<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>konomi.akasaのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/nippongun/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>空　零戦(19)　プロペラ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>のちに零戦となる12試艦戦は、過大な計画性能要求を満たすためには、重量をいかに軽減するかが設計における最重要事項となった。軽量化を図るといっても、強度が不足したのではなんにもならない。強度を犠牲にしないで軽量化に取り組むことになった。<br>96式艦戦で超ジェラルミンを使っていたが、これをそのまま使うと機体が大きいだけに重くなる。幸運だっをのは、超ジュラルミンを開発した住友軽金属工業が、さらに強力な新軽合金の「超々ジェラルミン」を完成していたことである。<br>超ジュラルミンが1平方ミリメートル当たり45キログラムまでの張カに耐えられるのに対し、超々ジュラルミ、ンは1平方ミリメートル60キログラムまで耐えられるという画期的な強度をもつものだった。</p><p>主翼桁には超々ジュラルミンの押出型材を使い、軽くて強度のある翼をつくり上げることができた。<br>この思想はすべてにわたって貫かれた。エンジンも例外ではなかった。「金星」と「瑞星」のどちらにするかと迫られたとき、堀越技師は金星は瑞星ょりも直径で10ミリ、重量で34キログラム重いことから、本意ではなかったようだが、瑞星を使うことにした。<br>プロべラも同じである。海軍から定回転プロぺラを使うように指示を受けていたので、そのとおりにした。<br>しかし、これも軽量化の観点から、2枚羽根にした。2枚羽根と3枚羽根では、2枚羽根のほうが37. 5キログラム軽いからである。<br>12試艦戦のテスト删行がはじまると、振動がひどく、そのままでは飛行機の実用化が困難かと思われるほどだった。2枚羽根のプロペラの振動が機体の振動と共鳴するためではないかとみて、3枚羽根のプロぺラと取り換えて試験飛行をしてみた。まったく振動がなくなったわけではないが、実用に適するまでに振動はおさまり、3枚羽根の採用が決まった。<br>これによって、約40キログラムの重量増加になったものの、正規満載状態での重量は2331キログラムにおさまった。性能試験の結果も、操縦性、安定性に大きな欠点はなかった。</p><p>最高速度は計算値を上回る264ノット〔490キロ メ-トル)と、96艦戦より50キロメートルもスピードが出たことで、海軍は実用化に自信をもった。振動さえ起こらなければ、零戦のプロぺラは2枚羽根となるところだつたのだ。プロペラとプロぺラシャフトとの角度をピッチと呼ぶ。初期の飛行機ではこの角度は動かせない「固定ピッチ」プロペラだった。模型飛行機のプロペラを連想すればよい。<br>プロペラには主に2つの役割がある。重力に対して重い機体を飛び上がらせる揚力をつくること。飛び上がった飛行機を前に進ませるための推力をつくることである。</p><p>現代の自動車よりも少し速いくらいのスピ—ドで空を飛んでいるときは、固定ピッチプロペラでも揚力と推力が最大になる角度にしておけばよかった。しかし、スピ—ドを上げようとすると、固定ピッチプロペラでは対応できなくなる。というのも、遅いスピードのときは推力は小さくとも、揚力が大きければ空を飛べる。逆に、スピードが速くなると揚力より推力のほうがより必要とされるからだ。このため、プロペラのピッチの角度を変えて、飛行状況に応じた最高の効率を引き出せるように、プロぺラのピッチの角度を飛行中に選べるようにしたのが「可変ピッチプロペラ」である。離陸や上昇などの低速時には、揚力が十分になるようこ<br>ピツチは低く、巡行時には推力を引き出すためにピツチは高く、それぞれの状況に応じてフロべラの効率を引き出せるようにしたのである。<br>ピッチを変えれば、抵抗が変わってエンジンの回転数も変わる。そこでエンジンに調速機(ガバナー)をつけ、エンジンを一定回転数で運転しながら、飛行状況に適したピッチに自動的に変える「定回転プロペラ」が登場した。<br>零戦には、海軍の要請で日本ではじめて定回転プロペラが使われた。プロペラは終戦まで日本独自のものはできず、アメリ力.ハミルトン社の製造権を買って住友がつくった、住友—ハミルトンの定回転プロペラが採用された。零戦の3枚羽根プロぺラの回転直径は、11型、ニー 型までは2900ミリ、三ニ型以降3090ミリと、少し大きくなっている。試作で終わった六四型はさらに大きく、3150ミリだった。<br></p><p>零戦と同じ堀越技師がてがけた「雷電」は、局地戦闘機として三菱念願の自社開発エンジンの「火星」を積み、離昇出力で1800馬力を誇った。局地戦闘機であるだけに、雷電ー一型は6000 メ^--^ルまで5分38秒と、零戦五ニ型よりも約1分半も上昇力は優れていた。ちなみに、B-29が飛来するときの高度1万メートルまでは、19分30秒で、実用上昇限度は1万1700 メ —トルである。雷電のプロペラは、住友がドイツのVD社の製造権を買った4枚羽根定回転プロペラである。回転直径は3300ミリで、零戦三ニ型よりも210ミリも長かつた。<br><br><br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-12100125906.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Nov 2015 13:33:03 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（18）沈頭鋲</title>
