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<title>言いたい放題[哲学などその他諸々]</title>
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<description>哲学や、音楽、時勢などを好き放題言いたい放題言う。</description>
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<title>初回</title>
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<![CDATA[ 　初回です。<br><br>普段、表現したいけれどもあえてしない哲学、その他諸々について、<br>言いたいことのみを書き綴るブログです。<br><br>哲学、宗教、思想・・・と聞くと日本では身構えてしまう人が多いかと思います。<br><br>"そんなものは現実で役に立たない"<br>"宗教なんて人の妄想だ！"<br>"神なんて非科学的なものを信じるとは、馬鹿だ"<br>"そんなことより金の儲け方を教えろ"<br>"&lt;善&gt;の押し売りはやめろ"<br><br>こんな人が大半ではないでしょうか。<br><br><br>実際のところ、哲学は現実世界で役立つ場面は殆どないでしょう。<br><br>しかし、哲学や宗教が非科学的で非論理的かというとそうではありません。<br><br><br>　哲学の最終的な帰結は、「わからない」ということです。<br>「判らない」というよりも「分からない」、「解らない」ということに近い。<br>なぜならば、哲学をするということは「悟る」ということに直結するからです。<br><br>「悟る」とは「分かる」という意味ではありません。<br>「分からない」ということが「判る」という意味です。<br><br>これはつまり、結論は出ませんから、「何にも役立たない」ということと捉えられますが、<br>「何かに役立つ」と言うことは既に、目的的に世界を捉えているということです。<br>この目的的に世界を捉えることから、人は虚無感に囚われ、「生」に囚われるのです。<br><br>このように書くと、それは"スピリチュアル"だとか単に"人生観"だとか言われます。<br>勿論、そのような気で書きたくはないのですが、、<br><br>しかし、当為的(なすべきこと)であることと、存在的(そうである)であるということは、<br>お互いに相即していますから、哲学を語ろうとするや否や、いつの間にか、<br>"人生観"のようなものを語ってしまいます。<br>これは、私自身が私自身の真理に囚われていることに由来しますが、<br>本質的な真理は全てみなさんの個々自身の中にあります。<br><br>故に、これを読む人間は"自分自身"で考えなければなりません。<br>そうでなければ、この混濁とした世界から一筋の真理を見出すことはできません。<br><br>勿論、誰もが真理について知りたいとは思いません。<br>知らなければそれで良いという人はそれでも構わないでしょう。<br><br>私は目の見えない人と美術に関して論じる術もなければ、<br>耳の聞こえない人と音楽に関して論じる術もありません。<br>真理について興味のない人と真理に関して論じることはできません。<br><br>しかし、私は断じて言える。<br>哲学を知るということは、何者にも侵されない不屈の精神を知ることだと。<br><br><br>　哲学を知るということは、なにもソクラテスを知るとか、ベーコンを知るとか、<br>ニーチェ、ヘーゲル、デカルト、果てはウィトゲンシュタインを知るということではありません。<br><br>勿論、"哲学史"を論じるにはそれらの偉人の言説を体系付けて研究すべきであると思います。<br><br>しかし、本当の意味での哲学を知るとは、それらの偉人の魂を知るということです。<br>魂とは個々に眠る真理です。語ればたちまち泡の如く離散する真理です。<br><br>近づいたと思ったら離れ、離れたと思ったら近づき、いつの間にか、円周上の孤を周回するようなもの。<br>それが真理です。<br>底を突き抜け天に行き、天を突き抜け底に行く。<br>これが真理です。<br><br>よって、真理を悟った人間は何も語れない。<br>語ろうとすると、たちまちに消えゆく。<br><br>哲学とは根本的に問題を含んでいます。<br>哲学とは「問い」そのものです。科学は哲学から派生してきました。<br>現代では、科学は「How」を問うけれども、哲学は「Why,What」を問う。<br>「問う」ということは、誰もが「常識」であると思うことを問うわけですから。<br>「常識」とはつまり、「前提」です。<br><br>誰かが「前提」を問うて破壊し、新たに「前提」を立てるも、また違う誰かにその「前提」を問われ破壊される。<br>「真理」とは身を潔癖にし、完全無欠の状態であるわけではなく、<br>いつも「死」と「再生」を繰り返し、それでも尚、その身を保持しつつある存在です。<br><br>芸術家は必ず誰かに弟子入りします。<br>最初は、その師匠の流儀を「守る」。<br>次に、よりよいものを求め、師匠の流儀を捨てる、つまり「破る」。<br>最後に、自己の流儀を作り、「離れる」。<br>この、美に於ける「守・破・離」は、真理の追究の仕方と全く同じです。<br><br>これは勿論、芸術に関しても、学問に関しても、人の生き方、果ては生命/宇宙の根本理念にも言えます。<br><br><br>　このように哲学を学ぶとは、虚無の闇から一筋の光を見出すということです。<br>初回から言いたい放題言いましたが、哲学に興味を持ってくれればこれ以上言うことはありません。<br><br>「生きる意味」とは何か。<br>「宇宙」は何故在るか。<br>「本当の善」とは何か。<br>「生命」とは何か。<br><br>そのような何かしらの「問い」を持って、哲学を論じなければ空虚です。<br><br>この不思議な世界の不思議さを身をもって知ってほしい。<br>「思議すべから不(ず)」この世界の在り難さを知ってほしい。<br><br>では、これにて初回の言いたい放題を終わります。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nishidaakira/entry-10731548715.html</link>
<pubDate>Thu, 09 Dec 2010 12:27:18 +0900</pubDate>
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