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<title>にこひとの空とラン鉄三昧</title>
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<description>はじめまして!このブログでは、私の3大趣味である、飛行機、鉄道、ランニングを取り挙げます。それぞれのトピックのみならず、飛行機と鉄道、鉄道とランニング、そして3つすべてをコラボした内容をどんどん投稿していきたいと思っております。どうぞご期待ください！</description>
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<title>「東京急行電鉄8500形」と「営団地下鉄8000形」1982~1983年頃の記憶</title>
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<![CDATA[ <p>　本日、10月15日に発売された「鉄道ダイヤ情報11月号」に東急8500形の特集が組まれていますが、ボリュームたっぷりで、この車両のファンにはたまらない内容です！（私は紙の劣化の心配ない電子書籍で買いました）</p><p>&nbsp;</p><p>　そこにスーパーベルズの野月さんとエアトレインの佐藤さんの対談があって、この車両に興味を持つようになったいきさつが語られていますが、その内容からお二方が初めて目の当たりにした時期は1980年代終盤～1990年代のようですね。私はそれ以前の6両編成→10両編成に向けての大量増備の時代に通学の足として利用してきたので、ちょっぴり優越感に浸っています（笑～それでも渋谷発が二子玉川園止まりの頃や玉電が存在していた時代を目の当たりにしている方にはかないませんが）。ここでは、私が記憶している1982年～1983年頃の「新玉川線」「つきみ野行き」「快速長津田行き」の時代を振り返り、東急8500形とともに活躍した営団8000形も取り挙げたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>　今でこそ東急8500形は昭和生まれの人気者となっていますが、当時は東急8500形は28編成～30編成在籍していたのに対し、乗り入れ相手の営団8000形は9編成で、そのうち昼間時に稼働する営団8000形は1～2運用だけのレア物だったので（東急8500形は昼間時15運用くらい）、ファンの間では「営団車」と呼ばれて人気がありました。当時は電車通学をしていたのは私を含めてクラスで1～2人くらいで、鉄道が好きな人から部活の朝練のときに「今日は営団車だった？」と聞かれたりしていました。（ちなみに、私が朝練がない日は毎日同じ時刻の電車に乗っていてそれは東急車でしたが、ファンの間では朝ラッシュ前の早朝の時間帯に営団車が比較的多いことは知られていました）</p><p>&nbsp;</p><p>　当時も東急8500は今と同様に爆音を立てながら走っていましたが、おかげで新玉川線（当時の渋谷～二子玉川園の路線名）は東京で1番早い「地下鉄」という印象を持たせたものです（当時の地下線内の最高速度は75km/h、今は90km/h）。それに加えて当時の営団8000も、VVVFに換装された今と違って負けず劣らず爆音を立てていました。VVVF換装前は電機子チョッパで、10年くらい前までJR中央線で活躍していた201系と同様、加速減速前の「ツーン」という音はもちろん、それ以上に目一杯加速した後のノッチオフ時の大きな「カキン」という音で衝撃がもろに来て「動きが機敏な電車」という印象でした。しかしそれ以上に印象が強かったのは内装で、まだ新製ホヤホヤの当時は床以外の化粧板の部分が真っ白で、ファンでなくても「明るくてきれいな電車」と評判でした。（10年近く経つとさすがに色褪せてきましたが）それに加えて、当時の営団車両の特徴だった小型のドア窓に、突然「バーン」と音を立てて開く「爆弾ドア」だったので、この「営団車」は、東急車とは違った形の爆音で楽しめた車両でした。（「爆弾ドア」は今も一部の編成で残っているが、当時と比べると音が幾分柔らかくなっている）</p><p>&nbsp;</p><p>　このように、営団8000形は「人気者」として扱われていましたが、東急車の方は6両編成→8両→10両となっていく過程で、オールステンレスならではの「全身ピカピカ」の車両が編成の中間に組み込まれたのが印象的で、私もいつも乗っていた車両から移って乗りに行ったものでした。化粧板の色やドアのステンレスは従来通りでしたが、床は透明なコーティングがされていてピカピカ感満載でした。のちに10両全車がピカピカの車両が1983年に3編成新製され（うち1編成は2019年9月頃に運用離脱）、学校から家に一旦帰った後、この折り返し運用にわざわざ乗りに行っていました。</p><p>&nbsp;</p><p>　当時のダイヤは今と違ってシンプルでのんびりとしたもので、昼間時の渋谷～長津田は1時間に各停6本快速2本の合計8本（現在は急行・準急を含めて合計で14本、二子玉川～長津田はさらに大井町線からの急行が2本加わって16本）、長津田～つきみ野（1984年4月に中央林間に延伸）に至っては快速なしで各停の4本のみで（現在は急行・準急を含めて合計14本）、現在の本数の半数以下でした。急行（快速も含めて長津田止まり）は設定されたばかりで、朝ラッシュ・夕ラッシュそれぞれ3往復の計6往復のみでした。