<description>
<![CDATA[ <p>機体の張り合わせに、ネジの頭がとびださないリベット（沈頭鋲）をはじめて使ったのが、96式艦戦である。</p><p>初期の飛行機は、胴体や羽根を覆う材料も布であったから、外観上は表面がすっきりしていた。突起物もないので、風の抵抗は少なかった。</p><p>飛行機も高速機時代になると、羽布張りの飛行機では、翼に「フラッター現象」が起こり、激しい振動により空中分解してしまう。それには機体を金属性にすればよいが、金属にできなかったのは、軽くて強度のある金属材料がなかったから。</p><p>そこにジェラルミンより強度があって軽い材料である超ジェラルミンが開発された。</p><p>機体を全金属製にするにあたって、やっかいだったのはリベット。羽根や胴体の張り合わせにはリベットを使わなくてはならない。</p><p>リベットの頭が飛行機の表面に出るようになれば、空気力学上からは抵抗が増えるようになる。そこでリベットの頭が機体の外板から出ないように埋め込んでしまおうと考えたのが沈頭鋲である。</p><p>９６式艦戦に使われた沈頭鋲が予想外に好評だったため、零戦でも採用されたのである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11755951933.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jan 2014 00:52:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（17）胴体分割</title>
<description>
<![CDATA[ <p>零戦は大きく分けると、エンジン、主翼、胴体後部の３つに分けてつくられた。零戦のプラモデルを作った経験のある人なら、すぐにおわかり戴けるであろう。主翼全体とコクピットを含む胴体の前の方と胴体の後ろの方を別々に作り、着脱式にしたのだ。これはいくつかの利点があった。すなわち、（１）貨車で輸送できる。（２）重量の軽減ができる。（３）組立てが簡単にできる。（４）組立てが容易なので生産性があがる。（５）現地での部品交換や整備が楽である。</p><p>零戦が完全に近い形で不時着して、アメリカ軍に発見された時に、様々な高評価を受けるが、中でも高い評価だったのが、この分割による組み立方式である。戦後になってジェット機が生産されるようになると、この組み立て方式で採用されて製造されるようになった。たとえばジャンボジェット機は胴体だけでも７つのパーツからできている。それも全てをボーイング社が作るのではなく、ある部分は日本のメーカーが作ったりして、国際的な分業が進んでいる。全体をいくつかのパーツに分けて作り、それを一つの飛行機に作り上げるという発想は、日本人が考えたのである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11731681903.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Dec 2013 16:20:38 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（16）機体フレーム</title>
<description>
<![CDATA[ <p>零戦の胴体や翼の内部構造の骨組み（フレーム）を見ると、大小さまざまな穴が開いている。肋材（リブ）でも同じ状態である。さらに操縦席シートの背もたれや、コックピットの補強材にまで、あらゆる所に穴が開けられている。これは、零戦に求められた性能要求を満たすために、機体を１グラムでも軽くしなければならなかったからである。</p><p>強度と軽量化を両立させるために、軽くて強い超々ジュラルミンという先端素材が零戦には使われた。超々ジュラルミンの強度は、それまでの超ジュラルミンよりも３３％も強い。それだけ部材を小さくしても良い計算になる。しかし、小さくできない個所は、必要強度が確保できる分だけを残して、穴を開けて重量を軽くしたのである。</p><p>部材の設計者は、出来上がった図面を設計主任の堀越技師に持っていくと、「ここの穴はもう少し大きくできないか？」、「この部分にもう一つ穴を開けられないか？」と言われたと云う。たとえ小さな穴１つでも設計変更をすると、強度の計算をやり直さなければならない。安易に穴を開けてしまう訳にはいかないのである。零戦のフレームやリブに開けられた穴は、1つ1つが計算によって開けられたものなのである。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11731667105.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Dec 2013 14:48:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（15）夜間飛行</title>
