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<title>にしの小学時代</title>
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<description>にしが小学校に通っていたころ(昭和26年～)の出来事を書いています。</description>
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<title>永遠のお別れ</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　10月15日、小学校同級生のやうっちゃんから電話があった。小学時代の担任の先生が昨日亡くなったと。2年前に、帰省のついでに、先生宅へ寄り道していたのを彼は知っていて、連絡してくれたのだ。卒業して59年後の2015年10月15日のこと。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/70/f9/j/o0800056815711351511.jpg"><img alt="" border="0" height="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/70/f9/j/o0800056815711351511.jpg" title="" width="355"></a><br>　↑　当時の先生(30)と生徒(11)のぼくたち・わたしたち。<br>　葬儀に出向くと地元の同級生7人(上記写真内円形ハイライト部)がお別れに来ていた。<br>先生は享年(満)90才。親族でもないのに花を詰めることができた。59年前の思い出話もたくさんできた。最後に「先生、ありがとう！」とお見送りした。2015年10月17日。<br><br>　追伸<br>　お見送りに来ていた7人のうち、リキやんが逝ったと、モーやんから電話があった。半年前に、喫茶「フラミンゴ」でお茶会をして、帰り際、「元気でまた会おう」と別れてまだ10カ月しか経っていない。そのとき聞いた小学3年～4年～5年の先生の内輪話、あの先生、誰かを追っかけて休んでいたとか、なんとか。リキやんの、ませた子供時代の観察力、そして記憶力もすごい。つづきを次回にと約束していたのに、もう聞けない。もう会えないと思うと、非常に悲しい。2016年8月3日のこと。</font><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 17 Oct 2015 23:00:00 +0900</pubDate>
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<title>'57 卒業式</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　3月25日、賀集小学校の卒業式があった。1957(昭和32)年3月のこと。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/12/11/j/o0800025515711351498.jpg"><img alt="19570325" border="0" height="113" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/12/11/j/o0800025515711351498.jpg" title="19570325" width="355"></a><br>　↑　卒業式があった講堂内部<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/f8/31/j/o0355026015711351501.jpg"><img alt="19570325_2" border="0" class="image-full" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/f8/31/j/o0355026015711351501.jpg" title="19570325_2"></a><br>　↑　卒業証書<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/fa/51/j/o0800053315711351504.jpg"><img alt="1957032563800" border="0" height="236" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/fa/51/j/o0800053315711351504.jpg" title="1957032563800" width="355"></a><br>　↑　校舎玄関前で記念写真<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/8c/cd/j/o0800042015711351507.jpg"><img alt="19570325_3" border="0" height="186" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/8c/cd/j/o0800042015711351507.jpg" title="19570325_3" width="355"></a><br>　↑　飛 ○ 先生から贈られた「お言葉」<br>　　最後のホームルームでみんなが、担任の飛 ○ 先生からこの言葉をいただいた。これから先、だんだんと大人になっていくにつれて、いろんな苦難に突き当たるかもしれない。そんなときでもこの言葉を思い出して、苦難を乗り越えて行ってください。と言って別れた。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/nishib000/entry-12943855973.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Mar 2013 22:43:32 +0900</pubDate>
