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<title>脳死肝臓移植　（海外）中国にて</title>
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<description>家族の中国における脳死肝移植についての体験談</description>
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<title>中国での検査</title>
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<![CDATA[ <p>入院後毎日のように検査が繰り返された。</p><br><p>８月６日　心電図・胸レントゲン</p><p> 　　　　　　夜熱が上がる</p><br><p>８月７日　熱が下がる</p><br><p>８月９日　肺のエコー・ＭＲＩ・心臓エコー</p><br><p>等他にも検査はあり、その殆どがＧ県Ｍ病院でしなければいけないと言われた検査であった。</p><br><p>中国の検査器械は古く、時間もかかり、検査によっては父の体に負担がかかるものもあった。</p><p>もちろん検査の合間もずっと太い針で２４時間点滴状態だった。</p><br><p>父の腕は点滴で腫れて腕だけでなく手の甲などありとあらゆる所から点滴がなされた。</p><br><p>そして１１日にドナーが出るとの知らせがあり、１０日インフォームドコンセプトが行われた。</p><p>さらに手術に先立ち入金を依頼され手術費用１１８０万円を社長の口座に振り込んだ。</p><br><p>しかし手術当日手術はできないと医者から告げられた。</p><p>理由は肺炎にかかっているからだとのこと。</p><p>肺のレントゲン写真を見せられて説明を受けるが、肺にもやがかかってるだけでそれが肺炎なのかどうか私たちにはわからない。</p><br><p>父には肺炎の状態はいっこうに見られないし、それでもいいから手術をお願いした。</p><p>それが父の希望だったからだ。</p><br><p>しかし、向こうの医者は１００％に近い成功率でないと手術はしないとのことで肺炎が治るまで手術はできないとのことだった。</p><br><p>点滴の痛みと手術ができないことで父はかなりショックを受けた。</p>
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<pubDate>Thu, 13 Mar 2008 16:43:03 +0900</pubDate>
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<title>中国での治療</title>
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<![CDATA[ <p>上海についた私たちを支援センターの人と向こうの病院のスタッフが救急車で待ってくれていた。</p><p>早速病院に向かい入院の手続きをした。</p><br><p>病室はＨＰで見た近代的な病室とは事なり、戦前戦後の（見たことはないけど）ような古くさい病室であった。</p><br><p>聞けばＨＰの病室は医師の詰め所とは離れているため、腎臓移植のように緊急を要さない患者が入院するところで、こちらの古くさい病室は肝臓の医師の詰め所が近くすぐに対処できるので重病人（肝臓移植患者）はこちらになるとのことだった。</p><br><p>支援センターでは上海ともう一カ所病院があり、医師や手術の点ではもう一カ所の方がいいのだが、いかんせん部屋が古くさいというので（父は汚いのを嫌うので）上海を選んだのだ。</p><p>それなのにこの部屋なのでちょっと後悔した。</p><p>ただ、もう一カ所の方は最初からＣＩＵ（集中治療室）に入院となり一旦入院すると家族は会えなくなってしまうので、父にどんな治療がされるのかわからないという不安もあったのでやめたのだ。</p><br><p>そして入院当日から太い針で点滴が行われた。</p><p>この点滴はほぼ１日中絶え間なく続けられた。</p><br><p>それまで（沖縄から戻ってきて以来）ほとんど薬を極力控える治療をしていただけに、急にこのように薬をバンバン体内に入れるのは、肝臓にかなりの負担であった。</p><br><p>ただ、これも薬を使って肝臓以外の臓器をいい状態にして（肝臓はどのみち入れ替えるものなので悪くなってもいいという考えである）、手術を行うという方針の下だった。</p><br><p>しかし、最終的にはこの点滴が父の余命を奪ったのである。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10076090413.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Feb 2008 18:14:34 +0900</pubDate>
