが回収します。<br><br>３）ミュータント研究<br>ドイツのミュータントでもあり科学者でもあった男がナチスの収容所に連れてこられた人を対象にミュータントを探し、研究しています。その一環として若き　Magneto　の母親は彼の目の前で殺されます。そしてそのとき　Magneto　の能力が開花します。<br><br>ここは　Xmen: First Class　の冒頭のシーンですね。<br><br>第二次世界大戦はナチスの敗北で終わります。でもこのときの研究がそののちに影響を与えるという設定になってます。<br><br>まずはミュータント研究<br><br>約２０年後　Magneto　は復讐のため元ナチスを探して、殺してます。彼の最大のターゲットは彼の母親を殺害した男です。その男は　Sebastian Shaw と名前を変えて、米ソの冷戦を利用して核戦争を起こそうと画策していた。核戦争のあとはミュータントが世界を支配すると信じていたので。<br><br>このとき　Magneto を助けたのがテレパシー能力をもった若き　Charles Xavier　と姿形を変える能力をもった義妹である　Raven　です。（Raven　は年を取る速度が常人よも極端に遅いです。）<br><br>Magneto　は私怨で　Sebatian Shaw を殺しますが、彼の考えそのものには賛成でした。ユダヤ人差別の経験から人類はミュータントをも差別すると思ったのですね。なので、　Sebastian Shaw　を倒したあと　Charles Xavier と　Magneto は袂を分かちます。<br><br>Charles Xavier は人類との共存を図るため　X-men　を結成します。<br>逆に Magneto　は人類とは共存できないと思ってます。そして　Raven も　Mystique と名前を変え、Magneto の元に走り、　彼らは　Brotherhood of Mutants　（ミュータント同胞団）を結成します。<br><br>これが　Xmen: First Class のあらすじです。X-menの話はこのあともどんどん続きますが基本このミュータントと人類は共存できるかできないかの対立がメインになります。<br><br>次にスーパーソルジャー計画ですね。<br><br>カナダではスーパーソルジャー計画とミュータント研究は融合します。治癒能力のあるミュータントである　Wolverine　の骨に超合金を注入して死ねない戦士を造ろうというわけです。これが現在の不死身のミュータント、　Wolverine　ですね。<br><br>X-men Origins: Wolverineの話です。<br><br>アメリカではスーパーソルジャー計画は４つに別れます。<br><br>まず第一は明らかな失敗作です。スーパーソルジャーを作り出すためのエキスと放射能が混ざってしまい、ハルクが生まれます。怒れば怒るほど強くなります。そして本人にも制御できない。最終的には凶悪なAbominationという化け物までもがこの失敗作のエキスとハルクの血から生まれますからね。<br><br>これが　The Incredible Hulk　の映画のストーリーです。<br><br>第二と第三が成功作と失敗作です。スーパーソルジャーを作り出すために遺伝子レベルでの研究をしていた　Os Corp　のエキスがベースです。この　Os Corp　の実験から脱走したクモが研究室を見学していた高校生の　Peter Parker を噛んで、彼はクモの力を得てスパイダーマンになります。これは成功ですね。<br><br>失敗がこの研究を焦ったあまり、Os Corp の社長が自分自身に未完全のエキスを注入して、狂い　Green Goblin　になったことです。<br><br>これが　Spider-Man　の第一作目ですね。ことしリメイク版がでるらしいのでどういう話になるのかちょっと楽しみです。スパイダーマンは基本　Peter Parker の成長物語ですから、あんまり思想（人類とミュータントとの共存）とか戦争（スーパーソルジャー）の問題にはあんまり結びつきません。むしろ個人のストーリーとしての傾向が強いですね。<br><br>第四は人を変えるのではなく、人にハイテクの装甲をつけるという発想のスーパーソルジャーですね。<br>これはもともと武器製造会社の社長であるトニー・スターク（ちなみに武器製造は彼のお父さんの代からで、お父さんはCaptain Americaの誕生にも立ち会ってます）がアフガニスタンで捕虜になったときに、急遽ひらめいて作ったものがベースになっています。トニー・スタークはこの鉄のスーツを身にまといアイアンマンになります。<br><br>これがアイアンマン　第一作目ですね。<br><br>そしてはやくも第一作目後半、第二作目で軍事転用が話のメインになります。第一作目では会社内での後見役そして敵になる　Obadiah Stane が軍事転用しようと推奨してますし、第二作目ではトニーは空軍のために一体献上して、なおライバル会社が似たようなロボットそして装甲を軍事転用しています。このとき私が個人的に好きだったのはトニー・スタークが軍事産業から撤退すると宣言して、のちにはスターク社が新エネルギー開発の会社になったってことですね。<br><br><br>最後にスーパーソルジャー計画には関係ないけれど、地球よりもはるかに科学の発達している星の王族の壮大な兄弟げんかに地球は巻き込まれます。テクノロジーは進んでも道徳は進まない、っていい例ですね。王である　Odin　の跡継ぎをめぐり息子のThor と養子のLoki　による王位争奪戦に地球は巻き込まれるわけです。