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<title>テープレコーダをはじめて見た</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　先生がテープレコーダを持ってきた。PTAから寄贈されたもので、5万円と言ったか50万円と言ったか、かなり高いように言っていた。前年には、蓄音器を見せてもらい、ハンドルを回すことを経験をしたが、今回は、見るだけだった。1957(昭和32)年2月のこと。<!--?font--></font><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/nishib000/entry-12943855970.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Feb 2013 23:59:36 +0900</pubDate>
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<title>ピアノを弾いて叱られた</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　学芸会が終わって数日後の休み時間のこと。友達の忠(ただっ)さんと、講堂へ入り込んで遊んでいると、いつもはないピアノが壇上にあった。たぶん鍵がかかっているだろうと舞台に上がり、ピアノのふたを開けると、開いた。鍵がかかっていない。これ幸いと、ピアノ鍵盤を押して楽しんでいたら、飛○先生(担任)が跳んできて、「勝手に弾くのは止めなさい」と、大声で叱られた。。1957(昭和32)年2月のこと。<br><br>　弾いたのはぼく一人だけ。だが、それを黙ってぼくと一緒に忠さんも叱られた。舞台に上がる前に「舞台に上ったら叱られるぞ」と、忠告してくれた忠さんなのに、言い訳もせず、二人ならんで叱られてくれた。さぞ、悔しかったであろう。納得できなかったであろう。<br><br>　それにしても女の先生なのに、なんで、あんな大きな声がでるのだろう？と、変なところに感心していた。<br><br>　講堂の入口は、普段は閉まっている。だが、その日は開いていた。学芸会の後片付けを先生たちがやっていて、終わった直後だったのだろう。ちょっとだけ施錠せず、離れていたようだ。<br><br>　学芸会の日の講堂は、劇場のように室内が真っ暗になっている。窓に黒いカーテン、花道から舞台付近にかけて黒い幕が張られていた。スピーカーや舞台照明などは、いつもの電気屋さんに配線してもらう。用がすんだら、取り外して元に戻す。幕運びや床掃除は、ぼくたち生徒が手伝っていた。すべての片付けが終わると、真鋳の柱が6本立つだけの大部屋。がらーんとした板間に戻っていた。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 27 Feb 2013 18:21:30 +0900</pubDate>
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<title>劇「わらしべ長者」</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　　2月3日（日）、朝から小学校の学芸会があった。ぼくら、6年3組は「わらしべ長者」を演じた。1957(昭和32)年のこと。<br><br>　ぼくは、何の役をやったか覚えていない。だが仲良しの忠(タダッ)さんは、馬の後ろ足役をやったのを覚えている。<br><br>　馬は二人で演じる。一人は前足役でもう一人は後ろ足役だ。クラス一背が高いタダッさんは、後ろ足がはまり役だと、先生から指名がかかったのだ。<br><br>　タダッさんはマントをかぶり、前足役の背後にまわり、頭を付けて手をかける。これが４つ足の馬のすがた。イチ・ニッ、イチ・ニッとタイミングを取りながら、歩幅を合わせて歩きまわる。その演技を見て飛○先生は「素晴らしい。本当の馬の様だ」と褒めていた。<br><br>　物語りは田舎の田んぼ道。路上に落ちている”わらしべ”１本を拾うことから始まる。拾うのは、貧しそうな農民。「わらしべ1本では、ゾウリなんぞ編みようがない」と独り言を言いながらも、捨てずに持ち歩いた。<br><br>　そこへ女の行商人が通りかかる。困ってそうなので近づくと、草履の鼻緒が切れて普通に歩けないのだと。ならばと、わらしべで修理してあげると、お礼に行商品の反物を１本くださった。<br><br>　もらった反物をお金に換えようと歩いていると、弱った馬に乗るお姫さまに出会う。姫は綺麗な反物が欲しいらしく、”馬を手放してもよいから反物を手に入れよ”と、手綱を引く男に命じたので、交換に応じた。<br><br>　交換した馬を家へ連れて帰り、水を飲ませ、餌をあげてと世話をする。すると馬はみるみるうちに元気になった。その話を聞いた隣村の長者さんは、自分の娘婿になってくれないかと頼みに来た。<br><br>　娘と結婚してくれたら、家・屋敷をすべてあげるといわれ、結婚する。そして長者になったのだ。めでたし・めでたし。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 03 Feb 2013 23:20:36 +0900</pubDate>