当時は地下線内で急行運転するのは珍しく、今では当たり前となった桜新町での急行通過待ちは名物のようでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　沿線風景、特に長津田～つきみ野・中央林間は今と比べてのんびりしていて、長津田駅で出くわす横浜線の運転本数は昼間時1時間に4～5本（車両は103系の緑・青のつぎはぎの7両編成）、そして11月にグランベリーパークがオープンして大発展を遂げる南町田駅（10月1日に南町田グランベリーパーク駅に改称）は閑散としていて、今のグランベリーパークの敷地となっている土地は草野球のグラウンドでした。当時の終点だったつきみ野駅は、まだ運転本数が少なかったせいか、今の上りホームだけを使った単式1面の駅で、今も駅前はのんびりした感じが残っています。（駅前のロータリーから出る町田バスセンターゆきのバスは平日3往復、土休日2往復のみ！）そして今の終点の中央林間駅は小田急江ノ島線のみの駅で、急行が通過するオーソドックスな中間駅といった感じでした。桜新町が自宅の最寄り駅だった当時からすると（今の自宅から田園都市線内で最も近い駅はつきみ野）長津田より先は土地勘がないこともあって「最果て」みたいに感じたものでした。</p><p>&nbsp;</p><p>　このように、気づいたままに当時の情景を振り返りましたが、もう１つ想い出したのは、あの時都会やニュータウンばかり走っていた東急8500がどこかの田んぼの中を走っている夢を見たことで、それが2003年以降に実現するなんて思いもよりませんでした。（半蔵門線の水天宮前～押上の建設が決まったのは1993年頃）そして勿体なかったのは、当時フィルムカメラで撮った東急車や営団車、横浜線の車両の大量の写真を捨ててしまったことです。（悔しい！）もしあのときにデジカメがあったら、と何度も思ったりしています～。長くなりましたが、30年以上前の情景を少しでも共有していただけたらうれしいです！</p><p>&nbsp;</p><p>写真左：南町田グランベリーパーク～南町田を走る東京メトロ8000系</p><p>写真右：姫宮～東武動物公園を走る東急8500系</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191015/14/nikohito/b7/c7/j/o0433057714615198117.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="293" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191015/14/nikohito/b7/c7/j/o0433057714615198117.jpg" unselectable="on" width="220"></a><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20191015/14/nikohito/21/c9/j/o1418060414615192368.jpg"><img alt="" height="179" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20191015/14/nikohito/21/c9/j/o1418060414615192368.jpg" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/nikohito/entry-12535956845.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Oct 2019 23:34:40 +0900</pubDate>
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<title>｛鉄道＋ランニング｝ランニングとリクライニング</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190514/21/nikohito/4a/c5/j/o0374066714409939293.jpg"><img alt="" height="392" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190514/21/nikohito/4a/c5/j/o0374066714409939293.jpg" width="220"></a></p><p>先月、家族旅行で北陸新幹線のＥ７系に乗ったとき、この写真のようなリクライニング可能な普通車の座席に座った。デフォルト時にはこの直角に近い座席は、1991年に東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れた始めた頃にお目見えし、元々は3列側の座席が回転できなかった200系の座席を取り換えて、回転できるような仕様にするために直角に近い状態にしたのが始まりだった。この新しい200系の座席のデフォルト状態は、写真のＥ７系の座席以上に背もたれが前に寄っており、後ろから見ると前に少し傾いているように見えたことを記憶している。民営化して間もないころのＪＲ東日本の新しい特急列車の座席は、251系のスーパービュー踊り子と253系の成田エクスプレスの普通車にあったようなリクライニングしない仕様で、鉄道ファンの間では国鉄時代の悪い体質を引きずっていると批判されていたようだった。</p><p>さらにさかのぼると思い起されるのは、国鉄時代の急行型や近郊型の車両にみられた、あの青地の正真正銘の直角のボックスシートだった。なので私も含めて多くの鉄道好きの間では、民営化の証は特急型車両の普通車のフリーストップ式リクライニング化で、実際に251系・253系の後は、在来の急行型気動車の普通車も含めてリクライニング化はほぼ達成された。