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<title>母さんががんになったときに、僕がしたこと。</title>
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<description>2002年にがんで亡くなった母のことが知りたくなって遠い記憶をたよりに母に想いをめぐらすブログです。</description>
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<title>07  ジャパン キャンサー フォーラム 　@日本橋コングレスクエア</title>
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<![CDATA[ <p>****************************************************************************<br>2002年にがんで亡くなった母さんのことが知りたくなって<br>遠い記憶をたよりに母に想いをめぐらすブログです。<br>****************************************************************************</p><p><br>高校の同級生に、腫瘍内科の医師している友達がいる。</p><p><br>がんについていろいろ知りたいだよなーと相談したら、</p><p>ちょうどよさそうな集まりがあるよー<br>と紹介されたのが、ジャパン キャンサー フォーラム。</p><p>ちょうど週末の8/6-7にやっていて、入場無料なので行ってみました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160808/12/noboru-wat/43/e2/j/o2448244813718043852.jpg"><img width="420" height="420" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160808/12/noboru-wat/43/e2/j/o2448244813718043852.jpg"></a><br>会場に、がんになった方（サバイバー）や、看護師さんなどの医療関係の方、</p><p>患者会の方などで大盛況。</p><p>&nbsp;</p><p>乳がんや肺がんといった、それぞれのがんの専門医師の講演に加えて<br>緩和医療、臨床試験、医療費、そして子供を持つ親ががんになった時</p><p>などの講演もあり、２日間で60以上。</p><p>立ち見が出る会場もあるほどでした。</p><p><br>2日間中、いろんな講演を聞いて、印象に残った話しが２つ。</p><p>&nbsp;</p><p>1つは、乳がんになって胸を取ってしまった女性の話です。　（*もう1つは次回に）</p><p>&nbsp;</p><p>その女性は、まだ小さいお子さんがいたので、<br>一緒にお風呂に入る時は、どうしても胸がなくなったことに</p><p>触れないわけにはいかない。<br>病気のことをどのように伝えたらいいのか、</p><p>すごく悩んでいて相談する人もいなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>がんの主治医に相談することもできず、<br>たまたま、お子さんが通院していた病院のお医者さんに相談したら、<br>こんなことを言ってもらい、腑に落ちたという。</p><p><br>「ジタバタしない。<br>　あなたの生きざまを<br>　そのまま子供に見せてあげてください」</p><p><br>あー、僕の母さんと同じだー<br>目の奥がじわーんと潤んた。</p><p><br>母さんは、がんになっても普段の生活と何も変わらなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>「看護師をするために生まれたきた」というほど、</p><p>看護師という仕事が好きだった母さんは、<br>自分のがんのことは、息子たちには多くを語ってくれなかったけど。</p><p>いつも変わらず看護師の仕事に打ち込み、明るくて冗談をいっていた。</p><p><br>その女性の話を聞きながら<br>僕の頭の中は、母さんの思い出を探していた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br>このジャパン キャンサー フォーラムは主に募金や寄付で成り立っているという。</p><p>講演をした方の中には、医師や看護師さん、患者さんもいて、<br>総勢80名以上はいたと思うけど、<br>みなさん無償で講演を引き受けてくださったという。</p><p>&nbsp;</p><p>運営している方も皆さんボランティアで参加しているのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>皆さんの気持ちを感じられただけでも、胸が熱くなった。</p><p>&nbsp;</p><p>自分も何かしたいと心から思った2日間でした。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/noboru-wat/entry-12188406303.html</link>
<pubDate>Mon, 08 Aug 2016 12:45:01 +0900</pubDate>
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<title>06　母さんに乳がんがみつかった20年前の記憶</title>
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<![CDATA[ <p>****************************************************************************<br>2002年にがんで亡くなった母さんのことが知りたくなって<br>遠い記憶をたよりに母に想いをめぐらすブログです。<br>****************************************************************************</p><p><br>1996年、僕が大学3年生の時に母さんに乳がんが見つかった。<br>左胸を全摘してから16年が経っていた。</p><p><br>僕はその当時、山形の実家を離れて仙台で一人暮らしをしていたので、<br>母さんの乳がんのことは、親父からの電話で知った。</p><p>その時、僕はなにをしたのか、なにを思ったのか、よく覚えていない。</p><p><br>しかし１歳下の弟には記憶に残っている光景があるという。</p><p><br>母は、大学生だった僕と弟、もう一人の中学生の弟を寝室に呼んで<br>乳首が陥没したおっぱいをみせてくれたという。<br>今度検査を受けると言ったらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>弟は、いつも笑顔の母さんが一瞬不安な表情をしたことも覚えていた。