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<title>避屋(ひや)の建て前</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　1月24日(木)、いよいよ避屋(ひや：離れ)の建て前の日だ。12月から3人の大工さんが、僕の家へ来て、庭に材木を並べて、切ったり、はつったりして準備した。それを今日組み立てる。いわゆる「建て前」なのだ。1957(S32)年、小学6年の1月24日のこと。<br><br>　その日は学校があったので、ぼくは帰ってから手伝った。親戚やりんぽう(近所)の人が手伝いに来てくれたので、にぎやかだった。建築中の建物の中央に、滑車がついた長い丸太のポールが立っている。先端の滑車にはロープが通り、ロープの端はこれから上げる材木が縛ってある。反対側のロープの端は手伝いの人みんなで引っぱる。<br><br>　運動会の綱引きと違って、音頭に合わせて綱を引く。その綱引きに加わる前に棟梁宅へお遣いに行ってきた。羽織・袴を持ってくるのを忘れたというので、それを取に行ってきた。<br><br>　戻ると丁度、最後の棟上げに入っていた。棟梁が、「では、そろそろと～」と声を揚げると、それに応えて綱を持つみんなが「そりゃっ、そろそろと～」と応えてロープを引く。それを何十回と繰り返して1本の材木が吊り上がっていった。<br><br>　棟木が上がると次は上棟式と餅放りだ。ぼくも棟木近くまで上って垂木を並べたり、はしごを上り降りして、小物を運んだ。<br><br>　棟梁の大工さんが風呂に入って身体を清め、紋付・袴に着かえて上がってきた。いよいよ上棟式。　<a href="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/28/67962b67c8ca73287aa2dcdc6195265d.jpg">棟木板<img border="0" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/1b/22/j/o0120005415711351480.jpg"></a>や、竹で作った弓矢と日の丸の扇が棟木に取り付けられた。大工さんの、祝詞が終わると、餅放りの開始だ。<br><br>　四隅に大きな隅餅を投げて、餅放りが始まった。次に小餅となってからぼくも投げた。二日前にご近所に手伝ってもらいながらついた餅だ。下を見降ろすと、知らぬ間に大勢のひとが集まっていた。<br><br>　放り納めは一番大きな天餅を、天に向かって施主の父が投げて終了。すでに日が落ちて、夕暮れになっていた</font><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Thu, 24 Jan 2013 23:50:03 +0900</pubDate>
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<title>大工さんが、ぼくのカンナを砥いだ</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　昨日、1月14日から大工さん3人が再来して、ヒ家(離れ家）の建築準備を再開した。朝7時半ごろ来て、木っ端の焚火で手足を暖めてから、仕事を始める。去年の12月の木取りから着手して、2か月目になる。1月24日の「建て前」目指して順調に進んでいるらしい。1957(S32)1月15日のこと。<br><br>　今日は成人の日で学校は休みだったが、大工さんは休まず来てくれた。大工さんの邪魔にならぬように眺めていると、自分もやりたくなり、自宅のカンナを出し来た。明治か江戸時代か知らぬが、先祖から伝わる道具なので、切れ味が悪い。それを見ていた大工さんは、「ぼく、それを貸してみろ」といって、カンナの刃を砥いでくれた。<br><br>　サビついて刃が欠けていたものを、よく切れるようにしてくれた。カンナの木の部分も平らに削ってくれた。おまけに、砥ぎ方や2枚刃の入れ方・合わせ方なども教えてくれた。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/f9/6d/j/o0800054015711351472.jpg"><img alt="19570115" border="0" height="239" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/f9/6d/j/o0800054015711351472.jpg" title="19570115" width="355"></a><br>　↑　そのときのカンナ（下側）<br>　このカンナを見る度に、その大工さんのことを思い出す。<br><br><br>　追記<br>　その大工さんが2013年2月に亡くなられた。2013年4月に古希で集まった同級生のカッちゃんから聞いたとき、胸が詰まった。数年前、偶然にもネットで大工さんの名前を見つけた。ご高齢なはずの大工さんが、子供だんじりの唄を指導なさっている。職人だから、こんなことも出来るのだろう。またもや深く関心させられた。子供には優しい大工さんだった。残念。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 15 Jan 2013 23:31:03 +0900</pubDate>
