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<title>ゲージ（Gage）からのリベンジ日記</title>
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<description>とあることから、被疑者として拘留され、出所した時には職を失う羽目に…でも、努力して復活していく事を宣言します！ハイ！</description>
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<title>警察官って…</title>
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<![CDATA[ <p>警察官の方々も、キャリア、ノンキャリとかで出世が決まっているようで、その差が大きい事は最近になって、分かってきて…なんとなく大きな企業のサラリーマンじゃんって思うようになりました。</p><br><p>子供の頃は、“おまわりさん”って良い人達で、正義の味方だと信じ切っていました。</p><p>だから、良く近所の交番に遊びに行ったものです。</p><br><p>オートバイになるようなると、良好な関係が無くなったのは、“オートバイに乗る人＝悪い人”って意識が警察官の方々の中に強くあるのかもしれません。</p><br><p>最初は、家の前でノーマルの状態の中型オートバイの掃除をしていたら、急に肩を掴まれ、免許書の提示と所属している暴走族の名前を聞かれました。</p><p>“暴走族”<img alt="！？" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif" width="16" height="16"></p><p>オートバイの事を何もしらい方で、“改造箇所を見せろ！<img alt="ドクロ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" width="16" height="16">”って言うから、“暴走族になんか入って無いし、改造もしてないから、どうぞ確認してもらっても構いませんよ”って言い返したら、チェックもしないうちに違反切符を切ろうとし始めたので、大きな声で “不当逮捕だぁ～”って叫んだら、近所の人達が集まって、ここからは見ものでした。</p><p>町内の方々から、その警察官の方はやり玉に挙げられた上に、上司に連絡されるはで、可哀想でしたが、横暴な手段には対抗するしかないと思いました。</p><br><p>それから、何ヶ月かして…夕方の産業道路を走っていると、本物の暴走族に遭遇<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p><p>ヤッバって思っていたら、僕の横をすり抜け、信号無視をして走り去ったのです。</p><p>勿論、僕は赤信号で停止していたら…暴走族を追尾していたパトカーから、二人の警察官が降りてきて、僕を無理やりパトカーの後部座席に放り込むや否や、<img alt="パンチ！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif" width="16" height="16">　殴る、蹴るの暴行を受けた上に、両手を取られて全部の指紋を取られてしまいました。<img alt="ドクロ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" width="16" height="16"></p><br><p>抵抗しても警棒で押さえつけられるし、無実の僕は暴走族に仕立てられ、暴走行為による違反切符を切られ、強引に指で押印させられました。“無実の人間に、警察はこんな事をするなら、訴えてやる！”って言っても、彼らはニヤニヤしながら、“目撃者はいないから、証人になってもらう事も出来ない事も分からないのか？”だって<img alt="むかっ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/034.gif" width="16" height="16"></p><p>その上、パトカーから引きずり出されると、“交通事故に合うより、運が良かったろ？”と捨て台詞を残して走り去りました。ようは、暴走族を取り逃がしたとは言えないから、一人でも検挙した事にしたかったのでしょう！FUCK!</p><br><p>身体中は痛くてたまらなかったけど…最寄りの警察署に行っても、証拠・証人がいないから、取り合ってくれない。交通裁判所に呼び出された時も、無実を訴えても同様の対応をされ、あえなく罰金に免許停止の処罰にあいました。<img alt="爆弾" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/036.gif" width="16" height="16"></p><br><p>警察署長との記念撮影事件は、それから何年かして起きたのでした…<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p>
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<pubDate>Fri, 04 Sep 2009 12:42:33 +0900</pubDate>
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<title>オートバイは僕の先生です　4th / 4th</title>
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<![CDATA[ <p>事故の瞬間って、スローモーションに感じるって、良く言われますが…本当でした。</p><br><p>いつもの幼馴染とアルバイトの帰り道、国道の片側３車線の直線路の追い越し車線を飛ばしていたら、なんと！配送車が横を向いているのを前方に確認 <img alt="！？" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif" width="16" height="16"> 中央分離帯の工事で出来た空間を利用して、反対車線に行こうとしていたようです。