<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>ねたカオス劇場</title>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/netachaos/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>期間限定になるかもしれませんが、ガンダムの感想などをちょこちょこと……と思っていたらさっそく脱線気味？</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>アドレサンス</title>
<description>
<![CDATA[ 　あくまでも私の身の周り、せいぜい半径５クリック以内の話なので、あまり一般化するわけにはいかないところもあるのですが、総じてGBFトライは前作のGBFに比べると、手放しで大絶賛する人の数は減り、一方で前作に比べていまいちだと評する人が目立っていたように思います。もちろんアンケートや統計を取ったわけではないので、単にGBFトライに不満を感じた人の「声が大きい」だけという可能性はあるでしょうが。<br>　かく言う私自身がGBFトライをどう受け止めたのかと言うと、大枠ではGレコと合わせて半年間ずっと楽しんでいましたが、前作の最終回を見終わった時に感じたような「満ち足りた気分」は、GBFトライの最終回からはちょっと感じることが出来ませんでした。何故そうなのかを考えてみると、恐らくGBFでは半年間かけて語られる一連の物語が、最終回の時点できれいに“完結”しているからなのでしょう。<br>　もちろんGBFトライだって、話が明らかに途中でぶつ切りになって「続きは劇場版で」と告げられるどこぞの世界の破壊者のようには別になっておらず、ストーリーの主軸となっている一つのガンプラバトル大会は決勝の終わりまできちんと描かれています。<br>　ただGBFのほうは、物語世界全体の枠組みとしてのガンプラバトルが、最終回の時点ではプラフスキー粒子の結晶体「アリスタ」の消滅と共に、一旦は終焉を迎えています。それは同時に、ガンプラバトル事業を独占的に仕切って物語世界の屋台骨を支えてきたPPSE社の事実上の終焉であり、もっと重要なことには、主人公の少年が不思議な友人と出会い共に過ごして成長した、束の間のかけがえのない季節の終焉でもあるのです。GBFの主人公イオリ・セイの人生はもちろんその後も続き、ガンプラバトル自体も代替プラフスキー粒子の発見と実用化によって再開することとなりますが、こうした「その後」はすべて最終回エンディング映像の中で描かれていることであり、GBF本編から見ればあくまでも「後日談」であるという構成になっています。映画『スタンド・バイ・ミー』のように、セイとレイジの二人はガンプラバトルという特殊な経験の場でひと夏を共に駆け抜け、二人の別れと共にかけがえのない夏は終わるのです。<br>　やがて夏はまた巡ってきて、ガンプラバトル大会もまた開催され、セイ自身も再びそれに参戦することになるため、表面上の事象だけを要素命題単位で切り出して箇条書きに並列したら、セイの夏はこの先何度でも同じ出来事が繰り返されるように解釈できなくもありません。でも、レイジという一過性の存在が共にいることにより、GBFで描かれた日々はセイにとってただ一度きり訪れ、二度と繰り返されることのない大切な時間だったのだということが、ベタな台詞で語らずとも視聴者には伝わるようになっています。<br>　GBFとGBFトライをそれぞれ見終わった時に私が感じた余韻の違いの、最大の要因が恐らくここにあったように思います。GBFトライも別に主人公たちが歳を取らないサザエさんシステムを取り入れているわけではないので、順当に考えれば最終回ラスト（次回大会）のトライファイターズは、その直前までの３人よりも一つ歳を取って学年も一つ上がっているはずです。また中高生大会という年齢的レギュレーションは、この３人や彼等と戦ったライバル達もいずれはこの「場」から必然的に消えていくことを暗示しています。ただ、こうした「やがて来る別離」が、GBFトライでは前述のような設定上の枠組みとしてのみ提示され、当人達のドラマはあくまでも「俺達は常にチャレンジャー」、つまり際限なく上り続けていくモチベーションだけが強調されています。<br>　これはどちらが良い悪いではなく、単に見せようとしているドラマの方向性が違うというだけのことなので、あとは見た人の好みによって判断すればいいことだと思いますが、とりあえず私には前作のガンプラ版「スタンド・バイ・ミー」のほうが、より深く心に刻まれたというだけのことです。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-12016343231.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Apr 2015 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>もうすぐ最終回</title>
<description>
