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<title>wakamineのブログ</title>
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<description>クリスチャンwakamineの「御言葉によって生きる」</description>
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<title>忍耐</title>
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<![CDATA[ ヤコブ1:3、4節「信仰がためされると、忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」<br><br>私には忍耐がない。人から自分の痛いところを突っ込まれると、落ち込んだり、イラっとしたりもする。自分で自分を守ろうと必死になる。<br><br>私は山に登って神様にその悔しさやイラっとしたことを持っていく。詩篇のダビデの気持ちが分かってくる。まだまだ自分死んでないなと思い、へりくだらされつつ、神様が私の思いを全て聞いてくださることに感謝! <br><br>主はわが盾、わが力、わが避け所。<br>God is the strength of my heart!<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11143258509.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jan 2012 22:14:50 +0900</pubDate>
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<title>常に神様と共に！</title>
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<![CDATA[ 私は教会における礼拝や祈り会や証をする時にのみ「スイッチ」を押していて、それ以外の時にはオフにしていた！<br><br>クリスチャンとして御霊によって歩むとはいつも「スイッチ」をオンにしている状態のことをいうのだと悟った。<br><br>私はいつも「スイッチ」オンのことをGPSの信仰生活と呼んでいる。<br><br>これからの生活が楽しみだ！<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11142374311.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Jan 2012 23:50:26 +0900</pubDate>
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<title>自分の十字架を負う</title>
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<![CDATA[ ルカ9:23に「だれでも私についてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そして私についてきなさい。」とある。<br><br>日々自分の十字架を負うとはどういうことだろうとずっと考えていた。<br><br>一つの考えとして見て欲しい。<br><br>私たちは日々、生活の中である思いが出てくる。<br><br>肉の思いだ。<br><br>肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢など様々ある。<br><br>そういった肉の思いを十字架にことごとくつけ、死なせること<br><br>これが日々自分の十字架を負うことではないだろうか。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11121271866.html</link>
<pubDate>Fri, 30 Dec 2011 12:10:36 +0900</pubDate>
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<title>交換</title>
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<![CDATA[ 十字架は交換だという。<br><br>例えば、私たちは何か相手に嫌なことをされるとどう思うだろうか？<br><br>その相手に対して、怒りや憎しみの感情を持つことだろう。<br><br>相手が100%悪いときは特にそうだろう。<br><br>私たちは相手に謝るように要求したり、その相手の悪口を言ったりしてその怒りや憎しみの感情を解決しようとする。<br><br>怒りや憎しみはキズから出てくるものだ。<br><br>聖書に「まことに彼は、私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」とある。<br><br>相手から何かやられた時、怒りや憎しみを十字架に持って行こう。<br><br>十字架は赦しと愛とに交換してくださる。<br><br>十字架の力を信じよう。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11119617911.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Dec 2011 17:04:19 +0900</pubDate>
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<title>満たされない</title>
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<![CDATA[ 聖書は奥義だ。<br><br>奥義は奥に隠されているがゆえに奥義である。<br><br>御言葉の表面ばかり説教されても、得るところは知識だけ。<br><br>確かに、聖書に「熱心なだけで、知識がないのはよくない」とある。<br><br>知識は必要だ。<br><br>だがそれは、注解書やインターネットで調べれば自分一人で得られる。<br><br>私は奥義が知りたい！<br><br>牧師が聖霊に満たされるように祈ろう。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11118144837.html</link>
<pubDate>Mon, 26 Dec 2011 20:50:24 +0900</pubDate>
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<title>久しぶりに書いてみる</title>
