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<title>structural1073のブログ</title>
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<title>感想：陸奥A子『ハーパーの秘密』</title>
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<![CDATA[ <a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=16746068" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">陸奥A子コレクション 1 ハーパーの秘密 (YOUNG YOU漫画文庫)/陸奥 A子<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F21P00YVPVQL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥650<br>Amazon.co.jp<br><br><br>　陸奥A子といえば、少女漫画誌『りぼん』70～80’sの「おとめちっく」全盛期に、田淵由美子や太刀掛秀子らとともに活躍した漫画家としてその名を聞いたことのある人が多いであろう。<br><br>　本書の表題作にあたる「ハーパーの秘密」から「バイロンの振り子」、「夢の中から夢の中まで」「思い出のＡｕｇｕｓｔ」「一葉の夢(前編・後編)」は、そんな著者がYOUNG YOUに活動の場を移してすぐの時期にあたる1990～92年にわたって、断続的に同紙に連載された、親友花とカリナの恋模様を描いた作品群である。<br><br><br>　花とカリナは、学生時代からの大親友。しかし、性格も、人生観も、恋愛に対する考え方も対照的だ。20前半。恋に恋する時代はもう終わり。それぞれの形で、恋の「その先」を考えていく。<br>　カリナは、大嫌いな犬を飼い始めた。彼の大好きだった「ハーパー」というお酒の名前を付けて。お見合いをした。たった一回のお見合いで結婚を決めた。「ハッピーエンドを望んじゃいけない人」との恋は、きれいさっぱり清算されなければならなかった。<br>　一方の花は、失った恋に殉死するかのようにしてお嫁に行き、専業主婦、そして母として型どおりの「女としての幸せ」に自分を当てはめていこうとするカリナに戸惑いを隠せない。「あたしたちまだ21なのに」。仕事も楽しいし、なにより「オトナ」として経済的にも精神的にも自立している現在の状態はかなり充実している。運命のような「片思い」相手と恋人となったあとも、なかなか「そのさき」を意識することができないでいた―――。<br><br><br>　陸奥Ａ子の絵は、全てが可愛らしくデフォルメされていて、現実社会の生々しさはきれいさっぱり消臭され、つるつるに磨かれ、ふんわりやわらかい布がかけられ、仕上げにポプリでいいかおりまでがつけられている。だから、読み終わってからストーリーを整理してみると、それは結構な重さを有しているのにもかかわらず、読み進めている間はまったくもってそれを感じることがない。<br>　すこし成長した「おとめ」は、かつての「おとめの論理」そのままをもって、世間体とか、常識とか、欲とか、そういったものに触れないことにはたどり着けない「大人たちの世界」を解釈していく。陸奥Ａ子のセリフと絵をもってして、それは驚くほどすんなりとできてしまう。<br>　しかし、この作品が傑作たる所以は、「おとめ」を貫くことに終始していない点である。「おとめ」も、いつの間にか、「大人たちの世界」の一員となっていく。<br>　そして、本作品は、「おとめ」と「大人たち」の世界のちょうど狭間を描いていているのである。カリナは意識的に「大人たち」の世界へと自分を押込めようとするし(カリナは「おとめ」の世界から逸脱した時点で、自身は単なる「抜け殻にすぎない」と思い込もうとしている節がある)、花は、「大人たち」の世界のぞんざいを知りつつも、その世界を知ることを先送りしている。<br><br><br><br>作品発表から20年くらいたった今、20代半ばずぎくらいの女性が読むと、きっとしっくりくるはず。<br><br><br><br><br>●(筆者の独断と偏見による)陸奥Ａ子を味わうための三冊●<br><br><br><br><br><br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=16746067" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">粉雪ポルカ (陸奥A子自選集) (集英社文庫―コミック版)/陸奥 A子<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F21RDNBKKP1L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥610<br>Amazon.co.jp<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=16746066" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">薔薇とばらの日々 (陸奥A子自選集) (集英社文庫―コミック版)/陸奥 A子<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F21T4JFZDB2L._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥610<br>Amazon.co.jp<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=16746065" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">天使も夢みるローソク夜 (りぼん おとめチックメモリアル選) (集英社文庫―コミック版)/陸奥 A子<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F31R04V7V3GL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥650<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Sat, 03 Sep 2011 18:06:56 +0900</pubDate>
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<title>『本郷』No.95感想　昔話と日本人　</title>
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<![CDATA[ 本日届いた吉川弘文館の雑誌『本郷』No.95より、気になった文章をよんで私が考えたこと。<br><br><br>●中村修也「日本神話と日本人の日常的空想世界」<br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=16676602" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">日本神話を語ろう: イザナキ・イザナミの物語 (歴史文化ライブラリー)/中村 修也<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F41iuhdOs8YL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,785<br>Amazon.co.jp<br><br>同氏新刊(恐れながら未読です)に関連したコラムである。<br><br>　現行の教育過程においては、小学校高学年で初めて体系的に日本の歴史を学ぶ。サルからヒトになって、それ以降舞台は日本列島に移り、旧石器時代、縄文時代、そしていきなり「卑弥呼」なんて難しい漢字がでてきて・・・。其の後、中、高と最大で三回(高校では日本史を履修しなくてもよい、という恐ろしいカリキュラムが組まれているから)国家の黎明について学習することになる。<br>　今現在ではこのような流れが当たり前だが、ほんの60余年前までは、日本の歴史が所謂「開闢神話」で始まることが「当たり前」な時代が存在していたのだ。<br>　徹底的な神話と歴史の分断、そして神話性の排除こそが、戦後歴史教育が成り立ちうる最低条件であった。<br>　しかし、戦前教育に対する反動性は、歴史としての神話の捨象にとどまらず、「昔話」＝虚構としての神話までをも一気に去勢してしまった感が否めない。学校教育から神話が消滅すると、神話を継承させることができるのは、「語りべ」としての祖父母、父母か、メディアのみとなってしまう。しかしながら、メディアから情報を得るということは多分に積極的要素が必要であり、しかも核家族化の進行した昨今の社会では、神話は紛れもなく「消えゆく無形文化遺産」である。<br><br>　氏は、冒頭で「小学校低学年くらいまで、隠居所に住む祖父から、いくつものお話を聞かせてもらっていました。」(p．5)と記し、祖父のお話で出てきた様々な妖怪やら神様やらについて、自由に空想を膨らませていた、という体験を書きつづっておられる。<br>　平成生まれの私であっても、お同様の体験を持っている。幼少時の私は大の「おばあちゃんっこ」で、両親から見放されるほど長期間、祖父母の家に泊まっては、夜の布団の中で、そうした神話由来の昔話を聞いていた。しかし、戦後世代の親は、そうした物語を諳んじることはできず、その代り、図書館から借りてきた紙芝居や本で読み聞かせてくれた。<br>　また、土曜日の朝、頑張って早起きするとみることができる「まんが日本昔話」も、私が多くの神話的物語を知るきっかけになったように思う。<br>　しかし、本ばかり読んでいておよそ子供らしくない子供時代を過ごしてきた私はどちらかというと少数派であるようだ。小中高生に勉強を教えていると、彼らにそれらの物語が殆ど継承されていないことに驚きを覚える。ただ、それがおそらく当然の結果なのだろう。<br><br>　終戦争の記憶は永遠にとどめられるべきであり、同じ過ちを繰り返すことは間違ってもあってはならない。しかしながら、歴史、教育の分野における、「神話アレルギー」なるものを克服する時期は、すでにやってきているような気がする。<br><br>　氏は、コラムの終盤を、<br><br>　　人間としての人格形成において、自国の神話を持たないということは、精神的に非常にいびつなも　のといえましょう。