これで急行列車以上の普通車は体質改善され、より快適に移動できるようになったと思ったものだった。</p><p>しかし、いいことずくめと思われるリクライニングも、お尻を座面と背面の割れ目の部分にしっかりと付け、腰の部分を背面にしっかりと付けて座らないと腰に悪いのではないかと、ランニングを始めるようになってから考えるようになった。そう考えると、急行型の直角座席も、良い姿勢を保つのに効果的だからアリかなと思ったりしました。（ただし座面に関しては国鉄形のものばバネがバリバリ感じられたのでＸで、京急の新1000形のようなしっかりした座面が良いです）特にグリーン車では深く倒れる分、上半身を座席の背面で受け止める重さが増すので、中途半端に腰を浮かせた状態で座ってしまうと更に腰に負担がかかるので、ランナーの方が電車で会場まで移動する際、座面にお尻と背中をしっかりと付けて座るか、お尻だけを座面に付けて背中は浮かせた状態で座ることをお勧めしたい。</p><p>冗談ではあるが、ＪＲ東日本に今まで走っていた「水戸黄門漫遊マラソン」や「青梅マラソン」向けの臨時列車を毎年のように走らせるのであれば、ランナーに適した座席として、普通車は座面がしっかりしていてリクライニングはしない直角に近い座席で姿勢を良く保てるようにし、グリーン車は腰に負担がかからないようにフルフラットが可能な仕様にすれば腰の負担が減ってマラソン後の疲れを癒すのに効果的ではないかと考えてしまいました～。（ただし、新幹線のグランクラスの座席をフルフラットにできるようにしてほしいとは、現実的に思っています～）</p><p>あと、マラソン向けの臨時列車と言えば、YouTubeのスーツさんがアップしていた「青梅マラソン号」の動画を見て面白かったのは、使用した車両が廃車寸前の国鉄形の特急車両だったこともあって、車内はマラソンの参加者ではなく多くは鉄道ファンで占められていて、話題はマラソンのことではなくダイヤ改正のことばかりだったということです。私はこの列車に乗ったことも青梅マラソンに参加したこともないので何とも言えませんが、スーツさんが沿道に出て走っているランナーの応援をしていたのが微笑ましいと思いました。私だったら、半分は鉄道の話、半分はマラソンの話で車内を過ごしたいところですが、両方とも趣味にしている人はなかなかいないので、鉄道ファンの人を誘って鉄道の話題オンリーにしてマラソン本番の緊張感を和らげれ良いかなと思ったりしていました～。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nikohito/entry-12461358607.html</link>
<pubDate>Tue, 14 May 2019 23:22:49 +0900</pubDate>
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<title>（鉄道）「高輪ゲートウェイ」は大賛成！</title>
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<![CDATA[ <p>　ヤフーニュースで、「高輪ゲートウェイ」の名称を撤回して「高輪」駅にするよう、著名人を含むグループがＪＲに署名を提出したと報じられました。私はこの駅名がＪＲから発表された時に一瞬違和感を持ったが、よくよく考えてみると、現代の鉄道に新駅を設置する場合、「このくらいの名前の駅にしないとお客さんはここを目的地にしてくれないだろうな」と感じた。実際、東急田園都市線の「南町田」駅は今年の秋に再開発が完了すると「南町田グランベリーパーク」駅に改称されることになっており、今は土休日にしか停まらない急行電車が平日も含めて全電車が停まるという思い切った政策を打ち出しているが、なぜ東急電鉄は多大な費用と手間をかけて駅名を変えるのかというと、駅そのものを目的地にしてもらいたいから。そして駅前に立つ予定のタワマンを住む場所にしてもらいたいから。つくばエクスプレスに多くある長い名前の駅は、そこが魅力ある住宅地や公園だと思ってもらいたいから。</p><p>　そして長い駅名にするもう一つの大きな理由は、既存の駅と混同して欲しくないから。「南町田」の場合、以前は「グランベリーモール」という人気が高かったショッピングセンターが存在したが、そこを目指すはずが間違えて横浜線の「町田」駅で降りてしまうということが多かったらしい。おそらく新しい駅名に変われば、このようなことがかなり減ることが期待できるだろう。「流山」に対して「流山おおたかの森」があるし、「越谷」に対して「越谷レイクタウン」もある。仮に山手線・京浜東北線の駅名が「高輪」となった場合、近くに走っている都営浅草線の「高輪台」と勘違いする乗客が多いのではなかろうか。</p><p>　地図研究家の今尾氏は「駅名は地名から付けるのが基本」と主張しているが、まだ鉄道が単なる移動手段で、駅は最終目的地までの中継地点に過ぎなかった時代は地名から駅を名付けることは最も理にかなっていたでしょう。だが今は黙っているだけでは鉄道に乗ってもらえない時代で、ＳＬに乗ることが目的で山口線に乗りに行ったり、里山を走る列車や国鉄の古いディーゼルに乗ることが目的で小湊鉄道やいすみ鉄道に乗りに行きたくさせないと鉄道路線が維持できない。つまり、路線や駅そのものが需要を生み出し、そこを目的地にさせることを鉄道会社が目指す時代である。山手線や京浜東北線は、そんな政策を取らなくても乗客は嫌でも乗ってくれるから昔の考え方で駅の名前を付ければ良いと考えているのでしょうか。「高輪ゲートウェイ」は、昔ブルートレインを置いていた車庫を潰して、ただの駅としてではなく、交通および情報発信の拠点としたく大規模に整備してできる駅なのではないだろうか。そして、多くの乗客にこの駅を目的地にしてもらいたいのではないだろうか。