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<title>noda1945のブログ</title>
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<title>研究生公演「僕の太陽」と私</title>
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<![CDATA[ 3月17日秋葉原AKB48劇場、8月よりスタートした研究生公演「僕の太陽」が千秋楽を迎えた。<br>私にとって研究生の「僕の太陽」はAKBの特殊なシステム/空間設計演出である「劇場公演」を初めて理解し、体験できた特別な公演だ。メンバー名前と性格を覚え、公演のセットリストを覚え、ユニットなどのポジションを覚えていく「成長を見守るアイドル」としてのAKBが持つ原初の喜びを感じれているのが本当に良くわかった。<br><br>思い返せば私がAKBに興味を持って好きになりはじめたのは映画Documentary of AKB48の第二弾を見たのが一つのきっかけであってヲタになったのが2012年であるので、その時には既にAKBのシングルは100万枚を突破し、レコ大をとり物語としてはほとんど完結していたと言っても良いような状態だった。そしてヲタになって間もなくしてエース前田敦子の卒業が発表され東京ドームという物語の「ゴール」が提示された。なので私はその物語を振り返る事からヲタ活を開始した。初期メンの苦労やチームKのAに対するライバル意識やチームBのリクアワでの「初日」の奇跡、総選挙、SKEやNMB、HKTなど、それぞれの持つ小さな物語の支流が集まり、大きな川となって「AKB(48G)」になっている事がとにかく面白くて何か壮大な歴史絵巻を読んでいる気分だった。<br><br>そして私は実際に東京ドーム公演に参加し、その物語を見届けた。<br><br>夏が過ぎ、AKBは第二章に入ったと言われていた。松井珠理奈や島崎遥香や渡辺麻友による次期センター争いがはじまったのだ。<br>当然「AKB」というある種のスポーツのようなものに興味のある身としては、その頂上決戦は大変に気にはなる。しかしその戦い/物語に参加しているメンバーに推しだとか、特別に感情移入して応援をしたくなるような人がいないことに私は気がついた。外野から見て「どうなるのかな？」だとか「将来のAKB全体を考えて…」という視点からは論じることはできるのだが、個人的に「こうだ」という強い思いが自分の中には全く無かったのだ。<br>2010年のバンクーバーオリンピックの時、アイスホッケーのカナダvsアメリカ戦が異常に盛り上がっていたのは、移民の国で独自の文化をほとんど持たないカナダにとって「国技」であるアイスホッケーで日頃優秀な人材をカネで流出されてしまっている(あまつさえアイスホッケーの選手までも…)アメリカには絶対に勝たなければならないという他国民には知り得ない国民感情があったからだ。私は当時その試合を日本からTVで観戦し楽しんだが、当然よそ者視点だ。当事者にしか感じられない本当の嬉しさや悲しみがこの世界にはある。<br><br>AKBの中でも自分が当事者であるべく「本当の推し」が存在していない事は、早い段階で気づいてはいた。でも私は「マジすか」的な群像劇の方に興味もあったし、そこまで気にはとめていなかったのかもしれない。<br>しかしそのことに私は若干の後ろめたさ、羨ましさを感じていた。「本当の推し」を持つもの同士の魂のぶつかり合いがAKBを恐ろしくて面白いものにしているという確信があった。「マジ」にならなきゃいけないのがAKBであり、それこそ私をこの世界に引きずり込んだ大きな要因である「マジすか」イズムであるからだ。<br>その「マジ」をオタはどうやって育んでいるのかというと、握手会や公演でメンバーと濃厚な触れ合いを経験するうちに徐々に愛が積み重なっていくということなのだろうと思う。ハマるキッカケは何でも良いのでどこまでハマれるのかが愛を見つけられるかの鍵となる。<br><br>そして、そのキッカケがついに訪れる。Twitterでやりとりをしていたオタクさんから研究生の出ている有吉AKB共和国を見るように勧められたのだ。今思えばそのオタクさんのイントロデュースa.k.a.ステマが巧みだったということなのかもしれないが、TVに映る小嶋真子や岩立沙穂のプレーンな魅力がどうもひっかかった。<br>彼女たちは有吉に出る時は皆一律に同じ制服やＴシャツを着る。それは仮面ライダーにおけるショッカーの構成員やスターウォーズのクローン兵のような「名もなき者たち」という扱いにも近い。しかし当然、彼女たちは現実に存在し、各々に人格がある。(失礼…)<br>このような状態からぐぐたすなり様々なメディアを通してキャラを理解していくというのがオタの通例なのだが、研究生はメディアに蓄積された情報がまだ少なくキャラの形成の途中であるメンバーが多い。それが大変に魅力だった。<br>研究生を観測できる公演も正規チームより多く、メンバーもほぼ変わらないという環境も私の研ヲタ化に拍車をかけた。雨が降ろうと、雪になろうと行けるときはロビーへ通い、行けないときはTLで情報を得て、眠い目をこすりながら有吉AKB実況に参加し、ぐぐたすにコメントし、キャラアニを開いてカネをかけて握手券をとり、モバメをとっているうちにどんどん愛がかけ算になって拡大し螺旋状に上昇していった。青春が息をするのが聞こえ、もどかしいほど愛しさが脈をうつのを感じた。研究生たちのことを「我が軍」(失礼)などと呼ぶようになっていた。<br><br>そんな状態の中、去る3月3日、私は初めて研究生公演「僕の太陽」を劇場で見ることができた。<br>それはもう言葉を絶する感動だった。自分が「マジ」で大好きで愛する人たちが歌い、踊り、レスをくれる。本当に楽しいし嬉しかった。馬鹿かもしれないしクズかもしれないし何の生産性もないかもしれない。