</p><p><br>僕はその光景を思い出せない。<br>そういえばそんなことがあったような気がする程度で、記憶ははっきりしない。</p><p>&nbsp;</p><p>きっと『左の胸をとった時と大して変わらないから大丈夫よー」<br>といつものように冗談っぽく言ったに違いない。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、<br>僕は真剣に受け止めなかったのだろうか。</p><p><br>うん、完全な言い訳だ。</p><p><br>結局、ちゃんとしたことは、父さんから電話で聞いた。<br>「乳がんになって手術をすることになったが、</p><p>　そのために山形に帰ってくる必要はない」と。</p><p><br>父さんの言葉をそのまま受け取った僕は、山形に帰らなかった。<br>仙台から山形まで１時間もあれば帰れるというのに。</p><p>&nbsp;</p><p><br>昨日、父さんに電話をして、母が乳がんになった20年前のことを聞いた。</p><p>&nbsp;</p><p>「あの時、なぜちゃんと教えてくれなかったのか」</p><p>「お前ら、何も聞かなかったじゃないか」という一言。</p><p><br>そうだ、僕はなにも聞かなかったのだ。</p>
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<pubDate>Wed, 20 Jul 2016 07:42:16 +0900</pubDate>
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<title>05　片方の胸で弟を産んだ母さん</title>
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<![CDATA[ <p>****************************************************************************<br>2002年にがんで亡くなった母のことが知りたくなって<br>遠い記憶をたよりに母に想いをめぐらすブログです。<br>****************************************************************************</p><p>&nbsp;</p><p>僕が6歳の時に、母さんは左の胸をなくした。<br>そして、その2年後に弟が生まれた。</p><p>&nbsp;</p><p>その日のことはよく覚えている。</p><p>&nbsp;</p><p>5月5日、こどもの日。</p><p>&nbsp;</p><p>朝起きると、いつもは台所の音とか、テレビの音がするのに<br>家の中がしーんと静まりかえっていた。</p><p>1つ下の弟と家中探し回ったけど、<br>父さんも母さんも、じいちゃんもばあちゃんも、誰もいなかった。</p><p><br>朝ごはんはどうしたらいいんだろう・・・<br>弟と悩んでいた時に、父が帰ってきた。</p><p><br>「生まれたぞ！」</p><p>&nbsp;</p><p>それでやっと気づいた。男の子が生まれたのだ。<br>8歳下の弟ができて、僕らは男3人兄弟になった。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160719/13/noboru-wat/1e/19/j/o0800106713701206979.jpg"><img width="300" height="400" alt="" contenteditable="inherit" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160719/13/noboru-wat/1e/19/j/o0800106713701206979.jpg"></a></p><p><br>もし2年前の病気が乳がんだったら、</p><p>抗がん剤治療などをしていてはずだから、<br>妊娠してはいけない身体のはず。<br>このことからも、母さんはがんではなく良性の腫瘍だったことがわかる。</p><p><br>それにしても、母さんはよく弟を産んだものだ。<br>たった2年前に大きな手術をしているというのに。</p><p><br>母さんは、片方しかないおっぱいで母乳をあげていた。</p><p>それを8歳の僕は普通のことのように見ていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/noboru-wat/entry-12182073386.html</link>
<pubDate>Tue, 19 Jul 2016 13:07:09 +0900</pubDate>
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<title>04　最初から母には胸がなかった？</title>
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<![CDATA[ <p>****************************************************************************<br>2002年にがんで亡くなった母のことが知りたくなって<br>遠い記憶をたよりに母に想いをめぐらすブログです。<br>****************************************************************************</p><p>もの心がつく頃には、母には左胸がなかった。<br>手術で左胸を全摘したからだ。<br>左胸を取ったのが僕が幼稚園の時だから、母はだいたい30歳くらい。</p><p>&nbsp;</p><p>母は左胸を取った経緯を全部話してくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>・腫瘍が見つかって、乳がんかもしれないので手術で左胸を取ったこと。<br>・その後の検査で良性の腫瘍だとわかったので、もう心配はいらないこと。</p><p>&nbsp;</p><p>一緒にお風呂に入れば、手術の跡を見せながら<br>大人に説明するのと同じように難しい言葉もそのまま話してくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>まだ、"がん" が大変な病気だという認識もないくらいの子供だった僕は<br>「そういうものかー」と母の言葉をそのまま受け入れて<br>とりたてて母の命を心配することもなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>普段母はブラジャーにシリコンのパットを入れていた。<br>それもよく触らせてくれて（すごく柔らかかった！）<br>風呂上がりは、不謹慎にも1つ下の弟とキャッチボールをして遊んでいた。</p><p>&nbsp;</p><p>ホントバカな兄弟だ。</p><p><br>母は病気のことをどのように受け入れていたのだろうか。</p><p><br>当時は医療技術も発達していなかったから<br>結果的に良性の腫瘍でも、全摘しなければいけなかったんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>女性として、胸がなくなってしまうことは<br>男の僕には想像できない、とても大きなこと。</p><p>&nbsp;</p><p>まだ幼稚園の子供が２人もいて<br>ひょっとしたら死ぬかもしれない不安と闘っていた母の気持ちは<br>どれほどだったのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>子供の僕に理解するすべは何もなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>そうして乳がんという言葉に抵抗がないままになった僕は<br>大学4年生の時に、母の右胸にがんが見つかったにも関わらず<br>信じられない思い違いをすることになる。</p>
