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<title>ニーチェでココロのエクササイズ</title>
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<description>幸せは健全な肉体と健全なココロがあってこそ。肉体はジムでエクササイズ。ココロはニーチェでエクササイズ。一緒に成長しましょ！</description>
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<title>同情するものは・・</title>
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<![CDATA[ 同情するものは自分は強者であると信じている。だから助けることができるとあらば、すぐにでも介入したくなる。<br>―「遺された断想」―
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<pubDate>Tue, 14 May 2013 07:59:16 +0900</pubDate>
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<title>善にも強ければ、・・・</title>
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<![CDATA[ 善にも強ければ、悪にも強いというのが、いちばん強力な性格である。<br>「人間的な、あまりに人間的な」
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<pubDate>Sun, 12 May 2013 20:16:06 +0900</pubDate>
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<title>[人間的、あまりにも人間的]序文</title>
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<![CDATA[ あらゆる価値を逆転できないであろうか？そして善とはおそらく悪ではないか？そして神とは悪魔の一発発明品・一精巧品にすぎぬのではないか？おそらく一切のものは究極のところ虚偽なのであろうか？<br>
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<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 08:18:50 +0900</pubDate>
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<title>ニーチェ論</title>
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<![CDATA[ <br>二ーチェという名前は、「権力への意志」の概念-意志の概念ではなく、純粋かつ単純な権力とどうしても結びついてしまうようだ。<br>彼がなしとげた事柄についての一種の形而上学的解釈、暴力のモラルをニーチェに見るのが、最も流布している解釈の仕方である。<br>(略)「ニーチェとはいったい誰か？」と無邪気な者は訊ねる。するとラルース辞典は答える。<br>「彼のアフォリズムはドイッ的民族主義(ナチ)の理論家たちに多大の影響を及ぼした」と。<br>(略)だが、後退し、距離を置き、といっても<br>やはり単一の状態にあったときとくらべてヴィジョンをそこに介入させれば、<br>二ーチェという名を持つ体験を、その歴史的コンテクストからと同様に、死後彼の体験が宿命的に横領の対象となったその横領行為からも、<br>正しく救い出すことができるであろう。ニーチェの『悦ばしき知識』の基本的テーマについて「かくも不吉な欲望」小島俊明訳<br><br>１９５０年頃のニーチェはナチズムに影響を与えた危険な思想家とみなされていたようです。<br>しかし今、ニーチェは現代思想の最大の哲学者です。
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<pubDate>Wed, 10 Apr 2013 22:33:03 +0900</pubDate>
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<title>「悦ばしき知識」</title>
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<![CDATA[ 「首尾よく生きてゆくのに、どれほど多くの信仰を必要とするのか・・・<br><br>これこそはその人間の力量（あるいは、もっとはっきり言えば、彼の弱さ）<br><br>の尺度である」<br><br><br><br>キリスト教的な生き方、清貧、純潔、博愛　などを善とした<br><br>生き方はヨーロッパ全体で理想とされていた。<br><br>ニーチェは「遠近法的思想」にすぎないといって批判を繰り返しました。<br><br><br>キリスト教を信じて、迫害された人が決して少数でなかったのも歴史的事実ですよね。<br><br>どんなに正しく見える事実も「遠近法的思考」によれば<br><br>違った見え方になるんですね。
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<pubDate>Sat, 06 Apr 2013 21:31:05 +0900</pubDate>
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<title>バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー</title>
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<![CDATA[ 「一つの出来事が偉大さを持つためには、二つのものが和合しなくてはならぬ。すなわちそれを成就する者の偉大な感覚とそれを体験する者の偉大な感覚である。」（反時代的考察）<br><br>ニーチェは「反時代的考察」の4部でワーグナーを評価している風な執筆なのですが<br>この時はすでにワーグナーに対して批判的だったそうです。<br><br>ワーグナーのエンターテイメント的な部分が許せなかったそうですが、ワーグナーにしてみれば自分のパトロンに対してはエンターテナーでなければならないという事情もあったようですが。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noblemorality/entry-11505010548.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Apr 2013 23:10:16 +0900</pubDate>
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<title>キリスト教の遠近法的思考</title>
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<![CDATA[ 信仰とはなにか？　いかにしてそれは生ずるのか？<br><br>あらゆる信仰は真なりと思い込むことである。「権力への意思」<br><br><br>ニーチェが生きていた時代の2大常識はキリスト教的なものの見方と<br><br>西洋哲学的なものの見方です。<br><br>ニーチェは哲学者として、その価値観を疑い批判しました。<br><br><br>この世は神の意向によって作られたものであり<br><br>人間は神の思いにかなうように生きなければいけない。<br><br>それが「モーゼの十戒」でありこの教えを守ってきたのがユダヤ教です。<br><br><br>キリスト教は、歴史は神の計画したものであり、歴史の最後には「最後の審判」<br><br>があり、神が全人類に裁きを下すと考えられています。<br><br><br>ニーチェはこれらの宗教的価値観を一つの遠近法的思考にすぎないと言って批判します。<br><br>キリスト教は自分たちを正当化するためにの憎むべき相手（ローマ人）を悪としていると<br><br>いっています。つまりローマ人は奴隷の上にたった強さ、富の属性であり<br><br>その対極の弱さや貧しさがキリスト教の善であるとした奴隷道徳だといっています。<br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 02 Apr 2013 00:23:50 +0900</pubDate>
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<title>ニーチェとワーグナー</title>
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<![CDATA[ ニーチェが17歳の時にワーグナー作曲「トリスタンとイゾルデ」に出会い感動しています。<br>そして24歳の時には「ニュルンベルグのマイスタージンガー」。すっかりワーグナーファンに<br>なってしまったニーチェとワーグナーの交流は1868年から1872年まで続きました。ニーチェは<br>「悲劇の誕生」という著書の中でワーグナーを賛美していますが、この著書はワーグナー以外には不評でした。そんな二人の友情は破綻し、ニーチェは晩年に「ワーグナー対ニーチェ」なんて著書を発表することになってしまいます。<br><br>
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<pubDate>Sun, 31 Mar 2013 00:42:46 +0900</pubDate>
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<title>悲劇の誕生</title>
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<![CDATA[ <p>「現象のあらゆる有為転変にも関わらず、事物の根底にある</p><p>生は不滅の力を持ち、歓喜に満ちている」</p><br><p>ギリシャ悲劇のように、悲劇を受け入れるということは</p><p>人生の肯定だといっています。</p><br><p>自己の没落さえも肯定しようとニーチェは考えました。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noblemorality/entry-11500111390.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Mar 2013 22:47:47 +0900</pubDate>
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<title>自己超克</title>
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<![CDATA[ 今ある自分を乗り越えて、より高みに上がろうとする。<br>苦しいことがあっても何かのせいにしない。<br>すべての苦しみが、あなたの精神を鍛えてくれる。<br>だから自分の為なんだと肯定する。<br>「これが人生か！さればもう一度！！」<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noblemorality/entry-11497928872.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Mar 2013 19:27:53 +0900</pubDate>
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