<description>
<![CDATA[ <p>戦闘機は単独で行動することがなく、編隊を組んで飛行する。初めの頃は３機で１個小隊としていた。小隊長機を先頭に、左右の後方に２番機、３番機を従えて三角形を保って飛ぶ。編隊の組み方は、先頭を行く小隊長機の尾灯に、２，３番機はプロペラをもってきて、２番機であれば、小隊長機の左翼端と２番機の右翼端が一直線になるように位置をとる。昼は小隊長機が見えるが、夜間飛行時は目印になるものが見えないと、編隊を組んで飛ぶのは難しくなる。</p><p>そこで零戦は夜間飛行に備えて、主翼片側に３か所ずつ６か所の明りがつくようになっていた。明りは翼の先端を現す「幅灯」が１か所と、翼の上に「編隊灯」が２か所あり、また胴体最後尾の「尾灯」を目印にして編隊を組んでいた。</p><p>ちなみに「幅灯」と「編隊灯」は右翼が青で、左翼が赤、「尾灯」は白であった。</p><br><p>２番機ならば、夜間飛行時は小隊長機の白色の尾灯にプロペラを合わせ、小隊長機の左翼端の赤色灯に、２番機の右翼端の青色灯を真っ直ぐになるように合わせて飛んだ。この時に高度が高ければ、翼の上の編隊灯がはっきり見えるので高度を下げる。高度が低ければ編隊灯が見えないので、高度を上げる。編隊灯が小さく見える所が、小隊長と同高度ということになる。</p><p>飛行機乗りになるには、視力が良くなければならなかった。視力が２．０は当たり前であった。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11718061829.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Dec 2013 08:12:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（14）トイレ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>搭乗を控えている時に、体調には注意するものの、必ずしも毎回、万全な体調で搭乗できる訳ではない。下痢の時にも出撃しなければならないし、まして生理現象はある。小便ならまだいい。零戦の座席の下には朝顔のようなジョーゴがあって、小便ができた。</p><p>注意しなければならないのは、飛行機が飛んでいる時は、飛行機全体に外側から圧力がかかっているので、朝顔ジョーゴに局部をしっかり密着させて排尿しないと、小便は機外に排出されず、外側からの高い気圧によって逆流してしまい、コックピットの中は小便を撒き散らしたようになってしまうことである。つまりパイロットは自分の小便にまみれて飛び続けなければならなくなる。</p><p>朝顔ジョーゴを使わないパイロットは、病人用の氷嚢（ひょうのう）が小便袋として使われた。コックピット内で小便が済んだら、氷嚢の口の部分だけを風防の隙間から外へ出すと、気圧の関係で小便が吸い出され霧状になって後方へ消え去るのだ。しかし、この時も手際が悪いと小便が顔を直撃した。</p><br><p>とても困るのは大便である。普通は搭乗前には済ませるが、下痢の時はガマンにも限度があるので、そのまま垂れ流していた。汚い話だが下痢の時は水っぽいので、座席のクッション代わりのパラシュートに、水分が飛行服をとおして浸み込んでしまう。パラシュートは洗濯するわけではないので、一度大便すると次回以降は臭い中で行動する羽目になってしまう。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11715522384.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2013 08:14:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（13）翼の黄色塗装</title>
<description>
<![CDATA[ <p>第二次世界大戦も中盤にさしかかった昭和１８年頃になると、飛行機が戦闘の主力となり、様々な形の戦闘機が敵も味方も現れるようになった。こうなると敵味方の識別が難しくなってくる。敵味方の識別をいち早くして、攻撃する体制をとる必要がある。</p><p>そこで陸海軍の中央協定によって飛行機に味方の識別標識をつけることになった。それが主翼前縁、胴体よりの内側半分を黄色く塗装するということだった。</p><p>戦闘機は、横から見れば胴体の国籍標識が見える。上下から見ても主翼の国籍標識が見える。ところが判別しにくいのが前から。前方から飛んでくる飛行機は、こちらも前に飛んでいるのだから双方が時速３００ｋｍで飛んでいるとしたら、１秒間に１６７ｍも接近してしまう。３ｋｍなら２０秒かからない。だから識別できるように翼の前の一部を目立つ黄色で塗ることにしたのである。</p><p>味方識別標識は、三菱製に比べると中島製の方が狭かった。味方識別標識の幅などのサイズは厳格に決められていなかったのだ。これで味方をきちんと識別できたのだろうか。どれだけ成果があったかは謎である。大戦末期になると、黄色の味方識別標識のない戦闘機もあり、機種によって廃止したものもあった。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11715007954.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Nov 2013 10:44:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（12）機内食</title>
