旅順、大連、奉天  https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/ 三笠保存会の日露開戦100周年記念「旅順・大連・瀋陽(旧奉天)ツアー」に参加しました。下から順にご覧下さい。 ja-jp 旅順、大連、奉天 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000190944.html ======================旅順、大連、審陽ツアーについて、上から順にご覧下さい。一番下までいったら「前のページへ」をクリックして、次のページに進んで下さい。====================== 2004-11-26T22:33:16+09:00 初日 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000157741.html 平成16年11月3日から3泊4日のツアーです。主催は横須賀の三笠保存会、日露開戦100周年を機に開催されたツアーです。成田から大連へ3時間、日本海を超え、ふと下を見ると、なんと朝鮮半島が!ついに初めて目にする北朝鮮の国土か!?と思いきや、航路は北朝鮮を迂回して韓国上空を通過でした。一生に一度くらい北朝鮮を見てみたいところだったのでちょっとガッカリです…。日本海南部から韓国を横断、黄海に出てから北上し、遼東半島上空へ、そして機は大連国際空港に到着です。なお、飛行場には人民解放軍空軍のミグ戦闘機が並 2004-11-14T08:45:18+09:00 大連へ https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000161674.html 初日、大連着は夕方です。本日はたいした観光はありませんでしたが、ホテルまでの道中に大連港に立ち寄り、大連港を見下ろす港湾庁舎のような建物(戦前は満鉄の何かだったと言ってましたが「何」だったか忘れた…)に登って港を見下ろします。ここが大連港の客船埠頭。残念ながら数年前に改築され、当時の建物ではありませんが、ここが戦前は中国東北部(当時の満州、以後、面倒なので「満州」と記載します)への入り口、そして、戦後は満州からの引揚者が日本のへの引揚船に乗り込んだ歴史的な場所です。 2004-11-14T08:40:18+09:00 大連2 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000163755.html 屋上から大連港と遠くの大連造船所を眺めていると、なにやら航空母艦のシルエットが…。「ついに中国海軍も空母を建造か?!」と思いガイドさんに聞いてみると、旧ソ連から"観光用"に購入した「ミンスク」の成れの果て、だそうです。もともとは香港の近くの深センに作られた「ミンスクワールド(明思克航母世界)」というテーマパークに置かれていたらしいんですが…、改装中なんでしょうか? 飛行甲板の艦首側のスキージャンプ台がシルエットではっきり見えました。 2004-11-14T08:30:36+09:00 2日目、ついに旅順へ… https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000163808.html 2日目の11月4日、大連市内から西に抜け、バスで遼東半島の南岸に沿ったルートを通って、ついに念願の「旅順」へ向かいます。詳しい地図が無くよくわかりませんでしたが、おそらく、旅順攻囲戦前の激戦地「剣山」の脇を抜け、さらに西(西南)に進み、大弧山、小弧山のふもとを抜け…、というルートだったはずなんですが、下からではどの山がどれなのか良くわからず…。…いよいよ、バスの車窓から旅順の外輪山が見えてきました。 2004-11-14T08:20:16+09:00 旅順要塞 東北正面 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000186569.html 画像の右側の山が東鶏冠山だと思われます。その向こう側に二龍山、松樹山と続き、旅順要塞の東北正面の主防御線を構成しています。見てわかるように、各山の斜面は緩やかですが、ふもとに至るまでは遮蔽物の無い開豁地であり、山上の堡塁に取り付く以前に周囲からの銃砲撃にさらされる地形です。第1回総攻撃の失敗以降、日本軍はこのような土地に延々と攻略用の接敵塹壕を掘り続け敵堡塁の間近まで接近し攻撃しました。 2004-11-14T08:18:16+09:00 東鶏冠山北堡塁 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000163832.html 東鶏冠山北堡塁は、平地から見上げるとすぐそこの丘の上、といったところにありました。しかし、その"すぐそこの上"まで辿り着くまでが地獄だったのでしょう。ふもとから見上げると、山頂(堡塁の真ん中あたり)に石碑が見えました。これがその碑です。日露戦後に、日本が建てた記念碑です。堡塁の裏手に資料館があり、まずはそこから見学。写真はそれほど珍しいものはありませんでした。展示物も大してありませんが、ロシア軍の速射砲の砲身や、日本軍の28センチ榴弾砲弾、その他周辺から掘り出した当時の遺物などがありました。 2004-11-14T08:05:51+09:00 28榴砲弾 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000163879.html 展示館の展示物です。撮影禁止だったそうですが、ついつい本能で撮ってしまいました。「堅鉄弾」の不発弾でしょうか? 弾尾の周囲に細い溝が多数切られていますが、発射の際に砲身からの「抜け」を良くするための整流効果のためなんでしょうか? 凝ったつくりです。信管は弾底に取り付けます。当時、この信管部分の強度不足により「堅鉄弾」には不発弾が多く、ロシア軍はそれを回収し、ちょうど寸法が合う小口径速射砲用の信管に付け替えて、自軍の28センチ臼砲から日本軍に撃ち返したそうです。それがまた不発弾になり、日本軍はその 2004-11-14T08:00:52+09:00 おまけ 那須の28榴 https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000188162.html 那須・戦争博物館に展示してある「28センチ榴弾砲」です。映画203高地などで使用された撮影用のレプリカですが、「ホンモノです!」と展示されています…。良く出来てます。実物大なので巨大です。 2004-11-14T07:58:52+09:00 もうひとつオマケ https://ameblo.jp/nihon-no-yosai/entry-10000188178.html 反対側の写真です。 2004-11-14T07:57:52+09:00