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<title>諭鶴羽まいり</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　１月１日、ことしも諭鶴羽山（ゆづるはさん、607.9m）に登った。去年は１つ年上のトオルちゃんと行ったが、今年は、２つ上で中学生のヒロフミちゃんに付いて、子供ばかり5人で登った。1957（S32)年、小学6年生のときのこと。<br><br>　ヒロフミちゃんの家は生子谷にあるので、その谷から山頂を目指すことになった。そこから登るのは、わたしは初めてのこと。リーダーのヒロフミちゃんに付いて行けば大丈夫だと、ついていくことにした。なにしろこの辺の山は、ヒロフミちゃんところの持ち山が多く、そこら辺の山道は詳しいはずだから。<br><br>　いつも遊んでいる谷をつぎつぎと越えていく。やがて嶺に近い山道にたどり着く。去年とちがって、こちらの方が断然近い。早くも参り終えて帰る人に出会うようになった。そのうちぼくらも、山頂に着いた。山頂では、大人のみんなが、薪を燃やして持ってきたお餅を焼いていた。だが、ぼくらは餅を持っていない。他の大人の焚火の傍で手をあっためるだけで、なにもせず下山することになった。<br><br>　今年は西の方角に向かって下山した。向かいの遠方に見える山へ、太陽が沈みかけている。眼下には田んぼが広がっている。この平野は神代の浦壁だとリーダーのヒロフミちゃんがいう。家の並びや池や田んぼをじっくりと眺めていたら、早く帰ろうと、ヒロフミちゃんの激が飛ぶ。日が沈むとあっという間に暗くなり山中で迷子になるので、「急いで帰るぞ」と。わが家が見えるところまでたどり着いた時は、陽は落ちて、窓からの明かりだけが見えていた。迷子にならずに楽しい諭鶴羽山まいりだった。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/nishib000/entry-12943855960.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Jan 2013 18:56:55 +0900</pubDate>
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<title>棟から落ちかけた</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">　12月18日、学校から帰るとヒ屋(離れ)の解体が始まっていた。朝から、手伝いに来てもらった親戚の人と家族だけでやっていたのだ。1956(S31)年12月のこと。<br><br>　すでに、家屋の床や天井が取り外されて、残るは、外壁と屋根だけになっていた。「おまえも屋根に上がって、瓦をはがして、滑り台で一枚づつ降ろす手伝いをせよ」と、親から指示された。滑り台の下では、祖母が瓦の引き取り作業を手伝っていた。<br><br>　いよいよ最後というところで、ヒヤリとすることが起きた。棟瓦をはがして片足を運んだとき、足を置いた棟木(むなぎ)が崩れ落ちて、ぼくも落ちそうになった。築80年の棟木は、雨漏りで朽ちていたのか。それと判らず置いた足は、穴にはまるように宙づりになった。「アッ」と挙げた叫び声に、下に居た家族はびっくりして見上げ、「大丈夫か？」と叫んでいる。ぼくもびっくり、とっさにつかんだ垂木のお陰で、5メートル下の土間へ落下せず、命拾いをした。<br><br>　やっとの思いで姿勢を立て直して、安全な場所へ移動する。よく見ると、かなり危険な場所で、手伝っていたのだなぁと、ぼくも家族も胸をなでおろした。この日の出来事は、一生わすれられない。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Tue, 18 Dec 2012 19:29:38 +0900</pubDate>
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<title>山の松の木を切り倒した</title>
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<![CDATA[ <p><font size="4">12月15日(土)、昼から父と二人で母の実家へ、松の木をもらいに行った。行きは空の大八車を曳き、帰りは10メートル弱の松の木1本載せて、歩いて持って帰った。昭和31年12月のこと。<br><br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/11/6c/j/o0800041415711351457.jpg"><img alt="19561215" border="0" height="183" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251107/15/nishib000/11/6c/j/o0800041415711351457.jpg" title="19561215" width="355"></a><br>　↑　父の切る様子を見ながら、ぼくも切るのを手伝った。音を立てて、思った方向へ倒れ掛けたときは怖かったが、終わったらホッとした。<br><br>　実家のおじいちゃんが若いころから枝打ちをして、育ててきた木だという。直径は50センチメートルを越している。ヒ屋と呼ぶ長屋を建てるための、おだれ桁(庇桁)に使えと、プレゼントしてもらったのだ。<br><br>　枝を切り落とし、10メートルの幹だけを大八車に載せる。そこから自宅までの約5キロメートルを、父と二人で曳いて帰った。</font><br><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/nishib000/entry-12943855958.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Dec 2012 23:59:19 +0900</pubDate>
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