</p><p>バックミラーで横の車線を見ると、車が何台も来ているし…車線移動が出来ない <img alt="叫び" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" width="16" height="16">　思わず、ブレーキングと合わせて、スーパー・シフトダウンをさせながら、ロックを防いでスピードを下げたけど…<img alt="ドンッ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/280.gif" width="16" height="16"> 30ｍは飛ばされたみたいでした。</p><p>当る瞬間の手前５ｍ位から、当ってハンドルに足があったって、空中を回転して、地面に叩きつけられるまで、ほんの数秒の出来事が、スローモーションでハッキリと覚えていました。</p><p>レース用のヘルメットに、グローブ、ブーツ、そしてライディングジャケットを着ていたのが、幸いしました。</p><p>フラフラになりながら、中央分離帯に腰かけ、グローブを外して、ヘルメットを脱いで、まず耳、眼、鼻から出血していないかを確認し、無血だったので、ヘルメットの中にグローブを入れ、足の痛みが感じられたので、ブーツを脱いでいたら、幼馴染が盛んに声をかけてくれてくれていたのですが…キーンって耳鳴りがしてよく聞き取れない状態でした。</p><p>幸い事故現場のまん前が、ガソリンスタンドで、目撃して直ぐに警察と救急車を呼んでくれたので、救急車で病院に運ばれる事に…今で言うたらいまわしだったそうです。救急車の中で色々と質問されたけど…答えた家の電話番号は、なんと元カノの番号だったらしいのです。う～ん自宅の電話番号も忘れているのに…反省<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p><br><p>瞬間記憶喪失って本当にあるんだぁって思いましたよ。</p><p>そして、朦朧として診察ベットで寝かされている時に、母親が来て医師と話をしている声だけが、聞こえてきました。「脳挫傷だと言えます。精密検査をしますが・・・今晩が山です。今晩容態が急変したら、諦めて下さい」と言われた母親は、泣き崩れていつの間にか来ていた姉に「しょうがないじゃない。直ぐに死ぬわけじゃないし、死ぬって確約されたわけじゃないから」って励まされていました。</p><br><p>死ぬ！って、とうとう死ぬ事になるんだなぁって思っていたら、眠りについて病室に運ばれてました。</p><p>元カノが仲間内の皆に連絡したらしく、夜には見舞いの友人達が集まってきて、看護婦さんがついた状態で、会って話をしていたら…なっなんと目の前がクラクラしてきて、朦朧としてきたら<img alt="ガーン" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" width="16" height="16">…看護婦さんが大慌てで医師を呼ぶは、友人を帰すは…そしたら何本かの注射器を打たれてしまいました。</p><p>そう、寝たら死ぬんだって思っていたら、起きていなきゃって努力していたにも拘らず、眠りについていたのです。</p><p>その時、初めて命乞いをしました。「今ここでは死にたくない！何としても生きていたい！」って。</p><br><p>翌朝、枕が涙でビショビショになっていたけど…生きていました。全身に痛みを感じた事から、本当に生きているんだなって感じた時でした。<img alt="クラッカー" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif" width="16" height="16">それから、1ヶ月間の入院生活が始まり、叩きつけられた事に対する外傷・内傷の検査や治療、脳挫傷で平衡感覚を失った事に対する治療やリハビリの日々。</p><br><p>お見舞いに来てくれた友人知人と元カノ達に感謝してました。いつも、煙草の差し入れをしてくれていたのですが、婦長さんに見つかり大目玉をくらったり、元カノが来た時に父親と鉢合わせ、その前の元カノが来てくれた時には、父親の友人と鉢合わせ、違う女性なのに、ファッションや髪形とかが似ていたせいか、父親と父親の友人は、同一人物で将来結婚させるか否かまで論じていたのには、笑ってしまいました。<img alt="にひひ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" width="16" height="16"></p><br><p>一度だけ、外出許可が出て、伸び放題の髪の毛と髭を整える事が出来たついでに、知合いのパブのオーナーの所に挨拶に行って、時間前にお店でグビッとしたり、喫煙したり、結構たちの悪い未成年の患者でした。</p><br><p>ついに退院の日がきました。自分の家に帰ると、その時のヘルメット類を見ると、やはりレース用の物を使っていて良かったと思うほど、インナークッションは中身を守るために、ボロボロに！グローブは手の平の部分が二重になっていたのが、一枚は擦れて剥がれかけていたし、ジャケットの背中はコンクリートで擦れて焼け焦げていたし、最後にブーツは、踵のガード材が見える程の状態で、事故の激しさを目の当たりにしました。</p><p>そして…友人に引き上げてもらっておいた、愛機を引き取りに行くと…見るも無残な形で…本当に涙が出ました。</p><p>数カ月は自宅に置いておき、とりあえず部品取り様に売る事にし、それから、慰謝料等で中古の四輪車を得る事にしたのです。</p><p>そう、四輪車の免許を持ちながら、四輪に転向したきっかけは、生死をさまよった事故を経験した事でした。<img alt="ショック！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif" width="16" height="16"></p><br><p>夏ですから、怖い話のおまけです。</p><p>実は、僕が入院していた時に使用させて頂いていたベッドは、いわくつきで…長く居る同部屋の人から退院時に聞いたのですが…その人が入院してから、僕が３人目に使用していたらしく、前の２人はお亡くなりになっていたそうです。その人達の生きようとしたエナジーが助けてくれたのかもしれません。</p><p>そして、僕が事故った丁度その時に、僕の部屋に飾ってあった、製作期間２週間という程、リアルに組立てたレーシング・バイクのプラモデルを、母親が掃除をしてくれていた時に落としてしまい、壊れてしまいました。</p><p>その壊れ方が、事故った愛機の破損の仕方と同じだったのです。</p><p>これも何かの縁ですかねぇ？　<img alt="ドクロ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" width="16" height="16"></p><br>
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<pubDate>Sun, 30 Aug 2009 14:13:21 +0900</pubDate>