<![CDATA[ 　GレコもBFトライも、物語の終盤に向けてラストスパートがかかっているようです。<br><br>　Gレコのほうはこれまで説明不足とかわかりにくいなどとも言われてきましたが、ベルリ達の旅が空間的に作品世界の一番端に当たるビーナスグロゥブまで行き着いたことで、リギルドセンチュリーの世界の全体像は、曲がりなりにも一通り描かれたことになります。これまで異世界的なガジェットや舞台装置が豊富に登場し、トワサンガやビーナスグロゥブの人々の群像劇や、地球から来た少年少女たちがそうした新たな世界に触れた時の反応も多数描かれてきましたが、そうした物語全体をどう“解釈”するか、どういう“意味”において捉えるか、という物語製作者からの俯瞰像の提示は、相変わらずこの作品では意識的に省かれています。材料は提示した、あとは「君の目で確かめろ」（放送開始時の番組宣伝キャッチコピー）、といったスタンスは変わっていません。<br>　これまでに提示されたリギルドセンチュリー世界の全体像を見ると、現実の何かにメタフォリカルななぞらえ方をしたくなる誘惑に駆られることがあります。わかりやすいなぞらえ方としては、地球とビーナスグロゥブの関係を、先の震災前後における東京と福島の関係に比定することが可能でしょうし、エネルギー調達という関係から別の観点を取れば、地球が日本を含む先進国で、ビーナスグロゥブやトワサンガは中東産油国などの資源輸出国・地域に似ているようでもあります。また技術レベルとそこに住む人間の“健康”さが反比例関係にあるような描き方を見ると、逆にビーナスグロゥブのほうが日本を含む先進国で、地球は紛争の絶えない途上国・地域に相当するという捉え方も出来そうです。<br>　いずれにせよ、こうした現実との比較・比定には恐らく“正解”などというものはなく、どんな形であれ視聴者が作品を通して自分なりに考えることこそが重要なのでしょう。<br><br>　一方のビルドファイターズトライのほうはいよいよガンプラバトル大会の決勝に近づいてきました。この作品に対しては以前から、前作のビルドファイターズに比べてガンプラ要素が希薄だという意見をよく見かけており、特に主人公のセカイがバトルには興味があってもガンプラやガンダム自体にはそんなに興味を抱いていなさそうに見えるところが、その特徴の現れとしてよく挙げられています。<br>　ガンプラ要素の希薄化については、話が進むうちに私もそう思うようになってきましたが、私はBFトライで希薄になっているのはガンプラの「プラ」要素よりもむしろ「ガン」要素、つまりガンダムシリーズのセルフパロディ作品としての性格のほうではないかと思っています。もちろん「ガンプラ」バトルを舞台にした作品であるには違いないのですが、主要キャラの使用するガンプラの多くが、あまり元ネタのモビルスーツとは似ていないオリジナル要素の強いものであったり、話の本筋以外のちょっとしたところに挟み込まれる過去作品パロディの要素が今作ではかなり抑えられているところが、私にとっては象徴的に感じられます。前作だと、例えば催眠術にかかったセイがファーストガンダムのアムロの台詞を延々と喋り続けたり（しかもセイの顔が安彦タッチに変化している）、セイが見た父親との再会の夢の背景がサイド６のテムのジャンク屋だったりといったお遊びがところどころに出てきましたが、今作ではガンダム要素を抑えてでもホビーバトル要素を強く押し出す方向性にシフトしているように見受けられ、もしかしてガンプラで培った技術をガンダム以外の方向に活用していくための方法論を少しずつ模索するという密かな企画意図がBFトライにはあるのかな、などとも想像してしまいます。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11998256477.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Mar 2015 22:20:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>君に届けテレパスィ～</title>
<description>
<![CDATA[ 　先日、部屋の片隅のマウンテンサイクルから『To Heart』初代アニメ版を録画したVHSテープが発掘されまして、なんとも懐かしい気分になったのでさっそく見返し……と思いきや、そこから「そういやまだ続編見たことなかったなあ」と思い至り、To Heartアニメの続編「To Heart ～ Remember my Memories」のほうを見始めてみました。<br>　が。<br>　キャラクターデザインが前作の千羽由利子アレンジに比べてより原作ゲーム準拠になっていたり、佐藤雅史の声（保志総一朗）が前作よりやや低めになっていること（放送時期的になんだか今にも「フリーダム、行きます！」って言いそうな感じ）にちょっと違和感を覚えつつ、まあ慣れればこれはこれでそんなものか、とも思えるのですが、そもそもこの続編は前作とは企画の方向性全体が根本的に異なっていたようで、<br>「えーToHeartアニメってこんなんだっけ？」<br>　……ということで、続編の方は中断して結局初代のほうを見返しておりました。別に“続編アンチ”というほどのものでもないのですが、やはり私には初代のほうが性に合っていたようです。ごめんよTHR、そのうち気が向いたら続きを見るからさ。<br><br>　合わせて、比較的最近に書かれた初代THアニメの感想・考察もいろいろ見ておりました。