というこうことは北欧神話は事実をベースにしていたというオチです。<br><br>とりあえずこれが映画の　Thor　のストーリーですね。<br><br>この兄弟げんかに巻き込まれたことによってアメリカのスパイ機関である　S.H.I.E.L.D.　（シールド・盾）は危機感を抱きます。シールド長官のニック・フューリーは今の地球の武器では異星人に太刀打ちできないと痛感します。たとえ北欧神話の「神々」が地球に好意的であっても、ほかに邪悪な異星人もいるかもしれない。ならば昔ナチスの使った忌まわしき兵器を　Tesseract Cube　を使って新しく作らなければならない。<br><br>しかし皮肉にもこの北欧神話に出てくる異星人のテクノロジーを使うことによって、地球はほかの異星人の興味を引いてしまうのであった。ここから先は日本ではまだ上映されてないAvengers のネタばれが多くなりすぎるので止めておきます。<br><br><br><br>しかし、娯楽映画のなかにもやっぱりちょっとは社会問題が見え隠れしてますね。<br>ミュータントと人類の共存ってのはようするに人種差別の問題ですからね。<br>そしてスーパーソルジャー計画が問題を起こしこそすれ、あんまり解決に貢献していないってのはやっぱり軍事産業の問題を突いているように思われますね。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11270198553.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jun 2012 03:55:40 +0900</pubDate>
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<title>原発と放射性廃棄物の問題</title>
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<![CDATA[ 私は基本的には脱原発です。<br><br>その最大の理由はこれから人口の減少していく日本にもっとたくさん大規模な発電所を作る理由が見当たらないからです。地球温暖化を悪化させることになるが、当面は火力発電所を再稼動して今の電力不足を埋める。そして長期的には地域密着型の小規模の太陽光発電所や風力発電所をつくればいいと思っている。<br><br>それでもいままで使ってきた原発が作り出した廃棄物は大量に残っている。<br><br>２０００年の時点で毎日新しく１．５トンの高レベル放射性廃棄物が日本で作られてました。（単純計算して１．５トン　かける　３６５日ですから　年間５４７．５トン。これが２０００年から今年まで毎年生産されていました。２１世紀だけでも最低５０００トンの高放射能のゴミです。そして低レベル放射性廃棄物は毎日４０トンです、年間１４６００トンですね。）<br><br>これがどれだけヤバイかと言うとですね。低レベル放射性廃棄物の場合、そのドラム缶のとなりに立ったら数時間で確実に死ぬ放射能を浴びます。高レベル放射性廃棄物は低レベルより数百倍も毒性がある。しかも、高レベルのゴミは１０万年くらいは放射能を出し続けます。<br><br>だからこれからの福島の問題はあそこの原発に溜まっていた大量の毒のゴミがいつ外に漏れるかわからない、ということだと私は思ってます。<br><br>そしてこの廃棄物の問題がこれからの最大のテーマだと私は思う。<br><br>原子力発電所は作ったけどそこから出るゴミについてなんにも考えてなかったのは実際いたい。放射能が減って安全になるまで何万年（なかには１００万年以上！）もかかるゴミを我々は大量に作ってしまったのだ。これは目先の利益しか考えてこなかった電力会社だけの責任ではない。電力会社を規制するはずの官僚、そしてその官僚を使いこなす政治家の責任でもある。そして日本が民主主義国家である以上、最終的にはその政治家を選んだ国民の責任でもなる。<br><br>こんなゴミは地下深く埋めればいいと言う人もいるけど、一体どんな政府・どんな会社が１０万年間もこんなゴミを管理してくれるのか？１０万年前っていったら日本にようやく人が来たころですよ。縄文時代よりも前なんですよ。<br><br><br>さてと、一応このブログは問題解決に向かって提案をしようというのがテーマなので最近ちょっと耳にしたことを。<br><br>とりあえず原発は止める。新しいゴミは増やさない。これがまああたり前でしょう。つぎにどうするか？<br><br>なんとあたらしいタイプの原発です。私もこれを考えるととてもいや～な気分になるんですが、どうやら今までの原発とは違うタイプの原発があるらしいのです。英語でいうとLiquid Floride Thorium Reactorとなりますが、ようするに塩を溶かしてその熱でタービンを回す発電機です。ウィキペデイアのサイトによると溶融塩原子炉<b>&nbsp;</b>（ようゆうえんげんしろ）ってやつらしいです。この原子炉にも長所と短所はたくさんありますが、私が注目したのは現存する放射性廃棄物を燃料として燃やし、毒性の低いものに変えることができるとこです。<br><br>日本でも実際に研究している人はいるらしくちょっと検索したらこんなサイトがありました。<br><br>http://msr21.fc2web.com/<br><br>そしてこんな本も。古川和男著「原発安全革命」（文春新書）。<br><br>私は原発についての専門化ではないので本当に可能なのかどうかはわかりません。というか、半信半疑です。<br><br>でももし本当にこのタイプの原子炉が今まで出てきたゴミを消費して、かなりのものを比較的短い期間（３００年くらい）で放射能を発しない物質に変えることができるのなら、私はこういうのを一つか二つ作って、電力用というよりもゴミ処理用として使うのも一つの手だと思う。<br><br>ここからは政治の世界です。この現にある大量の毒のゴミをどうするか？私は政府がこの新しい原子炉の可能性を研究するのは一つの選択肢だと思う。<br><br>そしてもしこれが本当ならば。電力のためでなく、放射性のゴミを減らすためにやってみよう。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11254457259.html</link>