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<title>オートバイは僕の先生です　3rd / 4th</title>
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<![CDATA[ <p>当時、上野はバイク街と呼ばれるほど、オートバイ屋さんや、パーツ屋さんが一杯ありました。</p><p>ふと、通りかかった時に、子供の頃に憧れていた、HONDAが赤字で作って数少ないオートバイが売りに出されていたので、少し金額が高かったけど、毎日通って交渉し続けたら、値段を下げてもらえました。</p><p>実は、僕の今まで乗っていたオートバイを欲しがっていた友人がいたので、彼も毎日のように僕に交渉してきたので、値段を上げてもらって、売却する予定だったのです。</p><br><p>今度は、400ccの四気筒！やっぱり中古だけあって、前の人の癖が残っているは、年代物だけど、交換期間が過ぎても交換してないパーツがあるはで、またまた、お金＝（ガソリン類＋パーツ類）の生活に…<img alt="ショック！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif" width="16" height="16"></p><p>でも、HONDA主催の整備教室に行っていて良かったです。</p><p>本当に自分自身で、直していくと愛着が沸くもので…毎日エンジンを聞くのが楽しい日々でした。</p><br><p>こんな生活をしていると、中学時代から付き合っていた彼女とは疎遠となり、とうとう破局<img alt="！！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif" width="16" height="16"></p><p>この時代に携帯電話があったらなって思いました。</p><br><p>そして、友達の紹介で、こんな僕でも気に入ってくれた女性がいました。</p><p>でも、僕のオートバイに乗る事は無かったですね。</p><p>軽量化で、ほぼ独り乗り用に変えていたし、オートバイよりも車に憧れていた女性だったから、別にオートバイに乗らない普通のデートを楽しんでいましたが…やっぱり、連絡の取り合いが出来なくて、振られる事に<img alt="ガーン" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" width="16" height="16"></p><br><p>本当に、彼女が欲しいとか思わなくなるほど、ツーリングやレースにのめり込んでいましたから、気にする事も無く、独りの時間を心地良く感じていました。</p><br><p>とある日、友人とカフェレストラン兼パブのお店でバイトしていて、モデルのバイトもやっていた女性と知り合いました。やっぱり、業界の人っておませな感じで、見た目生意気そうだったんですが、もてる事３人の男性が彼女目当てに来店していたのには、まぁそんなもんかな程度で僕には関係無いと思っていました。</p><br><p>数ヵ月後に、彼女は自分専用のヘルメットを買って、家まで送って欲しいと突然言われたけど、そう！僕のオートバイには、リア・ステップ類一式、グリップバーも取り外してしまってあるから、二人乗りなんて出来ない状態だから、丁寧にお断りすると、彼女に気がある男性達が知らぬ間に免許を取っていて、オートバイも買っていたのには驚きでした。・・・お金持ちの家に生まれると、欲しいものは何でも手に入るから、無理も無いし、自分と比べる気も無いから、彼らに任せる事にしました。</p><p>次に行った時も、その次の時も…繰り返し言われると、根負けした僕は、面倒だけどリア・ステップ類のみつけ直して、送って行くと…告白されて…付き合う事になりました。</p><br><p>そんな強引な彼女は、オートバイの楽しさを知り、自分で貯めていたバイト代で免許を取り、前金を入れて相談されていたオートバイを手にして、いつも運転や整備を教えたり、ツーリングに行ったりして、ほのぼのとした時間を過ごしていたのを覚えています。</p><br><p>仲間内のパーティに二人で、一緒にお洒落していく約束だったんですが…レーシング・マフラーの製造工場で一緒にバイトしていた幼馴染が、最新型のハイ・スピード逆輸入オートバイを手に入れたので、朝から貸すから走りに行こうと悪魔<img alt="ドクロ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" width="16" height="16">のささやきに負けて…湘南迄で帰ってくる予定が、富士山の五合目迄…そう、時計も見ることなく、休憩も取る事も無く走っていたら、富士山の五合目で休憩した時に時計を見ると…<img alt="時計" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/286.gif" width="16" height="16">間に合わない！<img alt="叫び" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" width="16" height="16"></p><p>と言うよりも、パーティの始まる５分前だったのです。とりあえずパーティ会場に電話してみると、彼女はまだ来ていなかったので、かけ直す事に！本当に携帯電話<img alt="携帯" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/107.gif" width="16" height="16">があったら人生が変わった時かもしれません。</p><br><p>再度、公衆電話からかけてみると、居場所を聞かれて、馬鹿正直に答えたら、“馬鹿”呼ばわりで切られてしまいました。まぁしょうがないですよね！彼女よりも、オートバイを取ってしまったのですから。</p><p>という事で、ツーリングを続行していたら、幼馴染がオーバースピードで自爆<img alt="爆弾" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/036.gif" width="16" height="16">まぁ身体は大した事なくて済んで良かったのですが、オートバイが結構やられていたので、応急修理をして、ハイ・スピードなオートバイも原動機付自転車程度しか出せずに戻ってくる事になるとは…しかもライトも破損していたから、電球だけつけ直して、夜中の道を帰ってきました。やっぱり、美味しい話には何かがあるんだなって、この頃から体験していたんだと思います。</p><br><p>さて、彼女はって言うと…沈み込んでいる彼女を、前から狙っていた男性の一人がお持ち帰りしたそうで、一緒に行く約束をしていた夏休みの旅行の際に、彼女の仕返しあい、待ちぼうけを受けた上に、その彼と旅行に行ったと言うオチまでついた。ほろ苦い思い出です。<img alt="べーっだ！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/188.gif" width="16" height="16"></p>