<description>
<![CDATA[ <p>零戦は航続距離が長いだけに、７～８時間乗り続けている。そうすると機内で食事をとることになる。この機内食は高カロリーのものが用意されていた。連戦連勝が続いていた昭和１７年頃までは、サイダーや寿司、チョコレートなどが提供された。ただし、サイダーは開ける時には注意が必要だった。地上とは気圧が違い、地上のつもりで開けると、コックピット内はサイダーだらけになってしまう。いったん地上で栓を抜き、炭酸を少なくして上空で再び栓を開けたのだ。弁当は機内で片手で食べられるように工夫されていた。海苔巻や稲荷ずし、これに果物がつく。時には大福などもあってパイロットを喜ばせた。</p><br><p>海軍のパイロットは食事には恵まれていた。飛行機乗りは人一倍に体力を使う、視力が良くなくてはならないので、栄養失調から視力が低下しては困るなどの理由で、高カロリーの食事が出された。戦況が悪くなってもこれは変わらなかった。食事はパイロットに優先的に食べさせた。南方戦線などでは、現地の果物を手に入れると、司令官には出さなくとも、パイロットには出していた。</p><p>陸軍のパイロットでは、こうしたことはなかったというから、海軍のパイロットは大事にされたのである。</p><br><p>パイロットに限らず、戦時中は甘いものが喜ばれた。第一線で活躍しているのは２０歳をすぎたばかりの若者である。チョコレートや大福、ぼた餅などは彼らにとって御馳走であった。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11714012884.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Nov 2013 19:07:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（11）操縦席の計器</title>
<description>
<![CDATA[ <p>零戦の操縦席には正面に３段、計器が並んでいる。最上段には「人工水平儀」と「旋回計」の２つの計器があり、二段目には「混合比計」、「航空時計」、「速度計」、「羅針儀」、「昇降計」、「燃料圧力・油圧計」、「エンジン回転計」があった。最下段には「航路計」、「高度計」、「吸入圧力計」、「シリンダー温度計」、「排気温度計」の５つの計器があった。</p><p>計器があるのは正面だけではない。フットバーの左足のすぐ右横に「酸素計」と「酸素圧力計」があり、コックピット左前方のスロットルレバーの配電盤下にも「大気温度計」、「胴体タンク燃料計」、「翼内タンク燃料計」がある。</p><p>飛行機が地平線に対して、水平なのか、上昇してるのか、下降してるのか、斜めになっているのかが一目でわかるのが人工水平儀である。旋回計は、飛行機が旋回しようとする方向へ正しく舵が効いて、正しい旋回をしているのかを確認するものである。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11711952055.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Nov 2013 16:07:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>空　零戦（10）電話</title>
<description>
<![CDATA[ <p>零戦にはモールス信号用の無線装置のほか、戦闘中でも会話が自由にできる電話が搭載されていた。戦闘機同士の意思の疎通を図るためには、会話ができる電話が良かったのだ。９６式空１号無線電話は、パイロットの被る飛行帽の中に組み込まれていた。</p><p>はじめの頃は電話の調子も良かったので、パイロットは電話で交信をしていた。しかし、第二次世界大戦に突入する頃になると、真空管の精度が低下したために、雑音が入ったり聞き取りにくくなって、無用の長物と化してしまった。</p><p>基地との通信はモールス信号の無線で行ったが、無線では言葉で交信することができなかった。</p><p>アメリカの戦闘機ムスタング後期型は、当時最新式のVHF超短波送受信機とデトローラ中波受信機が搭載され、４チャンネルあるVHFはパイロット同士の会話ができるだけでなく、アメリカ本土のVHFステーションとコンタクトが可能であった。さらに受信専用のデトローラをセットすると、天気予報やナビゲーションも利用でき、一般のラジオを聴くことも可能であった。</p><p>零戦５２型は、３式空１号無線電話を搭載したが、結局、あまり使われることはなかった。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/nippongun/entry-11711926703.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Nov 2013 15:43:49 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