「高輪ゲートウェイ」、大賛成です！</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190327/22/nikohito/83/95/j/o1732115414379993106.jpg" style="background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(0, 102, 204); font-family: &amp;quot;ヒラギノ角ゴ pro w3&amp;quot;,&amp;quot;hiragino kaku gothic pro&amp;quot;,&amp;quot;ｍｓ ｐゴシック&amp;quot;,&amp;quot;ms pgothic&amp;quot;,sans-serif,&amp;quot;メイリオ&amp;quot;,meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: underline; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;"><img alt="" contenteditable="inherit" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190327/22/nikohito/83/95/j/o1732115414379993106.jpg" style="background-color: rgb(255, 255, 255); border-bottom-color: rgb(0, 102, 204); border-bottom-style: none; border-bottom-width: 0px; border-image-outset: 0; border-image-repeat: stretch; border-image-slice: 100%; border-image-source: none; border-image-width: 1; border-left-color: rgb(0, 102, 204); border-left-style: none; border-left-width: 0px; border-right-color: rgb(0, 102, 204); border-right-style: none; border-right-width: 0px; border-top-color: rgb(0, 102, 204); border-top-style: none; border-top-width: 0px; cursor: pointer; height: 279.83px; max-width: 820.71px; opacity: 0.8; outline-color: rgb(51, 51, 51); outline-style: solid; outline-width: 1px;" width="420"></a></p><p>&nbsp;</p><p>残念ながら山手線や京浜東北線の写真が手元になかったので、コメントで取り上げさせていただいた「いずみ鉄道」の上総中野駅で撮った写真を載せました～。２０１７年５月撮影</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/nikohito/entry-12450066130.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Mar 2019 22:26:57 +0900</pubDate>
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<title>私がランニングを始めたきっかけ</title>
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<![CDATA[ <p>　私がランニングを始めたのは2012年。健康診断でメタボ予備軍だと言われたのがきっかけで、その年の夏頃から練習を始め、初のマラソン大会参加は11月の小江戸川越マラソンの10kmの部だった。私は学校に行っていたときは演劇部で、これは演じるのが好きだったというよりも、自分から人に話しかけられなかった性格の私が舞台に出て目立ってみたいと思ったのが入部のきっかけで、そこでやっていた柔軟体操以外は運動はしておらず、特にボールを使うスポーツは苦手だった。走ることだけは短距離・持久走とも平均より上で、中学生の時に電車通学を始めて以来早歩きを続けていた。鉄道で旅行するようになってからも30分～1時間位歩いたり、間にハイキングを織り交ぜたコースを楽しんでいたので、そういう意味でランニングに挑戦することには抵抗はなかった。とはいえ、走るフォームがなっていなかったから、３キロくらい走ったらヒザが痛くなったもので、自己流で練習を続けていたから、今でこそ散歩気分で走れる10キロの距離は、当時はとてつもなく長く感じたものだった。それでも１時間を少し切るタイムでゴールすることができた。</p><p>　それからハーフマラソンを経て、2015年２月にはフルマラソンの初レースを迎え、３時間５２分でゴールすることができた。そして今でもフルマラソンに年に２回は参戦し続けている。</p><p>　ランニングを続けていて実感したことは、何も運動をしていなかった10年前に比べて格段に体力が向上したこと。今まで眠らせていた身体の感覚を覚まさせたといった感じである。