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<pubDate>Wed, 26 Aug 2009 16:00:27 +0900</pubDate>
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<title>オートバイは僕の先生です　2nd / 4th</title>
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<![CDATA[ <p>ようやく手にした、自分専用の中型車！</p><p>慣らし運転も慎重に、最初の500Km迄は、レッド・ゾーンの半分までしか出さずに、それから100km毎に回転数をあげながら、エンジンとオイルとピストンがなじむのをチェックし、タイヤの表面が出荷時の状態から、地が見えるようになるまで毎日走り回って、ようやく全開走行を開始しました。</p><p>その頃は、首都高速道路もルーレット族がいなかったので、首都高速道路は500円で何周も出来るサーキットのように思えて、軽いボディに圧巻されるパワーが、アドレナリンまで全開にしてくれました。</p><br><p>この頃には、もちろん改善をどんどん進めていて、まずは、とことん軽量化するために、必要無いパーツは外して、重いパーツは軽いもの変更していましたね。…バイト代と昼飯代をココアの缶に貯めて…</p><p>慣らし運転が終わる頃には、弱い部分や足りない機能を追加して、最後の方にはエンジンの中身やフレームの強化も本物のレーシングマシーンの物を使用したりしてたら、信号ダッシュの時には、フロントは軽く浮気味になるので、押さえつける力がついたかもです。</p><br><p>1000ccのオートバイと最高速を図ってみると、僕のオートバイは180kmしか無かったけど…230km以上をマークした時には、感動でしたね！軽量化も限界が来て、最後には自分の体を軽量化する事もしてました。</p><br><p>この時に、友人を福生迄送った帰り道に、アメリカ軍のオートバイ・クラブの人達に会い、六本木の交差点までの公道レースをする事になったのは良いのですが…僕のオートバイは250cc、他はオーバー750cc！</p><p>動体視力と、感だけで抜きつ抜かれつの勝負なんですが、信号も関係無い、渋滞にはまればライトを上向きにして反対車線を走るは、とにかく度肝を抜かれる行為について行くうちに、自分も同じように一発触発のレースに夢中になっていました。ゴールの六本木交差点に着いた時には、ブレーキをかける事に必死で、着番なんてわからなかったけど・・・１着でゴールしていたのです。</p><p>そしたら、彼らから誘いを受けて、パブで大騒ぎ！もちろんアルコールは、無しでしたよ。</p><p>彼らと連絡先を交換し、チョコチョコと誘われていくうちに、英語が話せるようになっていきました。</p><p>そう、彼らがいなければ、英会話に困っていた事でしょう!?</p><p>でも、到着した時に嗅いだ、焼けたレーシング・オイルの匂いと、ブレーキング時のタイヤの焦げた匂いは、忘れないと思っていますが、良く生きていたなぁと感じたその瞬間、途中の事は思い出せませんでした。</p><br><p>でも…子供の頃から、早く死んでしまいたいと思っていたから、無茶な行為も平気だったのでしょうね？</p><p>その、オートバイで週末の早朝には峠に行き、行くまでの間も、コーナリングの最中でも、いつもスピードの中にいたように思います。</p><p>一秒でも早く！そして、頭の中をクリアにするために集中して、恐怖心を無くしていた自分がまだどこかを走っているように感じています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10325456150.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Aug 2009 14:42:11 +0900</pubDate>
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<title>オートバイは僕の先生です　1ｓｔ / 4th</title>
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<![CDATA[ <p>色の見えない僕でも免許書が取れたのは、信号機の配列を覚えていれば良かったからでした。</p><p>16歳になると、すぐに原付の免許を取って、アルバイトしたお金で新車の50ccのトライアル・バイクを買いました。</p><p>50ccでも、色々なところへツーリングに季節を感じながら走り回り、そして整備にも興味を持ち、洗車と共にバラしては組立ててって事をして、2ストローク・オートバイの仕組みを勉強しました。</p><br><p>バイト先は、長期の休みの時には、父親が務める会社の色々な部署で事務仕事をし、土曜は午後から、日曜は朝から、今ではなくなってしまったけど…小さなサーフ・ショップで店員をしたり、倒産して復活した青山のアパレルメーカーの方からバイト代は、サンプル品という条件でモデルをしたりと、何となく毎日が楽しかったような気がします。</p><br><p>チョコチョコとお金を貯めて、中型自動二輪免許を取得した時に、中型車を手に入れたかったのですが…やっぱり先立つものが無いので、お昼のお弁当代を食事抜きで残しておいたり、夜逃げの手伝いのバイトや、倒産した会社から荷物を引き揚げるバイトとといった、チョット危険だけど高額な収入が入ったりしたのを別預金を作って貯めていました。</p><br><p>その頃に、乗っていたバイクのパーツを、ここも今ではなくなってしまいましたが…解体屋さんに買いに行くと、姉が欲しがっていたモンキーを格安で手に入れてあげ、乗ってみると今までと違った視点で風景を見る事が出来ました。そんな感じで、姉のモンキーを借りていたら、自分もモンキーが欲しくなり、またまた解体屋さんに頼みに行くと…<img alt="目" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif" width="16" height="16">…A型のモンキーを自分で治すならって新品のパーツと合わせて、今まで乗っていたオートバイと等価交換してもらいました。