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<title>norimitu-724のブログ</title>
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<description>起こったこと。思ったこと。</description>
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<title>この世界は　微妙に生きにくい</title>
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<![CDATA[ <p>　この世界はおかしいことだらけだと思う。ロシアの侵攻にはあれだけ批判があったのにイスラエルがガザにミサイルかロケットぶっ放したことに関しては反応が薄いように見える。</p><p>&nbsp;</p><p>　人のある事柄に関する見解もおかしなものだらけな気がする。時間つぶしとかいう言葉は俺は嫌いだ。潰していいほど人に時間は多く与えられていない。</p><p>&nbsp;</p><p>　勉強することについて意味がないとかいう考えも嫌いだ。ゲームのアバターをあれほど時間をかけて育成することについては手間も暇も惜しまないのに、なぜその対象が自分となると尻込みするのか分からない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;　プラトンの「国家」でソクラテスは言っていたけれど必要の範囲を超えた先に待っているのは害悪らしい。この世界は必要ではないもので溢れているから、ソクラテスが現代に転生したらきっと絶望する。</p><p>&nbsp;</p><p>　ある技術や技能を習得することが意味があるかないかという議論も嫌いだ。そんなことしてる暇があるならさっさと習得してその後に考えればいい。どうして後でもできることを先に持ってくるのかよくわからない。</p><p>&nbsp;</p><p>　人のステータスは大半がほとんど同じだと思う。異世界でいう能力パラメータ的な。そして大半は大した数値じゃない。一部が凄い高かったり低かったりはあると思うけど、普通に暮らしてると差があるようには思えない。</p><p>&nbsp;</p><p>　だから高めないといけない。赤ちゃんを見ればわかるけれど初めは弱いけど段々強くなる。知識や経験や技術は若いうちは圧倒的に足りないから、その分を努力で補う必要がある。</p><p>&nbsp;</p><p>　偉人と言えば才能があったから何かを成し遂げたに違いないというのが一般的な見解だと思うけどそれも間違っていると思う。サミュエル・スマイルズの「自助論」を読めばわかるけど圧倒的に努力が強い。</p><p>&nbsp;</p><p>　10年や20年単位の努力によって偉業は成し遂げられるんじゃないかな。</p><p>&nbsp;</p><p>　努力が報われるとは限らないという言葉を努力をしない理由にするのも好きではない。しぬときに「もっとゲームをしとけばよかった」「もっとアニメを見とけばよかった」と後悔するようには思えない。</p><p>&nbsp;</p><p>　自分の考えと一般的な考えがズレていることが多いと、なんか生きにくいなと感じてしまう。自分が思っていることも理解されないだろうからあまり言えない。どっちかなんだ。俺が間違っているか、一般的な考え方が間違っているか。</p><p>&nbsp;</p><p>　どっちが正しいかはどうでもいい。どっちが正しかろうがこの生きにくさが解消されることはない。でも、別に構わない。</p><p>&nbsp;</p><p>　現実は残酷だ。奇跡が起こるべき時に起こらず絶望的な展開になり、それに対する救いが何も用意されていないことがある。</p><p>&nbsp;</p><p>　当たり前だけど、現実に作者はいない。つまり、現実を制御できるものはいない。管理している者もいない。だから、起こることには規則性もないし、道徳観念を無視しているような出来事も普通に起こる。救いをしっかり用意するような慈悲も当然ない。</p><p>&nbsp;</p><p>　でも、なんでかな。自然が作り出したものは美しいんだよ。</p><p>&nbsp;</p><p>　自分のミスで帰りが2,3時間遅くなった時に限って、星がとてもきれいに感じた。仕事前の朝起きた時、朝日を浴びにいくと気分が良くなる。</p><p>&nbsp;</p><p>　なんでか分からないけど海も良かった。今は海がない県にいるからあまり見ないけど。昔は夜に海を見に行っていた。なぜか落ち着いたし、何もしなくても1時間か2時間くらいは眺めていられた。</p><p>&nbsp;</p><p>　だから、生きにくさは大分緩和される。</p><p>&nbsp;</p><p>　微妙に生きにくい程度に収まってくれるから、こうして生きていられる。</p><p>&nbsp;</p><p>　音楽にも救われている。音楽なかったらしんでんじゃないかなって程に救われている。ロックにとか、ヒップホップにとか、edmにとかじゃなくて。音楽が好きなんだ。心の状態を整えてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>　もう26になったのに、心は10代後半の時とほとんど変わっていない。