<pubDate>Sat, 19 May 2012 05:06:53 +0900</pubDate>
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<title>夏休みとヒーロー映画</title>
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<![CDATA[ いやあ学期末がくると大量の採点があるので大変です。<br><br>でも木曜日の夜に全部終わり、昨日の金曜日から夏休みに突入です。今年は夏期講習も教えようと思っているので完全な休みではないのですが、解放感はあります。<br><br>なので金曜の夜はMarvelの「Avengers」って映画を見てきました。（実はこれ二回目です。先週忙しいにも関わらずどうしても見たくて、ぎりぎりに行ったらもうほぼ満席で妻と別々の席になってしまった。なので今回はちゃんと早めに行っていっしょに見ました。アメリカは日本みたいに映画館の席は指定できないので早いもの勝ちです。）<br><br>で、彼らスーパーヒーローの話をしていたら改めてアメリカ文化の新しさを感じましたね。<br>つまり日本とかだったら御伽噺の桃太郎とか忍者とか超人的な活躍をする話があります。また中国にも西遊記とか水滸伝とかヒーローモノがちゃんとあります。そしてヨーロッパも童話や騎士の物語（アーサー王とか）があって超人的な活躍をする話がちゃんとあります。<br><br>でもアメリカにはそれがない！なので、子供たちが喜ぶアメリカ固有の話がスーパーヒーローモノなんじゃないでしょうかね。一応移民の国なので、以前は母国の童話やお話をしていればよかったのでしょうが、２０世紀になってそれら母国の話が忘れ去られたころあいに、スーパーマンが出版され一世風靡したんでしょう。こう考えると「オズの魔法使い」が２０世紀初頭に爆発的に人気がでたのもうなずけますな。<br><br>今じゃアメリカンコミックスのスーパーヒーローはアメリカの文化の一つとして世界中に輸出されまくっていて、またそれが日本やヨーロッパで影響を与え、新しい大衆文化を生んでますから、アメコミの功績は結構大きいと思いますね。たとえば「ドラゴンボール」は中国の西遊記、アメコミのヒーロー、そして日本のマンガを融合してますからね。ヨーロッパのだったらさしずめ「ハリーポッター」かな。こうやって現代っ子たちは昔とは比較にならないほど豊かな空想の世界で遊べるんですね。<br><br>ま、これがいいか、わるいかは置いときましょう。(私が子供のときは、まんがなんか読むなと言われてましたからね。）<br><br>次にヒーローモノの特徴と云うか特性ってなんなのか考えてみたいと思う。まず第一は「こんな人がいたらいいな」もしくは「こんな人になりたい」または「こんな世界であって欲しい」と思わせることかな。つまり夢を与えると云うことでしょうかね。で、それをひっくり返すとつまり第二に「こうあってはならない」ということがいくつかあるってことでしょうか。たとえば人が死ぬところはなるべく見せない。あったとしてもなるべくキレイな死に方にする（あからさまに痛みのともなう描写やグロい描写は避ける）。第三に子供でもわかるようになるべく簡単なストーリーにする。ま、一番簡単なのは勧善懲悪でしょう。逆にロマンスは避ける、というのは大人なら誰でもわかることだけど、ある人を好きになったからといって報われるってことは決まってないから。つまりストーリーがどうしても複雑化してしまう。努力しても報われないってことを説明するのは難しいからね。とりあえずこれくらいでやめます。<br><br>こういうふうに考えるとアメリカという国の性格もちょっとでてきますね。夢を見たい。不都合なことは見ないようにする。勧善懲悪を信じる。努力は報われる。こう書くと基本は善人の性格、というか子供に教えこみたいと思うことがらですな。<br><br>しかしいずれ人は大人にならざるを得ない。ファンタジーを信じたまま大人になると悲劇が待ってるような気がする。<br><br>そして国はどうなんでしょうかね。いずれ国も大人にならざるを得ないものなんでしょうかね？<br><br><br>それにしてもShawarmaを食べたいな。<br>
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<pubDate>Sat, 12 May 2012 22:39:02 +0900</pubDate>
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<title>「成長の限界」から４０年</title>