むしろ記紀に描かれた神話を、物語として子供たちにかたり、そして神話と歴史　とはことなるものだということを、正しい情報として与えていくことが必要なのではないかと感じま　す。(P.7)<br>と締めくくっている。至極もっともな意見であろう。<br><br>　子供たちに伝えるためには、大人に正しい知識がなければ始まらない。かといっていきなり記紀の原典をよむのはいささかハードルが高いのではなかろうか。<br>　今は、漫画で読むシリーズや、図解本、鮮やかなイラストが掲載された本などがたくさん出版されているようである。<br>　個人的には、上記の本のわかりやすさとはベクトルを異にするが、原文のエッセンスを存分に生かした子供向けの表現に、著者石母田正と武者小路穣の工夫が光る『物語による日本の歴史』講談社　2005年(講談社学術文庫で最近再刊された。)に興味がある。<br><br>　ちなみに、編集は若き日の網野義彦、ということであり、錚々たるメンバーにより生み出された一冊である。<br><br><br><br><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=16676601" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">物語による日本の歴史 (講談社学術文庫)/石母田 正<br><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F61P6CQMAPYL._SL160_.jpg" border="0"></a><br>￥1,050<br>Amazon.co.jp<br><br>
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<pubDate>Mon, 29 Aug 2011 20:57:21 +0900</pubDate>
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<title>神秘の教理に魅せられて―空海と密教美術展―</title>
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<![CDATA[ 八月頭から虎視眈々とその機会を狙っていたのだが、満を持して「空海と密教美術展」(東京国立博物館平成館　会期：2011．7.20～9月25)に足を運んできた。<br><br><br>密教、とはその名の通り「秘密の教え」であり、その未知なるヴェールの先には何があるのか、今までよく理解できなかったゆえに、勉強の動機づけとして大変良い機会になった。<br><br>展示の感想を一言で表現すると、密は密でも、密度の濃い、方の「密」。おなか一杯、満足。<br><font color="#FF0000">「出品作品は99点で、98.9％が国宝または重要文化財(展覧会公式ホームページより。)」</font>とのことで、どこに視線を向けても今まで高校の図説や書籍で見たことのある品々ばかり、神経は常にフォルテ、フォルテ、フォルテ。第三章に進む前に小休憩をとることを強くお勧めする。<br><br>見どころを語りつくそうとすれば、レポート8000字は優に超えそうなので、以下、個人的に特に印象に残ったもの二点についてのみを簡単に記す。<br><br>①国宝 「諸尊仏龕(しょそんぶつがん)」唐時代･8世紀 和歌山･金剛峯寺蔵<br><br><br><br>　　仏龕とは、仏像と厨子を1つの材から彫り出したもの。この仏龕は白檀製で、釈迦如来と考えられる　像を中心に脇侍や羅漢、天蓋などが緻密に表される。空海が中国から持ち帰ったもので、中国に密教　を伝えたインド僧の金剛智から空海まで、密教の正系の証といえる。(展覧会公式ホームページより引　用)<br><br>オペラグラスを持って来ればよかったと、激しく後悔した。兎に角精緻で、肉眼で穿ったとしたらまさしく神業、否、ここは仏業と記すべきか、である。8世紀の唐に拡大鏡のようなものがあったか否かは残念ながら筆者の知るところではない。周りからも多くの感嘆の声が上がっていた。<br><br><br>②国宝 「密教法具」唐時代･9世紀 京都･東寺蔵<br>　<br><br>　　　金剛盤の上に五鈷鈴(ごこれい)と五鈷杵を据えた密教法具のセット。密教ではこうした組法具が　　修法壇に置かれた。空海が帰国するにあたって、師の恵果が授けた法具類の一部と考えられるもの　　で、東寺では空海請来の霊物として高い価値を置かれ、重要な修法で用いられてきた。(展覧会公式　　ホームページより引用)<br><br>個人的には、密教＝五鈷鈴、五鈷杵というイメージがあった。帝釈天や執金剛神が携えているアレである。<br>これらの法具は、もともとリグ=ベーダ神話の代表的な神インドラIndraが、悪魔仇敵を殺戮するために使用した「雷妻」なる武器が、密教に取り入れられたものらしい。したがって、先端が鋭利で武器としての面影を残したものの方が、古式である。筆者の想像以上に、大振りでいかめしい重厚なつくりであり、邪な魂も千千にくだけてしまいそうな威容であった。<br><br>勿論、「国宝 「風信帖」 空海筆平安時代･9世紀 京都･東寺蔵　展示期間：8月23日～9月25日」は、立体曼荼羅8点(なんといっても帝釈天騎象像の御姿は目に焼き付けておくべき。涼しげな目元と引き締まった口元に5分位見惚れてしまった)に次ぐ見どころとして展示されていた。