変わると思ってた。働けば染まると思っていたけど、まさかね。このままいけば、自分の容姿と心の年齢が開きすぎるんじゃないかと思い、軽く絶望することもある。</p><p>&nbsp;</p><p>　人にも救われている。今までの文を見るからにすこぶる孤独に生きているように思われるかもしれないけれど、それは違う。いや、違わないかもしれないけど、支えになってくれたり支援してくれる人たちはちゃんといる。</p><p>&nbsp;</p><p>　人間嫌いに見えるかもしれないけど、それも微妙に違う。考えが違うことが嫌なだけで人が嫌なわけではない。と、信じている。</p><p>&nbsp;</p><p>　むしろ嫌いな人を作らないようにしているくらいだ。憎しみは幸福から最も遠いところにあると思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>　この世界は残酷だし微妙に生きくいけど、運がいいことに俺はいろいろ恵まれている。どんなものにも二面性はある。メリットやデメリット、長所や短所とか。世界の残酷さや美しさ。</p><p>&nbsp;</p><p>　なんやかんや現実は好きだ。全部が綺麗なのはなんか嘘くさくも感じる。この入り混じった感じが好きだ。これが真実なのだろうという確信をくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>　でも、だからこそ浴びるような幸せが怖い。その後にくる残酷さに、俺は耐えれるようには思えなくなるし、それが真実だという確信が持てなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>　</p><p>　</p><p>&nbsp;</p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/norimitu-724/entry-12758468308.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Aug 2022 20:54:30 +0900</pubDate>
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<title>現実とそれに対する良薬</title>
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<![CDATA[ <p>2022.07.28</p><p>&nbsp;</p><p>俺の目にうつっている物や事は正しい現実をきっと写していない。そう確信させる出来事があった。</p><p>&nbsp;</p><p>後輩が辞めることになった。まあまあ慕われていると思ってたし、そこらへんの人よりは思慮深いし、哲学的な知識や人生に関する知恵とかもある俺を慕ってくれたのは正解だなあとかも。2ミリくらいは思ってた。.....嘘です。もう少しは思ってました。</p><p>&nbsp;</p><p>何の相談も受けず、辞めるという確定した事実を最初に知った。重要な決断の時は大抵頼りになる人や、慕っている人に相談はするものだ。だから、つまりはそういうことだ。俺は自分で思っているほどには慕われてはいなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>どうやら俺の目はとんだ節穴らしく、現実を正しく写せないらしい。その事実は俺を落胆させるには十分だった。目が節穴な上に、自惚れていた。自惚れには気を付けていたのに、知らぬ間に自惚れていた。</p><p>&nbsp;</p><p>俺の精神へのダメージは別として現場に与えるダメージも大きい。人手不足だからいてくれるだけでとりあえずは良い。その上その後輩は覚えがかなり早くてどう考えても有望にしか見えなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>それが辞めるのだから、現場の人の絶望感も大きい気はする。どうにか耐えていて、よし、さあ攻撃へ転じよう。とか思っている時に予期せぬ戦力の低下が起きたようなものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ。もう終わりだよこの世界は。とか思いながら運転して通勤したが、働き出して夕方の3時くらいになると、なんか何とかなりそうな気がしてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>やはりゲーテが言うように、活動が深刻な悩みなどに対する唯一の良薬であるということは真実なんだろうな。身体を動かして働いてたら、悩みについて考える余裕はなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>考えるとすれば、如何に時間が押している中、作業を効率的に行うか。帰った後、如何に日課を素早くこなして書く作業のための時間を取るか。その際の時間配分はどうするのか。</p><p>&nbsp;</p><p>なんか仕事とは関係ないことを考えているような気もするが、深刻に感じる悩みについて考えるという苦痛を伴う時間からは解放された。</p><p>&nbsp;</p><p>労働者に良い面があるとすれば忙しいことだと思う。