でも、こんな気持ちになれるって僕はついていると思ったし、これが宗教ならば神様はオタクの心の中に存在してると思った。<br><br>そんなこんなわけで「僕の太陽」は終了した。14期のメンバーが口々に「この公演は自分にとって初めて覚えた公演で」というよう発言をしていてヲタ歴の浅い私は「オレモー！！」と全力で同調したい。本当に特別だ。それこそ僕の「僕の太陽」である。<br>因果な者で私がもうちょっとAKBにハマるのが早ければチーム4を好きになっていて「僕の太陽」といえば東京ドーム2日目の島崎遥香の涙を思い浮かべるようになったかもしれない。しかし私は超満員のロビーでオタクと体験したこの「僕の太陽」を想うのだろう。<br><br>劇場を出て階段を降り、駅まで歩いた。秋葉原はまだ肌寒い春の風が吹いていた。ひとつの区切りがついた感慨にふけりながら私は帰路についた。総武線の中でオタクと興奮気味に今後の研究生の展望などを話した。そして今、この文章を書いている。<br>私は少し考えた末、今後も「研究生」を推していくことにした。もちろん思い入れのある今のメンバーが昇格したとしても応援するが、それ以上に自分で見つけた「研究生」という場所の居心地が良くなってしまった。これから新しいセットリストがはじまり、15期生も加入し、また新しい研究生公演が始まっていく。いや、もうすでに始まっている。そう、太陽は何度も夢を見るのだ。<br>本当に素晴らしい公演をありがとうごさいました。ガチ恋です。愛してま～す！！<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noda1945/entry-11492712902.html</link>
<pubDate>Mon, 18 Mar 2013 02:09:43 +0900</pubDate>
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<title>恋愛禁止条例を問う</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130209/13/noda1945/2a/a2/j/o0640089012411687124.jpg"><img alt="noda1945のブログ-image.jpeg" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130209/13/noda1945/2a/a2/j/t02200306_0640089012411687124.jpg" border="0"></a></div><br>峯岸ボウズに端を発した一連の問題に何か書こうと思っていたのだが、あの動画を視た直後は運営不信に陥ったりヘコんだりして相当参ってしまっていた。なんだかAKBというシステムが自動生成したデビルマンに出てくるみたいな悪魔が嬉々として地上に現れ、我々に噛み付いてきた感じだ。<br><br>アイドル恋愛禁止に関しては「絶対バレないようにやるべき」という意見もあるが、やはりスマートフォン付属の高解像カメラやTwitterなどのSNSが高度に発達した現代の日本では不可能に近いと思う。バレないような努力なんて目深に帽子を被り、フードも被り、大きいマスクを着用した坊主頭にも比類するほど「異形」な姿をした峯岸の写真を見れば充分になされていると言えるだろう。柏木に対しても「裏切った」という言説は本当に酷だと思う。結果がすべてだということならそれまでだろうが、一旦マークされてしまえばどだい無理な話だろう。<br><br>私は「恋愛禁止条例」改正法案を支持する。<br><br>疑似恋愛の対象、ガチ恋までいかないまでも「ワンチャンあるのではないか？」という雰囲気を微妙に感じられるかどうかが人気=成績に大きく関わってくるアイドルは、恋愛禁止がなくなったところで自由に恋愛できないだろう。今までと何も変わらない。<br><br>「恋愛禁止」という不文律をあえて掲げることがAKBにオタも含め妙な緊張感を産み、それが物語に大きく作用しているというのは間違いないだろう。しかしそれがメンバーやスタッフに少なくない負担を強いて限界に達し、ダダ漏れになっている現状を考えると何かを変えないといけないと思う。<br><br>NFLでは近年、QBやキッカーへのタックル、そして他のポジションの選手に対しても頭部へのタックルに関する反則がかなり厳しくとられるようになっている。これは明らかに重大な事故が起きるのを防ぐという目的がある。<br><br>守備の選手から「これでは仕事にならない」という声や、ファンからも「エキサイティングなプレーが減るのでは？」という声もあるのだがNFLの姿勢は変わっていない。<br><br>過激さを求めて突き進むという時はもう終わりにしたほうが良いのではないのだろうか。それで魅力がなくなるのならそれまでだし、また新たな魅力を運営もオタも探っていくという選択肢はあると思う。AKBはまだまだこんなもんじゃない。
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<link>https://ameblo.jp/noda1945/entry-11466863538.html</link>
<pubDate>Sat, 09 Feb 2013 13:39:57 +0900</pubDate>
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<title>AKB49を読もう。～&amp;Jewelの正体～</title>