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<title>退院そして中国へ</title>
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<![CDATA[ <p>父はＭ病院で検査を受けていた。</p><p>しかし、検査の数が多くてなかなか話は進まなかった。</p><br><p>そんな折、兄がインターネットで中国国際臓器移植支援センターのＨＰを見つけた。</p><p>早速私たちはそこに連絡をとってみた。</p><br><p>他にも何社か同じように中国での移植ができる所を見つけたが、他の所はドナーの出現が遅かったり（２週間から１か月くらいかかると言われた）して、Ｍ病院より早く手術できそうな所は中国国際臓器移植センターしかなかった。</p><br><p>ここは以前にも書いたが死刑囚の臓器を提供するものであり、中国の死刑執行が日常的に行われているということでもある。</p><p>更に中国はＢ型が一番多く（逆にＯ型は少ない）、父はＢ型だったので１週間もしないうちにすぐにドナーは出てくるとのことだった。</p><p>そして検査の事なども聞くと、Ｍ病院ほどの検査も必要ないでしょうとのことだった。</p><br><p>今思えば、移植センターの社長であったがこと医療に関しては殆ど知識がなく、向こうの中国の先生に聞いたことをそのまま伝えるというような形であった。</p><p>医者ならいざ知らず、どのような検査が残り必要かなど社長にはわかるはずもなかった。</p><br><p>（結局、後日中国に行ってＭ病院で必要とされる検査を受けさせられる羽目になった。）</p><br><p>そして中国にいれば（父の体調に問題がなければ）すぐにも手術が受けられる、日本で待っていて中国でドナーが出てからでは遅いということを言われて、私たちは迷った。</p><br><p>そして父にこの話をするとこんなＭ病院でちんたら検査するのは嫌だ、すぐに支援センターで手術を受けたいというので、８月１日父はＭ病院を退院してパスポートを至急取り８月５日には中国に行った。</p><br><p>日にちを見てわかると思うが、父がＭ病院に入院したのは７月２０日、退院が８月１日と父はかなり手術を焦っていた。</p><p>今思えばそんなに焦らずＭ病院で体調を整えた上で（手術の直前まで日本にいて）手術だけ中国で受けた方が結果として良かったのではと思われる。</p><br><p>それほどまでに中国での手術までの治療はひどかったのである。</p><br><p>父はある意味死に急いでしまったのかもしれない。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10068635266.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Jan 2008 18:45:55 +0900</pubDate>
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<title>家族で海外脳死肝移植の話を聞く</title>
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<![CDATA[ <p>翌日７月２０日に私と兄と祖母の３人が両親と合流してＭ病院に行った。</p><br><p>話は院長先生の海外の知り合いの病院に脳死肝移植の紹介をしてもらえるというものであった。</p><p>父はすぐに手術を受けられないので落胆したが、それでも手術を受けられるのなら海外でもいいということで海外の病院を紹介してもらう形で話は進んだ。</p><br><p>話は父の考え方はおかしい（つまり親が子供に臓器をあげるのは当たり前だが、親が子供から臓器をもらうのはおかしい）ことから、海外の場合ドナーが出るまでの期間や地域差・費用などに及んだ。</p><p>ここで兄が呼ばれたのは予算的にいくら支払えるかというのを知るためであったように思う。</p><br><p>実際父は「いくらでも払いますからすぐになんとかしてほしい」と言うが、１億も２億も払えるものではなく、払うのも父が亡くなれば兄しかいないので兄が呼ばれたわけである。</p><p>そして実際の所いくら払えるのか（それによって移植を受ける国が決まる）を聞かれ、上限は３千万くらいであるが、もし何かあった場合のチャーター便代などを考えると１５００万くらいが妥当な所であった。</p><br><p>そこでそれを告げるとコロンビアを進められた。</p><p>一番安いのは中国（８００万円くらい）であるが、中国は東洋治療も入っていて治療的には西洋治療がメインの所がよいとのことであった。</p><br><br><p>しかし、コロンビアと言われても治安や何より日本からあまりに遠く離れていることを考えると、すぐに帰国することもできないし、何かあったときやはりすぐにかけつけられないし、すぐにお願いしますとは言えなかった。</p><p>少し考えさせて欲しい旨告げて私たちは帰った。</p><p>父はそのままＭ病院に入院し、海外での移植を前提に検査を受けることになった。</p><br><p>帰ってからコロンビアの事など調べたが、やはりコロンビアに移植を受けに行くのは厳しいという結論になり、最終的に中国でお願いすることになった。</p><p>決まってからも手術にはかなりの検査を受ける必要があり、検査結果で最終決定（手術できるかどうか）した上で中国の病院を紹介しますとのことであった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10063858340.html</link>