<br><br>○ <a href="http://lipcre.sakura.ne.jp/12/toheart.htm">To Heart（1999年アニメ）</a><br>○ <a href="http://togetter.com/li/7063">高橋ナオヒト版「To Heart」を語る野郎共(２０１０年２月２５日) - Togetterまとめ</a><br><br>　ふむふむ。浩之ちゃんとあかりの得意／苦手科目の違いが性格描写につながっていたところは気付きませんでした。また「本作ではBGMを使用するシーンが少ない」というので、その点に注意しながら改めて第4話を見てみたら、全編で最もアクション強度の高い葵対坂下の試合シーンで、試合終了までまったくBGMが入っていませんでした。「絵で見せる」自信と覚悟がないとなかなか出来ない思いきった演出でしょうが、ともあれ前に見た時にはこの点に全然注意を払っていませんでした。うーむ、昔の俺はまだまだ見方が甘かったようだ。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11990772905.html</link>
<pubDate>Mon, 16 Feb 2015 21:17:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ガンダムのフリット離れ？</title>
<description>
<![CDATA[ 「きのこ派は殲滅する！」<br>「モウヤメヨウヨじいちゃん！」<br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150214/20/netachaos/27/7e/j/o0480030413218087272.jpg" alt="" border="0"><br><br>　……別にバレンタインデーだからチョコ菓子をネタにしたというわけでもないのですが。ちなみにAGE-FXもフルグランサも２月のガンプラの再出荷予定に入っているようです。<br><br><br>　さて、先日のAGE-3の話に続いて、AGE-FXについてもちょっと。<br>　AGE-3の後継機の名前がAGE-4ではなくAGE-FXなのは、三世代めのキオが引き続き乗るからというのが主な理由なのでしょうが、AGE-FXの開発がロディ・マッドーナ主導で行われていてフリットは直接開発に関わっていない（と思われる）からだという要因もあるように思います。AGE-FXもフリットが考案したAGEビルダーを使って設計・製造されている点ではAGE-3までのガンダムと共通していますが、直接開発に関わる人間が変われば、結果的に出来上がる機体の性格もそれなりに違ってくるでしょう。作中でもキオ編の序盤で、フリットの指示によりAGEビルダーの「推論設計機構」の設定を変更して、安全性に問題のある新装備（ブラスティアキャノン）を無理やり開発するという展開がありましたし、全自動で新装備を設計構築するといっても、実際にどういう方向性での新開発を目指すのかはAGEビルダーを操作する人間の意向によってある程度コントロールすることができるのでしょう。<br>　もともとAGEシリーズのガンダムを開発していたフリットは、かつては連邦軍を率いる有能な指揮官ぶりを見せていましたが、第一線から身を引いてしばらく経った後、キオとともに再び連邦軍に戻ってきた時には、現行世代のセリック・アビスやアルグレアス達との間に、以前の周囲との関係では感じられなかった距離感や意思決定の齟齬が少しずつ見えてきました（視聴者から「老害」なんて言われたこともありますな）。キオも最初こそフリットじいちゃんに言われた通りにAGE-3で戦っていましたが、やがてフリットとは完全に戦争に対する考え方を違えるようになり、その違いが始めて全面に現れたのが、他ならぬAGE-FXの初陣のシーンでした。<br>　ガンダムがAGE-1以降の世代ナンバー機（？）から非ナンバー機に移行したことは、この戦争を巡る主人公サイドの“大義”のあり方がフリットの信念に即していたところからだんだん離れていき、それに連れてガンダムもまたフリットとは異なる（後世代の）人間の手で作られ、異なる信念を持つ（後世代）人間の手で操られるようになった流れを、象徴しているようにも感じられます。若者の○○離れならぬガンダムのフリット離れ、とでも言いましょうか。<br>　ちなみに他のAGEシリーズガンダムを見ると、アセムの乗っていたAGE-2は、海賊となった後にはAGEシステムに由来しない独自改修を受けてダークハウンドとなっており、こちらもまたフリットとは離れた独自の道を行くようになったアセムを象徴しているのかもしれません。そしてフリット自身は最後まで強化したAGE-1に乗り続け、こちらは武装や装甲こそ強化していますが基本的には当初のAGE-1ノーマルの姿をほぼ維持しています（追加装甲をパージすると元のAGE-1の姿に戻る）。最後のギリギリまで信念を変えることの無かったフリットに似つかわしい機体だと言えるでしょう。AGE-1の基礎設計がAGEシリーズガンダムの中で唯一AGEシステム由来ではなく、ヴェイガンの攻撃で死んだ母マリナ・アスノから受け継いだものである（つまり過去の犠牲者の記憶を直接背負った機体である）というのも、フリットが生涯変わらず抱き続けた信念を考え合わせると何やら象徴的です。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11989890806.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Feb 2015 20:41:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>過渡期的存在としてのAGE-3</title>