相手はプレミアもので、尚且つエンジンは70ccに乗せ換えてもらっていたから、嬉しかった事ってありゃしません！<img alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16" height="16"></p><br><p>その当時のHONDAでは、オートバイの整備講座を格安で1週間、仕組みから実際にバラして組み立てる事を、大型車で教えてくれたので、毎日モンキーで通っては、基礎を覚える事が出来ました。</p><p>これが、後に役だったんですねぇ！</p><br><p>お金の無い僕は、欲しいオートバイが買える迄の間、同じ高校で暴走族に入っている友人のオートバイの整備をパーツ代＋煙草ワンカートン位で請け負って、整備すると共に試走もしてたから、結構な種類のオートバイに乗ったかな？彼らも正規の修理工場に持ち込めなかったし、持ち込んでも暴利な値段を取られるから、お互いのメリットが一致した関係でした。</p><br><p>ようやく、新車を手に入れるのに十分な資金が出来た時に、“東京モーターショー”で発表した2ストロークの水冷オートバイを予約して、待つ事3カ月<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p><br><p>予約したオートバイ屋さんから、入荷の連絡が入ったので、急いで行ってみると…予約した色と違う<img alt="叫び" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" width="16" height="16"></p><p>でも、予約した色は、あと6ヵ月も先にならないと入荷しないとの事で、オプション品を付けてもらう事で合意し、エンジンをかけてみると…嬉しい！気持ちで一杯でした。</p><br><p>ここから、僕のオートバイ泥沼生活が深みを増していったのです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10323978498.html</link>
<pubDate>Wed, 19 Aug 2009 12:05:46 +0900</pubDate>
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<title>結構、フランケンシュタインかも…!?</title>
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<![CDATA[ <p>眼球の手術って、あまり想像したくないですよねぇ<img alt="！？" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif" width="16" height="16"></p><p>高校に入学すると、すぐさまバイクの免許を取りました。</p><p>その頃には、大型バイクは免許別格になっていたので、チョット年上の人達がうらやましかったです。</p><br><p>そこで、友人の整備工場に下取りで入ってきた、750ccのオートバイを夜中に借りて一っ走り<img alt="自転車" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/294.gif" width="16" height="16"></p><p>いや～重いの何のって、今の大型車と比べ物にならなかったです。</p><p>でも、そこそこ走っていると、少し違和感を感じたので、キャブレターやらなんやらと微調整をしたら、感覚も慣れてきて、コーナーリングもスイスイと軽々こなせるは、かっ飛び少年と化してました。</p><br><p>でも、ヘルメットはしていたのですが・・・ジェットヘルにスモーク・シールドだったので、シールドを外したのが、大失敗<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p><p>産業道路に着くと、結構トラックが多かったのですが、すり抜けも楽々！って喜んでいた矢先“痛て！”</p><p>右目に何かあたったようで、近くの公衆便所で右目を見ると、赤くなっているところがあるから、やばいと思って、その晩は戻る事に。</p><p>次の日に総合病院に行くと、白眼の部分に鉄の破片が刺さっているから、緊急手術となりました。</p><p>眼球の手術って部分麻酔をしていても、見えるからピンセットが眼に近づいてきて…そして手術の一部始終を見ていたら…急に真っ赤な世界に<img alt="叫び" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" width="16" height="16"><img alt="！？" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/177.gif" width="16" height="16"></p><br><p>まぁ、オートバイに乗るときには、ゴーグルやシールドを付けておこうと決めた時でした。</p><br><p>社会人になると、荷物の配達が新入社員の仕事でした。</p><p>普通のビジネスシューズに見える、安全靴を買ったのも、重量物を足の上に落としてしまい、骨には異常がなかったものの、両足の爪が死んでしまったかのように真っ黒に<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"><img alt="ドクロ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" width="16" height="16"></p><br><p>それから、腰骨を疲労性変形症にしてしまった上に、手だけで荷物を持っていたら、テニスエルボーになるし、挙句の果てには、荷物に左手の人差し指を挟んでしまった時には、<img alt="ドクロ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif" width="16" height="16">が露出するは、出血は止まらないは、現場の近くの総合病院に緊急で行ったら、皮が破れたのと靭帯が伸びただけだからって事で、軽くあしらわれてから</p><p>、一週間近くたっても痛みが引かず、通いなれた総合病院で再検査をしてもらったら…なんと靭帯が切れているは、骨の変形もみられるは、医師いわく“悪い病院に掛かったね！”だって。<img alt="パンチ！