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<pubDate>Sun, 17 Jul 2016 12:38:15 +0900</pubDate>
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<title>03　14年前のカルテを探す</title>
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<![CDATA[ <p>*************************************************************************<br>2002年にがんで亡くなった母のことが知りたくなった。<br>遠い記憶をたよりに14年前に想いを巡らす記録。<br>*************************************************************************</p><p>&nbsp;</p><p>母のがんはどんな症状で、どんな治療をしていたのか、<br>今となっては、ほとんどわからない。</p><p>&nbsp;</p><p>父に聞いても、いまいちはっきりしない。</p><p><br>わからないことがありすぎるというのは、気持ちが悪いものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>こうなったら、母が入院してた病院に聞くのが一番。<br>きっとカルテが残っているだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>病院のサイトを調べると<br>すぐに「診療記録の開示」のページが見つかって、<br>問い合わせ先の連絡先も書いてある。</p><p>&nbsp;</p><p>”カルテ開示は，患者様本人しか開示を受けることができませんが、<br>&nbsp;亡くなられた場合のみご家族に開示しております。<br>&nbsp;ただし医師の判断等によっては，開示できない場合もありますので<br>&nbsp;ご了承ください。”</p><p>&nbsp;</p><p>カルテ開示というと、医療事故が起こった時に請求するイメージがあって<br>ちょっと気がひけるけど、<br>もう14年も前のことだし、訴訟とかそういう類の目的でもないので、<br>きっとすんなりカルテを発行してくれるだろう、と安直に考えていた。</p><p>&nbsp;</p><p>昼の時間をさけて13:30に電話をしてみると、<br>優しい感じの女性が出て少しホッとする。</p><p>&nbsp;</p><p>母の名前と生年月日を伝えると、ID番号は残っていることはわかったが<br>カルテが残っているかどうかは、調べてみないとわからないという。</p><p>&nbsp;</p><p>お〜！　そういうことか！</p><p>カルテってずっと保存しておくわけじゃないんだ。</p><p>&nbsp;</p><p>カルテはその人の病気の記録なわけで、貴重なものだと思うのだけど、<br>病院にとってはそれほど重要なものではないらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>確かにググると、医師法でちゃんと定められていて、<br>5年間はカルテを保管しておく義務はあるらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>ということは、5年が過ぎたら処分してもいいということか？</p><p>&nbsp;</p><p>もう母のカルテはないかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、ひょっとしたら残っている可能性もあるし、<br>今は電子カルテになっているはずだから、<br>過去のカルテをデータ化しているかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく折り返しの電話待つことになった。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、２時間後、早速病院から電話が来た。<br>「当時の記録は破棄して残っていませんでした」</p><p>&nbsp;</p><p>やっぱりないのか〜。</p><p>&nbsp;</p><p>ないと言われればどうしようもない。</p><p>&nbsp;</p><p>ID番号はあるのに、記録は残っていない。<br>そこにいたはずなのに、実体がない感じ。</p><p>余計に母の記憶がぼんやりしてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>もしカルテがあったら、<br>いつどんな治療をしたかがわかったなら、<br>自分の記憶と重ね合わせて、その時の母の輪郭がもっとクリアに想像できたのに。</p><p>これで、母の病気のことを知る術はなくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>やれることといったら、自分の記憶と、父の記録、そして弟の記憶をたしあわせて、想像するしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>どの記憶も曖昧で消えかかっている。</p><p>&nbsp;</p><p>14年という時間は長過ぎた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Wed, 13 Jul 2016 10:53:30 +0900</pubDate>
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<title>02　僕は仏壇には手を合わせない</title>