<description>
<![CDATA[ 　前の事務所との間でいろいろあったらしいという噂もちらほら流れていた<a href="http://ameblo.jp/misawa-sachika/entry-11988044222.html">三澤紗千香さんがスペースクラフトに移籍された</a>とのことで、これから同じスペクラの上坂すみれさん(嫁)との百合営業が捗りますね！w　そのうち二人合わせてビルドファイターズ三期あたりに出演してくれないかしら。<br><br><br>　まあそんな冗談はともかく、最近<a href="https://www.youtube.com/watch?v=bfbCZid600c">アーケードゲームの「機動戦士ガンダム EXTREME VS.マキシブースト」に新機体としてガンダムAGE-3が新登場して</a>、異常に強いということでちょっと話題になっています（扱いにくいという意見もあるようですが）。私はこのゲームをやっていないのですが、AGE放送終了以来久々にAGE-3が大きな話題になっていることにちょっとびっくりしました。<br>『ガンダムAGE』の作中に登場するガンダムは、敵機体のレギルスを除いて基本的にはAGEシステムによってだんだん“進化”していくというコンセプトの下に構想されています。三世代目のAGE-3はそれまでの機体（AGE-1、AGE-2）に比べて非常に大柄でマッシブな印象が強まり、“進化”の結果出力も武装も肥大化していったというビジュアル面での納得感がありました。<br>　ただし、ガンダムの進化はこのAGE-3がまだ最終形ではなく、同じキオ・アスノが乗る機体として後に登場するAGE-FXが、結果的にガンダムの最終進化形ということになります。しかも、それまでのガンダムの世代単位での進化（AGE-1 → AGE-2 → AGE-3）が過去の機体とは別に新機体を製造する形で行われているのに対し、AGE-FXは大破したAGE-3の機体を直接改修して製作されたため、AGE-FXが出現した時点でAGE-3は作中世界から無くなっています。そのため、三世代編以降にフリット、アセム、キオの三世代のガンダムが並び立つ構図（三世代編OP映像のラストカット等）では、AGE-1、AGE-2、AGE-FXが並ぶことになり、AGE-3は最終的に作中世界から消えて無くなってしまいました。<br>　キオ編スタートと共に登場した時のAGE-3は、それまでの過去世代ガンダムとは雰囲気の違うスーパーロボット的な派手な活躍で視聴者の目を引きましたが、AGE-3時代のキオの物語自体は明確に“過渡期”的な位置付けとなっており、作中のAGE-3もそれに連れて過渡期的な存在となっています。当初のキオはフリットじいちゃんに教えられた通りに才能を生かしてヴェイガンと戦うだけでしたが、やがて戦争における諸相を自分自身で体験し、やがてフリットと袂を分かつようになります。<br>　AGE-3はそんな「変わる前のキオ」に即した存在であり、大出力と高火力を武器にしてヴェイガン地球侵攻部隊を相手に派手な立ち回りを見せたAGE-3ノーマルも、さらに火力を上乗せして圧倒的な破壊力を見せつけたAGE-3フォートレスも、フリットのヴェイガン殲滅の信念を疑うことなく継承しつつあったキオの“力”を作中で象徴していました。その一方でフォートレス搭乗の頃から、キオの物語には単純にヴェイガンを敵として排除するだけでは割り切れなくなる、キオ自身の迷いの契機が生まれ始めており、パワフルなフォートレスの活躍が“裏切り者”シャナルアのエピソードとほぼ並行しているのも、単純に「AGE-3＝キオ」の力が増すだけでは問題は解決しないという、ストーリー構成上の暗示のようでもあります。その後に登場したAGE-3オービタルは、セカンドムーンに囚われていた時の体験とそれに基づくキオの決定的な変化とタイミングを同じくしており、モビルスーツの活躍という点では何とも精彩を欠いていました。<br>　こうしてキオの決定的な変化と共に、AGE-3もAGE-FXモウヤメヨウヨという新たな形に変化して（モウヤメヨウヨは余計）、かつてじいちゃんに言われるままに力強く戦っていたキオを象徴していたAGE-3は、物語上からも消えて無くなってしまうのです。魅力的なデザインとギミックのAGE-3ですが、物語上の意味づけという点からはいずれ消え去る運命にあったということなのでしょう。<br><br><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150211/20/netachaos/4a/b3/j/o0360023913215184145.jpg" alt="" border="0"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20150211/20/netachaos/9c/a3/j/o0360020613215184146.jpg" alt="" border="0"><br>　去年作ったHG AGE-3オービタル（作中でほとんど出てこなかった分離形態）。ガンプラのほうは他のAGE系ガンプラ同様によく出来ていてかつ作りやすく、マッシブでなかなかかっこいいんですが、これに乗っていた時のキオは人生で一番の迷いの中にいたからなぁ……。オービタルといえば個人的には、セカンドムーン脱出時のシーン（ルウちゃん未来日記が読まれていた時のシーンね）が一番印象に残っています。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11988619448.html</link>