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<![CDATA[ AKB49が面白い。<br><br>先週のマガジン<br>掲載分で、チームメイトであり親友であり想いを寄せる相手でもある寛子の事を第一に考えた結果、自ら壁になる展開は非常に燃えた。かつては巨人の星でのラスボスは星一徹であり判宙太であったりしたわけなのだが、こういう気持ち良いまでのスポ根漫画になるなんて予想だにできなかった。<br><br>自分はこの漫画がとても好きで何度となく読み返しているのだが、実在の選抜メンバーがまさに聖人として扱われてたりして、そこの部分も巨人の星における王、長嶋、金田だったり、プロレスラースーパースター列伝に出てくるレスラーたちみたいで、実像は置いておくとしても少年たちの妄想や幻想を掻き立てて燃えさせてくれる人物が現代にも存在しているということにとても感動する。<br><br>自分はどうやら横綱大関であるとかプロレスラーであるとかプロ野球選手であるとか、小学生が目をキラキラと輝かせながら憧れを抱いているTVの向こうの人物、というのが大好物で、超昭和的な力道山コンプレックスを拗らせているようで困ったものなのだが、それが芸能人的な人におけるひとつの理想型だと思う。<br><br>AKBはもはや時代を逆行してるのか先取りしてるのかよく解らないところがあって、そこを自分なりに読み解いてみるのも楽しい作業であったりする。握手会というのは原初的な近接戦闘なのであって、何か核戦争後の退化した文明では武器など無く、骨での殴り合いが起こるといったようなブッ飛んだSF物語までも想起してしまった。<br><br>AKB49に話を戻す。自分は物語の序盤こそ超選抜メンバーたちが、漫画的誇張もあいまって「聖人」っぷりをいかんなく発揮させているのを見て喜んでいた。物語は主人公たち研究生が課せられた「チケット1万円の研究生公演の完売」を達成し一段落する。<br>そこからスタートしたのが主人公を含む研究生が結成したユニットによる物語、「GEKOKU嬢編」だ。<br><br>自分は最初この物語に乗れなかった。現実のAKBが取り巻く環境から離れたフィクション要素の強い展開に感じたからだ。<br>普通に考えてライバルである「&amp;ジュエル」のような「業界最大手のレコード会社が推すアイドル」なんてものは現行覇者・AKBがいる限り現実ではあり得ない。<br><br>GEKOKU嬢(以下GJ)が戦うべきはマジすか学園宜しく先輩メンバーたちであるはずだろうと考えながら読んでいた。<br><br>物語は＆ジュエルサイドの仕掛ける「大手の圧力」にGJが晒されるも、なんとかド根性でそれを乗り越えていくという形で進む。<br>これもおかしな話で、本来そのような圧力をかけたり大手広告代理店などと結託して大規模な宣伝を行っているとされるのはAKB側であろう。今作では渋谷駅の東急線入口上の看板に&amp;ジュエルの広告があるのをAKBに属する主人公たちが眺めるシーンがあるが、現実にあそこに載っていて違和感のないのは紛れもなくAKBの方だ。<br><br>そして妨害工作をした雇われのチンピラが主人公たちにこう言い放つ、「芸能界はカネとジムショだ」と。<br><br>AKBのヲタにとって「ジムショ」というのは中々敏感になってしまう話である。大型コンサートの際にサプライズとしてメンバーの事務所への所属/移籍発表が行われるのは通例となっており、ヲタの側も、あくまで憶測の範囲ではあるが「あの事務所に行ったから誰々は仕事が増えた」とか「どの事務所は強い」などの話は良く聞かれる。その中にはマイナスイメージなものも多く含まれ(大きな事務所=黒いetc...)フィクションとは言え、ライバルである&amp;ジュエルにその部分を担がせるのは少し手前味噌すぎると感じた。<br><br>ところがあるキッカケから自分の考えは少し変わっていった。<br><br>GJが＆ジュエル主催のライブに参加する話は、「指祭り」開催発表直後の何とも言えないピリピリした感じも思い出した。(実際のイベントは全然そんなことはなく、とてもピースフルだった)アイドル戦国時代と言われる中(GEKOKU嬢=下克上というユニット名は「戦国」を感じずにはいられない…)、所謂「対バン」形式のイベントも激増している。このような背景を考えると「GEKOKU嬢編」も完全なフィクションでなく、実はある程度アイドル界の現状を踏まえながら描かれているのかな、とある時ふと思った。<br><br>そうやって読み返してみるとGJがこのシリーズで見せていたのは、実は「AKBの負(腐)の部分」との戦いなのかもしれないと思うようになった。<br><br>やっぱり、どう考えても＆ジュエルの大規模宣伝などのやり方は、良いか悪いかはともかく、現実のAKBを思わせてしまう。<br>「AKB49」は高橋みなみ的ド根性ジャンプ魂を注入したようなモノで構築されている。そこで貫かれているのは「RIVER」で描かれたような崇高で真っ直ぐで純真なAKB精神だ。<br><br>しかし、この「たかみな的AKB精神」を忠実に実践していくと、皮肉なことに最後は「AKBそのもの」と戦うことになるのではないか、というようなことを考えた。<br><br>矛盾や疑問など、どうしようもない理不尽を抱えながらも走っていく(しかない)彼女たちは、まるでマンガみたいに美しい。<br><br><br>
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<pubDate>Thu, 24 Jan 2013 23:19:43 +0900</pubDate>
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<title>研究生の問題について考えてたら、AKB全体の問題でもあった。</title>