<pubDate>Fri, 04 Jan 2008 17:05:11 +0900</pubDate>
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<title>その後</title>
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<![CDATA[ <p>父はその後おばさん（父の姉）や従兄弟に片っ端からドナーの依頼の電話をしていた。</p><p>おじさん（父の兄）には子供はいないがおばさんには子供が３人いる。</p><p>うち２人は男性である。</p><p>しかし、実の子供ですら躊躇するドナーに従兄弟のお兄ちゃん達がなってくれるはずもない。</p><br><p>そしてその間も私たち親子３人と父（と祖母・おじさん）間の仲は相変わらずだった。</p><p>また、手術費用を巡って父と母は離婚の危機（といっても父が一方的に”離婚だ！！”と言っていただけだが）にもなっていた。</p><br><p>見かねた父の友人が、父を説得してくれた（今離婚しても父が困る、つまり看病してくれる人がいなくなるし、父も十分な手術費用を有しているので、母に手術費用を負担させるのはおかしいと諭してくれた）。</p><p>父が費用の事にこだわったのは祖母が母から手術費用を出させようとしていたからである。</p><p>しかし、祖母としても母が離婚して去っていけば自分が父の看病をしなければならず、それはできず避けたいことなのでそれ以上は口うるさく言わなかったようだ。</p><br><p>そして、親子と言うこともあり父は兄のドナーをあきらめ一旦親子関係は元に戻った。</p><p>そしてドナーにはなれないが治療には協力することで一致した。</p><p>そんな状態で父は、次は海外で肝移植することを希望した。</p><br><p>そして、父は海外で臓器売買がされている事実を持ち出して、海外で臓器売買できる所を探すよう指示してきた。</p><p>以前にも書いたが、この頃の父は病気のせいでかなり考え方がおかしくなっていた。</p><br><p>しかし、一般人にそのような臓器売買にたどり着けるはずもなかった。</p><p>そうすると今度は阪大病院にドナーを用意してもらえるよう知り合いの先生に頼みに行けと言われた。</p><br><p>もちろん阪大病院も答えは京大病院と一緒で、親族にドナーがいなければ手術はできない（当たり前の答えである）と伝えてきた。</p><br><p>そこで阪大病院にお願いに上がった叔母が先生にどこか移植を受けられるところはないか聞いたところ、Ｇ県にあるＭ病院なら相談にのってくれるかもしれない、という話を聞いた。</p><br><p>そこですぐにこの病院について調べて父が電話をしたら、紹介状をもって話を聞きに来てくださいと言われただけなのに（父はこのころ物事を自分のいいようにしか解釈できず、常識が通用しなくなっていたため）ドナーを用意してくれてすぐに手術が受けれると勘違いしたようだ。</p><br><p>私たちはＭ病院がわりと大きな病院で、臓器移植法に触れるようなことをしているとは思えなかったことから、とりあえずキャッシュカードを持っていつでもお金を引き出せる状態にして、話を聞きに行った。</p><br><p>病院には母がついて行った。</p><p>最初院長先生がお話を聞いてくれたが、父の言ってることがめちゃくちゃで話にならないと思ったようで家族の者（特に兄）を呼びなさいと叱られたようだ。</p><br><p>そこで次の日私と兄と祖母の３人でＧ県に行った。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10060837434.html</link>
<pubDate>Tue, 18 Dec 2007 13:44:58 +0900</pubDate>
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<title>生体肝移植のドナー辞退</title>
<description>