<pubDate>Wed, 11 Feb 2015 20:24:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>運命の赤い瞳</title>
<description>
<![CDATA[ 　ニコニコ動画上の同人二次創作ですが、以前から楽しみにしていた「運命の赤い瞳」がとうとう完結しました。<br><br><script type="text/javascript" src="https://ext.nicovideo.jp/thumb_watch/sm13540659?w=320&amp;h=240"></script><br><br>『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』と「東方Project」のキャラクター・世界観をクロスオーバーさせて、前者のキャラクターが後者の世界観に入り込むという設定で話が進行する、いわゆる「幻想入り」と呼ばれるストーリーものの動画ジャンルの一つです。シン・アスカを始めとするSEED DESTINYのキャラクターについて、原作品のイメージを生かしつつ上手く“その後”の彼等が描かれています。原作品の中でシンにもっとポジティブに活躍してほしかったと思っている人にとっては、なかなか面白い作品になっているのではないでしょうか。ただ、他の「幻想入り」動画にもしばしば共通することですが、「東方」側のキャラクターがほぼ女の子だけで構成されているため、この作品でもややハーレム臭が強くなっているところは否めません。<br>　動画自体の連載（？）は４年前から始まっていますが、私は２年前、SEEDのSDリマスター放送が終わった頃にこの作品を見始めました。もともと私はSEEDも続編のDESTINYもリアルタイムでは見ておらず、SEEDについてはSDリマスター放送が初見、DESTINYもその放送終了後に一気に見たので、比較的記憶が新しい状態でこの「運命の赤い瞳」を見ています。リアルタイムでDESTINYを見ていた人は、私とはまた異なる感慨を覚えるかもしれません。<br><br><br>　動画の話題とはちょっと外れますが。<br>　最近出た仮面ライダー本の一つ（『語ろう！ 555・剣・響鬼』）にシン役の鈴村健一さんのインタビュー記事があり、もちろん内容は仮面ライダー剣やその他のライダー作品についてが主なのですが、シン・アスカについてもその中で少し触れられていました。曰く、『SEED DESTINY』という作品については納得のいかない部分もあるけれど、シン・アスカというキャラクターについては鈴村さん自身も大変に気に入っていて（『仮面ライダー555』の草加雅人とも共通する部分があるとの事）、「敵役だから」という記号的な嫌い方ではなく、しっかりキャラクターを見た上でシンが視聴者に嫌われるのであればむしろ本望だとも語っていました。実際、DESTINY放送当時には、キラやアスランの熱心なファンからのシンの嫌われ方はなかなか激しいものがあったとも聞き及んでおります。<br>　私自身はDESTINYのシンを見ていて、決してストレートに好感を持てるキャラクターではないにせよ、物語冒頭からの全体の経緯を見るとむしろ「かわいそうな少年」という印象のほうが強いように感じました。戦火の中で家族全員を失ったところから始まった「大切な人々を守る力が欲しい」という一途な思いが、置かれた状況の皮肉によって、かえって彼自身の思いとは反対の方向に彼をどんどん押しやってしまうという悲劇の主人公として、シンは物語の中核に確かにい続けていました。よくDESTINYでのシンの扱いが“主人公交代”だと言われたりもしますが（私も冗談で言うことはありますが）、私はシン・アスカが主人公でなくなったことは一度もないと思っており、ただガンダム（やその他のロボットアニメ）では「最後に敗れ去る主人公」などという存在がかなり例外的なので、「彼をどう捉えたらいいのか」がなかなかつかみにくいのかもしれません。<br>（このあたり、最近話題になっている「Gレコはわかりにくい」「Gレコはどのように見たらいいのか」という話ともちょっと共通しているような気がします）<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11987420265.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Feb 2015 22:03:45 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>わかりにくくても、見る！</title>
<description>