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<![CDATA[ 最近、日々AKB研究生について考えている。ここ一ヶ月くらいで一気に興味が増している。<br><br>研究生とは何なのか？単なる正規メンの二軍なのだろうか？少し考えてみたい。<br><br>AKBに研究生の制度が出来たのは4期からだ。そこから2013年1月現在、14期まで脈々と続いている。15期オーディションの開催も既に発表されている。<br>彼女たちは日々研究生公演で鍛えられ、アンダーで鍛えられ、複数ポジションで鍛えられ…。本当にすごいなと思う。<br><br>自分がこんなに研究生に惹かれるのには、彼女たちに「昇格」というハッキリとした目標があるからだと思う。モチベーションがあると推しやすいのはどんなグループでも一緒だなと。<br><br>いやあ、しかしあくまで研究生だが「AKB」という看板(十字架)を背負い、将来に迷いながらもレッスンに励み、お互いのポジションをカバーし合いながらも競い、年間で100回以上も劇場に立ち続ける彼女たちのステージングが他のグループに劣っているなんて事は、まず絶対にあり得ない。<br><br>今は色んなグループがあって毎週末に数えきれないくらい大小様々なイベントがやっているのだから、そこに「チーム研究生」として参加できないのかなあ、とやっぱり考えてしまう。<br>普段の劇場と違う環境でライブをするのはメンバーの経験にもなるし、他の出演者から得た刺激をフィードバックする事も出来ると思う。<br><br>AKBは劇場公演や握手会に関しては閉鎖的な部分(アケカスの闇)があるのを拭えない。他のグループのオタクたちにもオープンに見せれる事ができるなら、未来は明るいと思うのだが…。せっかく良いモノがあるのにオタクたちが発見できる機会があまりにも限られている気がしてならない。<br>正直、研究生にかかわらず、公演や握手会や総選挙など「内側の戦い」に神経を擦り減らし過ぎているメンバーを見てると何とも言えない気持ちになる。それをブレイクスルーできるキッカケの一つになりうる要因は劇場や握手会会場の外にもあるはずだ。<br><br>オタクは共有できる物語と現場を欲している。先日のぜんもちょでの盛り上がりを思い出すと、オタクたちの方の心の準備は常に万端いつでも来い、といった様子だ。<br><br>
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<pubDate>Sun, 20 Jan 2013 22:22:45 +0900</pubDate>
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<title>AKB49を読もう。その1～浦川実編～</title>
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<![CDATA[ <br>AKB49、<br><br>はっきり言って非常に面白い。少なくともオタクならば楽しめる内容なんで金銭的余裕があれば読んでもらいたいですね。まぁ握手券とかグッズとか様々あって関連商品全制覇というのは不可能なのでそのチョイスは各々に任せられるもんなのですが…。<br><br><br>AKB49は無気力な男子高校生、浦川実が主人公です。そんな彼が想いをよせる女の子、吉永寛子。彼女はAKBのオーディションを受ける決意を彼に告げます。<br>心配になった実は自ら女装をして、寛子を見守るべくオーディションに潜入します。<br>色々あって寛子は見事オーディションに受かります。ほっと安心して帰ろうとした実ですが、そのとき自分も受かったという事を聞かされます。さぁ、これから一体どうなるのか…？<br><br>というのがあらすじです。<br><br>なんとなく荒唐無稽で軽薄な作品にも見えますが、オタクならば考察できる点は多いと思います。<br><br>まず、主人公が女装をして正体を隠しAKBのメンバーとして活動しているという点。<br><br>当然女の子だらけの集団に入るのですから主人公はハーレム状態です。これは少年マンガ的エッチ要求に答えていると思います。<br><br>あと指摘できるのはAKBのシングル曲の歌詞は男目線で語られているものが多いという点での一致でしょうか。(この点については語れる人がいたら是非掘り下げていただきたい…)<br><br>AKB内では「あつみな」とか「さえゆき」などのある種百合的カップリングを楽しむ文化が存在していますが、49の中で主人公・実が関わる百合シーンが発生すると、必然的にそれが男女の恋になってしまうという点も、現実とマンガ的ハーレム状態の折衷案というか、二個イチになっていて面白いな、と思います。そしてAKBの中には秋元才加であるとか、宮澤佐江のようないわゆる「男」キャラが確実に存在しているので読んでいるオタクは主人公・実をそこに落とし込むのだと考えます。<br><br>そして主人公・実は、AKBのメンバーでありながら、今作のヒロイン、これまたAKBのメンバー寛子の「ファン」であることもこの作品のミソだと思います。<br><br>これはどういうことかと言うと、AKBのオタクには大体「推しメン」がいて彼女を応援したいと考えています。恋にも近い感情を抱いています。しかしオタクは推しを支援する具体的な方法としては握手会に行く、総選挙で票を入れるなど限定的な行為になります。<br>レスを貰ったり、認知されたりと、その見返りが全くないというわけでは無いというのが今のアイドル界なのですが、やはりそれらはあくまで「擬似的」なものであり、オタクとの親密な関係など築けません。<br><br>しかし今作の主人公・実はあろうことか、メンバーである寛子のすぐ近くでレッスンを受け、公演をし、ヘコんでいると励ましたり、一緒に帰ったりとやりたい放題です。<br>さらにさらに主人公・実は高校では真の姿で寛子の学校生活=プライベートまで見ているのです。なんというけしからんオタクでしょうか。<br><br>AKBは関係性の文化なので、おれがもしもメンバーになったら誰と仲良しになるとか、あのメンバーは怖そうだから挨拶できなそうなどの妄想話をオタクなら一度はしたことがあると思います。<br>メンバーになる妄想と親密になれる妄想がゴッチャになってるという感じです。<br>(僕は研究生が好きなのでよくGoogleで研究生の名前を窓に打ち込んで検索したりします。そうすると&amp;検索の候補に必ず「研究生  高校」というワードが出てきます。<br>このようにプライベートをあれこれ探るのは個人的には「ふざけんな！」と憤慨してしまうのですが、ヲタクの闇は確実に存在しているので、こういう欲望は否定できません。)<br><br>主人公の設定に見られる興味深い点はこんなところでしょうか。<br>今日はとりあえずこの辺で締めますが、49に関しては「神7のマンガ的神格化」とか「対&amp;Jewel戦考察」も後日書きたいと思っています。<br>読んでいただき、ありがとうございました。感想お待ちしております！<br><br><br>