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<![CDATA[ 最近気がついたのですが今年は１９７２年に出版された「成長の限界」と云う本の４０周年です。<br><br>英語では「Limits to Growth」ですな。<br><br>この本を当時読んだ人が今現在何人いるかわからないですが、読んでいない人たちに私は言いたい。一読の価値はあります。<br><br>４０年前に当時の最新のコンピューターを駆使して作者の研究者たちは何を考えたのでしょう？<br><br>それは一言で言えば「限界に来ている」です。<br><br>かれらは１９７２年当時のように大量生産・大量消費を続けていけば人類は２１世紀の中ごろに人口のピークを迎えて、あとは坂を転げ落ちるように大規模の人口減少が起こってしまうと警告しています。汚染・水不足・食料不足・もろもろの資源の枯渇がその原因です。そして大量生産・大量消費を続けてきた人類は４０年後の現在これまた見事に「成長の限界」の予測にほぼぴったりの線で生きています。<br><br>さてこれからはどうなるのか？本当に危機はくるのか？そして日本はどうなるのか？<br><br>私は予測は当たるんじゃないかと思ってます。そして日本がその第一線にいるように思えてしかたありません。去年日本の人口は２５万人減りました。これからの日本では人口が毎年１００万人づつ減るらしいです。一億２千万の人口が８千万に、そしてさらに下がります。<br><br>これは大変です。あきらかに非常事態ですが、今のうちに人口減少を経験しておけば、もし本当に２１世紀の後半世界人類の大減少が起こるとき日本はすでにどう対応すべきか経験しているので何をすれば良いのかわかっている国になっているのです。またすでに人口の減っている日本では悲惨な人口減少（戦争・飢饉）は起こりにくいにではないでしょうか。不幸中の幸いとも言えるかもしれない。<br><br>まあ、とにかく「成長の限界」を図書館で借りて（なにしろ昔の本なので）一読することをお勧めします。<br><br>（ちなみにお隣のロシアではかなり悲惨な方法での人口減少を現在経験しています。医療システムの崩壊とアル中による早死によって、ロシアの人口も急激に減少しています。）<br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11237359090.html</link>
<pubDate>Mon, 30 Apr 2012 10:55:48 +0900</pubDate>
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<title>ニーチェと仏教</title>
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<![CDATA[ 最近二冊の本を読んだ。宮元啓一「仏教誕生」と竹田青嗣「ニーチェ入門」です。<br><br>なんか全然関係ないようだけど実はつながっていたんですね。<br><br>宮元さんの主張ではお釈迦さまはニヒリストだった、そして竹田さんの主張ではニーチェもニヒリストであり、それを克服しようとしたと。ではどう似てどう違うのか。<br><br>お釈迦さまについてはいままで色々書いてきたので今更くどくど書くつもりはありません。そしてお釈迦さまがニヒリストだったという宮元さんの説には基本賛成です。なにせ諸行無常ですからね、人生などに意味というものは探してません、ただ目の前にある苦しみをなんとかしようと思っただけです。<br>（２０１１年１１月に書いた諸行無常シリーズが今日のブログの本題と一番合っていると思う。）<br><br>ではニーチェの場合はどうか？<br>ニーチェはまずキリスト教を批判します。隣人愛を標榜したキリスト教は非人間的であるとさえいいます。まあ、普通の感情では敵は憎むものであって、敵でさえも愛せよというのはたしかに自然な感情から離れています。（この点においては孔子の考えのほうが自然的であって、まず己を大切にしてから家族を大切にして、隣人、社会を大切にせよと言ってます。）で、この普通から離れた感情はどこから出てきたのか？それは弱者が強者に対して精神的に優位に立つために出てきたと。そしてこの倒錯した感情（ルサンチマン）はどうやって権威付けるのか？それは絶対神を持ってくることによって義務にできると。<br>この（ニーチェの悪口に言うところ弱者のための）宗教がヨーロッパの普遍的宗教になったためにヨーロッパの「絶対神」、「道徳」、「真理」などができたとニーチェはいいます。<br><br>そしておもしろいことに近代ヨーロッパの精神である啓蒙思想や近代科学もこのキリスト教文明のもとで生まれてきた以上、この思想上の欠陥を引きずってしまった、と。<br>つまり近代になり「神」をしだいに排除してきた哲学などの思想においても「道徳」や「真理」は追究され続けた。<br>そして近代科学はただひたすら「真理」を追究してきた。<br><br>ここをニーチェは突付きます。いったい「道徳」や「真理」は存在するのか？なぜ必要なのか、と。で結論は人が弱いから必要なのです。つまり、生きるということはつらいことがこんなに多いのに、なぜ生きなきゃならないのかわからない人のために必要なのです。<br><br>そういう人のために「絶対神」があって、今も「道徳」があり、「真理」などがあるわけです。<br><br>でも皮肉なことに近代科学が進めば進むほど世界には意味がないことがますます明らかになっていったのです。ガリレオ以降の天体観測が進めば進むほど、天国も地獄も見えないことがわかった。