<![CDATA[ 　ひとつ前の投稿で「Gレコはわかりにくい？」という話を書いた。<br>　一方、Gレコの面白さの半分くらいもまた、実はこの「わかりにくさ」で出来ているんだと思う。<br>　先の自分の文章を援用するなら、「世界観の外枠によって外在的に、あるいは個人的な信念や目的によって内在的に、物語中の主人公たちの行動の一貫性・整合性が担保されてい」ないからこそ、展開の先が見えなくて、次に何が起こるか分からないスリルがある。<br>　念のために言っておくと、これは行動に脈絡がないと言っているのではない。それぞれの人物には一応それぞれのスタイルがある。ただしあくまでも性格的なスタイルであって、通時的に適用される行動原理ではない。例えば、ベルリは基本的に自分の好奇心や感情の赴くままにどんどん先に突っ走っていくタイプで、これはデレンセン教官の死や、思いがけぬ自分の出自（そして憧れのアイーダさんが実の姉だったこと）の発覚といった、物語中に現れる蹉跌を踏まえつつも、行動のスタイルとしては変わっていない。ただ、そのスタイルが具体的な行動に現れた時には、地球上の様々な場所からザンクトポルトを経てトワサンガに至るまでに直面した様々な局面に応じて、その都度の状況に応じた違う形を取るので、その通時的な現れに注目すると「いったい彼はなにがしたいんだ」と思われてしまうんだろう。何しろベルリは、何か遠大な大目標（ニュータイプによる人の革新とか武力による紛争根絶とかヴェイガン殲滅とかガンプラバトル大会で勝つとか）があって、それに向けた最適な行動を選択するなどということをまったくしていない。<br>　ベルリだけでなくアイーダもいまいち目的がはっきりしていないし、マスクも最初は「クンタラの名誉のために」と言いながら、現実には何となくクンパ大佐の命を受けながらクリムやベルリやトワサンガ勢（ドレット軍）と戦ったり協力したりまた戦ったり、行き当たりばったりの行動に終始しているように見える。そりゃマニィちゃんも不安になるでしょうよ。<br>　基本的にこの作品の人間はだいたい近視眼的な連中ばかりで、大局を見て全体を俯瞰する人なんて出てこない（クンパ大佐だけは何か考えているかもしれないけど、今のところはまだ明らかになっていない）。性格的なスタイルは一貫していても、外面に現れ出る行動はだいたい直前の何かに対する反応や思い込みに基づく先走りだったりして、周囲の全体を俯瞰的に見渡しつつ長期的な戦略や思惑に沿って着々と布石を打っていくような行動はついぞ見受けられないし、複数の人間の思惑が予定調和的に整合した全体状況をかたちづくってくれることもない。<br><br>　これだけ揃えば、物語の全体像が見通せなくてごちゃごちゃしているような印象を与えることは否めない。<br>　でも、こうした先の見えなさをガンダム版“弥次喜多同中”のようなものだと捉えていけば、この先の見えなさが一転して、何が飛び出すかわからないびっくり箱のような面白さにつながるんじゃないかと思う。何しろキャラクターは誰も俯瞰的に世界を見ていないし、ナレーションがその代わりをしてくれるわけでもない。視聴者もまた、作中キャラクターの口からこの世界の全体像を“説明”されることもなく、この世界の真っ只中に放り込まれた当事者として、ベルリやアイーダにつき合って先の見えない旅を一緒に続けるしかないのだ。このリギルドセンチュリーを巡る旅の風景に魅力を感じる人なら、一挙に世界の全体像を説明されるよりも、むしろベルリたちと一緒に冒険の旅をしていくペースにたまらない魅力を覚えるのではないだろうか。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11984930223.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Feb 2015 23:31:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>Gレコはわかりにくい？</title>
<description>
<![CDATA[ 　主にTwitterで書いたことを再編集しつつ。<br><br>○ <a href="http://togetter.com/li/775141">あさり　よしとお氏”Ｇレコの何が良くて何が駄目か、ちゃんと言えるライターや評論家はどんだけいるのかな？”</a><br>○ <a href="http://togetter.com/li/775985">「初代ガンダムは分かりやすかった」なんて嘘っぱち？　当時のアニメ雑誌記事より</a><br><br>　このあたりを中心にして、「（ファーストと比べて）Gレコはわかりにくい」「いやいやファーストだって」等々のGレコ批判論争（？）が先日盛り上がっていた。<br>　Gレコが台詞で状況説明しすぎているという見方はなんとなくわかる。しかもその中にミスリードを誘っているような言い回しや意図的なコミュニケーション齟齬を挟み込んでくるから、なおさらわかりづらくなっているとは思う。穿った見方をするならば、「もうこれが最後の機会だろうから、この作品ですべてを言い切らないと」という焦りが出ているのかな、という想像も出来なくはない。ただ、そういうわかり難さを自分なりに解きほぐしていく快感というのも物語の楽しみ方の中にはあるわけで、俺にとってGレコはそのへんのツボを上手いこと突いてくるなあ、という個人的印象はある。