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<pubDate>Mon, 07 Jan 2013 23:21:38 +0900</pubDate>
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<title>「群像劇スタイル」という楽しみ方。noda1945の場合。</title>
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<![CDATA[ 群像劇スタイルという楽しみ方について。<br><br>48Gには「単推し」という言葉があるように、特定のメンバーを選び、好んで応援するというスタイルが主軸になっていると思われます。確かにSKE箱推しやチーム推しというのもありますが、Google+などリアルタイムで膨大な情報が投下される現在の48Gでは全てを把握する事は不可能であるため、ある程度絞らなければならなくなっています。<br><br>しかしやはり「48G」という大きなくくりがあっての箱推しや単推しですし、少しはそういう事も念頭に入れながら推してやれよ、というのをいつも考えています。<br><br>それで、群像劇スタイルという楽しみ方なのですが、そもそも群像劇というのは特定の主人公を設定せずに、それぞれの様々な思いとか葛藤を少しずつ見て行く過程で、徐々に全体像なりテーマなりが浮き上がってくる。といったところでしょうか…。最近の映画だと桐島部活やめるってよとかアメリカン・ティーンなどがありますね。ドラマとかだとシカゴの緊急病棟を舞台にしたERから始まってLOSTとかも群像劇と言えるのではないでしょうか。<br><br>私がAKBに対し、こういう見方を始めたのは、やはりドキュメンタリー第一作、二作の影響が大きいのと、マジすか学園も大きいです。特にマジすか2に関しては前田や旧ラッパッパといった主役級がいなくなった分、より群像劇性は増していると思います。<br>少し脱線しますが、何かと評判の良くない2も群像劇というスタイルに注目すれば、それなりに楽しめると僕は考えています。<br><br>今まで群像劇、群像劇と繰り返してきましたが、群像劇の面白いポイントというのはどこにあるのでしょうか？<br><br>僕が考えるに、普通の物語では、ほぼ主人公の視点からしかお話は語られません。他の登場人物は主人公のサポート役であることがほとんどです。スーパーマリオでいうと、マリオがピーチ姫を助けにいくという物語はゲーム上で語られますが、マリオに踏まれるクリボーやノコノコの物語は語られません。<br><br>このクリボーやノコノコの物語までもが語られるのが「群像劇」なのだと考えます。<br><br>普通、複数の登場人物がいる場合、「君は僕だ」フィルタによって自分が一番共感できるキャラクター目線になると思います。しかし、クリボーやノコノコを画面のど真ん中へ一時的に持ってくることで、見る者を強制的に彼らの視点にしてしまえるのが群像劇です。<br><br>つまり普段は自分の視点しか持てないのが、群像劇を通すと全く違う他人の視点も獲得できるのです。<br><br>このことによって新たな刺激が受けられたり、クリボーやノコノコ的な他者への理解が深まったりするのです。始めは容姿などで気に入らなかったキャラクターでも、彼ら視点を得る事で「あ、見た目全然違うけど、俺と同じような事を考えてるんだな」とひっくり返る事もよくあるし、僕はそれが好きなんですね。<br><br>そして群像劇のもう一つの醍醐味として、「違った物語を持つキャラクター同士が遂に出会う瞬間」が挙げられます。去年公開された映画「桐島部活やめるってよ」のラストではゾンビ映画を撮っている学内ヒエラルキー低めの映画部と、マッチョ体育会系バレー部、イケイケ帰宅部、などが「桐島」を巡って全く違う立場で屋上に集まります。<br>今まで全く交わらなかった者たちが、(しかし観客は映画の中で彼らの様子は把握している)繋がっていき、遂に交錯します。その結果対立したり、解りあったり、お互いに何かを感じとったり、しなかったり、遭遇したことをその後の人生に活かしたり、活かさなかったり。なんと言いますか…、「出会い」というのは「何かが動き出す可能性」というのを常に秘めていて大変ドラマチックなんですね。例えば少女マンガであれば主人公の女の子と、恋愛関係になるであろう相手の男の子が初めて出会うシーンというのは見開き2ページくらいドーンと使って見せますよね。<br>また、クリント・イーストウッド監督の映画「ヒア・アフター」は「この出会いは偶然ではなく必然だった」みたいなスピリチュアルな演出をしていて、ラストシーンの出会いが非常に感動的に描かれます。<br>先述したドラマ「LOST」は飛行機事故で偶然乗り合わせた人達が無人島で生活していくのですが、その中で宗教的な倫理が絡んできて「この出会いはもしかしたらある意味で必然だったのではないか…」と考える者も出てくるといった内容です。<br><br>このように出会いというのは、物語とか思い込みというフィルタを通すと自然にドラマが発生してしまうのです。<br><br>それで、話をAKBに戻すと…。<br><br>例えば先日、AKBの研究生達がサルオバさんに引率されて、名古屋のSKE48劇場にチームEの公演を見学しに行きました。