流れるような筆致にしばしうっとり。<br><br>長大な巻物を惜しみなく披露してくださる博物館側及び関係者側の行為には深く感謝の意を表したいが、欲を言うと、その内容の意訳、いや、せめて書き下しを併置してほしかった。書をたしなまず、日本史を専攻して置きながら、未だ崩し字をマスターしていない、というどうしようもなく駄目な筆者にとって、「なんだかよくわからないこと」にただただひれ伏すことしかできなかった。<br>中身がわかれば、空海と最澄のやり取りについてもう少し深く切り込めたかもしれない。<br><br><br>因みに、特別展は土曜の午後ということもあり、かなりの混みようであったが、皆さん密教のパワーに圧倒されて、平常展にはなかなか足が向かないご様子。<br><br>実は、本館二階の国宝展示室で「国宝　一遍上人伝絵巻 巻第七　2011年8月23日（火） ～ 2011年10月2日（日）」の展示があったのだ。以前中世史の発表テーマに関連して、中世の被差別民について興味をもってあれこれ読んだ時期があったのだが、網野善彦、黒田日出男氏をはじめとした諸氏が、この絵巻に描かれた被差別民、特に犬神人について言及しており、個人的にかなり注目度の高い絵巻であった。<br>それが生でみられるなんて、少し感激である。<br><br>史料としての話は(長くなるから)さておき、芸術品として秀逸だと思うのは橋の上を往来する中世の民衆の周りを覆う濃い霧の表現である。霧の合間に立ち現れる牛、童、女、男・・・その写実性の高さには舌を巻くばかり。ぜひご覧あれ。<br><br><br><br><br>以下、自分のお勉強用の引用<br><br>【密教】<br>人間の理性によっては把握しえない秘密の教え。顕教に対する語であるが、一般にはより広く、神秘的、儀礼的、象徴的、実践的な宗教の意味に用いられる。インド大乗仏教の中におこり、七世紀には思想、修法両面において整備されたが、その中にはバラモン教文化・ヒンドゥー教文化が積極的に摂取されている。中国では唐代に朝野の尊崇を集めて栄えたが、唐末より衰退した。九世紀初め、空海は長安の青竜寺の恵果よりインド伝来の密教を授けられて帰国し、独自の見解も加えて教理を体系化し、真言宗を開いた。空海は全仏教を顕教と密教に二分し、密教の優位を主張する。教判の書『弁顕密二教論』では、応化身の釈迦が衆生の宗教的な能力に応じてあらわに説いた顕教に対し、密教は宇宙の真理を仏格化した法身大日如来が直接行なった説法である（法身説法）、言語・文字などによっては悟りの世界は説きえないとする顕教に対し、密教は象徴を通して真理を表現することができる（果分可説）、さらに成仏のために無限の歳月を要すとする顕教に対し、密教では身口意の三密瑜伽行によって、肉身のままに成仏する（即身成仏）、また密教の教えの功徳は絶大（教益卓越）などの点で密教が勝ると説く。さらに空海は声聞と縁覚の二乗、法相・三論・天台・華厳などの大乗仏教を顕教とし、密教を最上位に置く十住心の教判を完成したが、『十住心論』十巻では、下位の顕教といえども、悟った者の目からすれば、ことごとく密教であるという特色のある包容的な教判を立てた。最澄は越州の竜興寺の順暁より密教を受け、帰国後、天台宗の年分度者二名のうち一名を密教の学習（遮那業）にあてた。その弟子円仁・円珍も入唐して密教を受け、円仁は『法華経』をはじめとする一乗教を密教に含め、三乗教に対して上位に置き、円珍はさらに円教に対する密教の優位を大胆に主張し、その弟子安然は円劣密勝の五時教判を完成した。東寺を中心として研究された真言宗の密教を東密と呼ぶに対し、天台宗の密教を台密という。現世利益を主体とする密教を雑密（ぞうみつ）、成仏を目的とする密教を純密（じゅんみつ）と呼びならわしている。空海は大乗仏教の教理に基づき、現世利益を成仏にまで高め、国家と民衆の福祉を期す純度の高い密教を構築したが、平安時代中期以降、真言・天台などの密教教団は、上層階級の要望に答えて現世利益のみを求める祈祷に没頭した。一方、平安時代末より教学の復興運動がおこり、鎌倉・室町・江戸の各時代にも密教研究が盛行するが、空海を凌駕する体系と規模をもった教学はついに出現しなかった。しかし密教が本来的にもつ包容的な性格は、わが国の民族信仰を摂取して神仏習合思想に理論的な基盤を与え、本地垂迹説を生み出し、山岳信仰を包摂して修験道を形成した。また密教はわが国の風俗習慣と広く結びついて、現在まで庶民信仰の中に深く根を下している。(国史大辞典編纂委員会編『国史大辞典』吉川弘文館　1979～1997年)<br>
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<pubDate>Sun, 28 Aug 2011 16:29:55 +0900</pubDate>
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<title>薄れゆく戦争の記憶①</title>
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アメンバー限定公開記事です。
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<pubDate>Sun, 28 Aug 2011 15:11:44 +0900</pubDate>
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