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif" width="16" height="16"></p><p>まぁ、最初に受診した病院は、今では無くなっていましたので、やっぱり悪い病院だったんでしょうね！</p><p>それから、専用治具をつけ、リハビリに通い続ける事、半年！キチンと直らなかったものの、ようやく指も曲がるようになって良かったかな？</p><p>余談ですが、この時に今ではアイドル的な仕事をしている大関と一緒にリハビリしていましたが、もう一人入院しているはずの今ではチャンコ屋の大関は、女性の家で過ごしていた事が分かってガッカリしたのを覚えています。</p><p>一緒にリハビリしていた大関から“一緒に努力して直そう！”と声をかけてもらった時には嬉しかったなぁ<img alt="クラッカー" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif" width="16" height="16"></p><br><p>やっぱり、弱っている時に人の事まで心配できる人って素敵だなと思った時でした。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10313945298.html</link>
<pubDate>Sat, 15 Aug 2009 11:20:30 +0900</pubDate>
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<title>病院は嫌いですか？</title>
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<![CDATA[ <p>子供の時から、結構病院通いをしていた記憶があります。</p><br><p>まずは、扁桃腺が中学生時代まで残って、しょっちゅう高熱にうなされていました。</p><p>保育園の時に、家を出た時に一方通行を逆走してきたオートバイに <img alt="自転車" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/294.gif" width="16" height="16"> ひかれて、左耳の鼓膜の手術を受けて、何となく変な感じの姿をしてました。<img alt="ドンッ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/280.gif" width="16" height="16"></p><br><p>小学校に入ると、今度は体育の授業でサッカーをしていたら、左脹脛の後ろを蹴られて、筋肉を覆っている膜が破けてしまい、筋肉がはじけて変な形になって、サポーターで直るまで過ごしていたのを覚えています。</p><br><p>二回目の交通事故は、小学校の春休みに、母の実家に預けられていた時に起きました。軽自動車にはねられ、叩きつけられた時に耳鳴りは消えないは、頭から血が出て、着ていた洋服が赤くなっているは…<img alt="叫び" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/254.gif" width="16" height="16"></p><p>田舎だから、救急車は呼んでも来ないという事で、母の兄に車で市内の病院まで、約40分！意識は朦朧としてくるは、麻酔薬がその病院には置いてなかったらしく、そのまま傷口を縫う事に<img alt="！！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif" width="16" height="16"></p><p>レントゲンとかしたのかなぁ<img alt="はてなマーク" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" width="16" height="16">とりあえず、一日だけ入院して、あとは母の実家で安静にさせられていたつもりが、親戚にオートバイの乗り方を教わったりして過ごしていました。<img alt="にひひ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/193.gif" width="16" height="16"></p><p>縫う時は、痛くなかったんですがねぇ～、抜糸の時の痛さはたまったものじゃ無かったです。<img alt="ショック！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif" width="16" height="16"></p><br><p>さて、中学になると盲腸なるが、破裂するくらいになって、病院で緊急手術を受けて、一週間ほど総合病院に入院する事なり、毎日病院の中を散策したり、色々な器具を悪戯してたら、自分の盲腸を見せられて、ウェ<img alt="ガーン" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" width="16" height="16">って感じでした。</p><br><p>幼年期は、こんな感じで病院との縁が続いていき、これから先は平和な日々を過ごすと信じていたんですが…</p>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10312516762.html</link>
<pubDate>Sun, 02 Aug 2009 14:51:41 +0900</pubDate>
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<title>外で泳ぎたい！</title>