(あまり調べてないんでアレなんですが今まで研究生とチームEはそんなに絡んだことはないハズです…？)<br><br>研究生である彼女たちが、同い年くらいの子も多い正規チームを見る。きっと年もあまり違わないのに、まだ昇格できていない自分たちと、昇格して正規チームにいる彼女たちと、どういう差があるのだろうと考えたりすることでしょう。そしてその事を胸に二日後の公演に望むのです。<br><br>一方、チームE側から見てみると、今日は東京からAKBの研究生が来るし下手な物を見せれない。いつも以上に気合を入れていかなければ。という感じになります。<br><br>この場合、研究生の側に立つのもいいし、チームE側に立つのもいいでしょう。しかし、第三の選択肢として少し欲張って両方の視点を持って、この運命的な(オタが勝手に妄想した)出会いの瞬間を感じてニヤニヤするというのが私の楽しみ方であります。<br><br>AKBにはこのような小さな物語は無数に存在しているので、楽しみ方は無限大です。メンに迷惑かけない程度にドンドンやっていきたいですね。<br><br><br><br>追記。僕がこのような群像劇スタイルでハマって行った過去の事例の一部を記しておきます。<br><br>ストライクウィッチーズ<br>スターウォーズ<br>プロレス<br>プロ野球、NFLなどプロスポーツ<br>第二次世界大戦<br><br>などなどです。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 07 Jan 2013 20:03:33 +0900</pubDate>
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<title>う、う、写ルンです…</title>
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<![CDATA[ 待望だったみとふくさんの「ゆ、ゆ、ゆきりん…」評を読みまして…。人によってこんな見方があるのか！と感嘆しました。そして、また後だしブログやりますか、ということで書いてます。それはさておき…、<br><br>柏木由紀セカンド写真集「ゆ、ゆ、ゆきりん…」です。<br><br>私ごとなのですが、自分のAKBでの最初の推しは何を隠そう柏木さんでして、ヲタなら知ってのとおり彼女は親子二世のアイドルヲタというかマニアというか…。とにかく共感を呼びやすく私もそんなところから柏木さんにハマっていきました。<br><br>柏木さんは幼少期から日々、続けられたアイドル研究によって得た豊富なスキルによって自らの理想とするアイドル(=石川梨華)に近づいていくというスタイルで成長を続けていきました。今ではダンス、歌、表情、握手対応など「完璧アイドル」と言われるくらいです。<br><br>しかし彼女の魅力は「完璧」の部分だけではありません。むしろその「完璧」が少しほつれたときにこそ魅力が爆発しているのだと考えます。<br><br>実は腹黒(ブラック)、すぐ帰る、リアクション芸、イモっぽい顔、田舎ファッション(鹿児島出身！)、等々。現代のアイドルに必要不可欠な等身大の「共感」と自らが影響を受けてきた80年代アイドルやハロプロの持つ「憧れ」の部分。この両方を高い次元でわかりやすく持ち合わせているのが柏木由紀なのだと思います。<br><br>なので、みとふくさんの「ゆ、ゆ、ゆきりん…」評のような「身近な恋人気分でいたら、次の瞬間報道陣に囲まれてパシャパシャやられてるアイドル」というのは被写体が柏木さんだからこそしっくりくるのかもしれません。<br><br><br>次に、この写真集のディレクションをしている箭内道彦さんについて書きたいと思います。<br><br>箭内さんは多くのCMや広告などを手がけるデザイナーというかクリエイターというかそんな人です。その作風はとにかく「ロック」で若い人に人気があります。タワレコの広告もやっているし、若者のオシャレでかっこいい文化を支えてきた感じもあります。<br><br>そんな彼が編集して発行しているのが「風とロック」というフリーペーパーです。彼のライフワークでもあるんですね～。この冊子は箭内さんが親交の深いロックミュージシャンを撮っている写真を使ってるわけですが、これがなんとも独特なのです。<br><br>フィルムのうなロモのような感じ…。この効果はじつはFUJIFILMの「写ルンです」で撮られたものが多いのです。(詳しくはhttp://fotonoma.jp/kotoba/vol02/contents01.html)<br><br>「写ルンです」は今から26年前、1986年に登場しました。デジカメやケータイのカメラが普及するまで、特にカメラに詳しくない一般の人でも簡単に扱える商品として人気を博しました。(二代目からはIOS400と暗くてもばっちり。シャッタースピードも速くてぶれない)<br><br><br>箭内さんは写ルンですのようなインスタントカメラを使うことにより、ミュージシャンたちの警戒心を減らし、より自然な素の表情をドキュメンタリックに切り取ることに成功したのです。AKBで言えば友撮みたいなものかと。<br><br><br>そして、当然この手法は「アイドル写真集」である「ゆ、ゆ、ゆきりん…」の中でも当然使われています。<br><br>その結果、どうなったのかというと、<br><br>柏木さんの持っているイモで身近な部分が、写ルンです最大の武器であるところの「家族や友達のような身近な人を撮る能力」と呼応しまくるという現象がおこったのです。<br><br>ただ、この写真集には箭内さんが撮っていない写真も含まれています。ページの淵がピンクになっている台湾で撮ったパートの一部です。<br><br>台湾のAKBshopで報道陣に囲まれ、ファンに手を振っている柏木さんの写真はおそらく報道用に撮られたものを使っていると思われます。