<![CDATA[ <p>父は５月の終わりに退院した。</p><p>退院後通院しながら、時々京大病院に電話して兄のドナーの適正結果等を聞いていた。</p><p>母と兄からなるべく返事をひきのばすようにお願いしていたが、そんなに引き延ばせるものでもなく結局適正結果は問題ないとの返事がなされた。</p><p>そこで父は早く手術して欲しいと先生にお願いしたが（父は兄が断るとは夢にも思っていないので）、先生はまだ兄から返事をもらってないので待つように言われた。</p><p>私たちももうどうしようもなくなったので、兄から正式に京大病院にドナーを断る旨の返事をした。</p><p>６月３０日のことだった。</p><p>私たちから父にはドナーを断るとは言えないので京大病院からいってもらうことにした。</p><br><p>そして７月５日に父が京大病院に手術の催促の電話をかけたので、その際京大病院から父に兄がドナーを断った旨の連絡がなされた。 </p><p>父はその際”わかりました”と言ったので理解してもらえたんだと思った。</p><p>そして兄に会いたいと言ったので兄に家に来てもらった。</p><p>（兄は会社の近くのマンションで一人暮らしをしている。ただ、家からマンションまで１時間くらいなのでいつでも来れる状態である）</p><p>特に２人はドナーの話はしなかったが、父は本当に兄が断るとは思っておらず、”親子だから気持ちはわかってる（断るとは思っていない）”というようなことを言った。</p><p>私と母は父がまだ勘違いしてるとわかったので兄の口からはっきり言った方がいいと思い、兄の口から父に伝えるように言った。</p><br><p>そしてはっきり兄が断ると父は”お前は親をみすてるんか！？”と捨て台詞を吐いた。</p><p>兄が”悪いと思ってる”と何度も誤ったが父は怒って階下に済む祖母（父の母）の所に行った。</p><p>そして兄が断ったと祖母に告げて、おじさんに電話をしているようだった。</p><br><p>私事であるが、私たち親子（母と兄と私）と祖母の関係は最悪である。</p><p>祖母はどうしょうもない根性悪であり、実の子供（おじさん・おばさん）からも嫌われている。</p><p>しかし、父だけは”あんな母親でも親だから”と言って父一人が祖母の面倒をみてあげていた。</p><p>といっても身の回りの世話をするのは母で、母は祖母に奴隷のように使われていた。</p><p>父は経済的に面倒をみてあげていた。</p><p>そんな経緯もあって私たちと祖母は同じ屋根の下で反発して生活していた。</p><p>ただ、父がいたので父がクッションになっていた。</p><br><p>一方おじさんは祖母は嫌いだが父のことは好きなので、父の移植を推薦していた。</p><p>おじさんも祖母もそうだが、２人とも父の経済力に世話になっていた部分があるので父には長生きして欲しいという気持ちがあった。（もちろん肉親だからという理由もあるのだろうが）</p><p>そして何より２人は父に肝臓をあげられない親族なので（年齢制限などにひっかかってドナーにはなれない）、自分達はなんら痛むところがないのだ。</p><p>というわけでおじさんと祖母は２人で父に移植をなんとか受けさせようとやっきになっていた。</p><br><p>おじさんに電話しているのを見て私と母は兄にすぐマンションに帰るように伝えた。</p><p>おじさんから兄に非難の電話がかかってくるのが目に見えたからだ。</p><p>案の定その後すぐにおじさんから電話がかかってきた。</p><br><p>おじさんから兄に電話がかかると予想されるので、兄には家の常設電話にはでないように、また私と母の連絡は私の携帯を通じてするように伝えた。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10055453970.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Nov 2007 17:40:53 +0900</pubDate>
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<title>中国国際臓器移植支援センター</title>
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<![CDATA[ <p>話は変わるが、本日中国国際臓器移植支援センターの経営者が逮捕されるというニュースを知った。</p><p>私たちは２年前（２００５年）ここを通して中国に脳死肝移植の手術を受けに行った。</p><br><p>この時代はまだ中国では臓器移植に関する法律はなく、事実上海外からの脳死移植大国となっていた。</p><p>ドナーは死刑囚であり、毎週のようにドナーからの臓器提供はあった。</p><p>特に中国人はＢ型が多く、父もＢ型であったことから父が入院している僅か２週間強の間にも３，４人ほどの臓器提供があったように思う。</p><br><p>結果として父は手術を受けられずに帰国し、その20日後に死亡したわけだが（詳しくは最後に書いていこうと思うが）、私は父が手術を受けられなくてよかったと今では思っている。</p><br><p>死刑囚をドナーとして臓器を提供させることにも問題はあると思う（特に共産主義国では犯罪者の人権についても疑問であり、大した手続き保証も与えられないまま無実の罪で死刑を執行されているケースも多いと思う）。</p><p>しかしそれ以上に私たち外国人は外資を持ってその臓器を買いに行っているようなものなのである。</p><br><p>本来であれば、ドナーの提供した臓器はその国の救命可能性の高い者に移植されるべきである。