働くおかげで深く考える時間が少なくなる。まるで思考する習慣がないかのように見えてしまうけど微妙に違う。</p><p>&nbsp;</p><p>考えるというか、考え過ぎるという方が正確だ。人は考え過ぎることで不幸になる。妄想を何回も繰り返しているうちに、心中では真実になってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>デカルトは考え過ぎることが嫌になって、軍隊に行ったし、ゲーテは活動と行動によって人の精神は健全なものになるとか言ってたし、アランも身体を動かせって言ってた。</p><p>&nbsp;</p><p>セネカやショーペンハウアーは閑暇が大事とか言ってたけど、どうも賛成する気にはなれない。彼らの言う活動が、どうでもいい別にする必要のない時間つぶし的なものを示しているかもしれないけど、賛成はできない。</p><p>&nbsp;</p><p>何もしていないと不安になる。余計な考えとか、未来のことや過去のことが頭の中をよぎる。だから、閑暇より活動だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>ウイスキー飲みながら書いてるからそろそろ頭が回らなくなってきた。もっと書きたいことはあるけど、見るに堪えない地獄みたいな文章になりそうだから、終わりにする。</p><p>&nbsp;</p><p>きっと、今まで見ていた人の中には戦慄した人もいると思う。「この文章が、さらに地獄になるだって!?」</p><p>&nbsp;</p><p>そういう人のために、俺は良心的な活動を1つ、今からすぐに行おうと思う。</p><p>つまり、さっさと書くのを止めて寝る。グッバイ、そして、グッナイ。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/norimitu-724/entry-12755792168.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Jul 2022 22:41:02 +0900</pubDate>
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<title>幸福論</title>
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<![CDATA[ <p>2022.07.11</p><p>&nbsp;</p><p>なんでこうも不安というか嫌な感じというか心がすっきりしないというか、長い間分からなかったけど、これって欲の所為なんじゃないか。三毒っていう欲があり、それは煩悩の中でも特に強いやつらしい。欲望、愚痴、怒り。愚痴と怒りについては心当たりはないから、多分欲望なのだろうか。それについては心当たりしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>あまりにも時間を無駄に使い過ぎた。大学の頃の過ごし方はほとんど失策と言っていいくらいに思える。まるで時間が無限にあるかのような使い方をしていた。実際時間はかなりあった。無限に等しいほどにはあった。何もしていなかったのもあるし、何の活動もしていなかったのもある。何かしていればと今になって悔やむ。</p><p>&nbsp;</p><p>焦燥に駆られる。対照的に今は時間はない。厳密にいえば、時間はかなりあるんだ。無限にあるかのような使い方をしない、つまり何事にも優先順位を決め、さほど必要でないことを後に回して必要なことのみ取り組む。簡単なことなんだ。することは2つだけなのだから。まず優先順位を決める。次に決めた順番通りに取り組む。簡単なことにしか思えない。心の方が静かで落ち着いていてくれれば。だから難しいし、苦しいことになる。</p><p>&nbsp;</p><p>この2年、心が落ち着いた状態が続いたことはない。焦燥感が襲ってくる。もっと有意義なことをせねば、もっと知識を蓄えなければ、もっと何か身につけなければ。なんで黙ってくれないんだろう。昔はそんなことはなかったのにな。</p><p>&nbsp;</p><p>いろんな過ごし方を試した。思いっきり時間を無駄に使ってみたり、どこかへ行ったり、真面目に本でも読んだり。でも、この心のざわつきは収まらない。ゲームをしても楽しさは感じない。アニメを見ても心は踊らない。まるで、君が今することはそんなことではないってアマテラス様かゼウス様か、ユッピテル様が耳元で囁いているみたいに。どうせなら、どうすればいいか大声でいいから耳元で叫んでほしい。</p><p>&nbsp;</p><p>あの頃よりいい暮らしもしてる。生活水準は確実に上がっている。今は昔できないことがたくさんできる。どこへだって行ける。それなのに、何故か幸福感ってものがどっかに行ってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事をして時間が減ったからだとも考えたが、それは多分違う。人は活動を通して成長するものだと思う。そしてそれは良心的で社会的であれば尚好ましい。今の仕事はこの2つは満たしてるし、大学4年の末期の何もないあり得ないくらい暇なときよりかは絶対良いという自信はある。