<br><br>この写真は当然写ルンですで撮られたものではないですから、プロがキッチリと「アイドル=有名人」を撮ったものです。<br><br>おそらく、この二つの手法が産み出した「落差」によって、みとふくさんが感じたような気分に拍車がかかるというわけです。<br>(以下みとふくさんのブログ「What's Idol」http://lamlamplus.blog116.fc2.com/blog-entry-389.html「口移しのチョコレート」から引用)<br><br><br><br><br>…<br>今日は久しぶりの休み。僕は彼女の由紀と久しぶりにドライブデートへ出かけた。<br>行き先は彼女が前から行きたいと言っていたあの遊園地。<br>僕の運転する車の助手席で彼女はサービスエリアで買った”なにか”を食べている。<br>この間、テレビの情報番組で紹介されていたらしい。僕はよく知らないけれど。<br><br>…<br>結局、遊園地に到着するまで二時間もかかってしまった。優しい彼女はそんな事を気にもしてない素振りを見せてくれている。<br>彼女は僕の手を引っ張り、しまうま(HPで見たこのしまうまをいつもかわいいと言っていた)を見せてくれた。<br>遊園地でゲームをし、観覧車に乗る。景品を手にして喜ぶ彼女、観覧車から外を眺める彼女の美しい横顔。何気ないこんな日常がとても楽しい。<br>彼女の全てをこのデジカメの中に収めたい…なんて。<br><br>…<br>もうこんな時間か。<br>辺りは暗くなり別れの時間が近くなる。まだ帰りたくはない。彼女もそう思ってくれているのだろうか。<br>どこか憂いを帯びた彼女の表情は僕と彼女の心が通じ合ったという証拠かな。<br>由紀。今日一日<br><br><br>さあ、次のページを捲りましょう。<br>明日もあさっても続く僕だけの彼女、柏木由紀を見るために。<br><br><br>…<br>報道陣に囲まれるアイドル柏木由紀。僕の彼女、柏木由紀はどこへ行ってしまった…<br>昨日のデートは全て夢だったのか…柏木由紀はただの女性ではない。国民的アイドルグループAKB48の”ゆきりん”なのだ。<br>…<br><br><br>いやあ～、素晴らしいですね。「ゆ、ゆ、ゆきりん…」は。<br>「アイドル写真集」というのは中高生が興奮の眼差しで見る、というものではあるのですが、否応なしに時代というものに貼り付けられる彼女たちをそっくりそのままパッケージングしたタイムマシンのようなものでもあると思うのです。「エロ」の記憶ってのは生理に根ざしていて深いもんなんで物凄くノスタルジーを喚起させるんですよね。"アイドルの一年は普通の人の三年に相当する"なんて言葉もあるみたいだし、まさしく青春のラップタイムを「すごく速いタイム」で駆け抜けているワケで、ヲタはその一瞬一瞬を見逃せないんです。だからカメラというものが開発されたんだ！！<br><br>というのは嘘でありますが、アイドルと写真というのは本当に深層のところでは深く繋がってるモンだと思います。<br>以前、私は写真をかじったことがあって、そのときに先生が興味深いことを話していて、曰く「80年代のアイドルは望遠レンズで遠くから見つめるように撮られていた。それが年代が下るに連れて、段々とレンズの数値も下がりカメラマンがアイドルに近づいて撮るようになった」とのこと。<br><br>現在のアイドルは握手会など「超近接戦闘型」だしなるほどな～と感心してしまいました。<br><br>しかし…、「ゆ、ゆ、ゆきりん…」で使われている「写ルンです」は確かに近くで撮るカメラだけど、一般に普及してたのは90年代までだし…、今は2010年代だし、ゆきりんは80年代アイドル好きだから望遠もありなのか…？など変な混乱が生じました。<br>まぁ、様々な時を超え存在しているもの、そのワケのわからなさが「AKB48」であり「柏木由紀」ということで勘弁してください。以上です。読んでもらってありがとうございました。<br><br><br>追記:現在のアイドルを「超近接戦闘型」と書いてカメラの問題と絡めましたが、「ライフル銃」も射程とかでカメラに通じるものもあるし、戦争とかそういうのに絡めてアイドルに辿り着けたら(show must go onの自衛隊に見守られながらの被災地ライブシーン大好き)面白いのかもしれないと思いました。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noda1945/entry-11439408798.html</link>
<pubDate>Mon, 31 Dec 2012 23:33:41 +0900</pubDate>
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<title>私のハッピー&quot;ミクロ&quot;アケカスライフのはじまり</title>
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<![CDATA[ にゃろこさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/nnnmel00/touch/20121227/1356632457<br>を読んで、とりあえず何か書こうと、そう思って筆をとっている次第であります。思い返せば今年はAKBの事ばっかり考えていた年なので総まとめをしておきたいなと。<br><br>にゃろこさんが先のブログで指摘されているように、「世間一般に考えられているAKB」と「僕たちオタクの考えているAKB」にはかなりの違いがあるのは明らかですし、私自身その「差」にヤられてハマってしまったというところは大いにあります。<br><br>AKBには地方グループ(SKE,NMB,HKT,JKT)やチーム、ユニットや期、果てはメロンパン同盟やグイグイ選抜など様々なメンバー同士の関係性が構築されており、にゃろこさん言うところの「ミクロAKB」になっています。