ダーウィン以降人は神によって特別に作られたわけではないことがわかった、人もほかの生物と同じように進化しただけに過ぎなかった。こうして「真理」を突きつめれば突き詰めるほど、この世界以外にはほかの世界は無いようにしか思えなくなってきたのです。<br><br>こうしてニーチェはニヒリストになります。この世に意味もなく、絶対的な価値などない。全て等価値である、と。そしてニーチェは当時の物理学のを駆使して永遠回帰というアイデアまでひらめきます。つまりこの世には物質しかないのなら、いずれ世界は繰り返すというのですね。竹田さんはこんなたとえを使ってます。もし落ちるポケットと摩擦のないビリヤードがあったとしたら、その上を転がっているいくつもの玉は長い時間のあと同じことを繰り返しだします。こんなふうに永遠に同じことがリピートする世の中に意味なんてあるわけがないです。<br><br><br>面白いのはここからの脱却です。ニヒリズムのままで終わっていたらニーチェもそれほど重要な哲学者ではなかったでしょうね。<br><br>彼はモノの認識は見る者によって違うと言い出します。カントの哲学では最終的には「神」の認識があるので、ものごとには客観性があるといいますが、ニーチェにとって「神」はいないので同じリンゴでも見るモノによって違うわけです。人にとってはおいしそうな果物かもしれず、猫にとっては丸い遊ぶものかもしれず、トンボにとってはただ赤い止まるものかもしれない。<br><br>ここまでは普通にわかります。この次がミソです。もし見る者によってモノの認識が違うのならモノは実はそれ自体としては存在していないのです。つまりリンゴは我々はあたり前のように存在していると思ってますが実はカオス的な存在で我々は人として、ある時期においてにのみリンゴとして見ているのです。<br><br>ここは私のたとえなのですが日本人は足をみると足全体を見ます。でも英語圏の人は足を見るとき「Foot」と「Leg」を見ているのです。つまり人にあるのは「体」のみです。でも人はこの「体」を見て勝手に「足」とか「Foot」とか「Leg」とか区別するのです。<br><br>つまり人は言語で世界を作り上げているのです。混沌とした世界を見て、我々が勝手に世界を秩序あるものとして脳内で再構成しているのです。竹田さんはこれはヨーロッパの同時代のほかの哲学者（ソシュール・ヴィトゲンシュタイン）も考えていたことであって、ニーチェがその先陣を切ったと言ってます。<br><br>ニーチェはこの人が混沌とした世界を秩序的に作り上げる能力を大切にせよと言ってる、というわけです。これがかの「力への意思」です。この「力への意思」を自覚的に持った人をつくることこそがニーチェの新しい価値の創造であり、ニヒリズムからの脱却でしょう。そしてこういう人々をニーチェは「超人」と読んだのではないか。（もっともこれは過去の「絶対神」、「道徳」、「真理」は幻想であったので一旦捨てたあとの、新しく肉体をベースにした道徳をつくる人、強者や弱者がいるといる事実を是認した上に出来る道徳をつくる人に限定される。）<br><br>こうしてニーチェは芸術家にそれを見出すわけですね。混沌としている世の中、価値の無い世界、苦悩に満ちた世間、にも関わらず、人生を肯定して生きていこうと思わせる芸術、そういう芸術を生み出せる人にこそに「絶対神」、「道徳」、「真理」の無い世界に新たに生きることそのものに価値を作りだすことができるのではないか、と。<br><br><br>私はこのニーチェの思想は実に面白いと思う。特にこの世界を秩序的につくるというところは仏教の唯識の理論に近い。そして最初から神々を排除した仏教は必然的にニヒリズムに陥ったという批判を受けてきた。なぜなら絶対的な価値を決める神がいないのだから。<br><br>でも決定的に違うのはやはりニーチェは西洋の人であって、まさか見ている当の本人までもがカオス・混沌であると思わなかったことだと思う。もし、見られているリンゴが混沌であって、また見ている人間もまた混沌であると気づいたならもっと仏教的になっていったと思う。<br><br>やはり人は「己は特別である」という思いを捨てられないのでしょうか？<br><br>ここにお釈迦さまの説いた無明があるんじゃないでしょうか。見られているモノそして見ているモノ、そうほう共に混沌としていて無常なんです。<br><br><br><br>
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<pubDate>Sun, 22 Apr 2012 04:45:07 +0900</pubDate>
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<title>簡単な世界史（過去５００年）</title>