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<![CDATA[ 今日、クリスマス祝会が教会で行われた。<br><br>たくさんの人と話したが、私は何か物足りなさを感じた。<br><br>本気でみことばに従って人生を歩もうとする先輩クリスチャンがいないからだ。<br><br>やはり恐れがあるのだろう。また不安もあるだろう。状況を見てしまう。<br><br>しかし、私は神様にしたがって生きたい。<br><br>ルカ9:24「自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失うものは、それを救うのです。」<br><br>このみことばに従って生きていくことができますように！<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11115375172.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Dec 2011 00:25:23 +0900</pubDate>
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<title>父母を敬え</title>
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<![CDATA[ 聖書の御言葉だ。<br><br>父に対してはできていたのだが、ついに今日母に対しても神様の導きでできるようになった。<br><br>夜いつも通り祈り始め、家族のために祈ろうとした時、母のことを非常に祈りたくなった。<br><br>母のことを祈り始めた時に、涙が自然と出てきたのだ。<br><br>母もたくさんのキズを受けてきたのだ。<br><br>私はそのような事も考えずに、私自身が教会に行かなくなったことや、友達とうまくいかなかったことなどを母のせいにしてきたのだ。<br><br>私は自分自身の罪を神様の御前に悔い改め、母にその事を一緒に祈ることを通して謝った。<br><br>私はこれから母に何をしていけばいいのだろう？<br><br>そのような事を思い巡らしている時、母を心から敬う事から始めようと思った。<br><br>母はいつも私のことを心配してくれた。<br><br>確かに、ウザいと感じたこともあった。でも、今はそれを感謝できる。<br><br>毎日、母のために神様に祈ろう。神様の祝福が母に満ち溢れるように。<br><br>職場でも神様の栄光で輝きを放つ母となるように。<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Wed, 14 Dec 2011 23:17:13 +0900</pubDate>
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<title>実家にて</title>
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<![CDATA[ 今日は友達と散策をして楽しい時間を過ごした後、実家に帰った。<br><br>親と今後のことについて話をした。<br><br>母「卒業後どうする？」<br><br>私 「神様の導きに従うよ。」<br><br>母 「具体的には？」<br><br>私 「今はまだ神様に導きが与えられていないから、分からない。祈り求めるよ。絶対に導きを与えられることを信じて。」<br><br>私にはそれしかない。<br><br>神様が私の道を導いてくださるということしか頭にない。<br><br>みことばもある。<br><br>詩篇32:8 「わたしは、あなたがたに悟りを与え、行くべき道を教えよう。わたしは、あなたがたに目を留めて、助言を与えよう。」<br><br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Wed, 14 Dec 2011 00:00:53 +0900</pubDate>
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<title>教会にて</title>
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<![CDATA[ 昨日は教会だった。<br><br>私は祈って行った。<br><br>私が警察官試験不合格だったということで、みんなの信仰が下がらないようにと。<br><br>神様はそんな祈りに答えられた。<br><br>教会着いて冗談で「落ち込んでまーす」と言ったら<br><br>嘘でしょ、みんな知ってるよと言ってみんな笑っていた。<br><br>神様に礼拝を捧げたのち、みんなに今私が何を思っているか聞きたいと言われたので、話したところ<br><br>みんなに「日本でしかも若くてこのような信仰を持っている人はあまり見ないから、すごく楽しみ」と言われ、励まされた。<br><br>そのように言える皆さんもクレイジーだなぁと思いながら神様に感謝した。<br><br>神様は全くすごいことをなさる。<br><br>不合格によって確実に信仰のレベルが上がった。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11104830606.html</link>
<pubDate>Mon, 12 Dec 2011 13:30:20 +0900</pubDate>
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<title>クレイジーフォーガッド</title>
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<![CDATA[ 教会へ向かう車中から<br><br>私は最近、一人、家の近くの山で賛美したり、祈ったりしている。<br><br>たまにそんな自分を客観的に見ると、俺ってクレイジーじゃないか？<br><br>狂ってしまったのではないか？と思い、神様にその事を言ったりする。<br><br>確かに、神様を知らない人から見たら、私はクレイジーだと思う。<br><br>いや、神様を知っている人からもクレイジーだと思われるだろう。<br><br>ただ、聖書の中の偉大な人物は皆クレイジーと思われていた。<br><br>あのパウロもエリヤも、そして何よりイエス様も。<br><br>私はそれを知り慰めを得る。<br><br>ますます私はクレイジーになりたい。<br><br>クレイジーフォーガッド<br><br>ここに我が人生あり。<br><br><br><br>iPhoneからの投稿
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<link>https://ameblo.jp/nozomu555/entry-11103740634.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Dec 2011 10:35:54 +0900</pubDate>
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