そして世間一般の考えるAKB=超選抜メンバー=神7=「マクロAKB」というのも的を得てるなウマいな～と、私はウンウン頷いていました。<br><br>その後、みとふくさん(片山陽加推し)が「超選抜メンバーすらもミクロAKBなのではないか？」という指摘をしていて、ここで私は一つの個人的な結論にたどり着きました。あぁ、言われてみればそうだったのかと。<br><br>それは何かと言いますと、<br><br>「超選抜メンバー」すらも「ミクロAKB」なんだということが理解できた瞬間に私はAKBにハマったのだ。<br><br>ということです。<br><br>私は「マジすか学園」を通じて、前田敦子の持つ不在の中心感や、大島優子のやせ我慢気質、篠田麻里子の裏番っぽさや、渡辺麻友の心の闇など「ミクロAKB」的なキャラクター性を沢山学びました。そして、そうした知識が積み重なることにより文脈が生まれ、それまで知っていたAKBの楽曲が全然違って聴こえてきたのです。「なんなんだこれは！？」と思いました。今まで見えてこなかったものが見えてくるという喜びは、オタクにとって何にも変え難いものなのです。<br><br>これが私にとって初めての「ミクロAKB」体験でした。それからはNMBに行ったりチーム4に行ったり研究生に行ったりとひたすらミクロというか、もはやミニマルですね…。(意味不明)<br><br>そして、ミクロの話とも繋がる私がAKBを楽しむ基本型となっている「群像劇スタイル」についても書きたいのですが、今回はこの辺でTo be continuedとシャレこみます。ご拝読、誠にありがとうございました。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noda1945/entry-11437404447.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Dec 2012 15:54:52 +0900</pubDate>
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<title>ハッピーアケカスライフ2.0</title>
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<![CDATA[ にゃろこさんのブログhttp://d.hatena.ne.jp/nnnmel00/touch/20121227/1356632457<br>を読んで、とりあえず何か書こうと、そう思って筆をとっている次第であります。思い返せば今年はAKBの事ばっかり考えていた年なので総まとめをしておきたいなと。<br><br>にゃろこさんが先のブログで指摘されているように、「世間一般に考えられているAKB」と「僕たちオタクの考えているAKB」にはかなりの違いがあるのは明らかですし、私自身その「差」にヤられてハマってしまったというところは大いにあります。<br><br>AKBには地方グループ(SKE,NMB,HKT,JKT)やチーム、ユニットや期、果てはメロンパン同盟やグイグイ選抜など様々なメンバー同士の関係性が構築されており、にゃろこさん言うところの「ミクロAKB」になっています。そして世間一般の考えるAKB=超選抜メンバー=神7=「マクロAKB」というのも的を得てるな～と、私はウンウン頷いていました。<br><br>その後、みとふくさん(片山陽加推し)が「超選抜メンバーすらもミクロAKBなのではないか？」という指摘をしていて、ここで私は一つの個人的な結論にたどり着きました。あぁ、言われてみればそうだったのかと。<br><br>それは何かと言いますと、<br><br>「超選抜メンバー」すらも「ミクロAKB」なんだということが理解できた瞬間に私はAKBにハマったのだ。<br><br>ということです。<br><br>私は「マジすか学園」を通じて、前田敦子の持つ不在の中心感や、大島優子のやせ我慢気質、篠田麻里子の裏番っぽさや、渡辺麻友の心の闇など「ミクロAKB」的なキャラクター性を沢山学びました。そして、そうした知識が積み重なることにより文脈が生まれ、それまで知っていたAKBの楽曲が全然違って聴こえてきたのです。これが私にとって初めての「ミクロAKB」体験でした。それからは無数にあるミクロAKBの中を泳ぎ回りました。NMBに行ったりチーム4に行ったり研究生に行ったりとひたすらミクロというか、もはやミニマルですね…。(意味不明)<br><br>そして、ミクロの話とも繋がってくる私がAKBを楽しむ基本型となっている「群像劇スタイル」についても書きたいのですが、今回はこの辺でTo be continuedとシャレこみます。ご拝読、誠にありがとうございました。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/noda1945/entry-11437401026.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Dec 2012 15:48:35 +0900</pubDate>
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<title>チェック</title>
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<![CDATA[ チェック<br><br>iPhoneから送信<br>
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<link>https://ameblo.jp/noda1945/entry-11437155069.html</link>
<pubDate>Sat, 29 Dec 2012 05:15:43 +0900</pubDate>
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