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<![CDATA[ この間いろいろ読んでいるうちにふと思ったんだけどおそらく過去５００年の世界史はすごく簡単に説明できると思う。<br><br>要するに資本主義の歴史なんですね。<br><br><br>まず定義を：<br>　資本主義＝人生における目的はお金をもうけること（資本を集めること）<br>　社会主義＝人生における目的は社会をよりよくすること（共産主義・マルクス主義はその一派）<br><br><br>１）　西暦１５００年－１８００年：　資本主義とほかの生きかたの並立<br>ヨーロッパ・アメリカ・そして（西・中央）アフリカの沿岸部で資本主義が発達する<br>　（ヨーロッパ・アメリカで資本主義に対する反発もあるがそれは主にキリスト教をベースにしている）<br><br>でもそれ以外の地域ではそれぞれの生き方がある<br><br>中東はイスラム教圏なので人は天国に行くことを目的にしている<br>インドではイスラム教とヒンズー教がメインなのでムガール帝国の治下では人々は天国に行くことや次回の人生のため今をよりよく生きることを目的にしている<br>中国では儒教と仏教と道教があるので士大夫は君子になることを目指し、普通の人は極楽浄土や天国に行くことを願って生きている<br>日本では儒教と仏教と神道があるのでインテリの武士は君子になることを目指し、ほかの人々は生きている間は神仏に頼り、最後に解脱して仏になることを目指しているか、極楽浄土に行くことを願っている<br><br><br>２）　西暦１８００年ー１９５０年：　資本主義が世界を席巻する<br><br>ヨーロッパ・アメリカは資本主義がますます発展して、世界にそれを押し付けようとする<br>　（でも１９１７年に資本主義に対して「反乱」がはじめて起きる、共産主義のロシア革命）<br><br>アフリカは１８８５年に全土が植民地化され、資本主義を採用せざるを得ない<br>インドも１８０２年以降植民地となって資本主義を採用せざるを得ない<br>中東はオスマン帝国がしだいに分割され、東ヨーロッパの部分はヨーロッパの資本主義の仲間になり、北アフリカ・西アジアの部分は植民地化され資本主義を採用せざるを得なくなる。トルコ本国は第一次世界大戦に負けてはじめて自発的に資本主義国家になる<br>中国はアヘン戦争のあと半植民地化され資本主義の仲間にいやいやなる（特に１９０５年以降）<br>日本は明治維新のあと資本主義の仲間に積極的になり、資本主義を押し付ける側の帝国にまでなる<br><br>こう考えると第一次世界大戦と第二次世界大戦は資本主義国家間の巨大な内戦とも思えませんか？<br><br><br>３）　西暦１９５０年ー１９９０年：　共産主義という資本主義に対する「反乱」<br><br>資本主義に対する「反乱」が共産主義という形を取って世界中に広がる<br>ロシア・中国・キューバ・北朝鮮・ベトナム・南イエメン・エチオピア・アンゴラなど<br><br>これに対抗するため資本主義国家群は自分の存続のためにあからさまな不平等である帝国主義を改め、健全なナショナリズムを奨励すると言う形で植民地をぞくぞく独立させる。<br>でもこれは実際には資本主義のチャンピオンであるアメリカの覇権の下での独立に過ぎないので、こういう国は「反乱」に加担することは許されない。<br><br><br>４）　西暦１９９０年ー現在：　「反乱」の終わり<br><br>「反乱」の終わり、そして「歴史」の終わりと、考える人々。彼らはこれからは資本主義と国民国家というシステムで世界は運営されていくと思っているので大枠での変化はないと考える。あるのはどの資本主義国家が次の覇権を握るのかという話だけ。<br><br>でもハンチングトンの文明の衝突論では、資本主義が世界にいきわたったからこそ、これからは文明・宗教の差が歴史の鍵を握ると考えます。<br><br>それとも資本主義が世界にいきわたり、経済格差が極限まで広がり、いよいよ資本主義は行き詰るのか。これはまた違う考え方ですね。行き詰ったあとにくるのははたして新しい社会主義なのか、または地球環境との調和を目指す社会なのか？<br><br>一体どの考え方が正しいのでしょうかね？どう考えるかによって日本の未来の展望もかなり変わるんじゃないでしょうか？<br><br><br><br>
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<pubDate>Wed, 18 Apr 2012 06:49:55 +0900</pubDate>
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<title>お釈迦さまの誕生日と復活祭</title>
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<![CDATA[ 日本では４月８日はお釈迦さまの誕生日です。潅仏会、降誕会、花祭、などと呼ばれていますね。<br><br>アメリカでは４月８日はキリストの復活祭です。イースターですね。<br><br>たまたまこの二つが重なったので、ちょっと宗教の果たしてきた役割と、東浩紀の書いた「動物化するポストモダン」を読んで考えたことについて書いてみたいです。そして今夜妻と話したことをも含めて書いてみたいです。<br><br>これはちょっと哲学的な話になるんですが人としてはかなり重要な話なのです。<br><br>動物は生まれたら、とにかく必死に生きて、そして死ぬ。その間はなぜ今生きているのか、なぜ死ななければならないのか、など考えません。<br><br>しかし人は幸か不幸か考えることの出来る生き物です。なので、一旦生まれれば、なぜ今生きているのか、考えてしまうのです。<br><br>もし一度でもそう考えてしまうとちょっと不幸です。なぜなら生きる意味を考え出してしまったら、納得のいく答えが出るまで人は考え続けるからです。そして納得できる答えがでなかったらその後は悶々として暮らすか、この問題についてなるべく考えないようにして自分をだましながら生きなければならないからです。<br><br>ここに宗教の役割が出てきます。昔（１８００年代より前）は世界中で宗教に寄りかかって人は納得していました。キリスト教、イスラム教では天国に行くために今の人生を生きる。