それだけでなく、例えば女満別空港から３キロ近く走って石北本線の西女満別駅まで行き、秘境駅の雰囲気を味わって列車に乗り、網走駅に向かうといった、ランニングを織り交ぜて鉄道や飛行機の旅行を楽しめるようになったのが大きいような気がする。</p><p>　写真は、2018年１０月に参加した東北みやぎ復興マラソンの看板です。　</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190309/21/nikohito/57/24/j/o0676120314369093579.jpg" style="background-color: rgb(255, 255, 255); color: rgb(0, 102, 204); font-family: &amp;quot;ヒラギノ角ゴ pro w3&amp;quot;,&amp;quot;hiragino kaku gothic pro&amp;quot;,&amp;quot;ｍｓ ｐゴシック&amp;quot;,&amp;quot;ms pgothic&amp;quot;,sans-serif,&amp;quot;メイリオ&amp;quot;,meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; font-weight: 400; letter-spacing: normal; orphans: 2; text-align: left; text-decoration: underline; text-indent: 0px; text-transform: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; white-space: normal; word-spacing: 0px;"><img alt="" contenteditable="inherit" height="747" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190309/21/nikohito/57/24/j/o0676120314369093579.jpg" style="background-color: rgb(255, 255, 255); border-bottom-color: rgb(0, 102, 204); border-bottom-style: none; border-bottom-width: 0px; border-image-outset: 0; border-image-repeat: stretch; border-image-slice: 100%; border-image-source: none; border-image-width: 1; border-left-color: rgb(0, 102, 204); border-left-style: none; border-left-width: 0px; border-right-color: rgb(0, 102, 204); border-right-style: none; border-right-width: 0px; border-top-color: rgb(0, 102, 204); border-top-style: none; border-top-width: 0px; cursor: pointer; height: 747.42px; max-width: 820.71px; opacity: 0.8; outline-color: rgb(51, 51, 51); outline-style: solid; outline-width: 1px;" width="420"></a></p>
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<pubDate>Sat, 09 Mar 2019 21:25:26 +0900</pubDate>
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<title>2019年2月、備後落合駅にて。</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190308/23/nikohito/48/c6/j/o0676120314368607269.jpg"><img alt="" height="747" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190308/23/nikohito/48/c6/j/o0676120314368607269.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Fri, 08 Mar 2019 23:21:28 +0900</pubDate>
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<title>私が鉄道が好きになったきっかけ</title>