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<![CDATA[ <p>母の仏前に手を合わせるのがどうも苦手だ。</p><p>&nbsp;</p><p>亡くなってからもう14年も経つというのに、手を合わせたのは、</p><p>本当に数えるほどだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>別に母のことが嫌いなわけではないし、実家に帰っていないわけでもない。<br>お盆と正月はだいたい帰っているし、</p><p>子供たちには必ずお参りしなさいと言っている。</p><p>&nbsp;</p><p>車で10分のところにあるお墓にも行って、<br>掃除をして、花を添えて、線香をあげて、手を合わせている。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、家の仏壇には手を合わせられない。<br>母親の遺影を見ると、どうしても手を合わせたくなくなるのだ。</p><p><br>母が亡くなるまで家には仏壇がなかったから、</p><p>仏さまに手を合わせるのは母の実家に行く時だけだった。<br>そこにいるのは、戦争で亡くなったじいちゃんの兄弟とか、</p><p>会ったことのないご先祖さまばかり。</p><p>&nbsp;</p><p>それで、仏壇にいるのは、自分の知らないご先祖様という、</p><p>変な感覚ができあがってしまった。</p><p><br>母が亡くなって、家に初めて仏壇ができて、いざ手をあわせようとすると、<br>遠いご先祖さまになってしまう気がして、どうも気が進まなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>母は母であって、ご先祖さまではない。</p><p>&nbsp;</p><p>だから僕は、実家に帰ると必ず母の遺影に向かって「ただいま」と声をかけている。</p><p>遺影の母は笑っている。</p><p><br>子供の頃のように「ただいま」というと、</p><p>母の「おかえりなさい」という声が聞こえてくる。</p><p>&nbsp;</p><p>神奈川にもどる時は「行ってきます」。<br>そうすれば「行ってらしゃい」と応えてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>それが自分の中で一番しっくりくるやり方。</p><p>&nbsp;</p><p>かあちゃんは、いつまでもかあちゃんでないとダメなのだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/noboru-wat/entry-12179735925.html</link>
<pubDate>Tue, 12 Jul 2016 07:39:17 +0900</pubDate>
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<title>01　42歳にして母を想うようになる</title>
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<![CDATA[ <p>今年で42歳。あっという間にいい大人になってしまった。</p><p>42にもなって、最近、14年前に亡くなった母のことを、よく考えるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20160709/23/noboru-wat/14/a7/j/o0800060013693479347.jpg"><img width="420" height="315" alt="" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20160709/23/noboru-wat/14/a7/j/o0800060013693479347.jpg"></a></p><p><br>どうして考えるようになったのかというと、</p><p>山形で暮らすおやじの調子が、あまりよくないから。</p><p>&nbsp;</p><p>おやじは、突発性肺線維症という肺の機能が徐々に落ちていく病気で</p><p>ここ1年は、特に思わしくない。</p><p>近頃は、鼻からチューブで強制的に酸素を送り込まないと、</p><p>体を動かすのも辛いようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は神奈川にいて、山形のおやじとは離れて暮らしている。<br>電話は２、３週間に一回くらいしかしないのだが、<br>それだけだと、普段どのくらい辛いのか、どんなことを思って生活しているのか、</p><p>よくわからない。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、そう遠くない未来に、おやじを送る日が来てしまうのかもしれない、<br>心の準備をしておかねばと思う。</p><p>&nbsp;</p><p><br>今度は、ちゃんと送りたい。</p><p>&nbsp;</p><p>14年前にがんだった母をちゃんと送ることができなかった後悔が、</p><p>強くなってきている。</p><p>&nbsp;</p><p>母は1996年に乳がんを患って、その翌年には肺に転移が見つかった。</p><p><br>それでも元気だなぁと思っていたら、ある時、あっという間に病状が進行して、</p><p>53歳で旅立ってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>当時はずいぶん親不孝な息子だった。</p><p><br>大学生で実家を離れて一人暮らしをしていて、</p><p>乳がんになったことは父から電話で聞き、そうなのかーと思う程度だったし、<br>肺に転移したことは、今ではいつ知ったのかすら思い出せない。</p><p>&nbsp;</p><p>母は病気のことをあまり話さなかったし、</p><p>僕には辛そうな顔を見せなかったから<br>勝手に安心してしまったのかもしれないけど、<br>14年経った今でも、母の病気のことは、ほとんど知らない。</p><p><br>母は、病気とどのように向き合っていたんだろうか。<br>おやじがいなくなったら、一生わからなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん当時の母のことが少しわかったところで、今さらどうしようもないけど、<br>それでも、心のどこかにずっとあった後悔が、</p><p>ちょっとだけでも整理できるのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p><br>これからはなるべく山形のおやじに電話してみよう。<br>身体のことを話しつつ、母のことも少しづつ聞いてみようと思う。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/noboru-wat/entry-12178991033.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Jul 2016 23:23:37 +0900</pubDate>
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