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<![CDATA[ <p>水泳は、３歳から仕込まれていたらしく、毎週日曜日には、兄弟そろってスイミングスクールに通わされておりました。</p><br><p>厳しい姉が、保護者として通っていたから、休むわけにもいかないし、その日の練習やタイムは報告されるので、何気に他の子の方がゆったり気分で泳いでいたように思います。</p><br><p>姉は、クロールが滅茶苦茶上手で、大会ではいつも入賞していました。</p><p>僕は、ブレストを得意として、兄弟で大会に参加していたのですが･･･姉はブレストが下手糞<img alt="えっ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/147.gif" width="16" height="16"><img alt="はてなマーク" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" width="16" height="16">、僕はクロールが下手糞<img alt="えっ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/147.gif" width="16" height="16"><img alt="はてなマーク" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" width="16" height="16"></p><p>何故だったんだろう？いつも居残りで、お手本は両種目とも兄弟といった不思議な感じで泳いでいました。<img alt="目" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif" width="16" height="16"></p><br><p>屋内プールよりも、屋外で泳ぐのが好きで、夏は競泳用の水着の形に肌色で、後は真っ黒けってな感じで、毎年過ごしていました。</p><br><p>髪の毛は、天然パーマな上に元々色素異常で茶系でしたが、夏が終わる頃には潮焼けして、よく学校の先生に怒られていました。<img alt="パンチ！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif" width="16" height="16"></p><br><p>高校生になると、日本赤十字のライフガードの免許も取って、ちょこちょこと小遣い稼ぎをしていたので、普通のアルバイトの他にお金が入ってきたから、オートバイの免許を取りに行ってました。</p><br><p>不思議な事に、強度の色弱でも試験は受かります！<img alt="クラッカー" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/098.gif" width="16" height="16"></p><p>それは、信号の順番を覚えておけば、一次で落ちても、簡単×２って感じでした。</p><br><p>色素異常は、実は髪の毛だけではなく、目や肌にも表れるようになってきました。</p><p>黒眼と言われる部分は、前から人と違っていたので、気にしていなかったのですが…なんだか、日差しに浴びると肌は痛み、視力が落ちるので、病院に行ってみると、紫外線を浴びると右眼は緑内障になりやすい体質で、肌も紫外線に対して弱度ですが、抵抗力が無いそうです。</p><br><p>が～んって感じ<img alt="ガーン" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" width="16" height="16"><img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p><br><p>それまで、海で沖まで泳いで、魚の群れに入り込んでいたのに…今ではUV50のローションが手放せませんし、サングラスも無いと右眼の症状が進んでしまうから、チョット厄介な体質に悩む季節になりました。<img alt="！！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif" width="16" height="16"></p>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10307055579.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Jul 2009 15:05:54 +0900</pubDate>
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<title>初めて自分が他の人と違う事を理解した時</title>
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<![CDATA[ <p>僕は、保育園でも、幼稚園でも、図工が大好きでした。</p><br><p>色々な物を作り、色々な物を画用紙に描いているのが楽しかったのです。</p><p>でも、保育園や幼稚園の先生方から、よく質問されました。</p><br><p>「本物と違った独特な感性で、色を使うんだね？」</p><p><img alt="むっ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/146.gif" width="16" height="16"><img alt="はてなマーク" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" width="16" height="16">えっ見た通りの色なんですけど･･･</p><br><p>夏休みの絵日記を書いていると、姉から「その色、違くない？」って言われても、僕には見た通りの色を使ってました。</p><p><img alt="むっ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/146.gif" width="16" height="16"><img alt="はてなマーク" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/040.gif" width="16" height="16">不思議でした。</p><br><p>小学校に入学する時に、原因が判明しました。</p><p>入学前の身体検査で、僕は強度の色弱で、弱乱視であると伝えられました。<img alt="ガーン" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif" width="16" height="16"></p><br><p>子供って無邪気だから、人の欠点が分かると、そこを集中的にイジメのポイントにしますよね？</p><p>結構、「この色は何色？」とか、図工の時間に「本物は、そんな色じゃないぞ！」とか、ハエや蚊が耳元で飛んでいるように、煩くからかわれていました。</p><br><p>両親にも相談しましたが･･･決して直らないし、矯正も出来ないのだから…<img alt="しょぼん" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif" width="16" height="16">両親が可哀想になりました。</p><br><p>結局、自分の意思で戦うしかないと判断したのは、この頃でした。