仏教なら極楽浄土もしくは覚るために生きる、儒教なら家族のために生きる。世界のほぼ全ての国でこれら宗教上の生きる理由を持って人は生きていたのです。そして周りが皆そうであるのならその社会に生きた個人もそれにつられて生きることはたやすかったのです。<br><br>しかし資本主義社会が成立しますとそれはだんだん崩れます。資本主義社会は基本的に物質的豊かさを求める社会で、お金持ちになるのが生きていく目的になるからです。それに対する批判である社会主義も基本的には物質的豊かをみんなで共有しようという意味で欲望を満たすための社会であることには変わりがありませんし、１９９１年には社会主義は破綻します。<br><br>日本は戦後のどん底から国家的プロジェクトで豊かを求めます。周りがみな豊かさを求めているので、普通の人もそれに巻き込まれていくのも簡単だったのです。そしてバブルが崩壊するまで（１９９１年）一応成功します。<br><br>この意味で東浩紀の言う「大きな物語」は機能していたわけです。人はなぜ生きるのか？それは物質的豊かさを求めるため。周りの人も皆そうしてる。なお努力すれば一億総中流の時代ですからそこそこ豊かになれる。<br><br>では今はどうか？<br><br>資本主義・社会主義を経たあとでは宗教は弱まってます。生きることに宗教的意味を見出す人は社会の大多数ではもはやありません。少数の本当に真剣に目指す人のみです。だから普通の人は巻き込まれにくい。<br><br>じゃあ物質的豊かさを求めて生きるべきか？今の若者は親の資産があり、適当に働いてもそこそこの生活は保っていける。またバブル崩壊のあと努力したら必ず報われる社会ではなくなって、強者のみが勝つ格差社会になっている。だったらあくせく働くのはどうもしんどい。<br><br>ということは、もしかしたら今の世の中、生きる意味を見出せない人（特に若い人）が多いのではないか？（だからこれは別にポストモダンという問題ではないと思う。）<br><br><br>こう考えると説明のいくことが多々ある。ショッピングに明け暮れるギャル、二次元の世界に逃げるオタクたち、恋愛もしくは擬似恋愛にはまる人々。彼らは生きる意味を見出せないからこそ、麻薬みたいに一時的に気持ちよくさせることに執着してしまうのではないか。<br><br>そして資本主義社会である以上それらのことを破産しないで続けられるのならそれでもよいのではないか、とも思えてしまう。なにせ続けていられる以上彼らは（一時的にはせよ）幸せなのだから。<br><br>でも、ここが妻の指摘で、こういう風に麻薬的ではあれ没頭できることがある人はましである。なぜなら自分をとりあえずだますことができるから。自分をだますことができない人は一体なにを目指して生きていけばいいのか？宗教的意味も見出せないし、かといって物質的豊かさをももはやあんまり求めていない。ただ生きていくだけでいいのか？<br><br>ここにいたって私は答えることができない。宗教的意味も物質的豊かさも求めていないけども、それでも幸運な人は自分で自分の生きる理由を見つけるだろう。それも究極的な意味はないとわかっていながらである（なぜならいずれ人類は滅び、地球も太陽もなくなるので）。<br><br>妻はそういう人は「ただ空虚感を持ちながら死を迎える」ことしかできないだろうという。<span lang="JA" style="font-size: 10pt; font-family: &quot;MS Gothic&quot;;">&nbsp;</span>そういう人は宗教的意義を見つけることが出来なければ、この空虚感と死ぬまで付き合っていくしかない。これは精神的につらいかもしれないが、彼らは真実を見つめている、という一点においてすごく評価できると思う。この社会的観点から見て非生産的ではあるが、哲学的に真理を見つめている、ということこそが彼らのプライドになり、よすがになって欲しい。<br><br>今の私に言えるのはこの状態は現在我々が資本主義社会に住んでいるから起こる、ということ。もしかしたら、資本主義社会が終わったときにまた新しい生きる意味が見つかるかもしれない、また昔の宗教的な意味が復活するかもしれない。そしてその時は生きる意味がわからない人は減るであろう、と。（もっとも今を生きている人にとってはなんの助けにもならないけど。）<br><br>潅仏会前日の夫婦の会話からでした。<br>ハッピーバースデー仏陀。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11216231025.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Apr 2012 12:10:26 +0900</pubDate>
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<title>イランとの戦争？！</title>
