<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>NetWt　40ｇ</title>
<link>https://ameblo.jp/netwt-40g/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/netwt-40g/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>NetWt 40g</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>長文</title>
<description>
<![CDATA[ 大沼と白蛇伝説<br><br>今から凡そ４００年ほど前、須賀広・野原と小江川地区は、徳川幕府の旗本（後に大名）稲垣若狭守の所領でした。<br>若狭守は家臣田村茂兵衝に命じて、現在の南小学校の東あたりに陣屋を築かせ、この地方を治めさせていました。<br>大沼はこの頃、天水だけに頼っていた稲作を旱害から救うため、若狭守が田村茂兵衛に命じて作らせたため池といわれています。<br>また一方で陣屋の周囲をとり巻く濠に水を引き入れ用水としたようです。<br>今では沼の近くまで住宅ができていますが、７０年前の大正末期のころは、南の一方だけが田に面し、三方は人家もなく深い山林に囲まれ、静寂な環境でした。<br>まわりの山林から泌み出す清水はいつも池を満たし、澄みきっていて池底を泳ぐ魚がよく見える程でした。<br>この大沼の中央に小島があって、数本の老松が池の上に枝を拡げ、島のまわりは篠竹が茂り、とり囲んでいました。<br>中央の松の根元に、いつの時代に建てられたかわからない、古びた瓦葺きの祠（ほこら）があり、弁天様が祀られていました。<br>岸から見ると、祠の屋根には瓦が落ち丸い穴があいていましたが、この穴は弁天様のお使いである大蛇が出入りする穴だと言い伝えられていました。<br>プールのなかった当時、大沼は子供たちにとって、絶好の水泳場で、泳ぎの達者な者は堤の所から弁天様まで泳いで行った人もありました。<br>弁天様のまわりを息つぎしないで三回廻ると、白蛇が現れると昔からの言い伝えがあったので、試みた人も多かったようですが、三周は何としても長い距離なので、成功した人はいなかったらしく、白蛇を実際に見た人はいなかったようです。<br>昭和７年から８年にかけて、沼の底ざらいや堤防、弁天島及び祠の補修をした時大きな青大将はいましたが白蛇の姿 は見られなかったといいます。<br>弁天島に朱塗りの木橋が初めて架けられたのもこの時です。さらに、昭和４３年に堤防並びに田へ水を落とす樋の大改修が行われ、一段と整備され大沼公園と呼ばれました。<br>弁天島には、日本最古の青石培婆、嘉禄の板碑（１２２７年建立・現在は模造品）も建てられています。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netwt-40g/entry-10018866171.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Oct 2006 15:40:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>中文</title>
<description>
<![CDATA[ ひだりじんごろうのりゅうのほりもの<br>『左甚五郎の竜の彫り物』<br>― 京都府 ―<br>再話　六渡　邦昭<br>提供　フジパン株式会社<br>今からざっと三百五十年ほどむかし。<br>丹後（たんご）の国（くに）、今の京都府の日本海に面したあたりにある宮津（みやづ）地方では、田植が終ったにもかかわらず、一粒の雨も降らなんだときがあったそうな。村人たちの間（あいだ）に、<br>「これはきっと竜神さまのたたりじゃ」<br>といううわさが広まったと。<br>そこで不安になった村人たちは、成相寺（なりあいじ）の和尚さんに雨乞（あまご）いのお祈りを頼んだと。<br>「今、この天（あま）の橋立（はしだて）に日本一の彫（ほ）り物（もの）の名人が来ておる。その人に竜の彫り物を彫ってもらえば雨を呼ぶことが出来るであろう」<br>と、和尚さんは仏のお告げを村人たちに教えた。<br>村人たちが手分（てわ）けして探してみると、和尚さんの言う通り、左甚五郎（ひだりじんごろう）という彫り物名人が天の橋立の宿に泊っておった。<br>しかし、村人たちに竜の彫り物を頼まれた左甚五郎は、一度も本物の竜を見たことがなかったと。いいかげんなものを作るわけにはいかない左甚五郎は、成相寺の本堂（ほんどう）にこもり竜の姿を見せてくれるよう、仏さまに一心（いっしん）に願ったと。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netwt-40g/entry-10018866019.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Oct 2006 15:35:51 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>短文</title>
<description>
<![CDATA[ じゅうでんどんとひみのきつね<br>『十伝どんと日見の狐』<br>― 長崎県 ―<br>再話　六渡　邦昭<br>提供　フジパン株式会社<br>むかし、長崎県の山田というところに、十伝どんという男がおったと。<br>その頃、やっぱり長崎の日見の峠に、いたずらな狐が棲んでいて、ときどき人をだましていたそうな。<br>十伝どんは日見の峠の狐を懲らしめてやろうと思って、「焼きネズミのごちそうをする」、と使いをやると、狐は、生まれて初めてのごちそうだといって喜んでやって来た。<br>十伝どんの家のそばで、トロンときれいな女子に化けて家の戸を叩きよった。<br>十伝どんな、狐が化けて来ることなんぞ、とぉっくにお見透しなもんで、<br>「お前の化け方には抜けたところがある。ほれ、尻尾が見えとる」<br>と、こう、一発かましてやった。<br>女子に化けた狐は、あわてて尻を確めたと。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/netwt-40g/entry-10018865870.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Oct 2006 15:30:51 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