</p><p>分からないものは、分からない！からかう奴等とは力で黙らせるしかないって。</p><br><p>集団でやられる事もありましたが、悔しくて、悔しくて、叩きのめす事しか出来ない感情が、この頃から芽生えてしまったのかもしれません。<img alt="パンチ！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/043.gif" width="16" height="16"></p><br><p>図工は、大好きでしたから、図工部に所属して卒業まで、図工部の先生のアドバイスを基に、“トーン”を生かす技術を覚えたり、色々な絵画展や博物館を紹介してもらって、見に行ったものです。</p><br><p>感性の成長期にそうした、良い面と悪い面を経験してしまったけれど、今でも美術館や博物館に行くと落ち着きますね<img alt="ニコニコ" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif" width="16" height="16"><img alt="！！" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/176.gif" width="16" height="16"></p><br><p>でも…本当の色って何色なのかを知りたいと思う気持ちが、いつも心の隅にあります。<img alt="あせる" src="https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif" width="16" height="16"></p><br>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10305602096.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Jul 2009 12:31:26 +0900</pubDate>
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<title>父親のヒストリー</title>
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<![CDATA[ <p>僕の父親の血液型は、AB型。</p><p>祖父は、自称A型。</p><p>祖母は、手術をしたり色々と血液検査をしていたので、完全A型。</p><br><p>そう、A型どうしからAB型の子供は生まれない。</p><p>父親は、２人の弟と１人の妹がいる４人兄弟です。そして、みんなA型。</p><p>祖父は、祖母を疑ってあたり、次男が生まれるまでは、相当な対応だったらしいです。</p><br><p>そして、父親は祖父に奴隷のような扱いをされて、兄弟皆が独立するまで、父親代りを当たり前のように子供の時からさせられ、自分の事は勿論の事、大学も住宅も購入してあげたそうです。</p><p>企業に入っても、独学で色々な資格を習得して、努力をしていた事を知りました。</p><br><p>祖父の両親は東京近郊の地方都市で生まれたものの、祖父の両親の兄弟が土地、建物を失うほどの遊び人だったので、祖父の両親は東京赤坂に住み、祖父は誕生した。</p><p>そして、祖父が戦争に出兵する時に問題がおきました。</p><br><p>最近もDNA鑑定が怪しかった事で冤罪になったりと、昔の血液検査で祖父はA型と判定され、軍服に貼られていたそうです。･･･これが問題の始まりだったのですから、大日本帝国も不幸な人を一杯だしたのでしょうね？</p><p>結局、祖父が脳梗塞で意識不明状態で入院した際に、B型である事が分かったのです。</p><br><p>父親も僕も、東京下町の繁華街に引っ越してから生まれました。</p><br><p>祖父が、会社勤めをしながら戦前に、下町に移ってきたのです。</p><p>戦後の復興時期には、数多くの出稼者用旅館（今のウィークリーマンションみたいなものです）が、結構ありました。我が家も、そのひとつです。</p><br><p>だから、賭け事は日常茶飯事で行われていました。</p><br><p>父親は、囲碁・将棋は、段持ちでしたし、麻雀も大会に良く出場していたみたいです。</p><p>花札やサイコロ勝負も含めて、賭け事勝負にも、末っ子の弟といつも参加していたせいで、僕は祖母から、囲碁・将棋・花札・トランプ類（ようは賭け事に繋がる物）は与えてもらえず、隠れて持っていようものなら捨てられる始末でした。<br></p><p>僕の記憶に父親の運転していた事は覚えていません。</p><p>セピア色の写真で、見た事があり、祖母から良く話を聞かされました。</p><p>“インディアン”を乗り回して、九段の坂でスリップ横転したり、飲酒運転で警察に注意を受けていたり･･･ようは、父親には運転のセンスが無かったようです。</p><p>だから、祖母が免許書を取り上げ焼き捨ててしまい、それからは免許を取得する事はありませんでした。</p><br><p>僕がバイクの免許や、車の免許を取ったり、レースに出場する事も、父親は反対しませんでした。</p><p>その時には、祖母は他界していたので、きっと祖母が生きていたら、逆鱗に触れたかもしれません。</p><br><p>祖母が他界した原因は、癌が全身に転移してしまい、手の施しようがなかったのです。</p><p>その同時期に父親も、大腸癌が発覚して、早期の手術によって、一命を取り留め、抗癌剤の服用と人工肛門を今でも継続しています。</p><br><p>父親は、今勝てない物と向き合っています。</p><p>日々過ぎていく時間･･･年齢は止める事は出来ないし、体力の衰えも認めざるを得ない時になり、ここ数年で新たな病気に掛かっては手術している事の繰り返しです。</p><br><p>僕が順調に会社勤めを続けていたら、良かったのかもって思う時が多々ありますが、毎日、喧嘩腰のやり取りをしているものの、何かあったら対応してあげられる時間が持てたと思って、今の自分を良い方向に持っていくよう努力しています。</p><p>そう、両親が元気でいてくれる事を心から願う気持ちと、感謝が増している、今日この頃です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nortrias/entry-10289875656.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Jul 2009 16:32:55 +0900</pubDate>
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