</p><p>つまり中国人の子供・青年から提供を受けるのが筋なのだ。</p><p>しかし、私の父のように外国から中国人には支払えないようなお金を持って、その順番を譲ってもらっているのが現状なのである。</p><p>普通に考えればいくら中国にドナーが多いといえども、普通に考えれば父に順番が回ってくることはまずないのである。</p><br><p>中国が臓器売買天国と呼ばれるのは仕方のないことだった。</p><p>しかし、中国も北京オリンピックを前にしてこのような外国からの批判を放っておく訳にはいかず、去年辺りから臓器移植に関して立法化がされてきたのだが、このような状況にもかかわらず経営者は同じように受け入れ・斡旋をしていたので逮捕されたのである。</p><br><p>ただ、移植を受けに行く日本人に非はあると思うが、受けに行く方も必死なのである。</p><p>特に家族は病人を抱えているだけでも大変なのに、費用のことや手術のこと、そして何より愛する家族のことで頭はいっぱいで、モラルのことまで考えられないのが現状なのである。</p><br><p>今、思うのは現在中国で臓器職支援センターを頼って中国で移植待ちをしている患者さん・そのご家族の今後である。不安でいっぱいだと思う。</p><br><p>支援センターの社員さん（主に患者のケア・通訳が仕事であるが）の今後も気にかかる。</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10051422799.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Oct 2007 15:21:53 +0900</pubDate>
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<title>ドナーの厳しさ</title>
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<![CDATA[ <p>５月に入って父の病状は悪化してきた。</p><p>しんどくなる時間が長くなり、市民病院の先生のご好意により入院させてもらうことになった。</p><p>５月も中旬のことだったと思う。</p><p>入院中父は生体肝移植で必要とされる検査（心臓エコーや頭部ＣＴなど）を受けていた。</p><br><p>一方、兄はその後一人で京大病院に説明を聞きに行ったり、コーディネーターに相談したりしていた。</p><p>話を聞けば聞くほど、ドナーのリスク（合併症や後遺症など）や生体肝移植をしても父の状態からは５年生存率が（５年後に生き残っているかどうか）５割と低いこと、仕事に支障が出ること（当然であるが、ドナーも大手術のため平均１ヶ月入院、肝臓が元の大きさに戻るまで何ヶ月もかかること＝その間無理はできないこと）と、当初考えていたのとは比べものにならないくらい厳しく大変なものだった。</p><br><p>５月下旬父は病状が少し良くなったので退院し、兄は京大病院に最終検査を受けに行った。</p><p>兄の検査は採決・検便・尿検査・心電図・胸、腹レントゲンや造影剤を使った検査であった。</p><br><p>母は元から兄のドナーに反対しており、私も父が高い確率で助かるなら私自身がドナーになることも考えていたが、生存率の低さ（手術後退院できないまま亡くなる人の多さなど）や手術の大変さをを考えると、私もドナーになることはできなかった。</p><p>兄もこの時点で仕事が佳境に来ており、１ヶ月の休みが取りにくいことや、やはり手術の厳しさを考えるとドナーになれないようだった。</p><br><p>私たちは兄がドナーの適格なしという結果が出ることを期待したが、父は兄がドナーになると信じて決め込んでいて、毎日のように”早く手術を受けて楽になりたい”と言っていた。</p><br><p>この頃の父は既に以前普通とは違う状況になっていた。</p><p>やはり少しずつ感覚がおかしくなっていて、ぼけではないけれど考え方が自己中心的になっていた。</p><p>病気がひどくなる前の父は、非常に物わかりのいい理解ある父だった。</p><p>昔の父なら”６０過ぎの親父が自分が長生きしたいために息子に肝臓をくれなんて言う方がおかしい”と間違いなく言うような人だった。</p><br><p>生体肝移植で有名な河野議員が、息子の太郎議員から肝臓の提供の話があったときも６０過ぎの老人が息子から肝臓をもらうなんておかしいといって拒否したという話があったけれども、父もそういう人だった。</p><p>しかし、父の場合病気ですでに脳も少し侵されていたんだと思う。</p><br><p>よくドナーになるかどうかで家族が分裂するというけれど、我が家もその例に漏れず、家庭崩壊の危機に半歩足をつっこみつつあった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10049692078.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Oct 2007 15:28:09 +0900</pubDate>