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<![CDATA[ 最近アメリカのニュースを見ているとイラク戦争の前みたいな雰囲気になってきた。ただし今回の標的はイランです。<br><br>一体アメリカ政府は何を考えているのか？金欠だ金欠だといいながら一番かねを食う戦争をまたおっぱじめる気か？<br><br>前回のイラク戦争の時は世界は二つに割れ、アメリカに賛同した国も少なくはなかったが（日本も基本的にはアメリカに加担した国の一つでしたね）、今回こそは世界世論はアメリカを見放すのではないか。<br><br>最初の湾岸戦争（１９９１）では世界はこぞってアメリカに味方して、前回の湾岸戦争（２００３）では割れ、次回の湾岸戦争（もしあれば２０１２？）では世界はアメリカに反対するのか？<br><br>いずれにせよ大義なき戦争なので、今回こそは日本もアメリカを諌めて欲しい。<br><br>イランが平和的利用を目的とした原子力を開発することは国際法上認められている権利なのである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11206842865.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Mar 2012 08:42:37 +0900</pubDate>
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<title>ブログ再開：Tax Return</title>
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<![CDATA[ 二ヶ月ぶりですがブログ再開します。<br><br>で、ついさっきアメリカのTax Return（確定申告）をやったところです。<br><br>Tax Returnの申告は４月１５日までですが、とにかくこれをやるといやでも自分がお金を稼いだか、税金をいくらはらったか、そしていったいいくらさらに税金を納めなくてはならないのか、もしくはいったいいくら政府に過払いしたのかがまるわかりです。<br><br>Tax Returnは去年一年、納税者が一体どのくらいの収入があったかを政府に報告する書類です。そして当然ながらその収入に応じて税金も納めます。でもミソがあって支出のなかにも政府に認められている必要経費という支出があり、それは収入から引くことができます。だからたとえ１００万ドル（約一億円）稼いでいたとしても、必要経費として認められている支出が９８万ドルあったら、その人は差し引き２万ドルの収入しかないと計算されて、当然ながら税金も格別安くなります。そしてまた必要経費が１０万ドルしかなかったら、差し引き９０万ドルの収入があるとみなされて膨大な額の税金を納めることになります。<br><br>とにかく書類を揃え、Tax Return専用のソフトを買って、申告をするのにだいたい二日くらいはかかります。<br><br>そしてこれで解るのがアメリカの連邦政府はいかに家を買っている人と車を買っている人と寄付している人に有利かということです。なぜならこの三つが必要経費に入るからなのです。<br><br>とにかく家のローンがあれば金利の分は必要経費になるし、地方の自治体が払えという固定資産税の分も連邦政府からみたら必要経費になる。車も同じでそれも必要経費で落とせる。だからみんな家と車を郊外に買うんですね。私みたいに都会で借家に住んで電車通勤して車も無い人は、郊外に住んでいる連中の生活を援助してるようなもんです。<br><br>さらに多額の寄付をするとそれも非課税になります。だからみんな寄付するんですね。どうせ政府に税金として取られるのなら自分の好きな慈善団体・宗教法人にお金をあげちゃえとなる気持ちも解りますよ。<br><br>こんなシステムなら限界までローンを組んで、収入の５万ドル（約５００万円：アメリカの家庭の収入の中央値）のうち必要経費で２万ドルくらい落とせば（家と車のローンと寄付金をあわせて月々１６００ドルとかんがえれば十分ありえる）、最初の２－３万ドルはもともと非課税なので、課税対象収入は０ドルから１万ドルとなって税金をめちゃくちゃ安くできる。アメリカの家庭の約半分が現在所得税を払ってないくらいですからね。<br><br>こう考えると住宅バブルがアメリカで起こったのもうなずけますね。でもとりあえずこれは置いておいて・・・<br><br><br>日本もアメリカと同じようにみんな個人で確定申告をするようにすれば、国民はけっこう真剣に税の使い道や政府がどういう風に税金による優遇政策をとっているのか解るようになるので、あながち悪くないかもしれない。<br><br>（でも会社がこれを肩代わりしてくれるのはホントに楽だよな～。）<br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11196351331.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Mar 2012 15:16:58 +0900</pubDate>
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<title>帰ってきました</title>
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<![CDATA[ ハワイから帰ってきました。<br><br>まだちょっと旅行ボケです。<br><br>それにしても帰りたくなかったと本当に思いました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/nelsonyoshida/entry-11136428750.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jan 2012 14:18:33 +0900</pubDate>
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