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<![CDATA[ <p>私が５歳の時に知っていた電車は、白い車体に青い帯の小田急線だけ。そしてサンフランシスコに住んでいた時に親しんだ電車といえば、同じく白い車体に青い帯のＢＡＲＴと、世界的に有名なケーブルカー。そして1970年代の後期に日本に帰省した時に新宿駅で出会ったのは、赤い車体と黄色い車体の101・103系。この時に知っていた電車はこれだけで、山手線は周回して運行することはおろか、その存在すら知らず、まだ写真でしか見たことがない新幹線は、乗ったこともないのに「これが日本で生まれた世界一速い列車だ」とアメリカの同級生に自慢げに話していたのを覚えている。</p><p>　そして11歳で再び日本に定住するようになってしばらくして、有楽町駅の高架下で、今度は緑色と青色の103系を目にした。その時、先ほどの新宿駅で目にした同じ型の赤色と黄色の車体の記憶がよみがえったと思う。同じ車体で、窓の位置が整然としていて、しかも車体全体が1色で塗られたシンプルさ。それが4色（この時はまだ常磐線快速の緑色を見ていなかった）揃っているのを知ったときに、「これが日本の鉄道だ」と強く感じた瞬間だった。それから、自宅や親戚宅に貼ってあった首都圏の鉄道路線図を毎日食い入るようにして眺めるようになった。時は1981年。特に武蔵野線のスケールの大きさには驚いたものであるが、毎日路線図を眺めているうちに「ここに乗っている路線を全部乗ってやるぞ」と思ったものだった。</p><p>　今となっては、全部とはいかなくてもほぼ首都圏の路線は制覇し、特に国内全線の完乗は目指しているわけではないが、全国の3分の2くらいは乗っていると思う。最近新しく乗った路線は、今年の2月の広島県の芸備線。5歳の娘と一緒に乗って、窓から景色をじっと眺めていたり、ロングシートの前で抱っこをしながらつり革を握ってはしゃいでいた。これからも鉄道を楽しんでいきたい。</p><p>　写真は2019年2月の芸備線。備後落合駅にて。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nikohito/entry-12445374504.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Mar 2019 23:19:40 +0900</pubDate>
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<title>2018年10月、成田空港にて</title>
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<![CDATA[ <p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20190306/21/nikohito/b9/4d/j/o0612040814367491449.jpg"><img alt="" height="280" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20190306/21/nikohito/b9/4d/j/o0612040814367491449.jpg" width="420"></a></p>
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<link>https://ameblo.jp/nikohito/entry-12444897979.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Mar 2019 22:29:05 +0900</pubDate>
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<title>私が飛行機が好きになったきっかけ</title>
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<![CDATA[ <p>私が初めて飛行機に乗ったのは５歳のとき。時は1975年3月。父親の仕事の都合で一家転住の際に飛行機に「乗せられた」ことがはじまりである。どこの航空会社かは忘れてしまったが、間違いなく東京→サンフランシスコ線のボーイング747のはずである。当時は成田空港がまだ開港前で、国内線・国際線が1つの連なったターミナルの羽田空港に発着していた頃である。今でこそ国際線においては赤色はＪＡＬ、青色はＡＮＡとイメージされるが、その時の太平洋線は赤色はＪＡＬで青色はパンナム、そして真っ赤な尾翼のノースウェストだった。当時の機内は今のようにパーソナルモニターはなく、遠くにある大画面スクリーンで映画を1～２本上映したものだったが、小さい子供だった私はそのスクリーンを見るすべもなく、スチュワーデスさんから頂いたミニカーをテーブルに置きながら機内誌のルートマップをじっと眺めて9時間近く過ごしていた。そしてアメリカの家に住み着くようになると、いつの間にか画用紙に飛行機の絵ばかり描いていた。そして日本でお世話になった幼稚園の先生に「○○先生お元気ですか。ぼくはひこうきにのったんだよ。」と飛行機の写真が写っていた絵葉書を送ったものだった。それ以来、日本に帰省をしたりアメリカ国内を旅行するときに飛行機に乗るたびにワクワクした。今は民間の旅客機の形は、サイズの大小こそあれワンパターンになりつつあるが、当時はジェット機もプロペラ機も形は多種多様で、これが飛行機ウォッチングが趣味になるきっかけとなったと思う。11歳で日本に帰国したが、それ以来飛行機趣味は続いている。写真はパンナムの今の姿である、ユナイテッド航空機が成田空港を離陸したときのものです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nikohito/entry-12444897346.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Mar 2019 22:26:41 +0900</pubDate>
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