ではなんでこんな心の状態がおかしくなってしまったんだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>昨日、社長からの文書を受け取った。最近仕事に関しては精度が落ちてて、ミスもまあまああったから。ああ、ついにお叱りでも受けるのかと思った。同時に、ボーナスの明細かもしれないぞ。とも思っていたが2つとも違っていて、経営者の勉強会の忘年会の締めの挨拶が印刷されたものだった。</p><p>&nbsp;</p><p>人生の糧にという社長が書いたのであろう付箋が貼り付けられていた。正直あまりにもおそれが多すぎてビビった。その後普通の社員で渡されたのは俺くらいという工場長の言葉を聞いてさらにビビった。俺は仕事はできるほうではないし、ミスって怒られたことは両手の指の数では足りない。話もうまくないし、何ならビビッて言葉が出てこないこともある。</p><p>&nbsp;</p><p>胸に「順境で喜び過ぎたものは変転の際に動揺する」というホラティウスの言葉を携えて、万が一思い上がろうものならひたすら自分を罵倒して現実に戻させるという決意と覚悟の元、文書を見てみた。</p><p>&nbsp;</p><p>「幸福論」という文字が目に入った。え？アラン？とお気に入りの本が頭をよぎった。何か引用しているのかもしれない。そう思って、読んでみた。どうすれば幸福感を感じることができるのかということが書かれていた。少し読んで退勤してから、休憩室で続きを読んだ。</p><p>&nbsp;</p><p>美しい文章だなって思った。これを書いた人は心がきれいなんだろうなって思った。幸福を感じるかどうかは心の状態や考え方で決まるらしい。読んでいるだけで幸せになれるような文だった。今の自分に必要な言葉もたくさんあった。なんで、みんなにも配らなかったんだろう。みんな幸せになれるのにな。とも思った。</p><p>&nbsp;</p><p>新鮮だったのは、仏教の三毒の話だった。人を不幸にするのはこの三毒だという話で、妙に心当たりがあった。</p><p>&nbsp;</p><p>1日経っていつも以上に勉強して、夕方になったが。奴が襲ってきた。もうめんどくさいから奴という言葉で表す。何かして紛らわそうとしたが、三毒の寓話を思い出した。</p><p>&nbsp;</p><p>よく、考えてみた。なんやねんと。俺はいつも以上に頑張ったけど、なんで来んねんと。そしてふと思った。昔なくて今あるものは、なあーんだ？欲じゃねと。</p><p>&nbsp;</p><p>あれもしたい、これもしたい。時間が足りない、何なら無限に増えてくれればいいのに。なんで俺はこんなに何も知らないんだ、もっと知識を増やさなくては。ゲームをする時間がない、というかもっと熱くなれるゲームはないのか。早く、これで食っていけるような技術を身につけなければ。もっと仕事ができるようにならなければ。もっと色んな所に旅にでなければ。もっと、もっと......。</p><p>&nbsp;</p><p>人を成長させるのは、ここまでの進化を促してきたのは、欲だ。ただ、人を不幸に貶めるのも欲なんだろうな。昔は、こんな欲はなかった。常に満足していた。それでも、学業に関しては手は抜かなかった。それは、必要だと自分が思ったから。ここで頑張る必要があると思ったから。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、欲がなくても、人は無気力にはならない。必要があれば、頑張れるのだから。でも、欲と必要は、正直違いがあまりよくわからない。欲から必要に思えることもあるし、それが毎回マイナスに働くとも思えない。</p><p>&nbsp;</p><p>こんな長い文章をここまで読むくらい暇な人はそんなにいないと思うし、いたとしたら何を書いても許されそうだから自分の好きな言葉で締めたい。</p><p>&nbsp;</p><p>中庸って言葉があって、それは人生において真理なんじゃないか思っている。極端を避けるということ。だから、ほどほどなら、欲があってもいいんじゃないかと思うし、何なら何かを成し遂げる燃料にもなりえるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>皮肉なことなんだけど、中庸って言葉を知る前の方が、中庸に叶った生き方をしていたと思う。ゲームもやりすぎてたら自制してたし、家にいる日が続けば散歩やサイクリングにでかけていた。学校の授業の復習の時間も取っていた。極端には走らないように無意識のうちにしていた。バランスが良かったんだ。無意識のうちに奇跡的なバランスを保っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>書いていて気付いたけど、これって無意識の内にできていたことが、意識的にできなくなったという話に見えてきた。ということは.....すごく難しいやつじゃん（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/norimitu-724/entry-12752938236.html</link>
<pubDate>Mon, 11 Jul 2022 20:52:37 +0900</pubDate>
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