<br><br>　話がわかりにくいと言われるGレコだけど、話の骨格だけを取り出すと、少年少女が世界の謎を追ってどんどん遠くまで旅に行く冒険譚に当たるんじゃないかと思う。そうなると比較すべきは他のガンダム作品とかじゃなくて、『宝島』やそのオマージュ作品の『か巨神ゴーグ』あたりなのかもしれない。<br>　例えば『宝島』のジム少年。彼もまた好奇心旺盛で、海賊フリントの財宝を探す冒険に勇躍乗り出していく。だが同時に、このベルリとの共通点とも思える部分が同時に相違点でもある。ジムには海賊フリントの財宝という明確で一貫した行動目的があった。ベルリには新しい世界・新しい体験に向かって積極的に乗り出していこうとする漠然としたモチベーションはあるものの、明確にこれと示せる行動目的はない。アイーダのほうも似たようなもので、一見積極的にメガファウナの行くべき先を指し示してはいるものの、それで最終的には何がしたいのか、何をどうする目的で月やいろんなところに行きたがるのか、という点が明らかになっていないし、そもそもアイーダ本人にもたぶんわかっていない。<br>　ついでに過去ガンダムとも比べると、アムロもやはり個人的に明確な行動理念や行動目的を一貫して持っていたわけではない。ただあちらは世界観の大枠として地球連邦対ジオンの戦争状態があり、そこに図らずも当事者として関わることになってしまったアムロやホワイトベースの少年少女がどう生き抜いていくのか、という軸がある（「君は生き延びることができるか」というやつね）。内在的な行動理念が無くとも、外枠として戦争状態のタガがはめられてしまっているので、その外的な状況・制約条件がアムロの行動に一応の一貫性を持たせていたことになる。一方のGレコではその種の外枠もかなり緩いので、見る側はますます「ベルリはいったいどっちに向かっているんだ」となる。<br>　つまり、世界観の外枠によって外在的に、あるいは個人的な信念や目的によって内在的に、物語中の主人公たちの行動の一貫性・整合性が担保されているか……というところにわかりやすさを求めるなら、確かにGレコはひっじょーにわかりにくい作品だと思う。<br><br>　この点の「わかりにくさ」の所在を作中で示している象徴的な存在として、意外とマニィが挙げられるように思う。彼女はルイン先輩を追いかけてキャピタルアーミィに入隊し、その後マスクとなったルインと再会した時に、クンタラの名誉をかけて戦い続けるという彼の決意表明に強く共感している。それ以後、マニィがマスクを見る目は基本的にこの決意表明の文脈に沿っているため、バララと妙に仲良くし過ぎている（ようにマニィの目に映る）時や、彼の口からドレッド将軍暗殺という案が飛び出た時などに、マニィはマスクに対する違和感を露わにするようになる。クンタラの名誉をかけて命をかける戦士というイメージが、ルイン／マスクに対するマニィの感情・印象の“文脈”を形づくっているため、そこから外れた（“文脈”と整合しない）ようなマスクの言動が見られるたびに、マニィにとってマスクはだんだん「わかりにくい」人になっていきつつあるのではないだろうか。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11984124968.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Jan 2015 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>艦これアニメ４話</title>
<description>
<![CDATA[ （Twitterより編集再録）<br><br>　やっと艦これアニメ４話を見た。なーるほど、あの３話からこういう方向に落としてきたのね。けっこう評価分かれてるみたいだけど、「戦友の死をどう乗り越えるか」という骨子の見せ方としてはなかなか上手いんじゃないかと俺は思った。<br>　まあコメディパートの金剛組がちょっとくど過ぎたようなところはあるけれど、あれはシリアスパートの睦月と一見かけ離れているように見えて、実は「死と隣り合わせの運命にどう向き合っていくか」ということを、言葉ではなくスタイルとして吹雪に見せたということなんだろう。3話の前段でも既に軽く触れられていたけど、いつ自分や仲間がいなくなるかわからない運命だからこそ、四六時中悩んだり落ち込んだりしても始まらない、ただ必要な時に全力で愛情を注げばいい（ハグであれ仲間のカバーであれ）、仲間の喪失はその中で受け入れていくしかないんだ……という感じか。一見おちゃらけた話に見えるけど（実際おちゃらけた描き方なんだけど）、パーツ単位ではなく話を通して見るなら、割とシビアな世界観というか艦娘人生の死生観が底流にあった上でのあの４話なんじゃないかな、という感じはした。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11984126360.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Jan 2015 23:00:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「あ、あえて言わせてもらおう……ガンプラは自由だ！」</title>
<description>