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<title>コーディネーター</title>
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<![CDATA[ <p>兄と４人で説明に行く前にコーディネーターの人から連絡があった。</p><p>コーディネーターとは肝臓移植手術に当たり、患者とドナーの橋渡しをするような存在であり、特にドナーのケアが重点的な仕事のように思う。</p><br><p>患者は手術を希望しているのでなんら問題はないが、ドナーは健康な体にメスを入れるためリスクが高く、手術してもデメリットこそあれメリットはないことからドナー及びその家族のケアが大事なのである。</p><br><p>そして４月下旬家族４人で京大病院に説明を聞きに行ったが、この時京大側は執刀予定の先生（関西医大で紹介していただいた先生）とコーディネーターが説明にあたった。</p><br><p>この日兄は午前中仕事があり（説明は昼からなので問題はない）仕事先から直接京大にかけつけたが、兄はお昼を食べていなかった。</p><br><p>そして説明が始まったが、手術は想像以上に大変なものであり、説明も切った貼ったの説明が多かったせいか、説明の途中に貧血で倒れてしまった。</p><br><p>私は兄と異なり、小さい頃からあまり丈夫ではなく持病もあったことから大小あわせて３回の手術経験があり、そのうちの一つは脳血管の外科手術（開頭手術）という大きなものであるが、それでも移植手術はさらにそれを上回る規模のものである。</p><br><p>しかし、兄はさほど大病をしたことがなく、切った貼ったはかなりのショックだったようで、気分が悪くなってきたらしい。</p><br><p>倒れた兄を見て、この時点で兄にドナーは無理だろうと感じた。</p><p>手術経験のある私ですら引いてしまうような大手術に（経験があるからこそ大変さがわかるのだが）、兄が耐えれるわけがない。</p><br><p>とりあえず貧血のため残りの説明については兄は横になったまま聞いていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10049181910.html</link>
<pubDate>Sun, 30 Sep 2007 18:30:27 +0900</pubDate>
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<title>生体肝移植に向けて</title>
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<![CDATA[ <p>大阪に戻って早速血管造影の結果を持って吹田市立市民病院に行った。</p><p>しかし、やはり癌治療は難しく、肝硬変が進んでいるので助かる方法は移植しかないと言われた。</p><p>肝臓癌では権威ある阪大病院の先生にも相談したが同じ結果であった。</p><br><p>この時すでに父は叔父から、移植がどんなに素晴らしいか（元気になればゴルフもできる。普通の状態に戻れる等）聞かされ、父も移植しか頭になかったと思う。</p><p>特にしんどくなる時間が長くなる一方、大好きなゴルフを以前のようにできるとなれば、もう「肝移植」という言葉は父にとって麻薬か覚醒剤のような存在になっていたんだと思う。</p><br><p>叔父は関西医大に通院しており、関西医大でも肝臓の生体肝移植手術はできるが、やはり生体肝移植と言えば京大病院が一番有名であり先生の執刀件数も格段に違うので、京大病院を紹介してもらうことになった。</p><p>その中でも執刀件数の多い若めの先生（あまり年配の先生となるとそれはそれで不安なので・・・）を紹介してもらった。</p><br><p>そして早速京大病院に診察と生体肝移植の話を聞くために母と３人で京都に行った。</p><p>初日は肝移植をする場合の今後の手続きや検査内容などの説明を受けたように思う。</p><p>そして、一番重要なのは（本人が手術を受けられる状態であることはもちろんだが）、ドナーの真意があるかどうかなので、ドナーに手術内容を説明して理解してもらわなければならないとのことだった。</p><br><p>そこで早めに兄の都合をつけて、ドナーになるための説明を聞きに来てくださいとのことだった。</p><br><p>当然と言えば当然だが、この時点では私や母・兄も生体肝移植の大変さを知らなかった。</p><p>とりあえず兄に仕事の都合をつけてもらい家族４人で手術の説明を聞きに行くことにした。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/nousiisyoku/entry-10044990593.html</link>
<pubDate>Tue, 28 Aug 2007 15:19:40 +0900</pubDate>
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