<![CDATA[ 　あのメイジンすら一瞬引かせてしまう三体合体スーパーロボット「トライオン３」、そして版権の都合上不可能だと思われていたガンダムAGEからまさかのヴェイガンギア参戦！ これまで楽しみつつも（一部の例外を除いて）どこかいまいち乗り切れないところがあった『ガンダムビルドファイターズトライ』ですが、今日放送＆配信の第16話「華麗なるシア」はひたすら楽しさいっぱい夢いっぱいで無条件に楽しめる回でした。<br>　とにかくもうトライオン３のやり過ぎ感が素晴らしい！ 何だかんだ言って、トライの前半はちょっと真面目に作り過ぎだったのかもしれませんねー。こういうのでいいのよこういうのがいいのよこういうのもっとやろうよ。しかもこのトライオン３、ちゃんとHGガンプラでリリースさせる予定なのだそうで、「バンダイ驚異のメカニズム」たるガンプラの精度で三体合体スーパーロボットが立体化するとなると、含み笑いが止まりません。<br>　トライオン３の良さはこれだけじゃなくて、サカイ・ミナトのキャラ造型にも直結しているところがポイントだと思います。今までミナト君は序盤での狭量で嫌味な印象が強すぎて、中盤からの親しみやすいキャラへの変化にもいまいち乗り切れずにいたのですが、今回で完全に印象が上書きされました。今のところ個人的にBFトライのベストエピソードだと思っている第７話「素組みのシモン」の時のような、ひと波乱乗り越えてつながる強い絆が、トライオン３＝心形流の強さとして直結した形で描かれているため、バトルが終わった時に素直に拍手を送りたくなるような気分になるのです。<br><br>　そしてもう一つの目玉であるヴェイガンギアK。なんかTwitter上の感想を見ると、シアの新機体「Gポータント」のためのかませに使われたところが引っかかっている人も多いようですが、もともとビルドファイターズって、話の構造上どの作品からも満遍なくやられメカ・かませメカが出てくる仕様みたいなものですし、シアの新機体相手にあれだけたっぷり見せ場があれば、やられメカ担当としてはむしろ優遇と言っていいのではないでしょうか。<br>　このヴェイガンギア登場については、放送後に小川プロデューサーがこのような裏話ツイートを書いていました。<br><br><blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>ビルドファイターズトライ16話がテレビ東京系列で放送され20時からは公式サイト等で無料配信も開始。トライオン3やGポータント、百鬼丸など見所満載でお届けしましたが個人的にはやはり「ヴェイガンギア・K」。杉田さん演じるカリマ・ケイに如何なる機体を使用させるかは…(続く) <a href="https://twitter.com/hashtag/g_bf?src=hash">#g_bf</a></p>— 小川 正和 (@mkaz0310) <a href="https://twitter.com/mkaz0310/status/560422517634891777">2015, 1月 28</a></blockquote><br><br><blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>ビルドファイターズトライ関連続き。カリマ・ケイの使用機体をどうするか。これに関してはシナリオ会議で色々と案が出ました。レグナントやザムザザー等々。ただシアの機体が00系であることなども考慮し版権的にはまだ…でありましたが思い切ってのヴェイガン・ギア投入となりました。 <a href="https://twitter.com/hashtag/g_bf?src=hash">#g_bf</a></p>— 小川 正和 (@mkaz0310) <a href="https://twitter.com/mkaz0310/status/560424061415587840">2015, 1月 28</a></blockquote><br><br><blockquote class="twitter-tweet" lang="ja"><p>今回AGE登場のヴェイガン・ギアの使用は関係各所の協力と了解を得て実現した形です。ちなみにOPにカリマ・ケイがいないのは全国大会のライバルたちを機体と一緒に出す方式では版権的に諸々難しかったためです。キャラとしてスタッフにも愛されていますので惜しいことでした。 <a href="https://twitter.com/hashtag/g_bf?src=hash">#g_bf</a></p>— 小川 正和 (@mkaz0310) <a href="https://twitter.com/mkaz0310/status/560426765495959553">2015, 1月 28</a></blockquote><br><br>　ということは今後継続してAGE勢投入というわけにはいかないのかな……。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netachaos/entry-11982853151.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Jan 2015 23:27:51 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
